父親の出張と時間感覚
コロナ禍で我が家の生活も変わった。
1回目の緊急事態宣言発令以降、夫が在宅勤務を余儀なくされたからだ。
夫の会社では、出社率3割とか2割とかの規定が定められ、出社割合はだんだん減り、今年に至っては数えるほどしか出勤していない。
最初は、
「会社行きたい。こんなんじゃちっとも進まへん」
と言っていたのに、9月の緊急事態宣言が明けて10月に出社したときは、
「通勤しんどいわ。よう週5日も会社通っとったな。信じられへん」
とまで言う変りぶりだった。
在宅といっても夫には二つの家がある。
うちは複雑な家庭で、私のマンションには私とサトイモが暮らし、夫は自分のマンションにお姑さんと暮らす、というスタイルをとっていた。
コロナ前、夫がうちに泊まりに来るのは週の半分くらい。
それが、在宅勤務が当たり前になってからは、夫はお姑さんと暮らす自分の家を「職場」として過ごすようになった。
夜から朝まで私の家に泊まり、自分の家に出勤するスタイル。
つまり、別居スタイルが基本だったのが、コロナ禍以降ほぼ同居。
夫が毎日家に帰ってくるのが当たり前になった。
かつてサトイモは、
「きょう、ぱぱ、あそびにくる?」
なんて言っていたが、いつのまにかパパが帰って来るのが当たり前の生活になっていた。
パパの海外出張
そんな中、ワクチン接種も終わり、とうとう夫の海外出張が始まった。
2週間の東欧セルビア出張である。
サトイモがグズったりするとあやうく虐待しかかったのを、夫が帰ってきてくれて助かった、という経験が何度もあったので、夫がいないことを不安に思っているのは私のほうだった。
「2週間もいないなんて、どうしよう」
と言うと、
「たった2週間やで。小さい子どもがおる若い部下なんかなんぼでもおるけど、平気で『半年行ってこい』『2年間行ってこい』って命令してんねんで。俺が行かれへんなんてよう言わんわ」
と夫が言う。
「そもそも、そんなこと平気で言うほうがおかしいんやんか!」
「ほんま酷なことしてるな~と思う」
だからって、やめるわけにはいかないのがサラリーマン。
出発は火曜日の午後遅くだった。
だから夕食を一緒に食べてから夫は出かけていった。
「パパは今から遠い遠い外国に行っちゃうんだよ。バイバイしよう」
と私が促したが、サトイモはそのときAmazonプライムのしまじろうに夢中で、私が一時停止して、
「ちゃんとお見送りしようよ」
と言っても、
「はやくつづきみーせーて!」
とごねる始末だった。
「しまじろうに負けちゃったね」
と言うと、夫は、
「そのほうがさみしくならんでええわ」
と苦笑いして出ていった。
日にちの概念
その翌日の夜、サトイモが、
「きょうぱぱ、かえってくる?」
と尋ねた。
「帰って来ないよ。遠い遠い外国へ行って、2週間帰って来ないんだよ」
そのやり取りが3日繰り返された。
ある夜、サトイモの我がままがひどくて私がイライラしていた中、またサトイモが、
「きょうぱぱかえってくる?」
と聞いた。
「帰って来ないって言ったでしょ!だから出発のときにちゃんとバイバイしたらよかったのに、知らん顔して!明日も明後日もその次もその次の日も、パパは帰って来ないんだよ!わからなかったの!?」
とつい意地悪な口調で責めると、サトイモは、
「わからない~!わからないよぉ~!」
と泣き出してしまった。
確かに、サトイモにはまだ「週」という概念が定着していないので、「2週間」という意味が理解できなかったのかもしれない。
毎週水曜日がコープの配達日なのだけど、サトイモはしょっちゅう、
「きょうこーぷのおにいさんくる?」
と言う。
「昨日来たばっかりやん。コープさんが来るのは水曜日だけ。週に1回!」
と何回も説明しているけれど、理解できていない。
それに、しょっちゅう昨日と明日が逆になって、
「きのうどこへいくの?」
「あしたなにした?」
なんてことを言う。
発達支援教室の終わりのフィードバック時に、先生にその話をした。
「日にちとか曜日の感覚が身につくのは、標準的な定型発達の子でも年長さんくらいと言われています。早くて年中さんですね。ですから、週という時間の長さがわからなくても当然だと思いますよ」
そうなのか。
言葉のやり取りができるようになったから、サトイモはこちらの言っていることがほぼ理解できているような気になっていた。
まだ理解するのが無理なことを押し付けて、
「なんであんたはわからないの!」
と怒っていたんだなぁ、とサトイモがかわいそうになった。
先生は加えて、
「日めくりカレンダーをめくったり、カレンダーに×をつけていったりして、一日一日が過ぎていくのを体験するのが効果的ですよ」
と一日という単位を学べる方法も教えてくれた。
先生には時間の話しかしなかったが、サトイモが「遠い外国」が何かもわかっていないことは私も知っている。
「がいこくってどこのがいこく?」
「東ヨーロッパ」
「どこのひがしよーろっぱ?」
「セルビア」
「どこのせるびあ?」
「どこのべおぐらぁど?」
キリがない。
そうこうしているうちに、サトイモはもう、
「ぱぱは?」
と尋ねなくなった。
子どもが忘れるのは早い。