3歩前のことを忘れる女のサブカルと介護の記録

神戸に住む40代波野なみ松の、育児と趣味と要介護両親の対応に追われる日々の記録。

健康食品あれこれ

実家の庭になっている柚子の実が傷み始めたので、いくつかをちぎって、お風呂に入れることにした。

 

湯船に浮かべるときには、洗濯ネットの中に入れる。

見た目はよくないけれど、終わったときに回収しやすいからだ。

母がやっていた生活の知恵。

 

ネットに入れる前に、つまようじで柚子に何か所か小さな穴をあける。

これも母に教わった。

そうすると中の果汁が出やすくなるし、香りもいい。

ぷすぷすとつまようじを刺すと、ふーっと柑橘系の良い香りが広がった。

 

さあ、柚子風呂に入ろう、と浴室に入ってシャワーを浴びる。

ふと、洗い場の片隅に白い物体が置いてあることに気が付いた。

父のブリーフである。

 

また漏らしたのだろう。

洗おうと思って置いていたらしい。

仕方がない、さっとすすいで、たらいに着け置き洗いでもしておくか、と手に取ったら、中が茶色く汚れているので、パッと手を放した。

 

そ、そっちを漏らしたのか…。

 

さすがに洗う気がなくなり、浴室の片隅に戻した。

どうせ何年も履いているブリーフなのだし、お風呂から上がったら、ビニール袋にでも包んで捨ててしまおう。

黙って捨てないと、うっかり父に言ったなら、

「捨てるのはもったいない!洗う!置いといて!」

と言うだろう。

けれど、父は怠惰なので長期間洗わずに、そのまま置いておいて、次の週に私が片付けるのが関の山だ。

 

そんなことを考えながら、柚子風呂に浸かった。

しかし、気のせいか、浴室中にうんこの匂いが漂ってくる気がしてならない。

柚子の良い香りが台無し。

柚子の香りVSうんこ臭。

こうやって私の生活から潤いが蝕ばまれていく。

 

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「お父さんはそうやけど、お母さんはどうなん?」

と、ときどき聞かれる。

私が口にするのが父への文句が多いからだ。

しかし、母については、

「相変わらず」

と答えるしかない。

 

良くも悪くも安定している。

相変わらずなのは良いことだ。

治ることのない進行性の難病にとって、時とともに悪化して普通。

踏みとどまれているだけで、よし。

 

先日の神経内科の受診の際、

「顔色もいいし、見た感じお元気でそうですね」

と主治医に言われた。

排尿が少ない問題は相変わらずだけど、「相変わらず」やれているのは褒めてもらっていいくらい。

 

難病情報センターのサイトによれば、大脳皮質基底核変性症は「発病後寝たきりになるまでの期間は5~10年が多い」そうだ。

うちの母の場合は現在8年目。

 

一般的に5~10年なのであれば、それを超えてやろうじゃないか。

というのが、私一人が思っている野望。

 

治療法のない中、ちょっとでも進行を遅らせることができるなら、何でもやってみようと思うのが家族の心理である。

 そこで、これまで手を出した流行の健康食品などを挙げてみたい。

 

1.ユーグレナ

何にでも効くという万能健康食品ユーグレナ。いわゆるミドリムシ

うちはバイオザイムというカプセルを買ってみた。

しかし、母はカプセルがうまく飲み込めず。

カプセルの中を出して、粉末をヨーグルトに混ぜてみたけど、おそろしく不味かった。

結局、私自身が飲み続けているのだけど、便秘解消にはなっている気がする。

調子もいいような、気がする。なんとなく。

ダイエット効果もあるらしいけど、私には全然効果なし。

結局、サプリメントなんかじゃなく、痩せるにはそれなりに食事制限と運動をしなきゃダメって話。

 

2.チアシード

お水で膨らませてから使用する、トロミのあるゴマのような種。

最初はヨーグルトに混ぜて食べさせていた。

でも、よく噛まずに飲み込んで誤飲したら怖いのでやめた。

夏の一時期、母がミキサー食しか食べられなかったときに、キュウリの甘酢漬けとチアシードを一緒にミキサーにかけて食べさせた。

私は自分で美味しいと思って作っていたけれど、母の食が進まなかったのを見ると、嫌な味だったのかもしれない。

結局これも、私が食べている。

 

3.アマランサス

粟やヒエに似たスーパーフード。

雑穀なのに、カルシウムや鉄分が豊富なのだそうだ。

うちではごはんを炊くときに、炊飯器に2合の白米と一緒にスプーン1杯のアマランサスを混ぜている。

アマランサス自体はプチプチしているのに、ごはん全体がちょっとモチモチしたような食感で美味しい。

お米を炊くときに足すだけなので簡単だし、美味しくて栄養価も高い。

今も続けられているものの一つ。

 

4.ココナッツオイル

もう1年以上前の話だが、『世界ふしぎ発見!』で、毎日ココナッツオイルを2さじ食べた人が認知症が改善された、というのをやっていた。

その後、さっそくココナッツオイルを買ってきて、母に舐めさせた。

味について嫌がりはしなかったけれど、舐めるというのだと、うまく飲み込めないときにむせたので、食べさせ方を変更し、ヨーグルトに混ぜることに。

ココナッツオイルは25℃より寒いと固まり、温かいと溶ける性質がある。

冷たいヨーグルトに混ぜると当然固形なわけで、つぶつぶの食感が残るかんじ。

私はそれも美味しいと思うけれど、人によって香りの好き嫌いが大きそう。

母は文句を言わないけれど、父は嫌がって食べない。

 

5.アルカリイオン水素水

活性酸素を除去すると言われている、アルカリイオン水素水。

病気の進行や老化を促進するのが活性酸素なので、アルカリイオン水素水に本当に抗酸化作用があるなら、一定の効果はあるのかもしれない。

胃腸にもいいらしい。

浄水器アルカリイオン水素水の発生器に変えたので、飲みものや料理に使うのはいつもこの水。

けど、それが日常なので、効果のほどはわからない。

 

6.マヌカハニー

友達が勧めてくれて、昨年末から母に一日1さじを与えている。

マヌカハニーには、免疫力を高める効果や、殺菌・抗菌作用があるらしい。

ただし、マヌカハニーの中でも、「UMF10+」以上か「MGO100」以上をうたっているものでないと、効果はないという。

「独特の苦みというか、ちょっとクセがあって、美味しいハチミツじゃないよ」

と友達は言ってたけれど、私は全然大丈夫な味だった。

最初は母にスプーンで舐めさせたけれど、美味しそうな顔をしていたので、母も平気な味にちがいない。

ただ、やっぱり舐めると誤飲の可能性も出るので、紅茶に溶かしたり、ヨーグルトに混ぜたりしている。

効果はわからないけれど、これも継続しようと思っているもののひとつ。

 

このほかにも、黒ニンニク、アマニ油、酢しょうが、ごぼう茶、エゴマと、試したものを数え上げたらきりがない。

キヌアとタイガーナッツも買って封を開けてない。

手を出してないもので、思いつくのは酵素くらいかも。

私の良くないところは、次々手を出して、継続しているものが少ないところ。

「良くなる」ってことがないだけに、効果がわからないんだよなぁ。

 

あと、お気づきだと思うが、ほとんどのものはヨーグルトに行きつく。

ヨーグルトに全部をぶち込むわけにはいけないから。

今混ぜてるのは、せいぜい、ココナッツオイルとマヌカハニーくらいかなぁ。

 

母を寝たきりにさせないで10年以上を目指すためには、鰯の頭も信心から。

節分にはちゃんと鰯も食べたよ。

ネイルをすれば古本に当たる

今年ももう1か月が過ぎてしまった。

今年の目標のひとつは、「ネイルサロンに通う」。
そんなこと目標にすんなよ!とあきれられそうだが、
「やりたいのにできない自分を変える」
のも立派な目標だと思っているんだけど、どうだろう?

そもそも、なぜネイルサロンに通いたいと思うのかを整理してみた。
(言わずもがなのことを書いてごめんなさい。)

(1)爪を美しく見せたい

そんなの当たり前!
ではあるけれど、昔は自分でマニキュアを塗っていたのに、今はやれてない。
介護やらなんやらで忙しくなるにつれてできなくなったのだ。

マニキュアは塗ってから乾くまでに時間がかかる。
うっかり動かすとよれる。
濃い色だと、下手に塗ると色ムラができる。
時間をかけてちゃんと重ね塗りしないとすぐハゲる。
ハゲるときに破片が落ちる。ハゲた破片が、お米を研ぐときなどに気になる。
会議などでイライラするとき、無意識に爪でマニキュアを削っている。

そして爪はハゲチョロケになり、塗らないより美しくなくなる。

ところが、ネイルサロンでやってもらうネイルはマニキュアではないので、すぐに乾くしハゲたりしないらしい。
もちろん、自分でやるよりずっとキレイ。

(2)爪を健康に保ちたい

爪が薄いとすぐ割れる。
職場で重いリングファイルを引っ張りだそうとして、爪を引っかける。
実家の和室を出入りするとき、ふすまの引手の金具に爪を引っかける。
これらが私の爪引っかけあるあるで、必ず割れてしまうのだ。

多くのネイルサロンで扱うのはジェルネイルという、光を当てて固める樹脂でできたもの。
爪の上に樹脂を乗せるのだから、 鎧をかぶせているようなものだ。
厚みも出るから、ふすまと金具の間に爪が挟まったりしないはず。

それに、ネイルサロンだと甘皮の処理をしたり、オイルなどで保湿したり、というケアの作業も入る。
手のマッサージやパックをするところもあるらしい。
だから、二枚爪や巻き爪の人など爪に何らかの悩みを抱えている人も、サロンに通っているようだ。
オシャレのためだけではないってこと。

********

ま、主にその2つの理由でネイルサロンに通いたいと思っているのだけど、通えていないのにもわけがある。

私もかつて、ジェルネイルができる前の時代に、ネイルサロンに行ってみたことはあった。
その経験から、なんとなく腰が重くなるのだ。

やってもらっている間、ネイリストと向い合わせで座っている。
ネイリストはたいていギャルっぽい若い女の子。
当然、話が合わない。
でも、向い合わせで逃げられない。
黙っていると、なんか落ち着かないがしゃべる話題もない。
やってもらっておいてなんだが、じっと作業を見てるのも退屈してしまう。
なんだか時間の無駄のような気分になる。

正直、ギャルのネイリストがいるチャラチャラしたデザインネイルじゃなく、健康重視、爪保護目的な大人のネイルサロンに通いたい。
でも、そんなネイルサロンがなかなか見つからない。
あってもお値段が手頃じゃないかもしれない。大金払ってまでのこだわりはないし。
大阪まで出ればあるのかもしれない。
でも、そもそも時間がないから自分でマニキュアを塗れないわけで、遠くのネイルサロンまで通えるわけがない。

近くで、チャラチャラしないネイルサロンはないだろうか。
と、ずっと気にかけていたら、三宮のセンタープラザに「最短15分」をうたうネイルサロンを見つけた。

www.nail-quarter.com

その日は彼氏と三宮で待ち合わせをしていたのだけれど、時間まで40分くらいあった。
普段だったら、時間までを喫茶店などでつぶすのだけれど、ほんとにネイルが15分で終わるなら、待っている時間で行ける!

お店をのぞくと、ネイリストさんが一人いて、
「今なら空いてますよ」
という。
私より少し上くらいの方で、金髪のギャル系ではない。

「そこの券売機でチケットを買ってください」
という。
食券のように、やってほしいネイルのメニューを先に精算する制度なのだった。

ネイルサロンといえばオシャレなイメージだったのが、券売機を使うという貧乏くささ。
このギャップが逆に安心感。

時間も短いが、金額も安い。
1色のベタ塗りだと1,500円、グラデーションでも1,800円。
じゃあ、グラデーション!と買おうとしたら、夜だと割増料金で1,850円。
えーっ、二重価格…。

とはいっても、それでも普通のサロンと比べたら破格の安さ。
時給という考えからいえば、長くやれば高くなり、短くすれば安くなるのも当然か。
こちらにすれば願ったり叶ったり。

そして初めてのジェルネイルをやってもらった。
甘皮の処理をして、形を整えて、ベースを塗って、グラデのベースを塗って、グラデの濃い色を塗って、トップコートを塗って、保湿オイルを塗って、ハイ終わり。

おお、15分かかってない!!

15分程度であれば、ネイリストさんと向い合わせで黙りこんでいても、全く気にならない。
退屈を感じる間もない。

私は行きつけの美容室があるけど、髪にこだわりがない人にQBが受けるのもわかる気がした。
時は金なりだ。

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ネイルがあまりに早く終わったので、センタープラザをぷらぷら。
すると、しばらく来ない間に、センタープラザ2階に古本屋さんが増えている。

以前から出来ていた清泉堂書店の向かいに、また古本屋が!
と思ったら、向かいも同じ清泉堂。
店舗拡張なのかな。
両方とも初めて店内を覗いた。

seisendou-kurachishoten.com

前からあった側には、美術や宗教の専門書、学術書がマニアックに揃えてある。
文庫本ですら、学術文庫や新書の取扱いが多彩で、こんなに岩波文庫がズラズラ並んだ古本屋は見たことない。

新しいほうは、鉄道やミリタリー系の雑誌などが並んでいたり、ジャニーズ系アイドルグッズが取り揃えられていたり、とにかくこちらも目が丸くなった。

しばらく歩いてないと新しいお店がどんどんできるなぁ、と感慨にふけりながら進むと、またもや新しい古書店、ブックス・カルボを発見!

books-carbo.jp

こちらは、品揃えがサブカルである。
いいラインナップ。
センスのいい棚。

でも、最近物欲がないんだよね~、欲しいものは特にないわ~、と思いながら一通り眺めていたら、諸星大二郎の『マッドメン』と『西遊妖猿伝 大唐編』1・2巻を見つけた。
どちらも読みたいと思いながらまだ読んでいないマンガ。

特撮の『人狼天使』という曲(もちろん大槻ケンヂ作詞)にマッドメンという言葉が出てくる。
確かではないけれど、おそらく諸星大二郎の『マッドメン』のこと。
ファンとしては読んでおかねばならない作品なのに、これまでうっかりしていた。

西遊妖猿伝』も、西遊記ファンとしては読むべきマストなマンガなのに、これも読めていなかった。
読もうと思っても、手に入りやすいのは今やっている西域編で、最初の大唐編がなかなか見当たらなかったのだ。
AmazonではKindleで出ているけど、電子書籍は主義じゃないし、どうしようかなぁ、と先日も悩んでいたところだった。

ここで出会ったのは天の啓示。
喜び勇んで3冊お買い上げ。
どの口が欲しいものがないって言ってたんだよ。

待ち時間にネイルをしようと思わなかったら、センタープラザの2階をうろうろすることもなかったし、諸星大二郎のマンガを見つけることもなかった。
犬も歩けば棒に当たる。
街歩きはしてみるもんだ。

『沈黙―サイレンス―』ほど怖い映画を見たことがない。

これまで見た最も怖い映画は、ラース・フォン・トリアー監督の『アンチ・クライスト』だった。

元町映画館に一人で見に行って、山奥でゆっくりと狂っていくシャルロット・ゲンズブールが震えあがるほど怖かった。

 

しかし、先週、『沈黙―サイレンス―』を見にいって、記録更新。

『沈黙―サイレンス―』ほど怖い映画を私は見たことがない。

 

実は、どの映画を見るか迷った。

もう一つの候補は、ホラー映画の『ドント・ブリーズ』だった。

「メチャクチャ怖かったらヤダし、やめとこ」

と思って却下した経緯があったのだが、まさか『沈黙―サイレンス―』のほうがよほど怖かったとは!

chinmoku.jp 

 

言わずもがなだが、決して『沈黙―サイレンス―』はホラー映画ではない。

ホラーじゃないからこそ、心の底から恐ろしかったのだ。

 

今回は彼氏と一緒に見たのだけど、何も知らずについてきた彼氏は悲惨である。

何しろ、タイトルとマーティン・スコセッシ監督作品であること、そして「日本にやってきたキリスト教宣教師の話」という情報しか与えられてなかったのだ。

 

映画館に着いてから、

「あれ? スティーブン・セガール出てないの?」

と彼氏が言った。

「沈黙」と聞いて、すっかりセガールだと思い込んでいたらしいのだ。

キリスト教宣教師セガールが日本にやってきて、合気道に出会い、学び、強くなって、悪い役人や浪人と戦い、農民を救う。

確かに、そんな話もアリかもしれない。

 

…そんなお気楽な、能天気映画であってほしかった。

 

私たちが見た『沈黙―サイレンス―』では、宣教師は強くないし、農民は救われない。

苦しみの中に生きて、苦しみの中に死んでいく。

果たしてそこに、神の御加護はあるのか。

肉体の苦しみに耐えた彼らに、魂の救いはあったのか。

 

考えれば考えるほど、暗い沼に沈んでいくような気分になる。

怖い。

映画を見ながらずっと怯えていた。

 

映画監督でもある塚本晋也が出演しているというのが、私がこの映画を見ようと思った決め手だった。

『鉄男』も『六月の蛇』も大好きな映画だし、『シン・ゴジラ』の出演も良かったからだ。

けれど、お目当ての塚本晋也が最も怖かった。

磔にされて、荒波に打ちすえられる姿を思い出す度、夢にうなされそうになる。

瀕死の中で歌われる讃美歌が耳から離れない。

トラウマになってしまって、今後、塚本晋也がどんな面白おかしい役をやったとしても、このモキチ役が思い出されるだろう。

それくらい、強烈な印象を残す役だった。

 

宗教とは何か。

信教とは何か。

自分は拷問を受けたときどうするのか。

自分は死の苦しみをどう受け止めるのか。

肉体の苦痛を精神は超えられるのか…。

いろんなことが重くのしかかって、本当につらかった。

 

彼氏にも、

「これは木曜日の夜に見る映画ちゃうよな~」

と言われてしまった。

セガールとのギャップがあるからなおさら…)

 

私には、拷問を受けながらも棄教せずに死んでいく人々が怖かった。

とにかく、肉体の苦痛よりも信念を通す人々が恐ろしかった。

崇高?

気高さ?

神を信じて殉教することが、本当に正しいことなんだろうか。

それがわからない。

わからないからこそ怖い。

 

それに対して、窪塚洋介が演じるキチジローは簡単に踏み絵を踏む。

愚劣で、浅ましい本性を持った、みすぼらしい人間。

だからこそ、キチジローを見ていると唯一ホッとした。

 

キチジローの家族は、キリシタン弾圧で捕まったが棄教せず、生きながら焼き殺された。

助かったのは、踏み絵をしたキチジローだけだ。

モキチたちが捕まった際も、キチジローだけがマリア様に唾を吐いた。

長崎でも、ほかの囚人の前で彼だけがやすやすと踏み絵をして逃げて行った

 

途中まで私は、

「家族を殺されたことで、キチジローはキリスト教を恨んでいるんじゃないだろうか」

と考えていた。

キリスト教への復讐のために、信者を装い、

「こんなダメな人間でも、主は本当に救ってくれるんですか?」

とわざと疑問を投げかけているんじゃないかと思っていた。

 

けれど、主人公のロドリゴが棄教したあとも会いに来て告解をしたり、密かに小さなキリストの肖像を隠し持っていたり、キチジローの態度はブレブレだ。

いったいお前は何なんだよ!

ロドリゴ神父もそう思っただろう。

 

でも、そこがいい。

ブレまくっているキチジローを見るとホッとする。

神様を平気で裏切るくせに、都合のいいときだけすがろうとする。

本当は善人になりたいんです、こんな自分を許してください、と、その瞬間だけは本気で思っている。でも、できなくて安きに流れる。

 

あれが普通の人間の姿だと思う。

 

踏み絵をさせるときの、役人たちの言い回しも滑稽だった。

「ちょっとでいい。軽くでいい。かすめるだけでもいいぞ」

と、優しく勧めてくれる。

残酷な拷問をやってくるせに、何そのツンデレぶり!

 

「ただの絵ではないか」

と、お役人。

そうだ。絵なのだ。

五島でロザリオの珠や手作りの十字架を村人に分け与えるロドリゴ神父が、偶像崇拝について心配するシーンが出てくる。

踏み絵だって、キリストの形をしたレリーフであって、神そのものじゃない。

だから踏めばいいじゃないの、と現代の私は思いつつ、

「踏みなさい!踏めば楽になるんだから!お願い、助かって!」

と心の中でスクリーンに呼び掛けていた。

 

神はどこにいるのか。

人々の苦しみの叫びに対して、沈黙し続ける神は、どこに?

 

映画館を出たあとも、

「怖いよー、怖くて寝られへんかもしれへん」

と怯えている私に、

「しょせん映画なんやから」

と彼氏が言った。

 

「違うって!キリシタンの弾圧ってホントにあったことなんやから!」

と私がムキになると、

「昔の日本人があんなに英語しゃべれたん? ポルトガル人やのに英語しゃべってたで」

と彼氏がサラリと言った。

イッセー尾形の井上様は英語ペラペラすぎだ!

「ほんまや! しゃべれるわけないわ!」

 

言葉の揚げ足取りはさておき、実際のポルトガル 宣教師たちは映画以上に日本人との意思疎通に苦労したに違いない。

江戸時代の村人があんなに外国語がしゃべれるわけがなく、宣教師たちにとってコミュニケーションが取れない異国の地はさぞ心細かったことだろう。

映画以上の困難が予想されて、余計に暗い気持ちになった。

 

映画のいいところは、とっても作り物なところだ。

だからホラー映画だって楽しめる。

ゾンビは人間じゃないから、頭をふっ飛ばしても平気で見ていられる。

死霊のはらわた』もそう。『悪魔のいけにえ』もそう。

ありえないから楽しめる。フィクションは大好きだ。

でも、本当にあった(という可能性がある)歴史の話は耐えられない。

だから戦争映画はつらくて見ていられない。

 

映画、作り事。ひとまずそう思ってキリシタン弾圧を忘れよう。

そうして日常に戻らないと、明日の仕事に響く。

彼氏が、

「ああ、今週まだ一日あるなんて。会社行きたないなぁ。明日は会議地獄や」

とつぶやいた。

 

キリシタンの地獄に比べたら、会社員の苦しみなんか何でもない。

幸い、私たちは神にすがらなければ生きていけないほどじゃない。

宗教を持たず、何も考えなくても生きていけるのは、とっても幸せなこと。

いつの日か、「神様助けてください!」と叫ぶ時が来ないことを祈ろう。

あ、祈る対象は、やっぱり神様なのかしら。

報連相とセブンミール

土曜日の朝9時にインターホンが鳴った。
母のデイサービスのお迎えは9時半だ。
こんな時間に誰が?
訝りながら玄関を開けたら、いつもの福祉用具業者さんと作業服の男性二人が立っていた。

「手すりの取り付け工事にうかがったんですけど」
「えっ?!」
「もしかして聞いてなかったですか?」
私は首を横にブンブン振った。
聞いてない…。

確かに父が、手すりを付けようと思っている、と言っていたのは知っている。
母のためではなく、父がソファから立ち上がるのを楽にするための手すりと、父が庭先に出るのを楽にするための手すりだ。

けれど、工事の日にちまでは全然聞いていなかった。
よりにもよって、この時間だなんて。

あと30分したら母のデイサービスのお迎えが来る。
庭先で工事をしていたら車イスが通れない。

業者さんは、
「通ってもらっても大丈夫ですよ」
と軽く言うけど、
「でも、そこで作業されてたら通れないのに…」
と、戸惑いを隠せなかった。
仕方ないので、母のお迎えを一時間遅らせてほしいと施設に電話をかけた。

「お父さんはお出かけなんですか?」
姿を見せない父について、業者さんに尋ねられた。
「いえいえ、まだ寝てるんです」

私は2階にかけ上がり、物音にピクリともしない父を叩き起こした。
「手すりの取り付けに来とんやけど!!」
「ほへ~? あ、そうや、忘れとった~」
寝惚け声で父が返事をする。

起き上がってからベッドに腰かけ、寝起きでボーっとしている父に向って、
「手摺の取り付けに来るのはいいけど、なんで私に言うてくれへんかったん」
と小言を言う。
言っても無駄なのはわかっていても、言わずにはいられない。

「ごめんごめん、忘れとった」
「平日でもよかったやんか。土曜日の朝はあかんわ。 お母さんが出かけるタイミングはマズイやんか」
「そうか。気がつかんかったな」

父は一応謝ってくれるけれども、決して改善はしない。
父は相談をしない。連絡もしない。
私や母、つまり自分以外のすべての人の事情を配慮できない。
父はそういう人だと諦めているつもりでも、やはりイラッときてしまう。

父はかつて会社員だった。
組織にとっては、報告、連絡、相談の報連相はカナメである。
本人も、会社勤め時代はよく上司に怒られたらしいので、さぞや困った社員だっただろう。

家族は小さな組織だ。
うちの家で私は父の上司になっている。
どうやったら父を管理できるか、コントロールできるか、常に考えているけれど、太刀打ちできない。
手強いのなんの。
まずは報連相がなっていないところで、すべてがつまずく。

*********

報連相がなっていない、というつながりで、セブンミールの話をしよう。

セブンミールとは、セブンイレブンがやっている宅配サービスのことである。
ネットで受けたオーダーを、近くのコンビニ店舗が配達してくれるという仕組み。

食事をちゃんと食べない父に、ケアマネさんからお弁当の宅配をすすめられたのだ。
これまでも何度か高齢者向け宅配弁当を利用したけれど、薄味なのが気に入らない父に対し、ケアマネさんがセブンミールを提案してくれた。

主に週単位での注文や曜日ごとの設定になる高齢者向けの宅配弁当とは異なり、セブンミールなら配達日は1日ごとに指定できるのがメリットのひとつ。
すごくフレキシブル。
バリエーションも豊富だし、セブンイレブンで取り扱っている商品も併せて頼めるので、宅配スーパーのようにも使える。
しかも500円以上で宅配料が無料!
なんて便利なんだ!

昨年末から、私が1週間の父の食事を考え、週末にネットで注文する、というサイクルが始まった。

初めて配達があった日、どうだったかを電話で父に問い合わせると、
クロネコヤマトが持ってきたで」
と言うのでビックリした。

ヤマト運輸が?
セブンイレブンの店舗からの配達じゃなく?
500円のお弁当ひとつを?

疑問に思っていたら、次の日は父から連絡があった。
「またクロネコヤマトが来てな、配達店舗の設定を変えてくれとかなんとか言うとったで」

注文のときには最初にネットで会員登録をする。
そのときに配達店舗を選ぶようになっていた。
どこから配達してくれても、こちらは別にかまわないんだけどなぁ、と思いながらも、父がよく行く店舗を選んだ。

それがまずかったんだろうか。
選択した店舗は交通量が少ない道沿いにあって、駐車場も停めやすいからよく行く。
だけど、最も近いのは別の店舗だ。
設定の説明を読み飛ばしたせいで、ルールと違うことをしたのかしら。

とにかく、ネットで配達店舗を変更しようとしたけれど、変更のフォームがない。
配達店舗の変更はお問い合わせください、となっている。

もし私がルール間違いをしたとしても、そもそも配達店舗が選べないなら選ばせるなよなぁ、システムミスじゃないの?
と思いつつも、仕方ないのでネット上の問合せフォームを使い、配達店舗の変更依頼を送った。

すると、問合せ担当者からの返信メール。
「担当部署にて確認の上、あらためてお電話にてご案内させていただきたく存じます。」

それなら、と、電話番号や電話に出られるタイミングなどを返信した。

ところが、何日過ぎても電話はかかってこない。

再度問合せメールを送ると、
「現在、担当部署にて事実確認などを行っている途上で、まだご連絡ができておらず申し訳ございません。確認ができ次第、ご連絡をいただきましたお電話番号へ、ご連絡いたします。」
という返信。
じゃ、待つしかないか…。

そうこうしていたら、父がこんなことを言った。
クロネコヤマトの所長さんが謝りに来たで」

「なんで?」
「配達店舗を変えてくれとか変なこと言うてすみません、とかなんとか」
「それでどうしたらええの?」
「さあ知らん」

そもそも父は状況を理解する力が乏しいうえに、説明もド下手である。
一体何だったのか、よくわからない。

どうすればいいのかわからないまま、年末年始になった。
セブンからの電話はかかってこない。
メールもない。
正月休みだろうから仕方ないか、と思い、年明けを待った。

しかし、年が明けても、連絡はなかった。
休みが終わって私の仕事が始まれば、父のごはんのために再び宅配弁当を頼まないといけない。
連絡がないのが悪いんだからね、どこから配達されようが知ったこっちゃないわ、と再び発注した。

週末帰ったときに、今週のセブンミールはどうだったか父に尋ねると、セブンイレブンのスタッフが持ってくるようになった、という。
ネット上の設定を見てみると、配達店舗が勝手に変わっていた。
一番近い店舗とも異なる店舗だった。

説明がないから、いったい何だったのかわからない。
あほらしくて、再度問い合わせる気もなくなった。

その後も配達のたび、セブンミールからメールが届く。
うざいくらい届く。
ひとつひとつの商品に対して、「感想をお聞かせください」というメールがいちいちやってくる。
メールが届くたび、
「商品はいいんだよ! 問題はあんたたちの報連相だよ!」
とツッコミながら削除している。

わからなくもないんだ。
ネット注文とコンビニの実店舗をつなぎ合わせた物流の新しい試みをしよう、という企業の理想はすばらしい。
けれど、ご本社様の理想と、実店舗の実態が噛み合ってないんだろう。

だいたい、バイトでギリギリまわしているフランチャイズの田舎のコンビニで、配達までやれって無茶じゃない?
押し付けられた現場のほうに同情してしまう。

うまくいってないのは、本社と現場と顧客の報連相
ネットで検索したら、セブンミールについてのネガティブな口コミをいくつか見かけた。
商品内容じゃなく、やはり対応についてだ。

大丈夫ですか?
セブン&アイホールディングスさん。

これは単なる想像だけど、こんなことを考えてしまう。
東京の本社正社員エリートは高給取りで、ネット事業の拡大でさらにがっぽり。
目まぐるしい忙しさでレジから配達までこなす地方店舗のバイトさんは時給千円にも満たない。
バイト搾取によって低価格で便利さを享受できている私たち。

…やるせねーなー。
世界中で起きている格差社会の末端を肌で感じる…。
想像に過ぎないけど。

ところで、セブンの宅配について、「これすごくいい!」と思えることをひとつ見つけた。
セブンだけじゃなく、いろんなオンラインショッピングで使える、ウェブベルマーク。
購入金額に応じて、被災地の学校支援ができるらしい。

www.webbellmark.jp

1クリック募金というのもあるのでぜひやってみて。

柿喰う客『虚仮威』とウエディングドレス

友達に誘われて、柿喰う客という劇団の『虚仮威』という公演を観に行った。
3人で行くと「なかよし割引」が適応されるというので、共通の友達と3人で観に行くことになったのだ。
私はこの柿喰う客という劇団を全然知らなかったのだけど、今、人気急上昇中の劇団らしい。

柿喰う客
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劇場は梅田グランフロントにあるナレッジシアターで、私はこの劇場はおろか、グランフロントに来るのも初めてだった。
スタイリッシュで都会的すぎるロケーション。
でも、それに負けず劣らず、柿食う客はひどく都会的な劇団だった。
舞台美術、衣装、ヘアメイク、物販のデザインに至るまで、なるほど、売れる劇団というのはこういうものか、と納得させられる。

そう書くと見た目ばかりで中身がないようだが、どうしてどうして、役者さんはうまいし、演出は面白いし、今後もっともっと押しも押されぬ人気劇団になるだろうなぁと予感させられた。

目を見張ったのは役者さんのキレッキレの動きである。
全員の身体が、ダンサーかと思うほどに‘できあがって’いる。

つまり、「キビキビ動けて、クネクネ軟らかい」。
字ヅラで見るとバカみたいだけど、舞台上でこういうふうに動けるのは並大抵のことじゃない。
しかも全員だ。

人気が出る劇団はたいてい、天才的な劇作家・演出家がいるか、突出したスター役者がいるか、その複合かで、才能ある一人や二人の引力で世に出ることが多い。
もちろん、作・演出の中屋敷法仁氏もさすがだし、主役をやっていた玉置玲央という役者さんは、これからきっとテレビや映画でも大活躍するんだろうなぁと思わせるスター性がある。
(いつも思うのは、20年前、惑星ピスタチオ佐々木蔵之介がこんなに売れると誰が予想できただろうか、ということ。)

でも、それ以上に、役者が全員粒ぞろいというのが珍しい。
役者全員の身体的ポテンシャルで魅せる劇団は他にないんじゃないだろうか。

戯曲がどうこう、演出がどうこう、という以前に、とにかく役者さんの躍動感にやられてしまったのだった。


********【注意:ここからネタバレ含みます】


終わったあと、隣に座っていた友達Mはえらく不機嫌だった。
どうやら、彼女はこの作品が気に入らなかったようだ。

せっかくだからちょっとお茶でもしよう、と3人で駅ナカのカフェに寄り、コーヒーで乾杯してから、
「何がダメだったの?」
と率直に感想を求めた。

彼女はいかにも辛そうに胸を押さえてから、
「これは主義主張の問題なんだけど」
と前置きをして言った。
「ウエディングドレスがね…。ウエディングドレスはないやろう、と」

世界征服を望んできた主人公が、物語の終盤、心の奥底で本当に欲しかったものが判明する。
それが、ウエディングドレスだった。
実は彼は、男として育ってきた女の子だった、という大どんでん返し。

女の子が欲しいもの=ウエディングドレス。

「男の発想というか…、無意識の女性蔑視よね」

彼女の告発に、我々二人も、
「そうだそうだ!」
と、彼女の溜め息に賛同した。
突如、大阪駅のDELICAFEは平日の夜に集まったアラフォー未婚女子の、女性蔑視作品に対する批評大会になった。

私も部分的に引っかかりを感じながらも、役者さんの躍動感に感心してしまって、お話については意識的に蓋をしてしまっていたのを、彼女が箱を開けてしまった。
もう一人の友人Kも。

そう。
実はこの作品は、女性差別を扱ったストーリーなのだ。

時は大正、東北のとある田舎。
男子誕生を望む父親は、生まれてきた長女を男として育てる。
その時代、その場所で当然ある女性差別

まあ、それは仕方ない。

実を言えば、私が産まれたときも、うちの父は母に向かって、
「なんや女か!」
とあからさまに失望したという。
母は、
「男の子じゃなくてごめんなさい」
と謝ったそうだ。
私は「ごめん」な子供。
昭和でさえ、そんな女性差別がまかりとおる時代だった。
大正時代なら、なおさら仕方なかろう。

まあ、それは仕方ない。

主人公がどんなに男になろうとして抑圧しても、女としてのサガが出る。
美しいものに憧れる。
それも、まあ、わかる。

だから、
「美しいドレスが欲しい」
という展開はよしとしよう。

まあ、わかるわかる。

私の友達でも、母親からボーイッシュを押し付けられて育ったトラウマから、本当はヒラヒラの可愛らしい服が着たいという自分の好みを抑圧してきた人がいた。
もしくは、ブスな自分にはキレイなもの、可愛らしいものは似合わない、と頑なにピンク色を避ける人がいた。
本当は可愛いもの、キレイなものが大好きなのに。

だから、世界征服より美しいドレスが欲しい、という願いはよくわかる。
あるあるだと思う。

でも。
ドレスが「ウエディングドレス」になると、意味が少し違ってくる。
そして、「ウエディングドレスを着ること=お嫁さんになる」となると、さらに飛躍し、異なる次元へ飛んでいく。

「お嫁さんになりたい、っていうのは、『人を愛し愛されたい』という願いとも違うわけよ」
と、彼女は言った。
「そのとおり!」
快哉を叫ぶ残り二人。

なぜ主人公が「お嫁さんになりたい」と思うのか3人で物語を反芻して考えたけれど、そういう伏線もなく、理由がさっぱり見つからなかった。
そうなると、
「女性というものは、総じて結婚願望を持つものだよね」
という、作者の無意識の蔑視を感じてしまうのも仕方がない。

悪いけど、私も「ウエディングドレスを着てみたい」と思ったことは1度もない。
キレイなドレスを着たり、コスプレはしてみたいけど、意味のある「ウエディングドレス」は願い下げだ。

そういう話をすると、ときどき、
「世の中に結婚したくない女がいるなんて!」
と驚かれることがある。
世の中、まだまだ大正時代の東北の農村と変わらないのだ。

苦労している母を見て育ったせいで、私は子供の頃からお伽噺のプリンセスにも懐疑的だった。
「王子様が現れていきなり結婚しても、その後の生活はどうなるの? 性格が合わなかったら? 姑にいびられたら? 王子が浮気したら? なんで結婚したら幸せになれるって言い切れるの?」
そんなことを言う、嫌な子供だった。

だから、「結婚=女の幸せ」だと思っている女性は、私からすればうらやましい。
疑いもなくそう思えるってことは、幸せな家庭で幸せな母親を見て育った証だから。

この作品でも、主人公が母親を見て、
「あんな結婚生活を送りたい」
と思う根拠が提示されていれば、ちょっとは説得力があったかもしれないが、作品の中で母親の影は薄かった。
「お嫁さんになりたい」
と思う主人公に、その気持ちの伏線くらいはほしかった。

蛇足だけれど、主人公が意味もなくウエディングドレスを望んだらなぜおかしいのか、わからない人のために別のもので例えよう。
主人公が本当に望んだものが、ナース服だったとする。
伏線も何もなければ、「なんで?」とならないか?
「女として生まれたからには、看護師になりたいと思わずにいられない」
と言われたら、キョトンとなるに違いない。
それと同じで、女だからといって、理由もなく「お嫁さんになりたい」とは思わないはずなのだ。

なりたい人もいる。
なりたくない人もいる。
なりたい人の背景を提示してくれないと、
「なんで?」
ってなるのは当然じゃないか?

物語の中に背景がない以上、戯曲のバックボーンとして考えられる唯一のことは、
「女は結婚しないと幸せじゃない。女は結婚すべきだ」
という作者の女性蔑視にほかならない。

「ウエディングドレスまでは面白く見てたのに…」
「まったく、言うとおりやわ!」

3人の意見は一致し、共感しあって夜の梅田をあとにした。

ただ、帰りの電車の中でふと、友人Kが言った、
「今までそういう指摘はなかったんやろうか。誰も言ってやらんかったかな」
という疑問がふとリフレインし、だんだん気になってきた。

この作品は昨年12月から三重や仙台をまわって、大阪でファイナルを迎える。
これまで私たちのようにウエディングドレス問題を気にした人はいなかったんだろうか。

私が嫌な気持ちになるのは、世代が若くなるにつれ、結婚願望が強くなっているという世の中の風潮である。
アラフォーの私たちと、アラサー以下の人たちの考え方はずいぶん違うように感じる。

いや、いいんだよ、したいと思うことはいいことだ。したい人はしたらいい。
ただ、したくない人が異端視されたり、しないといけないように押し付ける世の中にだけはなってくれるな。
と、強く思う。

よその国のことだけど、多様性を認めてきた大統領から、女性蔑視を平然と口にする大統領に代わった。
日本もだんだん、多様性を認める寛容性が失われてきていないか、なんだか不安になる。


【追記】
「実は女だった」設定について、思い出すのは松尾スズキ作・演出『ニンゲン御破産』である。
当時五代目中村勘九郎だった勘三郎が主演。
シアターコクーンまで見に行けなかった私はNHKの放送で見たんだけど、「中村勘九郎ってなんて懐の深い役者なんだろう!」と感激した。
私には大傑作なんだけど、戯曲も絶版になっているし、勘三郎が亡くなった時にすら話題にもならなかった。
今の勘九郎で再演とかどうかなぁ?

WATCH FOR![松尾スズキ&中村勘九郎「ニンゲン御破産」記者会見]

雪の1日

日曜の朝は7時に電話が鳴った。
母の施設からである。
「雪のため、今日のデイサービスはすべてキャンセルさせてもらうことになりましたが、かまいませんでしょうか」
という。

こちらとしても願ったり。
だって、デイサービスのお迎えは9時半だけれど、いつも時間ギリギリで準備はバタバタするのだ。
出かけないとなれば、朝どんなにグズグズしてもいいわけで、雪のせいにしてダラダラできる。

そうして、母が在宅している日曜日を過ごしたわけだが、何にもできないまま、あっという間に1日が終わった。

寒さが関係するのかどうかわからないが、午前中、母が3度も下痢をした。
便の後始末にやたらと時間を取られてしまったのが、何もできなかった第1の言い訳。
どうも施設にいるより自宅にいるときのほうが、お腹が緩い気がする。
家にいることでリラックスして緩いのなら良いことだが、私が食べさせているものが何かお腹に良くないんだろうか、と悪い方に考えなくもない。

第2の言い訳は、母がなかなか食事を食べてくれなかったことだ。
朝ごはんも昼ごはんも、食が進まないのではなく、とにかく眠ってしまう。
寒さ対策でガンガン暖房をかけていたので、ポカポカして眠くなるのか、いくら起こしても目が開かない。
「寝たらあかーん!しっかり食べて!」
何度も何度も起こしながら、スプーンを母の口に運ぶ。
一口食べては眠ってしまうので、朝ごはんを食べ終わらないうちに昼ごはんの時間が来てしまった。
昼ごはんを食べ終わるともう夕方である。

あ、もう夕ごはんの準備をしなきゃ、と思ったときにゾッとした。
1日が、もう終わり。
何もしてないのに、時間だけが経っている。
浦島太郎もこんな気持ちだっただろうか。

日中預かってくれるデイサービスのありがたみが身に染みた。
どんなに朝の支度がバタバタしようと、デイサービスには行ってもらわないといけないな。

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何もやってない、とはいえ、実は食事介助をしながら録画していた映画は見れた。
『日本のいちばん長い日』、『南極料理人』、『OK牧場の決闘』の3本。
いずれも、積極的に見たい作品というより、親と一緒に、家事をしながら見てもいい映画、というチョイス。
だとしても、1日に3本映画を見たんだから、全く何もしてない1日だったとは言えないかもしれない。

映画を見ることができた以外に、良かったことがもうひとつだけあった。

朝、大雪のニュースを見ながら、母を着替えさせていた。
北海道にある、日本で最も寒い町ではコタツを使わずペチカで暖をとっている、という話題が紹介されていた。

ナレーションでは「ペチカって何?」などと言っているので、
「歌があるのに、ペチカを知らんのんかなぁ?」
と、私は母に話しかけた。

雪の降る夜は楽しいペチカ
ペチカ燃えろよお話しましょ

私が歌い出すと、母もそれに合わせてハミングをしてくれた。
歌というほどのことはない、うなり声程度の声だったけど、明らかに歌おうという気持ちが見えた。
母が歌ってくれたのは久しぶりだ。

去年くらいまで、言葉は出てこなくても、歌は歌えた母。
会話は滅裂でも、歌の歌詞はよく覚えていた母。
歌は最後の砦だったのだけれど、最近はそれも反応が乏しくなっていただけに、うれしかった。
雪の降る朝の、小さな喜び。
何もない1日だっただけに、些細なことが思い出になる。

Amazonで便利な介護グッズ

次こそは絶対にゴミ捨てに行ってもらわなければいけない。
が、やはり父が寝坊するリスクがあるので、対応策として電話の子機を父の枕元に置き、ヘルパーさんにモーニングコールをしてもらおう、とケアマネさんと話し合っていた。

それで仕舞いこんであった実家の電話の子機を出してきて充電してみたが、うんともすんとも言わない。
そうか、壊れているから使ってなかったのか。
子機でモーニングコール作戦失敗。

その代わり、携帯電話を枕元に置いたらどうだろう、と考えた。
父の携帯に、火曜日7時30分にアラームが鳴るように設定しておく。
月曜の朝時点で充電されているのを確認したので、電池も大丈夫だと思う。

これで火曜日はなんとかなる、と月曜日に実家をあとにしたが、のちほど父に確認したところ、目覚ましなしでも起きられたらしい。
よく眠れず、6時半に目覚めたそうだ。
結果オーライだけど、アラームが有益かどうか検証できず。

前回のブログを読んでくれた友達が、暗証番号つきのキーボックスというものがあることを教えてくれた。
検索すると、Amazonの取扱いだけでもたくさんの類似商品が出ていることがわかった。
購入者のコメントを読んで吟味して、さっそくこれを購入。

これで、父が起きて来なかった場合でもヘルパーさんに中に入ってもらえるし、緊急時にも対応してもらえるだろう。

世の中便利グッズだらけだ。

便利グッズといえば、お正月休みの間に購入したのが、体位変換マット。
年明けから使い始めたのだが、母の身体を横向きにするときやっぱり便利だ。

体位変換・保持用クッション(スウィングフロート) B-1半円中

体位変換・保持用クッション(スウィングフロート) B-1半円中

訪問リハビリの療法士さんにも、
「やっぱりこういうのがあるといいですね。安定しますね」
とほめてもらえてご満悦。
セール品で購入したからなおさら満足。

今後購入を考えている便利グッズがこれ。
おしり拭きウォーマー。

母のお尻を拭くときはウエットティッシュのようなおしり拭きを使っている。
冬場はいつも、
「冷たいやつで拭くよ~」
と声をかけているのだが、それくらいヒンヤリしていて可哀想になるのだ。

去年の末くらいに、テレビで赤ちゃん用品としておしり拭きウォーマーがよく売れているという情報を知り、ぜひ欲しくなった。
ただ、基本は赤ちゃん用なので、大人のおしり拭きにも対応可能か、サイズは合うのかをよく調べなければ。
今使っている超大判サイズのおしり拭きだと、たぶん入らないんだよね。

そんなこんなで、最近Amazonにどっぷりお世話になってしまっている。
アマノジャクな性格なので、心情的には巨大資本への一極集中をあまり快く思っていない。
できれば、ネットショッピングだって、多様なほうがいい。
…と思うけれど、どうしてもAmazonが他より操作性もよく使い勝手がよいのだから仕方ない。

お気楽スーダラ社員をやっている私なのに、今、経営企画部のようなところで経営計画策定のプロジェクトに参加している。
外部コンサルタントからいろんな経営分析のメソッドを教えてもらうのだが、初めて勉強する経営学フレームワークは私の目にはとっても新鮮。
「よその会社の経営者はそういうふうに頑張ってるのかぁ!」
と、感心することばかりだ。

経営分析がちょっとしたマイブームなので、自分が消費者なのに、ついつい経営側の仕組みを考えてしまうことがある。
どう考えても、やっぱりAmazonはすごいなぁと敬服することばかりだ。
業界トップというのは、それだけの理由があるよね。当たり前だけど。

やっぱり成功企業はやってることが違う!
…と思っていた矢先、やはり成功企業なはずのセブン-イレブンのネット宅配で最近がっかりしたことがあった。
大企業もそれぞれ。やらかすのはどこも一緒。
というわけで、セブンのゴタゴタはまた次の機会に。