3歩前のことを忘れる女のサブカルと介護の記録

神戸に住む40代波野なみ松の、育児と趣味と要介護両親の対応に追われる日々の記録。

幼児教育と自分の教育

最初に考えさせられたのは整体の先生の話からだった。

「幼児教育とかしないの?」
「え~?まだ1歳になったとこですよ?」
「うちの上の子行ってたよ。七田式って聞いたことない?」
「全然知らないっす」
「フラッシュカード見せるやつ、知らん?」
「いやぁ、まったく」
「効果あったんちゃうかなと思うよ。成績良かったもん」

先生の娘さんは、現在司法試験を目指して大学院で勉強中だ。
言われるとおり、効果があるのかも。

その話を聞いてから、幼児教育が気になってきた。

児童館に来ているお母さんたちに話を聞いてみると、まだ1、2歳の子たちでも、スイミングスクールだの体操教室だのリトミックだの、何かしらの習い事に通っている。
3歳なのにもう自分で絵本を音読ができる子がいて、その子のお母さんに、
「Mちゃんは本好きでうらやましいわ。どうやったらあんなに本が好きな子になったの?」
と尋ねたら、
「うちはテレビを一切見せないから、あの子の娯楽は絵本だけなのよ」
というなかなか厳しいハードルを突き付けられたものの、
「あと、ベビーくもんをやってたのが大きかったかも」
とこれまた情報をもらった。

ベビーくもん!
そんなのがあるのも知らなかった。

それ以降、七田式の資料を取り寄せ、ベビーくもんのお試しに申し込み(昨日体験に行ってきた)、ついでにしつこくDMがやってくるこどもチャレンジにまで入会してしまった。

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あれこれやりすぎな気もするけれど、夫に相談すると、
「やらんで後悔するより、やって無駄やったと思うほうがマシちゃう?」
と言われ、もっともだと思った。
お金がもったいなかったと後悔するより、大切な幼児期に何もしてやれなかったと悔やむほうがつらい。

学校のお勉強がよくできるとか、将来いい大学に行ってほしいからとかそんなんじゃない。
そりゃあ学歴がいいに越したことはないけど、肩書ではなくて本当の意味で賢い子に育ってほしい。

どんな物語でも、頭がよくて賢い主人公が困難を乗り越えていく。(…ドラゴンボールとワンピースは違うか。)

筋肉少女帯の曲に、『香菜、頭をよくしてあげよう』という曲がある。
男は好きな女の子香菜を図書館や映画館に連れて行って、本や映画を教える。
「いつか恋も終わりが来るのだから 一人ででも生きていけるように」と男は歌う。

子どもができて気づいたことのひとつに、「多くのラブソングは親から子への愛情の歌としても成立する」ということがある。(特にオーケンの歌詞は多い気がする。)
『香菜~』については本当にそうで、いつもサトイモに対して「一人ででも生きていけるように、頭をよくしてあげなきゃ」と思う。

最近、東大の入学式での上野千鶴子先生の祝辞がネット上で話題になっていた。
賛否両論あるみたいだけど、私は素晴らしい祝辞だと感動して読んだ。
うちの子が東大に入るなんて夢のまた夢だけれど、もしサトイモが将来いい大学に入れたとしたら、それは両親がそろっていて経済的に困っていなくて、赤ちゃんの頃から教育を受けているような比較的「恵まれた環境」のおかげと言えるかもしれない。
上野先生が言うように、「恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使って」くれる人になってくれたらいいなぁと思う。

…恵まれた能力が身に着いたら、って前提だけど。

そんなことを考えること自体が親バカだ、と笑われそうだ。


最近のサトイモ成長記録

でも、そんな親バカになってしまうほど、ここ数日のサトイモの成長が著しい。

ついこのあいだ手を叩いて「パチパチ」できるようになったと思ったら、一昨日からさよならのときに「バイバイ」と手を振れるようになった。
ソファやテーブルの上に自分で登れるようになった。
ぬいぐるみにオモチャの野菜を食べさせたり、オモチャの歯ブラシで口をこすったりできるようになった。
プルオーバーの服を脱ぐとき、腕を脱がせてあげたら、頭を抜くのは自分でやるようになった。
お風呂で湯船につかっているとき、手でお湯のしぶきをかけてくるようになった。
テレビの後ろのコードを引っ張ったり、使用済みのオムツをいじったり、私が「ダメ!」と言うことをわざとやって、こちらの様子を伺いながら怒られるのを待っていて、こちらが慌てて注意すると声をあげて喜ぶようになった。

昨日できなかったことが今日できる。
昨日しなかったことを今日からするようになる。

夫は一日おきに帰って来るのだけれど、
「一昨日と全然違う!」
と驚いている。

それくらいすごいスピード。

…そこまでできても、まだ立って歩かない。
この子はいつまでハイハイするつもりなんだろう。

早く歩いてくれないかなぁ、と楽しみにする反面、この調子で勝手に歩き回られたらどんなに大変か、と思いやられる。


着付け教室開始!

歩き回らないうちに、ということで、この4月から私はとうとう着付け教室に通い始めた。

近くに「子連れOK」という教室を見つけたからだ。

サトイモは最初だけ遠慮がちだったものの、数分もしたら教室の中を我が物顔でハイハイしてまわっている。
先生の説明を聞きつつ、自分でやってみつつ、かつ、サトイモから目を離さず、となかなかハンディがあるものの、なんとか2回目が終わった。

サトイモにまとわりつかれて練習にならない場面もある。
「洗える着物だから大丈夫ですよ」と先生は言うものの、お借りしている着物によだれをつけられないかヒヤヒヤものだ。

教室に通い始めたのは喪服を自分で着るのが目的だったけれど、先生から、
「七五三や入園・入学式にも着られますよ」
と言われ、気分も明るくなった。

そういえば、私の小学校入学式の写真では、母は着物を着ていたっけ。

母が私のためにと購入していた着物。
私は「いい迷惑だ、お金の無駄だ」と悪くばかり言っていた着物。

それが日の目を見て、浮かばれる日が来る、かも。

今は母には何もしてあげられないけれど、着付けができるようになるだけで、ちょっとした親孝行をした気分になっている。

『緊急検証!THE MOVIE ネッシー vs ノストラダムス vs ユリ・ゲラー』を検証。

もう10日前のことなのだけれど、元町映画館に『緊急検証!THE MOVIE ネッシー vs ノストラダムス vs ユリ・ゲラー』を観に行った。

「緊急検証!」というのはもともとCSファミリー劇場でやっているテレビ番組で、オーケンが準レギュラーみたいなかんじで出演している。
私はCSの契約をいていないので無料放送のときなどに何回か見たことしかないけれど、いまどき珍しいオカルトに温かい番組だ。
その番組がまさかの映画化。

映画そのものより、映画に出てるオーケンを見たい!

というわけで、夫に頼んで出かけさせてもらった。
サトイモを預けて出かけるのは、病院以外初めて。

上映開始は19時50分。
サトイモの就寝時間は19時から20時の間なので、うまくいけば寝かしつけてから出ていけるかも!?、と思っていたら、なんと19時前に眠ってくれた。
母親の事情を察してくれるなんて、なんて孝行息子なの?!?!

そして1年数カ月ぶりに映画館で映画を見ることができた。

そんな久々の映画だったのだけれど、『緊急検証!THE MOVIE』はオーケンがブログに「映画文化の根本的解体作品」と書くように、これを映画と言っていいのかなぁ、と思ってしまうようなトホホな代物。
CSのテレビ番組をスクリーンで見ているようなものだった。もとがテレビ番組なんだからしょうがないんだけれども。

映画終了後、一緒に観に行ったオーケンファンの友達と深夜まで開いているカフェバーでお茶をした。
これまで彼女とはオーケン関連のライブやイベントでほぼ毎月のように会っていたけれど、私が妊娠・出産で出かけられなくなって以降、彼女とは約1年ぶりの再会だった。

二人の映画の感想は、何はさておき「オーケンかっこよかったね」「オーケンかわいかったね」でしかないのだけれど、お茶が進むにつれて(酒ではないところがミソ!)番組のテーマである「オカルトはオワコンなのか?」について語り合って、霧が晴れるようにモヤモヤしていたことがスッキリした。

 

ネッシーvsノストラダムスvsユリ・ゲラー

まず、私たちはどうしてネッシーに心ときめかないのか。
映画でのネッシーの捜索は散々だった。

がっかりしつつ、比べるのも悪いけど、NHKでやっていた深海プロジェクトのドキュメンタリー番組のことを思った。
ダイオウイカや南極の巨大生物に心底驚いた。
NHKじゃなくて別の番組で見たダイオウグソクムシにもビックリした。

そう、私たちはネッシーのようなUMAじゃなくても、実在する幻の生物に十分驚き、ワクワクし、自然の神秘を感じている。
映像にはっきり残っている分、深海生物や古代生物のほうが、ネッシーよりもずっときらめいて見えてしまう。

ノストラダムスの大予言もそうだ。
阪神淡路大震災に、東日本大震災熊本地震や北海道地震、各地の豪雨災害、火山噴火など、「恐怖の大王」は日本へ頻繁にやってきている。

震災を経験してきた私たちの前には、ノストラダムスの「終末」がどこか子供だましに思えてしまう。

今後、南海トラフ地震が来るとか富士山が噴火するなんて言われているから、昔のフランス人が書いた詩より、気象庁緊急地震速報のほうがよっぽど気になる。

じゃあ、エスパーやサイキックについてはどうかというと、それが本当かどうかよりも見栄えがしないことに心が萎えてしまう。
かつて三宮の東門街でテーブルマジックをしてくれるバーに行ったことがあるけれど、そりゃあもう鮮やかだった。
目の前でカードが消える。消えたと思ったカードが天井に張り付けられてある。そして次は私の肘の下から出てくる…。
カードの文字や模様も指でこすれば変わってしまう。ちゃんと見ているのに、いつ変わったのかわからない。
マジックだと言われなかったら本物の魔法使いだと思っただろう。いや、マジックだと言われているのに、魔法なんじゃないかと思ってしまうくらいだ。
それくらい、プロのマジシャンたちのスキルは高い。
それに比べると、映画に出てくる超能力少年の技は雑だ。
どうせ見るなら、雑な本物より精緻なトリックが見たい。

オカルトブームだった70年代と比べると、そんなふうに時代は進化している。
だから人々はオカルトから興味を失ったんじゃないか。

映画は「オカルト・イズ・ノット・デッド」を標榜しているけれど、映画を観るかぎりではそれに疑問を持たざるをえなかった。
死んだとまでは言わないけれど、瀕死。

 

それでもオカルトは生きている

偶然、うちの夫の友人とその息子さんが見に来ていて、映画館前でバッタリ出会った。
まさかの邂逅。
聞くと、息子さんがCSで「緊急検証!」を観ていてファンなのだという。

オカルトは瀕死、と書いたけれど、小学生にまだ魅力を持っているのであれば、まだオカルトの将来に希望はある。

いつか息を吹き返し、再びブームが起きるかも。

もしブームになるのが何かのUMAだったら、探査はNHK深海プロジェクト並みに本格的にやってほしい。


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ちなみに、上記はエイプリルフールに私が超能力で曲げたスプーン。

弘川よしえちゃんを兵庫県会議員に!~後編~

このたびの兵庫県会議員選挙に立候補した友人弘川よしえちゃんへのインタビュー、続編。

 

★★★ 兵庫県の中の尼崎というまち ★★★

なみ:私は何回も引っ越しはしたけど、一度も兵庫県を出たことがないのね。兵庫県って広いから、地域によって全然違うでしょ。同じ兵庫県でも、田舎の政治課題は過疎化だったり農業だったりすると思うんだけど、尼崎は特殊だよね。生活保護の話が出たけど、兵庫県の他の都市と比べて尼崎って貧困が問題になってそうなイメージがあるんだけど、それについてはどう思う?

よしえ:尼崎市内を回らせてもらってるけど、尼崎でひとくくりにできないよ。確かに阪神尼崎のあたりとか貧困問題を抱えているところもあるけど、逆に武庫之荘とかではすごい大きなおうちで、ピンポン押してからいつ出てくんねんみたいな豪邸もあるし。

なみ:そりゃそうよね。

よしえ:ただ、尼崎は子どもの虐待の種類の中で他の地域よりネグレクトの率が2.7倍も高いのね。それは貧困によるものじゃないかって言われてる。生活に余裕がないから、子どもにかまってられなくてネグレクトが起きているんじゃないか、と。

なみ:ほかに尼崎っていえばね、中小企業が多いイメージがあるんだけど、そういう人たちからは経済をなんとかしてくれ、みたいな声は聞こえてこない?

よしえ:私を支援してくださっている団体に労務協会というところがあって、そこは中小企業の協同組合なんだけど、町工場みたいなところが多くて、そういうところを回らせてもらってる。実際見てきて、ほんま大変やなと思った。なんとかせなあかんなと思う。大企業がどうすれば儲かるかで経済の話をするのは政治ではない。力を持っている企業は自分たちでなんとかできるんだから、そうじゃないところに力を向けるのが政治の役割だと思う。

なみ:アベノミクスが期待してたトリクルダウンは起きなかったもんね。お金持ちが儲かっても使わずに貯めてしまった。逆に、収入が少ない世帯の収入が増えたら、生活がカツカツなんだから増えた分も確実に使う。だから介護職と保育士の給料アップが経済も含めた問題解決になるんだ、という話を何かで読んですごく納得したんだけど。

よしえ:これまで経済活性化の方策として道路や箱物建設の公共事業にお金を使ってたけど、それって土木業・建設業で儲かった人たちがお金を使うから経済が回る、ということなのかな。だったら、土木業・建設業に限らず、別の業種にお金を投入したっていいんじゃない?と思うけどね。でも経済のことはまだ勉強中です。

なみ:兵庫県の施設で尼崎といえば、ピッコロ劇場があるよね

よしえ:ピッコロいいよね!

なみ:劇場だけじゃなくて劇団を持ってるっていうのが兵庫県は立派だと思う。西宮には芸文センターとオーケストラがあるし、フラワーセンターや美術館、博物館など県立施設は充実してると思うの。どうか、兵庫県の芸術文化方面の予算は削らないでね。


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★★★ 小さな声がみんなを幸せにする ★★★

なみ:今国会などを見ていると、なんでも数の論理で押し切られてしまって、まともな話し合いもしないまま多数決で簡単に決められちゃうじゃない? ほんとの民主主義って多数決でゴリ押しすることではないはずなのに、そうなってる。で、女性の意見を尊重しろって言うと、男性の意見はどうでもいいのか、みたいな揚げ足取る人が出てくる。よしえちゃんの「小さな声を届ける」目的はみんなが幸せになるためなのに、小さな声の人だけが得をするように勘違いして、対立構造にとらえる人がいるでしょう? そういうのってどう思う?

よしえ:外国人労働者なんかがいい例なんじゃないかと思う。この前ある小さな企業の飲み会に参加させてもらったんだけど、すごいいい雰囲気なんだよね。その会社には東南アジア系の外国人労働者たちがいるんだけど、すごくかわいがってもらってて、のびのびと楽しそうに飲み会をしていたの。ここは本当にいい労働環境なんだろうなと思った。私は難民支援の活動をしてきたからね、外国人が仕事をするうえで差別されたり足元を見られたりとつらい目にあった話を何度も聞いてきた。外国人が大切にされている職場って珍しいの。でもきっとそこは、外国人だけじゃなくて日本人にとっても働きやすい職場なんじゃないかと思う。

なみ:外国人でさえ働きやすいんだから、日本人ならもちろん、ってことね。底上げすることで全体が改善されるみたいな。

よしえ:インクルーシヴ教育ってあるやん? 障がい者も一緒の教室で学ぶ。それも似たような話かと思っているのね。例えば、耳が聞こえない生徒が一緒に授業を受けようとしたら、その子をフォローしながら理解できるように授業の進め方を工夫する。考えてみればその子以外も生徒一人ひとりに特性があるわけで、みんなが多様性を認めて受け入れながらよりよい環境になっていける。

なみ:ある人が困っている課題が克服されたら、ひいては困っていない人も含めみんなにとって過ごしやすくなる、ってことね。車イスが通りやすい道路に整備することで、健常者も歩きやすい道になるとか。

よしえ:私が街頭演説とかで話しているのは、例えば長時間労働問題。子育て中の家庭でも、父親は朝早くから晩遅くまで働いていて、平日は母親一人で育児をしてる。家事育児を女性だけに押し付けないでっていっても、男性が長時間労働をしていては無理。夫婦のどちらかが仕事をしないといけない中で、結局は女性が仕事をやめるか、パートタイムのような非正規労働で働くことになる。問題の根本は長時間労働が問題なわけだから、女性が声を上げることで、ひいては男性の労働環境も良くなる。女性が抱えている問題を解決することで男性にもメリットがでてくるはず。うまい例えになってるかな?

なみ:「小さな声に耳を傾けたおかげでみんなが良くなった」について、もっとわかりやすくてうまい例がたくさんあればいいね。きっと、よしえちゃんが兵庫県議会議員になったら、そういう事例をたくさん積み上げてくれることと期待してます!

 

 

弘川よしえちゃんを兵庫県会議員に!~前編~

大学時代の友人弘川よしえちゃんが、このたびの兵庫県会議員選挙に立候補した。
全力で支援したいのだけれど、選挙区が違うから投票できないし、1歳になったばかりの子どもがいると選挙事務所に応援にも行くのもままならない。
何かできることはないか、と思っていたら、フェイスブックでよしえちゃんの人となりを紹介する応援メッセージを書いている人がいて、だったら私はブログでよしえちゃんがどういう候補者か紹介するインタビュー記事を書こう、と思い立った。

忙しい中電話でインタビューに応じてくれて、熱い思いを語ってくれたよしえちゃんに感謝。そして、ママの長電話に不満そうだった娘さんには悪いことしました。Mちゃん、夜分にママを占領しちゃってごめんね。


★★★ 誰かが勇気を出さないといけない。その誰かになった。★★★

波野なみ松(以下なみ):最初に聞きたいんだけど、どうして兵庫県会議員に立候補しようと思ったの?

弘川よしえ(以下よしえ):市民と野党の共闘活動をしている中で、選挙に出ないかという話があったの。

なみ:安保法案以降、よしえちゃんは「このままじゃいけない」という思いが強くなってたものね。弁護士だけに、私みたいに物を知らない人より、法案の恐ろしさをよく知ってるからだろうな、と思って活動を見てた。

よしえ:そうね。枝野さんが立憲民主党を作ったとき、本当に感謝したのね。私たちの思いの受け皿として投票先を作ってくれた、と。

なみ:候補者がいなかったら投票できないものね。

よしえ:立憲民主党草の根民主主義を掲げているけど、本当に草の根民主主義を進めてくれるまともな候補者が出なければいけない。政治家になりたいだけだったり、支持率がある政党から出たい、みたいな候補者ってけっこういると思う。誰かが出なきゃいけない、誰かが旗を振らなきゃいけない。だったら、私じゃなくてもいいし、私でもいい。選挙に出ないかという話をいただいてから、一か月ぐらい本当に悩んだの。悩んで悩んで泣き暮らしたくらい。議員になるということは弁護士の仕事もやめなきゃいけないし、プライバシーもなくなるんだろうか、子供を守ってやれるんだろうか、とかね。

なみ:そりゃ悩むわ。

よしえ:でも今の政治の流れを変えるために、勇気を出してみようかと。

なみ:ほんとにすごい勇気だったんだね!

よしえ:私は安保法制以降、政治の流れを変えたいと思うようになったんだけど、なぜ国政じゃなくて県政かっていうのはね、地方議員が身近なところで活動して、周りの人たちの声を政治の場を届けて、スピード感を持って変えていかないと、私たちの生活と政治は身近にならないなって。市民の政治への無関心が、結局は、安保法制や憲法改悪などの流れを作っている一番の原因だと思ってる。でも、国政はあまりに遠くて、みんなの生活の不満みたいなものがすぐ届くわけじゃないから。

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★★★ ママ弁護士走ります! ★★★

なみ:よしえちゃんのキャッチコピー「ママ弁護士走ります!」の「ママ弁護士」について聞かせて。「ママ弁護士」って、「女性」であり「親」であり「弁護士」である、という3つの条件が合わさったものでしょ。その3つが共存しているからこそできること、政治家に転身することの強みって何かな?

よしえ:世の中での一番の弱者って、小さな子どもなのね。その子どもの存在をありありと感じているのが現役で子育てをしている親で、弱者の声の代表だと思うの。女性もまた、男性と比べると小さな声だと思うんだよね。女性のほうが低く見られていたり、性的対象にしか見られなかったり、女性らしさを求められたり、ということがある。小さな子の親や女性といった小さな声側の人間が政治の場で声を上げることで、多様性が阻まれている今の社会に風穴を開けられるんじゃないかと思うんだよね。

なみ:そうか、よしえちゃんが演説とかでよく言っている「小さな声を政治の真ん中に届けたい」の「小さな声」っていうのは、弱者の声ってことなのね?

よしえ:そうそう。

なみ:「政治の真ん中」っていうのは、その弱者が抱えている問題を政治課題にしようってことなのね?

よしえ:そうだね。これまで弁護士として活動してきたけど、弁護士って、しんどい状況に追い込まれた人が駆け込んでくるところなの。正論はこっちなのに大きな声におしつぶされそうな人とか、泣き寝入りしそうな人とか。そんな人たちも、法律をきちんと使ってちゃんと裁判をすれば勝つことも多い。小さな声を正論として代弁してきた経験が政治の場でも活かせると思うんだよね。しんどい状況にいる弱者の声こそ、政治の中心課題になるべきだと思ってる。

なみ:なるほど。

よしえ:子どもたちや女性の小さな声が政治の中心課題になることが憲法の価値を実現するんだと思う。辺境課題じゃなく中心課題になること。何よりも優先するべきだろう、みたいな。そもそも政治とは、憲法の価値を実現することなんだから。

なみ:憲法好きなよしえちゃんにとって、「憲法の価値を実現する社会を作る」っていうのが根本なのかもしれへんね。こんなに素晴らしい憲法があるのにちゃんとできてんのか!みたいな思いがあるのかもね。今の日本は、憲法の価値を何割くらい発揮できてると思う?

よしえ:う~ん、2~3割?

なみ:まだまだ半分もいってないってかんじなのね。

よしえ:例えば生活保護をもらうべき人でもらえている率も半分いってなかったと思うんだよね。憲法25条の生存権を具体化しているのが生活保護で、最低限度の生活じゃない? それだけでも憲法の価値が半分も実現されてないって言えると思う。私の考えでは、憲法25条ってもっと幅広く、単に最低限度だけじゃなくて「文化的な」生活自体を保障しなければいけないと思っているから、そういう点でもまだまだだし。

なみ:よしえちゃんは弁護士として法律を知ってるから頼もしいよね。県の条例でも良い条例を作ってくれそうって期待できるわ。 

よしえ:兵庫県の県議会についてはまだ勉強中なんだけど、これまで市民運動を通じて市会議員さんとか元市長さんとかの話を聴いてきてビックリしたことには、条例案を出すのは行政で、議会は承認するだけらしいの。議会のほうから仕掛けることがないらしくて。議会の役割が受け身なかんじになっちゃってるということが、私はショックだった。立法するのが国会であるように、条例を作るのが地方の議会だと思ってたから。だから、県議会に行ったら、ぜひね、そういうところまでちゃんとやれる議員になりたい。例えば、子どもの権利条例。日本も批准している「子どもの権利条約」っていうのがあるんだけど、それを地方で子どもの権利をどうやって守るのかみたいなことを具体化した条例ができればいいな~、なんて思ってるんだけどね。

 

==============>>>>> 後編に続く。

 

一升餅、背負ったぞ。

今日はサトイモの満1歳のお祝いとして、一升餅を背負わせた。

近所の餅屋に注文した一升餅はこんなかんじ。

ちなみに3,600円也。
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大きさがわかるものを隣に置きたかったのだけど、手近にあるのがリンゴだけだった。

リンゴだも大きさがまちまちだから、餅の大きさが伝わるかなぁ?

これをどうやって背負わせるのか、わたしはずっと悩んでいた。

周りの先輩ママたちに尋ねると、たいていの人がリュックに入れたと言う。

ところが、夫に相談すると、

「リュックなんかおかしいわ。紐でくくればええやんか」

と言う。

「紐でなんかくくれるかなぁ??」

「じゃあ、リュックがない時代はどうしとったんよ?」

そう言われるとそれもそうだ。

結局、そこに着眼して調べると、伝統的には風呂敷に入れて背負わせていたことがわかり、一件落着。


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背負って歩く、という行事だけれど、サトイモはまだ歩けないので、私が後ろから支えて歩かせた。

「ハイハイでもいいから、自分で動いてごらん」

と夫と私、お姑さんの3人で応援しながら見守った。

しかし、餅の重さで座ったまま身体が金縛り状態。

無理に四つん這い姿勢をとらせると、バランスを崩してひっくり返ってしまった。

想定どおりの、大泣きによる終了。

先輩ママで、一升餅行事はやらなかったという人は、

「母親がね、あんな重いものを赤ちゃんに背負わせるなんて虐待や、可哀想なことせんといて、って反対したのよ」

と言っていた。

虐待とまでは思わないけど、やってみると確かに可哀想だった。

重くて困ってる子供の様子を見て楽しむ、というのは、若干イジメを楽しむ感じがあり、後味が悪かった。

それでも、こんな重いものを背負えるようになっただけでもスゴい成長だから、それだけでもうれしい。

これでほんとに、一生食べるのに困らないなら人生お気楽。

サトイモの一生が、お金のことを気にせず、やりたいことをやって生きられますように。

1歳!

 

今日はとうとうサトイモの1歳のお誕生日。

月並みだけど、もう1年も経ったのかという思いと、やっと1歳という思いの両方。

お祝いをするといっても、私と二人だけなので、一升餅を背負う行事は土曜日に延期した。

今日は私がケーキを手作りしてお祝い。

この日のために1歳から食べられるケーキセットを買っていたのだ。

でも、お菓子づくりなんて、全くしたことがない私。

果たしてうまく作れるのかすごく不安だったけど、そこそこ形になった!

簡単にできる製品のおかげ。

サトイモは約4割を食べ、残りは私が食べた。味も普通に美味しい。

すごいぞピジョン

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初めてのお誕生会

先日、いつも行っている子育て広場で、3月がお誕生日の子のお誕生会があった。

もちろんサトイモも参加。

親子で楽しく過ごしたんだけれど、会の半分は母親たちが足形アートを作る時間に当てられた。

私はこのときまで知らなかったのだけど、色紙に赤ん坊の足形を取って、それを装飾する足形アートというのが流行っているらしい。

作成している間は、保育士さんたちが子供を見てくれていたので、つかの間子供と離れて工作に熱中した。

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インコの身体が実は足形なのがわかるだろうか。

「1YEAR」のEが逆を向いているのはスタンプの押し間違い。ま、ボアダムスのヤマタカEYEのEみたいでカッコいいじゃないか。

手前の帽子は、保育士さんたちが作ってくれたものだけれど、サトイモは被るのを嫌がって、被せても被せても脱いでしまった。

かわいいのに。

さて、土曜日はちゃんと一升餅を背負えるだろうか。

 

 

 

ヤットデタマン・ブギウギレディ

タイムボカンシリーズが好きだった。
そしてタイムボカンの主題歌といえば、山本正之
作詞・作曲・歌に加え、ゼンダライオンといったアニメ内のキャラクターの声まで大活躍。
山本正之の声なしではタイムボカンシリーズじゃない!と思えるほど、そして中日ドラゴンズの応援歌もタイムボカンかと思ってしまうほどの山本正之節なのだけれど、『ヤットデタマン』のエンディング『ヤットデタマン・ブギウギレディ』だけは鈴木ヒロミツが歌っている。低くパンチのある声なので、作者の山本正之本人より曲調に合っているような気がする。

ヤットデタマン・ブギウギレディ』の歌詞は、日常で「やっと出た」と思えるあるあるネタの羅列だ。
晩のおかずにハンバーグ、横綱得意の小手投げ、今月のお小遣い、タンスのうしろの五円玉…。
歌詞が頭に染み込んでいるから、うちの子の歯がはえてきたとき、ついこの歌が口をついて出た。

「赤ちゃんの前歯もヤットデタ!」

早い子だと満5か月で生えている前歯が、うちのサトイモはつい先月、満10か月にしてようやく生えた。
ほんと、待ちに待ってたヤットデタ!

 

ハイハイもやっと出た

思えばバレンタインデーからホワイトデーの間までずっと風邪をひいていた。

その間、待ちに待ってやっと出たものもあれば、待ってないけど出てしまったものもあった。熱が出たのは後者の最たるもの。おう吐もね。

サトイモはというと、下の前歯が2本やっと出たのに加え、普通のハイハイがやっと出た。

これまでずっとズリバイと呼ばれるほふく前進だったのが、今月に入ってようやく手のひらを床につけた四つん這いのハイハイをするようになった。

蛇のようにシュルシュル早いズリバイが得意だったので、
「すぐにハイハイするようになって、すぐに歩き出すようになるよ」
なんて言われていたけれど、なかなか普通のハイハイをしなかったし、いまだにつかまり歩きしかできない。

二足歩行よりズリバイのほうが身体が鍛えられて強くなる、と言ってくれる人もいるので、それを信じることにしよう。


ストレスフルなアレクサがいる生活

待ちに待ってやっと出たのが、Wifi環境である。

昨年の引っ越し以降ずっとポケットWifiでしのぎ、先月ようやく光回線を開通させた。

インターネット環境が整ったので、調子に乗ってAIスピーカーを買った。

Google HomeAmazon Echoのどちらにするか迷ったけれど、AmazonでFireTVStickとEcho Dotのセットが安くなるセールをやっていたので、安さにつられて買ってしまった。

FireTVStickについては、見たいものがたくさんあるのに見る時間が全くない状態で、ちょっと宝の持ち腐れになりかけている。
それでも、何かあるときにはサトイモに、おさるのジョージミッフィーちゃん、機関車トーマスなどの子ども向け番組を見せることができるので重宝している。

問題は、Amazon Echoのほうだ。

風邪をひいていた間は咳も出るし、声が枯れて痰がからんでいたせいか、アレクサは私の声をまともに聞きとってくれず、本当にムカついた。

最もよく使うのが、「アレクサ、○○の曲をかけて」という命令なのだけれど、アーティスト名がなかなか通じない。

一番ずっこけたのが「U2」で、これまで何度も挑戦したけれど全滅だった。

「アレクサ、U2の曲をかけて」
「腰痛の楽曲は見つけられませんでした」
「違う違う!アレクサ、ユートゥーの曲をかけて」
Amazon Musicで、ゆずの楽曲をシャッフル再生します」
「ゆずじゃない!U2!ボノがいるバンドのU2!!変なサングラスかけてるボノ!」

そう叱ってみたところで、
「ボノミュージックを見つけられませんでした」
とトンチンカンな答えが返ってくる。
なんやねんボノミュージックって!
「なんでU2がわからんの!」
と怒りをぶつけても、
「わかりませんでした。すみません。」
と無感情に返されると余計に腹が立つ。

AIだから感情がなくて当たり前なのだけれど、こっちが怒っているのに暖簾に腕押しなのにはキーッとなる。

サトイモや夫にはまずイライラしない私だけれど、AIアレクサに対しては終始イライラしっぱなし。

AIスピーカーがあれば生活が豊かになるかと思いきや、ストレスが増えただけ。

しかもこの間まで「アレクサ、電気グルーヴの曲をかけて」で聴けていた曲が消えてしまっただけでも気が滅入る。

なんでこんなにアレクサに対して腹が立つのか自分で分析してみた。きっと私はAIスピーカーに対して過剰に期待していたんだろう。

「今何時?」とか、「3分のタイマーをかけて」とか、時計系の命令に対してはきっちり役立ってくれているのだから、今後はアレクサをキッチンタイマーだと思って優しく扱おう。…それでいいのかAIスピーカー…。

友達から県会議員に

「ヤットデタ」ものをもうひとつ思い出した。

友達の弘川よしえちゃんが来月の兵庫県会議員選挙に立候補したのだ。

時間がなくてなかなか協力できないけれど、気持ちは全力応援!