言語の習得と怒られた記憶
おしゃべりが日ごと上手になるサトイモだけれど、まだまだしゃべり方が拙くて、そこがまた可愛らしい。
最近よく使うのが、
「○○してごらん」
という言葉で、考えてみれば私がいつもサトイモに言っているのをマネしているのだった。
すると、自分の手が汚れたので拭いてほしい、という場合にでも、
「ついちゃった、ついちゃった、おててキレイキレイしてごらん」
と小さい手をヒラヒラさせている。
「そういうときは、キレイキレイしてちょうだい、って言うんだよ」
と笑いつつ、
「おててを拭いてあげようね」
と私が言うと、今度はサトイモが、
「ママ、おててふいてあげた」
と言う。
「『ふいてあげた』じゃなくて、『ふいてくれた』だね」
と教えなおすと、
「ふいてくれた、ふいてくれた」
とサトイモはロボットのように言葉を繰り返す。
私自身外国語の学習が好きなので、サトイモが言語を習得している過程が興味深い。
受動態とか使役動詞が出てくると、とたんにややこしくなるのはすごくわかる。
英語ならLetやHave、中国語なら給や被、譲、などだけど、いまだにすんなり使えないしちゃんと理解できていない。
だから、サトイモの日本語レベルは私の英語・中国語レベルと同じかなぁ、と微笑ましいのだ。
サトイモの発音はあいまいで単語も文法もめちゃくちゃ。何を言っているのかわからないことも多い。
それでもサトイモは、常におしゃべりし、私に果敢に伝えようとしてくる。
間違っていても伝わらなくても、しゃべらないと伝わらないから、言葉を発し続けている。
自分が外国語習得で苦労しているだけに、サトイモが母国語を日々頑張って覚えているのが微笑ましく、なんだか勇気がわいてくる。
ママはいつも怒っている
家事をしているときは、もっぱらラジオ番組を聴いているのだけど、ときどきYouTubeで子育てチャンネルを聞き流している。
最近のお気に入りは「子育て勉強会 TERU channel」というチャンネルで、理論的で納得できるうえに具体的なのでとても参考にさせてもらっている。
子どもは一人一人全く違うので、多くても数人しか育てていない先輩ママの経験談よりも、研究結果などに基づいて説明してくれる専門家の話のほうが役に立つ。
この中でとても参考になったのが、子どもには「論理語ではなく感情語を使う」という話。(下記)
ついつい、私は正論を使って叱ってしまいがちだった。
感情語を意識して使ってみると、今のところけっこううまくいっている。
「おうちイヤ、おそといいよ」
が治ったのも、
「おうちはママのおうちなのに、イヤって言われると悲しいな」
と試しに言ってみると、
「おうちいいよ」
と言ってくれるようになったおかげだ。
「おうちいいよって言ってくれるとママうれしい」
と言うと、
「おうちいいよ!ママよろこんデル?」
「うれしいうれしい!」
「おうちいいよ!」
と、私が喜んでいるという言葉を聞きたくて、家に帰ってくれるようになったのだ。
昨日も公園から帰りたがらずにごねて、最後には手を引っ張って帰らそうとすると泣き出してしまっていた。
「ええかげんにしなさい!もう!ほっといて帰るで!」
と相当距離をとって私が一人で帰ろうとしても、サトイモは頑としてその場を動こうとしなかった。
そうだそうだ、感情語だ、と思い出し、
「ママ一人で帰るの寂しいな。サトイモくん一緒に帰ってくれない?ママはサトイモくんと一緒に帰りたいよ」
と言うと、サトイモは泣きべそをやめて、立ち上がって手をつないでくれた。
感情語、効果絶大!
怒っても解決にはならない。頭を使って、これからは感情語で話そう!
しかし。
それがわかっていても、ついつい怒ってしまう。
ま、こっちも人間だからしかたない。
私がしょっちゅう怒っているせいか、サトイモの最近の口癖は、
「ママオコッテル?オコッテナイ?」
だ。
何でもないときにしょっちゅう尋ねてくる。
「怒ってないよ?どうして怒るの?怒られるようなことしてないでしょ?」
私からするととてもショックである。
こんなことを聞いてくるということは、なぜ怒られたのかサトイモは全く理解していないという証拠だからだ。
「ママが怒るのはね、サトイモくんが危ないことをするとき。お友達が嫌がっていることをしたとき。ルールを守らないとき。もったいないからやめなさいって言ってもやめないとき。わかった?」
「わかった」
サトイモはいつもわかったと答える。
けれどそれは私の言葉をオウム返しにしているだけ。
本当は何もわかっていない。
昨日も、赤信号なのに私の手を振り切って道路に飛び出そうとして思いっきり叱られた。
「ママオコッテル?」
「怒ってるに決まってるでしょ!」
「もうしない!しない!」
とサトイモは半べそをかく。
でも、本当にしないかどうか。
「オコッテル?」と尋ねて「怒ってる」と言われると、「しないしない!」と言う。
もうしないと言えば許してもらえると、パターン認識している気がする。
育児と介護は似ているというけれど
サトイモを叱っていて手ごたえがないとき、父にそっくりだと思うことがある。
母の介護をしていて父が思うように動いてくれないとき、しょっちゅう父に怒っていた。
こっちは介護で手一杯なのに、言われたことをしないどころか余計なことばかり、手伝うどころか足を引っ張るのでイライラした。
父は、
「また怒られた。どうせ俺が全部悪いんやろ」
とすねてばかりで、私が困っていることややっていること、母の病状を説明しても全く理解してくれなかった。
そのうえ、怒られたという記憶ばかり残って、なぜ怒られるのかは理解せず、叱られている言葉の内容がすっぽ抜けていたのである。
そんな父の幼少期の思い出も、父母に怒られてばかりの日々だったようだ。
特に父の父、私の祖父とは関係がうまくいっていなくて、良い思い出を聞いたことがない。
「親父にはよう怒られたし、どつかれたな」
と父は言う。
「おじいちゃんはなんで怒ったり叩いたりしたの?」
と尋ねると、
「さあ、なんでやわからん」
と言う。
「お父さんが何か悪いことしたんちゃう?」
「そうかもしれんな」
「そんで、怒ってるのになんで怒られたかわかってないから、何べんも同じこと繰り返して、しまいには叩かれたんちゃう?」
「そうかもしれんな」
父とそんな話をしていたのは、母に認知症状が出ていて、私がその対処方法を模索していた頃だった。
認知症の人がトラブルを起こしたとき、介護者が怒っても本人は自分がなぜ怒られたのか理解できない。
そもそも何をしたのか行動を覚えてなかったりするからだ。
でも、「怒られた」という負の感情だけは残るらしい。
感情の記憶だけは蓄積されるという。
「だからお父さん、お母さんを叱らんとってあげて」
ときどき、聞き分けのない母に父が怒鳴りつけるので、私が説明をした。
「ほんでも、何べん言うてもわからんかったら腹立つで。怒鳴りたなるのはしゃーないで」
「だからぁ~」
何べん言うてもわからんのはお父さんも一緒でしょ、と話は堂々巡り。
かわいそうにサトイモも、私に怒られたというマイナスなイメージばかりが残っているのだろう。
目覚めて最初に言う言葉が、
「ママ、オコッテナイ?」
だったりする朝は、かわいそうすぎて切なくなる。
サトイモがお爺さんになったとき、母親の思い出が、
「おかんにはよう怒られた」
にならないように、今後は怒りをセーブしなくっちゃ。