3歩前のことを忘れる女のサブカルと介護の記録

神戸に住むアラフォーOL、波野なみ松の、仕事と趣味と母の介護を両立させる日々の記録。

姫路のまずい飲食店とユトリロ回顧展

今月のはじめ、姫路市立美術館ユトリロ回顧展の招待券をもらった。

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ユトリロが大好き、ぜひ見たい!というわけではないけれど、もらえるものなら何でももらう。

6月ならちょうど父の日があるので、久しぶりに姫路の街で父とランチをしていいかな、と思っていた。

 

ところが先週は母のあごの腫れでバタバタしたので、父の日はスーパーでお刺身とお酒を買って終わりにした。

それでも、何もないよりましなはず。

 

ただ、どんなに忙しくなろうとも、もらった招待券をムダにはしたくない。

株の優待券を使いきるために自転車で走り回っている桐谷さんという元プロ棋士のおじさんがいるけれど、彼を見ているといつも他人事とは思えない。

招待券があるなら、絶対に見にいく。

 

父の日からは1週間遅れだけれど、姫路の街まで車ででかけるついでに、父とランチを食べることにした。

せっかくなので父が好きであろう串カツのお店をネットで調べて、カーナビに情報を入れて出かけたのはよいけれど、小さな事故の影響でバイバスが渋滞。

倍くらいの時間がかかってようやくたどり着いたお店はもういっぱいで、17台停められるはずの駐車場も満車。

よほどの人気店なのか、店の前で路駐して待っている車まであって、あきらめざるをえなかった。

 

仕方がないので、念のためもう1軒候補として調べておいた、サラダとお惣菜のビュッフェがあるお刺身定食が出るお店に行ってみると、先ほどと違って駐車場も店内もガラガラ。

お客さんは私と父の二人だけ。

その割にスタッフは、愛想なくぼんやりしているだけのホールスタッフが二人と、厨房内に店主らしい人が一人。

ビュッフェのお惣菜も運ばれてきた定食もどれひとつとして美味しいものはなかった。

というより、全部まずくて、気持ちがどんどん沈んでいった。

 

渋滞でイライラし、行きたい店に入れずイライラし、入ったお店の接客にイライラし、出てきた食事がトドメである。

最近はコンビニのお惣菜でもチェーン店のファストフード店でも、まずいものを食べることがほとんどない。

「こんなにまずいものを、こんなに食べるなんて、久しぶり!」

と大声で嫌味を言いたい気持ちをぐっとこらえた。

まずい食事は別として、アルバイト二人の人件費も込みで一人1,200円も取られるかと思うと、とにかく腹が立ってしょうがなかった。

 

思い返せば、母はこういうとき、

「美味しくないわ」

と平気で言う人だった。

父はそれを嫌がり、

「大声でそんなことを言うな!」

と、店を出てからよくケンカをした。

「まずいものはまずい」という母と、「店の中でそれを言うのは下品だ」という父の主張はどちらも間違っていないので、常に平行線だった。

子供の私は、

「結局、まずい食事を出す店が悪い」

と思わざるをえなかった。

 

飲食店で働くすべての人に言いたいけれど、食事ひとつで人を幸せにも不幸にもできる。

まずい食事はすべてを台無しにする。

 

帰りの車で、私はくやしまぎれに、

「みんな良いお店をよう知っとうね。お客さんの入りを見たら店の質がわかるわ」

と一人でしゃべっていた。

「渋滞してなかったら、もっと早く着いて、最初の店にも入れたのに」

と誰に言うでもなく、言い訳ばかりを口にした。

父は何も言わなかった。

 

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私が美術館へ行っている間、父は叔母(父の妹)の家へ行き、私は一人でゆっくりと展覧会を見て回った。

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ユトリロが描いたのは、ひたすらにモンマルトルの街角だった。

道があって、建物がある。それだけ。

建物は若干歪んでいて、奥行きがおかしかったりする。

近寄って見ていると何がよいのかさっぱりわからない、普通の風景だ。

それなのに、振り返って離れたところから見ると、すごくオシャレで素敵な場所に思えた。

 

一番気に入った「アングルームのサン=ピエール大聖堂」という絵の前でイスに座ってぼんやり眺めていたら、パリに行った人がよく言う感想を思い出した。

「パリの街ってすごくオシャレなイメージがあるけど、よく見ると犬の糞がいっぱい落ちていて意外と汚い」

マクロで見るととってもオシャレ。でも、ミクロで見ると普通。

そういうことも含めて、ユトリロはパリを代表する画家な気がする。

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飲食店を探して車を走らせたせいで、この日は姫路の街をぐるっと一周した。

最初に行ったお店がお城の南、外堀沿いのエリアにあり、次に行ったまずい店がお城の北側のエリアにあったからだ。

特に、お城の北側は古い住宅街である。

昔、父方の祖母の家(つまり父の実家)はその近くにあり、懐かしく思いながら通った。

父も、

「昔ここに刑務所があったんや。刑務所長の息子と同級生でな、ときどき一緒に遊んだな」

などと言った。

食事はさんざんだったけれど、姫路の街に出てきたのは悪くなかった。

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姫路の街中は再整備が進んでいて新しい街に生まれ変わっているけれど、北側の住宅街はあまり変わっていない。

あの辺りの街角も、画家に描いてもらったらそれなりの絵になるかもしれない。

ユトリロがモンマルトルを描いたように。

宇宙最強の男ドニー・イェンの『イップ・マン 継承』

毎年、学生劇団時代の友人と忘年会をする。
参加者は年によってさまざまだが、参加率が高いのは、私と、NPO法人『月と風と』代表の清田さんと、現在三重大学で講師をしている文学博士Mで、映画好きのその3人が決まってその年に見た映画の振り返りをする流れになっている。

2010年くらいだったと思うのだけれど、私が、
「今年はドニー・イェンの当たり年だったね!」
と、とにもかくにもドニー・イェンの映画を推した。
孫文の義士団』、『イップ・マン 葉問』、『レジェンド・オブ・フィスト 怒りの鉄拳』と立て続けに良質な主演映画が公開されていたからだ。
この頃からドニー・イェンは「宇宙最強の男」と言われるようになり、カンフースターとして不動の地位を築いた。エポックメイキングな年だった、と記憶している。

ところが、私が熱心に語れば語るほど、みんなが笑った。
「なんで笑うの?!」
と聞くと、
「だって、ドニー・イェンなんて知らないし!」
と言う。
映画をほとんど見ない人ならともかく、年に20~30本は映画を見る人たちがこれ!?!

日本人が思い浮かべるカンフーアクションスター、といえば、ブルース・リージャッキー・チェンジェット・リー。(あと、チャウ・シンチーが微妙。でも私は彼をコメディスターだと思っている。)
ドニー・イェンは、ジェット・リーの次に名前が出てくるほどの大スターなのに、どうして日本ではまだ知名度が低いのだろう?

私が考えるに、ドニー・イェンは正統派すぎるのだ。
真面目で、ストイック、清廉潔白なかんじがする。

でも、そんなドニー・イェンだからこそ、イップ・マンがはまり役なんだろう。

知らない人のために言っておくと、イップ・マンというのは人の名前で、漢字で書くと姓が「葉(イップ)」で名が「問(マン)」。
ブルース・リーの師匠でもある詠春拳の達人。

そのイップ・マンの半生を描いた映画シリーズが『イップ・マン 序章』、『イップ・マン 葉問』、『イップ・マン 継承』で、3作目の『継承』は今年の春に公開された。

実は私、すごく楽しみにしていたのに見逃してしまって悔しい思いをしていたのだが、今週から我らが塚口サンサン劇場が上映してくれることに!
ありがとう、サンサン劇場!

しかも、サンサン名物のウーハー上映である。
重低音、大音量。
ふだん、耳の遠い父がテレビを爆音でかけているので大音量には慣れているのだけど、そんな私でも驚くような迫力だった。(ただし、発砲や爆発やカークラッシュがあるようなアクション映画ではないので、爆音のおかげで面白さがアップしたかどうかはわからない。)

ウーハーの有無にかかわらず、『イップ・マン 継承』はカンフー映画のトップクラスと言える面白さだった。
同じイップ・マンを描いた映画でもウォン・カーウァイ監督の『グランド・マスター』なんかカンフーシーンがスカスカだったけれど(比べるのも気の毒か)、ドニー・イェンのイップ・マンシリーズは詠春拳の強さをこれでもかと堪能できる。
特に今回は盛りだくさんだった。
地あげ屋のチンピラたちと、そのアジトである造船所の工員たちと、その黒幕である不動産王(なんとマイク・タイソン!)と、同じ詠春拳の達人と、闘って闘って闘いまくる。
そして、どれだけ闘っても無敵の強さ!

特に、一人で何十人もを倒していく造船所のシーンはカンフーが鮮やかで、息もつかせぬ迫力だった。
息子が拉致されて、イップ師匠は単身で乗り込んで行くのだが、そのとき持って行くのが長い竹の棒。
中国の工事現場で足場を組むときによく見るやつで、めちゃめちゃ長い。
え、イップ師匠、これ持ってずっと街中を歩いてきたの?
と、心配になるような長さだが、ただの棒である。歩くと揺れてしなる。
チンピラのボスが、
「竹棒持参で来たか!」
と言うのだけど、竹棒だよ? 刀でも銃でもないんだよ? 長いだけでそこらへんの棒と変わらないよ?
冷静に見ると、なんだか可笑しくなってしまった。
どちらにしろチンピラは息子にナイフを突きつけて、
「竹棒を置け!」
と脅し、イップ師匠は竹棒を放してしまうのだけど、そもそも武器になんて頼らなくても十分強いのがカンフーマスター。
こういうところは、銃の名手とか剣術の達人とかと違って安心感がある。

イップ師匠だって、剣とか槍を使おうと思えば持って来れたはず。
だけど、武器として竹棒を選んだのは、あえて殺傷力が低いものにし、悪者といえども殺さないようにという配慮だろう。
一緒に映画を見た彼氏は、この映画を、
「なみ松に連れてこられた映画の中で一番面白かった」
と評したうえで、
「この映画の素晴らしいところは、誰も死なへんかったところやな」
と言った。
確かに、めちゃくちゃな死闘なんだけど、ケガだけで誰も死なない。
特にイップ師匠の拳は致命傷を避けるような体さばきで、優しさと余裕が感じられる。

そんなイップ師匠に対して、同じ詠春拳でもライバルの張天志は後遺症を遺しそうな荒々しい拳だった。
そのあたり、武術の見せ方や演出がうまい。

張天志役の俳優さんはマックス・チャンというらしいんだけど、ドニー・イェンにひけをとらないカンフーなうえ、演技もめちゃくちゃかっこよかった。
ウィキを見ると下積みが長かったみたいだけど(覚えてないけど『グランド・マスター』にも出てたんだね)、これからどんどん活躍してもらって、彼の武術を見せてもらいたいものだ。

ちなみに、物語のもうひとつが、イップ師匠の妻の病気だ。
イップ師匠は試合を放棄してまで妻に付き添う。
夫婦の話が実は『継承』のテーマだったりする。
だから、彼氏が言った『誰も死なない』というのはある意味正しくなくて、正確には最後に愛妻をガンで亡くすのだ。(シーンはなくて字幕だけど。)
最強の男イップ師匠が唯一恐れるのが妻。
でも、その妻でさえ、病気には勝てない。

赤十字病院のいちにち

赤十字病院での受診は1日仕事だった。
慣れない病院で勝手がわからず時間がかかったせいもあるけれど、とにかく待って待って待ちまくった1日だった。
初診受付で待ち、口腔外科で待ち、採血で待ち、レントゲン撮影で待ち、診断で待ち、点滴で待ち、切開手術で待ち、精算で待った。
ケアマネさんが手配してくれたリクライニングができる大きな車イスは、移動するときに動かしにくく、待ち合いで場所を取る、というデメリットはあったものの、ときどきリクライニングして母を眠らせることができて助かった。

待っている間、長時間飲まず食わず。
私は大丈夫だけれど、母のことが心配になった。
母はトロミのついたものをスプーンでしか飲めないので、ちょっとペットボトルを買ってきて、というわけにもいかない。
トイレにしても、ベッドでのオムツ替えになるので、病院ではどうしようもない。
そのうえ、午後になっているのに、お昼の薬が飲めないままなのが気になってしょうがなかった。
病院にいるだけで弱ってしまいそうだった。

そんな赤十字病院での1日だったが、診察の結果、蜂窩織炎ではないことがわかった。
そして入院もせずに済んだ。

口腔外科の先生に、
「問診票に『蜂窩織炎の疑い』と書かれてますけど、医療関係者の方ですか?」
とに聞かれ、
「訪問歯科の先生から蜂窩織炎の疑いがあるので、赤十字病院で診てもらってください、と言われたのです」
と答えると、
「結論から言うと、蜂窩織炎ではないです。そこまでひどくないというか。その手前の段階ですね」
と言ってくれてホッとした。

「治療としては、腫れているところの膿を出す切開手術をします。抗生物質のお薬と、3日ほど点滴を続けます。」
「はい」
「入院は可能ですか?」
「可能?…かどうかは、世話をお任せできるかどうかによるんですけど…」
「全介助ですか」
「そうです」
「通院は可能ですかね?」
「なんとか」

おそらく、普通の人なら入院なのだろう。
皮肉だけれども、全介助の病人だから入院はやめ、になったのだ。
私が不安に思う点と同じことを、病院側も心配した結果だろう。
通うとしても幸い週末だ。会社を休むのも最小限で済みそうだった。

もし入院だったら先が思いやられるな、と思ったのは、病院内の訪れた先々で病気の説明をしなければならなかったことだ。
採血で、レントゲンで、点滴で。
「えっと、脳梗塞か何かですか?」
「いえ、大脳皮質基底核変性症です」
「腕は伸びますか?」
「伸びません」
「痛かったら言ってくださいね」
「すみません、言えないと思います」
そんなやり取りを、それぞれの部屋でその都度その都度、しなければならなかった。

特に困ったのはレントゲンだ。
台に顎を乗せると頭の回りを360度回転してレントゲンを撮る機械だった。
まず、車イスでは台に顎が乗せられない。
無理矢理背中を押し、頭を支えて顎を乗せようとしたけれど、ちょうど腫れている部分を台に押さえつける形になる。
軽く触るだけなら平然としている母が、ちょうど患部が当たるようでひどく痛がり、すぐに外そうとする。
もともと背中が丸まって首が前に出ているうえに、痛みで肩がすくんでしまった。
これだと、頭の周りを回る機械が肩にぶつかってしまう。
うまくいかないのでレントゲン技師さんがもう一人出てきて、またあれこれ試すものの好転せず、結局この機械でのレントゲン撮影は無理だということになった。
技師さんたちの話では、円背の高齢者にはたまにあることだという。
最新の医療機器め、役立たず。
簡易レントゲンなら、とっくに訪問歯科で撮ってくれてるんだけど。

大脳皮質基底核変性症という病気のことを配慮してくれた唯一の場面は、膿を切開する前の問診だった。
「震えは出ませんか?」
「手を動かそうとすると震えます。あと、ときどき足も突然緊張します」
「頭はどうですか?」
「こっちへ向けていても、ゆっくり回ります」
「頭が震えることはないんですね」
「ないです」
「なぜこんなことを尋ねるかというと、これから口の中を切開するのですが、頭が震えると別のところを傷つける可能性があるからです」
初めて、医者を医者なんだなぁ、と感じた。
医者でも自分の担当の分野しか知らない人が多すぎるから、ちゃんと大脳皮質基底核変性症を知ってくれているだけで、「やるな」と思ってしまう。

そのほか、糖尿病があるとこの疾患にかかりやすいこと、血液がサラサラになる薬を飲んでいるので血が止まりにくいかもしれないが薬はやめないほうがよいこと、切開後も腫れはしばらくひかないが冷やさないこと、などの注意事項を聞いた。

切開の場には立ち会えず、終わったら母は口に血をいっぱいにじませたガーゼをくわえて出てきた。
ひとまず終了。
早期発見と早い対処のおかげで、大事に至らずに済んだ。

母を施設に預け、神戸へ戻る電車に乗ったとたん、どっと疲れが押し寄せた。
実は父も私の行き帰りの運転手として同行し、病院でも出たり入ったりしながら付き添ってくれていたのだが、父の携帯の万歩計を見たら約5,000歩も歩いていた。
ほとんど座って待っていただけなのに、5,000歩。
父でそれなら、私はもっと歩いている。
そりゃ疲れるはずだ。
ちょっとは脂肪が燃焼してたらよいのだが。

蜂窩織炎って漢字が怖くない?

「口底蜂窩織炎かもしれません」

と、ケアマネさんからメールをもらった。

 

口底蜂窩織炎???

 

ホウカシキエン、と読むらしいのだが、見たことも聞いたこともない病名。

恐ろしげな漢字が並んでいるだけに、不安が募った。

 

www.ishamachi.com

 

ネットで調べると、「重症化すると死亡することもある」なんて書いてあるじゃないか!

ケアマネさんからのメールにも、

「炎症が進むと呼吸困難になる可能性があります。その時は救急車で赤十字病院へ搬送します」

とある。

 

なんてこと!

こんなふうに突然、母の状況が一変するなんて…!

 

そんなショックを受けたのは月曜日午後のことだった。

始まりは朝の訪問リハビリ。

 

「あれ?なんか右の顎が腫れてません?」

 

療法士さんが気がついた。

言われてみれば、顎が左右で全然違う。

「お母さん、右だけアントニオ猪木になってるよ!」

と、呑気なことを言いつつ、患部を触ると少し熱を持っていた。

リハビリが終わって施設のお迎えが来たとき、スタッフさんに訪問歯科の受診を依頼した。

 

施設では毎週火曜日に訪問歯科が巡回にやって来る。

明日受診させてやってください、と頼んでおいた。

私は巡回のついででかまわないと思っていたのだが、ケアマネさんはわざわざ緊急で往診を頼んでくれたらしい。

その日の午後すぐ、訪問歯科が来て診察してくれた。

そしてその見立てが「口底蜂窩織炎の疑い」だというのだ。

 

抗生物質のお薬が出て、火曜日にもう一度レントゲンを撮って、それでもまだ疑いがあるようなら、赤十字病院の口腔外科を紹介するので受診してください、ということだった。

実際そのとおり、木曜日に会社を休んで赤十字病院へ連れていくことになった。

 

免疫力が落ちると、本当に思いがけないことが起こるものだなぁ、とつくづく思う。

想像もつかなかった病気が襲ってくる。

バイ菌が歯の根っこや歯茎から入り、顎が腫れ、喉を圧迫して呼吸困難??

そんなことで死亡するリスクが????

1日前までは思いもかけなかったことが起きる。しかもラブストーリーより突然に。

 

告白すると、金曜日の夜に寝る前の口腔ケアをサボってしまった。

母もウトウトしていたので、できるだけ早く寝かせようと思ったのだ。

いや、それは言い訳で、私自身がズボラをかましたかっただけ。

そんなことで、「もしかしたら死んでしまうかも」みたいなことになる??

私のせいだったらどうしよう…。

死神ってやつはどこにでも潜んでて、こちらが油断すると遠くから手を振ってくる。

 

正直、月曜日はそんなことを考えて落ち込んだりしたけれど、「疑い」というのは「確定」じゃない。

赤十字病院でちゃんと診てもらうまでは診断もついていないし、腫れの様子からすると呼吸困難に至るほどでもないはずだ。

木曜日に赤十字病院に行くまでは、余計なことを考えても仕方がない、と気持ちを切り替えた。

じゃないと、私が怯える様子を見せたら、遥か遠くにいる死神を喜ばせてしまう。

あいつが近寄って来ないように、こちらは毅然としておかないと。

 

赤十字病院の予約は午前11時に取れた。

私と母は前の夜から帰っていて、朝はケアマネさんがお迎えに来てくれた。

今日の受診が長時間になることを見越して、リクライニングができる車イスを手配してきてくれたのだ。

その車イスが運べる車に乗ってきてくれて、送迎もしてくれた。

誰かが応援してくれるだけで心強い。

また、入院になる可能性が高いということもあって、施設に預けているおむつ類や着替え、薬なども一式返してもらい、私も一通りの準備をして車に積み込んだ。

 

入院のことを考えると不安でいっぱいである。

施設なら何から何まで理解してもらっているけれど、生活のすべてに介助が必要な母を、病院がちゃんと世話してくれるのかどうかも心配だ。

本人との意思疎通が図れないので、理解者が状況を説明しないといけない。

私がずっとそばにいられたらいいけれど、そうもいかない。

何より本人が環境の変化に戸惑うだろう。

入院したとたんに病状全般が悪化するという話もよく聞く。

 

反対に、入院したほうが安心という考え方もある。

少なくとも呼吸困難で緊急搬送はありえないわけだ。

もし入院したら土日は母を病院に任せきりにできるので、逆に私の手が空く可能性もある。気持ちにけりをつけ、遊びに出かけることだってできる。

 

何にしても良し悪し、メリット・デメリットがある。

だから、入院のことも決まらないうちは何も考えないようにした。 

 

大学時代、カウンセリングルームに通ったことがある。

当時、自殺した漫画家・山田花子に心酔していて、自分がコミュニケーション不全なんじゃないかと思っていたのだ。

というより、カウンセリングに通っちゃうような、ナイーブで繊細な人を演じたかっただけだった、と今振り返って思う。

仮病の私でも、カウンセリングの時間は私にとってとても意味があった。

私の担当のカウンセラーさんが言ってくれた言葉のいくつかは今でもよく覚えていて、その一つが、

 

「波野さんは気持ちの切り替えがとっても上手。それはほかの人にはない能力ですよ」

 

と褒めてくれたことだ。

 

そのとき初めて、自分が「気持ちの切り替えが上手な人」なのだと知ったのだけれど、指摘されたことでさらにその能力は向上していったように思う。

今回のようなことがあっても、

「今クヨクヨしても仕方ない。結果が出るまで気持ちを切り替えよう」

と思う。

不安はとりあえず脇へ置いておいて、仕事をしたり、彼氏と会ったり、『おじいちゃんはデブゴン』を見に行ったりできた。

 

もしかしたら、大学生時代の私は、それほど気持ちの切り替えがうまい人ではなかったかもしれない。

あれは、カウンセラーさんが私にかけてくれた魔法の呪文だったのかもしれないなぁ、と最近考える。

 

というわけで、長くなったので赤十字病院受診については次回に続く。

認知症×マフィア=『おじいちゃんはデブゴン』

『我的特工爺爺』という、サモ・ハン監督・主演のアクション映画のことを知ったのは去年。
「特工」というのは特殊部隊のことらしく、引退した元・特工おじいちゃんが活躍する話らしい。
それだけなら、クリント・イーストウッドの『スペース カウボーイ』的な‘昔取った杵柄系ストーリー’かと思ったけれど、気になったのは主人公が認知症だという設定だった。
日本に来たら絶対観よう!と思っていたので、元町映画館で上映が決まったときからずっと楽しみにしていた。

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『我的特工爺爺』の日本語タイトルは『おじいちゃんはデブゴン』になっていた。
なんじゃその邦題は?!
気の毒に、サモ・ハン主演の映画は「デブゴン」の呪縛から逃れることはできないのだろうか…。
サモ・ハンが一度も痩せなかったのが香港映画界の幸いであろう。

sammohungisback.com

実はこの『おじいちゃんはデブゴン』は、‘昔取った杵柄系’でもなければ、‘おじいちゃんが頑張る’話でもなかった。
チラシやサイトのストーリー紹介をざっと読んだら、「かつて強かったおじいちゃんが、誘拐された少女を救出するために大活躍する話」なように読めるのだけれど、そうではないのだ。(※ネタバレします)

だいたい、近所の女の子は行方不明になるものの、誘拐されたと決まったわけではない。
主人公のおじいちゃんは女の子の行方を探しているだけなのに、えらいことに巻き込まれていく。
「頑張る」のではなく、「相手が向かってくるんで、なんかわからんがやっつけてしまった」という展開なのだ。

認知症という設定だからか、サモ・ハンは無口で無表情。
いろんなことを忘れてしまうけど、慌てる様子もない。
いつもぼんやりしていて、少しだけ、困ったなぁ、という顔をする。
戸惑いながらも条件反射的に、チンピラの手を骨折させたり投げ飛ばしたりしてしまう。

少女を探して地元ヤクザのアジトを訪ねていくのだが、ヤクザのボスに、
「ジジイ、帰らんと殺すぞ」
と耳元で脅されると、無表情のまま突然ボスを殴り倒してしまうおじいちゃん。

えっ、いきなり!?!
そのタイミングで殴るの!?
という、空気を読まない絶妙な間。
主人公だけれど、何を考えているのかがちょっと読めない。

びっくりして慌てて飛びかかってくる手下たち。
もちろん、おじいちゃんは全員ボコボコに返り討ちにしてしまう。

そこへ、地元ヤクザと対立関係のロシアマフィアが出入りにやってくる。
アジトの中は、すでに全員が瀕死の状態。
どうなってるんだ?!と驚きつつ、
「皆殺しだぁ!!」
と生き残っている構成員の息の根を止めにかかるロシアマフィア。

なぜそこで皆殺し!?
と堅気の日本人女性は思ってしまったけれど、ロシアマフィアは仕事を最後までやり終えないと気が済まないのだろう。

そんな阿鼻叫喚の中でぼんやり立っている太ったおじいちゃん。
おじいちゃんもロシアマフィアも、状況が飲み込めないまま対峙し、流れで戦ってしまう。
死闘の末、おじいちゃんの大勝利

その後も、まんまと逃げ出したヤクザのボスを追いかけたけれども、仲間同士の内輪揉めによってボスは殺されてしまい、結局少女の行方を掴むことができなかった。

途方に暮れて線路脇で座り込んでいるおじいちゃんを、偶然通りかかった近所の女性が保護してくれる。
一見すると単なる徘徊老人。
なのに、まさかまさか、マフィア組織を2つも潰してしまったなんて誰が想像できただろうか。

ラスト、行方不明だと思われた少女は、友達の家に遊びに行っていただけ、というハッピーエンドで終わる。
そんなことだろうとは思ったけどね。


この映画の珍しいところは、舞台が中国とロシアの国境の町だという点。(だったらなんでみんな広東語でしゃべってるのか不思議だけど。)

中国とロシアは地続きだ。
この2国間でもずっと国境紛争をやっているらしい。(南シナ海尖閣だけじゃないんだよ~)
そして、紛争だけじゃなく、国境あるところ犯罪あり。
私たちは日本人だから、日本と中国、という視点でしかあまり中国を見ないけれど、こんなふうによその国とよその国の関係性を見るのも面白い。
(ただし映画では深堀りはされてない。中ロの雰囲気だけ。)

少女の父親役をやっているのがアンディ・ラウ
賭博で作った借金の返済を待ってもらうために、ヤクザに命令されて、ウラジオストクでロシア人が盗んだ宝石を盗みに入る。
つまり中国ヤクザがロシアマフィアの上前をはねようとするわけだ。

そしてアンディ・ラウはロシアマフィアからの逃亡劇を繰り広げるのだが、ホテルの階段を手摺から手摺へと、テナガザルの如く跳んでいく様子は圧巻。
最後はガラス窓を突き破って、旗のポールにぶつかりながら、車のボンネットに落ちる。
これ、アンディ・ラウ本人だよね?スタントもワイヤーもCGも使ってないよね?
こういうのを見ると、やっぱり香港の俳優さんの身体能力の高さを思い知る。

そうそう、サモ・ハン要素を除いてみると、この映画は『ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ』的なクライム・アクションなのだ。
そもそもこの映画を‘認知症映画’として興味を持つ人がどれくらいいるかというと、皆無に等しいだろう。
主人公が認知症だといっても、物忘れ程度の初期症状で、病気に対する本人の認識や気持ちもあいまいだ。

そのせいか、‘認知症を描いた映画’によくある暗さがない。
それは、悪く言えば‘浅さ’かもしれないけれど、良く言えば、認知症のおじいちゃんを主人公にしても楽しいストーリーが描ける、ということだ。

私が最初に認知症のことを知ったのは、子供の頃にテレビでやっていた『恍惚の人』だったと思う。(映画なのかドラマなのか、その紹介だけの番組か、そこまでは覚えていない。)
当時はまだ認知症という言葉はなく、痴呆老人と言われていた。
ボケた舅が、お世話をしてくれている嫁に暴力をふるうシーンがあって、それが子供心に怖かった。

その印象があるからか、めっちゃ強い人が認知症になってしまったら手に負えないよなぁ、とつい思ってしまう。
サモ・ハンが暴れだしたら介護者が死んじゃう!…という私の心配は杞憂に終わってよかった。(そもそもそんな救いのないストーリー、映画にできないよ!)

高齢化社会が進めば進むほど、認知症映画はこれから増えていくだろう。(元町映画館で上映される『八重子のハミング』がまさにそれ。)
でも、まだ認知症を描いた作品には、家族の苦労と愛情、人間性への洞察、人生の振り返り、みたいな重いものが多い気がする。
ステレオタイプな感動だけじゃなく、もっといろんなタイプの認知症映画が出てきたらいい。
『おじいちゃんはデブゴン』はひとつのバリエーションになりうる。

病院のハシゴとサイドミラー

おとといの土曜日はハードスケジュールだった。
というのも、U病院の神経内科とA病院の内科の受診日が重なってしまったからだ。
うっかりしていて、どちらの薬もその日の夜の分から不足するような状態で、日の変更もできない。
どちらも診察は午前中だけなので、効率よく迅速に行動しないといけない。

母を同行させるのは神経内科だけにして、内科のほうは家族の代理だけにさせてもらった。(母は施設に迎えにきてもらって、デイサービスへ。)
神経内科は空いている日もあるのに、こんなときに限って混んでいた。
内科はいつもどおりの長時間待ち。
私だけでもクタクタになったのに、母も両方連れて行っていたらどんなに疲れただろう。

受診を終えたら、神経内科があるU病院近くの薬局で両方の病院の処方箋をお願いした。
つまり、行ったり来たり。
A病院近くの薬局だと、土曜日は早じまいすることに加え、神経内科の特殊な薬を置いていない可能性があるからだ。

今年の春先から、錠剤は薬局で粉砕してもらって、できるだけ一包化してもらっている。
母はずいぶん前から錠剤を飲み込むことはできなくなっているのだけど、薬局で粉砕してもらうまでは噛んだり舐めたりして対処していた。
錠剤を噛み潰すことができるくらい、今も歯は丈夫なのだけど、錠剤が歯の隙間に入り込んだり、口の中に隠れていたりすることがあるので、確実に薬を飲み込めるようにするには、粉にしてペースト状のものに混ぜたほうがよい。

薬局にたどり着いたのが午後2時くらい。
粉砕のお願いをすると、
「これだけたくさんのお薬を粉砕して一包化するには午後5時くらいまでかかりそうですが、一旦帰られますか?」
と言われてしまった。

お母さんがデイサービスから帰ってくるのが5時。
再度取りに来るなんて無理だよ!とショックを受けたけれど、薬局の言い分もわかる。
母が飲んでいる薬は両方合わせて11種類。しかも神経内科は2か月分、内科は1か月分。それらをそれぞれ朝昼夜に分けて包む。
時間がかかるのももっともだ。
仕方なく、その日の夜に必要なお薬だけ錠剤でもらい、残りのものは明日再び取りに来る、という段取りにした。

病院も薬局も、ほとんどの時間は待っているだけ。
何をしたわけでもないのに、家に帰った頃にはヘトヘトになっていた。

車の運転手として同行していた父も、
「何にもしてへんけど疲れたなぁ」
と言っていたが、そのせいだろうか、電柱に左側のサイドミラーをこすってしまった。

狭い道で対向車とすれ違う瞬間だった。

かなり減速していたし、ミラーは畳まれただけで大事には至らなかったのだけど、助手席に乗っているこちらとしては、
「キャーッ、ぶつかる!!!」
と悲鳴をあげてしまった。

実は、父は同じ場所、同じ状況で、サイドミラーをぶつけたことがある。
2015年11月、父が脳梗塞の入院から退院して3か月後のことだ。

狭い上に交通量の多い道で、その電柱1本だけが道に飛び出している。
父と同じようにこするのだろう、その電柱には何本ものこすり跡がついている。
私が運転するときもぶつけそうで怖くなる、「あるある」なスポットだ。

2年前に父がぶつけたときも私が助手席に乗っていて、やはり対向車とすれ違う瞬間だった。
今回と違ってスピードを落とさなかったため、派手にぶつかり、大きな音とともにサイドミラーはポッキリと折れた。

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病後、父の運転は荒くなった。
本人は平然として反省しない。
「サイドミラーをこするんは若い頃からやな。何べんもやっとんや」
余計にアカンやないか!

これはもう免許を取り上げるしかない、と真剣に考えた。
とはいっても、うちの父が素直に言うことを聞くわけがなく、運転に関する押し問答が続いていた。

やがて、父もだんだん日常生活のペースを取り戻すと同時に、運転の慎重さと正確さも取り戻していた。
リハビリに行くようになってから、運転について心配するようなこともなくなってきた。

この調子なら、もう少しなんとかなるかなぁ、と思っていた矢先の、サイドミラー。

病院の行き帰りで疲れていたせいもあるかもしれないけれど、再び免許剥奪計画を考えるときが来た。
自損で本人がケガをするのはかまわないけど、人様に何かあったら取り返しがつかない。
…だけど、警察の高齢者講習もちゃんとパスしてるだけに、本人は納得しない。
私も運転がド下手なだけに、どう対処すればよいのかわからない。

Hooper Pooper Looperで浮かぶ猫の風景

元町高架下にかつてThe Bee’s Kneedsというカナダ人がやっているバーがあって、ときどき立ち寄っていた。

ジュースしか飲まない私を店主のクリスはいつも快く迎えてくれたし、店内禁煙というのも私には居心地がよかった。

やがてクリスがカナダに帰ってしまい、The Beed’s Kneedsはなくなったけれど、しばらくしてそこにLouie Louieというハンバーガー店ができた。

新しいお店にも行ってみたいなと思いつつ、ちょうど私の生活が介護やらなんやらで忙しくなった頃で、長らく足が向かないでいた。

 

そんな折、The Bee’s Kneedsで出会ったベーシストのオオクラシンヤさんがLouieLouieでライブをするという情報を得た。

久しぶりに、というか初めてLouieLouieに行く絶好のチャンス。

というわけで、6月7日に行ってきた。

 

シンヤさんのバンドはHooper Pooper Looperという。バンドというか、ベースのシンヤさんとドラムのMaikoちゃんのデュオ。

LouieLouieは小さなお店なので、一見、ライブができるなんて信じられないような狭さだけれど、2階にちょっとだけ空間があって、そこに機材もお客さんも詰め込んでしまう。

ここのライブ空間はThe Beed’s Kneeds時代から変わらないけれど(お手洗いが2階にあるのでわかるのだ)、私はここでライブを見たことがなかったので、ギター1本、いやウクレレ1本の弾き語りか何かで使うものだと思っていた。

ドラムセットを置くとそれだけでぎゅうぎゅうで、お客さんは出演者のすぐそばで、互いに譲り合いながらひしめき合う。

盛り上がって手を上げた瞬間、シンバルにぶつけてしまった人がいるほどの距離だ。

 

そんな狭い空間に音は充満するわけだけど、うるさいと感じることがちっともなく、心地よいリズムに包まれた。

私が座ったのはちょうどシンヤさんの目の前だったけれど、申し訳ないことにドラムのMaikoちゃんにばかり目が行ってしまった。

花のある可愛らしい女の子だからというのもあるけれど、踊るみたいにドラムを叩く様子に引き付けられてしまったのだ。

音はしっかりパワフルなのに、どうしてこんなに軽やかなんだろう。

ふだん、ライブハウスに行ってもこんなに間近にドラムプレイを見ることがないし、よく見えたとしても力強さに圧倒されるようなものが多い。

すばらしいドラマーの演奏もそれなりに聞いてきたつもりだけど、Maikoちゃんみたいに軽やかさと爽やかさを感じるドラムプレイは稀有だ。

 

曲は歌なしのインストロメンタルなんだけど、不思議と歌がなくても二人が歌っているような雰囲気がある。

一緒に行った友達は、

「歌詞がない分、自分の脳内でストーリーが想像できて楽しかった」

と、めっちゃうまいことを言った。

私のイメージの中のHooper Pooper Looperの音楽は、大きなキジトラの猫が猫じゃらしで跳びはねまくっている横で、小さなキジトラの猫が優雅に毛づくろいをしているような風景が目に浮かんでくる。(なぜ両方キジトラなのかって?…あ、単にCDのジャケットだわ。)

どの曲も浮遊感のある踊れるロックだけれど、特に印象に残ったのは、『秋猫』という猫の声をサンプリングして使っているカワイイ曲と、『go-siti-go-haiku』というリズミカルな曲。いずれもこちらのサイトで視聴できる。

hplooper.bandcamp.com

 

Maikoちゃんのそんなドラムスタイルをとっても新鮮に感じつつ、もうひとつ、Hooper Pooper Looperで珍しく感じたのは、シンヤさんの五弦ベースだった。

 

そんなに珍しいものでもないのかもしれないけど、私は五弦ベースのベーシストを知らなかったので、「まるでギターみたいなベース!」と新鮮に映ったのだ。

それは楽器の話ではなくて、メロディラインの紡ぎ方とか、演奏全般において、ギターでもない、ベースでもない、独特なスタイルだった。

あとで話を聞いたところ、もともとシンヤさんはギタリストだったのだそうだ。

なるほど、だからギターみたいにベースを弾くのか。

アーティストの個性というものは、経験の積み重ねの上に出来上がる、という良い例。

 

そういえば、シンヤさんがなぜベーシストになったのかという話は、以前に聞いたことがある。

The Deadvikingという神戸のインディーズバンドがヨーロッパツアーをするというので、そのベーシストを急募していたのだそうだ。

ちょうど前職をやめたところだったシンヤさんはたった2週間でベースと10曲を覚えて、The Deadvikingのツアーに参加。(そのときThe Beed’s KneedsでThe Deadvikingヨーロッパツアーのカンパを募っていて、私もウィーン旅行で余らせたユーロをカンパしたことがあったっけ。)

deadvikingseurotour.blog.fc2.com

 

ベーシストとして初めてステージに立ったヨーロッパのライブハウスで、演奏中に観客が次々に足元へビールの缶を置いていったそうだ。

ビールの缶を置くというのは、その演奏を気に入ってくれた証。

床いっぱいのビールを見た瞬間、シンヤさんは「ベーシストとしてやっていこう」と決意したのだという。

何が人生を左右するかわからないものだ。

 

ライブが終わってから、感想を伝えたくてMaikoちゃんと少しお話をした。

私は母の介護があって週末のライブには行けないけれど、タイミングがあればぜひ次も演奏を聴いてみたいと思ったからだ。

すると、Maikoちゃんも実はお父様がご病気で介護をしているということと、いろいろあってドラマーを引退しようと思っている、と教えてくれた。

 

朝ドラ『あまちゃん』のユイちゃんじゃないけれど、才能があるのに世の中に出ない人たちはたくさんいる。

私がこれまで出会ったミュージシャンの多くは、才能豊かで、素敵な曲をたくさん作るし、演奏スキルも高かった。

ミュージシャンだけじゃない。役者も、アーティストも、漫画家も、みんなそうだ。

でも、売れないままだったり、続けられなくなったり、違う道を見つけたり、歩みを進める中で何かをあきらめて、別の方向へ進んでいく。

人の運命は誰にもわからない。

 

一度聴いただけのお客さんの私には何も言えないけど、またいつか、Maikoちゃんの踊るようなドラムが聴けたらうれしいなぁとだけ、思った。