3歩前のことを忘れる女のサブカルと介護の記録

神戸に住む40代波野なみ松の、育児と趣味と要介護両親の対応に追われる日々の記録。

認知症×マフィア=『おじいちゃんはデブゴン』

『我的特工爺爺』という、サモ・ハン監督・主演のアクション映画のことを知ったのは去年。
「特工」というのは特殊部隊のことらしく、引退した元・特工おじいちゃんが活躍する話らしい。
それだけなら、クリント・イーストウッドの『スペース カウボーイ』的な‘昔取った杵柄系ストーリー’かと思ったけれど、気になったのは主人公が認知症だという設定だった。
日本に来たら絶対観よう!と思っていたので、元町映画館で上映が決まったときからずっと楽しみにしていた。

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『我的特工爺爺』の日本語タイトルは『おじいちゃんはデブゴン』になっていた。
なんじゃその邦題は?!
気の毒に、サモ・ハン主演の映画は「デブゴン」の呪縛から逃れることはできないのだろうか…。
サモ・ハンが一度も痩せなかったのが香港映画界の幸いであろう。

sammohungisback.com

実はこの『おじいちゃんはデブゴン』は、‘昔取った杵柄系’でもなければ、‘おじいちゃんが頑張る’話でもなかった。
チラシやサイトのストーリー紹介をざっと読んだら、「かつて強かったおじいちゃんが、誘拐された少女を救出するために大活躍する話」なように読めるのだけれど、そうではないのだ。(※ネタバレします)

だいたい、近所の女の子は行方不明になるものの、誘拐されたと決まったわけではない。
主人公のおじいちゃんは女の子の行方を探しているだけなのに、えらいことに巻き込まれていく。
「頑張る」のではなく、「相手が向かってくるんで、なんかわからんがやっつけてしまった」という展開なのだ。

認知症という設定だからか、サモ・ハンは無口で無表情。
いろんなことを忘れてしまうけど、慌てる様子もない。
いつもぼんやりしていて、少しだけ、困ったなぁ、という顔をする。
戸惑いながらも条件反射的に、チンピラの手を骨折させたり投げ飛ばしたりしてしまう。

少女を探して地元ヤクザのアジトを訪ねていくのだが、ヤクザのボスに、
「ジジイ、帰らんと殺すぞ」
と耳元で脅されると、無表情のまま突然ボスを殴り倒してしまうおじいちゃん。

えっ、いきなり!?!
そのタイミングで殴るの!?
という、空気を読まない絶妙な間。
主人公だけれど、何を考えているのかがちょっと読めない。

びっくりして慌てて飛びかかってくる手下たち。
もちろん、おじいちゃんは全員ボコボコに返り討ちにしてしまう。

そこへ、地元ヤクザと対立関係のロシアマフィアが出入りにやってくる。
アジトの中は、すでに全員が瀕死の状態。
どうなってるんだ?!と驚きつつ、
「皆殺しだぁ!!」
と生き残っている構成員の息の根を止めにかかるロシアマフィア。

なぜそこで皆殺し!?
と堅気の日本人女性は思ってしまったけれど、ロシアマフィアは仕事を最後までやり終えないと気が済まないのだろう。

そんな阿鼻叫喚の中でぼんやり立っている太ったおじいちゃん。
おじいちゃんもロシアマフィアも、状況が飲み込めないまま対峙し、流れで戦ってしまう。
死闘の末、おじいちゃんの大勝利

その後も、まんまと逃げ出したヤクザのボスを追いかけたけれども、仲間同士の内輪揉めによってボスは殺されてしまい、結局少女の行方を掴むことができなかった。

途方に暮れて線路脇で座り込んでいるおじいちゃんを、偶然通りかかった近所の女性が保護してくれる。
一見すると単なる徘徊老人。
なのに、まさかまさか、マフィア組織を2つも潰してしまったなんて誰が想像できただろうか。

ラスト、行方不明だと思われた少女は、友達の家に遊びに行っていただけ、というハッピーエンドで終わる。
そんなことだろうとは思ったけどね。


この映画の珍しいところは、舞台が中国とロシアの国境の町だという点。(だったらなんでみんな広東語でしゃべってるのか不思議だけど。)

中国とロシアは地続きだ。
この2国間でもずっと国境紛争をやっているらしい。(南シナ海尖閣だけじゃないんだよ~)
そして、紛争だけじゃなく、国境あるところ犯罪あり。
私たちは日本人だから、日本と中国、という視点でしかあまり中国を見ないけれど、こんなふうによその国とよその国の関係性を見るのも面白い。
(ただし映画では深堀りはされてない。中ロの雰囲気だけ。)

少女の父親役をやっているのがアンディ・ラウ
賭博で作った借金の返済を待ってもらうために、ヤクザに命令されて、ウラジオストクでロシア人が盗んだ宝石を盗みに入る。
つまり中国ヤクザがロシアマフィアの上前をはねようとするわけだ。

そしてアンディ・ラウはロシアマフィアからの逃亡劇を繰り広げるのだが、ホテルの階段を手摺から手摺へと、テナガザルの如く跳んでいく様子は圧巻。
最後はガラス窓を突き破って、旗のポールにぶつかりながら、車のボンネットに落ちる。
これ、アンディ・ラウ本人だよね?スタントもワイヤーもCGも使ってないよね?
こういうのを見ると、やっぱり香港の俳優さんの身体能力の高さを思い知る。

そうそう、サモ・ハン要素を除いてみると、この映画は『ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ』的なクライム・アクションなのだ。
そもそもこの映画を‘認知症映画’として興味を持つ人がどれくらいいるかというと、皆無に等しいだろう。
主人公が認知症だといっても、物忘れ程度の初期症状で、病気に対する本人の認識や気持ちもあいまいだ。

そのせいか、‘認知症を描いた映画’によくある暗さがない。
それは、悪く言えば‘浅さ’かもしれないけれど、良く言えば、認知症のおじいちゃんを主人公にしても楽しいストーリーが描ける、ということだ。

私が最初に認知症のことを知ったのは、子供の頃にテレビでやっていた『恍惚の人』だったと思う。(映画なのかドラマなのか、その紹介だけの番組か、そこまでは覚えていない。)
当時はまだ認知症という言葉はなく、痴呆老人と言われていた。
ボケた舅が、お世話をしてくれている嫁に暴力をふるうシーンがあって、それが子供心に怖かった。

その印象があるからか、めっちゃ強い人が認知症になってしまったら手に負えないよなぁ、とつい思ってしまう。
サモ・ハンが暴れだしたら介護者が死んじゃう!…という私の心配は杞憂に終わってよかった。(そもそもそんな救いのないストーリー、映画にできないよ!)

高齢化社会が進めば進むほど、認知症映画はこれから増えていくだろう。(元町映画館で上映される『八重子のハミング』がまさにそれ。)
でも、まだ認知症を描いた作品には、家族の苦労と愛情、人間性への洞察、人生の振り返り、みたいな重いものが多い気がする。
ステレオタイプな感動だけじゃなく、もっといろんなタイプの認知症映画が出てきたらいい。
『おじいちゃんはデブゴン』はひとつのバリエーションになりうる。

病院のハシゴとサイドミラー

おとといの土曜日はハードスケジュールだった。
というのも、U病院の神経内科とA病院の内科の受診日が重なってしまったからだ。
うっかりしていて、どちらの薬もその日の夜の分から不足するような状態で、日の変更もできない。
どちらも診察は午前中だけなので、効率よく迅速に行動しないといけない。

母を同行させるのは神経内科だけにして、内科のほうは家族の代理だけにさせてもらった。(母は施設に迎えにきてもらって、デイサービスへ。)
神経内科は空いている日もあるのに、こんなときに限って混んでいた。
内科はいつもどおりの長時間待ち。
私だけでもクタクタになったのに、母も両方連れて行っていたらどんなに疲れただろう。

受診を終えたら、神経内科があるU病院近くの薬局で両方の病院の処方箋をお願いした。
つまり、行ったり来たり。
A病院近くの薬局だと、土曜日は早じまいすることに加え、神経内科の特殊な薬を置いていない可能性があるからだ。

今年の春先から、錠剤は薬局で粉砕してもらって、できるだけ一包化してもらっている。
母はずいぶん前から錠剤を飲み込むことはできなくなっているのだけど、薬局で粉砕してもらうまでは噛んだり舐めたりして対処していた。
錠剤を噛み潰すことができるくらい、今も歯は丈夫なのだけど、錠剤が歯の隙間に入り込んだり、口の中に隠れていたりすることがあるので、確実に薬を飲み込めるようにするには、粉にしてペースト状のものに混ぜたほうがよい。

薬局にたどり着いたのが午後2時くらい。
粉砕のお願いをすると、
「これだけたくさんのお薬を粉砕して一包化するには午後5時くらいまでかかりそうですが、一旦帰られますか?」
と言われてしまった。

お母さんがデイサービスから帰ってくるのが5時。
再度取りに来るなんて無理だよ!とショックを受けたけれど、薬局の言い分もわかる。
母が飲んでいる薬は両方合わせて11種類。しかも神経内科は2か月分、内科は1か月分。それらをそれぞれ朝昼夜に分けて包む。
時間がかかるのももっともだ。
仕方なく、その日の夜に必要なお薬だけ錠剤でもらい、残りのものは明日再び取りに来る、という段取りにした。

病院も薬局も、ほとんどの時間は待っているだけ。
何をしたわけでもないのに、家に帰った頃にはヘトヘトになっていた。

車の運転手として同行していた父も、
「何にもしてへんけど疲れたなぁ」
と言っていたが、そのせいだろうか、電柱に左側のサイドミラーをこすってしまった。

狭い道で対向車とすれ違う瞬間だった。

かなり減速していたし、ミラーは畳まれただけで大事には至らなかったのだけど、助手席に乗っているこちらとしては、
「キャーッ、ぶつかる!!!」
と悲鳴をあげてしまった。

実は、父は同じ場所、同じ状況で、サイドミラーをぶつけたことがある。
2015年11月、父が脳梗塞の入院から退院して3か月後のことだ。

狭い上に交通量の多い道で、その電柱1本だけが道に飛び出している。
父と同じようにこするのだろう、その電柱には何本ものこすり跡がついている。
私が運転するときもぶつけそうで怖くなる、「あるある」なスポットだ。

2年前に父がぶつけたときも私が助手席に乗っていて、やはり対向車とすれ違う瞬間だった。
今回と違ってスピードを落とさなかったため、派手にぶつかり、大きな音とともにサイドミラーはポッキリと折れた。

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病後、父の運転は荒くなった。
本人は平然として反省しない。
「サイドミラーをこするんは若い頃からやな。何べんもやっとんや」
余計にアカンやないか!

これはもう免許を取り上げるしかない、と真剣に考えた。
とはいっても、うちの父が素直に言うことを聞くわけがなく、運転に関する押し問答が続いていた。

やがて、父もだんだん日常生活のペースを取り戻すと同時に、運転の慎重さと正確さも取り戻していた。
リハビリに行くようになってから、運転について心配するようなこともなくなってきた。

この調子なら、もう少しなんとかなるかなぁ、と思っていた矢先の、サイドミラー。

病院の行き帰りで疲れていたせいもあるかもしれないけれど、再び免許剥奪計画を考えるときが来た。
自損で本人がケガをするのはかまわないけど、人様に何かあったら取り返しがつかない。
…だけど、警察の高齢者講習もちゃんとパスしてるだけに、本人は納得しない。
私も運転がド下手なだけに、どう対処すればよいのかわからない。

Hooper Pooper Looperで浮かぶ猫の風景

元町高架下にかつてThe Bee’s Kneedsというカナダ人がやっているバーがあって、ときどき立ち寄っていた。

ジュースしか飲まない私を店主のクリスはいつも快く迎えてくれたし、店内禁煙というのも私には居心地がよかった。

やがてクリスがカナダに帰ってしまい、The Beed’s Kneedsはなくなったけれど、しばらくしてそこにLouie Louieというハンバーガー店ができた。

新しいお店にも行ってみたいなと思いつつ、ちょうど私の生活が介護やらなんやらで忙しくなった頃で、長らく足が向かないでいた。

 

そんな折、The Bee’s Kneedsで出会ったベーシストのオオクラシンヤさんがLouieLouieでライブをするという情報を得た。

久しぶりに、というか初めてLouieLouieに行く絶好のチャンス。

というわけで、6月7日に行ってきた。

 

シンヤさんのバンドはHooper Pooper Looperという。バンドというか、ベースのシンヤさんとドラムのMaikoちゃんのデュオ。

LouieLouieは小さなお店なので、一見、ライブができるなんて信じられないような狭さだけれど、2階にちょっとだけ空間があって、そこに機材もお客さんも詰め込んでしまう。

ここのライブ空間はThe Beed’s Kneeds時代から変わらないけれど(お手洗いが2階にあるのでわかるのだ)、私はここでライブを見たことがなかったので、ギター1本、いやウクレレ1本の弾き語りか何かで使うものだと思っていた。

ドラムセットを置くとそれだけでぎゅうぎゅうで、お客さんは出演者のすぐそばで、互いに譲り合いながらひしめき合う。

盛り上がって手を上げた瞬間、シンバルにぶつけてしまった人がいるほどの距離だ。

 

そんな狭い空間に音は充満するわけだけど、うるさいと感じることがちっともなく、心地よいリズムに包まれた。

私が座ったのはちょうどシンヤさんの目の前だったけれど、申し訳ないことにドラムのMaikoちゃんにばかり目が行ってしまった。

花のある可愛らしい女の子だからというのもあるけれど、踊るみたいにドラムを叩く様子に引き付けられてしまったのだ。

音はしっかりパワフルなのに、どうしてこんなに軽やかなんだろう。

ふだん、ライブハウスに行ってもこんなに間近にドラムプレイを見ることがないし、よく見えたとしても力強さに圧倒されるようなものが多い。

すばらしいドラマーの演奏もそれなりに聞いてきたつもりだけど、Maikoちゃんみたいに軽やかさと爽やかさを感じるドラムプレイは稀有だ。

 

曲は歌なしのインストロメンタルなんだけど、不思議と歌がなくても二人が歌っているような雰囲気がある。

一緒に行った友達は、

「歌詞がない分、自分の脳内でストーリーが想像できて楽しかった」

と、めっちゃうまいことを言った。

私のイメージの中のHooper Pooper Looperの音楽は、大きなキジトラの猫が猫じゃらしで跳びはねまくっている横で、小さなキジトラの猫が優雅に毛づくろいをしているような風景が目に浮かんでくる。(なぜ両方キジトラなのかって?…あ、単にCDのジャケットだわ。)

どの曲も浮遊感のある踊れるロックだけれど、特に印象に残ったのは、『秋猫』という猫の声をサンプリングして使っているカワイイ曲と、『go-siti-go-haiku』というリズミカルな曲。いずれもこちらのサイトで視聴できる。

hplooper.bandcamp.com

 

Maikoちゃんのそんなドラムスタイルをとっても新鮮に感じつつ、もうひとつ、Hooper Pooper Looperで珍しく感じたのは、シンヤさんの五弦ベースだった。

 

そんなに珍しいものでもないのかもしれないけど、私は五弦ベースのベーシストを知らなかったので、「まるでギターみたいなベース!」と新鮮に映ったのだ。

それは楽器の話ではなくて、メロディラインの紡ぎ方とか、演奏全般において、ギターでもない、ベースでもない、独特なスタイルだった。

あとで話を聞いたところ、もともとシンヤさんはギタリストだったのだそうだ。

なるほど、だからギターみたいにベースを弾くのか。

アーティストの個性というものは、経験の積み重ねの上に出来上がる、という良い例。

 

そういえば、シンヤさんがなぜベーシストになったのかという話は、以前に聞いたことがある。

The Deadvikingという神戸のインディーズバンドがヨーロッパツアーをするというので、そのベーシストを急募していたのだそうだ。

ちょうど前職をやめたところだったシンヤさんはたった2週間でベースと10曲を覚えて、The Deadvikingのツアーに参加。(そのときThe Beed’s KneedsでThe Deadvikingヨーロッパツアーのカンパを募っていて、私もウィーン旅行で余らせたユーロをカンパしたことがあったっけ。)

deadvikingseurotour.blog.fc2.com

 

ベーシストとして初めてステージに立ったヨーロッパのライブハウスで、演奏中に観客が次々に足元へビールの缶を置いていったそうだ。

ビールの缶を置くというのは、その演奏を気に入ってくれた証。

床いっぱいのビールを見た瞬間、シンヤさんは「ベーシストとしてやっていこう」と決意したのだという。

何が人生を左右するかわからないものだ。

 

ライブが終わってから、感想を伝えたくてMaikoちゃんと少しお話をした。

私は母の介護があって週末のライブには行けないけれど、タイミングがあればぜひ次も演奏を聴いてみたいと思ったからだ。

すると、Maikoちゃんも実はお父様がご病気で介護をしているということと、いろいろあってドラマーを引退しようと思っている、と教えてくれた。

 

朝ドラ『あまちゃん』のユイちゃんじゃないけれど、才能があるのに世の中に出ない人たちはたくさんいる。

私がこれまで出会ったミュージシャンの多くは、才能豊かで、素敵な曲をたくさん作るし、演奏スキルも高かった。

ミュージシャンだけじゃない。役者も、アーティストも、漫画家も、みんなそうだ。

でも、売れないままだったり、続けられなくなったり、違う道を見つけたり、歩みを進める中で何かをあきらめて、別の方向へ進んでいく。

人の運命は誰にもわからない。

 

一度聴いただけのお客さんの私には何も言えないけど、またいつか、Maikoちゃんの踊るようなドラムが聴けたらうれしいなぁとだけ、思った。

尼崎市民は尼崎が大好き

私と同じく結婚しない・子供はいらない派だった友達が、「子供がほしい」と言い出したのが数年ほど前の話。
「年下の彼氏ができてトチ狂った?!」
と茶化して突っ込んでみたら、
「これから先の人生、自分のためだけでは生きていくモチベーションが保てない気がする。子供とか、誰かのため、っていうんじゃないと…」
と言う。まさかの哲学的回答に驚いた。

その頃の私は、「ほえ~!」とバカみたいに感心するばかりだったけど、今はその気持ちがちょっとわかる。
人生後半になると、自分のために無為に時間を過ごすのではちょっと虚しい。

『生きているのはひまつぶし』というのは深沢七郎の本のタイトルだけれど、私も「生きているのは死ぬまでのひまつぶしである」という意見には同意する。
その一方で、どうせ暇を潰すなら、自分が楽しめるか、誰かの役に立つか、どちらかでありたいなぁ、とも思う。

そんなことを考えるようになったのは四十を過ぎてから。若い頃の私は自分のことばっかりで、誰かの役に立ちたいなんて考えたこともなかった。
ところが、早くからそこに到達し、人や社会の役に立つことを仕事にしている人たちがいる。

大学時代の先輩の清田仁之さんはその一人で、人や社会の役に立つだけでなく、おまけにめちゃくちゃ面白いことをやっているというミラクルな人だ。

清田さんが代表を務めている「月と風と」は、重度の障害者支援を行っているNPO法人である。
「月と風と」は、去年とうとう10周年を迎えた。
最初は運営に苦労していたみたいだけど、劇場型銭湯プロジェクトだとか、地域に開かれたカルチャー教室だとか、随時開催されるゲームやワークショップなどのイベントだとか、障害者と健常者の垣根をなくした地域活性化を行っている。
アートというか、サブカルチャーというか、とにかく「なんか自分たちが面白いことをする」、それが障害者支援や町づくりになっているというスタンスが素晴らしい。

いつも「月と風と」の活動をみて、参加したいなぁと思っているものの、イベントの開催日は週末がほとんどなので、参加できずにいた。
平日の夜なら行けるのになぁ、と思っていたところ、清田さんがゲストスピーカーの一人として呼ばれている尼崎ソーシャル・ドリンクスというイベントがあるというので、6月6日の夜に阪急塚口にあるイタリアンレストランへ行ってみた。

テーマは「地域発のプロジェクトを支えるクラウドファンディング」と言うことで、清田さんは「月と風と」の代表というより、「尼崎みんなのサマーセミナー」副理事長という立場でしゃべるらしい。

私は全然知らなかったのだけど、「みんなのサマーセミナー」というのは、町の人が先生になり生徒になり、みんなで学校ごっこをするイベントだそうだ。
去年から尼崎で開催されているらしく、前回は3,500人もの人が参加したそうだ。
今年も8月に開催されるんだけど、運営資金をクラウドファンディングで募っているらしい。

尼崎市もバックアップしているみたいで、尼崎ソーシャル・ドリンクスに集まっている人たちは半分くらいが市の職員さんだった。(普通の公務員だけじゃなくて、消防士さんや保健師さんも。)
とは言っても、お仕事だったり動員だったりするのではなく、皆さん自主的に来ているらしい。
食べたり飲んだりしながらお話をきくイベントだったので、同じテーブルの人たちと自然と話をした。

隣に座ったのが今年尼崎市に入職したばかりの男の子で、健康保険係をやっているらしい。
尼崎というと、ちょっとガラが悪い印象があるので、
「窓口に面倒くさいクレーマーとか来てイヤにならない?」
と尋ねると、
「そういう市民の方は、良くしようという思いで怒ってこられてるので、その思いに答えられる公務員にならないといけないな、と思います」
と、神回答。

もし私が利害関係者だったら、
「また心にもないキレイごとを!」
と思うけれど、私は何の関係もない見知らぬ神戸市民である。
「家帰ってから思い出して『クソッ!クソッ!』とかなるでしょ?」
とカマをかけても、
「そんな、なりませんよ!」
と普通なので、感心してしまった。
あんた未来の尼崎市長候補だよ!

大阪と神戸に挟まれた阪神地域の中でも、尼崎は少し特徴的な町だ。
何年か前に有名な連続殺人事件があったり、「川崎、尼崎、釜ヶ崎」を3崎と呼び、日雇い労働者の町だという話も聞いたことがあったり、ボートレース場や競馬場があったり、申し訳ないけどダークサイドを抱えている町、という印象がある。

清田さんが「月と風と」を作るときに、わざわざ尼崎市を選んだことに、私はずっと疑問があった。
大好きな甲子園がある、大学時代に住み慣れた西宮市ではなく、なぜ尼崎?

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尼崎ソーシャル・ドリンクスでの清田さんのプレゼンは、「月と風と」の活動紹介がちょこっとで、あとは「みんなのサマーセミナー」の紹介。

みんなのサマセミの副理事長にまでなった、清田さんの活動はすっかり尼崎に根付いている。
尼崎の良さは、詰めの甘さ、ワキの甘さ、ふところの深さ、らしい。
昔から清田さんがよく言っていた、いい意味での「いい加減」を象徴する町なんだろう。
大阪でもない、神戸でもない、尼崎だからというのがそこにある気がした。
そんな尼崎だから、福祉だとか町づくりのような、一歩踏み間違えたら偽善になりそうなものも、地に足が着いた誰もが楽しいイベントに早変わりする。

ちなみに、「みんなのサマーセミナー」のクラウドファンディングでは、「誰がこんなん欲しがるねん(笑)」と突っ込んでしまいたくなるリターンがいっぱい。

そのなかで一番気になったのが、FMあまがさきの『8時だヨ!神さま仏さま』という番組の出演権というもの。
神社の宮司とお寺の住職とキリスト教の牧師が3人でDJを務めているラジオ番組らしい。
出演権は欲しくないけど、その番組が気になって検索したらPodcastで視聴できた。

宗教すらボーダレス。
ふところが深いぞ、尼崎!

不安な気持ち

こんな夢を見た。

母の口腔ケアのとき、私はペンチで母の下の前歯を1本摘まみ、力まかせに挟み潰す。
粉砕された前歯。
「あああ!!やってしまった!!」
と慌てる私に、
「大事にしてた前歯なのに!!」
と母が泣く。(夢だからまだしゃべれる設定。そして、歯が砕けたのに痛くはないらしい。)
「どうしよ、ごめんね、ごめんなさい…」
と大慌てで謝る私。
なんでこんなことをしてしまったんだろう、取り返しがつかないことをしてしまった…。

後悔と反省と不安に押し潰されそうになって、目が覚めた。

夢で良かった。
ていうか、口腔ケアでペンチなんか使わないし!

このテの夢は久しぶりだ。
かつては、食事介助のときに母の食べ物を詰まらせて死なせてしまうとか、階段の昇り降りの介助で二人とも落下するとか、そういう夢を見ていた。
おかげさまで介助も安定してきて、不安の減少とともに、最近は嫌な夢も減っていたのだが。

先週なかば、施設にいるときに、母の右腕に表皮剥離が起きた。
表皮剥離、簡単に言うと皮膚が切れて傷ができたってこと。
肌が弱くなっているので、ちょっとぶつかっただけですぐに内出血したり、皮膚が破れたりする。

ついうっかり、というのは仕方ないものだけれど、ここのところ右腕のケガが続いていた。
同じような箇所を何度もぶつけていて、春先からずっと内出血が続いていたところだった。
そのうえ、腕に比べたら小さいけれど、右肩の鎖骨の横にも内出血ができていた。
こんな場所をぶつけることもないだろうし、どうしてこんな場所に内出血ができるのかがわからない。

その話を訪問リハビリの療法士さんに相談すると、肩の内出血は、筋肉が固まっているのに無理に動かそうとしてできたものではないか、という推測だった。

今までにないパターンに、ちょっと不安に思っていると、ケアマネさんから謝罪の連絡があった。
療法士さんから施設に連絡してくれたらしい。

施設内でも話し合ったところ、右腕の表皮剥離はポータブルトイレに移乗させるときに、ポータブルトイレの手すりにぶつけてしまったものらしい。
左腕はもとから動かない前提で介助しているのだけど、右腕は動くものだという固定観念があって職員の注意が至らなかったようだ、という。

その説明は実感としてよくわかった。
この施設の小規模多機能にお世話になるようになって、1年と10か月になる。
最初はまだ抱えれば立てたし、右手もかろうじて動いていた。

病気は進行する。
今ではどんなに抱えても立てないし、右手の拘縮も強くなってきて、左手同様に動かない。
職員さんたちが意識や介助方法をアップデートするよりも病気の進行の方が早い、ということなのだ。

「今後は移乗のときには手すりを必ず外すようにして、右手にも十分に配慮するよう、職員全員で徹底します」
と、ケアマネさんから謝罪をもらった。
もちろん、十分に気を付けてもらいたいし、ケガをした母はかわいそうだけど、あまり職員さんたちにプレッシャーをかけたくないなぁとも思う。

私が、「いつか取り返しのつかない失敗をしてしまわないか」と悪夢を見るように、介護スタッフの皆さんも常に不安を抱えているんじゃないかと思うと、気の毒になる。

人に話すと、
「プロだから大丈夫。割りきってるよ」
とか、
「自宅と違って施設は設備が整ってるから平気だよ」
とか言われるけれど、本当にそうだろうか。
そうだったらいいけど。
そうあってほしいなと思う。

喫煙者と嫌煙家のヤマアラシのジレンマ

最近、映画やドラマで人が死ぬシーンが、自分が追体験したように感じられてすごく怖い。

切られるとか撃たれるとかは何でもないんだけど、溺れ死ぬのを見ると息苦しくなって恐怖を感じてしまう。

 

私がオカルティストだったならば、

「きっと私はかつて溺れ死んだことがあり、それがトラウマになっているのだ」

と、前世の記憶をたどるかもしれない。

前前前世では僕は きっと溺れ死んでたよ~、なんて歌ったりして。

 

幸い私はオカルティストではないので普通に考えてみた。

切られたり撃たれたりしたことはないから、その痛みや苦しみがどんなものかわからないけれど、呼吸ができない苦しさは、息を止めれば簡単に体験できる。

溺れたことはなくても、水泳で息継ぎができないときの苦しさも知っている。

これまでの経験から、映像の中の水死の苦しみがリアルに感じられてしまうのだろうと思う。

 

ていうか、私は毎週、息ができない苦しみを味わっている。

 

父がタバコを吸うとき、または吸ったあとの部屋に入るときは、ずっと息を止めているからだ。

 

父はところかまわずタバコを吸う。

本来、脳梗塞後は禁煙するようにと医者から止められているにもかかわらず、タバコをやめる気は一切ない。

最初は隠れて吸っていたものの、だんだんと平然と吸うようになった。

 

世の中のお父さんたちは、外で吸ってくれたり、換気扇の下で吸ってくれたりするが、うちの父は傍若無人である。

せめて換気扇を付けるように何度も注意した結果、最近では換気扇のスイッチは入れてくれるようになった。ただし、よく忘れるのでそれすら完璧ではない。

 

何より、病気で身体が動かない母に副流煙を吸わせたくないのだが、

「お母さんのいるところで吸わないで。お母さんに煙を吸わせないで」

と注意しても、

「換気扇付けとうやんか」

と換気扇のスイッチが免罪符のように主張するので腹立たしい。

 

週末の夜、リビングで両親が二人並んでテレビを見ている際、

「私、お風呂入ってきてもええかな? お父さん、その間お母さんをよろしくね」

と頼むことがときどきある。

たいして何をしてもらうわけでもない。

私が入浴している30分程度の間、一緒にいてくれたらいいだけだが、父はそれすらまともに務めてくれず、母を残してどこかへ行ってしまうこともしばしばである。

どこか、といっても、庭へタバコを吸いに行くか、タバコを買いに行くかだ。

「たった30分程度やのに、なんでじっとしてられへんの!?」

と怒った翌日、今度は母の隣でタバコを吸っていた。

席を外すな、と私が怒ったせいだろう。

でも、そっちのほうがやってほしくなかった…。

 

父が肺を患って死ぬのは本人の勝手だ。

肺がんでも肺気腫でも、好きになればよい。

けれど、家族の健康を考慮してくれないのは問題だ。

血管に対するタバコの害悪は世間的にもよく知られていること。

母は心筋梗塞を患ったことがあるのだ。

kenko100.jp 

 

「逃げることもできへんお母さんの横で、平気でタバコを吸うなんて!」

と私が怒鳴ると、父は、

「タバコ吸うてもええか、って訊いたけど、お母さんはアカン言わへんかったで」

と答えたので余計に腹が立った。

返事ができない母に対してそれはないじゃないか。口がきけない相手に対して卑怯すぎる…。

 

ただ、思い返せば、母は父のタバコに対していつも、

「お母さんは慣らされとうからかまへんよ、我慢するわ」

と寛容だった。

けれどそれは「我慢」なのだ。

タバコを吸いたいのを我慢する「我慢」と、煙を吸いたくないのに吸わされる「我慢」は、果たして同じ「我慢」なのか?

 

相手を苦しめる行為をする。

そこに愛なんかない。

家族を守るどころか、平気で苦しめる父は何なんだ、と思ってしまう。

タバコを吸う父に対して、

「うちのお父さんは、私やお母さんが病気になってもかまわないんだな。大切に思ってないんだな」

としか思えない。

タバコに火が点くとき、私の心に悲しみが積もる。

 

若者には信じられないことだろうが、昔は電車や映画館の中でも喫煙可能だった。

私が入社したときのオフィスでもだ。

隣の席の人はチェーンスモーカーで、タバコに火がついてないときがないほどだった。

それが普通だったし、それを毛嫌いするほどのこともなかった。

 

そう、当時は私も煙が平気だったのだ!

 

けれど、世間の空気がどんどん澄んでくるにしたがって、タバコの煙がだんだん耐えられなくなってきた。

もともと喉が弱いので、ちょっと煙を吸うとすぐに喉が痛くなってくるし、ひどいときには気分が悪くなり、頭痛がしてくる。

きっとタバコの毒性に耐性がなくなってきたんだろう。

魚に例えると、ドブ川に住んでいた頃は汚水に慣れていたけれど、水がキレイになって清流に暮らしてしまうと、元のドブ川に戻ったら死んでしまうようなものだ。

 

あるとき、若者や女性が吸っているタバコの煙は父の煙ほど臭くないな、と気が付き、タバコの銘柄を変えてもらったらどうか、と思いついた。

父が吸っているタバコはピース。

「ピースってキツイんちがうの?」

と訊くと、

スーパーライトやで」

とドヤ顔で言う。

しかし、スーパーライトでもタールは6mg。

これを1mgに変えてもらえないだろうか、と頼むと、

「どんなんがあるんかわからん。買うてきてくれたらそれ吸うわ」

と言う。

 

だったら、私が選んで1mgのタバコを与えればよい。

私が一番苦しくない煙のものを選べばよいのだ。

…と、スーパーで見てみたものの、弱ってしまった。

同じような箱がずらりと並んでいて、何が違うのかさっぱりわからない。

メビウスのタール1mgだけでも種類がありすぎる。

ボックスとかインパクトとか何ですかそれは。

レジのところにあり、とてもじゃないけれどレジ係に、

「これとこれは何が違うんですか?」

と訊けるはずはない。

とりあえず、適当に3つ買ってみた。

 

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買ったものを父に吸ってもらったけれど、やっぱりタバコ臭いことには変わりなかった。

タールの問題じゃなかったのか…。

自分が門外漢なので、何がどうなのか見当もつかない。

本人は美味しくなさそうだし(やっぱり吸い慣れたピースが良いらしい)、私の喉はラクにならないし、出費しただけで何もいいことがなかった。

 

父に副流煙健康被害について知識がないというのもあるけれど、父は私がタバコの煙を嫌がるのを「私のワガママ」だと思っているフシがある。

単に嫌いなのではない、喉の痛みや頭痛があるのだ、と訴えても理解してくれない。

吸っている自分が平気なのに、周りが苦しむなんて想像もつかないようだ。

 

おそらく、世間の喫煙者のほとんどが父と同じだろう。

「なぜ嫌がられるのか理解できない、吸わない奴のワガママではないか」

と、どこかで思っているんじゃないか。

喫煙者が差別されている、と自分たちを被害者だと感じているかもしれない。

 

こうなると、喫煙者と嫌煙家の溝は深まるばかりだ。

けれど、根本原因は、嫌煙家がどれだけ苦しんでいるかがわからない点にあるのではないか。

将来の健康への悪影響を説いても、先のことすぎて感覚的にはピンとこないのもあるだろう。

でも、「今ここにある苦しみ」をまず理解してほしい。

 

タバコの煙を吸わないようにするため、私はリビングやキッチンで息を止める。

隣の部屋まで行って息継ぎをして、また戻って冷蔵庫から物を取り出したり食器を片付けたり、用事を済ませる。

息ができずに苦しんで苦しんで窒息寸前、それでも我慢する。

タバコの煙を吸って長時間喉の痛みを伴うより、数分息を止めるほうがまだマシだから。

 

私だって、タバコの煙を吸っても平気だった昔に戻りたい。

そうすれば喉も痛まず、咳も出ず、頭痛もせずに済むから。

でも、もう清流に住んだ魚は、ドブ川に戻れないんだ。

何かとちょっと惜しい『楊貴妃 Lady of The Dynasty』

中国の歴史ドラマというか、時代劇をよく見ている。

なかでも『武則天-The Empress-』が大好きだ。(6月から再放送が始まったって!)

www.twellv.co.jp

なんといっても、ファン・ビンビン(範冰冰)が美しすぎてうっとりする。

中国ナンバーワン美女の称号は伊達じゃない。今、アジア一、いや世界一の美女は彼女だ(←私見です)。

これまでも、『墨攻』や『孫文の義士団』、『新少林寺』といった映画で彼女の美しさは知っていたけれど、主人公の妻役・相手役として英雄に花を添えるスタンスだったし、取り立てて注目はしていなかった。

しかし、主役となると存在感が違う。

百花繚乱の後宮を描くドラマだから衣装やメイクの派手さが違うというのもあるけれど、彼女の顔立ちやスタイルがそれにドはまりしている。

ほかの女優さんたちもみんな美しいのだけど、群を抜いて輝いているのだ。

あー、もう、この顔大好き!

 

そう思っていたところ、彼女が主演の映画『楊貴妃 Lady of The Dynasty』のチラシをゲットした。

世界三大美女楊貴妃ファン・ビンビンが演じるなんて、なんてぴったりなの!?

しかも、楊貴妃を愛した玄宗皇帝にはレオン・ライ(黎明)!(何を隠そう私は香港四天王の中でレオン・ライが一番好き!)

楊貴妃の元々の夫である寿王には元・飛輪海のウー・ズン(呉尊)。

豪華キャストじゃないか。

 

監督はチャン・イーモウ張芸謀)、ティエン・チュアンチュアン(田荘荘)、シー・チン(十慶)となっていて、チラシを読むとジャン・ウェン(姜文)の名前まである。

こんなに巨匠が並ぶなんて、なんて豪華な…、んんん??

オムニバス形式じゃあるまいし、監督名が連名って何??

それにしても、こんなに豪華キャスト・巨匠監督作品なのに、レイトショー上映??

そのうえ曜日限定??

 

ネットで検索しても、公式サイトすらない。

よくよく見たら2015年の作品である。2年も前の作品??

YouTubeで全編アップされているし。(日本語じゃないけど。)

www.youtube.com

 

公式情報の代わりに出てくるのが、キャストが降板したとか、セクシーシーンが問題になってカットされたとか、製作上のゴタゴタやゴシップ。

日本のサイトではらちがあかないので百度で中国のサイトを見てみると、日本の映画情報サイトと監督情報が異なっている。

(↓いきなり音が出るので気を付けてね。)

baike.baidu.com

 

チームとしてチャン・イーモウティエン・チュアンチュアンが協力しているけれど、主となる監督はこれが初監督作品となるシー・チンみたい。

チャン・イーモウ監督作でひっそり上映なんておかしいと思った。

これらの状況から見えてくるのは、大きな劇場で大々的にやらないにはそれなりの訳があるってこと。

 

とはいえ、作品を見ないことには始まらないので、今週の水曜日に新開地のCinema KOBEへ見に行ってきた。

 

とにかく、おとぎ話のように繰り広げられる映像美の連続。

期待どおりファン・ビンビンはとても美しく、それだけでよしとするしかない。

ただ、恋愛対象であるレオン・ライはというと、正直、最初誰だかわからなかった。

あれ?? 顔の幅がずいぶん広くなった??

そういう役づくりなのか、それとも、男性は歳をとると顔の面積が増えてしまうのか…。

皇帝らしい風貌だけどオヤジくさいなぁ、と残念に思いながら見ていたけれども、二人の恋のかけひきが始まって以降、玄宗皇帝が魅力的に見えてきた。

寿王と別れて出家した楊玉環(まだ貴妃じゃないから)を自分の妻に迎えたい玄宗皇帝は、わざわざ彼女に会いに寺まで行く。

国の最高権力者がそこまで熱心に求愛しているにもかかわらず、楊玉環は、

「権力を使う以外、皇帝に何ができるのですか」

と嫌味を言い、拒み続ける。

それに対して、

「わかった!では最高権力を使うのみだ!」

と意地になって彼女を自分のものにしようとする皇帝の姿は、単なる駄々っ子みたいで愛らしい。

楊玉環が本気で彼を嫌っているなら傲慢で嫌な奴でしかないけれど、内心はまんざらでもないのがわかるだけに歯がゆいのだ。

金も力もある大人の男性が、恋愛に対しては不器用にしか扱えない姿にキュンとくる。

一言でこの映画を紹介するならば、「美しい映像で綴る、絶世の美女とオヤジ皇帝の恋愛の始まりから終わりまで」といったところ。

(補足:映画の製作については、下記のブログが大変参考に なりました。)

『王朝的女・楊貴妃』監督インタビュー①「愛と死が鮮烈に描かれている」:姜文(ジアン・ウェン) - 華流ドラマ・映画まとめ速報

  

ただ、『武則天-The Empress-』ほど夢中になれなかったのはなぜか。

なんか物足りない。

武媚娘と楊玉環の性格の違い?

時代設定の違い?(『楊貴妃』は歴史ものといった性質ではないようで、礼儀作法や言葉遣いなど時代考証がゆるいみたい。)

それとも、映画館でイビキをかいていたジジイがいて集中できなかったから?(しかも最初から最後まで!!ひどすぎる!!)

 

いろいろ考えたけれど、やっぱり後宮ドラマの面白さは女たちの戦いにあるのだと気が付いた。

愛情、嫉妬、友情、裏切り、陰謀、復讐!

武則天』はそんな女たちの情念がメインだけれど、『楊貴妃』にはそれがない。

後宮ものは、タイプの違う美しい女性がたくさん出てきて、それぞれがいろんな恋愛の形を描くから面白い。

それを描くには2時間では足りないだろうなぁ。

後宮は映画に不向きな題材と言えるかもしれない。

我が国においても、源氏物語や大奥の映画がそれほど面白くないのも、2時間では足りないことを物語っている。