3歩前のことを忘れる女のサブカルと介護の記録

神戸に住む40代波野なみ松の、育児と趣味と要介護両親の対応に追われる日々の記録。

病院なんて大嫌い

母の大脳皮質基底核変性症は、神経内科で診てもらっている。

昨日の土曜日は2か月に一度の受診日だった。

母が掛かっているのは、この神経内科と、別の病院の内科の二つ。

 

神経内科で出してもらっている薬は、

パーキンソン病の飲み薬4種類と貼り薬1種類

*その貼り薬で皮膚がかぶれるのを治す塗り薬

*毎日1本飲むドリンク栄養剤

 

内科で出してもらっている薬は、

*高血圧の薬

*糖尿病の薬

*便を柔らかくして排便を促す薬

*食べたものが逆流しやすいので嘔吐を防ぐ薬

 

といったところで、正直、薬漬けだ。

それというのも、高血圧と糖尿病の薬以外は、大脳皮質基底核変性症という病気を引き金にして起きている不具合を治すためだったりする。

 

昨日、受診のときに先生に相談したのは、最近の悩みの種である排尿のこと。

家でも施設の記録でも、母の排尿はだいたい一日2回か3回。

すごく少ない。

 

大脳皮質基底核変性症という病気は、脳の萎縮に伴って身体が動かなくなっていく病気なのだけれど、手足のような目に見える部分だけではなくて、内臓もまた働きが弱っていく。

当然、食べ物や飲み物の飲み込みや、消化、排泄にも問題が出てくる。

 

泌尿器科を受診したことはありますか?」

「いいえ」

泌尿器科で排尿を促すお薬を出してもらえば改善されると思いますけどね。あまりに排泄ができないということになれば、カテーテルを入れるという処置が必要になります。とりあえず今は、もう少し様子をみましょう」

 

また薬が増えるのはしょうがないとしても、カテーテルかぁ。

病気が進めばカテーテル、という話は昔から聞いていたけれど、決断するには気が重い。

それに、ひっかかったのは「泌尿器科の受診」ということ。

 

正直、神経内科と内科の受診で、現在でもいっぱいいっぱい。

内科は毎月受診なので、月の半分の土曜日が、病院で潰れている。

それに、「初めまして」の泌尿器科の先生に、現在罹っている病気の内容や生活背景を、いちいち説明しないといけないと思うとゲンナリだ。

科が専門で分かれているのは仕方ないけれど、ほとんど全部がこの病気のせいなんだから、神経内科で全部引き受けてもらえないものなのかな、といつも思う。

 

でもまだ、今の先生はちゃんと相談にのってくれて、対処してくれるのでよしと思おう。

 

前の担当医は本当にひどかった。

最初は母本人だけで受診していた。

しかしあまりに頼りないので、次に父に同行してもらうようにした。

それでも、納得いく治療はしてもらえない。

母はすでに認知症が始まっていたし、両親ともに「先生の言うことを聞いていればいい」と自分たちの状況は説明もせず、病気が進行しているのに報告もしていなかった。

薬を飲み忘れているのに、どんどん薬が増えていく。

これではいけない、ちゃんと病状を説明しないと、と思った私は手紙を書いて、受診するときに先生に渡すよう、父に預けた。

 

「手紙、渡してくれた?」

「渡したんやけどな」

と、父は渡すはずの私の手紙を出してきて、私に返した。

「言いたいことがあるんやったら、娘さんが直接来て言うように、って」

そのとき、封筒を前にした悔しさは忘れられない。

 

その次から、私は母の受診に同行するようになった。

受診日を土曜日に変えてもらうまで、会社を休んで付き添った。

こんな症状が出ているがどうすればいいか、これについて再検査してもらえないか、リハビリをしたいけれどどうすればいいか、こういう民間治療があると聞いたけれど役に立つか、などなど、私はいろんなことを訴えた。

しかし、担当医Kは決まって、

「まだ治療法のない病気ですからねぇ」

と、無機質に言うばかりだった。

毎回、ハラワタが煮えくり返る思いで診察室を後にしていた。

 

今でも、担当医Kを思い出すと、腹が立ってしょうがない。

「必殺仕事人に誰か一人殺してもらうとしたら?」と聞かれれば、「担当医K!」と迷わず答える。それくらい、今でも憎らしく思っている。

 

ところが先日、意外なところでその担当医Kの名前をきいた。

高校の同級生がその病院に入院していたので、お見舞いに行ったときのこと。

彼女も神経内科で、O先生に掛かっているというのだ。

「うちのお母さんと一緒やわ。いい先生でしょう?」

「まあな。でも、私、本当はK先生がよかったんやけど」

「ええっ!?なんで!?どこが!?」

「何年か前にすごく助けてもらったから。逆に、なんでそんな嫌がるん?」

 

私が日々「死ね!」と呪っている医者だけれども、彼女にとっては救い主なのだ。

もし私が中村主水に仕事を依頼していたら、彼女は助からなかったかもしれない。

捨てる神あれば拾う神あり。医者が捨てる患者あれば治す患者あり。