3歩前のことを忘れる女のサブカルと介護の記録

神戸に住む40代波野なみ松の、育児と趣味と要介護両親の対応に追われる日々の記録。

すべてのものが珍しい

今日でサトイモは生後100日目を迎えた。
100日といえばお食い初め式なのだけれど、こんな大雨なのでひとまず延期。

それより、昨日は2回目の予防接種だった。

雨の中の病院通い。

思えば1回目の予防接種も雨だった。
2週間健診のときも1か月健診のときも雨。

はい、雨男確定!

そりゃ100日目で記録的大雨になるはずだよ。


自分の手を認識しました

そのスーパー雨男は、最近しきりに自分の手をしゃぶる。
お腹の中にいた頃も指しゃぶりをしていたのはエコーで知っていたけれど、最近は指どころかげんこつごと口に入れようとする。


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子育て情報によると、これをハンドリガードというらしい。

これくらいの月齢になると、自分の手を認識するらしいのだ。
「目の前にあるひらひらしたの、これが僕の手なんだ! 自分で動かせるんだぞ!」

赤ちゃんの発見てすげー!

かまやつひろしの『ゴロワーズを吸ったことがあるかい』という曲にこんな歌詞がある。

できる事なら一生赤ん坊でいたかったと思うだろう
そうさすべてのものが珍しく
何を見ても何をやってもうれしいのさ
そんなふうな赤ん坊を
君はうらやましく思うだろう


この世界に生まれてきて、まだ100日。
自分の手でさえ珍しくて面白いんだな。


足の指にお宝を発見しました

先日、元町商店街の中にある子育て支援センターに行ってきた。
神戸常盤大学が運営していて、登録すれば無料で参加できる。
とてもにぎわっていて、入り口前にはベビーカーの列ができるほどだ。

 

サトイモはまだお友達と一緒に遊ぶことはできないけれど、常駐の保育士さんによると、
「こういう場でお兄ちゃんお姉ちゃんが遊んでいるのを見ているだけでも良い刺激になりますよ」
とのこと。

このときはおしゃべりをし始めたばかりくらいの子供たちが何人か遊んでいて、知っている人知らない人の区別なく、
「みて~!サンドイッチできた~」
などとブロックを積んで持って来たりする。

こっちは不慣れなので、
「あっ、そう? …サンドイッチなの?」
とどこがサンドイッチかわからないただのブロックに戸惑いながらも、
「中の具は何かな?」
などとまともに相手をすると、幼児は黙りこくってしまった。
手加減を覚えなきゃいけない。
「たまごかな?ハムかな?レタスかな?」
とヒントをあげると、
「レタス!」
と答える。
「そっかぁ、レタスのサンドイッチかぁ」

認知機能が落ちていたうちの母に、そうやってよく選択肢を投げていたことを思い出す。
「飴ちゃんどれがいい? いちご、ぶどう、メロン、みかん」
「みかん」
「もう一回聞くよ? ぶどう、メロン、みかん、いちご、どれがいい?」
「いちご」
…それ、最後のしか覚えてないだけちゃう?
そんなやり取りも懐かしく思い出す。

サンドイッチとは別の男の子がやってきて、足の指を見せた。
「これ~!」
親指と人差し指の間を開き、
「これ~?」
と尋ねる。

指の股にホコリが詰まっている。
「ゴミが入っとうなぁ」

すると、次は人差し指と中指の間を開き、また、
「これぇ~!」
と言う。

足の指の間を開くと何かが入っているというのがうれしいらしく、いろんな人に見せて回っていた。

足の指の股にゴミが入っている!
しかも指によって異なる!
なんという世紀の大発見!!

ゴロワーズの歌詞のごとく、大人もこんなふうに毎日を過ごせたらどんなにか楽しいだろう。


老人もそれに近い

母のお見舞いを父に頼んでいるけれど、タオルの交換しかやってくれない。
特に、「リップクリームを塗ってあげて」という依頼は全く果たしてくれない。

何度言ってもダメなので、もう諦めた。

どうしてリップクリームを塗らないのかずっと疑問だったけれど、先日やっと理由がわかった。

「で、リップクリームて何や?」

今さら?!?!

父は何度説明しても、リップクリームが何なのかすぐ忘れてしまうのである。

何かわからないのだから、塗るのを忘れるのは当然だ。
何度も現物を見せ、塗ってみせ、リップクリームにマジックで「唇」と書いたにもかかわらず、忘れるのだ。

父も認知症なのかもしれないけど、昔からこういう人だった。

慣れなきゃいけないけど、いまだにため息が出る。

 

毎週実家に帰って食事を作っていた頃、父によく、
「これはなんていう料理や?」
と尋ねられて気を悪くしていた。
料理が不得意なのでどうしても被害妄想に陥り、ディスられている気分になってしまう。

特に決まった料理名がないものだと、こんなやり取りになる。
「豚肉と小松菜のグチャグチャ炒め!」
「そんな料理があるんか?」
「気にいらんかったら食べんでええで!」
「いや、食べる」

料理名がハッキリしたものだと、こう。
「ハンバーグに見えへんかもしれんけどハンバーグですわ!」
「ほう、これがハンバーグか」
「すんませんなぁ、わけのわからんもん出して!」
「いやいや。お父さんハンバーグ初めて食べるからな」
「嘘つけ!!」

母の世話でいっぱいいっぱいなのに父の相手までしていられない。

いつもイライラしていたせいもあるけれど、必要以上に私はケンカ腰だった。
けれど、父が料理名を尋ねるのは、イヤミや皮肉ではなく、どうやら本気で言っているらしいというのにやがて気が付いた。

ハンバーグを食べたことがない、というのも、本気なのだった。

もちろんそんなわけはない。

全部忘れているだけ。

それ以後、注意してきいてみると、父はいろんなものが初めての人になった。

「いっぺんシチューいうもんを食べてみたいなぁ」
「先週シチューやったやんか」
「ええっ?残念、覚えてないわ!」

「ポン酢買ってきてって頼んだのに、お父さんが買ってきたの、コレみりんやで」
「ポン酢とみりんって何が違うんや。ポン酢なんか食べたことないからわからんかった」
「…昨日の鍋はポン酢で食べたやないの」
「あれがポン酢か! 調味料の名前なんか気にしたことなかったしなぁ」

父のこのエピソードは数年前の話。

当時も認知症を疑ったけれど、病院での認知症検査にはパスした。
一体どういう脳の働きなんだろう。脳梗塞の後遺症だろうか。

父はあらゆるものを知らない。
毎日未知のものに遭遇する割に毎日がしょぼくれているのは、発見しても驚きがないからだ。

新しいものに出会うんだから、もっとワクワクしてほしい。

そうしたら老人だって、赤ん坊みたいに毎日がキラキラするのに。