面接のテスト
「赤ん坊が生まれたら、お父さん病院まで見に来る? それとも私が連れて帰るまで待つ?」
まだ気が早いけど、父にそんな質問をした。
普通の元気なおじいちゃんなら、孫が生まれたらすぐにでも見に行きたいだろう。
ただ、足が悪い父が神戸まで一人で出てくるのは大変危険である。
もし父が、「病院まで見に行きたい、帰ってくるまで待てない」というなら、何か手立てを考えなければならない、と思ったからだ。 なにせ私は入院中で助けてあげられない。
「見に来たい?それとも待っとく?」
それに対する父の回答は、
「生まれたら、な」
という、若干意図がわかりかねるものだった。
「いやいや、生まれたら見に行くけど生まれなかったら見に行かない、とかそういう話じゃないでしょ。じゃなくて、来るか待つか聞いてるのよ?」
「そやから、生まれたら、の話やな」
話が噛み合わない。
「まだ先の話だからいいんだけど…」
と、そのときの話はそれで終わった。
それから数日後、キッチンにいた私に父がいきなり、
「面接に行くわ」
と言ってきた。
「面接? 何の面接?」
「病院へ。赤ちゃんの面接」
「それ、面接じゃなくて面会でしょ」
ふと、父がスーツを着て、履歴書を持って赤ん坊を面接をしている姿を想像してしまった。
「履歴、ほほう、昨日生まれたんですか」、なんてね。
「だったら、誰か一緒に神戸まで来てくれる人を探すか何か、考えんとあかんね」
予定は5月、 まだまだ時間はある。
無謀な老人
木曜日の正午前。 仕事中に父からメールが入った。
「今、三宮のにしむらこひにいる、これから元町へゆく、」
父はメールで「ー」と「。」とカタカナが打てない。
いやそんなことはどうでもよくて、なんで突然神戸に来てるの!?
「お昼休みになったら電話をかけます」
とりあえずそう返信した。
昼休み、急いで電話をかける。
予告をしたのに、何回かけても電話に出ない。
耳が遠いので、着信に気が付かないのだろう。
5回目の発信でようやくつながった。
まだ元町に向かっている途中だという。
とりあえず中華街のおなじみの中華料理屋さんで待ち合わせをすることにした。
そこなら父も知っている。
お昼休みは1時間しかないので、私は先に食事にしたが、食べ終わっても父は現れない。
どうしているんだろうとヒヤヒヤしていると、昼休み終了15分前になってようやく、身体を歪めながらヨタヨタと歩く老人がやってきた。
普段から足は引きずっているけれど、こんなにひどいことはない。
明らかに異常だった。
お店の人もお客さんもビックリするほどのマヒ状態。
父によると、三宮から元町まで歩いてきたという。
だいたい1km程度なので、健常者ならスタスタ歩ける距離だけれど、足がまともに動かない父には大変な遠さだ。
「何回も歩いたことあるから大丈夫やと思ったんやけどな。元町についてから、南京町までの間が特に足が動かんようになって、こんなんなったんや。なんでやろなぁ」
身体が不自由な割には、口は達者に動いていた。
「以前は大丈夫だった」という元気なときの思い込みが、現在の足の不自由な自分に情報がアップデートされていない。
「脳梗塞のあとにお医者さんから言われたのを忘れたん? 『行きはよいよい帰りは怖い』で最初は歩けても、だんだん疲れて歩けなくなってきます、って! だから一人で来るのは無理だって言ったでしょうが!」
周囲の目も気にせず、つい叱りつけてしまった。
お店の店長が、
「また脳梗塞が起きよんちゃうか」
と心配してくれた。
「とりあえず両手を同時にグーパーしてみて」
と脳梗塞のチェックをしてみる。
両手を前に出して、グー、パー、グー、パー。
手は両方ともよく動いている。
「大丈夫や。ロレツもちゃんと回っとうし」
と、店長が言ってくれて、少し安心した。
「そうそう、これ持ってきたで」
と父がカバンから箱を取り出した。
「何?」
見てみると、先日私がネットで注文した実家の浄水器の交換カートリッジだった。
「ちょうど今朝届いたから、届けたろと思て」
「家の浄水器やのになんでこんなもん持ってきたん? いらんわこんなもん! 持って帰って! なんでそんな勝手なことをするん?」
情けないにもほどがある。
人に心配をかけさせて、迷惑をかけて、そのうえ浄水器のカートリッジって…。
「浄水器のカートリッジは家に置いとかなあかんわ」
と、店長も笑ってくれたので、少し救われた。
父はにしむら珈琲でチーズケーキを食べてお腹が空いていないらしく、父の分の中華料理はお土産として包んでもらうことにした。
「私、午後からも仕事なんやけど。早くせえへんかったら間に合わへんわ」
「気にせんと仕事行って」
父はそう言うけれど、まともに歩けない父をほっておくわけにはいかない。
店長が親切にも、
「駅まで送っていったげよか」
と言ってくれたけど、ただでさえ忙しい繁盛店の店主にそこまで甘えるわけにもいかない。
お店から元町駅まで、父の身体を支えながら送っていった。
重くはないけど、力を入れないと支えられない。
「なんで杖を持って来うへんかったん?」
「持ってきたんやけどな、まあええかと思って車に置いてきた」
「なんで『まあええか』になるのかわからん」
「しもたことしたなぁ、持って来たらよかった」
老人を支えて歩く南京町から元町駅までは、普段の倍ほど長く感じた。
「そもそも、連絡もせずに突然来るのが悪いわ。なんで来たん?」
「赤ちゃんを病院に見に行くテストをしようと思たんや」
「テストするにしても無謀やわ。テストは計画を練ってからせなあかんやろ」
「せやな。ちょっと無謀やったな」
元町駅は乗降者数が相当多い駅なのに、東口にはエレベーターもエスカレーターもない。
かといって、西口まで歩くも遠すぎる。
「階段上れるかなぁ。そこの喫茶店で休んで行ったほうがええんちゃうか」
「いや、大丈夫や。もう会社行き」
「ほんまに大丈夫?」
これ以上いたら、本当に遅刻してしまう。
切符の自販機の前に父を置き去りにして、会社に戻った。
席に着いたときに時計を見ると1分オーバーしていたけれど、幸い上司はみんな昼イチに打ち合わせがあって、席にいなかった。
セーフ、じゃないけど、アウトでもない。
駅員さんにまで助けてもらった
その後も、無事に帰れただろうか、途中で倒れてないだろうかと気が気ではなかった。
仕事が終わってすぐ、父の携帯に電話をかけると、電源が切れていてつながらない。
家に電話をかけると、何事もなかったように父が出たのでホッとした。
「今日はすまんかったなぁ」
と、ケロリとしている。
あれから、休むことなくすぐ駅構内に入り、難所である階段を上りかけたけれどやはり足が上がらず、途中で往生していると、元町駅の駅員さんが介助をしてくれたという。
「ホームまで、階段上がるのを助けてくれてなぁ。新快速に乗り換えるつもりやったけど、次の快速に乗ったら網干駅まで乗り換えなしで行けますから、って電車にまで乗せてもろて」
「よかったなぁ!」
「網干駅の駅員さんに連絡までとってくれて、着いたら網干の駅員さんが出迎えてくれたんや」
「そこまでしてくれたん!? めちゃめちゃ気が利くなぁ!」
普段、JRは遅延が多いだの連絡が悪いだのと文句ばかり言っているけど、こんなに親切にされると今後はもう悪口は言えない。
「駅員さんにえらい迷惑かけてもた」
「ほんまやわ」
さすがの父も、他人に迷惑をかけたことは反省したらしい。
これに懲りて、突発的な行動を慎んでくれたらいいのだけど。
いくらダメだと言っても、自分が納得しなければ勝手に行動する父である。
誰か病院まで一緒に来てくれる人を、今から探さないといけない。