3歩前のことを忘れる女のサブカルと介護の記録

神戸に住む40代波野なみ松の、趣味と母の介護と育児に追われる日々の記録。

イヤイヤ言わないイヤイヤ期

パパ、ママ、とか単語レベルでしかしゃべれないサトイモだが、身体能力は一人前で、とにかくどこへでもよじ登る。

私がトイレに行ったり洗濯物をを干したりするとき、これまでならベビーサークルやベビーベッドに閉じ込めておけばよかったのが、柵をよじ登って出たり入ったりを自由にするようになってしまって、私の生活がとたんに不自由になった。


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洗面台にもよじ登り、ひとりでお風呂に入っている。


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冷水だから、さすがに寒くて懲りたんじゃないかと思ったけど、なんとこれまでに4回もやられた。

 

風邪をひくわけだ。

 

少々風邪をひいて熱があっても、サトイモのイタズラは止まらない。

炊飯の予約をしていた炊飯器のフタを開け、

水に浸している生米を掴んでばらまいた。


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豆まきは終ったんだぞ!

…ママは泣きたいよ。

 

児童館でその話をしたら児童館の先生に、

「手が届くところに置いてたのが悪かったと思うしかないわね」

と言われたけれど、イスを移動させてどこでも登るようになった昨今では、もう避難場所がない。

 

安全地帯のない、無法状態

食器棚からお皿を出して割る、ガスはさわる、コンセントは抜く、お客さんの靴は持ってくる…。

 

さらに困ったことに、移動中のベビーカーから脱出するという荒業を身につけ、スーパーで突然逃走するようになった。

連れ戻すとギャーギャー大声で騒ぐ。

 

レジ袋を詰めていると、隣にいたピンクの髪のおばあさんが、

「私は男の子二人育てたけど、あんな大声は出さなかったわ」

とわざわざ言ってきた。

はあそうですか。

 

まじで手に負えない。

 

家では相変わらずツバは吐くし、怒っても効いてないし、手が出る寸前。

虐待のニュースにふれると、明日は我が身、と思う今日この頃。

ますますブログを書く時間が取れない。

子どもを叱るということ

児童館や子育て広場に行ったとき、ちょっとした隙をみてライブラリーにある育児書を拾い読みしている。

その中で一番参考になったのが、「男の子のしつけに悩んだら読む本」という本だ。 

言うこと聞かない!落ち着きない! 男の子のしつけに悩んだら読む本

言うこと聞かない!落ち着きない! 男の子のしつけに悩んだら読む本

 

ますますパワフルになってきたサトイモのゴンタぶりに毎日手をやいているので、タイトルに惹かれて手に取ったのだけれど、読んでみるといちいち「なるほどなぁ」「ごもっとも」。

 

著者は男の子をしつけるのに、叱る必用はないという。

大きな怒鳴り声や暴力で一時的に言うことを聞かせても、怒る人がいなくなれば同じことを繰り返す。けれど、何度でも説得を繰り返して本人が理解をすれば、もう二度と同じことをしなくなる。

だから、静かに落ち着いて注意をすればよいのであって、大声で叱る必要はない。

…というのだ。

そして注意するときも、

「どこ行くの!」

「なにしてるの!」

「なんでそんなことするの!」

というような疑問詞で始まる叱り方をしないで、

「こっちへ戻っておいで」

とか

「危ないからやめなさい」

とかいうように、具体的な言葉で伝えるべきだという。

 

確かに、言葉がまだ未発達なサトイモに、

「どうしてこんなことするの!?」

と言ったところで、理由が答えられるわけないし、「こんなこと」が何を指示しているのかも理解できるわけがない。

 

…でも、つい言っちゃうんだよなぁ…。

 

だって、

「なんでそんなことするの!?」

と怒りだけじゃなくて驚きも混じってしまうくらい、常識では考えられないことをするのだ。

 

最近のサトイモのイタズラに、家具や壁にツバを吐きかける、というものがある。

何がきっかけだったかわからないけれど、

「ペッ、ペッ!」

と家じゅうツバを飛ばしてまわる。

私が、

「コラアァッ!何やっとんじゃあぁぁぁぁあっっ!!」

と追いかけていくと、サトイモはキャキャキャッ!と笑って逃げていく。

呆れたことに、たいてい犯行の前、

「ぼく、今から悪いことしますよ~」

と言わんがごとくに眉毛をつりあげてニヤニヤ笑いを浮かべる。

私に怒られたくて、わざとやっているのだ。

「やめなさい!」とつかまえて大声で諭しても、手首を握っている私の手にプップッとツバを吐きかけてくるから、「わあぁっ!」とビックリしてつい手を離してしまう。

 

放っておけばいいじゃないか、と思われる方もいるかもしれないが、彼は怒られたくてやっているので、私が怒るまでペッペッ、プップッをやり続ける。

 

…汚いじゃないの。

 

何度も何度も、「バッチイからやめようね」と優しく注意しているけれど、まるで効果はない。

「遊びと違うで!ママは本気で怒ってるんだからね!」

と本気度をアピール。

それも、どうにも伝わらない。

 

一時的でいいからやめさせたい。

けれど、大声で叱りつけたってサトイモは平然としている。

私の迫力が足りないのだろうか…。

 

こうなったら仕方ない。暴力に訴えよう。と、横抱きにしてお尻ペンペンしてみたが、オムツの上からだとポサポサとしかならない。

逆に、縦抱きに戻したときにサトイモがニコニコ笑いながら、私の顔をペシペシ叩いてきた。

向こうは手加減を知らない。小さな手は痛いったらありゃしない。

「やめてやめて!」

と泣きがはいるのは私のほう。

 

サトイモをギャフンといわせて言うことをきかせられる、ゴッドマザーになりたい。

今日ちょっとだけ効果があったのは、怒るときに箱ティッシュをテーブルに叩きつける、というもの。

バーン!と大きな音が出て、なかなかの迫力!

「怒っているんだぞ!感」が出せた、と自分なりに満足。

サトイモも一瞬目を丸くしていた。

 

会社で、「書類を叩きつける」「イスを蹴る」などは「パワハラになるからやってはいけない事項」と教えられていた。

今、あえてやっちゃいけないパワハラの手法を使ってみたらいいかもしれない。

全く、子供をビビらせる方法を試行錯誤する日々がくるとは情けない。

 

目指せ!子叱り名人!

そんな先週の火曜日、神戸市ファミリー・サポート・センター主催の「目指せ!子叱り名人!」という講座に参加してきた。

講座参加中は別室で託児があって、サトイモを預けてゆっくり受講できた。

講師の先生は普段は主に企業の管理職向けに研修を行っている人らしい。

kidanahoko.jp

 

サトイモをビビらせたい」という私の希望とは正反対に、子どもを叱りつけて言うことをきかせるのではなく、静かに諭して子どもと向き合おう、という内容。

「男の子のしつけ」の本と大筋において一緒だ。

 

「過去と他人は変えられない。変えられるのは未来と自分の行動です」

という話にちょっと胸を打たれつつ、ロールプレイングを通して隣の席の受講者さんと仲良くなったりして、講座はあっという間に終了。

 

手法というか発想として重要だと思ったのは、

「話の内容ではなく、話の背景にある気持ちを聴いてあげる」

というコミュニケーション術で、子どもだけじゃなくどんな人間関係においても使える。

「言い訳は決して悪いことではありません」

というのも、もっともだと思う。

 

残念ながら、1歳10カ月のサトイモはまだそこまで育っていないので、なんで問題行動をするのか自分で言い訳ができない。

ツバを吐く理由を代弁するなら、

「もっとママと遊びたい」

ということだろう。

 

でもなぁ…。

 

私が働いていたりして一緒に遊ぶ時間がないのなら、わかる。

でも、今は一日のほとんど、これ以上どうせーっちゅうねん!というくらいに遊んでやっている。

それなのに、最低ラインの家事の時間まで奪おうというのか、サトイモよ。

ちょっと相手になってやらないだけで、すごい声で泣き叫ぶ。

愛情欲求の貪欲さが空恐ろしい。

 

ほかの受講者と雑談していたとき、サトイモの「怒られたくてわざとやっている」ということについて、

「イヤイヤ期に入ったら、おさまってくるんちゃいます?」

と言ってくれた人がいた。

わかっていてわざとやる、というのも、成長の過渡期なのかもしれない。

 

2歳になれば、そろそろイヤイヤ期。

サトイモはまだ「イヤ」という言葉は言えないからまだ憎らしくないけれど、いずれ何を言っても、

「イヤ!」

で返される日がそこまで来ている。

 

その日までに、迫力ある恫喝を習得せねば。

保湿クリームと父のリハビリ

元旦に実家に泊まった際、行きと帰りに母の病院へ寄った。

行きは「明けましておめでとう」の挨拶をしただけだったので、いつもやっているようなボディケアは帰りにおこなった。

いつも使っている保湿クリーム(正確にはオールインワンジェル)を塗ろうとすると、中身がスッカラカン

12月に来たとき、「もうちょっとでなくなるな」と気付いていた。

けれど、このクリームを使うのは私くらいで、病院のスタッフはたまにしか塗ってくれないと思っていたので(だから2年前に入院したときに持ってきたものがまだなくならない)、そうすぐには使い切らないだろうと甘くみていたのだ。

昨日確認しておけばよかったな…、と後悔しても後の祭り。

なぜ急に減りが早くなったかはさておき、補充しておかないと塗ってもらえない。

仕方なくその場しのぎとして、サトイモ用に持っていたベビー用保湿クリームをチューブからブリブリとヒリ出して、スッカラカンの母の容器に入れた。

これで2、3日は持つか…、と病院をあとにした。

 

保湿用のクリームを買って病院に持って行ってほしい、と父に頼もうかとも考えたが、うちの父のことだから、

「保湿? それ何や?」

ということになるだろう。

そういうときいつもならネットで注文して実家に送り、届いたものを父に持って行ってもらうのだけれど、今回はなかなか決められなかった。

高いものを買ったところで、病院でどんな使われ方をしているかわからないし(急に減りだしたのが気になる)、安いものだと送料がかかってバカみたいだし、ちょうど手ごろなものが見つからないのだ。

保湿クリームひとつでこんなに悩むなんて。

父が話の通じるまともな人なら、「ドラッグストアで買って持って行って」で済むのにな…、と思わざるをえなかった。

いつも思う。父が常識ある普通の人だったらな…。

 

悩んだ挙句、解決策を思いついて、父に電話をかけた。

「来月私が保湿クリームを持っていくまでの間、家にあるクリームを持って行ってもらいたいんだけど」

「クリーム? そんなんあらへんで」

父の世界観では、「知らないもの」は「存在しない」ことになっている。

「あるのよ。和室のテレビ台の下にあるの」

実家に滞在中、サトイモはテレビ台にあるものをなんでもかんでも興味をもって取り出していて、私はずっと、「触りなさんな、バッチイから」「やめなさい、元に戻しなさい」とサトイモを押さえつけたり片づけたりで大変だった。

そうやって取り出してきたアイテムのひとつに、母が昔使っていたアロエのクリームがあったのである。

だから、確実にあることはわかっているのだ。

「お父さん、ちょっと探して」

「どこを?」

「だからテレビ台の下」

「もうかまへんやないか。クリームなんかなくても大丈夫やろ。来月なみ松が持ってきてくれたらええやんか」

父は入院中の母よりも、自分の「面倒くさい」を優先する人である。

寝たきり妻のために探し物をするくらい何てことないはずなのに、それを惜しむ。

そんな父にムカッとくる。

「あることはわかってるんやから、ちょっと探してみてよ! じゃあ、テレビ台の右側の2段目を探してみて」

もう少し具体的な指示を出してみる。

数年前に、もしかしたら父は軽い「大人の発達障害」かも、と思ったときから、やりとりに困ったらできるだけ細かく具体的に指示するように心がけてきた。

「2段目? ちょっと待ってよ…」

父はしばらくゴソゴソやってから、

「これか? アロエクリーム。1段目にあったぞ。2段目言うから全部中身を放り出したやないか」

父は不満げだった。

「ええやないの、どうせ毎日時間はたっぷりあるんだから、ゆっくり片づければ」

「簡単に言うけど、これ全部しまうんエライことや」

保湿クリームがなくなっただけで、こんなに大騒ぎになる。

 

後日、アロエクリームを持って行った、と父からメールが来たので、その夜に電話をかけた。

「持って行ってくれてありがとうね。ところで…」

と私は気になっていたことを尋ねた。

「今日はお父さん、リハビリの日と違うかったん? 月水金がリハビリやろ?」

「リハビリは休むことにしたんや」

父は少し面倒そうに答えた。

「次はちゃんと行きなさいよ」

「今月中は休む言うて連絡しとんや」

「ええっ!なんで!?」

「ほんまはやめたかったんやけど、ケアマネジャーが『やめてしまわんと、ひと月だけ休むことにしたら?』言うから、とりあえず休みにしたんやけどな」

「なんでやめるん。やめたらアカンやんか」

「もう3年も行っとんのに、ちっとも良うならんから」

 

父のその言葉を聞いて、またそこからか…、と心底ウンザリした。

 

父は脳梗塞の後遺症で左脚がうまく動かない。

それはどうしようもないのだ。

主治医も言っていた。

もう治らない。

 

でも。

脳からの命令がうまく伝わらないだけで、脚の機能が壊れたわけではない。

だから、動かさないと余計に悪くなる。

うまく動かないからといって歩かないと、右脚の筋力だって落ちてしまう。

だから、リハビリに通ってこれ以上悪化しないようにしましょう、とみんなで説得して行き始めたのに…。

私の出産前後も勝手にリハビリを休んで悪化し、赤ん坊を見に来ることができなくなってしまった前科もあるのに、父はそんなことすらすっかり忘れてしまったらしい。

 

「リハビリに行くことの、何が嫌なの?」

「嫌なことはないけどな、良うならんのに行く意味がない」

「結局、行くのが面倒くさいだけでしょ」

「まあ、そうやな」

 

母が大脳皮質基底核変性症を発症して左手が動きにくくなったばかりの頃、父はよく母を怒鳴っていた。

「もっと動かしてリハビリせぇ言うとんのに! 治そうという気が足りんから動かんのじゃ!」

そう言われると、母はいつも子どもみたいにムキになって、

「動かんもんは動かんのじゃ!」

と負けじと怒鳴り返していた。

私はいつもそれを引き合いに出して父を叱る。

「あのときのお母さんの気持ちわかるやろ? お父さんだって治そうという気持ちがないから脚が動かんの違う?!」

でも、父は母と違い、

「治す気はあるんやけどな」

と飄々と言っている。

「じゃあリハビリに通いなさい!」

「家で屈伸しとく」

「そんなん運動にならん!」

「ならんことないやろ。ちょっとはなるはずや」

「…なるかもしれんけど、リハビリのほうがプロが見てくれるんやから!」

「あんなんプロいうんかなぁ?」

「プロやんか、療法士さんは」

「あれやったら屈伸も変わらんで」

 

親子の会話はどこまで行っても不毛。

「ほんなら勝手にせぇ! 悪化して勝手に死んどけ!」

 

父が自業自得で悪化するのは仕方ないけれど、父が歩けなくなると、母の病院に行ってくれる人がいなくなる。

保湿クリームでさんざん文句は言ったものの、父がいるからこそとりあえずの補充ができたわけだ。

腹は立つけれど、母の入院生活は父の肩にかかっている。

なんとか父には頑張ってもらいたい。

屈伸運動、家で1万回やれ!

消防出初式と震災郵便ポスト

スーパーの行き帰り、サトイモに消防車をみせるために、ときどき隣にある消防署に寄る。

児童館で会うママたちに話すと、皆同じことをしているみたいで、子どもは本当に「働くくるま」が好きだなぁと思う。

あるとき、いつものように消防署の入り口でうろうろしていると、中から職員の男の人が出てきた。

怒られるかと思いきや、

「よかったら救急車に乗りますか?」

と言う。

「ええっ!?いいんですか!?」

まさかそんなことを言ってもらえるとは思わなかったので驚いていると、

「消防車は使えないんですけど、救急車ならいいですよ」

と、サトイモを救急車の運転席に乗せてくれた。

パパの車の運転席に座らせてもらうときは、ハンドルを握ってキャッキャ騒ぐくせに、大好きな救急車に乗っても微動だにしないサトイモ

ハンドルを握ろうともしないで固まっている。

ダメだ、私に似たのか、ここぞというところでヘタレを発揮…。

写真を何枚かパチリ。

カチコチの顔だけど、それも含めてとてもいい経験になった。

 

消防出初式

そのとき、消防署に消防出初式のポスターが貼ってあった。

夫も調べてくれて、1月5日、家族で消防出初式に行ってきた。


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メリケンパークに消防車大集合!

サトイモは大はしゃぎ…かと思いきや、やはり無表情。

この日は少し曇っていて風が冷たく、寒さでテンションが低いのかも、と思いながら、消防車の後ろやバンパーに乗せて写真を撮る。

何枚か撮って、もういいだろう、とサトイモを降ろすと、泣いて嫌がる。降ろすなということらしい。

はいはい、と別の消防車の後ろに乗せる。

消防車は何台も来ているけれど、だいたいどれも似たようなものなので写真を撮るにも飽きてきたし、許可を得ているわけじゃないのでずっと乗せているわけにもいかないし、降ろすと泣くので困った。

 

出しものの中に、「未来っ子消防隊防火パレード」というのがあった。

子どもたちが消防隊員のコスチュームにヘルメットをかぶって、消防車に乗ってパレードする。

「いいなぁ、サトイモも出たかったね」

と言いながらパレードを見ていると、子育て広場でよく顔を見る男の子がいた。

お母さんがいたので声をかけると、

「応募は4歳からやから、サトイモくんは2年後やね」

 と教えてもらった。

あと2年、これは待ちきれない!

 

出しものの中で、おそらく神戸の出初式ならではかも、と思ったのが、岸壁からの一斉放水と海保の船による海上放水だった。f:id:naminonamimatsu:20200117142020j:image

圧巻の見ごたえ。

でも、それよりも私と夫が一番ワクワクしたのは、ヘリコプターを使った救助訓練。

救急隊員たちがものすごい高さからロープを使って滑り降りてくるのは、すごく迫力があった。

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「そんなに消防車が好きやったら、将来消防隊員になるか」

と言っていた夫が、

「ヘリコプター、かっこええなぁ。サトイモも航空機動隊に入るか」

とあっさりヘリコプターに乗り換え。

当のサトイモは何もしゃべれないのに、いかにも親バカの会話。

 

震災の記憶を風化させないために

入り口の近くには展示コーナーがあって、そこには航空機動隊の展示ブースがあった。

ほかにも、防災クイズのコーナーがあって、夫と二人で参加して景品をもらったりした。

その並びに、

「震災の経験談を募集してます」

と書類を配っている人がいた。

震災郵便ポストという企画で、阪神淡路大震災を風化させないために、経験談を募集しているという。

「協力してくれる方には、消防隊カレーを差し上げています」

えっ!?

消防隊カレー!!

「書きますので、カレーください!」

カレーにつられて、記入フォームをもらった。

「出してくれるのを信じて先にカレーを渡しますから、絶対書いてくださいね」

長田消防署、なかなかの太っ腹である。f:id:naminonamimatsu:20200117150521j:image

経験談の締め切りは1月末になっていた。

まだまだと思っていてもすぐに期限が来てしまうよなぁ、早く書かなきゃ、先にカレーもらっちゃってるもんなぁ、と思いながら日が過ぎた。

 

昨日の夜、サトイモがなかなか寝付かなくて、大人のベッドで添い寝しながら寝かしつけをした。

案の定、私も一緒に居眠りしてしまって、気が付くと午前3時。

6時間寝たんだから、このまま起きててもいいのかもしれないなぁ、と思いつつ食器を洗っていたら、震災郵便ポストのことを思い出した。

いい機会だから今やろう、と真夜中の宿題。

 

偶然にも1月17日だった。

 

せっかく返信用封筒をもらったけれどメールで送信し、さあ、 この勢いでブログも書こうか、というところで、サトイモが泣きながらやってきた。

目を覚ますとママがいなくてびっくりしたようで、目をこすりながら泣いている。

仕方なくベッドに戻ることにしたのが、午前5時半。

もうすぐ5時46分だな…。

サトイモをトントンしながら再び眠りについた。

 

出初式のオープニングで、小学生による「しあわせ運べるように」の合唱が披露されていた。

なんと夫はこの歌を知らないという。

「この歌聴くと泣いてしまう。聴かさんとってほしいわ~」

と私はおどけて逃げるように歩いたが、観客席には本当に何人か泣いている大人たちもいた。

今日はいろんなところでこの歌が歌われていることだろう。

あれから25年も経った。

ついこの間のようで、ものすごく昔のことのような気がする。

明けましておめでとうございます。

もう8日にもなってなんですが、明けましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いします。

 

年末まではサトイモの生活リズムが整っていたので、昼寝も夜寝もすんなりだったんだけれど、年末年始ですっかり狂ってしまった。

昼寝はしないわ、夜は寝付かないわ、おまけに夜中にグズって暴れだすわでなかなか自分の時間が取れなかった。

子どもが寝てくれている間が唯一のリラックスタイムなのに!

お願いだから寝てくれ!!

と、年明け早々愚痴ってしまったけれど、2日の初詣でひいたおみくじが大吉で、今年は良い年になりそうな予感。信じるものは救われるノダ!

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胸のつかえが下りたこと

年明け、まず気分良くなったのは、大学時代の友人Yちゃんから年賀状が届いたことだった。

Yちゃんは数少ない大学のゼミ友達で、卒業後も年に1、2回は会って一緒に食事をする仲だった。

私とは違って平均的な年齢で結婚したけれど、お相手がバツ2で20歳年上というなかなか平均的ではない旦那さんだった。

Yちゃんは仕事もしていたし趣味もいろいろ持っていたし、結婚はしたけれど、私はYちゃんをシングルの私と同じように思って遊んでいた。

会うときは贅沢してそれなりのフレンチを食べる、というのが2人の楽しみだった。

子どもを持つことなんて、ほとんど話したことがなかった気がする。

40歳になったとき、

「まだまだ子ども作る気満々だよ~」

という彼女に、

「本当にそう思ってるんだったらもっと焦らなきゃ無理でしょ!」

と説教した記憶はある。

子どもが欲しい欲しいと言いながら不妊治療しないなんて、本気じゃないんだろう、できたらいいなという願望があるだけなんだな、とタカをくくっていた。

 

ところが、私がうっかり妊娠してしまって、

「これでしばらく会えなくなるかもしれないから」

と食事をしたときのこと。

これまでどんなに子どもが欲しかったか、と彼女は言った。

そしてまだ諦めてないとも。

「でも、旦那さんもう還暦過ぎてるでしょ。精子だって年齢関係あるらしいよ」

私は自分が高齢で子どもを授かったことを棚に上げて、残酷なことを言った。

不妊治療してる人たちだってなかなかできないのに、難しいんじゃない?」

と、彼女たちがなぜ不妊治療をしないのか理由も聞かず、追い打ちをかけた。

 

サトイモが生まれて、去年の年賀状はスタジオアリスで撮ったサトイモがイノシシの着ぐるみを着ている家族写真を送った。

彼女からの返事は来なかった。

 

ずっと子どもを望んでいたのに授からなかった彼女に対して、偶然妊娠してしまった私が不用意に言った言葉は、どれだけ彼女を傷つけてしまったのだろう…。

後々考えれば考えるほど後悔した。

 

私はもうYちゃんに見放されてしまったのかなぁ…。

そう思うと、私から連絡をするのも気が引けた。

 

それが今年、Yちゃんから年賀状が届いた。

どんなにかうれしかったか。

 

年々お正月らしいことをしなくなってきた日本。

年賀状もそのひとつで、どんどん枚数が減っている。

私が今年出したのは20枚にも満たなかった。

そんな枚数でさえ、年末に年賀状を作成するのは正直面倒くさい。

それでも、こんなふうに大切な友達からお便りが来る。

年賀状という存在はありがたい。

 

友達はいいもんだ

もうひとつ年賀状に感謝したのは、母の友人のちーちゃんから電話があったことだ。

母が病気になって以降、母の友達には私から年賀状を出している。

最初は代筆から始まり、連名になり、最近では母ではなく私自身として年賀状を書くようになった。

もちろん、年賀状を出す母の友人たちは私も顔見知りの人ばかりだ。

特にちーちゃんは何度かうちに遊びに来ていたし、一緒にコンサートやオペラに行ったこともある。

母が病気になってからも、何度かお見舞いに来てくれた。

 

「年賀状もろてお返事が書きたいとこなんやけど、字が書けんようになってもうて。電話でごめんなぁ」

ちーちゃんと話をするのは2年ぶりだった。

本人も大腸にポリープができて手術をしていたり、旦那さんもパーキンソン病になっていたりで心配していたので、電話口の声がちっとも昔と変わらないことに安堵した。

 

ちーちゃんは去年、母のお見舞いに行ってくれたそうだ。

「私らしわくちゃのおばあさんやけど、たか松ちゃんはしわもソバカスも消えて、キレイな顔になったなぁ。病院におって日に当たらんかったら、あんなキレイになるもんやろか」

身体が動かずしゃべることもできない母について、ちーちゃんはネガティブなところを全く言わず、母の娘時代からのコンプレックスだったソバカスが消えたことを誉めてくれた。

 

お互いの近況や共通の知人のウワサをゲラゲラ笑って話をして、気が付けば1時間以上長電話していた。

「年賀状でサトイモちゃんを見るのはうれしいわぁ。また年賀状送ってな。返事はよう出さんけど」

そういえば、お母さんもこんなふうによくちーちゃんと長電話してたよなぁ、と思うと、自分が話しているのに母がそこにいるような気がした。

 

元旦・2日と母のお見舞いに行って、母が帯状疱疹にかかっていることを知った。

免疫力が落ちている高齢者の患者にはよくあるらしい。

うちの夫いわく「出産より痛い」という帯状疱疹

痛いとも言えず痛みを我慢しなければならない母が不憫で、何もしてあげられないことに暗い気持ちになっていた。

 

でも、ちーちゃんのようなお友達がいて、

「またお見舞いに行ってもええやろか」

と言ってくれることは何よりの救いだ。

 

友達はいいもんだ。

つくづくそう思う2020年の年明け。

さよなら2019

私が毎週楽しみにしているラジオ番組「東京ポッド許可局」で、今月も「今年が一番早かった」「年々早くなってる」という話をしていた。

みんな「一年あっという間だった」と言う。

うちの夫なんて、「こないだ忘年会したのに!」と言っていた。

みんなそう。

 

なのに、日本人の大多数と違い、私だけは「今年は遅かった」。

 

許可局で「9月になったら大晦日」とプチ鹿島が注意喚起してたから、気をつけて生活していた、…というわけじゃあない。

毎日はあっという間に過ぎる。

自分の時間がほとんど持てないくらい、やるべきことをこなしたら一日が終わっている。

早い早い。

 

けれど、いろんなことがたくさん起こりすぎて、昨日の出来事がずいぶん昔のことに感じる。

「あれ、今日まだ火曜日だった。今週に入ってから2日しか経ってないのか…」

そんなふうに感じるのである。

年賀状を作るためにスマホのアルバムアプリで画像を振り返っていたら、今年の春先までサトイモが赤ちゃんだったことに驚く。

サトイモが歩き始めたのが6月。

まだ半年しか経ってないけれど、感覚としてはずいぶん前から走り回っているような気がする。

奴がハイハイしていたことをもう忘れている。

それに、去年の今頃なんて、まだバリバリに授乳していた。

今となっては、自分から母乳が出ていたなんて信じられない。

哺乳瓶を使っていたのも、ずいぶん昔のような気がする。

 

「今年は遅かった」だなんて、大人にはありえない。

なんで私はこんな奇妙な時間感覚なんだろう。

 

考えるに、私はサトイモ目線で時間を過ごしているんだろうなぁと思う。

 

ほかのママに「今年は遅かった」と言ったら、

「早かったよぉ!」

と驚かれた。私だけがおかしいのかもしれない。

「でも、すごく濃い一年だった」

そうそう、そのとおり。変化がめまぐるしくて、本当に濃い一年だった。

 

最近特に、サトイモに感謝する気持ちが大きくなっている。

44歳にもなって、「一年が長かった」なんて思えるのは、サトイモが生まれてきてくれたから。

いろんなことで、自分の変化や発見を感じた一年だった。

 

今年ももうすぐ終わり。

ブログを書く時間がどんどん取れなくなってきているので、きっとこれが今年のラスト。

皆様よいお年を。

今年は「ぶーぶー」で暮れゆく。

男は男らしく、女は女らしく、なんて時代は終わった。性別による固定概念なんて打ち砕いて、自分が好きなように生きればいいじゃないか。

…と思ってきたけれど、そんな信念が揺らぐほど、小さい子どもたちの男女差があまりにクッキリしているのに驚く。

教えたわけじゃないのに、男の子はどうしても「男の子がやりそうなこと」をやるし、「男の子が好きそうなもの」を好む。

男と女は別の生き物なのだなぁ、としみじみ。

 

例えば、オモチャのベビーカー。

女の子は必ずぽぽちゃんなどの人形を乗せるけれど、男の子はカラで押しても平気。

どういうことかというと、女の子はおままごととしてママのマネをしているから、ベビーカーに赤ちゃんは必須。

「これからスーパーに買い物に行くの」なんて設定までつけてる。

つまりベビーカーは生活道具なのだ。

それに対して、男の子は単に手押し車として使っている。押して車輪が動けばいい。

車そのものが重要なのだ。

 

これはおそらく大人になっても傾向は同じ。

自動車を単なる生活道具として使う女性に対して、男性は自動車という存在そのものに惹かれる。

女の私からすると、なんで男性はあんなに車にワクワクするのか、理解不能である。

 

今年は「ぶーぶー」元年 

いつの頃からか、サトイモは「ぶーぶー」一辺倒の子になってしまった。

車さえ与えておけば済むのだから単純明快。

 

子どもが車好きだと、私も車に反応してしまう。

今年はたくさん車を見た。

 

まず、11月10日には「兵庫カーライフフェスタ」というメリケンパークで開催されたイベントを見に行った。

www.carlife-festa.com

主な目的はパトカーとの記念写真だったんだけど、ほかにも大型トラックの運転席に乗せてもらったり、傾斜45度の坂道の体験をさせてもらったり、意外と楽しめたイベントだった。

45度体験はまるで遊園地のアトラクションのように楽しくて、人が並んでなければもう一度乗りたかったくらい。

サトイモもよほど楽しかったようで、降りてからもずっとその様子を眺めていた。

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サトイモは手当たり次第試乗車に勝手に乗り込んで、運転席に座っていた。

いくら試乗車とはいえ、まったく買う気もないのに座ってみるなんて、こういうイベントじゃなかったらできない。

 

12月8日、母のお見舞いの帰りに、「COPPA DI HIMEJI」というクラシックカーのイベントを見に行った。

coppa-di-himeji.com

夫もサトイモクラシックカーにはあまり興味がないのだけれど、クレイジーケンバンド横山剣さんがエントリーしているということで、これを見るのは私の希望。

クラシックカーといっても大昔の車ばかりではない。

ランボルギーニなどのスーパーカーも走っていて、男性陣はそれなりに興奮。

剣さんも間近で見れて、イイネったらイイネ!

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そしてクリスマス。

うちのゴンタ坊主のところにもサンタクロースがやってきてくれた。

包装紙を開けたら、なんと欲しかったパトカーのオモチャが!

思わずキスをするサトイモ

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サンタさんには私からLINEでプレゼント発見時と包装を開けたときの画像を送っておいたのだけれど、出張の飛行機の中で何度も何度も君が喜ぶ画像を見たそうだよ。

 

好きでも別れなきゃいけないこともある

男は車が好き。運転も好き。

それはわかってる。

でも、あきらめてほしいのが、うちの父だ。

「COPPA DI HIMEJI」で剣さんを見に行く前に実家に行っていたのだが、いきなり父が、

「カレイの一夜干し、いるか?」

と言う。

一夜干しなんてどうしたのか尋ねると、

「一昨日、浜坂へ行っとったんや」

というではないか。

「浜坂!?」

浜坂というのは、兵庫県日本海側、新温泉町にある漁師町で、家から片道3時間ほどかかる。

父は浜坂の海産物が好きで、昔からときどき買いに行っていた。

元気な若者でも疲れるロングドライブを、脚が不自由な81歳の老人が行くなんて無茶もほどほどにしろと言いたい。言ったけど。

 

父は私たちが来るので何か買ってやろうと思ったんだろう。

気持ちはうれしい。

けれど、娘としては近所のコンビニまで運転するのでさえ心配なのだ。

まして浜坂まで行くなんて…。

本人は、

「安全運転しとうで」

とケロリとしているが、本当のところはわからない。

事故を起こして本人が死ぬならまだいいけど、もしも他人様を傷つけでもしたらと考えるとゾッとする。

来年こそは免許を返納してもらいたい。

 

ただ、父から車を取り上げたら、10歳は老け込むだろうな。

同じ運転免許の返納でも、男性と女性では失うものの大きさが違う気がする。

1歳の子どもでも心を奪われるんだもの、80の老人だって同じ気持ちをまだ持っているに違いない。

返納後、父のその喪失感をどう埋めるかが問題だ。