3歩前のことを忘れる女のサブカルと介護の記録

神戸に住む40代波野なみ松の、育児と趣味と要介護両親の対応に追われる日々の記録。

緊急入院

週末は何事もなかった。
何事もないどころか、
「お母さんがたくさん食べてくれたよ!」
と喜んでいたくらいだった。

いつも眠たがり寒がりの私はこの冬、夜中の介助をさぼっていた。
母が苦しそうな声を出たり咳をしたりしたときだけ、
「どうしたん? 大丈夫?」
と背中をさすったり、口腔スプレーを吹きかけたりするのみだった。
オムツはいつも朝まで替えなかった。

月曜日の早朝、母が「ウプッ、ゴクッ、ウプッ、ゴクッ」という音を立てているのを夢うつつで聞いた。
「なんか調子悪そうにしているなぁ…」
と思いながら、布団の中でグズグズしていた。

目覚ましが鳴って、いよいよ起きないといけない時間になって母の様子を見ると、口から少しリバースしたものがタラリとこぼれていた。
「ウプッ、ゴクッ」という音は、母が吐きそうになった(もしくは口の中に戻してしまった)ものを飲み込んでいた音だったのだ。

昨年11月の下旬にも、母が嘔吐したことがあった。
大騒ぎして病院に連れていったわりには、検査して点滴をして終わったので、昨日は何もせず、いつもどおり過ごした。
朝ごはんの量を控えただけ。

訪問リハビリも予定通り受けた。
「吐いたものをちゃんと飲み込めてたらいいですけど、誤嚥して肺炎になるのが心配ですね」
と、療法士さんが言い、
「やっぱり吸引器があるほうが安心ですね」
と言うので、善は急げでさっそく病院のソーシャルワーカーさんに電話をして、吸引器購入のための手続きを進めたい旨を伝えた。
次の週末も手続きでバタバタになりそうだった。

訪問リハビリのあと、施設のお迎えが来てくれて、母をいつものように送り出した。
リハビリ後の母は、疲れるのかいつも眠そうにしている。
それも想定の範囲内のグッタリ感だった。


まさかの救急搬送

午後からの出勤のため、元町駅を出たらすぐ、昼ごはんのパンを買った。
月曜日はいつも、午後の出勤ギリギリだ。
あまり時間がないので、食べきれなかったら持って帰れる状態にしつつ、イートインコーナーに腰を下ろした。
時間を見るためにスマホをテーブルに置くと、着信履歴があり、メールも届いている。
いずれも母のケアマネさんだった。

メールは簡潔に、
「急変です。救急車呼びます。」
とだけ送られていた。

救急車?!

慌てて折り返し電話をすると、救急車に乗るところだという。
ケアマネさんが付き添ってくれるらしい。
病院が決まり次第連絡をくれるということだが、とりあえず私は西へ引き返すことになった。

パンを袋に詰めて、とりあえず職場に顔を出して上司に事情を説明し、午後からも休みの許可をもらった。
トンボ返りの電車を待つ間、ホームでパンをもぐもぐ食べた。
どんなときでも食べることだけは忘れない、食いしん坊。

移動中、ケアマネさんからLINEで状況を教えてもらった。
施設で昼食前にトイレに座ったとき、すごい勢いで下痢をしたかと思うと、
「あーーーっっ!」
と大きな声を出し、痙攣発作みたいになって顔面蒼白になり、意識を失ってしまったという。


痛いと目を開ける

搬送先はいつもかかっている神経内科がある病院だった。
なんだかんだで、私が病院に到着するまで約2時間半。
それまでケアマネさんが付き添ってくれていた。

救急室で寝ている母は、これまで見たことがないくらい真っ白だった。
鈴木その子(古い!)より白い。
黄色人種がこんな白い肌になれるのかというくらい、いや、人の肌というより蝋人形のような血の気のなさだった。

主治医ではない神経内科の先生が診てくださっていて、私に説明をしてくれた。
排泄のショックから急激な血圧低下を起こして失神した、というのが今回の見立てらしい。
今も血圧は上が78という低さだった。

私がいくら、
「お母さん!お母さん!」
と呼び掛けても反応はない。

すると医者が、
「声かけには反応しませんけど、こうやって強い刺激を与えると…」
と先生が母の指をつねる。
「痛い顔をして目が開きます」

母は顔をしかめ、「何すんねん」とばかりにびっくりした目で医者を見つめる。
「お母さん!!」
とすかさず私が呼び掛けると、再び目を閉じてしまった。
また寝るんかい!

「ということからもわかるとおり、意識を失っているのではなくて、寝てるだけです

まるでコントのようだけれど、それが母の現状なのだった。

私が来るまでに脳のMRIを撮ったらしく、画像を見ながら先生が言うには、
「この病気の進行速度にしてはやや緩やかですが、もうずいぶん脳の萎縮は進んでいます。今回のようなことはいつ起きてもおかしくない状態です」
ということだった。

そして、これからも進行すること、今後どうするかをご家族で話し合って決めたほうがいいこと、在宅介護ではもう相当厳しい状態であること、などを言われた。

はい、はい、そうですか、と話を聞きながらも、内心は、
「そんなことはとっくにわかってるんだよ。知りたいのは今後のことじゃなくて、今現在の治療のことなんだよ」
ともどかしく思った。

とりあえず点滴をすることになり、その間、ケアマネさんと待ち合いで「今後」について話し合った。


在宅介護の潮時

ケアマネさんも、できれば今の在宅ケアを続けられればと思っている。
けれど、それは理想であって、現実的に今の小規模多機能では、食事ひとつとっても誤嚥からの窒息のリスクがあって厳しいものがある、と。
もし胃ろうにしたり、尿のバルーンをつけたりすると受け入れができない。
何かあったときの病院受診も、家族が連れていく決まりになっているので、介護スタッフが付き添うことも本来はできない。

何度かこれまでも説明を聞いてきたことだ。

ただし、これまでと決定的に違うのは私の状態だ。
妊娠後期になると、もう、
「私が頑張ります」
とは言えない。
私が動けなくなる4月から6月に母に何かあった場合にどうするのか…。

特別養護老人ホームなら、胃ろうもバルーンも病院受診も可能だったりする。
最終的な看取りもしてくれる。

この状況下では、そろそろ入所を考えてもいいのではないか、という結論に達した。
できるだけ母には自宅で過ごさせてあげたいと思うけれど、もうここいらが潮時かもしれない。

もちろん、特養の空きが出るまで待たないといけないのですぐとはいかない。
けれど、今週末にでも申し込みをすることにします、と返事をした。


点滴を終えても眠ったまま

去年までは点滴をすると母はみるみる元気になっていた。
点滴で回復するのは、不調の主な原因が脱水症状だったからだ。
今回も朝ごはんは少量、昼ごはん抜きで搬送されているので、水分も栄養も足りていない。
だったら点滴で元気を回復したっておかしくはない。

ところが、点滴が終わっても顔色は真っ白なまま。
母は依然として眠り続けていた。
医者につねられると目を開けるけれど、すぐに目を閉じてしまう。

医者は点滴が終わったら帰っていいと言う。
しかし、顔面蒼白なまま眠り続けている血圧80以下の病人を戻しても大丈夫なのか。

ケアマネさんがわざわざ、ストレッチャーとそれが運べる車を手配してくれて、迎えに来てくれた。
けれど、母の容態を見ると、
「施設に連れて帰るのは不安です…」
と漏らす。
私も同じ意見だった。

あまりにも普段と違いすぎて、明らかに異常なのだ。
だいたい、このままだとご飯も食べられないし、薬も飲めないじゃないか。
帰っていいって、何を根拠に?


そして入院

今晩は病院で泊めてもらって、経過観察をしてもらえないだろうかと頼んでみると、一転して入院という運びになった。

点滴したら元気になると思っていたので父に連絡をしていなかったのだけど、入院となると別である。
父に家からお薬手帳を持ってきてもらい、入院にまつわる各種書類の手続きをとった。
病室が決まったら、入院に必要な着替えやオムツなどを家に取りに帰った。

「一晩寝たら今朝くらいの状態には戻ってると思うんやけどねぇ。だって寝てるだけなんやもん。明日の朝、目が覚めてくれてたら退院できると思うんやけど」

車の中で父にそう話した。
私は本気でそう信じていた。