警察の不思議な生態
供述調書をとっている間も、ほかの刑事や警官がちょくちょくやってきては私や夫に質問をしたり何かを頼んだりした。
父と母の預金通帳を机に並べて指をさして写真を撮ったり(これ指をさす必要ある?)、証拠品を預けるための書類にサインを書いたり、という調子だ。
昭和刑事は夫と雑談しつつ、
「それにしても、なんでお義父さんはこんなにお金をおろすんかなぁ?」
と尋ねている。
夫に聞いたところで、夫だって「なんでそんなに現金おろすねん!」と腹を立てている一人なのだから明確な答えなんてあるわけがないが、
「毎日家にいて、頻度の感覚がマヒしてたんでしょう」
などと適当に答えている。
ふいに、昭和刑事が私に話しかけてきた。
「宅間と会ったことはあるんですか?」
「いいえ、一度も」
「お父さんはカメラの映像を見て、宅間かどうかわかるんかいな?」
「いいえ、父はヘルパーさんの顔と名前が一致しないって言ってました」
「3年も来とうのに?」
「昔から人の顔と名前が覚えられない人なんです」
父は致命的に人の顔と名前が覚えられない人だ。
親戚ですら覚えられず、正月などの集まりの際には、
「あれは弘樹兄ちゃんのお嫁さんの亜希子さん」
と横でこっそり耳打ちをしないといけないくらいだった。
毎日ほとんどの時間テレビを見ているくせに、SMAPのメンバーは誰一人知らなかったし、藤原紀香を見て、
「これが安室奈美恵か」
とつぶやいたくらいである。
すると、近くにいたメガネ刑事が、
「あの年代では覚えてなくても無理ないんちゃいます? ヘルパーは複数人おるし、みんな制服着て、歳も似たり寄ったりの女性でしょ。特にここ1年はマスクをつけているからなおさらですわ」
と助け舟を出してくれた。
「ほんなら、誰やったらわかるかなぁ。ヘルパーステーションの事業所長に聞いたらわかるか。事業所長呼ぶしかないか」
昭和刑事が気にしているのは、映像の女性が確かに宅間というヘルパーなのかを誰かに確証してもらいたいということだった。
映像の女性はヘルパーの制服を着ているし、記録表にサインしているヘルパーが宅間であることは間違いないと思うけれど。
普段ニュースを見ていて、いつも気になっていたことがある。
火災現場で焼死体が見つかって、そこの住人が行方不明となっているときに、
「警察は住人の行方を調べている」
ということがある。
性別も年代もあっているなら、
「死体、絶対その人だよ!間違いないよ!」
と思ってしまうけれど、
「絶対、ほんとにその人なのかどうか」
という断定ができないとダメなのだろう。
シャーロック・ホームズだったと思うけれど、別人の遺体を火災現場に置いて雲隠れする住人の話もあったっけ。
ホームズになぞらえると、別人が宅間さんになりすまし、彼女が家事をしている間に現金を盗んでいく泥棒がいるということになる。
めっちゃミステリー!!
しかし、あれは本当に宅間容疑者なのか問題はすぐに解決した。
夫が突然、
「あ、ネットに顔写真出てる!」
と言い出した。
ヒマつぶしに、ヘルパー事業所のホームページを見ていた夫は、事業所の広報誌のバックナンバーがアーカイブとして残っていることに気が付いた。
広報誌では、新人ヘルパー紹介コーナーがあることも。
そこで、宅間容疑者が通い始めたころの広報誌を見てみると、ばっちり新人ヘルパーとして顔写真つきで掲載されていたのだ。
「好きなテレビ番組は刑事ドラマ」だというのが笑かす。
「休日の過ごし方は孫と遊ぶこと」ということは、子どもも孫もいる人なわけだ。
おばあちゃんが泥棒だなんて、孫が泣くぞ。
ちなみに、夫は先にFacebookを検索したみたいだけれど、宅間容疑者のアカウントは見つからなかったそうだ。
「ご主人、ええのん見つけてくれましたな! おい、写真撮っといて!」
昭和刑事がメガネ刑事に指示を出す。
「写真なんか撮らなくても、ネットに出てますよ。誰でも見れますから」
と夫が言うと、
「おい、うちインターネットが見れるパソコンはあったか?」
と昭和刑事がビックリするようなことを言い出す。
「いいえ、たぶんなかったと思いますけど」
とさらに驚きの事実が明かされる。
日本の警察ぅ!!!!!
サイバー攻撃から身を守るにはネットワークを遮断することだ、という理屈はわかるけれど、2021年にネット環境がない団体があるとは。
警察には警察の、独自のデータベースやネットワーク環境があるんだろう。
それでも、海外ドラマ『クリミナルマインド』ファンの私としては、FBIと比べて日本は原始時代にいるような感じがしてしまう。
警察にはネット環境がないということで、結局夫のスマホ画像の写真を撮ることとなった。
夫は左手にスマホを持ち、右手でそれを指さして、笑顔で撮影されている。
まるでスマホのCM。
あとで尋ねると、
「Webページを写真に撮るかぁ?しかも指ささなあかんかぁ?」
と考えだすと、おかしくておかしくて、笑わずにいられなかったらしい。
私たちには奇妙で仕方ないことだが、警察の人たちはそれが日常なので、なんとも思っていないらしい。
慣れは怖いよ。
それからしばらくして、また次の案件。
父に下記の2つの質問をしたいという。
1.カメラを設置した1月10日から今日までの間、友人や親戚等、ヘルパー以外の訪問者がいなかったか。
2.ヘルパーに金銭を貸したことがないか。
確かにその2つについて、私は父に尋ねたことはなかった。
1の可能性はすごく低いし、父のポリシーとして金銭の貸し借りは絶対しないのを知っているからだ。
ただ、宅間容疑者を逮捕したときに、
「貸してもらっただけです」
と言い訳する可能性だってある。
父本人が「絶対貸してない」ということは重要だ。
簡単な質問なので電話でも済みそうなものだけれど、警察は直接会って確認したいという。
「お父さんは午前中は寝てるんですよね? 今はまだ起きてるやろか?」
時刻はすでに22時半を回っていた。
急いで父に電話をかけ、
「これからお巡りさんが行くからね」
と連絡する。
普段夜中まで起きている父だが、
「なんや。今風呂上がって、これから寝ようと思てたのに」
とこの日に限って早寝をしようとする。
昼間警察が大勢つめかけるような非日常があったから疲れたのかもしれない。
質問内容をあらかじめ伝えると、どちらの問いに対しても、
「ない。あらへん」
と簡潔なものだった。
そのあと父に聞いた話だが、制服の警察官が2人来たという。
「何聞かれたんやったかな。たいしたこと聞かれへんかった」
と言うので、本当に簡単な質問だったんだろう。
時刻はとうとう真夜中を超えた。
私の身体も芯から冷え切ってしまったが、警察の皆さんは室温のことなんて気にする暇もなく働いている。
私が、
「皆さん私たちのために、こんな遅くまで残ってくれてるんですか?」
と尋ねると、そのときの刑事は、
「もともとの勤務ですけどね」
と答えた。
夫にその話をすると、
「そんなわけないやろ。その人は気ぃ遣ってそう言うてくれたんや。この事件がなかったら、こんな夜中まであんな人数働かんやろ。たまたま勤務予定の人もおるかもしれんけど、少ないはずや。ほかの人はみんな俺らのために働いてるんやで。警察いうんも、ほんま大変な仕事やで。ブラックもええとこや」
と言った。そして、
「細かいこと言うとかデジタル環境が遅れてるとかバカにするけど、みんな一生懸命やってくれてるやんか。文句言うたらバチが当たるで」
と私に諭す。
バカにしてないし、文句も言うてないし!
「お義父さんも、警察のこと『ポリコ』って呼ぶのやめなあかんわ。こんだけ迷惑かけたんやから」
夫はこの件以来、やたらと警察びいきになった。