3歩前のことを忘れる女のサブカルと介護の記録

神戸に住む40代波野なみ松の、育児と趣味と要介護両親の対応に追われる日々の記録。

臨終の1日(2)

葬儀会館に着いて、一息ついたと思ったら、葬儀屋さんから、

「お寺さんには連絡がつきましたか?」

と言われた。

「え? いえ、まだ電話してないです」

と私がキョトンとしていると、

「それではすぐに電話してください。枕経をあげにきてもらわないといけませんので」

と言われた。

 

枕経???

なんだかわからないけど、うちが檀家になっているお寺の名前でネット検索して、電話をかけた。

母が亡くなりまして、と伝えたら向こうはすぐ理解してくれて、すぐ行きます、と答えてくれた。

私が知らないだけで、浄土真宗(西)はそういう仕組みらしい。

 

お寺さんが到着するまで、葬儀屋さんとの打ち合わせ。

何を言っても何を聞いても父は、

「ようわからん」「好きなようにせえ」「なんでもかまへん」

と答える。

私だって判断つきかねることがいっぱいあっても、相談する相手がいない中、ひとつづつ葬儀の内容を決めていく。

 

そんな中、父がいて役に立った場面が一つだけあった。

「家紋はわかりますか?」

「家紋?!」

「参列の方にお渡しする礼状はがきに印刷するのですが」

「家紋ですか…。あっ、母がそういえば、喪服を作るときに五三の桐って言ってたような…」

「それは女紋ですね。女性の方が継いでいく紋です。そうではなくて、波野家の家紋です」

そんなことを言われても、さっぱりわからない。

「お父さん、家紋ってわかる??」

「丸に桔梗や」

丸に桔梗。

これが、唯一父が役立った発言。

 

その後、お寺の住職が枕経をあげにくる。

終わってから少し話し、葬儀屋と通夜と告別式のスケジュール確認をしたあと、お寺さんが、

「ほな、法名を考えときます」

と言って帰った。

なるほど、「葬式仏教」なんて言葉があるけれども、お葬式においてお寺の役割はけっこう大きい。

 

お寺さんが帰ったあと、その後しばらく私達の滞在先となった親族控室に場所を移して、打合せの続き。

棺をどうするか、祭壇をどうするか、母に着させる装束をどうするか、お供物をどうするか、参列者に渡す粗供養をどうするかなどなど、一つ一つ、説明を受けながら決めていく。

 

途中、サトイモが退屈してしまって、邪魔ばかりする。

それも仕方がないことで、夕食をまともに食べていないから(病院の駐車場でアメリカンドッグを食べただけ)、

「おなかすいたよ〜、なにかたべたいよ〜」

とグズるのも当然だった。

しかも、お寺さんが帰った段階でも時間は22時半を回っていて、4歳児がまだ眠くならずに遊んでいるのが不思議なくらいだった。

かわいそうだけれど、私以外に葬儀を取り仕切る人はいないし、私以外にサトイモの世話をする人もいない。

父は何もせず横に座って、何を聞かれても「わからん」と言うだけ。

だったらせめて孫の相手をするとか何かできることもあるだろうに。

 

すべての打合せが終わったときには、時計はもうすぐ午前になろうとしていた。

このまま会館に泊まるか帰るかが悩みどころだった。

葬儀屋も帰るらしく、私達が帰ったら、誰もいない葬儀場に母は一人ぼっちになってしまう。

母を残して帰るのは忍びなく、私は泊まろうかと思っていたのだが、父はしきりに、

「はよ帰ろう」

と言う。

父のその態度が自分本位に思われてめちゃくちゃ腹が立ったが、葬儀屋が一旦部屋を退出したあとに父が椅子から立ち上がったときに、事情を了解した。

 

「お父さん、ズボンが濡れてる!!」

ズボンだけではない、椅子も濡れている。

考えてみたら、母が危篤だと病院に呼ばれて以降、トイレに行くタイミングがなかった。

だとしても、子どもじゃあるまいし、いくらでも席を外してトイレに行くことはできたはずだ。

しかも、父はリハビリパンツを履いているから、何回分かの尿は吸収できるはずなのに。

なんで?!?

なんで椅子まで濡れるほど漏れた?!

絶句したが、やってしまったものは言ってもしょうがない。

母には本当に申し訳なかったけれど、家に帰ることになった。

 

これが母が亡くなった日の一日目。

 

臨終の1日(1)

7月23日土曜日18時30分、母が他界した。

 

自分の備忘録のために、スケジュールを含めてこの日から葬儀まで記録しておく。

 

土曜日朝7時半、病院から「臨終に間に合わない可能性があるので、少しでも早く来てください」と電話がある。

 

朝10時頃、姫路の病院に到着。急かされた割には、到着してから受付に時間がかかり、しばらく待たされる。

 

病室は前と同じだけれど、6人部屋に母一人。

そういう配慮らしい。

母は6月の肺炎のときよりはマシだけど、それでも少し苦しそうな息。

呼びかけに応じる気配はないけれど、手を握ったり、顔を拭いたりしながら話しかける。

 

11時半頃、父が到着。車椅子を借りる。

サトイモは父の車椅子を押すのを面白がり、オモチャのように遊んでいた。

 

12時半、食事のために外出。

取るものも取りあえず出てきたので、サトイモのオモチャなどが皆無だったため、マクドナルドでハッピーセットを頼み、テイクアウトして実家へ戻る。

 

15時過ぎ、再度病院へ。

様子は変わらず。

父もサトイモも病院にいることに退屈してしまって、帰ろうと言い出す。

入口で「見舞いは15分」と言われたのもあり、また実家へ戻る。

 

17時43分、病院から呼び出しの電話。

容態が変わったとのこと。

急いで病院へ行く。

ところがまた、入り口で待たされる。

裏口のドアの鍵を取ってくる時間、検温、コロナのアンケート記入。アンケートはこの日3回目。

おまけに廊下を進む父の足がのろのろ。

 

病室の扉を開けると、看護師が、

「あっ、たったいま…」

と言った。

ドラマとかでよくある、モニターの線がまっすぐ状態、心拍数0。

 

えーーっ?!

ええーーっ?!

 

「いつですか?!」

「まさにたった今です。さきほど息を引き取られたところです」

と看護師は言った。

 

「苦しそうだった息が穏やかになってきましてね、最後は眠るようにスーッと息を引き取られました」

 

その瞬間が見たかったのに。

その場に立ち会うはずだったのに。

そこを看取ることができず、一人で旅立たせてしまった。

 

手を握る。

少し温かい。

顔を触る。

びっくりするほど冷たい。

 

サトイモが、

「ばあば、おにんぎょうさんみたいになっちゃったの?」

と言った。

「ママが大好きな、ママのママが死んじゃったんだよ」

自分で言って、涙が止まらなくなった。

 

父はあとでゆっくりゆっくり入ってきた。

看護師から知らされて、

「ああそう」

とだけ答えた。

 

しばらくすると、医者が来た。

「心拍が止まっています、息をしていません、瞳孔が開いていません。死亡時刻は、7月23日、えーっと何時?18時35分? 死亡を確認しました」

「あのぅ、私が部屋に入ってきたのが18時30分で、そのときもう息をしてなかったんですが」

「まあそれはね、ええ、まあ」

どうやら死亡時刻はそれほど厳密ではないらしい。

 

その後、葬儀屋に電話。

昼間実家に戻っていた間、父が母のために入会していた互助会の連絡先を出しておいてもらったので、スムーズに話が進む。

実家から一番近い会館は予定が入っていて使えないとのことで、二番目に近い会館を手配してもらう。

そこも十分近く、空いていてラッキーだった。

そこがなかったら、遠い葬儀場になるところだった。

 

葬儀の形態について父はとにかく「家族葬がええ」と言う。

「家族っていうか、親族は呼ぶから親族葬でしょ?」

「そうやな」

「お母さんの友達には、参列してもらってもいい?」

「来てもらわんでええ」

「なんで?」

「めんどくさい」

 

私は母と仲の良かった人達にはできるだけ来てもらって見送ってほしかった。

母はしょっちゅう「同窓会に行きたい」「お友達に会いたい」と言っていたので、最後に会えることを望んでいるはず。

「お父さんが面倒くさいだけ?」

「そうや」

「ほんなら呼ぶからね。お父さんの葬式ちゃうで。お母さんの葬式なんやからな!」

「好きなようにせえ」

基本的には親族葬、香典辞退にして、親しい友人の参列はかまわない、という形にした。

 

通常だと日曜がお通夜、月曜が告別式だけど、月曜は友引ですがどうされますか、と葬儀屋が言う。

慌てたくないので、1日延ばして月曜お通夜、火曜に告別式をすることにした。

その場合、遺体を安置すると1日分の延長料金がかかるとのこと。

 

問題は母を自宅に戻すか、葬儀場に直送するか。

気持ちとしては一旦家に帰してあげたい。

でも、家はゴチャゴチャしているし、和室のエアコンは壊れているし、何より、道路から玄関まで急で長い階段がある。

どうしようか、と父に一応尋ねても、父は、

「わからん。好きなようにせえ」

としか言わなくなった。

迷った挙げ句、実利をとって直送してもらうことにした。

 

看護師から、遺体を拭いたり着替えをしたり、 搬送準備と片付けをするのに1時間くらいかかるので、外で待っているように言われる。

「着替えの服はお持ちですか?」

と尋ねられ、そんなことすっかり考えていなかったので、困ってしまった。

「大丈夫ですよ、病院でご用意できますよ。患者様の服を着せて帰られたいという方がいらっしゃるので、聞いただけですので」

そう言われたら、確かに病院の寝間着なんかじゃなく、最後くらいお気に入りの服を着せて退院させてあげればよかった、と思う。

 

葬儀屋には、病院の準備が終わる時間に迎えに来てもらうよう連絡。

その後、母方の親戚2人と母の親友に訃報を知らせる電話をかけ、そこから連絡を回してもらうようお願いする。

父はその間、自分の妹に電話。

 

夕食を食べる暇がないので、近くのコンビニに買い出しに行く。

サトイモは大好きな「あめりかのどっぐ」を買ってもらって噛りながら病院の駐車場へ戻ると、すでに葬儀屋の車が病院の出入り口に駐車しようとしているところだった。

 

葬儀屋の車には私とサトイモが同乗する。

サトイモはまだ呑気にアメリカンドッグを食べている最中だったので、

「ばあばが来るまでに食べてしまいなさいよ」

とせかす。

サトイモが座る補助シートにシートベルトがなく、サトイモはそれをひどく気にしていた。

やがて、医者や看護師数名がストレッチャーに乗せて母を連れてくる。

遺体はそのままスムーズに車に入る。

お世話になりました、とご挨拶をして、見送る病院職員を後にする。

もうここに来ることはないのか、という気持ちになる。

 

遺体を葬儀場に直送することになったので、葬儀屋は自宅前を経由することを提案してくれる。

横のスライドドアを開けて、母に自宅を見せてあげることもできるとのこと。

ぜひお願いします、ということになったが、着いてみると車のドアの向きが逆方向で、向きを調整するために何度か家の周辺をグルグル回る。

 

母は目をつぶっているのに自宅を見せるというのも変だけど(根本的に死んでるから見れないわけだけど)、布をとって、顔を玄関に向けて、

「お母さん、やっとおうちに帰ってきたよ」

と声をかける。

 

葬儀場である会館に着くと、これまたビックリするくらいスムーズに遺体は中の部屋へ運ばれて行った。

さすがプロの仕事。

 

こちらは初めて立ち会う臨終の場に、戸惑うことばかり。

それに対して、病院スタッフや葬儀屋の手際の良いこと。

 

そしてまだまだ、夜は続く。

 

お見舞いという休日

主治医から母の面会許可が降りたとき、私はサトイモを連れて二人で行くつもりだった。

JRとバスを乗り継いで行く公共交通機関の旅。

三連休だし、夜はいっそ実家に泊まろうか、と考えていた。

 

ところが、サトイモの体調が全然良くならない。

これではお見舞いに行くにしても病院は入れてくれないどころか、出かけないで寝てないといけない状態である。

 

仕方ないので、最終手段であるお姑さんにSOSを出した。

最初は、

「土曜日はあかんわ、うち病院行かなあかんねん。マンションの配管洗浄も来るし」

と断られたが、

「ちょっと待って、病院は別の日に行ったらええことやし、配管洗浄はサトイモくんここへ連れてきて見とったらええだけのことやし、よし、かまへんよ!土曜日の朝に迎えに行ったらええんやな!」

と一人で撤回して一人で段取りして決めてくれた。

本当にいつも頼りになるお姑さんである。

 

ただ、

「なみ松ちゃんのお母さんもあれやなぁ、会いに行ってもわからんのやろ?うちやったらそんなん絶対嫌やわ。元気なうちに早う死にたいわぁ〜。子供に迷惑かけたないわ」

と、余計なことを言う。

誰だって、うちの母だって、そう思っていたし、思っているだろう。

寝たきりで長らえたい人なんていない。

ピンピンコロリが理想なのは誰だってそうだ。

ましてや、子供に迷惑をかけたい親がいるだろうか。

だけど、そうできないのが病気というものであり、今の医療なのだ。

 

お姑さんにそんなふうに言われて、非常に傷ついた。

母の気持ちを考えると悔しくて悲しくて、やりきれなかった。

お姑さんは苦労人で、私は基本的に超リスペクトしている。

だけどこのときだけは、

「そういうとこだぞ!言われたほうの気持ちも考えろ! 」

と電話をガチャ切りしたくなった。しないけど。

 

迷惑かけたりかけられたり

子供に迷惑をかけたくない、と親の立場で人は語るが、私は母に迷惑をかけられたなんて思っていないし、思ったこともなかった。(父に対しては思っているが。)

 

介護をしていたとき、母はよく、

「トイレの世話までしてもうてごめんな」

と謝った。

そういうとき私はたいてい、

「赤ちゃんのとき散々お世話になったからね」

と答えたものだ。

すると決まって母は、

「赤ちゃんの世話をするんは当たり前や、自分が産んだかわいい子供やもの」

と言った。

 

自分が産んだ子供だから世話をするのが当たり前。

最近、むしろ私は子供であるサトイモに対して、「迷惑さ」を感じている。

制御不能のお手上げ状態だ。

どうすれば制御できるのか、解決の糸口がないか本や動画を見たり、幼稚園や発達支援教室の先生、ファミリーサポートさんに相談したりして方法を模索しているけれど、全くうまくいかない。

登園しぶり、ハミガキは格闘、お風呂も格闘。

日常生活をさせようと思うと、最後は泣き叫ばれてこちらはブチ切れ。

発達障害児をワンオペで育てるというのはこういうことなのか、と思う。

 

植物パワー

お姑さんは8時半に迎えに来てくれて、サトイモを連れて行ってくれた。

私と二人で出かけるとなると、

「いやだ!いかない!おうちにいる!」

と言うサトイモが、ばあばのお迎えにさっさと応じてあっけなく家を出て行った。

 

母の面会は14時から16時までの15分間である。

もしかして、それまで私、自由?!?!

 

朝のうちはのんびりと、You Tube番組のヒルカラナンデス特別版「参院選ナンデス」の配信を見たり、AmazonPrimeで中国ドラマ『琅琊榜〜麒麟の才子、風雲起こす』を見たりして過ごす。

 

その後、電車とタクシーでまず実家へ。

父の生活の様子を見て、少し片付けをする。

一番手入れが出来ていないのが庭。

空の植木鉢のいくつかに水がたまり、ボウフラが発生しているのを処理する。

ツルバラやキウイのツルが通路を塞ぐほどになっているのを切ったり、隣家まで伸びている庭木の枝を切る。

雑草も玄関周りだけは片付けた。

にしても、前々回来たとき夫に相当伐採してもらったし、皆で草引きをしたのに、もうジャングル化している。

 

昨年くらいに、土偶は植物をかたどったものではないか、という説を説く本「土偶を読む」が話題になっていたが、本当に植物のパワーは恐るべきものがある。

母にも雑草くらいのパワーがあればなぁ、と土偶でも作ろうかと思ったり思わなかったり。

 

親子水入らず

時間になり、父の車に乗って二人で母の病院へ出かけた。

実は、父は先月、対向車とすれ違う際に左に寄り過ぎで、サイドミラーを破損していた。

車の修理は終わっているが、父の運転はもう限界である。

だから、

「今日は私が運転していくわ」

と申し出たが、

「いや、お父さんがする。一緒に乗ってみて、危ないかどうか見たらええ」

と言うので、父の運転で行くことになった。

 

明らかに、ぎこちない運転。

助手席に乗っていると、かつてとずいぶん違うことがよくわかる。

対向車が来ると、若干だが左へ左へと寄っていく。

そのことを指摘すると、

キープレフトや」

と減らず口を叩く。

無意識のくせによく言うよ。

サトイモがいたら、父の運転の車に乗ろうとは思わなかったかもしれないので、確認のよい機会になった。

早く免許を返上してもらわないと。

 

病院の駐車場につくと、

「ここで待っとくわ」

と父が言った。

「なんで?!」

「どうせお母さんしゃべらへんやろ」

「またそういうことを!」

「病室まで遠いから、歩いていくのしんどいんや」

「ほんなら車椅子を借りたらええだけやんか」

 

入口でコロナ関連の誓約書等を書いて面会の手続きをする際に、受付で車椅子を借りた。

父を乗せて私が押していく。

「車椅子は楽でええな」

父は呑気なもんである。

 

母の病室は前回とは違い、また複数病室に移っていた。

病状が落ちついたから、重症用の個室から戻ったのだ。

 

看護師たちが体交と呼んでいる、身体の向きを替える作業が終わったばかりで、母は眠っていなかった。

「お父さん、お母さんはこの状態で起きとんやで」

「へぇ、寝とんちゃうんか」

観察眼の弱い父にとって、母が起きているのか寝ているのか判断できていないだろうから教えると、やはりこれまで誤解していたようだ。

 

お母さん、お母さん、と呼びかける。

「お父さんも何か言うたげて」

と促すと、

「おい、おい」

と父。

「名前で呼んであげへんの?お母さんが『お母さん』になる前、若い頃は何て呼んでたん?」

「やっぱり、『おい』やな」

「名前で呼んであげようよ〜」

 

母に話しかけたり、イヤホンで音楽を聴かせたりしていたら、看護師がやってきて最近の病状を説明してくれた。

 

体重が30キロを切ってしまい、床ずれがなかなか治らないとのこと。

「床ずれって痛いんですよね?」

「お顔から読み取るしかないですが、苦痛の表情はないです」

「なるべく痛いとか苦しいとかがないように、よろしくお願いします」

 

「せっかく来られたんだから、写真撮られますか?」

と看護師が言った。

そんな発想はなかったので、ちょっと戸惑ったが、せっかくなので記念写真を撮ってもらうことにした。

「お父さん、もっと寄れます?」

看護師さんが父の車椅子を動かすが、母のベッドに近寄れない。

「お父さん、歩けるんやから降りたら?!」

と私が言うと、

「歩けるんですか!?」

と看護師さん。

「ほんなら立つわ」

と父。

なんで渋々やねん。

 

もしかしたら最後になるかもしれない家族写真。

3人で会うのは、サトイモが生まれて初めて見せに来た4年前ぶり。

3人だけで会うのは、さらにサトイモが生まれる前、母がこの病院に入院したばかりの頃まで遡る。

母はよく、何かというと「親子3人水入らず」

という言葉を使っていたし、「家族3人で」というと喜んでいた。

 

サトイモを連れてくることが一番の親孝行のように思い込んでいたけれど、私と父で来たのは良かったかもしれない。

 

そしてまた

病院からの帰り、気になっていた珈琲店に父と寄った。

夫の車で通る際、夫がいつも、

「ここ、何屋さん?」

と尋ねる、和風の店だ。


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父とその珈琲店に入り、700円以上もする殺人的価格の珈琲を飲んだ。

 

そんなのんびりした休日を過ごせたのが、先週の土曜日。

昨日金曜日の午後、また病院から電話があった。

「急激に褥瘡が悪化しています。褥瘡で命を奪われるということはありませんが、これほど急激に悪化するということは残された時間が長くないことを覚悟してください」

 

今日土曜日、また病院へ行く予定だ。

今度はサトイモも連れて行く。

先週ほどのんびりはできないことを覚悟して。

心の臨界点

のんびりできた警報の日の夕方、発達支援教室から帰ってきたサトイモの身体が熱い。

体温を測ってみたら、38.4℃あった。

 

熱があってもすこぶる元気で、相変わらずUSBコードや延長コードで遊んでいたけれど、夕食を少しだけ食べてソファに寝転がり、

「もう食べないの?ごちそうさまを言いなさいよ!」

とプリプリしながら様子を見たらもう眠っていた。

 

夜中、40℃を超す高熱が出る。咳も出る。

「大雨警報で休んだ翌日が病欠かよ…」

と欠席決定に肩を落とした。

本人は休めていいかもしれないが、業務が完全に止まってしまった私の身にもなってほしい。

 

4歳にもなってベビーカーに乗せ、小児科に連れて行って、診察してもらう。

診断名は感冒、抗原検査は陰性。

最近またちょこちょこと周囲でコロナ陽性者の連絡が来るので、とりあえず安心。

そして、もうこれ以上会社を休まなくて済むように、翌日の病児保育室を予約する。

 

病院からの電話

小児科から帰ってきた午後は有意義だった。

コープの配達、宅配の受け取り2件、浄水器のカートリッジの回収。

 

特に宅配でやってきた荷物の一つは念願のスマートウォッチ。

夫と電話をすると毎回、

セルビアにいても土日することない。ヒマでヒマで」

というので、

「だったら私にオススメのスマートウォッチを調べて!」

とミッションを与えたら、しばらくいろいろ調べてくれて、お手頃価格のシャオミの製品を勧めてくれた。

勧められるままにネットで購入。

 

ところが、届いてみたらその製品は全く日本語が使えない。

説明書に日本語がないだけではなく、本体の表示にも日本語がない。

初めてのスマートウォッチだから、何がどんなふうにできるのか、というところから始めるのに、全部英語って…。

 

ああかな、こうかな、と時計と同期するスマホアプリをいじっていたら、母の病院から電話があった。

手に持っていたからすぐに出れた。

 

知らせがないのはよい知らせ。

逆に、知らせが来るのは、母の病状が芳しくない証拠。

 

主治医の話はこうだった。 

肺炎は治ったものの、その後体力が戻らない。

老衰でいつ命が尽きてもおかしくない状態とのこと。

また肺炎を起こすかもしれないし、突然心不全を起こすかもしれない。

面会許可を緩和するので、今のうちにできるだけ面会に来てあげてください。

 

休みで家にいたおかげで、主治医の話はゆっくり聞けた。

その場で、土曜日の午後の面会を申し込む。

 

地獄の反抗

木曜日と金曜日は、かかりつけの小児科に併設されている病児保育にサトイモを預けた。

病気の子供は幼稚園やファミリーサポートでは預かってもらえないので、預け先確保という面でとてもありがたい。

そのうえ、小児科の先生も診察に回ってきてくれるので、とても心強い。

一日2,500円。

ベビーシッターと比べたら格安!

でも、元気なら不要なお金と思えば、残念な気もする。

 

サトイモは日中は比較的元気にしているが(病児保育でもおりこうさんにしている)、夜になると高熱が出る。

体調が良くないせいもあるんだろうが、いつに増してわがままがひどい。

私の言うことは何一つ聞きたくない、という態度である。

 

特に朝出かけるときは格闘そのもの。

「いやだ!いかない!」

とベッドにへばりつく。

こちらもまだ腰痛が残っているので、無理やり抱きかかえるとまた腰をやってしまう。

泣き叫ぶサトイモをこちらが泣きたい気持ちで玄関先まで抱えていき、連日のタクシー通い。

 

母のこともあって、心に余裕がなく、反抗ばかりされると世話をする気が起きない。

一番腹が立つのは、食事を食べないこと。

一口なめて、

「おいしくな〜い!もういらない!」

と行って去っていくサトイモに、

「もう少し食べて!食べないとお熱が下がらないよ!」

と何度も声をかけても無視される。

「じゃあ何だったら食べる?ゼリーはどう?プリンは?」

と尋ねても口をつぐむなら、もうあきらめるしかない。

サトイモに生命力があるなら、自分でなんとかするだろう。

頑固さで衰弱するならそれまでだ。

勝手に生まれてきたんだから、好きにしてくれ。

風邪が治らなくても、毎日病児保育、毎日タクシーを使えばいいだけだ、と、私は「金持ち喧嘩せず」の心持ちで耐えるしかない。金持ちじゃないけど。

 

夫が不在になってからか、暑さからか、とにかくサトイモのワガママはそれくらいからひどくなった。

私一人では手に負えない。

母のこともあって、私自身に心の余裕がない。

 

心の臨界点

昨日、職場の上司に、「この夏、忌引で休むかもしれない」という相談をした。

月末月初に当たってしまうと、給与処理が止まってしまう。

そうならないように、それなりにあらかじめの段取りをしてもらわないと。

 

話をする際に、家庭の事情を話すと、あまりにボロボロなので自分で自分が気の毒になってきた。

今、子供は熱を出していて、私はギックリ腰で、夫は海外出張で、父は足が悪くて、母は死にそうなんです。

サトイモ発達障害のことは言わなかった。

言えば自分で自分をノックアウトしそうな気がした。

 

サトイモが全く言うことを聞いてくれないとき、心の臨界点を超えそうな気分になる。

このうえ母が他界したら、精神が耐えられなくならないか…。

乗り越えられるか、自問自答。

 

でも大丈夫。私は強い。

抱っこの末のギックリ

最近の育児セオリーでよく出てくるのが、

「甘えと甘やかしは違う。子どもが甘えてくるときは思い切り受け止めて、親は子どもの心の安全基地になってあげよう」

という「甘えは受け止め」論。

 

確かに、「あるけない、だっこして!」というサトイモの要求を蹴ると、どんどんワガママが肥大するばかりだった。

「要求を受け入れない=自分という存在自体受け入れてもらえない」

と思っているようだ。

ちょっと批評されただけでも存在を全否定されたように炎上する、幼稚なネットユーザーみたい。

サトイモは幼児なんだから幼稚で当たり前なんだけど。

 

そこで、できるだけ怒らずに、できるだけ要求を「いいよ」と受け入れるようにしたら、少しはワガママがマシになった。

ような気がする。

 

大好きベビーカー

ところが、抱っこを受け入れたせいで、今度は私の腰が壊れてしまった。

 

先週すでに、肩こりから頭痛が起きるくらいに身体は限界に来ていたのが、とうとう土曜日には痛みが腰と背中に。

荷物を減らすようにしたけれど、対策がちょっと遅かった。

 

土曜日は図書館に本を返却予約しないといけない日だった。

出かけたいけど、腰痛が不安。

どうしようか考えて、しばらく使っていなかったベビーカーで行くことにした。

 

実は先日、お友達とその息子(1歳7か月)がうちに遊びに来てくれた。

目的は、アンパンマンカーの幼児車の譲渡。


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サトイモはもうずいぶん長い間それで遊ばなかったのに、友人が帰りがけに私がアンパンマンカーを渡した途端、 

「だめ!あげない!まだあそぶよ!」

アンパンマンカーをひったくって逃げ出した。

 

え~~!!

わざわざ家にまで遊びに来てくれた友人に申し訳ないばかりだった。

平謝りしつつ、玄関先のベビーカーが目に留まり、

「このベビーカーも処分したいと思ってるんだけどね」

と話すと、友人はぜひもらいたい、と言ってくれた。

ところがサトイモはベビーカーについても、

「まだまだのるよ!あげちゃだめだよ!」

と猛反対するので呆れてしまった。

とんだケチンボ、断捨離不能者。

友人も苦笑い、私はメンツを失ってしまった。

 

そのベビーカーが、腰をいわしてしまった私の救世主となった。

 

歩くのが不安定な(走り出す、寄り道する、座り込む)サトイモを乗せるのはもちろん、重い本をカゴに入れられる。

しかも押して歩ける!

完全に「おばあちゃんの乳母車」状態。

でも、緊急事態だから仕方ない。

 

抱っこ抱っこの赤ちゃん返りが腰痛という災いを起こしたけれど、喜んでベビーカーに乗ってくれる赤ちゃん返りが腰痛の助けになった。

まさに塞翁が馬。

 

一進一退

日曜日、急遽予約して、新長田にある行きつけの整体院へ。

もちろんサトイモもベビーカーで同行。

こういうときは、意外と大人しくしていてくれて助かる。

行きの地下鉄でも非常におりこうさんだった。

 

整体の施術を受け、完全に治るとはいかないけどびっくりするほど身体が軽くなって、幸せな気分で日曜の新長田をうろついた。f:id:naminonamimatsu:20220712151813j:image

鉄人28号をちょっとだけ見るだけのつもりが、サトイモはその奥にある公園で長居。

ダイソーに行けば、必要ないS字フックだの道路用チェーンだのUSB接続の卓上扇風機だのを買うと言ってもめる。(おやつとオモチャは諦めさせて、結局それらを買った。いつか役に立つだろう…)

極めつけは、駅前にある噴水広場で子どもたちが水遊びをしているところへ服のまま参戦。

なんとかTシャツだけは脱がせたので濡れずに済んだけれど、ズボンとパンツはビショビショ。

仕方ないので、すぐそばにある西松屋に駆け込んで着替えを買う。

そんなこともおかまいなしで、サトイモはいくら言ってもなかなか水遊びがやめられず、夕方までそこで遊んだ。

 

帰りに投票所に寄って参院選の投票をする予定だったので、サトイモに、

「ママはこれから選挙に行かないといけないのよ。だからもうこれでおしまいにして〜」

と何度も頼んだけど、そんな大人の事情なんて聞き入れられるわけがない。

最終的には、

「そろそろオヤツ休憩しよう」

と声をかけてベビーカーに乗せて連れ去った。

 

投票所でも、その帰りでも(帰り道に公園があれば寄ってしまう)、疲れは続く。

せっかく整体で楽にしてもらったのに、また身体にガタがきてしまった。

何のために新長田まで行ったのか。

 

夫がいないと、こういうときに交代要員がないのがキツイ。

整体の先生に、夫の帰国は8月中旬になりそうだというと、

「えーっ!もっと早く帰ってきてもろたら?!そんなん、いつまで経っても治らんで!!」

と驚かれた。

でもまあ、なんとか頑張るしかない。

 

雨の恵み

昨日はの月曜は腰痛が残るので、行きはタクシーを使う。

サトイモはタクシーに乗れるのがうれしくて、すんなり家を出てくれた。

価値あるタクシー代。

 

私は普通に勤務できるものの、立ったり座ったりがまだ痛い。

上司には、

「腰痛が悪化したら、明日在宅勤務にさせてください」

とあらかじめ伝えておく。

 

今朝、腰痛はマシになっていたのに、大雨警報が出て幼稚園は休園に。

やはり在宅勤務を申請しようかと思って職場に電話しても、上司がみんな連絡がつかない。

なんと、大雨で職場に雨漏りがして、皆対応に追われているという。

なんちゅー老朽化!

在宅勤務をするにも話がちゃんとつかず、結局一日お休みをもらうことになった。

 

サトイモが家にいたら大人しくしてくれるわけがないから在宅勤務もはかどらないだろうし、腰痛はできれば安静にしておくに限るし、大雨警報が休みをとる良いきっかけを作ってくれた。

それもこれも塞翁が馬。

アンガーマネジメントと荷物

サトイモの行き帰りは、まだ困難が続いている。

登園しぶりもひどいし、家に帰るのも言うことをきかない。

いつからこんなことになったんだろう、と頭を抱える日々だ。

 

朝は比喩ではなく本当に引きずっていくか、抱っこで連れて行く。

現在サトイモの体重は14キロ。

4歳にしては軽めだが、抱っこで夏の道を歩くのは相当つらい。

(ちなみに、ご近所の半年下の子は24キロあるそうだ! とても抱っこできん…)

 

サトイモは、あらゆる手を使って行き渋りをする。

靴を履かなければ行かなくてすむと思ったのか、せっかく履かせた靴と靴下を脱ぐ。

カチンと来るが怒ったら負けなので、

「履きたくなかったら履かなくてもいいよ」

と裸足のまま外へ出したら、しばらくすると、

「くつはきたいよ!くつはかせてよ!」

と泣き叫んだ。

他人が聞いたらまるで私が靴を履かせない虐待をしているみたいじゃないか。

 

帰りも同様のことがあったが、このときは一瞬で、

「どうろがあつい!くつはかせて!」

と泣き出した。

「ね?靴は脱いじゃダメでしょ?」

なぜ文明人が靴を履くのか身を以て体験したようである。

 

そうまでして、なぜ園に行きたくないのか、なぜ家に帰りたくないのか、理由を尋ねても答えない。

「もう、どうろでねるしかない!」

なぜそうなるのだ。

こちらもわからないし、本人もわからないのだろう。

 

黄色い帽子のおじさんになりたい

今尊敬する人を聞かれたら、迷わず、

黄色い帽子のおじさん!」

と答えたい。

 

黄色い帽子のおじさんは、「おさるのジョージ」に出てくるジョージの保護者である。

黄色い帽子のおじさんは寛容で、ジョージのことを叱ったりしない。

ジョージはおさるである。

とんでもないイタズラをする。

ジョージなりに考えがあって「やらかす」のだけれど、結果はひどい。散らかす、破る、壊す、失くす、飛ばす、飛んでいく、などなど。

でも、黄色い帽子のおじさんは怒らない。

ただ困って、ジョージを諭すだけである。

 

相手が猿だと思っているから、許せるんだろうか?

私もサトイモを猿だと思えば許せるだろうか?

最近、サトイモのことを猿だと思ってあきらめよう、とトライしているけれど、そう簡単にはいかない。

 

最近、サトイモはクローゼットの奥から使わなくなってしまっていたAVコード類を引っ張り出してきて、テレビやパソコンやあらゆる家電に接続して遊んでいる。

「ねぇママ! これも、ゆーえすびーなの?」

「ママ! これはどうしたらつながるの?」

「このあなにはどれをさせばいいの?」


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コードは散乱し、テレビは線がからまり、ルーターはコードがぶら下がり、コンセントはタコ足にされている。

特に電源が入っているものは、間違った接続で熱を持って発火してしまうのでは、とイライラする。

 

こんなとき黄色い帽子のおじさんなら、怒らないのだろうか?

しばらく我慢してみるが、苛立ちは隠せない。

 

アンパンマンの世界では

毎朝見ているBS日テレの「それいけ!アンパンマンくらぶ」で、先日、クリームパンダちゃんとベビードーナツが小麦粉の袋を取り合いして破いてしまうというシーンがあった。

ビードーナツの親のドーナツマンはそれを見てもニコニコ笑うだけで叱らない。

 

小麦粉一袋まるまる無駄にして、もったいないじゃないの!

二人が取り合いする大きさからして、1キロ?3キロ?

食べ物を無駄にするなんて罰当たりめ

食料不足の国もあるんだぞ?!

それいくらすると思ってるの!!

生産者の気持ちになってみろ!!

 

私だったら怒らずにはいられない。

アンパンマンの国では経済という概念がないし、小麦粉は魔法でいくらでも手に入るから腹も立たないのだろうか。

 

金持ち喧嘩せず、という言葉がある。

「また買えばいいよ」

という感覚があれば腹も立たないのだろう。

根っからの貧乏性でもったいながりの私にはその境地は程遠い。

 

私でさえそうなのだから、もっと生活に困窮している世帯で子供が食べ物を粗末にしたり、電気水道等のムダ使いをしていたら、腹が立つに決まっている。

つい手を挙げたくなる気持ちもわくだろう。

 

今現在もサトイモの洗面所での水遊びが止まらない。

環境問題からしても、水は大切に、と何度も諭すけれど、聞く耳を持たない。

水遊びはお風呂でやってくれ、と言ってもダメだ。

サトイモを許すためには、家計と環境問題への意識は捨てないといけない。

寛容であるためには、どこか信念を犠牲にしないといけない部分がある、というのが最近の葛藤。

 

荷物を諦める

最近、行き帰りに抱っこをせがまれるので、肩こり腰痛がひどく、体調がすこぶる悪い。

荷物が重すぎるので、少しでも軽くするために、自分の荷物を極力減らすことにした。

 

もともと私は荷物持ちで、予備のマスク、エコバッグ、常備薬、文房具、日焼け止めクリームやハンドクリーム、などなど、今は必要ないけどあったほうが便利かも、と思うものをあれこれカバンに入れてしまう。

結果、荷物が重いこと、重いこと。

それを思い切って、持ち物はスマホと財布、ハンカチとティッシュだけにして、大きなカバンをサコッシュに替えてみた。

 

水筒と日傘もやめたので、熱中症対策はできてないけど、その2つが特に重かったことも事実。

サトイモという大きな大きな荷物を背負うために、自分の小さな荷物はあきらめた。

結果、大きなカバンがなくなると、意外と快適。

子育てリベンジマッチ

夫が約1ヶ月半の海外出張に旅立ったのは、「父の日」の2日後だった。

 

父の日の日曜、夫は娘さんからプレゼントしてもらったクラフトビールの詰め合わせと、サトイモが幼稚園で作ってきたパパ用コップを前に上機嫌だった。

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サトイモが作ってくれたこのコップで飲んだら、ビール美味しいわ」

と言うと、サトイモも、

「じゃあまたつくってあげるね!」

と喜んでいる。

「俺は幸せな父親や。行くの嫌やなぁ」

夫は子供がいる幸福と、そこから遠く離れて働きにでないといけない不幸せを噛み締めていた。

 

毎年、私も父の日は何かプレゼントを贈っていたが、今年はやめにした。

母の危篤騒ぎの際、父が母に対して、

「何を感謝することがあるんや。こっちが感謝してほしいくらいや」

と言い放った言葉が憎らしく、もしも「今年の父の日は何もしてくれなかった」などと言おうものなら、同じ言葉を返してやるわと憤っていた。

 

父の子育て

それでも、子育てをするようになって、私自身が幼い頃の父の育メンぶりを振り返り、感謝することがいくつもある。

 

父は毎日夕方5時半に帰宅。

買い物に行くと、必ず一冊は絵本を買ってくれたし、テレビアニメの放送があればチェックして教えてくれた。

跳び箱が跳べなかったら馬になってくれて練習台になってくれたし、鉄棒で逆上がりができなかったときは公園で練習に付き合ってくれた。

「なみ松が好きなようにしたらええんやで」

そう言って、いつも私の自主性を重んじてくれたし、一度も怒鳴ったり手を挙げたりしなかった。

 

子育てにおいてそういうスタンスはとても重要だ。

最近トレンドの子育て本や動画なんかに出てくる関わり方を、父は40年以上前からやっていたのだ。

途中からおかしなことになって、私がひねくれてしまったけれど、子育て方針は立派だったと今にして思う。

 

サトイモを連れて実家に行ったとき、サトイモが一度口に入れた食べ物を吐き出しているのを私が叱り、何度言ってもやめないので頭にきてつい手を振り上げてしまったことがあった。

「叩いたらあかん!」

父がとっさに言った。

「子どもを叩いたら絶対あかん!」

言われて初めて、それは頑ななまでの父の子育てポリシーなのだと気づいた。

 

…だったらなんでお母さんを殴ったんだよ。

と、娘は思うのだが。

すべてにおいてパーフェクトな聖人はいない。

人間は矛盾する生き物だなぁ。

 

孫で再チャレンジ

父の父(つまり私の祖父)は50歳で早死にしたので、母も会ったことがなかったそうだ。

そのため、本当はどんな人だったのかわからないのだけれど、父から祖父に対するポジティブな発言を聞いたことはない。

 

「とにかくよう怒られて、よう殴られた。なんで怒られるんかわからんかった。ほんで最後はボカーン!や」

おじいちゃんについて教えて、と聞くと、父は暴力の記憶しか言わない。

 

実際そうだったんだろうけれど、怒られる理由がわからないのは本人だけで、怒っているほうには理由があったはずだ。

でも、父は自分の何が悪かったかまるでわからず、同じことをしてまた叱られていたんだろう。

サトイモを怒るとき、ときどきそんな父のことを考える。

サトイモも、なんで怒られてるのかわかってない可能性が高い。

私も、なぜかガミガミ怒るばかりの母親として認識されているかも。

 

母の認知症に対応するときに学んだ、

「なぜ叱られたかは忘れてしまうが、叱られた負の感情だけは心に蓄積する」

という真理が、発達障害の子供にも当てはまる気がする。

 

お祖父ちゃんの時代に発達障害だとか「叱らない子育て」だとかを理解しろというほうが無理だけれど、令和の今は違う。

父が間違った育てられ方で才能を伸ばしてもらえなかったのを、サトイモでは失敗しないようにしたい。

 

知能検査で「IQ130&おそらくADHD+PSDか何か」と言われたあと、私はショックとともに闘志がわいた。

高IQ問題児、上等!

できないことを悲観するより、できることを楽しめばいい。

平凡でつまらない人生より、困難で面白い人生を!

これは、私に課せられた父のリベンジだ、と。

 

わかっちゃいるけどやめられない

しかし、子育てのヤル気に満ちていたのは最初の数週間だけだった。

夫の不在が影を落としているのか、最近のサトイモはワガママがひどい。

ワガママをコントロールできず、ついブチ切れる日々に、私の自信は崩れていく。

 

一番困るのは、「おうちにかえりたくない」病。

園や教室からの帰り、勝手に走っていってしまうのだ。

勝手に、といっても、一人で行くわけではなく、

「ママついてきて!」

と私は盲従しないといけないらしい。

 

仕事帰りで疲れているし、早く帰ってやらないといけない家事もあるのに、家とは逆方向にウロウロし、おまけに自分では荷物も持たないで私に持たせ、意味なく遠回りばかりさせられると、さすがに切れる。

「いい加減にしなさい!そっちには行かないからね!!」

こちらが折れないでいると、大声で泣き叫び、道にひっくり返る。

挙げ句、

「だったらもう、おうちをこわすよぉ!!ママはおうちがこわれてもいいの?!」

とテロリストのような脅迫をしながら、大声で泣く。

近所迷惑もいいところ。

 

帰りもひどいが、朝の登園しぶりもひどい。

あの手この手で準備をさせようとするが、すぐにベッドの中に潜り込んだり、ソファの後ろに隠れたりして、出かけるのを拒絶する。

 

無理やり靴をはかせると、靴をはいたまま家中走り回る。

無理やりトイレに座らせようとすると、パンツを脱いだところでトイレ前でおしっこをもらす。

 

もらされたときはさすがに私が精神的に参ってしまって、

「もらすなんてひどいよ!もう会社に間に合わないよ!ママは頑張ってるのに、なんでそんな嫌がらせばっかするの?!」

と床を拭きながら声を上げて大泣きしてしまった。

私が泣く様子にサトイモは満足したのか、態度が前向きになり、ご機嫌で幼稚園に出かけて行った。(そして幼稚園にも会社にも間に合った。)

 

こういうワガママは、注目行動だとか試し行動だとか呼ばれるものだとは思う。

それならば、怒ったり無視するのは逆効果で、「どんなに悪いことをしても、私はあなたを愛しているよ」という態度を取るのが正解、らしい。

わかっている。

怒っても解決しないことは。

わかっていても、イライラして頭に来るし、「あんな子供ほって帰りたい!もう知らん!」と逃げたくなるのが人間ってもんだ。

 

子育てリベンジマッチは早くも負け色が濃厚。