何もできなかったり何もしなかったり
土曜日、母の病院に行ってきた。
コロナ前は病棟に直接入れる入り口があったけれど、今は入り口は中央入り口1か所に絞られていて、逆にそこが密になっていた。
というのも、コロナワクチンを絶賛接種中だったからである。
当然ながら対象は高齢者だ。
付き添いの家族が必要だったりするし、そうでない人でも歩みはスローだから、ロビーや廊下が渋滞。
密もやむなし。
そんな場所で、面会の受付もやっていた。
入り口、むしろ分散したほうがよいのでは?
面会受付用紙に、何病棟の誰の面会で、どういう続柄の者が来たかを記入した。
「今日の面会予約をしている波野です」
と用紙を渡すと、
「娘さんお一人ですか」
と言われる。
「いえ、この子と二人です」
と、夫に抱っこされているサトイモを指差した。
面会は一度に2人だけ、と制限されているので、夫には入り口で待っていてもらう予定だった。
すると、病院スタッフは怪訝そうな顔をして、「少々お待ち下さい」
とどこかへ消えた。
サトイモは例によって、すぐマスクを外そうとする。
マスクをずらしたまま体温を測るモニターに近づくと、
「マスクを装着してください」
と機械がしゃべるので、サトイモはわざとマスクをせずに近寄って、キャッキャと喜んでいる。
しばらくすると、スタッフが戻ってきてこう言った。
「波野さんは状態も悪くないですし、子どもさんはご遠慮いただきたいんです」
意味がわからなかった。
状態が悪くないって?
それは何より。
だったら会わせてくれてもいいんじゃないの?
言い間違い?
思わず「Pardon?」とでも聞き返したくなった。
「お子さんの面会はどなた様もご遠慮いただいてるんです」
「そんな…、予約のときに3歳児ですって伝えたんですけど…」
私が口ごもっていると、
「こっちはちゃんと確認したから来たんですよ。今さらおかしくないですか!」
と夫が強めの口調で反論してくれた。
すると再び、
「少々お待ち下さい…」
とスタッフはまた奥へ引っ込んで行った。
待っている間も、サトイモはマスクを取るので、何度も注意する。
その様子を見て、夫が、
「今日はサトイモを連れて行くのはあきらめたほうがええかもしれんな」
と言った。
戻ってきたスタッフも、
「やはり子どもさんの面会は許可してないんです…」
と同じ回答だったので、
「わかりました。子どもは諦めます」
と、私一人で行くことにした。
いざ面会
それですぐ病棟へ行けるかというとそうではなくて、まず別室で承諾書にサインさせられた。
熱はないかとか、最近の海外渡航歴はないかとか、感染者と接触したことがないかとか、A4用紙にギッシリと項目が埋まっている。
ほとんどは、あ〜はいはい、という調子でチェックを付けていったけれど、
「面会に際しては患者の1メートル以内には近づかない」
というルールを読んだとき、思わずペンが止まった。
触れることができないどころか、近寄ってもダメなのか…。
その条件、キビシイなぁ…。
でも、そういうルールなのだから、条件を飲まざるをえない。
しょうがない…。
渋々、チェックのレ点を入れた。
書き終えた承諾書を渡すと、スタッフからフェイスシールドを渡された。
マスクをした上に、フェイスシールド。
鏡がないから自分がどんな姿かわからないけど、マジックテープで頭にフェイスシールドを巻いて止めているから、髪はぐちゃぐちゃだ。
廊下を歩いているだけで、透明な膜は息で真っ白に曇った。
母の病棟に着いて、ナースステーションで声をかける。
小太りで色の黒い、おばちゃんの看護師が出てきた。
「はいはい、たか松さんね」
とスタスタ廊下を歩き出したが、
「あっそうやそうや、病室が変わったんやった」
と今度は反対側に歩き出した。
これまでも病室の入れ替えは多かったが、会えなかった1年半で何度病室が変わったことだろう。
母は南の端の部屋にいた。
ナースステーションからは遠いけれど、窓からは明るい光が入っていて、悪くないかんじがした。
「たか松ちゃん、娘さん来たよ〜」
看護師は友達のように、母に声をかけた。
寝ている母の姿は、1年半前とさほど変わらなかった。
「お母さん!なみ松が来たで!お母さん!」
私はベッドのそばにしゃがみこんで、大きな声で呼びかけた。
母は目を開けていたが、くぼんでいる目の奥が私を捉えているかどうかはわからなかった。
見えていたとしても、私はマスクをしているうえに曇ったフェイスシールドである。
誰だかわからなくてもしかたない。
横にいた看護師が、
「寝とったんかな? さっき食事終わったばっかりやから、お腹いっぱいで眠いんかもしれん」
と言った。
食事といっても鼻からチューブで流し込まれるだけだが、それでも満腹感から眠くなるんだろうか。
せっかく来たのだから起きてほしいけど、普段から満腹感を感じて眠くなるなら、それはそれで良い事だと思った。
「お母さん!なみ松が来たよ!」
何回か呼んでみたけれど、最後までわかっているかどうかわからなかった。
「長い間来れなくてごめんね、お母さん」
そう言うと、泣きそうになって言葉につまった。
「サトイモくんは幼稚園の年少さんになったよ。一緒に来てるんやけど、入れてもらえへんかったから外で待ってる。大きなったよ。今度は連れてくるからね」
すると、そばで立っていた看護師が、
「お子さんってこの子?」
とサイドテーブルに置いてあった写真立てを手に取った。
昨年の母の日に、父を経由して持ってきてもらった写真だ。
「そうです」
「今はお子さんの面会は全部断っとんやけどね。誰がええって言うたんかなぁ」
「病状説明の電話がかかってきて、そのときに聞いたんですけど」
「この4月から担当の先生が変わってね。センセ、なんか勘違いしたったんかなぁ」
「担当は院長になったんですか」
「違う違う、息子さんのほうよ」
ああ、あの横柄な医者は院長じゃなくて院長の息子だったのか。
あまりにそっくりだから呆れてしまった。
「どうしてもお孫さんに会わせたかったら、ベッドの向きを変えて、そこの窓から顔を出すこともできるけどね」
窓は駐車場に面しているので、確かに窓際から顔を出せば、外から覗くことができそうだった。
ただ、サトイモが母を見ることを望んでいるわけではないし、母自身の視力がどれだけ残っているのかわからないので、窓の外の子どもを認識できるかどうかわからない。
せっかく提案してもらったけれど、どちらにしろ近づけなければ意味がないと思ってしまった。
「じゃあ、面会は5分程度で切り上げてくださいね」
と言って看護師は出ていった。
いなくなったことをいいことに、私はそっと母の手を握った。
痩せて硬くなった手。
動かすことができないので、拘縮した細い指。
腕には、指が当たってできたのであろう内出血跡が3つほど残っていた。
禁止令が出てなかったら、持ってきた保湿クリームでマッサージしてあげるつもりだった。
せっかく会いに来たのに、何もできなかった。
ちゃんとしてるかしてないか
病院の入り口を出ると、夫とサトイモが待ってくれていた。
「お義母さんどうやった?」
と夫に尋ねられても、私は言葉に詰まって、下を向いて首をふった。
すぐには何も話す気にはなれなかった。
家に帰ってから、病院でのことを少しずつ夫に話をした。
「残念やったかもしれんけど、それだけ厳しくしとういうことは、それだけちゃんとしとういうことちゃうかな。子どもを入れへんのは腹立つけど、それもちゃんと対策しとう証拠やと思とこ」
普段ネガティブ思考の夫にしては珍しく、前向きなことを言った。
そして、
「でも普通に考えたら、病人のほうじゃなくて、面会に行く人がワクチン接種を終えとったら許可するんがホンマやろうけどな」
と言った。
言われてみればそのとおりだ。
夫はワクチン接種推進派で、7月になったら予約ができると接種の日を首を長くして待っていた。
ところが神戸市では予約がすべてキャンセル。
私だって本来だったらとっくに予約して打ててるはずなのに、目処さえわからない。
海外出張が多かった夫は、
「よその国と比べたら、やっぱり日本はちゃんとしとうわ!」
と言うのがかつての口癖だったのだが、最近は、
「ほんまに日本はおかしな国になってしまった。情けないなぁ」
とボヤいている。
夫は行ってないけど、アメリカやヨーロッパへ出張に行った同僚は、出張に行ってワクチンを打って帰ってきている。
それくらい、欧米ではワクチンが足りているのに、日本は一体何なんだろう。
私が最近見た(ほとんど音声だけ聞いたというのが正しいけど)YouTube番組で、当然のように高齢者から接種しているが実は別の意図があったのではないか、という話があった。
ダースレイダー x 神保哲生 4度目の緊急事態宣言と東京五輪 - YouTube
政治家にとって高齢者は、投票率が高い「票田」だから、高齢者から接種が始まったのだ、と。
高齢者が重症化リスクが高いからという理由もあるので誰も疑問に思わないけど、
「仕事をしていて、出歩いたり活動せざるをえない世代から打つべきでは?」
という視点もあるはずだ。
経済活動のことを考えても、労働者層から打ったほうがいい。
でも、何の議論も検討もされなかったよね、という話。
若い頃は、政治なんて自分と関係ない話だと思っていた。
でも、その政治がデタラメなせいで、病人とまともな面会すらできない。
私はお皿を洗いながらYou Tubeを聞き、トホホとため息をつくしかない。