3歩前のことを忘れる女のサブカルと介護の記録

神戸に住む40代波野なみ松の、育児と趣味と要介護両親の対応に追われる日々の記録。

相続手続きと補聴器

昨日は会社の夏休みを利用して、母のゆうちょ口座や簡易保険の相続手続きをした。

もっと早くすべきなんだけど、グズグズしていたら今になってしまった。

 

思えば、告別式の翌日も、サトイモはお姑さんに預けて、役場へ手続きに行ったのだった。

お盆休みも年金手続きに行ったり、戸籍や印鑑証明を取りにいくなど、この夏の夏季休暇はレジャー要素は皆無だった。

相続手続きに消えた夏。

 

ただし、葬儀屋さんが死後必要な手続き一覧を渡してくれていたので、手続き自体はそれほど難解ではなかった。

そのうえ、役場には中学時代の親友のJちゃんが働いていたので、この上なく心強かった。

 

よく、「役所でいろんな係をたらい回しにされた」と聞いていたけれど、小さな町役場だからか、私達は窓口に座ったまま、係の人が順番にやってきてくれた。

例えば、戸籍係が終わると、次に健康保険係を呼んで来てくれて、また終わると介護保険係へ…、というかんじ。

いちいち書類に住所、名前等を書かないといけないものの、「難しい」とか「大変」という印象はなかった。

 

とはいえ、「こんなこと、データベースがつながっていて死亡の連絡一発で全部終わりにできないの?」と時代遅れ感はいなめない。

日本のDX化の遅れをひしひし感じるものの、アナログな分、係が連携して精一杯がんばってる。

制度とシステムのだらしなさを現場の素晴らしさが補ってる日本の象徴。

 

特に、原戸籍を取るのが煩雑で、あちこちの市役所にいかなければならなかった。

夫婦別姓について反対している右系論客が、

「日本の戸籍制度は、戸籍を見れば祖先までたどっていける素晴らしいものだ。夫婦別姓はそれを壊す」

と言っていて、そんなものかな、と思ったけど、実際の戸籍を見てみたらブツ切れもいいとこ。

こんなの、今のテックならもっと皆が使いやすく素晴らしいデータベースができそうなものなのに。

夫婦別姓反対論者は戸籍を取り寄せたことあるのかしら?

 

わかってないのではなく聞こえてない

役場でも年金事務所でも郵便局でも、一応父は同席した。

けれど父はいつも座っているだけ。

手続きはすべて私まかせだった。

 

コロナ対策でどこの窓口でも透明なアクリル板かビニールの幕がある。

皆マスクをしている。

大声では話さない。

だから、私でも少し聞こえづらい。

 

「お父さん、聞こえてる?」

「え?」

「話聞いてた?」

「いいや」

人の話を聞いていない、聞く気がない、やる気がない。

いや、それ以上に機能として「聞こえていない」。

 

葬儀から相続手続きにかけて、父の聴力低下が切実なことを実感した。

父が耳の遠いことは何年も前から知っていた。

テレビの音量は庭を通り越して道まで聞こえるほど。

言葉を聞き返すこともしばしば。

でも、会話が成立しないわけではないし、補聴器の話をしても本人が嫌がるので放置してきた。

事務的な処理をするわけではないので、困ることがなかったのだ。

 

でも、あまりにひどい。

 

笑ってしまったのは、父が車のサイドミラーをこすった跡があるのを見つけたサトイモが、

「じぃじ、どうしてクルマをこすっちゃったの?」

と尋ねたとき。

父は、

「ああそう!サトイモくんはえらいなぁ」

と笑顔で答えた。

何を聞いとんねん!

つまり、全然聞こえてないのに、適当に返事をしていたのだ。

 

法事や相続手続きの合間をぬって、私は医療機器メーカーに連絡し、補聴器のお試しを申し込んだ。

 

補聴器は老眼鏡のようにはいかない

「新聞を読むときに老眼鏡をかけるように、せめて人と会話するときだけでも補聴器をつけてほしいんです」

私がそう訴えると、医療機器メーカーの担当者は、

「それこそが一番難しいんですわ」

と答えた。

 

「とりあえず、お父様のお宅まで伺って、今どのくらい聞こえていらっしゃるのか、聴力検査をさせてもらいます。そのうえで、一番ご要望に合った補聴器をお試しでお持ちします」

「わかりました。よろしくお願いします」

「ただ、お父さんにお会いして、補聴器をお使いになる可能性が限りなく薄いなぁと判断しましたら、諦めて帰らせてもらいます」

 

えっ?!

耳を疑った。

商売のくせに、一回会って望み薄だったらそんなすぐ諦めるの??

 

「今回娘さんからご要望をいただきましたが、御本人はそれほど困ってないということですよね? 聞こえなくても平気なんですよね? そういう場合、聞こえないことに慣れすぎてしまって、聞こえると逆にうっとうしくなる方が多いんです。そうすると、着けるのも面倒くさくなります。安い買い物ではありませんからね、無駄になる可能性が高いので、お勧めしておりませんのです」

 

そういえば父は、

「聞こえんでええ。聞きたい話なんかあらへんのやから、聞こえんほうが便利や。嫌な話も聞かんですむ」

と言っていた。

なんて勝手な理屈だろうか。

それでいて、面倒な話は全部私に押し付けるのだから。

 

孫の力は偉大

心配していた補聴器のお試しだったが、思いのほかうまく行って、現在、父は補聴器を使っている。

片耳だけなのに15万もする高価な買い物だが、一応使っているだけ大きな進歩だ。

 

夫は法事で補聴器をつけた父の印象として、

「やっぱり聞こえ方がだいぶ違うで」

と、改善を実感できたようだ。

ただ、補聴器をつけたにしては、まだ、

「え?」

と聞き返すことが多く、私は満足度が低かった。

何しろ15万もかけてるんだ、こっちは。

 

補聴器屋に聞いてみたところ、

「今は初めての補聴器なので、音量を最低レベルで始めてます。これまで何年も聞こえてなかったのに、いきなり聞こえ始めるとうっとおしくなりますからね。定期的に聴力を測って徐々に音量を上げていきますから、ご心配無用です」

とのこと。

そのあたりは、「うちのデジタル補聴器はそこらへんの集音器とは違います」というだけのことはあるのだろう。

 

片耳しか入れていないことについても、

「お父さんは聞こえに左右差があります。それで、聞こえている右耳に装着してもらってます。聞こえてないほうに入れると思われるでしょうが、それが違うんです。聞こえるほうに入れるほうが、馴染みやすいんです。聞こえることや補聴器に慣れてきたら、両耳入れてもかまいません。いきなり両耳入れたらうるさいです。それで着けなかったら倍もったいないですからね」

ということだった。

高いお値段もコンサル料含む、と考えて、信じてお任せする。

 

これまでだって、補聴器をつけてみたらどうか、と何度か父に提案したけど、いつも、

「ええわ、いらん」

と話にならなかった。

 

それが、急に前向きになって、嫌がらずに補聴器を着けてくれている。

これは、今回の私の説得が功を奏したのだと自負している。

それはこんな会話だった。

 

サトイモのこと、可愛い?」

「そら可愛いわい!」

「でもあんまり可愛がってないやん」

「可愛がり方がわからんのや」

「だいたい、サトイモの話をちゃんと聞いて、会話してあげてよ。あの子、ずいぶんおしゃべりがうまくなったよ。しりとりが大好きなんやから、一緒に遊んであげてよ。お歌も上手に歌えるようになったよ。可愛いと思うんやったら、歌ってるのちゃんと聞いてあげて。お父さん、あの子の声、ちゃんと聞こえてる?」

 

私がそう訴えたとき、父は珍しく、

「そうやな。これからはちゃんと聞く」

と答えた。

父にとってサトイモは未来そのものなのだ。

 

昨日、補聴器の調子を尋ねたら、

「これ着けたらな、セミの声が聞こえたんや。こんなにセミが鳴いとったんやな」

と父が言った。

うるさいほどの実家のセミの声が聞こえてなかったとは驚きだ。

父に、自然の音に気付くだけの感受性が残っていたことが、なんだか嬉しい。

とはいえ、もう夏も終わり。

この秋は、父にコオロギの声が聞こえるだろう。