消防出初式と震災郵便ポスト
スーパーの行き帰り、サトイモに消防車をみせるために、ときどき隣にある消防署に寄る。
児童館で会うママたちに話すと、皆同じことをしているみたいで、子どもは本当に「働くくるま」が好きだなぁと思う。
あるとき、いつものように消防署の入り口でうろうろしていると、中から職員の男の人が出てきた。
怒られるかと思いきや、
「よかったら救急車に乗りますか?」
と言う。
「ええっ!?いいんですか!?」
まさかそんなことを言ってもらえるとは思わなかったので驚いていると、
「消防車は使えないんですけど、救急車ならいいですよ」
と、サトイモを救急車の運転席に乗せてくれた。
パパの車の運転席に座らせてもらうときは、ハンドルを握ってキャッキャ騒ぐくせに、大好きな救急車に乗っても微動だにしないサトイモ。
ハンドルを握ろうともしないで固まっている。
ダメだ、私に似たのか、ここぞというところでヘタレを発揮…。
写真を何枚かパチリ。
カチコチの顔だけど、それも含めてとてもいい経験になった。
消防出初式
そのとき、消防署に消防出初式のポスターが貼ってあった。
夫も調べてくれて、1月5日、家族で消防出初式に行ってきた。
メリケンパークに消防車大集合!
サトイモは大はしゃぎ…かと思いきや、やはり無表情。
この日は少し曇っていて風が冷たく、寒さでテンションが低いのかも、と思いながら、消防車の後ろやバンパーに乗せて写真を撮る。
何枚か撮って、もういいだろう、とサトイモを降ろすと、泣いて嫌がる。降ろすなということらしい。
はいはい、と別の消防車の後ろに乗せる。
消防車は何台も来ているけれど、だいたいどれも似たようなものなので写真を撮るにも飽きてきたし、許可を得ているわけじゃないのでずっと乗せているわけにもいかないし、降ろすと泣くので困った。
出しものの中に、「未来っ子消防隊防火パレード」というのがあった。
子どもたちが消防隊員のコスチュームにヘルメットをかぶって、消防車に乗ってパレードする。
「いいなぁ、サトイモも出たかったね」
と言いながらパレードを見ていると、子育て広場でよく顔を見る男の子がいた。
お母さんがいたので声をかけると、
「応募は4歳からやから、サトイモくんは2年後やね」
と教えてもらった。
あと2年、これは待ちきれない!
出しものの中で、おそらく神戸の出初式ならではかも、と思ったのが、岸壁からの一斉放水と海保の船による海上放水だった。
圧巻の見ごたえ。
でも、それよりも私と夫が一番ワクワクしたのは、ヘリコプターを使った救助訓練。
救急隊員たちがものすごい高さからロープを使って滑り降りてくるのは、すごく迫力があった。
「そんなに消防車が好きやったら、将来消防隊員になるか」
と言っていた夫が、
「ヘリコプター、かっこええなぁ。サトイモも航空機動隊に入るか」
とあっさりヘリコプターに乗り換え。
当のサトイモは何もしゃべれないのに、いかにも親バカの会話。
震災の記憶を風化させないために
入り口の近くには展示コーナーがあって、そこには航空機動隊の展示ブースがあった。
ほかにも、防災クイズのコーナーがあって、夫と二人で参加して景品をもらったりした。
その並びに、
「震災の経験談を募集してます」
と書類を配っている人がいた。
震災郵便ポストという企画で、阪神淡路大震災を風化させないために、経験談を募集しているという。
「協力してくれる方には、消防隊カレーを差し上げています」
えっ!?
消防隊カレー!!
「書きますので、カレーください!」
カレーにつられて、記入フォームをもらった。
「出してくれるのを信じて先にカレーを渡しますから、絶対書いてくださいね」
長田消防署、なかなかの太っ腹である。
経験談の締め切りは1月末になっていた。
まだまだと思っていてもすぐに期限が来てしまうよなぁ、早く書かなきゃ、先にカレーもらっちゃってるもんなぁ、と思いながら日が過ぎた。
昨日の夜、サトイモがなかなか寝付かなくて、大人のベッドで添い寝しながら寝かしつけをした。
案の定、私も一緒に居眠りしてしまって、気が付くと午前3時。
6時間寝たんだから、このまま起きててもいいのかもしれないなぁ、と思いつつ食器を洗っていたら、震災郵便ポストのことを思い出した。
いい機会だから今やろう、と真夜中の宿題。
偶然にも1月17日だった。
せっかく返信用封筒をもらったけれどメールで送信し、さあ、 この勢いでブログも書こうか、というところで、サトイモが泣きながらやってきた。
目を覚ますとママがいなくてびっくりしたようで、目をこすりながら泣いている。
仕方なくベッドに戻ることにしたのが、午前5時半。
もうすぐ5時46分だな…。
サトイモをトントンしながら再び眠りについた。
出初式のオープニングで、小学生による「しあわせ運べるように」の合唱が披露されていた。
なんと夫はこの歌を知らないという。
「この歌聴くと泣いてしまう。聴かさんとってほしいわ~」
と私はおどけて逃げるように歩いたが、観客席には本当に何人か泣いている大人たちもいた。
今日はいろんなところでこの歌が歌われていることだろう。
あれから25年も経った。
ついこの間のようで、ものすごく昔のことのような気がする。