3歩前のことを忘れる女のサブカルと介護の記録

神戸に住む40代波野なみ松の、育児と趣味と要介護両親の対応に追われる日々の記録。

通夜式(2)

一連の葬儀の中で、一番の大失敗は通夜膳だ。

思い出すと、今でも落ち込む。

 

というのも、通夜式に参列してくれた父の妹とその息子(私からすると叔母と従兄弟)を、いい調子でおしゃべりしながら駐車場まで見送った。

そのあと、

「しまった!通夜膳の夜食を食べてもらうメンバーだった!!」

と気づいた。

食事に招かないなんて叔母たちには失礼極まりない。

そのうえ、用意した食事2名分(一人五千円)も無駄になってしまった。

 

父に慌ててそのことを伝えたが、自分の妹だからか、

「まあええやろ」

で終わった。

あとで電話したが、叔母も耳が遠く、こちらの本意をうまく伝えられなかった。

私だけが頭を抱える思い。

 

久々の食事会

父方の親戚がそのように帰ってしまったので、通夜膳の席は母方の親戚で占められた。

母の通夜なのだから、それでよいのだが。

 

ごちそうを囲んで、久々の親戚との会合。

「お義姉さん、こうやってにぎやかにする席が好きやったから、喜んでるんちゃう?」

叔母の一人が言った。

私が子供の頃は、盆に正月にお彼岸にと、しょっちゅうこんな会合を持っていた。

私達子供が独立してからは、夫婦4組でよくシニア旅行にでかけていた。

仲の良い親戚に見えていた。

なのに、母が病気になって以降、すっかりと疎遠になった。

 

懐かしさもあってか、父はごきげんにしゃべっていた。

「宮崎県に新婚旅行に行ったときや。夜寝る前に、『1つだけ言うことがある。オレより先に死ぬなよ』言うたら、『はい』言うたんやけどなぁ!」

母に対する父の「ちょっといい話」。

でも、なんかありきたりの、どこかで聞いたような話で、父らしさも母らしさも感じなかった。

 

「楽しいなぁ!皆でごはん食べるんも久しぶりやもんなぁ!」

ふと見ると、父は日本酒を1合飲み干し、2本目を開けようとしていた。

「飲んでるん?!車で来とうくせに!?」

「今日は泊まったらええ」

「泊まるって、着替えとか持ってきたんか!」

「持ってきとうへん」

「どないするん」

「着替えんでもええやろ」

 

叔父や叔母たちも、

「まあまあ。今日くらいかまへんやん」

と私をなだめる。

しかし彼らは、一昨日椅子を濡らすほど父がおしっこを漏らした前科を知らないから、そんな呑気なことを言えるのだ。

喪服を汚されたら、明日の告別式をどうすればよいのか。

 

「それやったら、早めにトイレに行きなさい。今すぐ!」

と私。

「大丈夫や」

「大丈夫なことあらへん。行きなさい。」

「行っても出えへん」

「それでも行くだけ行き」

「いや、大丈夫や」

「一昨日の夜、自分がどんな失敗したか、よう考えてみ!皆の前で言うたろか!」

 

そんな私と父のやり取りを聞いていた叔母たちが、

「なかなかしぶといなぁ」

「子供やったら言うこと聞くのにねぇ」

と笑う。

うちは子供も言うこと聞かないけどね、と思いながら、父を無理矢理に立たせようとした。

が、酔いが回り、すでに足が立たなくなっていた。

 

仕方なく、会館の来館者用車椅子を借り、叔父に手伝ってもらって父を乗せた。

サトイモが喜んで押して行こうとする。

叔父とサトイモとで、父をトイレに連れて行ってもらった。

 

夏の花火

会食が終わった後も、叔父たちに父を車椅子で親族控室へ運んでもらった。

「和室の座布団の上に転がしとうけど、明日まで寝かしとってもかまへんやん」

そう言って叔父たちは帰っていった。

 

しかし、喪服を着たままでは、汚されたら困る。

私は急いで父を叩き起こし、喪服を脱がせ、会館備え付けの作務衣のようなパジャマに着替えさせた。

なんとかまだ汚れていない。

「大丈夫や。酔うてへん」

そう言って父はまた眠った。

 

父が寝て、会館のスタッフが帰ったあと、私とサトイモは駐車場に出て、手持ち花火をした。

母の祭壇からマッチとロウソクを借り、空いたペットボトルに消火用のお水を用意した。

 

誰もいないだだっ広い駐車場、隣は火葬場と墓地。

考えてみるとちょっと怖いけれど、サトイモはそんなこと知らない。

夜ふかし、火遊び。

うれしくてしょうがない。

初めての手持ち花火を存分に楽しんだ。

 

花火は人生みたいに、はかない。

 

喪主は粗大ゴミの如く

いつまでも父を畳の上で転がして置くわけにはいかない。

幸い、親族控室にはベッドが一つあって、前日には私とサトイモはそこに寝た。

この夜は、脚の悪い父をベッドに寝かせ、私達は布団を敷いてねよう。

そう思い、父を起こしてみると、ズボンの股のところが盛大に濡れていた。

 

…やってしまった。

 

「濡らしてるやないの!!」

私が目をつり上げて怒ると、

「これのどこが濡れとんや〜」

と父はフラフラして立ち上がった。

やっとの思いでズボンを脱ぐ。

紙オムツが股からぶら下がるほど、尿でパンパンだった。

漏れるのも当然だ。

 

それにしても、父が、

「大丈夫や、漏れてへん」

と言い張る。

何を言っているんだ?!?

こんなに漏れてるのに?!

「漏らしたパンツで、大丈夫なわけないでしょ!明日告別式やのに!」

「ほんなら、家帰るわ」

「帰れるか!」

 

パジャマの替えはあるけど(葬儀会館はホテル並みにアメニティも整っていた)、パンツの替えがない。

家に取りに帰るにしても、買いに行くにしても、鍵を持っていないし、会館を無人状態にできない。

夜遅く、サトイモを連れても出られないし、残しても行けない。

 

父は平気で帰ると言うけれど、フラフラの老人が夜中に車を運転して帰るなんて、事故率100%に近い。

しかも、タプタプのオムツでは、座っただけで座面を濡らしてしまいそうだ。

その証拠に、ベッドの端にちょっと腰掛けただけで、シーツにシミがついた。

慌ててバスタオルを重ねて敷いて、ベッドが汚れないようにする。

バスタオルからはみ出ないようにと父に言い聞かせて、とりあえず寝かせる。

 

父を寝かせてからも、替えのオムツをどうするか、悩ましくて頭を抱えながら眠った。

親戚の誰かに、告別式に来る前にドラッグストアで買ってきてもらおうか。

それとも、朝、葬儀屋のスタッフが来たらすぐに、サトイモを連れて買いに走ろうか。

 

浅い眠りについてしばらくすると、父が起きてきた。

「帰って着替えてくるわ」

昨夜とは違って、少ししっかりしている。

「いつのまにこんなに漏らしとったんかな? 全然覚えてないんや」

と父。

 

そうか、昨夜は、漏らしたのかどうかすら判断できないほど酔っ払っていたのか…。

眠ってスッキリしたのか、一応シッカリしていたので、父を信頼して家に帰すことにした。

父は朝5時に、会館のパジャマのまま帰っていき、葬儀スタッフが来る前にちゃんと戻ってきた。

やれやれ。