いでよ、神龍!
金曜日の午後に母の病院から着信履歴があって、折り返し電話をかけたのは会社を出てサトイモのお迎えに行く途中だった。
主治医の用件はこういうことだった。
「肺炎を起こしていて、呼吸が苦しそうで、熱も出ています。元の病気を考えれば、いつ急変してもおかしくない状態です」
そして、
「今からこちらに来ることはできますか?」
と尋ねてきた。
「今からですか?!今神戸にいるので、そちらに着くころには夜遅くになるんですけど、明日ではダメなんですか?」
「ダメという話ではなくて、いつ何があってもおかしくないので、今日中にお顔を見に来られたほうがいいかと、まあそう思いますんでね」
「それは…、つまり…、生きている母に会えるのは今晩だけかもしれないということですか?」
「なんとも言えませんが、元の病気がありますから、そういう可能性があるということです」
「そんな…」
私は急なことで動転してしまった。
「最近は会われてませんでしたか?」
「会うもなにも…、コロナ禍で面会できない状況が続いて、去年の7月に一度だけ会わせてもらっただけです…。それもフェイスシールドをつけて、近寄るなと言われて…」
私が声を詰まらせると、医者は少し声を和らげ、
「そうかそうか…。会えてなかったら、余計びっくりしますよね」
「今はもう面会できるんでしょうか?」
「今も通常はできないんです。けれど、今回はね」
医者ははっきりいわなかったけれど、「死に目に会いたければ来い」、そういう話だ。
来るなら何時頃に着くか、あらかじめ病院に連絡をするように言われ、電話を終えた。
悲しみがわからない
幼稚園から家まで、すんなり帰れた試しがない。
それが日常。
最近のサトイモはマンホールの蓋と道路に貼られた工事用の目印シールに興味があり、
「ガス、おすい、E-0.5、こうべしのマーク」
などと言いながら、チョロチョロ動き回る。
マンホールを見つけたら、道路をいきなり走り出すから危なくてしょうがない。
でもこの日は「日常」ではない。
「あのね、サトイモ。今日はいつもと違うんだ。今日はこれからじぃじのうちに行くんだ。パパが帰ってきてくれて、車で行くんだよ」
いつもの調子で走り回るサトイモにクギをさす。
「なんで」
「ママのママが病院にいるでしょう?今日これからママのママに会いにいくんだよ」
「なんで」
「調子が悪くなったから、お医者さんから来てくださいって呼ばれたんだ」
「なんで」
「病気だから」
サトイモはどうにも理解してくれない。
道路にしゃがみ込んで動かない。
「早く帰ろう!いい加減にして!」
「いやだ」
「なんでわかってくれないの?早くお母さんに会いに行きたいの!」
「ママもこっちにきてくれないとうごけない!ママもいっしょにガスかんをみてくれないと!!」
サトイモは座り込んで、アスファルトの隙間の土をほじくりはじめる。
「早く帰ろうよ…」
私は一緒にしゃがみこんで泣いた。
「ママがつらいのをわかってよ…」
「いやだ。わからない」
サトイモはしばらく土をほじくっていた。
肝心なときに弱い人
夫に連絡すると、朝出るとき22時頃の帰宅予定と言っていたのが、仕事を早く切り上げて帰ってきてくれるという。
私一人で電車に乗って行こうと思っていたけど、
「車で行こうか。そのほうが早いやろ」
と夫が言ってくれるので、甘えることにした。
私はこう見えて、土壇場に弱い。
すぐにパニクる。取り乱す。
とりあえず病院に来いと言われても、一体どう準備すればいいのかうろたえるばかりだった。
ボストンバッグに私とサモイモの分の3日間くらいの着替えを詰めた。
メガネ、充電器、替えのマスク、おやつ、お茶…。
とにかくしばらく帰れなくなってもいいようにする。
それくらいしか浮かばない。
父には連絡したけれど、ほかに誰かに連絡したほうがいいんだろうか。
右往左往するばかり。
夫が帰ってきてくれて、なんとか車で出発することができた。
来週から夫はまたセルビアへ出張する。
「俺がおるうちでよかったな」
本当にそう。
相談相手になってくれて、車を出してくれて、夫には感謝しかない。
父の人でなし
父が先に病院に着いたと、わざわざ病院から電話があった。
「一緒に面会されますか? 入るのをちょっと待ってもらいましょうか?」
そんなつもりは毛頭なかったので、先に入ってかまわないことを伝えた。
のちほど、面会を終えた父から電話があった。
私は車の後部座席でそれを受けた。
「入口から病棟まで行くんがしんどかったんで、車椅子に乗せてもうたらラクやったわ」
いきなりあなたの話ですか…。
「お母さん病室が変わっとったな。酸素マスクつけとったわ。おい、おい、言うたけど寝とって起きひんかった。あんまり大きな声出したらあかんしな。ほんで帰ってきた」
私たちは到着までもうしばらくかかりそうだと言うと、
「行ってもしゃーないで。声かけても、返事もせえへんのやから」
と言う。
私はびっくりしてしまって、
「そういうことやないやん! たとえ何の反応もなくても、お母さんの魂がまだあるなら、伝えたいこととかあるでしょう? 感謝の言葉とかないの?!」
と声を荒げると、
「何を感謝することがあるんや。こっちが感謝してほしいくらいや」
と父が言うので、頭にきてしまった。
もうええわ、と電話を切って、夫やサトイモへの体面もかまわず声をあげて泣いた。
夜の病院
夫が早く帰ってきてくれたおかげで、病院についたのは20時過ぎだった。
3人それぞれに、面会記録の記入、コロナ対策の誓約書の記入、検温が必要で、マスクの上にやはりフェイスシールドをしなければならなかった。
ふだんの病室は大部屋だが、個室に移動させられていた。
父が言ったように酸素マスクをつけていて、酸素飽和度や脈拍を測定する機械につながれ、その機械がひっきりなしにビービーと警告音を発していた。
母の呼吸は本当に苦しそうで、のどから呻き声のような音がもれる。
なんとか楽にしてあげることはできないのか、何もできなくて狼狽した。
お母さん、お母さん、と声をかける。
以前のように近寄るなとは言われなかったので、手を握ったり身体をなでたり、思いつくかぎりのことをした。
手を握りながら、話しかけられるだけ話しかけた。
感謝の言葉、思い出、サトイモの近況などなど。
しばらくすると、母の目がだんだん開いてきた。
個室なのでもうフェイスシールドを取った。
私の顔を認識してくれたかもしれない。
サトイモは機械の音を怖がって近寄らないので、本人の顔を見せるかわりにスマホで写真を見せた。
イヤホンで美空ひばりの曲をきかせた。
ドラゴンボールを集めたなら
しばらくして看護師がやってきた。
最初に連絡をくれた柔和な印象の女性看護師だ。
「苦しさを和らげる方法はないんですか?」
と聞いてみたが、
「酸素マスクのほかは…」
と困った顔をするばかりだった。
「抗生物質の点滴をしてるんですけど、それが効いてきたら落ち着くかもしれません。夜中にもう一回投与しますので、それが効くかどうか…」
なんとかしてあげたくても、どうにもならない。
呼吸困難の苦しみから人を救う手立てを、人類はまだ持っていない。
もしドラゴンボールを7つ集められて、神龍が出てきたら、私はこう願う。
「人の苦しみや痛みを止める力を私にください。病気を治す力じゃない。苦しみや痛みを感じなくさせることができるような力がほしいんだ!」
一刻も早く、母を苦しみから救ってあげたかった。
でも、神龍がいないから、今は無理。
きょうはりょこう?
結局2時間くらいいただろうか。
サトイモが帰りたいとダダをこねだしたので、病室を出ることにした。
晩ごはんも食べていないのだから、当然である。
急変したら電話してもらう約束で、私達は病室を出ることにした。
夫が、病院のすぐ近くにあるホテルを取ってくれたので、この夜はそこに宿泊。
夕食はマクドナルド。
ハッピーセットを買ってもらってサトイモはすっかりごきげんになり、
「きょうはりょこう?」
といい気な旅気分である。
結局、夜中に電話がかかってくることはなかった。
翌朝、私だけ先に病室へ行った。
入った瞬間、峠を越えたことがわかった。
眠っている母の呼吸が安らかになっている。
酸素飽和度も落ち着いていた。
昼前になって夫とサトイモもやってきた。
機械の警告音が鳴らなくなったのでサトイモも怖がらなくなり、母の近くで顔を見せてやることもできた。
ガラの悪いおばちゃん看護師に、
「なんぼ危篤でも、コロナ禍の面会は短時間でお願いしとんのに、まだおったん!」
と叱られるまで部屋にいた。
その後、病院からは何も連絡がない。
今に至っても。
ということは、肺炎からは回復してきているのだろう。
危篤になったおかげで、約1年ぶりに母に会えた。
そして、命も長らえた。
よかった、よかった、と言えなくもない。
でも。
母はまた苦しみから解放される機会を失った。
いずれまた、あの呼吸困難が母を襲う。
褥瘡ができ、体重も30キロをきったと聞いた。
神龍、お母さんをできるだけ痛みと苦しみを感じないようにしてあげて。
ドラゴンボールは集めてないけど、それくらい叶えてよ。