3歩前のことを忘れる女のサブカルと介護の記録

神戸に住む40代波野なみ松の、育児と趣味と要介護両親の対応に追われる日々の記録。

我が家の悲劇

どこのデイサービスでも、日誌のようなものか、家族との連絡帳があると思う。

うちの母の場合は、土日は手書きの日誌だけれども、月曜日から金曜日の報告は、介護スタッフさんたちがパソコンに入力している詳細レポートを打ち出してプリントアウトしてくれている。

もともとは内部の情報共有と記録のためのものらしく、だいたい2時間おきくらいに、何をしたとか食べたとか、血圧や体温などを、1行ほどの文章でまとめてある。

 

うちは平日連泊で預けているので、こんなふうにレポートしてもらうと、様子がよくわかるので、とてもありがたい。

中には、会話のやり取りを丁寧に書いてくれるスタッフさんもいて、毎週、私も父も、そのレポートを読むのが楽しみだったりする。

 

金曜日の夜、夕食の片付けも一段落したあと、レポートを手に取った。

さあて、今週は何をしてたのかな~?

なになに?

 

「5月○日○時○分 ご家族様と歩いて来園されました。」

 

え?

 

「5月○日○時○分 職員と中庭を散歩されましたが、お疲れのようでしたので途中から施設の車椅子に乗っていただきました。」

 

ええ?えええ?

 

おかしいな、と思って名前を確認すると、

やっぱり。

名前が違う。

職員さんが、別の利用者さんのレポートを間違ってプリントアウトして、そのまま持ってきてしまったらしい。

「波野」ではなく「波川」さん。

名前が似てるから、うっかりしたんだろう。

 

翌日の土曜日、送迎のスタッフさんにその件を伝えて間違ったレポートを返した。

「すぐに正しいレポートを持ってきます!」

とスタッフさんの顔が青ざめ、そののちケアマネさんが母のレポートを持って謝りに来られた。

 

個人情報保護がうるさく言われている昨今、こういうのはセキュリティ事故として、やってはいけないミス。

とはいえ、なんだか気の毒な気がする。

身体的なケアにも気を配り、個人情報にも気を配り、介護現場は神経がすり減っちゃうよなぁ。

 

 

その日の夜。晩ごはんの席。

「そういえば、お母さん、歩けるようになったんか?」

突然、父がそんなトンチンカンなことを言いだした。

 

「はあああ?歩けるわけないやん。見たらわかるやろ」

「そやけど、施設では歩いとうらしいで」

「何をアホなことを。歩けるどころか、立つのも難しくなってきたのに」

 

母も同席しているので、「歩けない」とか「立てない」という話を聞かせるのはかわいそうな気がしたけれど、父はおかまいなしに続けた。

 

「いいや。歩けるいうて、書いてあったんやで」

「何に?」

「施設の紙に」

「あのね、さっき言ったでしょ、レポートが間違ってたって。スタッフさんと話したとき、お父さんも一緒におったやんか」

「ああ、そうか。そういうことやったんか」

「いったい何を聞いとったん」

 

「ほんなら、歩けるいうんはウソか」

「ウソとかじゃなくって、違う人の内容やったんや。 だいたい、読んだらすぐ気づくやんか」

「そんなん疑ったりせえへんもん」

「ウソとか疑うとか、そういう話やないと思うんやけど…」

 「お父さんは人を信じすぎるんかなぁ」

「いやだからそういう…」

 

母が病気で、という話をすると、ときどき、「お父さんはどうされてるの?手伝ってくれないの?」と尋ねられることがある。

 

手伝ってくれない。

 

手伝ってくれることもある。

けど、ほとんど役に立たない。

 

悪気がないのはわかっているけれど、常識が通じないし、気が利かなく、頑固で融通もきかないので、使えないのだ。

おまけに最近は耳が遠くなってきて、余計にコミュニケーションが取れなくなってきた。

 

冷静に分析すると、「父がいてくれてよかった、役に立った」と思う割合は3割、「いてもいなくても同じ」と思う割合は4割、「いないほうがいい、いるほうが悪化」と思う割合は3割といったところ。

 

母の病気がわかってからも、しばらくは夫婦二人に任せていたけれど、父に任せていたらいつか母を死なせてしまう、と私が介入した。

それくらい、危機的にダメなのだ。

 

父も認知症が始まっているのかも?

そう思って認知症テストを受けてもらったこともあるけれど、結果は大丈夫だった。

確かに、父のボケは若い頃からなので、やっぱり天然なんだと思う。

頭は悪くないのに、なんか、ズレまくっていた。

今だから思うけど、一種の発達障害だったのかもしれない。

天然が老人になると、認知症と見分けがつかず、まったくややこしい。

 

母は認知症でボケているけれど、父は天然ボケ。

我が家の悲劇は、まずそこにある。

悲劇に見える喜劇かもしれないけどさ。