今年は「ぶーぶー」で暮れゆく。
男は男らしく、女は女らしく、なんて時代は終わった。性別による固定概念なんて打ち砕いて、自分が好きなように生きればいいじゃないか。
…と思ってきたけれど、そんな信念が揺らぐほど、小さい子どもたちの男女差があまりにクッキリしているのに驚く。
教えたわけじゃないのに、男の子はどうしても「男の子がやりそうなこと」をやるし、「男の子が好きそうなもの」を好む。
男と女は別の生き物なのだなぁ、としみじみ。
例えば、オモチャのベビーカー。
女の子は必ずぽぽちゃんなどの人形を乗せるけれど、男の子はカラで押しても平気。
どういうことかというと、女の子はおままごととしてママのマネをしているから、ベビーカーに赤ちゃんは必須。
「これからスーパーに買い物に行くの」なんて設定までつけてる。
つまりベビーカーは生活道具なのだ。
それに対して、男の子は単に手押し車として使っている。押して車輪が動けばいい。
車そのものが重要なのだ。
これはおそらく大人になっても傾向は同じ。
自動車を単なる生活道具として使う女性に対して、男性は自動車という存在そのものに惹かれる。
女の私からすると、なんで男性はあんなに車にワクワクするのか、理解不能である。
今年は「ぶーぶー」元年
いつの頃からか、サトイモは「ぶーぶー」一辺倒の子になってしまった。
車さえ与えておけば済むのだから単純明快。
子どもが車好きだと、私も車に反応してしまう。
今年はたくさん車を見た。
まず、11月10日には「兵庫カーライフフェスタ」というメリケンパークで開催されたイベントを見に行った。
主な目的はパトカーとの記念写真だったんだけど、ほかにも大型トラックの運転席に乗せてもらったり、傾斜45度の坂道の体験をさせてもらったり、意外と楽しめたイベントだった。
45度体験はまるで遊園地のアトラクションのように楽しくて、人が並んでなければもう一度乗りたかったくらい。
サトイモもよほど楽しかったようで、降りてからもずっとその様子を眺めていた。
サトイモは手当たり次第試乗車に勝手に乗り込んで、運転席に座っていた。
いくら試乗車とはいえ、まったく買う気もないのに座ってみるなんて、こういうイベントじゃなかったらできない。
12月8日、母のお見舞いの帰りに、「COPPA DI HIMEJI」というクラシックカーのイベントを見に行った。
夫もサトイモもクラシックカーにはあまり興味がないのだけれど、クレイジーケンバンドの横山剣さんがエントリーしているということで、これを見るのは私の希望。
クラシックカーといっても大昔の車ばかりではない。
ランボルギーニなどのスーパーカーも走っていて、男性陣はそれなりに興奮。
剣さんも間近で見れて、イイネったらイイネ!
そしてクリスマス。
うちのゴンタ坊主のところにもサンタクロースがやってきてくれた。
包装紙を開けたら、なんと欲しかったパトカーのオモチャが!
思わずキスをするサトイモ。
サンタさんには私からLINEでプレゼント発見時と包装を開けたときの画像を送っておいたのだけれど、出張の飛行機の中で何度も何度も君が喜ぶ画像を見たそうだよ。
好きでも別れなきゃいけないこともある
男は車が好き。運転も好き。
それはわかってる。
でも、あきらめてほしいのが、うちの父だ。
「COPPA DI HIMEJI」で剣さんを見に行く前に実家に行っていたのだが、いきなり父が、
「カレイの一夜干し、いるか?」
と言う。
一夜干しなんてどうしたのか尋ねると、
「一昨日、浜坂へ行っとったんや」
というではないか。
「浜坂!?」
浜坂というのは、兵庫県の日本海側、新温泉町にある漁師町で、家から片道3時間ほどかかる。
父は浜坂の海産物が好きで、昔からときどき買いに行っていた。
元気な若者でも疲れるロングドライブを、脚が不自由な81歳の老人が行くなんて無茶もほどほどにしろと言いたい。言ったけど。
父は私たちが来るので何か買ってやろうと思ったんだろう。
気持ちはうれしい。
けれど、娘としては近所のコンビニまで運転するのでさえ心配なのだ。
まして浜坂まで行くなんて…。
本人は、
「安全運転しとうで」
とケロリとしているが、本当のところはわからない。
事故を起こして本人が死ぬならまだいいけど、もしも他人様を傷つけでもしたらと考えるとゾッとする。
来年こそは免許を返納してもらいたい。
ただ、父から車を取り上げたら、10歳は老け込むだろうな。
同じ運転免許の返納でも、男性と女性では失うものの大きさが違う気がする。
1歳の子どもでも心を奪われるんだもの、80の老人だって同じ気持ちをまだ持っているに違いない。
返納後、父のその喪失感をどう埋めるかが問題だ。