3歩前のことを忘れる女のサブカルと介護の記録

神戸に住む40代波野なみ松の、育児と趣味と要介護両親の対応に追われる日々の記録。

保湿クリームと父のリハビリ

元旦に実家に泊まった際、行きと帰りに母の病院へ寄った。

行きは「明けましておめでとう」の挨拶をしただけだったので、いつもやっているようなボディケアは帰りにおこなった。

いつも使っている保湿クリーム(正確にはオールインワンジェル)を塗ろうとすると、中身がスッカラカン

12月に来たとき、「もうちょっとでなくなるな」と気付いていた。

けれど、このクリームを使うのは私くらいで、病院のスタッフはたまにしか塗ってくれないと思っていたので(だから2年前に入院したときに持ってきたものがまだなくならない)、そうすぐには使い切らないだろうと甘くみていたのだ。

昨日確認しておけばよかったな…、と後悔しても後の祭り。

なぜ急に減りが早くなったかはさておき、補充しておかないと塗ってもらえない。

仕方なくその場しのぎとして、サトイモ用に持っていたベビー用保湿クリームをチューブからブリブリとヒリ出して、スッカラカンの母の容器に入れた。

これで2、3日は持つか…、と病院をあとにした。

 

保湿用のクリームを買って病院に持って行ってほしい、と父に頼もうかとも考えたが、うちの父のことだから、

「保湿? それ何や?」

ということになるだろう。

そういうときいつもならネットで注文して実家に送り、届いたものを父に持って行ってもらうのだけれど、今回はなかなか決められなかった。

高いものを買ったところで、病院でどんな使われ方をしているかわからないし(急に減りだしたのが気になる)、安いものだと送料がかかってバカみたいだし、ちょうど手ごろなものが見つからないのだ。

保湿クリームひとつでこんなに悩むなんて。

父が話の通じるまともな人なら、「ドラッグストアで買って持って行って」で済むのにな…、と思わざるをえなかった。

いつも思う。父が常識ある普通の人だったらな…。

 

悩んだ挙句、解決策を思いついて、父に電話をかけた。

「来月私が保湿クリームを持っていくまでの間、家にあるクリームを持って行ってもらいたいんだけど」

「クリーム? そんなんあらへんで」

父の世界観では、「知らないもの」は「存在しない」ことになっている。

「あるのよ。和室のテレビ台の下にあるの」

実家に滞在中、サトイモはテレビ台にあるものをなんでもかんでも興味をもって取り出していて、私はずっと、「触りなさんな、バッチイから」「やめなさい、元に戻しなさい」とサトイモを押さえつけたり片づけたりで大変だった。

そうやって取り出してきたアイテムのひとつに、母が昔使っていたアロエのクリームがあったのである。

だから、確実にあることはわかっているのだ。

「お父さん、ちょっと探して」

「どこを?」

「だからテレビ台の下」

「もうかまへんやないか。クリームなんかなくても大丈夫やろ。来月なみ松が持ってきてくれたらええやんか」

父は入院中の母よりも、自分の「面倒くさい」を優先する人である。

寝たきり妻のために探し物をするくらい何てことないはずなのに、それを惜しむ。

そんな父にムカッとくる。

「あることはわかってるんやから、ちょっと探してみてよ! じゃあ、テレビ台の右側の2段目を探してみて」

もう少し具体的な指示を出してみる。

数年前に、もしかしたら父は軽い「大人の発達障害」かも、と思ったときから、やりとりに困ったらできるだけ細かく具体的に指示するように心がけてきた。

「2段目? ちょっと待ってよ…」

父はしばらくゴソゴソやってから、

「これか? アロエクリーム。1段目にあったぞ。2段目言うから全部中身を放り出したやないか」

父は不満げだった。

「ええやないの、どうせ毎日時間はたっぷりあるんだから、ゆっくり片づければ」

「簡単に言うけど、これ全部しまうんエライことや」

保湿クリームがなくなっただけで、こんなに大騒ぎになる。

 

後日、アロエクリームを持って行った、と父からメールが来たので、その夜に電話をかけた。

「持って行ってくれてありがとうね。ところで…」

と私は気になっていたことを尋ねた。

「今日はお父さん、リハビリの日と違うかったん? 月水金がリハビリやろ?」

「リハビリは休むことにしたんや」

父は少し面倒そうに答えた。

「次はちゃんと行きなさいよ」

「今月中は休む言うて連絡しとんや」

「ええっ!なんで!?」

「ほんまはやめたかったんやけど、ケアマネジャーが『やめてしまわんと、ひと月だけ休むことにしたら?』言うから、とりあえず休みにしたんやけどな」

「なんでやめるん。やめたらアカンやんか」

「もう3年も行っとんのに、ちっとも良うならんから」

 

父のその言葉を聞いて、またそこからか…、と心底ウンザリした。

 

父は脳梗塞の後遺症で左脚がうまく動かない。

それはどうしようもないのだ。

主治医も言っていた。

もう治らない。

 

でも。

脳からの命令がうまく伝わらないだけで、脚の機能が壊れたわけではない。

だから、動かさないと余計に悪くなる。

うまく動かないからといって歩かないと、右脚の筋力だって落ちてしまう。

だから、リハビリに通ってこれ以上悪化しないようにしましょう、とみんなで説得して行き始めたのに…。

私の出産前後も勝手にリハビリを休んで悪化し、赤ん坊を見に来ることができなくなってしまった前科もあるのに、父はそんなことすらすっかり忘れてしまったらしい。

 

「リハビリに行くことの、何が嫌なの?」

「嫌なことはないけどな、良うならんのに行く意味がない」

「結局、行くのが面倒くさいだけでしょ」

「まあ、そうやな」

 

母が大脳皮質基底核変性症を発症して左手が動きにくくなったばかりの頃、父はよく母を怒鳴っていた。

「もっと動かしてリハビリせぇ言うとんのに! 治そうという気が足りんから動かんのじゃ!」

そう言われると、母はいつも子どもみたいにムキになって、

「動かんもんは動かんのじゃ!」

と負けじと怒鳴り返していた。

私はいつもそれを引き合いに出して父を叱る。

「あのときのお母さんの気持ちわかるやろ? お父さんだって治そうという気持ちがないから脚が動かんの違う?!」

でも、父は母と違い、

「治す気はあるんやけどな」

と飄々と言っている。

「じゃあリハビリに通いなさい!」

「家で屈伸しとく」

「そんなん運動にならん!」

「ならんことないやろ。ちょっとはなるはずや」

「…なるかもしれんけど、リハビリのほうがプロが見てくれるんやから!」

「あんなんプロいうんかなぁ?」

「プロやんか、療法士さんは」

「あれやったら屈伸も変わらんで」

 

親子の会話はどこまで行っても不毛。

「ほんなら勝手にせぇ! 悪化して勝手に死んどけ!」

 

父が自業自得で悪化するのは仕方ないけれど、父が歩けなくなると、母の病院に行ってくれる人がいなくなる。

保湿クリームでさんざん文句は言ったものの、父がいるからこそとりあえずの補充ができたわけだ。

腹は立つけれど、母の入院生活は父の肩にかかっている。

なんとか父には頑張ってもらいたい。

屈伸運動、家で1万回やれ!