3歩前のことを忘れる女のサブカルと介護の記録

神戸に住む40代波野なみ松の、趣味と母の介護と育児に追われる日々の記録。

さみしさの正体

今日も先週と同じく、幼稚園に入ったとたん、サトイモが私にしがみついて泣き出した。

引きずるようにして部屋の前まで行き、先生に渡して無理やりはがし、逃げるように置いてきた。

先週の先生からの報告によれば、数分も経つと泣き止むとのこと。

今日もきっと大丈夫。

 

それにしても、毎週これかと思うと面倒くさい。

こっちゃ、この時間を楽しみにしてるんだからさっさと離れてくれ、とウンザリする。

「そんなん言うけど、ほんまは離れたらさみしいやろ?」

と夫は言うが、たった半日ではさみしさなんて感じる暇もない。

はぁ~。

切実にもっと離れたい。

 

さみしくない私は、さみしい母から生まれた。

一人はさみしい。人といるのはわずらわしい。

上記は大槻ケンヂ著『いつか春の日のどっかの町へ』にある名文である。

心からそう思う。

けれど、私自身は幸い、一人でも比較的さみしくないし、人と交流するのも比較的楽しめる性格だ。

さみしいから人と交流する人がいるけれど、私が人と関わるのは楽しいからであって、さみしさからではない。

 

昔、友達と、

「さみしさとわずらわしさとどっちが嫌か。さみしさが嫌な人は結婚したがるだろうし、わずらわしさが嫌な人はシングルを選んじゃうのかもね」

という話をしたことがある。

だから私は結婚したいと思わなかった。

今も半分別居なのは、そのいいとこどりをさせてもらっている。

 

ある人に同じ話をしたところ、

「あなたがさみしいと思わないのはなんでだと思う?」

と聞かれたことがある。

さあ?なんでだろう?と返すと、

「子どもの頃に、お母さんからたっぷり愛情をもらったからだよ。そのときの愛情貯金があるからさみしくないの。だからお母さんに感謝しないといけないよ」

と言われた。

 

その人は私と母のことなんてよく知らないはずだけど、確かにうちの母はうっとおしいほど私のことを愛してくれた。

逆にそれが煩わしくて、離れたくてしょうがなかった。

でも、そのおかげで、大人になってもさみしくないとしたら、心から母に感謝したい。

 

その母自身は、ひどくさみしがりやだった。

私が家を出たあとの父と二人の暮らしがさみしすぎて病気になったのかもしれない。

 

コロナ禍において、母の病院は今もなお、面会お断りが続いている。

最後に会ったのは2月上旬だ。

そのときも、母の反応は少し薄かった。

去年までは私が行って声をかけると私だということがわかったような表情を見せてくれていたが、2020年に入ってからは、私がわかっているのかいないのか、もう表情からは読み取れなかった。

 

まだ意識がはっきりわかるときは、入院生活はさみしくないだろうかと心配だったけれど、ほとんど反応がない今となっては、母のさみしさを心配する気持ちもなくなってしまった。

願わくば、さみしさや、おそれや、不安や、痛みやかゆみや苦しみや、すべての嫌な感覚から、母が解放されていますように。

何もわからないなら、そうあってくれ。

 

干渉力の薄い父でよかった?

さみしがりやの母に対して、父は人と関わるのを面倒がる人である。

母の面会ができないことに関しても、

「入り口で看護師にタオルを預けられるようになってラクになった。病室まで行かんで済む」

と冷たい。

「お母さんに顔を見せてあげてよ」

と私が言うと、

「何にも物が言えへんのに、見せたってしゃーない」

と言うのだ。

言葉が言えないからこそ、顔を合わせることやアイコンタクトに価値があるのではないかと私は主張するけれど、父には何も響かない。

まあ、議論したところで、今は面会そのものができないのだけれど。

 

母の面会ができなくなって以降、父にも会っていなかったが、先週の土曜日、久々に様子を見に帰った。

家も荒れ放題ではないかと心配していたけれどヘルパーさんのおかげで変わりなく、父自身も予想ほど劣化していなかった。

コロナで利用不可になっていた運動公園がまた使えるようになったので、散歩も再開したとのことだった。

 

サトイモがプレ幼稚園に通っていると言うと、

「ほんなら入園のお祝いせなあかんな」

西松屋でお絵描きボードとひらがなパッドを買って、わざわざ送ってくれた。

クリスマスにもお誕生日にも何も買ってくれなかったくせになぜ今??と首をかしげてしまうが、父は父の理屈で生きているのでしょうがない。

どこまでもとんちんかん。

でも、初めて祖父らしいことをしてくれたのでうれしかった。

 

父は決して冷淡な人ではなく、思えば子育ては積極的に関わっていた。

よく遊んでもらった。

母が買い物をするときはいつも父と一緒だった。

自分でもよくかわいがってもらったと思う。

 

かわいがりはするけれど、干渉はしない人だった。

だから今も全く干渉してこない。

それをありがないと思わなくちゃいけない、としばしば思う。

 

母は温かく父は冷淡なように書いてしまっている気がするが、もし母が元気だったらと想像すると恐ろしい。

あれをしろこれをしろ、伝統行事はちゃんとやれ、もっと孫に会わせろ写真を送れ、あれを買ってやるこれを送ってやる作ってやる、病院には行ったのか先生にきいたのか、などなど、何をどれだけ口出しされ干渉されるやらわかったもんじゃない。

孫に会いたくてさみしくて、のたうちまわっていたに違いない。

 

母が元気ならどれだけサトイモをかわいがってくれただろう、と思うこともある。

けれど、結論。母が元気じゃなくてよかった。

干渉的な親といるのはわずらわしい。