3歩前のことを忘れる女のサブカルと介護の記録

神戸に住む40代波野なみ松の、育児と趣味と要介護両親の対応に追われる日々の記録。

人生は地獄変

ハタチくらいの頃、私は作家になりたかった。

でも、その頃の私は本当に平凡で、才能どころか書くべきことすら持ってなかった。

芥川龍之介の『地獄変』のように、「書くべき何か」を持てるなら不幸になってもよいとさえ思っていた。

 

そのバチがあたったのか、母が大脳皮質基底核変性症という難病になった。

診断がついたのは2009年、私が34歳のときだ。

左手が動きにくい、というところから始まって、徐々に身体が動かなくなり、認知症の症状も出るようになった。

そして、介護の記録を残すとともに、自分の気持ちを整理するために、ブログを始めた。

最初はmixiで自分と友人宛に書いていた日記を、40歳を機に誰でもアクセスできるはてなブログに移した。

 

すいぶん昔、母が知人のお葬式から帰ってきて、こんなことを言った。

「お母さんが死んだら、すぐにみんなお母さんのことなんか忘れてまう。誰も覚えてへん。お母さんが生きてたことなんか、どこにも誰にも、わからんようになってまうんや」

母はそう言って泣いた。

 

私がいる限り、お母さんのことは覚えているよ。

私はそう答えたと思う。

でも、私が死んだあとは?

私が子供を産まずに死んだら、母が言う通り、母が生きていたことすら消えてしまうだろう。

その頃、私は結婚する気も子供を持つ気もなかった。(今でも、自分が既婚者で人の親だなんて信じられない。)

インターネットの片隅にでも、何か書き残さないと母の存在が消えてしまう気がした。

 

ところが、うっかり、私は子供を授かることになった。

まるで、買ってもいない宝くじが当たったみたいに。

 

子供を授かったことと引き換えに、母の介護がほぼ終了した。

妊娠中、母が救急車で運ばれ、入院したが最後、私の出る幕がなくなったのだ。

その後、コロナで会うことすら困難になった。

ブログに書く内容も変わり、介護の記録のはずが、すっかり子育てブログになってしまった。

 

そして、今年7月、母が亡くなった。

 

自己紹介部分もそぐわなくなってしまったし、このあたりでこのブログは終了にしようと思う。

 

新しいブログへ

母が亡くなって人生の憂いがなくなったかというとそうでもなく、それ以上に息子のサトイモの子育てが重い。

どうも育てにくい。

なんだか、何かしらの発達障害があるようだ。

またもや、地獄変に憧れたバチが当たったのかもしれない。

 

毎日七転八倒

ただ、大変だけど、やりがいはある。

楽しくはなくても、とても面白い。

 

平凡でつまらない人生より、紆余曲折でもオモシロい人生を。

 

サトイモが波乱に満ちた人生を楽しく生きていくには、母親としてどうすべきか。

発達障害について、子育てについて、勉強と発見の日々である。

こんな面白いこと、やっぱり記録しておかないともったいない。

 

新しいブログの名前は、「奇才サトイモの元気がでる発達日記」にした。

これからはそちらにお引っ越し。

これまでのあらすじ - 奇才サトイモの元気が出る発達日記

 

これまで読んでくださった皆様、ありがとうございました。

そして、今後もよろしくお願いします。