就寝間際の父の電話
サトイモの就寝時間を20時としている。
というのは理想で、だんだん遅くなり、今は21時にベッドに入るようになって、そこから絵本を読んだりベッドで飛び跳ねたりしていると22時という日も多くなってきた。
まずいまずい。
昼寝もしない2歳児が、22時就寝だなんて絶対よくない。
朝、起こされないと起きてこないのは睡眠不足の証拠である。
幼児期から睡眠負債を抱えてどうする!?
「昼寝なしでそんなに起きていられるなんて、すごく体力があるってことですね」
と人から言われると、そうなのかなぁ、と思ったりする。
毎日欠かさず外で遊ばせて、こっちはクタクタなのに、まだ足りないのかと呆れてしまう。
7時半起床、20時就寝の生活に早く戻さねば。
突然の電話はビックリする
そんな一昨日。
もう寝ますよ、ベッドに行くよ、とサトイモをせかしていた21時頃、スマホが鳴った。
父からの電話である。
父と電話をすることはあっても、かけるのはたいてい私からで、昔から「何かあったら電話するように」といくら言っても父は電話をしてこない人だった。
しかも夜である。
母に何かあったか、親戚の訃報か、何かとんでもない緊急の用事じゃないだろうか、と慌てて電話をとった。
「もしもし。お父さんどうしたん?」
神妙に電話に出ると、父は、
「あのなぁ、お母さんの郵便局の通帳とぉ、パスポートがなぁ、見当たらへんのや。なみ松、持って行ってへんかぁ?」
と呑気な調子で言った。
通帳とパスポート?
両方とも貴重品なので、通常なら「あら大変!」となるところだが、私は正直ホッとした。
よかった、お母さんに何かあったんじゃないのか。
それに、通帳とパスポートというのは突っ込みどころ満載なのである。
答えとしては「私は持ち出したりしてない」。
そして、まず、
「ゆうちょ銀行の通帳っていうのは年金が入る口座の通帳? そこから入院費払ってほしいから、お父さんに預けてるよね? 定期的に記帳するようにお願いもしてたけど?」
と尋ねると、
「そういや最近記帳するの忘れとったな。今度するわ」
と言う。
「つまり、普通口座の通帳は手元にあるのね?」
と尋ねると、
「あると思う」
と答えた。
やはり、ないと言っているのは、母の定額貯金の証書通帳のことなのだった。
…またそのことか。
先日来、メールでも父はずっとそのことを書いてきていた。
実は、その証書通帳はずいぶん前から行方不明だった。
なくなったことに気づいて私が探し回ったのはサトイモが生まれる前のことだから、3年以上は出てきていない。
その当時、私が捜索していても、父は、
「そんなん、最初からあらへんのやろう」
と取り合ってくれなかった。
それが、最近ゆうちょ銀行から満期のハガキが届いて、父は初めてその存在に気が付いたらしい。
私にしてみれば、「だから私が主張してたでしょ、何を今さら!」な話なのである。
父は、満期ハガキを持って、証書が見当たらないことを郵便局に相談に行ったらしい。
「郵便局が言うには、印鑑と免許証を持って来たらいいですよ、言うわけや」
「お母さんの免許証なんかないやん」
「それでパスポート探しとんや」
「パスポートの期限かって、とっくに切れてるやんか」
「期限切れとったってかまへんやろ」
「かまへんことあるか!」
父の発想としては、パスポートなら顔写真が付いているので免許証の代わりになると思ったんだろう。
「お母さんの健康保険証は持っとう? 期限切れのパスポートより健康保険証のほうが確実やで」
と父を説得した。
保険証もなくしてないだろうか、と心配になるけれど、自信満々に「ある!」と言ってくれたので、たぶん大丈夫だろう。
だけど、心配は心配である。
本人じゃないのに、母の委任状なしで手続きの問題はないのだろうか。
委任状が必要だと言われても、本人は文字も書けないのだけれど。
母の手が動かなくなって、意思確認もできなくなって以降、金融機関の書類に関して釈然としないことがままある。
こういう場合、家族がどうすればいいのか、金融機関側もマニュアルを作っているのだろうか?
後見人制度となると大げさすぎて当たらないし、もうちょっとカジュアルな代理人制度や証明書みたいなものはないんだろうか。
家族である証明があればいいとか、医師の寝たきり証明があればいいとか。
今後の高齢化に備えて、そういうものも必要だろうと思うけれど、どうなんだろう。
今が一番かわいいのに
私が電話で「お父さん!」を連呼していたせいか、電話のあとでサトイモがやたらと、
「おとおしゃーん、おとおしゃーん」
と調子づいて叫んでいた。
父のお騒がせ電話のせいで、また就寝時間が遅くなってしまったじゃないか。まったくもう!
私と夫のことをパパママと呼んでいるサトイモなので、
「じいじはママのパパだから、お父さんって呼ぶんだよ」
と説明すると、それ以後、夫のことをパパではなく「おとおしゃん」と呼ぶのがブームになった。
一過性のものな気もするけれど、お友達には3歳でも「お父さんお母さん」と呼んでいる子もいて、そのほうが賢そうにみえるので、それもよし。
サトイモはほめられると、必ず、
「パパ!」
と、「パパにこのことを伝えてくれ」と主張する。
「わかった、パパに言うとくわ」
というと、次には「ばあば!」「じいじ!」と続く。
そしてときどき、
「ひめじ、ばあば!」
と、2月以降会えていない母のことも口にしてくれる。
「姫路のばあばは、病気でねんねしてるのよ」
と私が言うと、
「ひめじ、ばあば、びょうき、ねんね」
と眉をひそめる。
「ひめじばあば、おっきする?」
「サトイモが会いに行ったら起っきしてくれるかもねぇ。早く会いに行けるようになったらいいねぇ」
「ひめじ、じいじんち、いく」
「今度会いに行こうね。行けるようになったらね」
兵庫県のコロナ感染者数がどんどん増えている。
こんなに突然、百人を超える日が来るとは思ってもみなかった。
西播磨地域への感染も広がっている。
病院が入院患者への家族面会を再開させる目途は全くたたなくなってしまったし、父に会うにしても、感染者数が多い神戸から田舎の高齢者に会いに行くのははばかられる。
サトイモは今がかわいさのピークじゃないかと思われるだけに、今、父にも母にも会わせてあげられないのが寂しい。
特に母については、サトイモどころか私や父にも会えないなんて、考えただけでつらくなる。
考えると苦しくなるので、なるべく忘れて過ごすようにしている。
考えても解決しないことを、くよくよ考えない!
割り切りが早いのが私の特技!
ただ、サトイモに、
「ひめじばあば、びょうき、ねんね、よしよし」
と言われると、優しい子に育ってくれてうれしい反面、とてもせつない。