3歩前のことを忘れる女のサブカルと介護の記録

神戸に住む40代波野なみ松の、育児と趣味と要介護両親の対応に追われる日々の記録。

今の生活の限界は?

水曜日の夜、久しぶりに友達のYさんと電話した。
彼女とは同い歳で、10年来の大切な友達なのだけれど、なかなか不思議なつながりだったりする。

出会ったきっかけは、神戸ポートピアホテルで開催されたクレイジーケンバンドのディナーショーだった。
何でも一人で出かけていく私だけれど、さすがにテーブル席に一人ではまずいということで、mixi上で一緒に行ってくれる方を募集したところ、Yさんご夫婦が応えてくれたのだった。
そのとき返信をくれたのは夫さんのほうだったけど、今では奥さんのYさんとしか繋がっていないのも奇妙なものだ。

そんなふうに知り合って、Yさんご夫婦はもうクレイジーケンバンドのライブには来なくなったけど、Yさんとはずっとお友達だ。

好きなバンドもそうだけど、私はこの10年というもの、ほとんど何の変わりもなく生活している。
一方、Yさんは大病を患って入院したり、引っ越しをしたり、夫婦間の問題があったり、仕事を変わったりして、大変だったと思う。

ときどきしか会えないけど、会ったときは苦労話をゲラゲラ笑いながらおしゃべりする。
どんなにダークな話題も、おしゃべりしていると妙に可笑しくなってくるのは、お互いの波長が合うからだろう。

ここのところの、二人の共通の話題は親の介護だ。
私自身はこの10年で何も変わっていないつもりでいたけれど、そういえば、私の生活も介護のために変化していたのだった。
あまりに当たり前に、緩やかに生活を浸食していたので忘れてた。

彼女のお父さんは、脳梗塞の後遺症で要介護状態らしく、毎日ご実家まで片道2時間かけ、往復しているらしい。

彼女自身も病弱なのに、心労がたたるだろうなぁ、と心配になった。
夫さんは、心身ともに疲れている彼女を支えられる人じゃないだろうし、余計に気がかりだ。(数回しか会ってないけど、失礼ながらそんな印象。)

それで彼女を励ますために電話をしようと思ったのだったが、いざしゃべってみると、ほとんどが彼女から私へのアドバイスで、逆に私の方が励まされていた。

彼女はときどきこのブログを読んでくれているらしく、それで心配してくれていたらしい。
彼女のほうがしんどいだろうに、申し訳なく思う。
そして、ちょっと大仰に書きすぎているかなぁ、と反省。
大変だー、大変だー、って言ってる人が実は一番大変じゃなかったりするんだよ~。

うちの母の場合は、月曜日の午後から金曜日の夕方までショートステイに預けっぱなしなので、全く楽勝なのである。
土日もデイサービスを利用していて、その間に家事や用事ができる。
平日は会社勤めをしているけれど、スーダラ社員だからへっちゃらだ。

よく、老老介護とかで、「命を削るようにして介護生活を送っている」みたいな話をきくけど、私の場合は手抜きもいいとこなので、HPもMPもそれほど減らない。
何事も100%マックスまで頑張ることができない性格なのが幸いしているんだろう。(だから何事も中途半端でダメなんだけど。)

彼女がいろんな話を教えてくれた中で、最も胸に刺さったのは、人工呼吸器の話だった。
彼女はもともと病院に勤務していたから、その辺の事情に詳しく、
「緊急搬送された場合に、望まなくても人工呼吸器がつけられてしまうよ」
と教えてくれた。

万が一の話だけど、今後母の調子が悪くなった場合、当然施設の職員さんは救急車を呼ぶ。
救急のときは、神経内科で診てもらっている総合病院を搬送先に希望することはケアマネさんとも話している。

その万が一のときに、救急処置で人工呼吸器がついた場合、一度つけた人工呼吸器は外せない決まりになっているそうだ。

もちろん、回復して自発呼吸が可能になれば外せるだろうけど、うちの母の場合、病気が病気なので、元気になることはほぼ望めない。
今でさえ、身体も動かないし、声は出せるけどおしゃべりはできない。
顔の筋肉も固くなってきたので、表情を読み取ることも難しくなってきた。
美味しいものを食べることが唯一の楽しみだけれど、飲み込みがだんだんできなくなってきたら、それも消えてしまう。

最期のときは、静かに苦しむこともなく、すーっと息を引き取ってほしいと思うけれど、そんなにうまくいくものかどうか。
まだまだ先の話ではあるけれど(と思っているけれど)、母をどのように看取るのかは私の判断だ。

「一切の延命治療はしないでくださいって、紙に書いて、お母さんと波野さんの名前を書いて、判子を押して割り印したものをケアマネさんに預けておく」
というのが彼女のアドバイス

その話を聞いたときは、
「う~ん、そこまでは…」
と正直思ってしまった。
彼女の言うことは正しく、私がちゃんと準備しておいてあげるのが母のためなんだろう。
わかっているけど、考えたくない自分がいる。
できるなら、もっと先延ばしにしたい。

彼女は病院勤めの経験から、人工呼吸器をつけられた末期患者の話をしてくれた。
「どうしても人工呼吸器をつけたいっていう家族さんって、親族の意見が合わなかったり、その患者さんの年金が必要だったり、結局は自分達の都合なんよね。そんで、人工呼吸器をつけている患者さんでも、耳は聴こえるの。ベッドの横で家族が揉めてるのも聞こえるわけ。食事は流し込まれて、排泄も自分ではできなくても、耳は聴こえて、涙は流せるの」

いつもは何でも冗談で笑いとばして、二人で笑い合うのだけど、さすがにこの話には悲しみしかなかった。

*************

今日土曜日の午前は神経内科泌尿器科を受診。
相変わらず泌尿器科では、受付と待ち時間と診察前の3回、「検尿を取れますか?」と尋ねられた。

最近では1日2回尿が出ればよいほうで、そのうち1回は夜中に寝てる間に出てることが多い。
出ないから受診に来てるわけで、
「はい、出して」
といって出るならそもそも病院に来ていない。

診察時に先生に状況を話すと、すぐに理解してくれた。
個人の資質の問題だと思うが、神経内科の先生より泌尿器科の先生のほうが人として話しやすい。
今の母の、平日は施設にショートステイ、週末は自宅、という生活リズムを話すと先生は、
「尿のことは心配やけど、お母さんのことを考えると何もせえへんほうがいいかなぁ。週末に自宅に帰れる生活を続けられたほうがいいやろうからね」
と言ってくれた。

「ただし」
気さくな泌尿器科の先生は、はっきりと付け加えた。
「尿が出ない状態がいいわけがないので、尿感染症にかかるリスクはあります。そうなったときは38度とか39度とかの高熱が出ます。そのときが、今の生活の限界かなぁ」

できるだけ今の生活を続けたい。
けれど、一体どこが限界なのか。
私が判断するとしても、どこを基準にすればいいのか。
施設と自宅を往復するのは今もすでに限界、という見方もある。

けれど、できるだけ長く現状維持を続けたい私にとって、「高熱が出たら」という目安にものすごくスッキリした。
泌尿器科の先生、ありがとう。
考えることはいっぱいあるけれど、とにかく限界まで、今の生活をめっぱい楽しませてあげられる。

Yさんの話で気付かされたことのひとつは、身体が動かないくなっても、耳は聴こえているという話だった。

母はまだ耳が聞こえる。
おしゃべりができなくなってきても、食事の楽しみが減ってきたとても、耳が聞こえるなら音楽やお話が楽しめる。

母は歌が好きなので、以前はよく昔の曲をかけてあげていた。
3年ほど前まではしょっちゅう一緒に歌っていたものだ。
最近はだんだん歌も歌えなくなって、今はほとんど反応もしなくなってきたので、たまにしか音楽をかけなくなっていた。
テレビ番組も、以前は一緒に楽しめそうなものを選んでいたけど、最近は私の都合で自分の見たいものばかりかけてしまっていた。
すべて私のエゴ。

お母さん、筋少聞かせたり深夜アニメ見せたりしててごめんね。
今日からはお母さんの好みに合わせるよ。

三宮にシアター・エートーができた。

4月1日土曜日、三宮に新しくできた劇場、シアター・エートーに、『松尾貴史Presents A☆toプレこけら落とし記念落語会』へ行ってきた。

神戸の劇場といえば、こくさいホールや神戸文化センターがあるけれど、どちらもオペラや歌舞伎向きの大きいハコ。
それより小さめの劇場なら、新神戸オリエンタル劇場か、神戸アートビレッジセンターが思い浮かぶけれど、どちらも新神戸、新開地と、街を離れている。
町の真ん中にちょうどいいかんじの小さい劇場がないっていうのは寂しいなぁとは以前から思っていた。

シアター・エートーに行ってみると、思いのほかJR三ノ宮駅から近い。
東側のエリアなので、賑やかな場所ではないけれど、この近さならこれからも気軽に遊びに来れそう。

この日の出演者と演目は、
桂りょうば「子ほめ」
桂吉坊井戸の茶碗
松尾貴史「一文笛」
だったのだけど、その前に、松尾貴史さんとゲストの吉村智樹さんのトークがあった。

話の主な内容は、お二人の神戸の思い出と、大阪芸大の話。
シアター・エートーの名前の由来は大阪芸大のA棟という場所で、大阪芸大出身者が中心になって設立された劇場であるらしい。

松尾さんの同学年が、劇団☆新感線いのうえひでのり南河内万歳一座内藤裕敬、そして庵野秀明だという。
大阪芸大出身者が関西の小劇場を牽引してきたのは知っていたし、漫画家島本和彦の『アオイホノオ』で描かれたように、庵野秀明とその周辺が新しいアニメの歴史を作っていったのも知っていたけど、その二つの世界が同じ時期に並走していたとは思わなかった。
なんなの大阪芸大?!すごすぎる。

神戸にまつわる話としては、吉村さんが話題にされた「思いつき」というレジェンド級の喫茶店の話が面白かった。
思いつきの詳細については、こちらのブログが詳しいので、行ってみたときの楽しみに、今は何も書かないでおく。

仲入りのとき、隣に座っていた方が、
「さっきの喫茶店メモしとこう。えーっと、喫茶‘思い出’やったかな」
と連れの人に語りかけながらメモをしていたら、前の座席の人がクルッと後ろを向いて、
「思い出と違いますよ、思いつきです。春日野道です」
と言う。
知らない人にそこまででしゃばって言うなら詳しいんだろうと思っていたけれど、あとでネットで調べてみたら思いつきの場所は兵庫じゃないか。
隣の人は「春日野道」とメモしていたのに、どうなったことやら。

それくらい、観客は皆、その吉村さんの話に「自分も行ってみたい!」と思わせられたのだった。
絶大な宣伝効果。

もう一昨年になるけれど、ロフトプラスワンウエストで、吉村さんの珍スポットを紹介するイベントを見に行ったことがある。
そのときも、紹介される味があるお店のスライドにお腹を抱えて笑ったものだ。
なので、演劇や落語はもちろんだけど、ロフトプラスワンみたいなサブカルトークショーなども、このシアター・エートーで企画してもらえたら面白いのになぁ。
大槻ケンヂののほほん学校をやってくれないかしら。)

松尾貴史さんの落語のまくらは出身地である神戸の話で、
「おしゃれな町と言われますが、怖いおっちゃんいっぱいおるで」
という、地元の人ならではの感覚で会場を喜ばせた。

私はもともと播州人で神戸の人じゃないからこそ、神戸っ子たちの地元愛がめちゃくちゃ強いのをひしひしと感じる。
松尾さんの語りもそうだし、それを聴くお客さんにも、地元愛が溢れていた。
道徳の教科書問題に軽くふれて、
「神戸はパンの町やのに、和菓子に変えられたら逆に郷土愛が育たへんのちゃうか」
と言うのはほんとにその通り!
けれどその程度で地元愛を失う神戸っ子じゃないのも確か。

それにしても、どうして松尾さんは落語家じゃないのにあんなに落語がうまいんだろう??

最後に、出演者と支配人で日本酒の鏡割り。

f:id:naminonamimatsu:20170406000624j:plain

退出するときには、記念の升でお酒もいただいた。
めでたいめでたい。

f:id:naminonamimatsu:20170406000534j:plain

子どもをほめずとも、灘の酒が飲めました。

長引く床擦れを何とかしなきゃ。

先週、母の介護施設から電話がかかってきた。
かけてきたのは、担当してくれている看護師さん。
たいてい、ケアマネさんが間に入って連絡が来るので、直接お話するのは初めてである。

はじめまして、いつもお世話になっています、と挨拶もそこそこに、こちらとしては何かあったのでは、と、ちょっとソワソワしながら受話器を取った。

「緊急じゃないんです。土日だったら娘さんがおうちにいらっしゃるって聞いたんで、一度ご相談しようと思いまして」
と看護師さんは言った。
緊急じゃないと聞いて少しほっとする。

「ご相談したいのは床擦れのことなんです。ずいぶん長引いてますでしょう? 背中のほうは治ったんですけど、仙骨のほうがね、なかなか治らないのが気になっているんです。お母さんご本人も痛いでしょうし、早く治してあげたいなぁ、と思いましてね。一度病院を受診されたほうがいいと思うんですけど」

看護師さんが言われるとおり、床擦れができてもう半年近くになる。
仙骨というのは尻尾の名残のような骨で、お尻の割れ目が始まるあたりにある。
座ると必ず当たるし、肉がないところだから、一般的にもよく床擦れを起こす部分なんだそうだ。

やっかいなことに、オムツをしていると排泄のときに汚れる部分である。
キレイにしておかないとバイ菌が入りそうで怖いので、オムツ替えのときには、毎回傷口の手当てをしなければならない。
施設でもきっと手間をかけさせてしまってるなぁ、とは思っていた。

「でも…病院って、どこを受診したらいいでしょうか?」
いい機会なので、私から看護師さんに質問した。
神経内科と内科は定期的に受診しているが、その2つでは診てくれそうにないからだ。

「そうやねぇ、皮膚科が一番いいんやけど、行かれたことありますか?」
皮膚科は、車で30分ぐらいのところにあり、疥癬にかかったときにお世話になった。
けれど、愛想も悪いし古くて汚いし、あまり良い印象がないので積極的に行く気がしないのだった。

大脳皮質基底核変性症という病気の説明をしてないこちらも悪いんだけど、こちらの事情をおもんぱかってはくれないかんじも、あまり好きじゃなかった。
元気な人間が皮膚のトラブルがあるのと、病気を抱えたうえで、それがために皮膚の病気を引き起こすのとはわけが違うように思うのだけど、そのあたり、私も医者にうまく伝えることができない。

特にその病院は診察台が固いベッドで、母を車イスから移乗させるのに苦労をした記憶がある。
ただ、この皮膚科が特別悪いわけではなく、ほかの病院も同じ。
外来の診察室や診察台について、身体に障害がある患者を診ることはあまり想定されていないんだと思う。
病院は病気を診るところなのに、意外とユニバーサルデザインが入っていない。
いざ実際に障害者を抱えて初めて気づかされる。

「皮膚科ですかぁ…」
難色を示す私に、看護師さんはこう言った。
「実はほかの利用者さんでね、同じように床擦れができた方がいたんですけど、お医者さんで亜鉛軟膏っていうお薬を処方されて、あっという間に治ったんです。だから、波野さんもどうかなぁ…と思いまして」
ほう、亜鉛軟膏!
そういう情報を教えてくれるのは、本当にありがたい。

しかし、ノリノリの私をいさめるように、看護師さんはこう続けた。
「ただ、本当にその薬がいいかどうかはお医者さんでないとわかりません。大切なご家族さんですし、下手に亜鉛軟膏を使って合わなかったら困りますし」

薬というものは、医師に症状をちゃんと診てもらって処方してもらい、用法用量を守らないといけないのはわかっている。
でも、病院に行く手間を考えると、手軽な市販薬に頼りたいと思ってしまう。
処方薬のほうが保険がきいて安いのも知っているけど、病院に連れて行く時間としんどさを思えば何でもない。
看護師さんが「大切なご家族さん」と言ってくれたのはうれしいけれど、病院受診より先に、市販の亜鉛軟膏を試してみよう、という気持ちにぐぐっと傾いてしまった。

電話を切ったあと、検索するとまたもやAmazon亜鉛軟膏を発見。
商品名は亜鉛華軟膏というらしい。
まじで何でもありすぎて怖いわ、密林。

【第3類医薬品】亜鉛華軟膏 50g

【第3類医薬品】亜鉛華軟膏 50g

それで今週から亜鉛華軟膏を持参。
少しでも改善されたらいいな、と期待していた。

ところが、今度はケアマネさんからショートメールが入った。
「やはり皮膚科を受診されたほうがいいと思います。こちらの介助でお連れしてもよろしいでしょうか?」
残念ながらせっかく取り寄せた亜鉛軟膏も効果がなかったらしい。
施設から皮膚科に連れて行ってくれるなら、願ったり叶ったりだ。

ほかの介護施設はどうなのかわからないが、今お世話になっているところは、母に何かあればすぐに病院へ連れていってくれる。
そうじゃなければ、母に何かあるたびに私が会社を休まなくてはいけないし、距離的にも実家まで離れているので、会社を早退しても時間的に病院の診療時間に間に合うかどうかわからない。

「あの病院は診察台へ移乗するとき怖いんですが、大丈夫ですか?」
と返信すると、
「男性職員が介助します」
とのこと。
お姫様だっこができる人が連れていってくれるなら安心だ。

受診後、再び結果の連絡がショートメールで入る。
この間、私は勤務時間中。
ショートメールが使える時代でほんとによかった、と思う。
電話連絡がいちいち入っていたら仕事にならないだろう。

軽く感染症を起こしているとのこと(塗り薬以外に抗生剤の飲み薬も処方)、糖尿もあるので治りにくいということ、そして栄養不足が悪化の一因だということ、を医者の見立てとしてケアマネさんが連絡してくれた。

ケアマネさんが特に心配されていたのは、うちの母の体重が減っていることだった。
日報を見ると、飲み込みが悪いせいで食事がほとんど食べられない日がときどきあるようだ。
一時期46キロあった体重が、最近は40キロギリギリまで落ちている。

そこでケアマネさんから、
「夕食時はムセることが多く、食べられないことが多いので、夕食を栄養食に変えてはどうかと考えています。いかがでしょうか?」
という提案があった。
「食事の楽しみを奪ってしまうので悩むところですが」
という注釈付きで。

聞くと栄養食は明治メイバランスのソフトゼリーだという。

www.meiji.co.jp


家でもたまに食べさせているもので、私も食べたことがあるけど、フルーツヨーグルトに似た味で普通に美味しい。
母にとってみれば、ごはんがおやつに変わるようなものだ。
甘いものが好きだから、食べる楽しみを奪うどころか、逆にうれしいくらいだと思う。

ただ、ヨーグルトっぽいソフトゼリータイプは口の中でネチャネチャするので、たまに飲み込みにくそうにしている。
同じパウチのものでも、ウィダーインゼリーのようなツルリとした透明なゼリーのほうが飲み込みが良い印象がある。
そんな私の所見を伝えると、
「栄養士と相談して、パターンを試しながら最適なものを探ってみます」
とケアマネさん。

母の病気の進行に伴って、次から次へと問題が出てくるけど、ケアマネさんがいてくれて心強い。
もちろんケアマネさん個人の資質によるところが大きい。
いい人に当たってラッキーだったわけだけれど、そもそもケアマネジャーというシステムがあってよかったなぁ、としみじみ思う。
これが病院みたいに、つながりなくバラバラに、個人が調べて個別に対応するようだったら私はお手上げだった。

病気についても医療ケアマネジャーがいてくれたらなぁ。
あちこちの科をたらい回しにされないようになるかもしれない。
早く総合診療制度が進んでほしい。
その頃には医者はAIかもしれないけどさ。

遊んでばかりの春

「祝日は日帰りで東京へ、ライブを見に行ったんです」
「たまにはそういう楽しみもないとね!」

「明日は映画を見に行くんです」
「いいですね!たまには息抜きしないとね!」

ありがたいことに、皆さん優しく、
「たまには遊ばないと」
と言ってくれるんだけど、ごめんなさい!
たまにじゃないんです!
いつもなんです!

ここのところのスケジュールの埋まり方は尋常ではない。
一番の原因は、オーケンがめっちゃお仕事をされていることだ。
ファンとしてはできるかぎり活動をフォローするので、ただでさえ母の介護とか仕事と家事の両立とかでバタバタしているのに、もう大変なのである。
ライブだけじゃなく、テレビを録画し、ラジオをチェックし、雑誌が出ていれば買いにいかないといけない。
昔と違い、インターネットの動画やネットTVなど、媒体が増えた分、より忙しくなった。(ちなみに明日3月26日は筋肉少女帯ニコニコ生放送と、AbemaTVへのゲスト出演が。)
オーケン関連のイベントが活発になるにしたがって、私のスケジュールがギューギューになる。

私の優先順位は、

大槻ケンヂ → 家族 → 仕事

の順であり、20年以上そんな生活を送っているのだから今さら変えられない。
自分が死ぬまで、いや、来世でも同じだろう。

3月11日の土曜日は、筋肉少女帯のファンクラブ的なものである「ハイストレンジネス」の発足イベントがあり、例外的に母をお泊まりさせて出掛けて行った。
その翌日の日曜日にあった大阪BIG CATのライブ「『猫のテブクロ』完全再現+11」も、本当なら行きたいところだったけれど、さすがにそれをすると母を連泊させるうえ、月曜日のリハビリを受けられなくなるのでガマンした。

その代わり、3月20日の月曜日があった。
祝日のこの日に赤坂BLITZで同タイトルのライブがあり、こちらに行くことにしたのだ。
ファンとしては絶対に見逃すことができない記念碑的なツアーだったからだ。

日帰りの東京はキツいしお金もかかるけど、お金以上に時間の調整がつかないのだから仕方がない。
今の私の人生は、

時間 → 健康 → お金

という価値観で回っている。
会社をやめて正社員じゃなくなったら、お金と時間の位置がひっくり返るんだろうけど、今はとにかく時間が惜しい。

そこまでして一人のアーティストを追いかけているのは、傍目には愚かしく映るに違いない。
きっとバカみたいに思われていることだろう。
でも、長年ファン活動をやっていてふと気がつくと、周囲の人たちより物知りになっている自分に気がついた。

ライブやイベントに行くために、いろんな地域に出かけるので、交通網や地理に詳しくなる。
特に神戸の人は遊びに出るとき地元から出ない人が多いので、同じ近畿圏なのに大阪で迷うという話をよく聞く。
出張などに行った際、私がやたら路線や乗り換えに詳しくて驚かれる。

今回の遠征で私は、生まれて初めて東京駅に降り立った。
というのも、通常、東京に遊びに行くとすると新宿や渋谷が中心。
だとすれば、品川で降りて山手線に乗るパターンが多いのだ。
今回は会場が赤坂なおかげで、初東京駅を経験できたというわけだ。

f:id:naminonamimatsu:20170325152855j:plain

初めての東京駅はとても美しくて、思わず写真をパチリ。
すっかりおのぼりさん。

f:id:naminonamimatsu:20170325152924j:plain

彼氏にLINEすると、
「東京駅ってアムステルダムの駅に似てるね」
って、なんだそりゃ自慢か?
彼氏としては、私が熱心なオーケンファンなのを内心快く思っていないのだ。

東京から赤坂までは東京メトロで。
工事中のところが多くて、すっかり寂れた都市みたいに見える。
人も少なく、これが本当に日本の首都か?と疑いたくなる風景。
私の知らない東京。

f:id:naminonamimatsu:20170325153222j:plain

赤坂の駅についてからしばらく地下を歩き、階段を上がって地上に出てみたら、まるで私を待ってくれていたみたいに垂れ桜が咲き誇っていた。

f:id:naminonamimatsu:20170325153245j:plain

新宿や渋谷に降りると、「東京に来たなぁ」と実感するのだけど、これじゃ全然、上京してきた感がわかない。
そのかわり、ずっと夢の中にいるみたいな気がして、ふわふわしていた。

f:id:naminonamimatsu:20170325153311j:plain

筋肉少女帯の『猫のテブクロ』は1989年にリリースされたアルバム。
当時まだ、私は筋少を知らなかった。
その2年後、クラスの男子が『猫のテブクロ』をダビングしたテープをくれて、それが初めての筋肉少女帯だった。
彼がなぜ私にテープをくれたのかは全く覚えてないけれど(その男子の名前がどうしても思い出せない)、振り返ればそれが私の、人生の転機だったわけだ。

そんなわけだから、『猫のテブクロ』は思い入れがあるアルバムで、それがまたライブで演奏される。
そのライブに立ち会えたという奇跡。

私は常日頃、「今の51歳のオーケンが一番好き。銀髪万歳!」と公言してはばからないフケ専だけれども(←冗談ですよ!!)、それでも、この日のオーケンがときどき、かつての長髪の美青年とオーバーラップして見えた。
私の脳内イリュージョン。

終わってからもずっと夢の中のようで、疲れて爆睡するだろうと思っていた新幹線の中でも、ずっとファンの方のTwitterを眺めている始末だった。
新大阪から在来線に乗り換え、JR元町駅に着いたときには日付が変わっていた。
明日、いや今日からまた仕事だ。
シンデレラの魔法が解けた。
気が付くと神戸は雨。東京は晴れていたのに。
そぼ降る雨の中、オールスタンディングのライブで疲れた足に鞭打ちながら家へと駆けだした。


私が遊んでばかりいる間にも、母の病気は緩やかに、しかし着実に進行している。
目下、歯肉炎と床ずれの悪化、体重の減少が悩みの種だ。

今週から、とうとうテープタイプのオムツを使うことにした。
これまではパンツタイプのものを使っていたけれど、それは基本的に「立てる」人用。
しばらく前から母は、どんなに支えても立つことができなくなってきていた。
テープタイプというのは、いわゆる一般的なオムツである。
紙パンツではない。
これを使うということは、イコール「寝たきり」だ。
これまでできていたことを「できなくなった」と判断をし、次のステージへ移るのはちょっとつらい。
けれど、現実を受け入れなければ。

うちの母は、私が遊びに出かけることを否定したことは一度もなかった。
「若いうちにできるだけ、楽しいことをいっぱいしなさい。歳をとったらできんようになるんやから」
というのが口癖だった。
おかげさまで、若い頃から好き勝手させてもらった。

私がすでに若くなくなって以降も、母は同じことを言い続けた。
「今のうちたくさん楽しみなさいよ、大人になって結婚したら、遊びに行くこともできんようになるで」
そのときすでに、母は私の歳を覚えてなかったのかもしれない。
もしくは、親の歳から見れば、子供はいつまでも「若い」と思えるのか。

おかげさまで、まだこの歳になっても楽しいことをいっぱいしている。

映画『函館珈琲』を激しく勝手に思い込む。

昔の上司の口癖は、「もうあかん、会社やめてタコ焼き屋するわ」だった。
なぜタコ焼き屋なのかわからない。
とにかく脱サラをしたかったのだろう。

最近、私もすごくそんな気持ちになっている。
会社をやめて、人の役に立つこととか、自分が思いきり打ち込めることとか、何かもっと違うことをしたい。

でも、だからといってタコ焼き屋をやろう、とは思えないので、やるなら珈琲屋か古本屋だけど、本気でやりたいかと問われれば、そうでもない。
じゃあ何をすればいいのか。
それがわからない。
自分に何ができるのか、何がしたいかもわからない。
すでに人生の半分が過ぎているのに、いまだにこの調子だ。

『函館珈琲』は、そんな私のような、モラトリアムな大人たちのための映画だった。

トンボ玉職人、テディベア職人、写真家、という、何かを目指している人たちを支援するシェアハウ翡翠館。
そこに、古本屋を自称する主人公が1か月のお試し期間でやってきたことから物語は始まる。
函館の美しい港町を舞台にした、爽やかな映画だった。

実はこの映画を監督した西尾孔志さんはなぜか知り合いで、Facebookなどでこの映画の話を知っていたから、公開を楽しみにしていた。

西尾さんの前作『ソウルフラワートレイン』は大阪を舞台にした愉快な映画で、『カルメン故郷に帰る』の逆というか、‘お父さんカルメンに会いに行く’といったかんじの佳作であった。

『函館珈琲』は今月上旬に元町映画館で上映があったけれど、時間が合わなくて見に行けず、今日やっと十三シアターセブンで見ることができた。
しかも、上映後はアフタートークのおまけつき。

(このあとネタバレ含みます。)

主人公の桧山くんは、家具職人の先輩の代わりに翡翠館へやってきた。
しかもその先輩が作ったイスを抱いて。
その先輩は海外に行ってしまったというけれど、どうも渡航先で亡くなってしまったようだ。しかも事故ではなく自殺の可能性もあるような…。

桧山くんのイスに対する異常な思い入れ、グジグジ思い悩むかんじからして、私はてっきり、彼と先輩は恋人同士だったんだな、と思い込んでしまった。
先輩のところに居候していたとも言っている。
同棲してたなら、やっぱり恋人だ!

実は彼は古本屋ではなく、処女作で賞を獲った小説家。
その小説を読んだ翡翠館の住人イチコさんは、彼のことがよくわかった、というような感想を述べる。
何がわかったかって?
そりゃあ、彼が同性愛者で、それなりの恋愛をしてきたことをさ!
さらに私の確信は深まっていった。

イチコさんは彼にキスをしようとするけれど、彼は本で遮る。
印象的なシーンだ。
私は、イチコさんは彼が同性愛者だと知っていてカマをかけたんだろう、と思った。
ほうらね、こんな美人のキスを嫌がるなんて、やっぱり男性が好きなんだ。

ところが、アフタートークによると、それが大ハズレ。
なんと最初はイチコさんとのベッドシーンを思わせるようなカットもあったという。
本当はキスシーンも撮りたかったけど、脚本家が嫌だと言ったらしい。

ええっ!?
彼はゲイじゃなかったの??

…おお、なんという私の腐女子度の高さよ。
美男を見たらゲイと思え、というのは、二次元だけの常識なのか…。(←二次元でも常識ではありません)


物語の後半、主人公の桧山は、翡翠館にある廃車寸前なバイクの修理を始める。
毎夜徹夜で修理し、とうとう、彼はバイクのエンジンを動かすことに成功する。
ブンブンと唸るエンジン音が、翡翠館中に轟く。
まるで、船が出港する汽笛のように。

しかし、音が響くだけで、決してそのバイクは走り出さない。
走れるけど、まだ走らないんだ。
そこにとどまって、ゆっくりとした函館時間を楽しもうとしている主人公みたいに。
あえて走らないことで、主人公の吹っ切れた気持ちを表現してるんだなぁ。
…と思ったのだが、これもまた大ハズレ。

西尾さんによれば、なんとバイクが走るシーンがちゃんとあったらしい。
しかも、翡翠館オーナーがライダースーツで桧山くんを待っていて、二人乗りして走る、というシーンだったそうな。
オーナー役の夏樹陽子さんもノリノリだったとのこと。
しかし、
「修理したばかりのバイクを登録もせずに走らせるのは…」
という指摘により、残念ながらそのシーンは没になってしまった、という。

なーんか、アフタートークでことごとく覆される私の妄想。
映画制作の裏には、いろんな事情があるもんだ。

昨日、西尾さんから、
「平日はお客さんが少ないからぜひ見に来て」
とわざわざメッセージをもらったので、そうなのかと思って行ったら、お客さんがけっこういて、アフタートークもぎっしり。

そんな状況の中、西尾さんに感想を求められたけれど、
「またメールします」
とだけ言って、ただ会釈して帰った。
私が何も言わずに帰ったことで、西尾さんは私が映画を気に入らなかったのかな、と不快に思われたに違いない。

実際のところは、そんなたくさんの人の前で、
「主人公と先輩はできてると思ってました」
なんてアホな感想を言えないよ、というのが真相。
書くのはいくらでも書けるけど、人前でしゃべるのはちょっと苦手だ。

そんなおしゃべり下手な私から見て、唯一、映画でディスりたくなったところが、写真家の女の子だ。
対人恐怖症という設定で、1日にしゃべった一言二言を日記に書くという寡黙ぶり。
そのわりには、主人公とけっこうしゃべってるよねぇ、という違和感。
世の中、声が出ないわけじゃないのに、ほんとに何も言わないヤツってけっこういる。
返事すらしないで首を振るだけだったりする若者ってそこそこ多くて、それに比べたら、写真家の女の子はごくフツウだ。
彼女のコミュ障ぶりが中途半端で、そこが消化不良な気がした。
…とはいえ、もしかしたら、彼女がコミュ障だというのも私の思い込みだったりして??


この映画の登場人物の中で最もいいなと思ったのが、テディベア職人の男の子だ。
ドイツ人のハーフという設定みたいだけど、とてもナチュラルで魅力的。
この俳優さんのほかの役も見てみたい。

テディベア職人の彼が翡翠館を出ていくと言ったあと、熊の着ぐるみを着て登場する。
とてつもなく可愛い、私のお気に入りシーンだ。
ただ、熊の着ぐるみが出てくる映画がなんかあったよな、と記憶をたどれば、ジョン・アーヴィング原作の映画『ホテル・ニューハンプシャー』がそうだった。
西尾さん、熊の着ぐるみはズバリ、『ホテル・ニューハンプシャー』の影響でしょ!?

…ああ、でもきっとこれも私の思い込みにちがいない。

『狂い咲きサンダーロード』はいま観ても狂っていた。

ここのところ、ニュースやワイドショーの籠池ファミリーが気になってしょうがない。
不謹慎を承知で言うけれど、これだけ強烈なキャラクターの登場は久しぶり。サイコパス炸裂!
なんとなく、園子温監督『冷たい熱帯魚』のでんでんを思い出してしまうのは私だけだろうか。
籠池氏関連で気の毒に思ってしまうのは鳥肌実で、こういう本物のオモシロ右翼が出てきちゃったら、絶対に勝ち目がないよね。

そんなことを思っていたところ、元町映画館で石井聰亙(現・岳龍)監督『狂い咲きサンダーロード』のリマスター版の上映があったので、観に行ってきた。

www.youtube.com

伝説のカルト映画だから、ずっと見なきゃ見なきゃと思いつつ縁がなかった作品なので、ちゃんとスクリーンで見れてうれしい。元町映画館ありがとう。

この映画の主演だった山田辰夫が亡くなったとき、『社会派くんがゆく!疾風編』で唐沢俊一村崎百郎がこんなふうに語っている。


村崎:山田辰夫っていうと、とにかく石井聰亙監督の『狂い咲きサンダーロード』のムチャクチャにバイオレンスは主人公のイメージが強烈すぎてさ。やさぐれたダミ声と凶暴な存在感が鬱陶しいくらいギラギラ光ってたね。
唐沢:あれ、最初観たときは"どっから連れてきたんだ、こんなチンピラ"とマジで思ったもの。全編何言ってんだか聞き取れないような絶叫口調でね。
村崎:あの映画のあの役はホントにマジでヤバかったわ(笑)。どうやったってマトモに言葉が通じるとはとても思えないような凶暴な人種を、まんまリアルに演じてたよね。


こういう情報は事前に知っていたので、とにかく主人公が強烈なキャラクターなんだな、という覚悟はしていた。
だから「狂い咲き」という形容詞は、主人公を表すものなのだと思っていたが、実際に観てみると、主人公だけじゃなくて映画全体が狂い咲いていた。
ストーリーや設定、絵全体がムチャクチャなのだ。
かつてオーケンが映画のイベントを企画して、お気に入りの青春映画の名作としてこの映画を上映したけれど、参加したファンたちは大爆笑の渦だった、というのもよくわかる。(こちらは大槻ケンヂ著『オーケンの、私は変な映画を見た2』を参照されたし。)

暴走族「魔墓呂死」(まぼろし、と読む。文献やサイトによっては魔墓狼死となっているけど、今回映画館に置いてあったチラシの表記に合わせます。)の特攻隊長の仁(山田辰夫)は、「愛される暴走族」を目指す周囲の暴走族たちと衝突し、とにかく暴れまくる。
その仁を諌めるために登場したのが、魔墓呂死OBである小林稔侍なんだけど、戦闘服を来たその男の自己紹介にぶっ飛んだ。

「私は見てのとおり、政治団体のものだ!」

見てのとおり、と言われても何か全然ピンとこなかったけれど、日の丸を掲げた街宣車の登場でようやくそういう政治団体だとわかった。
その名もズバリ、日本会議、いや違う、スーパー右翼!!
ネーミングがスゴすぎる…。

スーパー右翼の皆さんは、暴走族の若者をスカウトする。
「君たちの力を国のために使ってみないか!」
そして、何人かの若者が政治団体に入り、厳しい軍事訓練に明け暮れる。
仁もしばらくは参加をしているが、繰り返される毎日の思想教育や訓練に退屈し、周囲との衝突のすえ抜け出してしまう。

ふと、不良少年つながりで、映画『クローズ』では先輩が反社会的勢力さんになっていたのを思い出した。
不良少年→暴力団組織、暴走族→スーパー右翼。
ケンカが好き、ケンカができるお仕事に就きたい、ということでそうなるんだろうか。
そうすると、右翼って政治じゃないよね、と改めて気づかされる。

スーパー右翼は国のためといいつつ、訓練しかしない。
本当に国のために力を発揮するなら、日がな訓練するより真面目に働いてもらったほうがよっぽど日本国のGDPに貢献できるはずだ。
もちろん、彼らがそんな生産的なことをするわけがない。(ここのあたりネトウヨにも似てるかも。)

暴走族もスーパー右翼も、単にムシャクシャしているのだ。
すべてのことが気に入らなくて、あらゆることに腹が立っている。
理屈じゃない。
破壊衝動が次から次へと押し寄せてくる。
彼らは自分自身でさえ、消えてなくなってしまえばいいと思っている。

若者だなぁ。
と、40歳を過ぎたおばさんは思う。
10代のときにこれを見ていたら、もっと共感できたのかもしれない。

私も若い頃は、「みんなみんな大嫌い!」とわけもなく思うことがあった。
何もかもが嫌になる。
何もかもが退屈してしまう。
何よりも自分が大嫌い。
若いときにはそんな時期があるものだ。
ただ、そんな時代は嵐のように過ぎ去ってしまう。

もし魔女が現れて、
「あなたを10代に戻してあげますよ」
と言われても、私はお断りする。
大人になって、少しずつ自分以外の物事が見えるようになって、ようやく心穏やかに暮らせるようになった。
若い頃のような毎日がイライラする日々には二度と戻りたくない。(やがて更年期が来たら同じようになるのかもしれないけど。)

狂い咲きサンダーロード』という映画は、そういう若い頃の愚かしさを凝縮させたようなところがある。
痛々しく、ヒリヒリし、恥ずかしく、ばかばかしい。

仁はスーパー右翼を抜けた後、好き勝手な振る舞いをしたせいで闇討ちに合い、チェーンソーで右手を切り落とされてしまう。
同じように右翼を抜け出した仲間の一人は襲われて植物状態に、もう一人は仁を置いて街を逃げ出してしまう。
さらに自暴自棄になる仁。
ほっつき歩く街も荒んでいて、まるで彼の心象風景のように薄気味悪い。

この街の薄気味悪さ、松井良彦監督『追悼のざわめき』の街並みの気持ち悪さに似ているなぁと思っていたら、松井監督も編集で参加していた。
どうりで、街の空気感が似ている。世界が地続きといっていい。
荒廃という言葉では足りないほどの汚れたかんじ。
ニンゲンはいるのに誰一人として心が通じ合わないかんじがして、見ているだけで孤独を感じてしまう。

そのうえ、舞台は近未来ということになっているけれど、とてもじゃないけど未来都市には見えない。
安っぽっく、みすぼらしいかんじは、どうみても80年代だ。

そう考えてみたら、当時の未来である2017年の現代は、清潔で安全で、ニンゲンもずいぶんおとなしい社会になっている。
暴走族もいなくなったし、不良少年も犯罪もずいぶん減った。
表面的には整然とお行儀よくなったけれど、臭いものはふたをされ、汚れは巧妙に隠されているだけで、貧富の格差は広がっているし、心を病む人も増えている。
見た目をキレイに掃除したらゴミ箱のゴミが増えるように、お行儀よくなった社会の闇は深くなっているかもしれない。
仁が現代にやってきたら、なおさら暴れまくるんじゃないだろうか。

クライマックスは、暴走族連合&スーパー右翼の総合団体VS仁のバトル。
戦車にロケットランチャーに、もうめちゃくちゃ。
そしてラストに生き残った仁はバイクに乗って去っていく。
唯一の味方であるジャンキー小学生に、「その右手じゃブレーキが握れないだろ」と指摘されるけれど、そんなことは意にも介さず走り始める仁が清々しい。

さて、私のような中年はともかく、現代の10代のコたちはこの映画をどう見るんだろう。
行き場のない怒りや憤りが狂い咲く青春映画として感動するのか、トンデモ映画として大笑いするのか。
今なお色あせない映画、と言われているけれど、心に響くかどうかは世代によるかもしれない。

ただ、古びないままだと思えるのは音楽だ。
泉谷しげるPANTA&HAL、THE MODSのロックが全編に流れ、使われ方はまるで最近の映画のようだ。
これだけは掛け値なしに今の感覚でもかっこいい。
音楽の力の偉大さを感じた。

人間椅子の『威風堂々』ツアーと靴下

神戸チキンジョージ人間椅子のライブ盤『威風堂々』ツアーを見に行った。
ツアータイトルどおり、演奏は威風堂々。
重低音の波に気持ちよく揺られ、リラックスして脳にα派が満ちる気がする。
ゴリゴリのハードロックなのにこうも心地よく感じるのは、ボーカル2人の声と、和を感じさせる音階のせいかしら。

f:id:naminonamimatsu:20170310193148j:plain

関西では『イカ天』の放送がなかったので、1990年前後当時、私は人間椅子を全く知らなかった。
その後数年経って、人間椅子のベスト盤『ペテン師と空気男』を初めて聴き、
「なんて私好みの‘ど真ん中ストレート’を付いてくるバンドなんだ!」
と感動の出会いをした。
…にもかかわらず、その後、人間椅子のライブを見るまでに10数年を要してしまった。
今は、去年、今年と引き続き、神戸で人間椅子のライブが見られて本当にうれしい。
今回は大好きな『天国に結ぶ恋』が聴けたのが特に良かった。

長い間、CDの人間椅子しか知らなかった私にとって、ライブでしか味わえない楽しみだと思ったのはMCだ。
音楽はヘビーロックな3人だけれど、それと反比例したほんわかするMCが楽しい。
特に研ちゃんの青森弁がすごくよくて、わじーとの掛け合いも、仲良し同士のおしゃべりっぽくてすごくいい。

今回のMCはわじーが上梓した自伝『屈折くん』がメインだったけれど、それとは別に私が衝撃を受けたのが、研ちゃんとノブさんはキレイ好きなのにわじーが「不潔好き」だという話だった。
わじーは昔、1ヶ月に1回くらいしかお風呂に入らなかった、という話はまだいい。
そんなことよりもギターの練習だ、という理屈もわかるし、庵野秀明のおかげでそういう天才がいることは世の中に広まっているので、そこにはあまり抵抗感がなかった。
けれど、ショックを受けたのは研ちゃんがつぶやいたこの話だ。
「俺には靴下を3日履くっていう文化はないね」

*****************

私の実家のベランダは父の寝室の横にあり、私が洗濯物を干す音で父が目覚めることがよくある。
今日も私が洗濯物を干していると父がようやく目覚めて、着替えを始めたところだった。
干し終わったとき、父はちょうど靴下を履くところだったのだが、その様子を見て驚いた。
「お父さん!!その靴下、私の!!!」

父は、
「ほんまかいや」
と言ったものの、手を止めない。
黒地にグレーのダイヤ柄が入ったハイソックスは、どう見ても女性用だ。
「お父さんそんな可愛い柄の靴下持ってないでしょう!! やめてよもう!!」
と泣きそうになる私に、父は平然と、
「もう右足履いてもとうのに、ええやんか」
と、脱ぐどころか、左足に履く手を止めない。

「やめてやめて!!今すぐ脱いで!!」
「なんでや、もうええやんか。どっちにしたって洗濯せなあかんのやから」
「なんで?」
「昨日から履いとうもん」

私のショックたるや、相当なものであった。
女性用靴下、しかも私の靴下が履かれてしまったこと。
しかも2日間履くということ。
そのダブルショックで卒倒しそうになり、私は壊れたレコードのように、
「やめてよもう!信じられへん!やめてよもう!信じられへん!」
と繰り返すばかりだった。

父が服を着替えなくなったのはいつからだろう。
私が洗濯物を催促しなければ、いつまでも同じ服を着ていることがある。
下着ですら、だ。

脳梗塞を患って退院後しばらくは使い捨ての紙パンツを履いていたのだけれど、そのときも、
「捨てるのはもったいないから、漏らすまで履く」
と言って、何日もパンツを履き続けたことがあった。
父がお風呂に入っていたときに、脱いであるパンツからただならぬ異臭が漂っていた。

若い頃はそんなことなかったはずだ。
家事の一切をやっていた母が病気になり、洗濯をしたりお風呂を用意したりできなくなってから、父がだんだん「不潔好き」になっていった気がする。

歳を取るごとに、
「何もかも面倒くさい」
と言い出した。
お風呂に入るのも、服を着替えるのも、すべてが面倒だと言う。
ケアマネさんは、
脳梗塞の後遺症もあるんちがいますか」
と、父の不潔を優しく許してくれるけれど、本当に病気のせいかどうかはわからない。

そんな父を見てきているので、まだ50代に入ったばかりのわじーが靴下を3日履くのが心配でならない。
歳を取るごとに加速するかもしれないのに、今からそれではどうなっちゃうんだろう?!?!

何かのテレビ番組で、介護スタッフが好きな利用者さんの条件ランキング、というのをやっていて、第一位は「清潔な人」だった。
そりゃそうだ。
というか、そうじゃない人が多いという裏返しな気がする。
世の中の高齢者にはなるべく気を付けてもらいたい。
私自身も決してキレイ好きじゃないので、「歳を取るほど清潔に」を心に刻んでおこう。