お盆虐待と里親制度
7月の連休には、須磨海浜水族園へ行ったり、明石の大蔵海岸へ海水浴に行ったりしたのだけど(明石市は子育て支援に力を入れているだけあって、小学生以下の子供連れの波打ち際遊びを許可している)、お盆は夫が仕事をしなければならなくなったうえ、こうコロナが盛り返してしてはどこにも行けない。
幼稚園も児童館も子育て広場もお休みだし、公園に行くには暑すぎる。
行き場を失った母と子だけの日々が続く。
…イライラする。
一昨日は、夕食をまともに食べずにうろうろしたサトイモが、
「しぃか!しぃか!」
とスイカをねだるので、イラっときつつも、
「スイカはもう食べちゃったから、ゼリーでもいい?」
とみかんゼリーを出したところ、半分くらい食べたあたりでゼリーを床にこぼした。
こぼれたゼリーをわざと踏みつけてジャンプを繰り返した挙句、足にゼリーをつけたまま部屋中を走り回った。
卒倒しそうになった。
「なんでこんなことした?」
と問いかけたところで、
「なぜと言われても答えられないし理由なんてないだろう」
とぺこぱのごとく自分で回答が出てしまったので、
「面白かった?」
と問いを変えてみたら、サトイモはニッコリ笑う。
「んーと、床が汚れてるのわかる? ゼリーを踏んだ足で歩いたから床が汚れたんだよ。ママは食べ物を粗末にするのと、床を汚されるのが嫌いです! 大嫌いです! つまりメチャクチャ怒ってるんだけど!」
と私にしては冷静に語りかけてみたのに、サトイモは聴く耳もなく、さらにゼリーを踏もうと足を出したので、結局ブチ切れてしまった。
「オラぁ!こっち来い!」
とサトイモを引きずり、
「誰がこんなに汚したんや! どの足や!おお?どの足がやったんじゃ!」
と両足をつかんで身体を床に押さえつけ、泣くまで怒鳴りつけてやった。
まだ「ごめんなさい」が言えないサトイモは、
「ハイ!ハイ!ハイ!」
と泣きながら「ハイ!」を繰り返す。
一応「ハイ」が反省のしるしということになっているので、お約束になっている、
「はい、いいお返事」
という言葉を私が言って、この件は終了になったけれど、こんなやりとりが1日のうちに何度も繰り返される。
叩いたり蹴ったりはしないけれども、腕や足を掴んだり、顔を両手で挟むのは常習となってしまった。
ほぼ1日中、
「どうやったら、このクソガキを懲らしめることができるかしら」
と考えている。
夫が帰って来ると、一日の腹立たしい出来事を報告し、
「このままエスカレートしたら虐待やで。2人だけにしたら危険やで」
と注意喚起する。
ところが夫は、
「心配せんでも、来週から子育て広場も児童館活動も再開するんやろ? 大丈夫や」
と呑気な答え。
それでもやっぱり2人だけで家にいるのは耐えられなくて、ママ友に声をかけて一緒に遊ばないか誘ってみたりしている。
今日も近所のお友達がうちに遊びに来てくれた。
そのママ友に、サトイモのゼリーを踏んだ話をすると、
「わかりみが深すぎる!」
と共感してくれたうえ、
「うちも、おにぎりを両手で床になすりつけられたときはブチ切れました~」
と言っていた。
んあ~!!
日本の米の粘着性…。
魔の2歳!!
シングルの里親について考える
子どもができる前、里親制度のドキュメンタリーなどを見ると、自分にできることはないのかと考えることがあった。
シングルの女性で、こんな考えがふと浮かぶ人もいるのではないかと思う。
「結婚はしたくないし、子どもを産む自信はないけれど、子育てはしてみたい。たとえ他人の子でも。」
その一方、日本は里親のなり手が不足していて、欧米と比較するとものすごく里親が少ないという話も耳にし、
「どうして子育てしたい女性と、親を求めている子どもがマッチングできないのだろうか」
と、なんだかもどかしい気持ちになったりもしていた。
単身だと里親になれない、というわけじゃないらしいけれど、基本的には夫婦じゃないと認められないみたいな話もきく。
いいじゃん、ちゃんと子育てできるならシングルでもさ!
…と思っていたけれど、それが「考えなし」だったことが今はわかる。
もし今の私がシングルだったら、サトイモをネグレクトしていた可能性も大である。
オーケンの配信イベントがあるたびに、
「なんでこんな短時間さえ、私は自由にできないんだろう…」
と腹立たしさが募る。
先日のオーケンと人間椅子ワジーとノブさんの配信ライブ中は、ほぼサトイモをほったらかしていた。
夫は不在で、サトイモは2時間ほとんどYouTubeを見ていた。
夫でなくても、親とか兄弟姉妹とかでもいい。
とにかく母一人だけじゃ、家庭は不安定になる。
一人じゃ子育てなんて無理だ。
もちろん、「できた」母親もいるだろうし、「できた」子どももいるから、「みんな」無理ではないだろう。
できない私が不向きで身勝手なだけかもしれない。
でも少なくとも、私のような「イラち」な親とサトイモのような「ゴンタ」では、2人だけで生活するのは危険だ。
実の子どもでもイライラするのに、ましてや他人の子だったらなおさらだ。
多くの行政が基本的に里親は夫婦家庭としているのも仕方ないことだ、と今さら考える。
そしてふと思う。
結婚というのは赤の他人が一緒に暮らすのだから容易なわけがない、と人は言う。
確かに容易ではない。
トイレットペーパーのシングルかダブルかでさえもめる。
でも、大人同士なんだから一応話は通じるし、何かしら譲歩や妥協ができる。
うちはトイレットペーパーが2個入るトイレットペーパーホルダーに付け替えた。
けれど、2歳児はそうはいかない。
話が通じない以前に、理屈が通じない。
歯ブラシを排水溝に突っ込んで落としたり、水鉄砲を自分の耳に発射したり、ソファのカバーの中に救急車を入れたり、シュレッダーごみをまき散らしたり、吐き出したトマトを私のズボンのポケットにねじこんできたりする。
理屈なんてない。
やってみたかったら、他人の都合なんておかまいなしにやってしまう。
大人の男性と一緒に暮らすのが面倒くさい、なんて言ってたら、2歳児の男性と一緒に暮らすのには耐えられない。
結婚に耐えられるくらい我慢強くないと、イヤイヤ期には耐えられない。
(エラソーに言っているのではなくて、結婚に不向きで今も半分別居している私がいうのだから、それなりに説得力あるでしょ?)
男なら別れられるけれども、子どもは別れられない。
…イライラする。
ただし、眠ってくれている今の間は天使。