3歩前のことを忘れる女のサブカルと介護の記録

神戸に住む40代波野なみ松の、趣味と母の介護と育児に追われる日々の記録。

2番目のタフガキは誰に似たのか。

人の性格は生育環境とか人生経験とかに大きく影響されるものだと思っていたけれど、子育てをするようになって、見る目が少し変わった。

というのも、生まれて間もない赤ん坊でも、それぞれ性質が全然違っているからだ。

泣いて泣いて親を困らせる子もいれば、眠ってばかりののんびり屋もいる。

ましてや少し成長すると発達の個人差も出てくるので、さらに違いが大きくなる。

うちのサトイモみたいに何にでも興味を示して率先して手を出す子もいれば、水遊びすら怖がって泣く子もいる。

児童館や子育て広場で0~3歳までの子どもたちを見ていても、発達も個性も一人として同じ子はいない。

そうなると子育てしている母親同士で話していたって、

「へぇ~、チャイルドロックが必要ないの⁉ いいねぇ!」

とか、

「果物を食べてくれるならいいじゃないの、ビタミンが摂れて。うちはお菓子しか食べてくれないのよ」

とか、「へぇ~」のオンパレードだったりする。

人と比べるのはナンセンスだとわかっていても、「それだったらうちの子のほうがマシかな」とか「わ、うちの子は遅れてるぞ!」などと思ったりもする。

児童館でも子育て広場でもよく会う子どもたちのうち、一人ズバ抜けてヤンチャな、ジャイアンみたいな子がいるけれど(その子の話はまたいずれ)、うちのサトイモはその子に次いでゴンタな性格である。

アンダーワールドのアルバムのタイトルに『Second Toughest In The Infants(邦題:2番目のタフガキ)』というのがあったけれど、まさにガキの中で2番目に強い奴なのだ。

 

他人と比べて違いがあるのは当然なんだけれど、

「まるでクローンのように瓜二つ」

と言われている夫の子ども時代と比べても、サトイモの性格はまるで違うらしい。

お姑さんから、

「はるくんは大人しかったから育てやすかったけど、この子はほんまにゴンタやわ」

と毎回言われる。

正直、子育ての大変さはいろいろあるだろうけど、大人しい子とゴンタ坊主では当然後者の母親のほうがキツイ。

「女の子はもっと大人しいで。下の子がそうやった。お人形さん抱いてじっと遊んどったもん」

えっ、じっとしてくれる子どもなんているの?!

私としては目からウロコである。

「この子はちょっともじっとしてへんから大変やな」

とお姑さんが同情してくれるように、最近の私は毎日ヘトヘトである。

「この性格は一体誰に似たんやろう?」

お姑さんも夫も私も、それがみんなの疑問なのだった。

 

このお盆休みには、夫にお願いして王子動物園とうちの実家に連れていってもらった。

王子動物園には「ふれあい広場」というコーナーがあって、ガチョウやヤギなどが放し飼いになっている。

普通の子どもなら怖がってもよさそうなものだけれど、うちのサトイモは平気でアヒルの群れに入っていくし、ホロホロ鳥も追いかけて行く。

すぐそばをカピバラが走り抜けていっても驚きもしない。私のほうがビックリしてビビッてしまった。


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うちの母のお見舞いに行っても、病院の雰囲気に委縮することもなく、母に近づけるとすぐに鼻のチューブを引っ張ろうとする。

夫は、

「そんなん抜いたら死ぬぞ!」

と慌てるけれど、経鼻栄養のチューブだから抜いても死んだりしないのだが。

毎回、お見舞いに行くと母の爪が伸びているので切って帰るのだけど、その間、サトイモと母が向かい合わせになるようにベビーカーを置く。

お互い、「あ~」しか言えない。

サトイモ、おばあちゃんだよ。お母さん、待望の孫さんだよ」

と声をかけるけれど、どちらもわかってるのかわかっていないのか。

私のことはまだわかっているように思うけれど、今回、「この子、誰?」とでも言いたげな母のまなざしで、サトイモを孫だと理解できていないんだろうなと感じた。

幸い、母は本当に子どもが大好きな人だったので、小さい子どもを見ているだけで喜んでいるだろうと思うけれど。

 

反応がだんたん鈍くなる母とは逆に、サトイモは私たちが言っていることをグングン理解するようになってきた。

きっとうちの両親についても、お祖父ちゃんお祖母ちゃんだということをわかってくれているんじゃないかと思う。

しわくちゃでタバコ臭いうちの父にも笑顔で接してくれて、帰り間際には車の中から手を振ってくれるサトイモ

人見知りせず、泣いたりしないのがありがたいなぁ、と、小さなタフガキに毎回感謝である。

 

翌日、父とメールのやりとりをしていると、こんな一文が。

「遊びに行っても目を離すな。小さいときのなみ松に似ている」

えっ、私!?

落ち着きないのは、私に似たってこと?!

…ちょっとショック。

でも、しゃーないな、私の子やもんな、と開き直るしかない。

今日も一日、追いかけ回して疲れた。

遊ぶばかりで戦わず

先月からサトイモが歩けるようになって、画期的に行動範囲が広がった。

幼稚園の園庭開放に行ったり、保育園のプール開放に行ったり、近くの公園で砂場遊びデビューしたり。
普段よく歩いている商店街もサトイモにとっては大冒険。
散歩中の犬をなでさせてもらったり、勝手にギャラリーに入っていったり、あまりの興奮に奇声をあげながら走り出したり、こちらがひやひやすることもあるけれど、歩くだけで大興奮しているサトイモを見ると、私まで毎日が大冒険をしている気持ちになる。

土曜日には、近くの通りでみなとこうべ海上花火大会の花火を見た。

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会場に行かなくても、ビルの隙間から十分見えた。

去年のサトイモはスヤスヤ寝てるだけの赤ん坊だったので、家の中で花火の音をうらやましく聞いているだけだった。

それを考えると、もうサトイモがほとんど幼児になっていることにしみじみする。

この夏は、毎日毎日新しい発見と新しくできるようになったたことが次々と湧いてくる。

 

ズーラシアンブラス&弦うさぎ

今日は初めての音楽コンサート。

ズーラシアンブラス&弦うさぎの『音楽の絵本』というコンサートで、動物さんたちが楽器を演奏してくれるのだ。

(下記動画は参考までに。)


「音楽の絵本」編(2018年4月放送)

サトイモにはできるだけたくさん経験させてやりたいし、私自身も何だって見たり聞いたりしたい性格だから、0歳児から参加OKというのでうれしがってチケットを取ったものの、最近大暴れするサトイモが不安だった。
ひと時としてじっとしていることがなく、図書館のおはなし会に行ってもずっとうろうろ。
私が抱きかかえても、お得意のローリング攻撃で逃げていく。

ホールでの音楽コンサートなんて、耐えられるだろうか…。

私がケチってサトイモの席を取らなかったのも不安を増幅させていた。コンサートの間中サトイモは私のひざの上にいないといけないので、暴れたらまたあごを頭突きされるのは必定。

しかも運の悪いことに座席はど真ん中で、騒いだとき連れ出そうにも、同じ列の何人もの人に「すみません、出させてください…」という迷惑をかなければならないのだった。

コンサートの日が近づくにつれ、気が重いなぁ…、サトイモにはまだ早かったのに失敗したなぁ…、と心配ばかりだった。


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ところが。

始まってみると、サトイモは大人しくステージを眺めて、私のひざの上で大人しく鑑賞してくれた。
休憩時間には相変わらずのはしゃぎっぷりで会場内を歩き回っていたけれど、動物さんたちが出てきて音楽が始まると、不思議とじっと聴いていてくれた。

音楽の力!!

実際、それくらいズーラシアンブラスは最高だった。

もちろん小さい子を飽きさせない工夫がされているからなんだけれど、生の迫力と演奏の素晴らしさが大きかったと思う。

私はいっぺんにトランペットのライオンさんのファンになってしまった。

 

行きはよいよい帰りは怖い…

ステージは文句なしだったし、サトイモは大人しかったしで、私は大満足で会場を出ようとしたけれど、そこから家までが遠かった…。

まずはホールの扉を固定する床の金具に夢中になり足止めを食らった。
次はコインロッカー。サトイモは扉をひとつずつ開けて中を確認しないと気が済まない。

会場を出るまでも時間がかかったが、道を歩いている間どんなに苦労したか…。

抱っこしてもベビーカーに乗せようとしても嫌がって泣いて暴れるので、歩かせるしかない。
自分の足で機嫌よく歩くけれど、寄り道ばかりで一向に進まない。
駐車している車のヘッドランプ、他人の家の門の取っ手、マンホールのふた、ポスト、自販機の取り出し口、自転車の反射板などなど、何だって気になって寄っていき、立ち止まってしまう。止まるだけならいいけれど、逆戻りや横道も繰り返し、そのたびに「そっちじゃないよ!」と抱えて連れ戻す。
ベビーカーを押しながらだから大変だった。

とっとことっとこ歩いていくサトイモのために、先日、ハーネス付きのリュックサックを購入した。
自由に歩きたいサトイモは手をつなぐのも嫌がるので、後ろからハーネスを引いて管理するのが上策だと考えたのだ。

ところが、今日歩いているうち、サトイモがそれに気が付いてしまった。

私が紐を持っているのをやたらと怒って、紐を振り回して外すように訴える。
しゃべれもしないくせに、生意気な奴だ。
「はいはい、わかりました」
と、ハーネスをいったんリュックに仕舞うと満足して歩いている。
こっそり後ろから取り出して、気づかれないように後ろからまた紐を持って歩いていると、何かの加減でまた紐が見え、サトイモが怒りだす。

自動車や自転車などの危険から守るためにやってるんだけど、サトイモには自由を束縛されているようにしか感じないのだろう。

俺を自由に歩かせてくれ!!
1歳児には1歳児なりのプライドがあるのだ。

 

自由にも制限が必要とか冗談じゃねーよ! 

今日は「音楽の絵本」のおかげで素晴らしい一日だったけれど、ひとつだけどうしようもなく嫌な気分になることがあった。 

それはあいちトリエンナーレの中止に関する話題が取り上げられているワイドショーでのことだった。
たまたまテレビをつけたらやっていただけの、見る気もなかった番組だ。

日韓関係とか従軍慰安婦とかについても考えないわけではないけれど、それよりも私がショックを受けたのが、問題になっている慰安婦像に対する立川志らくのコメントだった。

「多くの日本人が不快に思うものを私は芸術とは思わない」

立川志らくの落語を聴いたことはないけれど、これまでなんとなく頭のいい洒落のきいた人だと思っていた。だけどとんだお馬鹿さんだ。

胸糞悪くなった。

例えば、印象派絵画の先駆者エドゥアール・マネの「草上の昼食」という作品がある。

ja.wikipedia.org

パッと見、今の日本人でこれを不快に思う人はいないだろう。

けれど、当時はこれが批評家たちにバッシングされ、大きなスキャンダルになったそうだ。(山田五郎の話の聞きかじりだけど。)

というのも、当時女神など神話以外で女性のヌードを描くのはもってのほかで、しかもこの女性が娼婦であるのは当時の人には一目瞭然だったからだ。

当時のフランスでは多くの人がこの作品を不快に思っていた。

じゃあ「草上の昼食」は芸術ではないのか?

前衛的な作品というのは、常にそういうところから生まれて、社会に問題提起をしてきたものだ。

システィーナ礼拝堂ミケランジェロの壁画だって、あんなマッチョなキリストなんて、と当時はひどく嫌がられたそうだ。
そして最初は全裸だったのに、腰巻を上書きさせられた。

「不快なものは芸術と認めない」なんてナンセンスも甚だしい。

マネやミケランジェロは宗教上の問題で、日本の慰安婦は政治思想の問題だから、論点が違うと言われそうだけれど、自分の価値に合わないものは表現の自由を奪っていいという考えでは同じだ。

従軍慰安婦についても、日韓の国民レベルでお互いの意見をぶつけ合えばいいだけじゃないか。

なんで脅迫とかになるの??

 

そんな風潮が日本に広まるのが私は怖くて仕方がない。

音楽に置き換えてみたらどうか。

美しいメロディこそが音楽で、パンクやノイズは音楽だと認めない。

パンクやノイズの会場は封鎖する。出演をやめさせる。リリース中止にする。などなど。

ありえない?いや、ありえるかもしれないじゃないか。何が起きるかわからない。

いつだったか右翼芸人の鳥肌実がどっかの美術展で出演が取りやめになったということがあって、そのときも腹が立った。右とか左とかの話じゃないのだ。

どんなに醜くても、どんな思想がバックボーンにあっても、表現は自由じゃないといけない。

 

オーケン心から愛しているファンだけれども、ひとつだけオーケンはダメだなぁと思う点がある。

それは政治に対する無関心だ。
ひょっとしたら選挙にも行っていないかもしれない。

政治について語るのはカッコ悪い、というようなことをかつてインタビューで話していたことがある。
80年代はそうだったかもしれないが、令和の時代にそんな呑気なことを言っていてはダメだ。このままでは政治に表現の自由を殺されてしまう。

筋肉少女帯に『これでいいのだ』という曲があって、これは冤罪をテーマにした歌なのだけれど、例えば主人公の犯した罪が「政府の悪口」だったとしたらどうかと考えると恐ろしくなる。

『これでいいのだ』を知っている人は、反政府的なツイートをした青年の話だとして聴き直してみてほしい。

テレビの男が言う

西から登ったお日様が東へ沈む

これでいいのだ

そうだ

これでいいのだ

だがしかし、だがしかし…

実際、中国ではそんな冤罪は日常茶飯事だと聞く。

 

茶色の朝がそこまで来ている

最近、「茶色の朝」という寓話について知った。

kokocara.pal-system.co.jp

時間がなくてまだちゃんと読んでいないけれど、今の日本がだんだん茶色の朝に近づいているのはわかる。

もうすでに日本はどうかしてしまっている。
参院選以後もネットではおかしなニュースばかりだ。

サトイモの未来のためにも茶色い朝が来ないように戦わないといけないと思うけれど、サトイモと遊ぶのに忙して、何もしないまま日々が過ぎていく。

ちなみに、『茶色の朝』の本の挿絵を描いているのがヴィンセント・ギャロだというのが面白い。

ギャロといえば『バッファロー'66』の主演で有名だけれど、私が思い出すのは大阪のClub Dawnであったはずのライブだ。

元町高架下のバーでフライヤーを見て、

「ギャロが来るんや!行こうかな!」

と私が言うと、Club Dawnが摘発されて会場が急遽変更になったことを見知らぬお客さんが教えてくれた。

摘発理由は「音楽をかけて客を踊らせた罪」だという。

はあ???

そのときも私表現の自由についての怒りが爆発した。

表現の自由の阻害。私の怒りの沸点はいつもそこ。

今日も怒りにむしゃくしゃしたまま、このまま寝る。

けれど、また朝を迎え、何もせずに育児に追われてしまうのだろうな…。

お風呂で排泄あれこれ

私が毎週楽しみに聴いているラジオ番組『東京ポッド許可局』で、マキタスポーツがお風呂でおしっこしてしまう癖について告白したことが反響を呼んでいたことがあった。

実を言うと、私が育った家庭では浴室でおしっこをすることが許容されていて、例えばトイレが混んでいるときなんか、

「早ぅ出て〜!もれてまう〜!」

とノックしようものなら、

「間に合わんのやったらお風呂場でしとき〜」

と言われていた。

父も母もそんなだったから、全く困ったものだ。

 

父のえらいこっちゃな話

その延長線上にある話というか、父がこんなことを言った。

「便秘はアカンな。風呂で温まったらつい出てまうな。上がりしなに、ぷ〜、いわしたら実が出てもうた」

「やだ、汚い!!」

最初は私も笑いながら話を聞いていた。

「それもな、最初にグリコみたいな硬いのんがポロっと落ちて、あれっ、と思たら、それが尻に栓して便秘しとったんやろな。そのあとドバドバドバ〜!とようさん出て往生したで〜」

ええっ!?!お風呂場で?!?!?!

そこから私、ドンびき。

「シャワーで流したけどな〜、硬いグリコみたいのんがなかなか流れんで、排水溝に詰まって苦労したわ。掃除のブラシでぎゅうぎゅう押し込んで、ようやく流れたけどな〜」

やめろ〜っ!!!

お風呂場はトイレじゃないぞ!!!

固形物を流すんじゃない!!!

泊まりに行ったら私たちもそこでお風呂に入ることになるので、ゾッとなってしまった。

しかも、普段ヘルパーさんが掃除をしてくれているので、申し訳なくてしかたない。

普通のお風呂場だと思って油断して掃除してて、万が一…と思うと気の毒すぎる。「その前提」で落ちている茶色の物質とかに気を付けながら掃除できたらまだマシかもしれないけど…。

繰り返し言う!

掃除をしてくれる人のためにも、お風呂場とトイレは区別すること!

 

サトイモの場合

マキタスポーツも、小さい子供がお風呂で平気で出すことに言及していたけれど、サトイモもときどきお風呂でおしっこを出してしまう。

こないだはけっこう勢いよく出ていて、いわゆる「立ちション」状態だった。

何にもつかまらずに「立っち」して歩けるようになったのが先月下旬くらい。

だからそんなふうにおしっこをする姿はそのとき初めて見た。

本人も自分から液体が出る様子を珍しそうに眺めていた。

終わったあと、もう出ないの?と尋ねるごとく、自分のものを引っ張っていたのが可愛らしかった。

私がサトイモのおしっこを目撃したのはそれを含めて3、4回で、いずれも洗い場でのことだったけれど、夫が目撃したのは湯船の中だった。

抱っこして湯船につかっていたとき、あそこから小さな水流が出ていることに気が付いたそうだ。

「顔を見たら表情ひとつ変えずにしれ〜っとやっとったからな。ビックリしたわ」

しかも夫が言うには、

「あのかんじは初犯じゃないで。これまで気が付かんかっただけで、絶対何回もやっとうで」

ということだ。

おいおい、いつもお風呂の残り水で洗濯してしてるんだぞ…!!

父といい、サトイモといい、全くなんてこと!!

 

尿意は大人には当たり前だけど

子育てするまで知らなかったけど、赤ん坊には「尿意」というものがないらしい。

だから、サトイモが湯船でしちゃっても悪気がなくて当然なのだ。

今入会している「こどもちゃれんじ」では、トイレトレーニングについてガンガン掲載していて、「トイレちゃん」の刷り込みが始まっている。

1歳前半のサトイモにはまだ早い気がするけど、スムーズなオムツ外れには早いくらいでちょうどいいのかもしれない。

反対に老人も、歳を取ってボケがくると尿意がわからなくなってしまうものだ。

母はそれを確認する前にしゃべれなくなっていたけれど、たぶんもう尿意は感じてないと思う。

尿意ってわかるとかわからないとかいうものだったんだなぁ。

老人は赤ん坊に戻っていくというけれど、大人が当たり前に思っていることが、実は発達して獲得した能力なんだと気付く。

介護と子育ての両方をやることで、人間の体を知ることが多い。

radikoヘビーユーザーは夫婦の違いに戸惑ってばかり

育児休業中で毎日家にいても、子育てに追われていては全くテレビをみる時間がない。
せっかくAmazonFireStickを買って海外ドラマが見放題なのに、寝る前に歯磨きしながらちょこっとだけ『ウォーキング・デッド』が見られたらそれでOKという具合だ。

テレビっ子の私が家にいてテレビが見られないなんて。

その代わり、キッチンに立っていても子どもと遊んでいても楽しめるラジオが、日々の娯楽になっている。
radikoのタイムフリー機能のおかげで、深夜放送だろうが何だろうがいつでも聴けるので、聴く番組に事欠かない。

一番楽しみに聴いているのは『東京ポッド許可局』なのだけれど、最近聴き始めたのが『エレ片のコント太郎』。両方とも男3人のトークというのが絶妙にいい。

『コント太郎』に「タイムマシンでアドバイス」という投稿コーナーがある。
過去の自分にアドバイスをするものなのだけれど、当然ながら失敗談なわけで、どの投稿もとても面白い。
私は投稿できるようなネタは何もないけれど、いつもふと自分が過去の自分にアドバイスをするなら…と考えてしまう。

そう、もしタイムマシンがあって過去の自分にアドバイスしに行けるなら…、まず高校生の私にこう言う。

「野球中継なんて見てないで勉強しろ。勉強が嫌なら本を読むか映画でも見てろ! 野球中継見てたって将来何の役にも立たねーぞ!」

それから、大学生の私にこう言う。

「就職したくないとか言ってないで、ちゃんと就職活動しろ! 適当に受けた会社に受かって、腰掛けのつもりで入ったら、世の中ずっと不況が続いてやめられなくなって、20年も働くことになるんだぞ! しっかり就職について考えろ!」

そして20代の私にこう言う。

「結婚しない、子どももいらないって言ってても、40過ぎてから子どもができて渋々結婚することになるぞ! 結婚して子育てする前提で、まともな相手を探せ! そして母親が病気になる前に孫を見せてやれ!」

タイムマシンなんてないからそのアドバイスは空に散るばかりだが、振り返ってみれば、「勉強しろ」「ちゃんと就職しろ」「早く結婚しろ」というのは、母親から言われていた当たり前のことばかりだ。

「お母さん悪いこといわへんから!」

とよく言ってたっけ。ほんと、その通りだったわ。

 

そして別居は続く

夫と話し合いを持った。

結論、なぜ別居なのかというと、
「毎日俺がいたらなみ松が負担だろうと思ったから」
だという。

「10年付き合ってきて、ごはんひとつ作ったことないやんか。それが毎日やったら大変かなと思ったんや」

夫は私が全く家事ができない人だと思っていたらしい。
毎週末実家に帰って家事と介護をしていたのは何だと思っていたのだろう、とか、一緒に暮らしたら私ばかりが負担になるなんておかしくない?子育て協力する気ないの?とか、ツッコミどころがいっぱいで、もちろん全部ツッコミ倒したけれど、私自身、言いたいことを全部言ったらスッキリして、
「謝ってくれたらそれでいいです」
と和解した。

「毎日来てもええけど…」
という夫に、

「いまさらもうええよ。毎日ごはん作るん大変やもん。洗濯物も増えるし」
「な、そやろ?」

と、結局今までどおり、週の半分は実家に帰ってもらうことになった。

何かを変えたかったわけじゃないんだ。
納得できない気持ちをわかってほしかっただけ。 

話をしなければ、お互い何もわからない。

そういえば、少し前のNHKクローズアップ現代」で、夫婦の会話についてやっていた。

www.nhk.or.jp

その中で夫婦ゲンカに関するアメリカの研究が紹介されていて、両方が怒りを我慢している夫婦は、怒りをあらわにする夫婦に比べて早く死亡する割合が高いことがわかったらしい。

たまには怒ろう。

夫には「しょっちゅう怒ってるやんか!」と突っ込まれそうだけど、それも認識の違い。

 

同じものを見ていても…

私と夫は考えることも感じ方もまるで違う。

象徴的だったのがサトイモのオモチャについてだ。

友人がプレゼントしてくれた、動物のぬいぐるみがボウリングのピンになっているオモチャがあって、それの動物についての認識がまるで異なっていた。

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私:(上)ゾウ、クマ、ヒツジ、
  (下)イヌ、ネズミ、メスライオン

夫:(上)アリクイ、イヌ、ヤギ、
  (下)イヌ、コアラ、ネコ

「だいたいイヌが2匹っておかしいでしょ!」
と私が突っ込むと、
「イヌは人気があるからやんか。サトイモ戌年生まれやから、2匹入れてくれたんやろ」
と言う。

たまたま大丸のオモチャ売り場に行ったとき、まったく同じオモチャが売られていたので店員さんに正解を教えてもらった。

(上)ゾウ、クマ、ヒツジ、
(下)イヌ、ネズミ、ネコ

途中まで私がパーフェクトだと思っていたのだけれど、ネコだけは夫の言い分のほうが合っていた。

夫婦でどっちかが100%正しいことなんてないのかもしれない。

…大筋は私が正しいけどね!

不満爆発!

夫がときどき口にする話で、我慢がならないことが二つある。

ひとつは、

「出産の痛みより帯状疱疹のほうが痛い」。

もうひとつは、

「放っておいても子供は育つ」。

日曜日の夜、夕食時に夫がまた、

「放っておいても子供は育つもんやなぁ」

と言ったところから火がついた。

「私が普段放ってると思ってるの? 私が『家事する間サトイモをみてて』って頼んでも、あなたはちゃんとみててくれないじゃないの」

「ちゃんとみてるで」

「『そっち行ったで』とか平気で言うし!行かないように管理してほしいから頼んでるんでしょう!」

「そんなことない。ちゃんと捕まえてる」

「居眠りしてたもの! その間サトイモは部屋を出てウロチョロしてたのに!」

「そんなことない! 」

「あります!」

「今日友達が遊びに来てくれたけど、彼女のほうがよっぽどちゃんとみてくれてた。他人の彼女にできるのに、どうして…」

「もうええ」

「ちゃんとみてるって言うけど、いつも口だけで…」

「その話はもうええ!」

大きな声で言われた瞬間に、これまで溜まっていた不満が爆発した。

 

ああ、わかりました。

もうええんですね。

 

こちらももうウンザリ。

子供の面倒を見てくれないことにではない。

対話に応じない態度に、だ。

面倒な話や非難・批判される話になると逃げる。

言い訳ばかりで謝らない。

その態度にもう我慢がならなくなった。

積もり積もっていた不満、大爆発!

 

さかのぼれば、私が妊娠していることがわかったときから、その不満は始まっていたのだ。

「もし私が妊娠したらどうする?」

と尋ねると、

「オレは全然困らないよ」

と彼は言った。

ところが実際妊娠したことがわかると、

「頭が真っ白で何も考えられない」

と言ってあらゆることから逃げてしまった。

結婚するのかしないのか。

住居はどうするのか。

すべて五里霧中。

何を考えているのかさえわからない状態が続いた。

「生まれてくる子供のためにも籍は入れておいたほうがいいと思うんだけど」

という私の提案に、

「それでいいと思う」

と彼が答え、入籍した。

だから私は、

「入籍はしたけど、結婚したわけじゃない」

と思っている。

 

それを裏付けるのが、住居の問題だ。

中古マンションを買うことになって、ようやくひと安心、と思ったとき、

「オレは住所を移すつもりはないから」

と言われて愕然とした。

忘れもしない、元町の路地にあるうどん屋でのことだ。

「住所を移さないって住民票はどうなるの? 別居で子供を扶養家族に入れられるの? 面倒なことにならない?」

あまりの驚きに私は事務的な話しかできなかった。

それに対して彼の答えは、

「オレの家はあるからなぁ」

というものだった。

実はいまだに、どうして別居なのか理解できない。

お義母さんの扶養家族手続きの問題かと思ったけれど、そうではないと言う。

 

最初はシングルマザー覚悟だったから、

「入籍しただけましか」

「子育て手伝ってくれるだけましか」

と、これまで我慢してきたけど、いい加減何を考えているのかハッキリさせてもらおう。

こちらの要求は、経緯に対する説明、謝罪と心からの反省(つまり口先だけで謝ってほしくはないということ)、今後はきちんと建設的な対話を心掛けること。

徹底抗戦の構えである。

 

…という調子で、今週は夫と口をきいていない。

火曜日に夫がうちに来ても無視した。

夫の洗濯物は畳まず、食事も用意しない。

翌朝、出張に出かけていくのにも、

「パパ行くんだって。バイバ〜イ」

と子供を介してしか声をかけなかった。

その後ろ姿を見て、ふと気がついた。

もしかして、アイロンをかけてないシャツを着ているのでは?!

ノーアイロンシャツとはいえ、シワはわかってしまう。

なんだかそれがひどく可哀想に思えてきてしまった。

夫にしてみれば、ちょっと子供から目を離しただけでなんで私がそこまで怒っているのか理解できないだろう。

 

話を妊娠発覚まで蒸し返すか、何事もなかったように子育てに関する言い合いで蓋を閉じるか、現在まだ悩んでいる。

明日夫が出張から帰ってくるまで、もうしばらく悩もう。

 

無精者の一時働き

週末、またサトイモが熱を出した。
咳や鼻水などの症状がないので、風邪なのかどうかもわからない。

こうなる前、雨降りだから週末のお出かけはどうしようなんて思っていたけれど、結果、否応なく家で引きこもり。
家から一歩も出ないのが、今日で3日目。

熱はあるものの、本人は昼間、元気で遊び回っている。
そこだけを見ると、病人とは思えないくらいだ。

 

だが、やはり調子が悪い。

食べない。

ごはんを完全に拒絶。

先輩ママから「離乳食はよく食べてくれていたのに、突然ごはんを食べなくなった」という話を聞くが、それなんだろうか。

病気のせいなのか、成長による好き嫌いからのわがままなのか、わからない。

ごはんのイスに座るのも抵抗するし、スプーンが近づくと泣いて顔をそむけるし、口に入れた場合でもべ~っと吐き出し、場合によってはそれを投げつける始末。

熱による食欲不振のせいかもしれないので怒りはしないものの、時間を割いて用意した食事をそんなふうにされたら誰だって面白くない。

「あらそう。食べられないのなら無理に食べなくてけっこう」

私はあっさりと引き下がる。

ある意味、元気なときにしていたように、たくさん食事を用意してしっかり食べさせるより食事タイムが早く終わる。

気は悪いけど、ラク

 

遊びについてもそうだ。

元気なときなら児童館などに連れて行って遊ばせるし、家の中でもめいっぱい相手になってやるのだけれど、病気とあらば、できるだけ大人しくしていてほしいから私が積極的にかかわらないようにした。
サトイモは熱で不安になっているせいか、私が相手になってくれないとビービー泣いてすがってくる。
普段の上機嫌と違って、理由不明で突然泣き出す。
そのくせ、抱っこをして寝かせようとするとすり抜けて逃げていく。
逃げてもいつものように追わないでほっておく。
すると泣いて戻ってくる。

ビービー泣かれると気は悪いけど、積極的に遊んでやるよりもこれまたラク

 

さらに、熱が出ているからと言って、入浴は控えている。

最近、私が一番嫌いなのがお風呂タイムだ。

以前から、お湯をジャージャー出そうとしたり操作パネルを押して遊んだり、排水溝のふたを開けたりお風呂の栓を抜いたり、ボディソープのポンプを押して泡を出しまくったりと、イタズラは絶えなかったのだけど、たっちして歩けるようになってからは、自分で湯船から出ようとしたり、風呂イスの上にのぼって立とうとしたりするなど、より危険度が増してきた。

万が一事故があったら一番危険なのが浴室だ。
ハラハラするとイライラする。

そんなお風呂タイムを熱のせいで正当化してパスすることができるなんて、うれしくてありがたくって。

 

そんなふうに熱を理由にして子育ての一端を手抜きしはじめたら、なんだかいろんなこと面倒くさくなってきた。

前回、「サトイモが生まれてきてよかったなぁと思える日々を与えてやるのが親からのお礼」だなんて調子のいいことを書いておきながら、本音は子育てが面倒くさくて仕方ないのだった。

夫がこんなことを言ったことがある。

「なみ松がちゃんと子育てできるとは思ってもみなかった。絶対できへんと思ってた」

絶対できへんってどんだけ評価低いねん!
言われたときは大変気が悪かった。

が、それが本来の私なのかもしれない。

これまでが「無精者の一時働き」で、まめにやっていたのは最初だから。
これから「面倒くさい」がどんどん大きくなってくる気がする。

世の中は「面倒くさい」の力がかなりの割合を占めている、というのが私の持論である。
面倒くささをなんとかするために、 文明は発展してきた。

一方、面倒くささのせいで人類は何かを犠牲にしてきたはずだ。

 

ああ、またサトイモが泣いている。

お腹が空いているせいか、不機嫌だし夜中によく泣く。

抱いても泣き止まないし、眠ってくれないんだ…。

ああ、面倒くさいなぁ…。

アンパンマンのマーチ

歳を取ってからできた子どもは可愛いというが、御多分に漏れず、夫はサトイモのことを溺愛している。

家族でお出かけするときに、サトイモをベビーカーから車のチャイルドシートへ乗せ換えるのは夫の役割なのだけれど、抱き上げてしばらくじっとしているので、どうしたのか尋ねると、

「あんまり可愛いからもっと抱っこしておきたくなった。下ろすのがもったいなくて」

などと言うので、

「だったらそんなお出かけの合間じゃなくて、普段やってよ!」

と呆れてしまった。

とはいっても、普段もときどき抱き上げては、

「ほんまにおまえは可愛いやっちゃなぁ。生まれてきてくれてありがとうなぁ」

と頬ずりしたりしているのだが。

思いがけなく授かったサトイモだけれど、私たち二人は心の底から「生まれてくれてありがとう」と思っていて、それに対して私はときどきこんなふうに思うのだ。

生まれてきてくれたお礼に、次は私たちが、サトイモが「生まれてきてよかったなぁ」と思える日々を与えてあげなきゃ、と。

大人になって「生きててよかった」と思うかどうかではない。
それは本人がどう生きたかの結果だから親が知ったこっちゃない。
幼児のうち、私のコントロール下にいるうちは、

「生まれてきてよかった、毎日楽しいなぁ」

と思える日々を過ごさせてやりたいのだ。

それが、サトイモが生まれてきてくれたことに対する「お礼」というか「お返し」で、そう思える日々を与えてあげなきゃ、と思う。 

 

サトイモの幸福論

おかげさまで、サトイモはいまのところ、一日の大半は笑って過ごしているような機嫌の良い子に育っている。

私はサトイモに対して怒ることがほとんどない。
それでも躾として「それはダメ!」「それはやめなさい!」と注意をする。
ところが、私が大きな声で注意をすればするほど、サトイモはキャッキャッと笑う。

「ゴルアァァ!!ゴミ箱触ったらアカンやろがぃぃぃ!」

どんなにすごんで怒ってみても、ウキャキャキャ、と笑われてしまう。
吉本新喜劇で未知やすえちゃんが突然キレる芸みたいに思ってるんだろうか。

そんな「デフォルト上機嫌」のサトイモに対して夫は、

「好きなだけ食べて、眠たくなったら寝て、遊びたいだけ遊んで、気楽なやっちゃ」

と言う。

確かに大人からしてみれば、幼児なんて何の苦労もない…ようにみえる。

だが、本当にそうだろうか。

まんまのあとは口のまわりを拭かれるし、オムツを脱がされたりはかされたりするし、お風呂のあとに身体中クリームを塗られるし、ごろんさせられて歯を磨かれるし、すぐごはん食べたいのに「今作ってるから待ってね」って待たされるし、抱っこしてほしくて泣いてるのにすぐには来てくれないし…。

「もう!人生ままならないことばかり!」

そんなふうに思っているかもしれない。

食後にお口拭きで顔を拭くと号泣して抵抗するサトイモを、どうしてそんなに嫌がるのか不思議に思えてしょうがないのだが、本人にとったら「嫌なものは嫌!」なんだろう。

大人にとってはなんてことないことが、幼児にはひっくり返るくらい大変なのだ。

最近同僚から職場の様子をきくと、若い子が次々とメンタルで休職しているそうだ。
同僚は不安を募らせているが、どうも上司たちの危機感は薄いらしい。
おじさんたちはきっと、

「この程度のことが耐えられんでどうするんや。俺らの若いころは…」

なんて思っているにちがいない。

人それぞれ感じ方が違うのだ。
Aさんにとって何でもないことが、Bさんにとっては死ぬほど嫌なことだってあるだろう。

自分以外の他人がどう感じているかなんて永遠のミステリーであり、そこを埋めるのは対話とかコミュニケーションによる信頼関係でしかないのだけれど、ジェネレーションギャップはそれを阻害する。

感じ方の違いを「根性なし」の一言で切り捨てて、人手不足の負のスパイラルを招いているととんでもないことになりそうで怖い。

職場では育児による時短制度を利用していた先輩が一人、仕事と育児の両立ができないからといって辞めたそうだ。

今からすでに職場復帰が不安でしかない。

 

母親としてどうなの?という瞬間

先週、サトイモは初めて本格的な風邪をひいた。
といっても、鼻水をたらし、 少し咳が出て、38度の熱が出た、というくらいで、たいしたことじゃないけれど、なんせ初めての発熱。

親子共々しんどかった。

楽しい毎日を与えてあげたくても、病気やケガだけは否応なくやってくる。
親がどんなに気をつけていてもすべては防ぎきれない。

今回の風邪は、サトイモにとってかなり「生きているとつらく苦しいこともある」と感じた経験になったかもしれない。

第一に、元気なときはモリモリ食べてくれていた食事を拒否するようになった。
スプーンで口に運んでも泣いて嫌がる。
ごはんのイスに座らせようとするだけで抵抗する。
果物とヨーグルト、ゼリーだけは食べるので、わがままじゃないかと思ったりもしたけれど、喉が痛くて飲み込めないのかもしれないから、とりあえずしつこく食べさせるのはやめた。

そうすると、いつもいつも離乳食づくりに追われていた時間がちょっとだけ軽減。
小さめに切って柔らかく茹でるという面倒からの解放!

本来なら、食事を食べてくれない息子を心配するはずなのに、

「食べないならそんなに作らなくていいよね?」

と内心喜んでしまっている自分がいた。

 

体調が悪いせいでサトイモはグズグズと泣く。
抱っこすると身体をひねるローリング攻撃で腕から脱出しようとするくせに、離れると鼻水と涙で顔中をグシャグシャにしながらハイハイで追いかけてくきて、足にすがりつく。

じゃあ一体どうしてほしいのよ?と途方に暮れるばかりだ。
もちろん病院で薬ももらって飲んでいる。
しんどいから泣いているのなら風邪が治るまでどうしようもない。

「泣け泣け、泣きたいだけ勝手に泣いとけ~」

サトイモをひざに転がしたまま片手でトントンしながらテレビを見たりしていた。
音声はかき消されて聞こえないから、字幕の番組オンリーだけど。

夫はそんな私に、

「勝手に泣いとけなんて、かわいそうに」

と言う。確かにひどいと自分でも思うけれど、どう対処すればいいのか私だってわからない。
そして急に、丁寧に子どもに向き合うことが面倒くさくなってくる。

そんなとき、虐待、特にネグレクトにあっている子どもたちとその親のことを思う。
ネグレクトはこういう「面倒くささ」の延長線上にあるものかもしれない。

 

今は風邪も治り、サトイモは上機嫌を取り戻している。

すでに数歩なら歩けるようになった彼は、アンパンマンカーを押して遊ぶのが大好きだ。 

アンパンマン よくばりビジーカー 押し棒+ガード付き (リニューアル)

アンパンマン よくばりビジーカー 押し棒+ガード付き (リニューアル)

 

ハンドルの真ん中についているボタンを押せば、「アンパンマンのマーチ」のメロディが流れる。

何が君の幸せ
何をして喜ぶ
わからないまま終わる
そんなのは嫌だ

メロディをカラオケにして歌は私が歌うのだけれど、その都度、「幼児には哲学すぎる歌詞だよな~」とつい物思いにふけってしまう今日この頃。