3歩前のことを忘れる女のサブカルと介護の記録

神戸に住む40代波野なみ松の、育児と趣味と要介護両親の対応に追われる日々の記録。

尼崎市民は尼崎が大好き

私と同じく結婚しない・子供はいらない派だった友達が、「子供がほしい」と言い出したのが数年ほど前の話。
「年下の彼氏ができてトチ狂った?!」
と茶化して突っ込んでみたら、
「これから先の人生、自分のためだけでは生きていくモチベーションが保てない気がする。子供とか、誰かのため、っていうんじゃないと…」
と言う。まさかの哲学的回答に驚いた。

その頃の私は、「ほえ~!」とバカみたいに感心するばかりだったけど、今はその気持ちがちょっとわかる。
人生後半になると、自分のために無為に時間を過ごすのではちょっと虚しい。

『生きているのはひまつぶし』というのは深沢七郎の本のタイトルだけれど、私も「生きているのは死ぬまでのひまつぶしである」という意見には同意する。
その一方で、どうせ暇を潰すなら、自分が楽しめるか、誰かの役に立つか、どちらかでありたいなぁ、とも思う。

そんなことを考えるようになったのは四十を過ぎてから。若い頃の私は自分のことばっかりで、誰かの役に立ちたいなんて考えたこともなかった。
ところが、早くからそこに到達し、人や社会の役に立つことを仕事にしている人たちがいる。

大学時代の先輩の清田仁之さんはその一人で、人や社会の役に立つだけでなく、おまけにめちゃくちゃ面白いことをやっているというミラクルな人だ。

清田さんが代表を務めている「月と風と」は、重度の障害者支援を行っているNPO法人である。
「月と風と」は、去年とうとう10周年を迎えた。
最初は運営に苦労していたみたいだけど、劇場型銭湯プロジェクトだとか、地域に開かれたカルチャー教室だとか、随時開催されるゲームやワークショップなどのイベントだとか、障害者と健常者の垣根をなくした地域活性化を行っている。
アートというか、サブカルチャーというか、とにかく「なんか自分たちが面白いことをする」、それが障害者支援や町づくりになっているというスタンスが素晴らしい。

いつも「月と風と」の活動をみて、参加したいなぁと思っているものの、イベントの開催日は週末がほとんどなので、参加できずにいた。
平日の夜なら行けるのになぁ、と思っていたところ、清田さんがゲストスピーカーの一人として呼ばれている尼崎ソーシャル・ドリンクスというイベントがあるというので、6月6日の夜に阪急塚口にあるイタリアンレストランへ行ってみた。

テーマは「地域発のプロジェクトを支えるクラウドファンディング」と言うことで、清田さんは「月と風と」の代表というより、「尼崎みんなのサマーセミナー」副理事長という立場でしゃべるらしい。

私は全然知らなかったのだけど、「みんなのサマーセミナー」というのは、町の人が先生になり生徒になり、みんなで学校ごっこをするイベントだそうだ。
去年から尼崎で開催されているらしく、前回は3,500人もの人が参加したそうだ。
今年も8月に開催されるんだけど、運営資金をクラウドファンディングで募っているらしい。

尼崎市もバックアップしているみたいで、尼崎ソーシャル・ドリンクスに集まっている人たちは半分くらいが市の職員さんだった。(普通の公務員だけじゃなくて、消防士さんや保健師さんも。)
とは言っても、お仕事だったり動員だったりするのではなく、皆さん自主的に来ているらしい。
食べたり飲んだりしながらお話をきくイベントだったので、同じテーブルの人たちと自然と話をした。

隣に座ったのが今年尼崎市に入職したばかりの男の子で、健康保険係をやっているらしい。
尼崎というと、ちょっとガラが悪い印象があるので、
「窓口に面倒くさいクレーマーとか来てイヤにならない?」
と尋ねると、
「そういう市民の方は、良くしようという思いで怒ってこられてるので、その思いに答えられる公務員にならないといけないな、と思います」
と、神回答。

もし私が利害関係者だったら、
「また心にもないキレイごとを!」
と思うけれど、私は何の関係もない見知らぬ神戸市民である。
「家帰ってから思い出して『クソッ!クソッ!』とかなるでしょ?」
とカマをかけても、
「そんな、なりませんよ!」
と普通なので、感心してしまった。
あんた未来の尼崎市長候補だよ!

大阪と神戸に挟まれた阪神地域の中でも、尼崎は少し特徴的な町だ。
何年か前に有名な連続殺人事件があったり、「川崎、尼崎、釜ヶ崎」を3崎と呼び、日雇い労働者の町だという話も聞いたことがあったり、ボートレース場や競馬場があったり、申し訳ないけどダークサイドを抱えている町、という印象がある。

清田さんが「月と風と」を作るときに、わざわざ尼崎市を選んだことに、私はずっと疑問があった。
大好きな甲子園がある、大学時代に住み慣れた西宮市ではなく、なぜ尼崎?

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尼崎ソーシャル・ドリンクスでの清田さんのプレゼンは、「月と風と」の活動紹介がちょこっとで、あとは「みんなのサマーセミナー」の紹介。

みんなのサマセミの副理事長にまでなった、清田さんの活動はすっかり尼崎に根付いている。
尼崎の良さは、詰めの甘さ、ワキの甘さ、ふところの深さ、らしい。
昔から清田さんがよく言っていた、いい意味での「いい加減」を象徴する町なんだろう。
大阪でもない、神戸でもない、尼崎だからというのがそこにある気がした。
そんな尼崎だから、福祉だとか町づくりのような、一歩踏み間違えたら偽善になりそうなものも、地に足が着いた誰もが楽しいイベントに早変わりする。

ちなみに、「みんなのサマーセミナー」のクラウドファンディングでは、「誰がこんなん欲しがるねん(笑)」と突っ込んでしまいたくなるリターンがいっぱい。

そのなかで一番気になったのが、FMあまがさきの『8時だヨ!神さま仏さま』という番組の出演権というもの。
神社の宮司とお寺の住職とキリスト教の牧師が3人でDJを務めているラジオ番組らしい。
出演権は欲しくないけど、その番組が気になって検索したらPodcastで視聴できた。

宗教すらボーダレス。
ふところが深いぞ、尼崎!

不安な気持ち

こんな夢を見た。

母の口腔ケアのとき、私はペンチで母の下の前歯を1本摘まみ、力まかせに挟み潰す。
粉砕された前歯。
「あああ!!やってしまった!!」
と慌てる私に、
「大事にしてた前歯なのに!!」
と母が泣く。(夢だからまだしゃべれる設定。そして、歯が砕けたのに痛くはないらしい。)
「どうしよ、ごめんね、ごめんなさい…」
と大慌てで謝る私。
なんでこんなことをしてしまったんだろう、取り返しがつかないことをしてしまった…。

後悔と反省と不安に押し潰されそうになって、目が覚めた。

夢で良かった。
ていうか、口腔ケアでペンチなんか使わないし!

このテの夢は久しぶりだ。
かつては、食事介助のときに母の食べ物を詰まらせて死なせてしまうとか、階段の昇り降りの介助で二人とも落下するとか、そういう夢を見ていた。
おかげさまで介助も安定してきて、不安の減少とともに、最近は嫌な夢も減っていたのだが。

先週なかば、施設にいるときに、母の右腕に表皮剥離が起きた。
表皮剥離、簡単に言うと皮膚が切れて傷ができたってこと。
肌が弱くなっているので、ちょっとぶつかっただけですぐに内出血したり、皮膚が破れたりする。

ついうっかり、というのは仕方ないものだけれど、ここのところ右腕のケガが続いていた。
同じような箇所を何度もぶつけていて、春先からずっと内出血が続いていたところだった。
そのうえ、腕に比べたら小さいけれど、右肩の鎖骨の横にも内出血ができていた。
こんな場所をぶつけることもないだろうし、どうしてこんな場所に内出血ができるのかがわからない。

その話を訪問リハビリの療法士さんに相談すると、肩の内出血は、筋肉が固まっているのに無理に動かそうとしてできたものではないか、という推測だった。

今までにないパターンに、ちょっと不安に思っていると、ケアマネさんから謝罪の連絡があった。
療法士さんから施設に連絡してくれたらしい。

施設内でも話し合ったところ、右腕の表皮剥離はポータブルトイレに移乗させるときに、ポータブルトイレの手すりにぶつけてしまったものらしい。
左腕はもとから動かない前提で介助しているのだけど、右腕は動くものだという固定観念があって職員の注意が至らなかったようだ、という。

その説明は実感としてよくわかった。
この施設の小規模多機能にお世話になるようになって、1年と10か月になる。
最初はまだ抱えれば立てたし、右手もかろうじて動いていた。

病気は進行する。
今ではどんなに抱えても立てないし、右手の拘縮も強くなってきて、左手同様に動かない。
職員さんたちが意識や介助方法をアップデートするよりも病気の進行の方が早い、ということなのだ。

「今後は移乗のときには手すりを必ず外すようにして、右手にも十分に配慮するよう、職員全員で徹底します」
と、ケアマネさんから謝罪をもらった。
もちろん、十分に気を付けてもらいたいし、ケガをした母はかわいそうだけど、あまり職員さんたちにプレッシャーをかけたくないなぁとも思う。

私が、「いつか取り返しのつかない失敗をしてしまわないか」と悪夢を見るように、介護スタッフの皆さんも常に不安を抱えているんじゃないかと思うと、気の毒になる。

人に話すと、
「プロだから大丈夫。割りきってるよ」
とか、
「自宅と違って施設は設備が整ってるから平気だよ」
とか言われるけれど、本当にそうだろうか。
そうだったらいいけど。
そうあってほしいなと思う。

喫煙者と嫌煙家のヤマアラシのジレンマ

最近、映画やドラマで人が死ぬシーンが、自分が追体験したように感じられてすごく怖い。

切られるとか撃たれるとかは何でもないんだけど、溺れ死ぬのを見ると息苦しくなって恐怖を感じてしまう。

 

私がオカルティストだったならば、

「きっと私はかつて溺れ死んだことがあり、それがトラウマになっているのだ」

と、前世の記憶をたどるかもしれない。

前前前世では僕は きっと溺れ死んでたよ~、なんて歌ったりして。

 

幸い私はオカルティストではないので普通に考えてみた。

切られたり撃たれたりしたことはないから、その痛みや苦しみがどんなものかわからないけれど、呼吸ができない苦しさは、息を止めれば簡単に体験できる。

溺れたことはなくても、水泳で息継ぎができないときの苦しさも知っている。

これまでの経験から、映像の中の水死の苦しみがリアルに感じられてしまうのだろうと思う。

 

ていうか、私は毎週、息ができない苦しみを味わっている。

 

父がタバコを吸うとき、または吸ったあとの部屋に入るときは、ずっと息を止めているからだ。

 

父はところかまわずタバコを吸う。

本来、脳梗塞後は禁煙するようにと医者から止められているにもかかわらず、タバコをやめる気は一切ない。

最初は隠れて吸っていたものの、だんだんと平然と吸うようになった。

 

世の中のお父さんたちは、外で吸ってくれたり、換気扇の下で吸ってくれたりするが、うちの父は傍若無人である。

せめて換気扇を付けるように何度も注意した結果、最近では換気扇のスイッチは入れてくれるようになった。ただし、よく忘れるのでそれすら完璧ではない。

 

何より、病気で身体が動かない母に副流煙を吸わせたくないのだが、

「お母さんのいるところで吸わないで。お母さんに煙を吸わせないで」

と注意しても、

「換気扇付けとうやんか」

と換気扇のスイッチが免罪符のように主張するので腹立たしい。

 

週末の夜、リビングで両親が二人並んでテレビを見ている際、

「私、お風呂入ってきてもええかな? お父さん、その間お母さんをよろしくね」

と頼むことがときどきある。

たいして何をしてもらうわけでもない。

私が入浴している30分程度の間、一緒にいてくれたらいいだけだが、父はそれすらまともに務めてくれず、母を残してどこかへ行ってしまうこともしばしばである。

どこか、といっても、庭へタバコを吸いに行くか、タバコを買いに行くかだ。

「たった30分程度やのに、なんでじっとしてられへんの!?」

と怒った翌日、今度は母の隣でタバコを吸っていた。

席を外すな、と私が怒ったせいだろう。

でも、そっちのほうがやってほしくなかった…。

 

父が肺を患って死ぬのは本人の勝手だ。

肺がんでも肺気腫でも、好きになればよい。

けれど、家族の健康を考慮してくれないのは問題だ。

血管に対するタバコの害悪は世間的にもよく知られていること。

母は心筋梗塞を患ったことがあるのだ。

kenko100.jp 

 

「逃げることもできへんお母さんの横で、平気でタバコを吸うなんて!」

と私が怒鳴ると、父は、

「タバコ吸うてもええか、って訊いたけど、お母さんはアカン言わへんかったで」

と答えたので余計に腹が立った。

返事ができない母に対してそれはないじゃないか。口がきけない相手に対して卑怯すぎる…。

 

ただ、思い返せば、母は父のタバコに対していつも、

「お母さんは慣らされとうからかまへんよ、我慢するわ」

と寛容だった。

けれどそれは「我慢」なのだ。

タバコを吸いたいのを我慢する「我慢」と、煙を吸いたくないのに吸わされる「我慢」は、果たして同じ「我慢」なのか?

 

相手を苦しめる行為をする。

そこに愛なんかない。

家族を守るどころか、平気で苦しめる父は何なんだ、と思ってしまう。

タバコを吸う父に対して、

「うちのお父さんは、私やお母さんが病気になってもかまわないんだな。大切に思ってないんだな」

としか思えない。

タバコに火が点くとき、私の心に悲しみが積もる。

 

若者には信じられないことだろうが、昔は電車や映画館の中でも喫煙可能だった。

私が入社したときのオフィスでもだ。

隣の席の人はチェーンスモーカーで、タバコに火がついてないときがないほどだった。

それが普通だったし、それを毛嫌いするほどのこともなかった。

 

そう、当時は私も煙が平気だったのだ!

 

けれど、世間の空気がどんどん澄んでくるにしたがって、タバコの煙がだんだん耐えられなくなってきた。

もともと喉が弱いので、ちょっと煙を吸うとすぐに喉が痛くなってくるし、ひどいときには気分が悪くなり、頭痛がしてくる。

きっとタバコの毒性に耐性がなくなってきたんだろう。

魚に例えると、ドブ川に住んでいた頃は汚水に慣れていたけれど、水がキレイになって清流に暮らしてしまうと、元のドブ川に戻ったら死んでしまうようなものだ。

 

あるとき、若者や女性が吸っているタバコの煙は父の煙ほど臭くないな、と気が付き、タバコの銘柄を変えてもらったらどうか、と思いついた。

父が吸っているタバコはピース。

「ピースってキツイんちがうの?」

と訊くと、

スーパーライトやで」

とドヤ顔で言う。

しかし、スーパーライトでもタールは6mg。

これを1mgに変えてもらえないだろうか、と頼むと、

「どんなんがあるんかわからん。買うてきてくれたらそれ吸うわ」

と言う。

 

だったら、私が選んで1mgのタバコを与えればよい。

私が一番苦しくない煙のものを選べばよいのだ。

…と、スーパーで見てみたものの、弱ってしまった。

同じような箱がずらりと並んでいて、何が違うのかさっぱりわからない。

メビウスのタール1mgだけでも種類がありすぎる。

ボックスとかインパクトとか何ですかそれは。

レジのところにあり、とてもじゃないけれどレジ係に、

「これとこれは何が違うんですか?」

と訊けるはずはない。

とりあえず、適当に3つ買ってみた。

 

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買ったものを父に吸ってもらったけれど、やっぱりタバコ臭いことには変わりなかった。

タールの問題じゃなかったのか…。

自分が門外漢なので、何がどうなのか見当もつかない。

本人は美味しくなさそうだし(やっぱり吸い慣れたピースが良いらしい)、私の喉はラクにならないし、出費しただけで何もいいことがなかった。

 

父に副流煙健康被害について知識がないというのもあるけれど、父は私がタバコの煙を嫌がるのを「私のワガママ」だと思っているフシがある。

単に嫌いなのではない、喉の痛みや頭痛があるのだ、と訴えても理解してくれない。

吸っている自分が平気なのに、周りが苦しむなんて想像もつかないようだ。

 

おそらく、世間の喫煙者のほとんどが父と同じだろう。

「なぜ嫌がられるのか理解できない、吸わない奴のワガママではないか」

と、どこかで思っているんじゃないか。

喫煙者が差別されている、と自分たちを被害者だと感じているかもしれない。

 

こうなると、喫煙者と嫌煙家の溝は深まるばかりだ。

けれど、根本原因は、嫌煙家がどれだけ苦しんでいるかがわからない点にあるのではないか。

将来の健康への悪影響を説いても、先のことすぎて感覚的にはピンとこないのもあるだろう。

でも、「今ここにある苦しみ」をまず理解してほしい。

 

タバコの煙を吸わないようにするため、私はリビングやキッチンで息を止める。

隣の部屋まで行って息継ぎをして、また戻って冷蔵庫から物を取り出したり食器を片付けたり、用事を済ませる。

息ができずに苦しんで苦しんで窒息寸前、それでも我慢する。

タバコの煙を吸って長時間喉の痛みを伴うより、数分息を止めるほうがまだマシだから。

 

私だって、タバコの煙を吸っても平気だった昔に戻りたい。

そうすれば喉も痛まず、咳も出ず、頭痛もせずに済むから。

でも、もう清流に住んだ魚は、ドブ川に戻れないんだ。

何かとちょっと惜しい『楊貴妃 Lady of The Dynasty』

中国の歴史ドラマというか、時代劇をよく見ている。

なかでも『武則天-The Empress-』が大好きだ。(6月から再放送が始まったって!)

www.twellv.co.jp

なんといっても、ファン・ビンビン(範冰冰)が美しすぎてうっとりする。

中国ナンバーワン美女の称号は伊達じゃない。今、アジア一、いや世界一の美女は彼女だ(←私見です)。

これまでも、『墨攻』や『孫文の義士団』、『新少林寺』といった映画で彼女の美しさは知っていたけれど、主人公の妻役・相手役として英雄に花を添えるスタンスだったし、取り立てて注目はしていなかった。

しかし、主役となると存在感が違う。

百花繚乱の後宮を描くドラマだから衣装やメイクの派手さが違うというのもあるけれど、彼女の顔立ちやスタイルがそれにドはまりしている。

ほかの女優さんたちもみんな美しいのだけど、群を抜いて輝いているのだ。

あー、もう、この顔大好き!

 

そう思っていたところ、彼女が主演の映画『楊貴妃 Lady of The Dynasty』のチラシをゲットした。

世界三大美女楊貴妃ファン・ビンビンが演じるなんて、なんてぴったりなの!?

しかも、楊貴妃を愛した玄宗皇帝にはレオン・ライ(黎明)!(何を隠そう私は香港四天王の中でレオン・ライが一番好き!)

楊貴妃の元々の夫である寿王には元・飛輪海のウー・ズン(呉尊)。

豪華キャストじゃないか。

 

監督はチャン・イーモウ張芸謀)、ティエン・チュアンチュアン(田荘荘)、シー・チン(十慶)となっていて、チラシを読むとジャン・ウェン(姜文)の名前まである。

こんなに巨匠が並ぶなんて、なんて豪華な…、んんん??

オムニバス形式じゃあるまいし、監督名が連名って何??

それにしても、こんなに豪華キャスト・巨匠監督作品なのに、レイトショー上映??

そのうえ曜日限定??

 

ネットで検索しても、公式サイトすらない。

よくよく見たら2015年の作品である。2年も前の作品??

YouTubeで全編アップされているし。(日本語じゃないけど。)

www.youtube.com

 

公式情報の代わりに出てくるのが、キャストが降板したとか、セクシーシーンが問題になってカットされたとか、製作上のゴタゴタやゴシップ。

日本のサイトではらちがあかないので百度で中国のサイトを見てみると、日本の映画情報サイトと監督情報が異なっている。

(↓いきなり音が出るので気を付けてね。)

baike.baidu.com

 

チームとしてチャン・イーモウティエン・チュアンチュアンが協力しているけれど、主となる監督はこれが初監督作品となるシー・チンみたい。

チャン・イーモウ監督作でひっそり上映なんておかしいと思った。

これらの状況から見えてくるのは、大きな劇場で大々的にやらないにはそれなりの訳があるってこと。

 

とはいえ、作品を見ないことには始まらないので、今週の水曜日に新開地のCinema KOBEへ見に行ってきた。

 

とにかく、おとぎ話のように繰り広げられる映像美の連続。

期待どおりファン・ビンビンはとても美しく、それだけでよしとするしかない。

ただ、恋愛対象であるレオン・ライはというと、正直、最初誰だかわからなかった。

あれ?? 顔の幅がずいぶん広くなった??

そういう役づくりなのか、それとも、男性は歳をとると顔の面積が増えてしまうのか…。

皇帝らしい風貌だけどオヤジくさいなぁ、と残念に思いながら見ていたけれども、二人の恋のかけひきが始まって以降、玄宗皇帝が魅力的に見えてきた。

寿王と別れて出家した楊玉環(まだ貴妃じゃないから)を自分の妻に迎えたい玄宗皇帝は、わざわざ彼女に会いに寺まで行く。

国の最高権力者がそこまで熱心に求愛しているにもかかわらず、楊玉環は、

「権力を使う以外、皇帝に何ができるのですか」

と嫌味を言い、拒み続ける。

それに対して、

「わかった!では最高権力を使うのみだ!」

と意地になって彼女を自分のものにしようとする皇帝の姿は、単なる駄々っ子みたいで愛らしい。

楊玉環が本気で彼を嫌っているなら傲慢で嫌な奴でしかないけれど、内心はまんざらでもないのがわかるだけに歯がゆいのだ。

金も力もある大人の男性が、恋愛に対しては不器用にしか扱えない姿にキュンとくる。

一言でこの映画を紹介するならば、「美しい映像で綴る、絶世の美女とオヤジ皇帝の恋愛の始まりから終わりまで」といったところ。

(補足:映画の製作については、下記のブログが大変参考に なりました。)

『王朝的女・楊貴妃』監督インタビュー①「愛と死が鮮烈に描かれている」:姜文(ジアン・ウェン) - 華流ドラマ・映画まとめ速報

  

ただ、『武則天-The Empress-』ほど夢中になれなかったのはなぜか。

なんか物足りない。

武媚娘と楊玉環の性格の違い?

時代設定の違い?(『楊貴妃』は歴史ものといった性質ではないようで、礼儀作法や言葉遣いなど時代考証がゆるいみたい。)

それとも、映画館でイビキをかいていたジジイがいて集中できなかったから?(しかも最初から最後まで!!ひどすぎる!!)

 

いろいろ考えたけれど、やっぱり後宮ドラマの面白さは女たちの戦いにあるのだと気が付いた。

愛情、嫉妬、友情、裏切り、陰謀、復讐!

武則天』はそんな女たちの情念がメインだけれど、『楊貴妃』にはそれがない。

後宮ものは、タイプの違う美しい女性がたくさん出てきて、それぞれがいろんな恋愛の形を描くから面白い。

それを描くには2時間では足りないだろうなぁ。

後宮は映画に不向きな題材と言えるかもしれない。

我が国においても、源氏物語や大奥の映画がそれほど面白くないのも、2時間では足りないことを物語っている。

父の健康茶ブーム

父が、介護保険適用のリハビリ施設に通うようになったのが、去年の7月。

ちょうど10か月が過ぎた。

通い始めるまではあんなに嫌がっていたリハビリも、今では楽しそうに通っている。

これまで行きたくないと言ったことのない父が、先週の月曜日に、

「今日はリハビリ休もうかな…」

と言い出した。

そんなことを言うのは初めてだったので、

「なんで? 体調でも悪いん?」

と心配して尋ねると、

「いいや。見たいテレビがあるんや。『眼下の敵』っていう映画」

「録画したげよか?」

「そこまでして見んでもええ」

「じゃあリハビリ休んでまで見んでもええやん」

「ほんなら行くわ」

心配したこっちがアホくさくなった。

おそらく、「休もうかな」と口にしたかっただけ。

父は元来真面目な性格なので、たぶんサボったりはしなかっただろう。

映画が見たいから、という理由が、私も血は争えないなと思う。(私だったら絶対録画するけどね。)

それもこれも、リハビリに出かけることが習慣になってきた証拠だ。

 

父は去年の12月に転倒して膝の皿を割り、1か月ほどリハビリをお休みしたが、それ以外は皆勤賞である。

ギプスが取れたらすぐにリハビリを再開したのには驚かされた。

父曰く、久しぶりに顔を出すと他の利用者さんから口々に、

「来ぅへんから心配しとったんや。どないしとったん?」

と声をかけられたらしい。

「み~んなが言うてくるんや。ほんま面倒くさいで~」

そう嬉しそうに語っていた。

やっぱり知り合いができるというのは良いことだ。

 

そんな父に最近、こんなことがあった。

リハビリでとあるご夫婦の利用者さんと知り合いになった。

父は、自分は高血圧から脳梗塞になり、その後遺症で左足がうまく動かないのだ、という話をしたそうだ。

すると、そのご夫婦は高血圧対策としてあるお茶を飲んでいて、あなたも飲んでみたら、と勧められたそうだ。

その翌週、 「この袋に3パック残ってるけど、あなたにあげる。ヤカンで煮出せば1パックで2リットル取れるから」 と、父にそのお茶をくれたらしい。

「(普段家で飲むティーバッグと比べて)大きいパックやしな、3つも入っとうしな、お礼をしようと思うんや」

父はそのご夫婦がわざわざお茶をくれたことに感激したようだった。

 

いつの時代でも健康茶は人気がある。

昔、叔母が枇杷の葉茶が良いといってうちの庭の枇杷の葉を定期的に摘んでいたことがあった。

母の友達は柿の葉茶、近所のおばあさんはアマチャヅル茶、お習字の先生はドクダミ茶。誰だったか、サルノコシカケ茶だとか、杜仲茶を飲んでた人もいたっけ。

まったく、おばちゃんになるとなんでみんな草を煮出した汁を飲みたがるのかねぇ?、と子供心に思っていたが、そんな私もおばちゃんになり、どうせ飲むならと、会社で飲むのは健康茶が多い。

ローズヒップ&ハイビスカスのハーブティー、ごぼう茶、甜茶黒豆茶ウコン茶、シイタケ茶などなど。

しかし先日、元町のナチュラルハウスでショウガ紅茶を買おうとしたら、あまりに高くてびっくりしてしまった。

そんなこともあったので、「3パックももらったからお礼せなあかん」という父の意見には賛成した。

 

その次の週に実家に帰ると、ゴティバのチョコレートが置いてあった。

わざわざ一人で姫路まで出て、買ってきたのだという。

父が「とっておきのプレゼント」だと思っているのがゴティバのチョコレートなのだった。

ゴティバは父のアホのひとつ覚えであった。

発音できないので、ゴリバと言う。

どこか、 「こんな舶来の高級品を知っている俺ってオシャレだろう」 と自慢しているところがあり、鼻につく。それしか知らないだけのくせに。

まあそれでも、心底、お茶をもらって喜んでいた感謝の気持ちだし、許してあげよう。

 

さて、さらにその翌週。

ゴティバの件は無事に渡して終わり、もらった3パックを使いきった父は、自分でもそのお茶を続けようと、自らそのお茶を買ってきた。

「スーパーで袋(パッケージ)を見せて、同じヤツを探してもらったんや。店員はえらいもんやな。すぐ出してくれたわ」

見せてくれたお茶がこれだった。 f:id:naminonamimatsu:20170529120022j:plain

えっ?!?! 普通の麦茶やん?!?!

「普通ちゃうで。大麦っていうのが入っとうのがええらしいで」

健康にいいのは確かだろうけど…。 でも一般的な麦茶だ…。

 

それまでの父の口ぶりから、まるで父がこれまで飲んだことのないお茶のようだったので、まさか麦茶とは思わなかった。

そりゃティーバッグより大きいはずだわ…。

「昔、夏になったらいつも、お母さんが麦茶作って冷やしといてくれたん、忘れた?」

昔はどこの家にも、煮出した麦茶が冷やしてあった。

友達の家や親戚の家に行っても、たいてい麦茶が出てきた。

その家にはその家の味があって、口には出さないけれど、

「うちのお母さんが作る麦茶が一番美味しい」 と、どこの子もみんなそう思っていた。少なくとも私はそうだった。

しかし、父は、

「うちのお母さん、そんなんしとったかなぁ?」

とまるで記憶にない。

「だいたい、子供の頃は戦後で冷蔵庫がなかったしなぁ」

「おばあちゃんの話と違う! 私のお母さん、あんたの妻の話!!」

最近、父とはこのテのすれ違いが多い。

お互い、自分のお母さんの話をしている。

 

ものを知らない父は、煮出した麦茶をヤカンのまま置いていた。

「うちのキッチンはまだ涼しいからいいけど、これから暑くなるんやし、ほっといたらすぐ腐るよ!」

と注意はしたけれど、父は聞く耳をもたず。

「腐った麦茶飲んでお腹壊したらええわ!」

と嫌みを言ってみたところで効果なし。わかってるけど。

仕方なく、昔母が使っていた麦茶用のボトルを戸棚の奥から出してきて、父の麦茶を冷蔵庫に冷やした。

お茶パックが入っているパッケージの口も開けっぱなしなので、とりあえずクリップで閉じた。

パッケージを輪ゴムで止めたり、缶などに移しかえるという発想は父にはない。賞味期限の概念すらない。

いずれ湿気て、虫がわくかもしれない。

やがて父は、虫がわいて腐った麦茶を健康茶と称して飲むことになるだろう。

本人はそれでいいが、私はうっかり口にしないように気を付けねば。

ギリヤーク尼ヶ崎さんとパーキンソン病のこと。

先週再放送されていたETV特集「その名は、ギリヤーク尼ヶ崎 職業 大道芸人」をやっと見た。

2017年2月10日に放送されていたものなんだけど見逃してしまって残念に思っていたら、ありがたいことに再放送があったのだ。

www.nhk.or.jp

 

私がギリヤーク尼ヶ崎さんのことを知ったのはオーケンのエッセイだった。

特撮の『渚の前衛ダンサー』という曲で歌われている前衛ダンサーとは、ギリヤーク尼ヶ崎さんのことだったと記憶している。(←また私の思い込みだったらごめんなさい。)

そういうつながりもあって、オーケンファンの中でこの番組が再放送されることをTwitterでつぶやいている方がいらっしゃって、大変助かった。見るべきテレビ番組を知るのにTwitterには本当にお世話になっている。

 

さて、ギリヤーク尼ヶ崎さんは路上で舞踊を披露する大道芸人だ。

一般的な言葉で呼べば芸術家・アーティストだと思うけれど、ご本人はそうは言わない。

あくまで「大道芸人」と言っている。

そして、投げ銭をもらって生活することに誇りがある。

 

そんなギリヤークさんも86歳。

そして、この番組は老いと病いと闘いながら、2016年10月10日の新宿公演を果たすまでを描いていた。

ギリヤークさんの舞踏家としての自負や、同居して介護をしてくれる弟さんとの関係、これまで支えてくれたお母さんへの思いなど、考えさせられることがいっぱい詰まった番組だった。

特に、実社会で現実的に生きてきた弟さんと、異世界でロマンを求めて生きてきたギリヤークさんの芸人としての生き方との対比はとても興味深かった。

 

ただ、私がすごく気になってしまったのは、冒頭の部分だ。

 

「手の震える病気で、つばが流れるんですよね、唾液が。どこの大学病院に行ってもね、病名がね、どうしてこうなるかがね、分からないそうです。だからね、順天堂大学のね、専門の、先生にも聞いてもらったけどね、はっきり言って治療の方法がないって」

 

私は番組サイトや番組情報を見ないまま番組を見たので、後半にギリヤークさんの病気がパーキンソン病だと診断されたのを知った。

 

意外だったと同時に、腹が立った。

 

というのも、冒頭の映像を見ただけで、私は、

パーキンソン病じゃないの?」

とすぐに思ったからだ。

 

  • 手が震える
  • よだれが出る
  • 背中が曲がる
  • 動作が緩慢になる

 

どれもパーキンソン病の兆候である。

あの手の震え方を見たら、まずパーキンソン病を疑うはずだ。

 

だから私は最初、

「どこの病院でもわからないっていうことは、似てるけどパーキンソン病じゃないんだろうな。だってパーキンソンならとっくに診断が下りているだろうから」

と思っていた。

 

なのに、結果はパーキンソン病

素人の私でも気が付くのに、なんでどこの病院でもわからなかったの?

病院や医者って何なの?

 

昨年亡くなったモハメド・アリパーキンソン病だった。

追悼のニュース番組で、アトランタオリンピックの開会式で聖火を掲げるアリの映像を見た。

ギリヤークさんの病気を「わからない」と言った医者たちは、アリの勇姿を見なかったのだろうか。

www.youtube.com

 

うちの母は大脳皮質基底核変性症という病気でパーキンソン病そのものではないけれど、関連病なので、私も少ながらず本やサイトでパーキンソン病の資料を読んできた。

母のおかげで、私もパーキンソン病について詳しくなった。

だとしても、医者だったら私より知識があるはずじゃないか?

医者は素人より詳しくて当然だと思うけれど、違うんだろうか?

 

アリやギリヤークさんのような人が、メディアに登場して姿を見せてくれるおかげで、私たち一般人でもパーキンソン病を知ることができる。

それはすごく意味があることだ。

医者が頼りにならない以上、一般人でも病気について知識を広めるのはますます大切になってくる。

 

ギリヤークさんも、パーキンソン病だと診断されて以降、劇的に身体が動くようになった。

8月下旬まで一人で立ち上がることもできなかったのが、9月には一人で踊りの練習ができるまでになっていた。

パーキンソン病は原因不明で治療法がない難病ではあるけれど、薬で症状を改善させることはできる。

パーキンソン病ドーパミンという脳内の神経伝達物質が足りなくなるので、それを促す薬を服用すると改善される人も多い。

ギリヤークさんも薬が効いたらしく、

「その薬、割といいですよ」

と、よだれが止まったことを喜んでいた。

 

そして、新宿公演は大成功。

1か月半前は立つこともできなかったなんて信じられないくらいのエネルギー。

パーキンソンの薬のおかげだけじゃない、もっと違うところからやってくる不思議な力。

公演の様子も感動的だったけれど、終了後のギリヤークさんの別人のように若々しく輝く笑顔に驚かされた。

 

それにつけても、なんでもっと早く、パーキンソン病の診断がなされなかったのかがくやまれる。

病気を理解すれば、薬もそうだけれど、知恵と工夫でそれなりの生活の改善ができるからだ。

iPS細胞の活用が進めばパーキンソン病の治療ができる、なんて言われているけれど、そもそもの診断がされなければ何の意味もない。

www.nikkei.com

そして、日本の病院、もっと頑張れ。

医学が進歩しても、医者の底上げがされないと全く意味がない。

 

私の母がパーキンソン病の関連病だという話をすると、少なからずの人が、

「実はうちの母も」「うちのおじいちゃんも」「隣のおじさんも」

と語りだす。

実はパーキンソン病は相当身近な病気なんじゃないかと思う。

それも、患者が増えたのではなく、徐々に診断が下されるようになってきただけではないかと思っている。

これまで、ギリヤークさんみたいに病院に行っても原因不明で無視されたり、あきらめられたりされてきたのではないか。

または、「動作がのろい」とか「手が震える」とか、これまで、

「老化じゃね? 年だからしゃーないな」

と見過ごされてきたのではないか。

 

もし、周囲で手足が震えたり、動作が緩慢になったり、背骨が曲がったりした人がいたら、パーキンソン病を疑って神経内科の受診を勧めてほしい。

神経内科では、

パーキンソン病じゃないですか?検査してもらえませんか?」

そうはっきり医者に聞いたほうがいい。

じゃないとあいつら、患者を見もせずに2分で診察を終えるから。

ポールが自転車で世界一周の旅に出た。

長い間中国語を習っていて、気が付くと英語を話そうとしても中国語が出てきてしまうことに気が付いたのが数年前のこと。

どうやら私の脳には母国語と外国語という二つのモードしかなくって、外国語モードにスイッチしたら中国語がデフォルトになっているみたいだ。

 中学生レベルの簡単な英単語でさえ、ことごとく中国語になる。

こりゃやばい、やっぱり英話ができないとなぁ、と思っていたとき、トアウエストに新しい英会話教室ができているのを見つけた。

それがOlypian Language Centerだった。

教室の看板に差してあったフライヤーを見ると、オープン記念価格かなにかで、マンツーマン授業が45分10回1万円だという。

破格の安さ。こんなに安いなら通わないのがもったいない。

それがきっかけだった。

Olympian Language Center - Alchemy Social

 

そこの英会話教師で経営者のポールは、イタリア系のアメリカ人で、日本語がまったくできなかった。

日本に来る前は台湾にいたという。

中国語も少し話してもらったけど、あいさつ程度である。

よくもまあそんな状態で起業できるものだと思うけれど、それだけの勇気と実行力がある人だった。

 

何回か通ってから、どうしてこんなに安い価格でやっているのかと質問した。

10回1万円だとほぼ時給千円である。しかも場所代や交通費等抜きだ。

普通に考えたらとうていやっていけない。

すると、MBA取得者のポールは、その価格についても戦略があるのだと話し(それにひっかかったお客が私なのだが)、自分の夢を語りだした。

 

まず、英会話教室の上階に外国人が長期滞在できる宿泊施設を作る。

外国人が上階に滞在しながら、英会話教師として働ける環境にしたいということだった。

そして教室の後ろにバーカウンターを設け、屋上にはビアガーデンを作る。

滞在者と英会話教室の生徒や地元の人たちが交流する場にするのだ。

外国人にとっても日本人にとってもベネフィットがある場所になるはずだ、とポールは語った。

現在、日本にやってくる外国人は少ないが(とポールはiPadで外務省か何かの資料を見せた)、これからどんどん旅行者は増える。これはビジネスチャンスだ。

そして神戸で成功したら、このビジネスモデルを台北や上海でも拡大する、と。

 

教室もまだテーブルが置いてある程度のものだったので、そうなったらすごいけど実現するのかしら?と思いつつ聞いていた。

それが現在どうかというと、ポールの神戸における構想はすべて実現した。

教室の後ろにはBar Alchemyができ、上階の宿泊施設はZ ROOMSとなり、屋上にはTHE EMBER ROOMができた。

しかも、彼の予想どおり、昨今の訪日外国人数はうなぎのぼりである。

ポールの当初の狙い通り、そこは神戸に滞在する外国人の交流の拠点となっている。

 

Z ROOMSの改装だとか、バーカウンターの設置だとか、徐々に変わっていく教室を目の当たりに見てきただけに、ポールの事業展開力のすごさに脱帽する。

それだけでも、ポールはすごいやつだと思っていたけれど、またしても彼はすごいことに挑戦し始めた。

 

私は母の介護が大変になって以降、時間に追われるので英会話に通わなくなってしまった。

去年の夏、1年ぶりくらいに友達とBar Alchemyに遊びに行った。

久しぶりに会うポールは、服の上からでもわかるくらいにムキムキになっていた。

それでいて、

「来年の5月から、自転車で世界一周の旅に出るんだ」

という。

はあ?!? な、なんで?!?

突然聞いたその知らせに、びっくりしたのなんの。

 

年齢的にも最後の挑戦だし、と彼は言った。

2年かけて世界を冒険して、帰ってきたら本を書いて、TED TALKに出るよ、と。

 

まだドえらいことを考えたものだ。

それにしても、英語しかできないアメリカ人が一人、自転車で世界一周だなんて。

水も食料もないような地域を通るときはどうするのか、イスラム系で反米感情が強い地域は大丈夫なのか。

当然、彼はそんなことは熟慮のうえで、ルートや装備品を準備しているんだろうけれど、その話を初めて聞く私は、すごく心配になってしまった。

 

その後、私は何人かの知人友人にポールの挑戦の話をした。

私の英会話の先生が、すごいことをするんだよ、と。

面白いなと思ったのは、人によってまるで反応がバラバラで、心配するポイントがまるで異なることだった。

2年間会えなくなる家族の心配をする人、2年間ほったらかしになる仕事の心配をする人、お金の心配をする人…。

私は旅に出るポールの身の安全のことしか心配にならなかったので、すごく驚いた。

それに、私は偉業だと思ったけれど、大人がするべきじゃない愚かな行為だと思っているような人もいた。

冒険の旅に出るということは、それだけたくさんの事を全部振り切らないといけないということだ。

理解してくれない人もいるだろう。

それだけの勇気と決断力と、信念がないとできない。

やっぱり私は偉業だと思う。

 

ポールの冒険はTHE BIKE RONINというサイトで随時、状況報告がされるという。

ブログとSNSだけかと思ったら、なんとYou Tubeのチャンネルができていて、出発前のイントロダクション動画がアップされていた。

www.youtube.com

なんかめっちゃ本格的な映像になっているし!!タレントかよ!!

 

ポールと最後にゆっくり話ができたのは4月のことで、本当は出発前にお別れの挨拶をしたかったのだけれど、時間が取れないまま、ポールは5月23日に旅立ってしまった。

でも、4月に会ったとき、一応伝えたかったことは言えたから、自分としては満足している。

I’m very proud of your challenge and I believe that you achieve it, Paul. I'll check out THE BIKE RONIN. Good luck!

 

ちなみに、THE BIKE RONINのサイトはこちら。

The Bike Ronin |

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