3歩前のことを忘れる女のサブカルと介護の記録

神戸に住む40代波野なみ松の、育児と趣味と要介護両親の対応に追われる日々の記録。

行き止まりと延命治療

母の主治医から話があるというので、先週の土曜日の朝、病院へ出掛けていった。

最寄り駅から病院までは、これまで車でしか行ったことがなかったけれど、父に送ってもらおうにも朝9時半に父が起きられるわけがない。
救急車で運ばれた日はタクシーを使ったけれど、タクシー乗り場が駅の反対側にあり、大きな車通りは少し大回りすることもあって、病院がすぐそこに見えている割には千円近くかかってしまった。
その点、バスなら170円だけれど、1時間に1本あったりなかったりの時刻表ならぬ地獄表。

公共交通機関しか使えない人にとっての、田舎のつらい現実。

改めて病院の案内サイトを見ると、実は徒歩10分のアクセスであった。
そりゃそうだよ、駅から建物が見えるくらいなんだもの。

ここは徒歩ならではの最短距離で行こう!と、Googleマップのナビにお世話になると、タクシーやバスの迂回路とは異なる、ジグザグのルートが表示された。
とりあえず、Googleマップ先生に従って歩く。

進むにつれて、不安になる道になってゆく。
舗装はされているものの、ほとんど田んぼの畦道である。
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もしこれで正解なのだとしたら、Googleマップ恐るべしだなぁ!と感心しながら進んだけれど、途中で道が完全な畦道になった。
しかも、その先に見える、マップが示している終点は病院の駐車場で、フェンスで囲まれている。

たどり着いても入れへんやん!

結局、少し戻って方向転換。

病院はずっと見えているので迷うことはなかったけれど、結局近道にはならず。Googleマップにだまされた!
Googleマップ、入り口がどこにあるかまでナビできるレベルじゃないわけね。

そんなわけで、やや遅刻ぎみに病院に着き、主治医を呼び出してもらった。


方向性を決めてください

ずっと同じ病院の神経内科に通っているけれど、入院前と入院後で主治医が変わった。
救急車で運ばれたときに見てもらった先生が主治医になる仕組みのようだ。
幸い、これまで何年か診てくれていた主治医より、新しい主治医のほうが親切丁寧な人だった。
だからこそ、ちゃんと家族に説明しようとしてくれているのだと理解した。

話の要点は、状態は安定しているものの口からの食事量が少ない、ということだった。
「今は、昼だけリハビリとして口からの食事訓練をしていますが、日によって変わるものの、だいたい食べられるのは2割くらいです。足りない分の水分と栄養は、鼻から胃へチューブで送り込んでいる状態です。」

それはだいたいわかっていた。
毎日お見舞いに来てくれている父からの、
「お母さんまだ鼻からチウブ」
という報告メールで、経鼻栄養摂取が続いているのだと知っていた。
ちゃんと口から食べられるなら、チューブはいらない。

「これまでリハビリを続けてきましたが、量が増えず、2割で頭打ちになっています。これから劇的に食べられるようになるということは考えにくいでしょう。状態が落ち着いたら、リハビリ病院を経由して施設入所を考えられていたと思いますが、施設の受け入れは口から食べられることが前提となっているかと思いますので、ご家族さんには酷な話ですけど、退院して施設に、というのは難しいと思います。」

そうですか…、と言いながら、私は先ほど歩いていて、進む先が駐車場のフェンスだったような気分になった。
頼りない畦道を歩いて、たどりついたら行き止まり。

「どうされるか、ご家族さんで方向性を決めておいてください。それがないと、転院先の病院でもどうしたらよいかわかりませんから」
と医者は言う。
けれど、「方向性」というのが、具体的にどういうことを意味しているのかがわからない。

先生は丁寧に繰り返し説明してくれるけれど、オブラートに包んだ物言いをするので、いまいち理解が進まなかった。
何度も同じ話を聞いて、ようやく、医者が言いたいことが、
「口からの食事だけでは死んでしまいますよ。胃ろうをつくらなければ、鼻からチューブは一生やめられませんよ。強制的に栄養を流し込むという点では、胃ろうも鼻からチューブも同じですよ。それでもかまいませんか」
ということだと理解した。

そして、それぞれのメリットデメリットはこんなかんじ。

  • 口からだけとなると、1週間くらいで死んでしまう。
  • 鼻から経管栄養は、1週間に一度新しい管に交換するときに本人は苦しい。
  • 胃ろうを増設すると、口から栄養を取るリハビリを行わなくなるので、おそらく口から食べる能力を失ってしまう。

当然、私が、
「口からだけの栄養摂取にこだわります」
なんて言えるわけがない。
母が死んでしまうのだから。

最後の楽しみである食事を奪ってしまう胃ろうは、できるかぎりしたくないけれど、医者から、
「本人が楽なのは鼻からより胃ろうです」
と言われると、迷ってしまう。

「延命治療をどこまでするかを決めておいてもらいたいんです。昔は、本人や家族の希望に関係なく、無条件に命を長らえさせる医療でしたが、今は希望に沿った医療を行うようになりました。医師の間でも考え方はそれぞれありますが、私はできるだけ本人や家族の希望に沿いたいと思っています。できるだけ細かく、延命治療についてこれはいいけどこれは嫌だ、というのを決めておいてください」

先生が言ってくれていることはごもっともで、家族の希望を尊重してくれるのはありがたいと思った。
けれど、残念ながら素人には、選択肢そのものが思い浮かばない。

先生の説明の中で出てきた、栄養摂取以外の延命治療が、

  • 人工呼吸器をつけるかどうか。
  • 肺炎を起こしたとき、肺炎そのものの治療を行うか、それとも痛みや苦しみを緩和させるだけの治療にとどめるか。

ということくらいだっただろうか。

おそらく、もっといろいろあるだろうし、本人の状態によっても違う。
アンケート形式のリストにして渡してくれたらいいのに、と思ってしまった。

延命治療はやめてほしい、とは思っている。
意識不明の状態なら、延命治療はしませんと言えるけれど、今の母は呼び掛ければまだ反応してくれるのに、やめれば死んでしまう決断を下せるわけがない。

「家族で相談します。それまでは今のままでお願いします」
としか言えなかった。
父に相談したところで、何も解決しないのはわかっていたけれど。

実際、のちほどソーシャルワーカーさんと面談したときには父も同席してもらったのだが、父は、
「お父さんはようわからん」
と言ったきり、黙ってしまった。
私だって、決断から逃げられるものなら逃げたいのに…。


たったこれだけの話を書くのに、1週間かかった。
延命治療をするかしないか、重すぎて考えも進まない。