3歩前のことを忘れる女のサブカルと介護の記録

神戸に住む40代波野なみ松の、育児と趣味と要介護両親の対応に追われる日々の記録。

庭木とひばりとおばあさんのウサギちゃん

三連休の初日は実家に帰った。
到着すると、家の前に軽トラが止まっていた。

庭木を切る有料ボランティアさんが来ていて、まさに作業の真っ最中だった。
植木屋さんではないので剪定はできないらしく、父が、
「全部2メートルの高さで切っといて」
とお願いしていた。

父にとっては、植木屋ではないほうが都合が良かったようだ。
というのも、昔、植木屋さんがときどき家に飛び込み営業に来ていたことがあって、売り文句がだいたい、
「庭をこんなふうにしとったらあきまへんで」
というものだった。
松の枝はこういう具合にせなあかん、鬼門にこんな木を植えたらあかん、家の裏手はこう作らなあかん、と植木屋さんはあれこれ言う。
植木屋さんからすればそれはアドバイスで、
「じゃあ、そのようにお願いします」
と言わせたいのだろうけれど、父には人の庭を好き勝手言われているようにしか聞こえず、
「そんなに松が切りたかったらそこの山になんぼでも生えとうがな、切って来いや」
と腹を立ててしまうのだった。

一方、知識がない分、どの木もどの枝も高さ2メートルで切ってくれる有料ボランティアさんのほうが、父にはありがたい。

私にとっても、ようやくジャングルのようになっていた庭がすっきりすると思うとうれしかった。

これまで、
「お金払ってプロに頼んだら?」
と私がいくら言っても、
「いいや、お父さんがやる」
と意地を張り、
「やるやるっていつやるんよ? やらへんしできへんでしょうが!」
と口論になってばかりだったからだ。

他人の力を借りようと父が思うようになってきたのは、杖なしでは歩けなくなったここ4、5カ月のことだ。
自分の限界をようやく認識したのだろう。その点では脚が悪化して、かえって良かった。
ちょうどいいタイミングで有料ボランティアさんを紹介してくれたケアマネさんにも感謝である。

「切った枝は持って帰ってくれるんや。助かるわ」

自分で枝を切ったら、後片付けも当然自分でしなくてはならない。
ゴミ捨てができない父にとっては、切った後の枝をゴミ袋に詰めて燃えるゴミに出すという作業がなかなかできなかった。
そこまで含めて作業してもらえるのは本当にありがたい。

そんな高齢者が多いせいか、庭木を切る有料ボランティアさんはとても人気で、先月くらいに依頼をかけていたのに来たのは今の時期。
「年内には行けると思います」
と言われていたそうだけれど、思ったより早く来てくれてよかった。
本格的に落葉するまでに間に合ったのは幸いである。


ひばりが歌う

 

今回、母の病院にはイヤホンを持参していった。
母は起きていて、私が、
「なみ松が来たよ!」
というと、目が反応してくれた。

サトイモも連れてきたで」
と抱っこして目の前に近づけた。
前は母に近づけると泣いていたサトイモが、今回は興味津々で母の顔に小さな手を伸ばし、頬をぺちぺちと触った。
「おばあちゃんだよ~」
母もサトイモも、わかっているのかわかっていないのか、わからない。

「今日は音楽聞かせてあげるからね」
母の耳にイヤホンをつけ、Amazon Music美空ひばりをかけた。
悲しき口笛』から始まる初期のベスト盤だ。
再生した瞬間、母の目が輝いた。

母に音楽を聴いてもらっている間に、顔を拭いて目ヤニを取ったり、手足にクリームを塗ったりした。
指を見ると、爪がひどく伸びていた。
病院では切ってくれないのだろうか…。

夫は車で待ってくれているしサトイモも長居させたくないので、お見舞い時間はあまり長くとれないのだけれど、この爪の長さは看過できず、切ることにした。

途中、病院スタッフによるオムツ替えがあり、一旦私が退出しないといけない間も、母には私のスマホでひばりを聴いてもらっていた。
結局病院には30分くらいいたので、その間、母は8曲くらい聴けただろうか。
ものを言えない母なので推測だけれど、心なしか顔色が明るくなって、喜んでくれたような気がする。
音楽の力は偉大なり。


おばあさんは何かあげたい

私が作業をしている間、サトイモはベビーカーに乗せていた。
家の中では大暴れするサトイモだけれど、ベビーカーで外出するとサトイモは大人しくしてくれる。
本当におりこうさんである。
けれど、それもだんだん過去のことになりつつあって、最近はゴソゴソ動くようになってきた。
病室でも、騒ぐとまではいかないまでも、ベビーカーからなんとか脱出できないかと身体をひねったり、唸り声をあげたり、ベルトやカバーを触って舐めまくったりして落ち着きがなかった。

前回から、お向かいのベッドの方と話をするようになった。
90歳くらいの、上品なおばあさんである。
脚が悪いのかベッドからは降りられないようだけれど、頭はしっかりしていて、会話もきちんとしていてボケてはいない。
いつもテレビを見ながら色鉛筆で絵を描いている。
前回は紅葉の絵を描いていたので、季節の風景を描いているのかなぁ、と思っていたけれど、今回は桜だったので、季節とは関係なさそうだ。

そのおばあさんも、サトイモが来るのを喜んでくれていて、
「何かあげられるものがあったらええんやけど…」
と身の回りをゴソゴソと探し始めた。

「まだおやつも何も食べられませんから、けっこうですよ」
と断るけれど、
「何か…、何かないやろか…」
と、こちらの話は聞いちゃいない。

「せめて、これを抱かせてあげて」
とおばあさんが出してきたのは、ピンク色のウサギだった。
ふわふわした毛並みのやわらかそうなぬいぐるみで、いかにも赤ちゃんが好きそうなものに見えた。
なぜおばあさんがそれを持っているのかわからないけれど、古いものではなく、汚れなども見当たらなかった。
それでも、やはりちょっと抵抗があって、
「この子、なんでも舐めてしまうんで」
と断った。
その間もサトイモがベビーカーから脱出しようともがいているので、おばあさんが心配して、
「汚しても大丈夫やから」
と差し出す。断るのも申し訳なくなり、
「じゃあ、ありがとうございます」
と少しの間、サトイモにウサギを抱かせることにした。

「よかったね、ウサギちゃんだよ~」
とぬいぐるみを渡すと、サトイモは当然のようにそれを抱きしめた。
しばらくしてから、
「この子のよだれがつかないうちに、お返ししますね」
とおばあさんに返したけれど、おばあさんはやっぱり、
「何かあげられるものがあったらよかったんやけどねぇ」
と残念そうな顔をした。

帰りに夫にその話をしたら、潔癖なところのある夫は案の定、
「知らんおばあさんのぬいぐるみなんか、気持ち悪くない!?」
と言った。
夫の気持ちもすごくわかる。
だから私も躊躇した。
でも、おばあさんの好意も無下にはできなかった。

赤ちゃんを見ると、おばあさんたちは、
「何かあげたい」「何かしてあげたい」
と思うようだ。
お姑さんも、しょっちゅう何かを差し入れてくれる。
サトイモに何かをあげたくて仕方ないらしい。

一番サトイモに何かをあげたかった人は、うちの母だった。
母の分まで、すべての人の好意をできるだけ素直に受け止めたいと思っている。