元旦、事件のはじまり
始まりは元旦の夕食だった
2019年まではだいたい月に1度は実家に帰っていたのが、コロナ禍以降2020年は2回しか帰れなかった。
若干の躊躇はあったけど、私達は例年どおり元旦の夕方に父のいる実家へ帰省した。
久しぶりに孫の姿を見て、父はとても喜んだ。
おせちを囲み、和やかに談笑。
「楽しいなぁ」
父は祝い酒を飲みながら上機嫌だった。
突然、父はこんなことを言い出した。
「年金いうんはありがたいもんやなぁ」
何の脈略もない。が、父の話はこんなものだ。唐突に始まる。
「2ヶ月に1回、ちゃあんと入ってくるもんな。ありがたいで」
「年金の額は足りてるんよね? それで十分生活できてるんでしょ?」
「足りる足りる。十分や。ほやけど…」
と、父は首をかしげた。
「なんかおかしいんやな。だんだんお父さんのお金が減ってきたんや」
ん?
私も夫も、ここで眉をしかめた。
「減ってきたって、どういうこと?」
「貯金が減ってもて、全然ないようになってもたんや。お父さんが使いすぎよんかなぁ」
「そんなわけあらへんでしょ。食べ終わったら、通帳見せて。一緒に確認しよか」
父も、そうやな、と同意して、とりあえずそのときは話を終えた。
サトイモは黒豆ばかり食べる。伊達巻きを勧めても見向きもしない。栗金団の栗は長い間なめて、結局吐き出した。もったいない。
通帳を見て仰天する
そののち、父に通帳を見せてもらった。
これまで父が管理していた父の通帳と母の通帳の2冊である。
目を疑った。
父は毎月、50万円を現金出金していたのである。
500,000
ゼロがひとつ、ふたつ…。
もしかして私も老眼始まったかな?ていうかそうであってくれ、と何度も目をこすって、5万の間違いじゃないかと眺めてみたが、何度見てもゼロは5つあり、50万円に間違いはなかった。
父は自分の口座に残高が少なくなると、今度は母の口座からも出金していた。
しかも、直近11月と12月では合計4回、200万円も下ろしている。
「お父さん、こんなことしてたらお金がなくなって当然やわ。なんで毎回50万円下ろしてるの?」
「ATMまで何回も行くんは面倒やろ。そやから、一回の限度額の50万円で下ろして、引き出しにおいといて、ちょっとずつ使うんや」
「引き出しに?」
「うん、そこのな」
このとき私は、父が鍵もついていない引き出しに現金を入れていたことを初めて知った。
「11月と12月は4回も下ろしとんやで」
「そんなに下ろしとうか?」
「その200万円は何に使うたん?」
「それがわからんのや。引き出しに入れて、いる分ずつ使うんやけどな。なんでそんなに使うたんかな? 覚えてないんや」
「…お父さん、それは覚えてないんじゃないわ。使ってないのよ!」
私は遠くなった父の耳に聞こえるように、ゆっくりと大きな声で言った。
「これは、大変なことが起きてるって!」
12月下旬に50万円を入れていた封筒には、たった11万円しか入っていなかった。
「お父さん、誰かに盗られてるんや、これは」
「えー?そんなことあらへんやろう」
父は決して誰かに盗まれているという私の主張を信じなかった。
「泥棒なんか入るかなぁ?」
「うちは何人もが自由に出入りできる状態なんやで! ヘルパーさんはお父さんが寝とうとこを入ってくるでしょう?」
「いやぁ、ヘルパーがそんなことするかなぁ?」
父にはまるで私の理屈が届かない。
それどころか、事態の深刻さも全く伝わらない。
でも、これがうちの父なのだ。
認知症ではないけれど、救いようのない天然ボケとお人好しと事なかれ主義の面倒くさがり。
「まあええわ。これから気ぃつける。お金使わんように始末する」
父はそう言うばかりだった。
寝る前の心配事
その間夫はサトイモの相手をしてくれていた。
元旦の夜は実家に泊まった。
寝る前、夫に消えたお金の話をした。
「お義父さんの暮らしぶりからして、そんな大金、よう使わんやろ」
「何か買ったような形跡もないし、もとから物を買わへん性格やし」
「飲みに行って、オネエちゃんに渡すいうことはないか?」
「昔やったらわからんけど、今はとても無理やわ。あの足では飲みにも行かれへんもん」
「そうやな。今日も飲んだらひっくり返ってたもんな。ヘルパーさんにお金をやったり貸したりは?」
「してないって言うてた。それに、お父さんはゴディバのチョコレートが好きで、年に1回くらい買うてきてはケアマネさんやヘルパーさんに渡そうとしてたけど、絶対受け取ってくれへん、って言うてたわ。そのチョコレート、最後は私がもらって食べてたもん。一昨年を最後に、プレゼントはあきらめたはず」
「間違えて違う場所に保管してるとか?」
「それもないと思う。お父さんはそこに置いてたって言ってた。そういう記憶はボケてないもの」
「ということは、ヘルパーにやられてるな」
夫は、間違いないで、と断言した。