2016年はお世話になりました。
2016年には5つの目標を立てていた。
1、ジムに通う
2、着付けを習う
3、ブログを始める
4、谷崎潤一郎を読む
5、部屋の掃除をする
毎年こんなふうに目標を持っていたわけではなくて、今年からである。
40歳、人生折り返し地点に来たからには、のんべんだらりと生きていてはいけないなぁ、とのんべんだらりと考えた結果である。
1年間、本当にあっという間に終わってしまったけれど、目標があった分、なんとなくメリハリがついていた気がする。
残念ながら、着付け教室には行けなかったが、それ以外はだいたいやれた、つもり。
え? そ、掃除??
例年よりは真面目に大掃除ができたから、終わり良ければ総て良しってことで勘弁して頂戴。
読書については、テーマを決めたのがよかった。
年々読書量が減っているので、これまでは「いつか読もう」の連続だった。
「これを読む!」と決めてしまえば、それなりに達成感もあるし、ちょっと満足。
忙しくて'積ん読'が多い方にはおススメかも。
しかしそれより何より、ブログを始めたことは大きかった。
今日の大晦日でちょうど100回目の更新になる。
狙ったわけじゃないのに、なんという偶然!!
始めたときは、今さら誰が他人のブログなんか読んでくれるものか、と思っていたけれど、思いがけず昔の知人から連絡があったり、縁もゆかりもない方が毎回読んでくださったり、驚きや発見に満ちていた。
まだまだ未熟者でいたらないことだらけだし、技術的にもわかっていないことが多いけど、やっていてとても楽しい。
来年はもうちょっとスキルを身に着けよう。
(第一に、ブログのテーマ画像を設定しなければ。)
読んでくださった皆さん、今年は大変お世話になりました。
そして、来年もよろしくお願いいたします。
良いお年をお迎えください。
『劇研のど自慢』でサイリウムを振る。
友人の天羽千夜子さんから、イベント出演のお知らせメールが来たのは、11月末のことだった。
彼女は関西の小劇場だとか、ストロベリーソングオーケストラというバンドだとかで活躍していたのだけど、ここしばらくは活動を休止していた。
それが、年末に謎のイベントに出演するという。
アトリエ劇研という京都の劇場が来年の夏に閉館するらしく、劇場への想いも込めたイベントらしいのだが、その内容がよくわからない。
何しろ、
「のど自慢」
をするらしいのだ。
千夜子さんは私の友人の中でも1、2を争う歌ウマさんである。
思う存分、のどを自慢すればいい。
さぞかし自慢ののどだろう。
だけど、
「のど自慢やります!」
とメールが来ても、どうすればよいのか。
思わず、
「じゃあ、応援に行きます」
と返してしまった。
そして昨日の12月29日。
共通の友達と誘い合わせ、京都へ。
関西小劇場の役者対抗の、『アトリエ劇研のど自慢』。
入り口で、オリジナルの一筆箋をもらい、入場証がわりの缶バッチをつけ、ヒラヒラがいっぱいついた応援ウチワと、ピンクに光るサイリウムを渡された。
年末のせわしく寒いこの時期に、会場の雰囲気が冷え冷えしてたらどうしよう、と心配していたのだが、意外にも雰囲気がとても暖かく、大変盛り上がった。
ウチワをふりふり、サイリウムをふりふり。
弾き語りあり、コントあり、フリースタイルのラップあり(個人的には京都俳優ラップの会の‘Like a 三題噺’なフリースタイルが新鮮で良かった)。
元々皆さん役者さんなのだから、芸達者は当たり前。
ちなみに天羽千夜子さんはヘイルストームの『LOVE BITES(SO DO I )』を歌って盛り上げた。
私も応援のヘッドバンキング。
ラストは出町柳歌劇団トップスターお二人のエリザベートで幕を閉じた。
出町柳歌劇団の山椒魚紅子さんこそ、天羽千夜子さんの二役。
男役のヌートリアさんは大熊ねこさん。
二人ともさすがトップさんの貫禄!(笑)
千夜子さんはもともとキレイな声で歌い上げるのが似合う声質なので、ヘイルストームのハードロックなシャウトより、エリザベートのほうがしっくりと馴染んでいて素晴らしかった。
年末を締めくくるフィナーレにふさわしい大団円。
本家ののど自慢同様、鐘が鳴った合格者の中から審査員による優勝者が選ばれ、観客の投票によってオーディエンス賞が決められた。
優勝者、オーディエンス賞ともに、落語家の風体でプリプリの『M』を歌った岡嶋秀昭さんが受賞。
なんで着物なんだろう?と思ったら、お正月早々行われる『劇研寄席2017』に出演されるかららしい。
全体を通してずっと愉しく暖かい雰囲気だったのは、内輪の宴会・忘年会ノリだったから、だけではない。
単なるおふざけではなくて、根底には、来年夏に閉館してしまうアトリエ劇研への感謝の想いがあるからこそ、こんなに盛り上がったんだろう。
実は私がアトリエ劇研に来たのはこれが初めてだった。
初来場が、閉館前のイベントという皮肉。
劇場、映画館、ライブハウス、美術館…。
何を見たかが記憶に残るのはもちろんだけど、どこで見たかは重要なファクターだ。
なくなってしまった場所を思い出すたび、
「かつて〇〇という〇〇があって、〇〇を観に行ったなぁ」
と記憶が繋がってくる。
もしかしたら、何十年か後、とある老人施設でこんな昔語りをする老女がいるかもしれない。
「かつて京都にアトリエ劇研ていう劇場があってね…」
「で、おばあちゃん何のお芝居を見たの?」
「芝居じゃなかったんだよ…、何かよくわからない、そう…のど自慢…。一生懸命サイリウムを振ったもんさ…」
「…おばあちゃん大丈夫?」
整形外科なんか要らない!
月曜日は訪問リハビリの日。
療法士さんがやって来るのを、待ってましたとばかりに待ち構えた。
母の左肩の痛みが、相変わらず続いていたからだ。
事情を説明し、母の様子を診てもらった。
「脱臼はしていないみたいです。骨が折れてるような感じもないですけど…」
と言うものの、念のために病院でレントゲンを撮ることを勧められた。
腕の拘縮がきつい患者は、介助者が身体を無理に動かそうとすると二の腕あたりを亀裂骨折しやすいのだそうだ。
母は5年ほど前に背骨を圧迫骨折している。
骨粗鬆症で骨がもろくなっていたのだ。
食事が摂りにくい今、骨粗鬆症による骨折リスクはさらに高い。
当時通っていた整形外科の先生は、冷淡な印象の女性だった。
受診するとすれば同じ病院になるので、受診するかどうかすごく迷った。
長く待たされるうえ、湿布が出る程度のおざなりな診察で、満足したことが一度もないからだ。
もう少し様子を見てもよいけれど、「念のため」のつもりでレントゲンを撮ったら膝の皿が割れていた父の例もある。
このまま年末年始の休みに入ってしまうのも…。
えーい!心配するくらいなら行ったほうがいい。
思いきって、会社を休んで整形外科に連れて行くことにした。
年末のせいか、もう11時近くになるというのに病院は混んでいた。
1時間半くらい待って、ようやく診察。
前と同じ女性の先生。
私と歳が変わらない人で、以前からなんとなく顔に見覚えがあるような気がしていた。
もしかしたら同じ高校だった?
そんな気がするが、思い出せない。
先生に事情を説明すると、レントゲンを撮ります、と言われ、レントゲン室へ移動し、撮影が終わってからまた待った。
ようやく呼ばれて診察室に入ると先生は、
「骨はどうもないです」
とぶっきらぼうに言った。
「よかったです」
と私。
その後、沈黙。
え?なにこの沈黙?
私は戸惑ってしまった。
「…で?」
「骨に異常はないんで、どうしようもないです」
「え、でも、痛がってることに対して、何もないんですか?」
と私は驚いて、ムッとした調子で返すと、
「痛がってるかどうか、わかりませんよね?」
と、医者は私の挙げ足を取った。
確かに、母がはっきり痛いと言ったわけではない。
言葉が不明瞭だから、はっきりとはわからない。
だけど、一緒にいるからなんとなくわかるのだ。
「しゃべれないけど、痛がってるんですよ。 先週まで何もなかったんです。腕を動かして呻き声を出すことなんてなかったんです。それは明らかなんです!」
「そう言われても、骨に異常はないんで」
「だったら、筋肉とか筋とか、痛がる原因があるんじゃないんですか!?」
「そう言われても。わからんからね」
「触らないほうがいいとか、動かしても大丈夫とか、アドバイスすらないんですか!」
すると先生はうんざりしたように、
「痛いんやったら触らんほうがいいけど、移動させるには触らんわけにはいかんのでしょう?」
と言った。
言葉が不明瞭だと痛みも無視し、身体が動かせないなら少々痛くても我慢しろ、ということ?
なんでそんなにゾンザイなの?
同年代で同性、もしかしたら同級生というあたりが微妙に関係するのかもしれない。
私が覚えてないだけで、私たち過去になんかあった?
だからこんな、適当な診療しかしてもらえないとか?
だとしても、私、この人とは合わない!
私は完全にカチンときてしまって、
「はいはい、わかりました。どうもありがとうございましたっ!」
と一方的に診察室を出てしまった。
そのやり取りを側で見ていた看護師さんが、私たちを追いかけて診察室を出てきた。
「腕の間にタオルとか軟らかいものをかませてたら、ちょっとは痛みがマシになるかもしれへんよ。かわいそうやけど、がんばって」
そうアドバイスをくれた。
「ありがとうございます。あのぅ、痛がっても本当に何もしてあげられないもんなんでしょうか?」
私は看護師さんに尋ねた。
「じゃあ、痛みどめのお薬だしてもらう? 肌はかぶれるほう?」
「かぶれやすいです」
「じゃあ塗り薬のほうがええね。先生に言うとくわね」
優しい看護師さんのおかげで、とりあえず塗り薬は処方された。
これがなかったら、レントゲンを撮って確認した以外、何時間も待って何も得るものがないところだった。
**********
昨日、会社の帰りに整体へ行った。
私は側弯症で、背骨がS字に曲がっている。
そのせいで、慢性的な肩こりと腰痛持ちだったりする。
これまで、整体やカイロ、鍼灸、整骨院などいろんなところに通ってきた。
その中でも、今通っている整体の先生は技術も高く、とても論理的に施術してくれるので、納得して自分の身体に向き合うことができる。
人として信頼しているのと、先生が聞き上手なこともあって、ついついいろんなことをしゃべってしまう。
両親のことは特にそうで、今回も母の左肩にいついて相談した。
「肩を温めてあげるとええよ。やってみた?」
と先生が言うので、
「だって素人には、温めるのがいいのか、冷やすのがいいのかすら、わからないんですもん」
と返す。
「たいがいは温めるべきやけどね。お母さんの左肩、炎症を起こしてるんかもしれんなぁ」
「炎症? 腫れてもないし、赤くなったりもしてないですよ?」
「外からでは炎症はわからんのよ」
「炎症を起こしてるかどうか、整形外科では診てくれないもんなんですかねぇ?」
「普通はもうちょっと何かしてくれるやろけどねぇ。でも、どこの整形外科でも、たいてい冷たいよ」
お、ここでも登場!
病院の科によって医者の性格的傾向がある問題!
「患者が痛い言うたとしても、命には関わらんからね。命の危険がないかぎり、医者は適当やわ。外傷や異常がなかったら、何もできへんしね」
レントゲンを撮って、折れてるか折れてないか見るだけなら、医者なんていらない。
レントゲン技師にいてもらって、患者が直接、
「ここ、折れたかもしれないんで、撮ってもらえます?」
ってオーダーしたほうが話が早い。
だいたい、折れてたとしても、父の膝の皿のように、何もできなくて日にち薬だったりするのだから。
整体の先生は、こんなことも言った。
「だいたい、整形外科がちゃんと患者に応えてたら、僕らみたいな街の整体なんか必要なくなるやろね」
そりゃそうだ。
言われてみたら、私自身がそうだった。
側弯症だとわかったのは中学生のときだったが、整形外科ではコルセットを作って終わり。
高額なコルセットだったけれど、まともにつけられたものじゃなく、成長期の身体に合わなくなり、結局ほどんどつけなくなった。
大人になってから自分で調べて、いろんな方法を試した。
整形外科よりも整体やカイロのほうがよほど効果があった。
おかげさまで、昔よりS字のカーブが緩やかになってきている。
人間は生きているかぎり、病気やケガ、痛みや苦しみからは逃れられない。
けれど、誰だってそれを癒したいと願う。
病院でも街の整体でも、処方薬でもドラッグストアの市販薬でもいい。
楽になりたい。
そう思うのは傲慢なのかしら。
痛みや苦しみを癒やすのが医療でないならば、いったい彼らは何のために仕事をしているのだろう?
勉強して医者になったのはステイタスと金儲けのためなの?
整体の施術後、すっかり肩が軽くなった身体で、医療っていったい何だろう、と考えてしまった。
そしてやっぱり、整形外科の彼女が同級生だったかどうか、思い出せない。
床擦れの再発と謎の左肩痛
金曜日の夜から、身体を動かすと母が痛みを訴えるようになった。
車イスとソファ、車イスとベッド、車イスとトイレなど、移乗させると決まって、
「あ゛~~、い゛あ゛い゛~~」
と、泣きそうな声を出す。
はっきり発音ができないから推測だけれど、たぶん、
「痛い~」
と言っているに違いない。
表情も辛そうにしている。
他人だと単なる呻き声だろうけど、家族だからなんとなくわかるのだ。
実は先週から、再び母の腰に床擦れができてしまっていた。
初めて床擦れが出来たのは2年半ほど前。
それ以前の私は、床擦れというのは寝たきりの人に出来るもの、と思い込んでいた。
そのため、母のお尻の上に傷ができたとき、
「なんであんなとこにスリキズができたんですかねぇ?」
と当時通っていた施設のスタッフさんに呑気に尋ね、
「あれは褥瘡、床擦れです」
と言われて非常にビックリしたのだった。
慌てて対処法を調べまくったのを覚えている。
その後、いろんな人にアドバイスをもらいながら、エアマットと体圧分散マット、エアクッションなどを使うようにして、施設でまめに姿勢を変えてもらうことで、床擦れは治っていった。
完治していたし、再びならないように最大限配慮していたつもりだったのに。
残念ながら再発してしまって、本当にがっかり…。
寝ているときよりも、座っているときの背もたれに当たっていることで擦れているようで、このブログでも書いたけれど、最初に発見したのは泌尿器科の受診時だった。
発見して以降、ケアマネさんも細心の注意を払ってくれて、施設では看護師さんが診てくれているし、私も患部に固いものが当たらないように気を付けている。
そんな経緯があったので、最初、母が痛がる理由は床擦れの傷だろうと思っていた。
けれど、どんなに傷をかばっても痛がり方は変わらない。
むしろ、金曜日の夜より、土曜日の朝のほうがひどくなっているように思えた。
「もしかして、母が痛がったのは左肩を動かしたときかも?!」
と、ビビっとヒラメいたのは、土曜日の夕方で、母がデイサービスから帰ってくる直前だった。
母が帰ってきたとき、送迎のスタッフさんにそのことを伝えようとすると、私が話すより先にスタッフさんがしゃべり始めた。
「実は今日、あるスタッフがお母さんを抱えたときに、左肩がボキッって鳴ったらしいんです。脱臼させてしまったかも、って思って、慌てて館内にいる理学療法士さんを呼んで診てもらったんですけど、脱臼じゃあないって言われたんで、とりあえず様子を見ることにしたんですけど…」
それを聞いた私は、驚く気持ちはなく、やっぱり痛みの原因は左肩かも、という疑いを強くした。
母の左腕は拘縮がひどくて、肘を曲げ、手を胸につけるようなポーズのまま動かない。
肘を伸ばすことは難しいけれど、肩は少し動くので、母を抱きかかえるときは左の二の腕を持つことが多いのだ。
帰ってきた母の左腕を動かすと、思ったとおり痛むようだった。
しかも、普段より関節が軟らかい気がする。
あれ? こんなにスムーズに動いたっけ?
なんだかすごく怖くなった。
あいにく病院へ行こうにも、翌日は日曜日であった。
幸い、月曜日は訪問リハビリの日なので、療法士さんに診てもらおう。
それで異常がありそうなら、そのあと会社を休んで整形外科へ連れていくことにしよう。
それまでは、なるべく左肩を動かさないよう、そっと母を扱うしかない。
移乗のときは左腕を持たずに、左脇を抱えたりズボンを持ったりした。
しかしこれが難しい。
いつものやり方をちょっと変えただけで、母の身体がなかなか持ち上がらなくなった。
母が車イスに乗るようになって、もう3年くらいになるだろうか。
移乗も慣れたつもりだった。
あんまり慣れた手際なもんで、病院などで介護スタッフと間違えられるくらいだ。
そのうえ、今年はジムでバーベル挙げもやっている。
おかげでずいぶん腕力がついてきて、かつては考えられないくらいの重さのものも持てるようになった。
そうやって、慣れていくうちに、だんだん力まかせになっていったんだと思う。
最初は療法士さんに教わったとおりにやっていたのに、慣れと慢心が自己流にさせてしまっていた。
改めて検索してみると、移乗の技術について丁寧に説明してくれているサイトがたくさんヒットした。
動画つきのサイトは分かりやすくて特にありがたい。
http://www.kaigo-shigoto.com/lab/archives/957
岡田慎一郎先生の古武術介護の講座には一度参加したこともある。
いい機会だから、ちゃんと移乗などの介護技術について学ぶべきかもしれない。
『人間椅子/魔術師』を朗読劇で見た。
祝日である今日の昼間、極上文學『人間椅子/魔術師』という朗読劇を観に行った。
『人間椅子』も『魔術師』も、言わずと知れた江戸川乱歩作品だ。
場所は、近鉄アート館。
この劇場に行くのは初めてで、最初、てっきり上本町にあるのだと思い込んでいた。
昔、上本町に、近鉄劇場と近鉄小劇場という劇場があったからだ。
久しぶりにハイハイタウンでランチでも食べようかな、などと思っていたのだが、前日に場所を調べたら近鉄アート館はアベノハルカス内にあるという。
そういえば、アベノハルカスも初めてだ。
天王寺に来たのは数年ぶり。
すっかりキレイになって、オシャレになった天王寺駅周辺。
三連休初日、しかもクリスマス前とあって、たくさんの人でごった返していた。
外からアベノハルカスの高さを眺めたかったのだけど、ちょっと外へ出たら雨混じりの強風で、たまらず建物内に退散。
中にいたら、結局どれだけ高いかわかりゃしない。
この朗読劇を知ったのは、ROLLYのTwitterでだった。
魔術師役でROLLYが出演するらしい。
もともと江戸川乱歩好きではあるけれど、それ以上に、宣伝画像のROLLYがグッときたのだった。
実際、生で見た魔術師はまさにこの画像と寸分違わなかった。
存在そのものがイリュージョン。
ついついROLLYさんばかり目で追ってしまう。
それって、『ガラスの仮面』で言うところの‘舞台荒らし’みたい。
すり鉢状になっている劇場はすごく観やすく出来ていて、黒と赤で耽美を煽る舞台美術の、サーカスのイメージが映えていた。
音楽もピアニストによる生演奏がすごく良くて、なるほど今まで気付かなかったけど、乱歩とピアノの音は相性がいい。(そう感じるのは筋少の三柴理さんのピアノによる刷り込みかしら?)
繰り返しになるが、私はROLLYが見たくて来ただけなので、この極上文學というシリーズを全然知らなかった。
なので、出演者が全員男性だと気が付くまでにずいぶん時間がかかった。
みんなキレイな男の子ばかりである。
女性役の役者さんなんか、声を出さなければ男性だとわからないほど美人だ。
でも、若くてキレイな男の子に興味のない私にとっては、
「顔は少々不細工でもいいから、もうちょっと上手い役者さんが見たかったなぁ」
というのが正直なところ。
客席は、彼ら目当ての女性ファンが多数を占めるように見受けられ、役者自身がそれに甘えてるんじゃないか、という気になった。
客への甘えじゃなくても、自分達のルックスに甘えてるんじゃないか、という気がしてしまう。
朗読劇というのが余計に演技を下手に見せ、おまけにイケメンなのが甘えに見えてしまい、
「見た目がいいのって逆に損かも!」
と気の毒に思った。
特に、名探偵明智小五郎が大活躍する後半のくだりは、朗読をしているぶん、動きが散漫になるので、
「普通の演劇のほうがいいのになんで朗読劇なんだろう、本を持ってるのが邪魔だなぁ」
と、コンセプト自体が疑問に思えた。
ところで、私は江戸川乱歩のファンだけれども、実は明智小五郎が登場する推理小説はあまり好きではない。
乱歩の小説は3パターンある(と私は解釈している)。
☆犯罪者や異常者が主人公の心理小説
☆明智小五郎などの探偵が謎を解き明かす推理小説
☆少年探偵団が活躍する冒険小説
私が好きなのは犯罪心理物で、とりわけ『お勢登場』と『芋虫』が好きだ。
犯罪を犯すまでの背景と、そこに至るまでの駆け引き。
日常に潜む、心の暗闇。
よく考えたら、『お勢登場』も『芋虫』も、どちらも女が自分の夫を殺す話だった。
女の中に住む、何を考えているかわからない悪魔。
はは、くわばらくわばら。
任務が果たせない父の代わりに。
毎週月曜日、実家を離れるときに私が父に言う3つの事柄がある。
- 夕方、ベランダに干している洗濯物を取り入れること。
- 火曜日の朝、裏口にまとめてある生ゴミを捨てに行くこと。
- ラップをして冷蔵庫に入れているおかずと、炊飯器内のごはんを食べてしまうこと。
洗濯物の取入れが翌日になったり、ゴミ捨てが金曜日になったり、おかずが食べきれず私が帰ってもまだ冷蔵庫に入っていたりするけれど、この3つは父の1週間の任務であり、最低限のしなければならない使命だった。
父の膝の皿が割れてしまった今、こんな簡単な仕事でさえ難しい。
洗濯物については、これからはベランダに干さず、部屋干しで対処することにした。
最初から私が部屋に干すようにすれば、父に取り込みを頼む必要もない。
残る問題はゴミ捨てと食事である。
膝の皿が割れてたって、冷蔵庫のおかずを食べるに支障はない。
問題は、冷蔵庫のおかずを食べてしまったその後の話だ。
いつもなら父は、外食をするかお弁当などを買うかして、食事を済ませる。
ギプスでも外出できないことはないけれど、あまりウロウロするのも膝によくないし、杖をつきながらヨチヨチ歩くのでは、また転倒しかねない。
こうなったら、父には宅配弁当を食べてもらうことにしよう。
これまでも何度か、父はお弁当の宅配サービスを受けている。
しかし、長続きしなかった。
どこのメーカーも美味しくないと言ってすぐにやめてしまった。
普段、塩や醤油をドバドバ使う父。
宅配弁当の多くは高齢者向けに薄味にしてあるので、それが気に入らなかったようだ。
「高血圧なんだから、薄味に慣れないと」
と正論を言ったところで、聞き入れる人ではない。
なにせ、ケンタッキーフライドチキンに塩コショウを振るほどなのだ。
味の濃さにうるさいうえ、父は面倒くさいことをするくらいなら、食べなくてもよい、という人である。
食べること自体がすでに面倒くさいらしい。
宅配弁当をやめたあと、父の食事はもっぱらカップ麺とコンビニ食品になった。
セブンイレブンでタバコを買うついでに、おにぎりやサンドイッチを買うのだ。
ずっと父の栄養状態を気にかけてくれていたケアマネさんは、父がしょっちゅうセブンに行っていることに目をつけて、先日こんな提案をしてくれたところだった。
「セブンイレブンがお弁当の宅配サービスをやってるんです。お父さんは若者みたいな味付けが好きやから、それやったら口に合うんちゃうやろか」
ケアマネさんは、わざわざセブンミールのパンフレットを持ってきてくれていた。
いかにも高齢者向けな健康弁当と違って、セブンのパンフレットに載っているラインナップは、いつも店で見慣れた商品が多い。
「ほんなら頼んでみよか」
と父も言ってくれたので、さっそくネットで来週分のお弁当の宅配をオーダーした。
とりあえず、もひとつ解決。
**********
食事はセブンに任せるとして、困るのはゴミ捨てだ。
うちのゴミは母の使用済みオムツが入っているので、重いうえに早めに捨てないといけない。
今の父に重いゴミ袋を運ぶのはとても無理だった。
火曜日と金曜日にある燃えるゴミの日。
こればっかりは、平日留守にしている私にはどうしようもない。
だから父に頼むしかなかったのだけれど、もうあてにはできない。
うちの家には玄関の外に階段がある。
これが何かとやっかいだ。
先週から父の膝は割れていてまともに歩けなかったわけで、前の週から私はあらかじめゴミ袋をガレージに運んでいた。
父がゴミ袋を持って階段を下りるのは無理だ、と判断したからだ。
ガレージからゴミステーションまでは20メートルくらいだろうか。
それくらいなら大丈夫だろうと思っていたが、結局父は自力で運ぶことができなかったそうだ。
父はゴミ袋を車のトランクに入れ、20メートルの距離を車に乗せて運んだのだそうだ。
次のゴミの日もまた車でゴミを運ばれたらたまったもんじゃない。
土曜日に病院で父の膝の皿が割れているという診断が下されたあと、私はすぐにケアマネさんにショートメールを送った。
土曜日はケアマネさんが休みなのはわかっていたけれど、お知らせを送るのは早いほうがよいと思ったのだ。
「月曜日に改めて相談しますね」
と送ったのに、すぐに返信が来て、そのあと電話がかかってきた。
「月曜日の朝はミーティングがあってお話できないかもしれないから」
というのだ。
休日返上で相談に乗ってくれたケアマネさん。
本当に頭が下がる。
とりあえず、私が心配していたゴミ捨てについては、ヘルパーさんに来てもらうということで、話があっさり決まった。
我が家で初めてのヘルパーさん利用だ。
どんな人が来てくれるんだろう。
私は会えないけれど、なんかワクワクする。
夏に父の介護認定が更新されたわけだけど、つくづく要介護1が取れていてよかったなぁ、と感謝している。
「介護認定なんかいらんやろ」
という父に、
「今はサービスを使わなくっても、いずれ頼まなあかんときが来るから」
と説得しつづけていたかいがあったものだ。
まさに一寸先は闇。