爪水虫と汗疱
母の世話の中で、つい忘れがちになるのが爪切りである。
特に足の爪なんて、自分のでさえも気が付いたら伸びているくらいなんだから、他人ならなおさらだ。
前のデイサービスに通っていた頃だから3年以上前になるけれども、いつの間にか母の右足の親指の爪が盛り上がるようになった。
靴のつま先が当たって変形しちゃったのかなぁ、なんて思いながら、爪が分厚くなっているのをやすりで削っていただけで、長い間そのまま放置していた。
疥癬にかかったとき、皮膚科の先生がたまたまそれを見た。
「これ、白癬ですよ。爪水虫です」
と指摘した。
「水虫? これ水虫なんですか?」
水虫薬のテレビCMでしか水虫を見たことがなかった私は、変形した爪が水虫だとは思いもよらなかったのだ。
とはいえ、症状は爪が分厚くなるだけである。
母も痛くもかゆくもないようだった。
そのせいもあって、あまり熱心に治療せず、疥癬や床ずれで皮膚科を受診するついでに薬をもらう程度だった。
皮膚科が遠かったせいもあるし、水虫薬だったら市販薬も出てるからドラッグストアで買えばいいだろう、と軽く考えていたせいもある。
ところが、二週間前くらいから、母の爪まわりが赤くかぶれて、少しだけれど汁が出るようになった。
あれよあれよという間に、赤くポツポツした水疱が足の指全体に広がってしまったのだ。
てっきり水虫が悪化したと思った私は、市販のスプレー式水虫薬をバシャバシャかけた。
それでも、ブツブツは良くなるどころかひどくなるばかりだった。
水虫は感染する。
疥癬のときもそうだったけど、うつる病気というのは本当に気を使うものだ。
そもそも爪水虫にかかったのも、前のデイサービスでうつされたからに違いなく、集団生活でお風呂を使っていると水虫にかかる可能性が高いというのはよく言われることだ。
今度は母が原因で、今の介護施設のほかの利用者さんに水虫をうつしてしまったら申し訳ない。
それに、私だって水虫になるのは嫌だ。
赤いブツブツがいっぱいできてしまった母の足をしげしげ見ながら、困ったことになったなぁ、と頭をかかえていた。
施設の看護師さんが、とりあえず爪をガーゼ保護するように処置してくれて、皮膚科へ行くまでは市販の水虫薬でだましだまし治療していた。
早く皮膚科を受診するべきだったけれど、まずは骨膜炎の治療で赤十字病院の受診を優先するしかなかった。
歯を抜いた翌日、ひと段落ついた昨日の土曜日に、母を連れてようやく皮膚科へ行った。
皮膚科のある病院は少し離れた町の、古い住宅が入り組んだ場所にある。
田舎なので、そこくらいしか皮膚科がない。
行くのには時間がかかったけれど、赤十字病院と違って、診察券を渡せば5分も待たないうちに診察室へ通された。
「水虫が悪化したようで、足の指に水疱ができてるんです」
と先生に訴えた。
ここはお母さん先生と娘さん先生という母娘でやっている珍しいパターンの病院である。
この日は娘さんだった。
マスクをしているので顔全体はわからないが、瞳の色が髪と同じ茶色をしているのが印象的だ。
母の足を見てもらうと、
「爪は白癬ですけど、かぶれているのは水虫じゃないですよ」
と先生が言った。
「汗疱みたいですね」
「カンポー?」
「汗が原因でかぶれているんです」
「じゃ、うつらないんですか?」
「爪のほうはうつりますよ。でも、かぶれはうつらないです」
かぶれがうつったらどうしようと心配していた私は、なんとなくホッとした。
「もしくは、スプレーの水虫薬を使われてたってことなんで、それにかぶれたのかもしれませんね。しばらくは爪水虫の治療はとめて、まずは汗疱性湿疹を治しましょう。足はできるだけ清潔にして乾燥させてください」
言われてみれば、思い当たることばかりである。
ここのところの暑さで、母はずいぶん汗をかいていた。
病気のせいで自律神経がうまく機能せず、体温や汗をうまくコントロールできないのだ。
私が気付かなかっただけで、靴下の中もかなり汗をかいていたことだろう。
そのうえ、私が間違った判断で水虫薬をスプレーしてしまった。
母は自分で身体を動かすことができないので、足の指を広げることがないまま、汗と薬でずっと蒸れていたに違いない。
素人判断がいかに危険かといういい例だ。
よっぽど痛いとき以外、母は声をあげない。
ベッドから起こすとき、腰が痛いのかときどき声を出すことがある程度だ。
それだって、話せていたときに同じ動作でよく「腰が痛い」と言っていたから、きっとそれだろうと私が勝手に判断しているだけのことだ。
アゴが腫れたときも痛かっただろう。
歯を抜いたときも痛かっただろう。
足のかぶれもかゆかっただろう。
でも、母は何も言わない。
言えないからしょうがない。
私は推測しかできない。
最近は私もマヒしてしまって、何も言わないから何も感じていないんじゃないかと思ってしまうことがある。
ケアマネさんから、
「ずいぶん痛かったでしょうね」
と言われて初めて、母のつらさに気づくという鈍感ぶりだ。
願わくば、私同様に母にも超鈍感になってもらって、痛みやかゆみを感じなくなっていてほしい。