3歩前のことを忘れる女のサブカルと介護の記録

神戸に住む40代波野なみ松の、育児と趣味と要介護両親の対応に追われる日々の記録。

生まれてビックリ団

陣痛に耐えている間は、早く終わってってくれ!!と必死だったけれど、生まれてしまえばスピード出産。

何の準備もしてない母親でごめん。

でも、助産師さんや看護師さんが、

「一人でよく頑張ったね」

と誉めてくれた。


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生まれて数分の新生児を胸に乗せてもらう。

早産で低体重児だから当然だけど、なんてちっちゃな赤ちゃん!!

母親よりも、この子のほうがよく頑張りました。

最後の帰省、そして破水

日曜日、配偶者になる彼氏に車で実家に送ってもらって、最後の帰省をした。

月曜日と火曜日、母のお見舞いをして父に、あれこれ指示を出し、火曜日、つまり昨日の夕方、電車で神戸に戻ってきた。

 

昨日の日中からお腹の張りがひどくて、横になっていても痛みがあるなぁと思っていたけれど、夜になってもそれが続いた。

痛みは30分おきくらいだっただろうか。

これっていわゆる前駆陣痛?

と思いながら、寝たらおさまるだろう、と就寝。

 

とりあえず眠れたものの、再び痛みで4時に目覚めた。

こんなことは今までになかったこと。

トイレに行ったら治るかな、と行ってみたら、ピンク色のどろりとしたおりものがでていた。

 

これってまさか、「おしるし」ってやつ?!?!

 

これまで出血することはなかったので、動揺してしまう。

それと同時に、朝になったらタクシーを呼んで病院に行こう、と考えていた。

もしかしたらそのまま入院になるかもしれないな。

入院セットはまだ作ってなくて、困ったことに必要なものは引っ越しの段ボールの中だ。

 

どうしようかなぁ、なんて思っている間も、30分おきくらいに痛みがやってくる。

そうしていると、股の間から生理のときのように液体がダーッと出てきた。

 

ヤバい!

これは明らかに破水だっ!!

 

とりあえずショーツを替えて夜用ナプキンを敷き、入院セットを準備してないのでおろおろしつつ、「入院のご案内」に書いてあって用意できるものを紙袋に詰めていると、再び羊水が大量に流れ出した。

泣きそうになりながら、病院に電話する。

状況を説明し、タクシーで向かうことに。

 

それが朝の6時半。

ネットでタクシー会社を検索して上から順に電話をかけるけれど、朝の込み合っている時間帯らしく、「出払っています」「今の時間は配車サービス開始前です」と6社に断られた。

仕方ないので、

「時間がかかりますがよろしいですか」

というMKタクシーに、

「お願いします」

と頼んだら、思ったより早く来てくれた。

 

そして、今、産婦人科なう。

ずっと痛みがやってきては消え、またすぐにやってくる。

これからもう産む体制だ。

今日中に産まれるかもしれない。

中古マンション購入から引っ越し準備まで

先週の木曜日、ようやくマンション購入の最終決済が終わった。
物件探しからここまで、超特急。
本当にバタバタしたけれど、今はもう、引っ越しを残すのみだ。


中古マンション購入で目が回る

最初は不動産屋回りだった。
スーモ、ピタットハウス、そして近所にある商店街の個人の小さな不動産屋と回って、最終的には個人の不動産屋さんにお世話になった。
チェーンの不動産屋はセールストークがうまいチャラいお兄ちゃん営業マンたちが多く、どこか胡散臭さがぬぐえなかった。

その点、ご夫婦でやっている町の不動産屋は主に奥さんが営業をしていて、近所のおばさんの世間話という感じで気楽だったのだ。
物件探しも、女性が住む視点でアドバイスをくれて、商売気なく話ができた。

ただ結果的には、不動産屋の奥さんの、
「アレがアレやもんねぇ。アレはどうなりましたぁ?」
といった曖昧な指示語のおかげで、何を言ってるのかさっぱりわからない、という難点が…。

不動産なんて、人生最大の取引なのに…。
資料も手書きメモみたいなものが多く、口頭だけの連絡など丁寧とは言いがたいところもあって、不動産屋として良かったかどうかは疑問だけれど、それもこれも、

「おばちゃんが担当のほうが心安い」

と思ってしまった私のミス。

 

物件購入を決めたときから、やらなくてはいけないこと、検討しなくちゃいけないことが雪崩のように押し寄せてきた。

住宅ローンの申し込み。
売買契約書の締結。
火災保険の手続き。
司法書士さんとのやり取り。
今住んでいるワンルームの解約手続き。
入居前にクロスの張り替えをするリフォーム業者選び。
引っ越し業者選び。
などなどなどなど。

産休に入っていたからよかったものの、この量は仕事をしながらではとてもじゃないけどこなせなかった。

繰り返し書くけれども、
結婚→住宅購入→妊娠・出産
という順番と計画性は非常に大切。
私みたいに順番が逆になると、バタバタ苦労してしまうわけだ。

最終決済が終わるまで気が気ではなくて、万が一私が早産で入院なんかしてしまったらどうなるんだろう?!と心配でならなかった。
それは不動産屋やマンションの売り主さんも同じ事を心配していたようで、妊婦の買い主にハラハラしていたらしい。


たまたま3月だっただけで…

思った以上に難航したのは、クロスの張り替えを頼むリフォーム業者選びだった。
3月は最繁忙期らしく、電話をかけても、
「もう3月はいっぱいで…」
と断られてしまうのだ。
ネットで出ている安い業者さんから電話をかけていったから余計なのだろう。

私は心が折れてしまって、
「職人の日程が確保できるなら、少々高くても仕方ないか…」
という気持ちになっていたのだが、配偶者となる彼氏が粘り強く業者を探してくれて、かなり安い金額で職人さんをつかまえることができた。

同様に、繁忙期で手こずったのが引っ越し業者である。
ネットの一括見積りサイトを2つに登録をしたのだけれど、どの業者も高い。

今のワンルームに住むとき、三宮のワンルームから引っ越して来たのだが、そのときは3万円を切る安さだった。
それが、今回は3つの業者で15万円前後、最高値の業者はなんと25万円だった。

いくら荷物が増えたからって、その値段の差は一体?!

とにかく、3月は通常の3倍以上の値段になるのだそうだ。
しかも、月末に近付けば近付くほど高くなるという。
最終決済後にリフォームをするため、引っ越し日程が3月末ギリギリになる私は、
「はいどうぞ、最高値をふっかけてください!」
と言っているようなものだった。

数社で見積りを取って、融通のききそうなところで値切って、なんとか税抜8万円まで下げてもらった。
それなら、3万円しなかった前回の引っ越しの3倍以内に収まっているので納得の金額。

けれど、引っ越し金額を安くするために、不用品はできるだけ先に片付けておかないといけないことになった。


ジモティー大活躍

不用品引き取りを引っ越し業者に頼むと、3万円から5万円も取られるので、できるだけ先に処分することにした。

ニトリやニッセンで買った安物の家具は廃棄でいいけれど、そこそここだわって買った座椅子とデスクチェアは、捨てるのも忍びない。
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先に思い付いたのは、ヤフオクやメルカリで売る、ということ。
ただ、買い手がついたところで、イスを梱包して発送するのは一苦労だ。
ていうか、そもそもイスが入るような段ボール箱が調達できない。

そう言っていると友達が、
ジモティーに出せば?」
と提案してくれた。

でもって、座椅子は0円、デスクチェアは1万円(だって購入金額は9万円近くしたんだもの)で、うちまで取りに来てもらうことを条件に出品したら、両方とも見事に引き取り手が現れた。
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あっという間に、イスは2つとも部屋から消えた。
ジモティー恐るべし。


本とCDとDVDはちんき堂

今回一番大変な断捨離は本とCDとDVDだった。
新居だってそれほど広くないし、今度は独り暮らしではないのだ。
私のガラクタで部屋を埋め尽くしていては、なんのために引っ越しするのかわからなくなる。

断腸の思いで、どうしても手放せないもの以外は全部、元町穴門通商店街にある古本屋さん、ちんき堂さんに引き取ってもらうことにした。

ちんき堂 | Just another WordPress site

店主の戸川さんは『猟盤日記』シリーズなどエッセイの執筆者としても有名な方で、戸川さんの著作も好きだし、古本屋のプロらしい誠実さも尊敬しているので、本を売るときは必ずちんき堂にと決めていた。

 

やられた!猟盤日記 (猟盤日記 (第4巻 『やられた!』篇))

やられた!猟盤日記 (猟盤日記 (第4巻 『やられた!』篇))

 

 

あらかじめ戸川さんに相談すると、
「本なんか売れまへん。映画のパンフレットなんか、もっと売れへん」
とぼやかれ、持っていくのを躊躇してしまうところもあったけれど、タダでもいいから引き取ってもらわないと、こちらは引っ越しができないのである。

それに、ちんき堂なら、
「手放すんじゃなかった!やっぱり手元に戻したい!」
と万が一思ったときに、すぐに買い戻しに行ける。(売れてなければの話だけど。)

ちんき堂行きになった品は、紙袋3袋、段ボール箱6箱にもなった。
相変わらず産婦人科から自宅安静を言われている私に代わって、紙袋は友達に持っていってもらい、段ボールは配偶者となる彼氏に車で運んでもらった。
段ボールの内訳は、本が3箱、CDとDVDが1箱、映画のパンフレットが2箱だった。

戸川さんからはあんなに、
「映画のパンフレットは売れへんから買い取りたくないねん」
と言われていたのに、2箱も持っていってしまった。

戸川さん、ごめんなさい!
あと、英米文学のハードカバーなんかも売れなくて迷惑だろうなぁ…。

そのうえ、昔からの知っているよしみで高値で買い取っていただいた。
大きいお腹を抱える私に対して、優しい戸川さんのご祝儀金額だったかもしれない。
店に来られるお客さんが、私が手放した品々をたくさん買ってくれることを祈るしかない。

単館ミニシアター系の映画パンフレットをお探しの皆さん!!
神戸元町にお越しの際はぜひちんき堂へ!!

父への依頼事項とその後の不安

転院の翌日とさらにその翌日である3月9日と10日は、実家にとどまって母のお見舞いに行った。

出掛ける直前、庭に出た父が、
「なみ松、梅の花が咲いとうで」
と言った。
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うちは東側に山があり、山の影になっているせいで春が遅い。
それでも、実は1週間前からちらほらと蕾が開きかけていたのを私は気付いていた。

今年は頻繁に庭にメジロがやってくる。
山崩れを防ぐための防災工事をやっているせいで、メジロをはじめ小鳥たちが山を追い出されてしまったのかもしれない。

母も山から遊びに来る小鳥が好きだった。
庭に野鳥が遊んでいたりすると、
「なみ松見てごらん、可愛い小鳥が遊んどうで」
とカーテン越しによく眺めていたものだ。

今回転院して主治医の話を聞き、母は二度ともう家に戻れないこと、そしてあの病院で最期を迎える可能性が高いことを思い知った。
私の中で、半分ほどもう母は失われていて、今病院にいる母は半分でしかない気がするのだった。


懸念の入浴セット

転院先の病院では、火曜日と金曜日にお風呂へ入れてくれる。
その際に、タオル4枚とバスタオル2枚を袋に入れてセットしておかないといけないことになっていた。

100円均一でビニールの手提げバッグを色ちがいで2枚買い、それぞれに「火曜日入浴用」「金曜日入浴用」と大きな字で書いた。
これからは、父にこれらの洗濯とセットを任せないといけない。

「洗濯くらいできる」
と本人は言うけれど、信頼はできない。
「でも、干し忘れるでしょ? 次の日に干したりするでしょ?」
と尋ねると、
「うん、干し忘れる」
と答える。
悪びれもせずに言っているうちは、信頼なんてできるものか。

病院を少し行ったところにチェーンのカツ丼屋があって、その駐車場の奥にコインランドリーがあった。

洗剤・柔軟剤は自動投入で、乾燥までやって、600円。
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父に説明をして、
「家にもって帰らずにここで洗濯して。待っとう間にカツ丼食べたらええやんか」
と提案すると、
「そうやな」
と答える。
しかし、貼ってある手順書を読んでいるそぶりはなく、生返事でしかない。
どんなに私が提案したところで、父自身の腹に落ちない限り、やってはくれない。

しばらくは、父の思う通りに洗濯をしてもらうしかない。

それにしても、1回の入浴でタオル4枚、バスタオル2枚も使うなんて、多くない?


メールでは実態はわからない

母の転院から、もう2週間近く経とうとしている。
私は産婦人科の言いつけを守って、神戸に戻ってからは自宅安静に努めている。

父が病院に行った日は、ショートメールで様子を送ってくれる。
たいてい、
「病院にきている、お母さん元気だ」
という内容だった。

洗濯以外にも父にお願いしていることが2つある。
リップクリームを塗ってあげることと、足の爪に爪水虫の薬を塗ってあげることだ。

爪水虫の薬は病院に預けたものの、使わないといって返された。
爪水虫は白癬といって、感染した爪がボロボロになる症状だ。
どうやら痛みも痒みもないらしい。
けれど、だからといって放っておくと、今は正常な指の爪まで広がるおそれもある。
せっかく薬はあるんだし、病院で塗ってもらえないなら、せめて家族が行った時に塗ってあげたい。

それで、転院したてのときに、父に塗り方をレクチャーした。
「なるほどな」
と父は相づちを打ちながら聞いていた。
が、本当にわかっているのかどうか、心もとなかった。

1週間経った頃、父に電話をして様子を尋ねると、洗濯もちゃんとできたし(干し忘れはしなかったけれど、取り込みは忘れて3日間干していたらしいけれど)、足の爪に薬も塗っているとのことだった。

よかったよかった、とほっとしていると、父が思い付いたように、
「そうや、足の爪の薬やけどな、赤いやつか?青いやつか? わからんから、赤いやつ塗ったで」
と言い出した。

引き出しの中には、チューブに入ったものを3本入れていた。
1つめはリップクリーム。
2つめは爪水虫の薬(ラシミールクリーム)。
3つめはかぶれ用の皮膚の薬(ヘパリンクリーム)。

ヘパリンクリームが赤いキャップなので、おそらく父は間違えて塗っていたようだ。
別に爪に塗って問題のありそうな薬ではないからよかったものの、確認もせずにとりあえずやってしまう父の性格が怖い。

「薬に字が書いてあるでしょう。なんで読まへんの!」
「小さすぎて、メガネかけても読めへんわ」
「看護師さんに読んでもらうとかさぁ」
「看護婦に聞いたけど、個人で持参されている薬はわかりません、言われた」
「どれが爪水虫の薬か尋ねたからちゃう? 文字を読んで、って頼めば読んでくれたやろうに!」
「そうか」
「わからんようになった時点で、私に聞いてよ…」

父に対して安心できないのがこういうところだ。

あと、いくら言ってもリップクリームは塗ってくれない。
母の唇の内側が乾燥して切れていたりするのに…。


悲しむなといっても無理

妊婦の心得を説くようなものを読むとたいてい、ストレスを避けるように書いてある。
怒ったり悲しんだりするのは、胎児によくないらしい。

怒ることはないけれど、母のことを考えると悲しみが押し寄せる。
特に夜、ベッドに入ると、母の現状を想像して不安になってしまう。
身体も動けないまま寝たきりにさせられて、孤独で退屈な毎日…。
悲しまないようにとか言われても無理だ。

ある夜、夢を見た。
自宅の和室で、入院前と同じように母は介護ベッドに寝ている。
暖かな春の日で、縁側からは明るい庭がよく見える。
梅が満開で、メジロも遊びに来て、チイチイ鳴いている。
夢の中の私は、
「ああよかった、お母さん、今年も梅とメジロが見れたね」
と言った。

目覚めてから、ご都合主義すぎる夢に呆れたけれど、悲しみが軽減している気がした。
夢でも気が済んだ。

母の転院

母の転院は1日仕事だった。
雨降りだったから余計だったのかもしれない。

朝9時に元の病院に行って荷物を片付け、精算や退院手続き。
会計は父に行ってもらった。
看護師さんたちに、私が今妊娠9ヶ月で、早産の危険性があるため本来は安静にしないといけないという事情を話し、できるだけ座らせてもらう。

10時に介護タクシーが出発。
ストレッチャーが入る車で、母は寝たままの移動。
車椅子でもいいんじゃないかと思うけれど、病院側の手配なので仕方ない。
持っていく荷物のほとんども、一緒に積み込んでもらい、私も同乗した。
父には家の車で追いかけてきてもらうことになった。

移動中のタクシーの中で、母は久しぶりに見る外の景色をじっと眺めていた。
私は運転手さんと少し世間話をしながら、母の手を握っていた。

会話がふと途切れたときふと思い立ち、運転手さんに、
「音楽をかけてもかまいませんか?」
と声をかけ、スマホ美空ひばりの曲を再生した。
「お母さん、聞こえる?」
返事はしなかったけれど、母は少し笑顔を見せた。

病院に行けば、もう音楽を聴く機会もなくなる。
私がお見舞いに行けるならイヤホンで聴かせてあげられるけれど、私以外そんなことをしてくれる人もない。
気付くのが遅かったから、病院に到着するまでたった2、3曲しか聴けなかったけど、少しは楽しんでもらえただろうか。

移動方法は元の病院が手配してくれたので何も考えなかったのだけれど、到着したときに運転手さんから、
「7,000円になります」
と言われて、初めてそれが「タクシー」だと思い知らされた。
ストレッチャー付だし、ベッドからベッドまでの乗り降りまで介助してもらったのだから、高いのは仕方ない。
けれど、事前に費用について聞いていなかったので、少し驚いた。
何にしてもとにかくお金がかかり、費用については何の事前連絡もない。
病院というところは患者のフトコロにまるで配慮がない。


病院に到着してからが本番

元の病院は設備の整った病棟だった。
しかも、2年ほど前に増築したばかりの新館にいたのでなおさらだ。

それに比べると、転院先の病院は建物も老朽化しているうえ、設備も不足していて、どうしても見劣りがした。
同じ4人部屋でも、今度の病院には仕切りのカーテンすらなく、私物を置けるのはキャスター付のキャビネットひとつとカゴひとつだけ。
とても足りない気がしたけれど、荷物を入れてみると案外余裕で納まった。

ここでも、看護師さんに私が本来は安静にしないといけない妊婦であることを伝えて、椅子を持ってきてもらった。
前の病院ではベッド脇にひとつずつパイプ椅子があったのだけど、ここは病室ごとに丸椅子が1つあるだけだった。

同室の方々は皆寝たきりの患者のようで、テレビの音だけが響く。
のちほど気付くのだが、病棟全体がどうやらほとんど寝たきり高齢者のようだった。
療養病棟というのは、そういうものなのだろうか。

病院から病院への荷物の移動は完了したのだけれど、手続書類関係は父に運んでもらっていた。
ところが、その父がなかなかやって来ない。
病棟の場所がわからずに迷っているのか、それとも転んだり何かあったのかと気を揉む。

その間、母のバイタルチェックとか身体チェックなどが行われ、私は廊下で1人ポツリと座って待った。
看護師さんたちが、母の身体について、
「キレイ、キレイ!キレイやわ」
とやたら言っている。
床擦れや傷がない、という意味なのはわかっているけど、ほめられているみたいで悪い気はしない。

ようやく到着した父によると、近い駐車場が一杯で、第2駐車場に停めたから遅くなったと言う。
もちろんそれもあるだろう。
けれど、父の吐く息からして、タバコを吸っていたせいで余計時間がかかったこともすぐわかった。
最近はどこの病院も敷地内禁煙なので、どこかで車を停めて休憩していたのだろう。

父と書類がやってきたことで、主治医の先生のお話が始まった。


主治医にホッとする

事前に面談をした名誉院長がかつて強制わいせつ事件を起こした人だったので、もし主治医があの人だったら絶対に替えてもらおう、と思っていたが、それは杞憂だった。

主治医の先生は50代くらいの男性で、とても丁寧に治療方針の説明をしてくれた。
わかりやすく、はしょることなく、おごることなく話す態度には誠実なかんじがあって、とても好感がもてた。
私にとって、医者の半数はいつも上から目線で接してくる印象だったので、今度の主治医がそうではない残り半分であったことに感謝した。


話の大半は延命治療

元の病院では毎日昼食に口から食べるリハビリをしてもらっているものとばかり思っていたが、ここ数日はそれもやめていたらしい。
ムセがあり誤嚥の危険性が高くなったからだという。

「肺炎のリスクをとってまで口からの食事を続けるか、安全をとってやめるか」
という選択について、
「鼻からチューブが入ってるせいで飲み込みが悪くなっていることはないんですか? 胃ろうにしたら、飲み込みが良くなることはないんですか?」
と私が質問をしたら、主治医は、
「おそらくそれはないと思います。」
と即答した。

脳梗塞の後遺症など、回復の見込みがある患者であれば、胃ろうにして改善することもあります。ただ、この病気は進行性ですから、昨日までできていたことが今日はできなくなる、明日はもっとできなくなる、ということがありえます。胃ろうにしても鼻からでも、食べる機能が落ちていくことにかわりはありません。」

母はお正月にはおせちも食べた。
救急車で運ばれる日までは、家でごはんを食べていたのだ。
だから、私にはどうしても、母がもう食べる力がないなんて信じられなかった。

母が家にいたのは昨日のことのように思うものの、よく考えれば母が入院してからすでに1ヶ月以上が経過していた。
信じたくないけれど、1月に出来ていたことが3月はできなくなっていてもおかしくはない。

「確かに胃ろうのほうが食事の負担はありません。でも、身体に穴をあけるわけですから、手術は痛いです。血も出ますし、術後しばらく痛みます。胃カメラを飲んでの手術は、高齢の方だと負担も大きいです。」

名誉院長と違って、主治医の先生が語る胃ろうは現実的だった。
長くなるので省略するけれど、主治医は胃ろうを作る手術内容について丁寧に説明してくれた。
「胃ろうは楽」という話ばかり聞いていたけれど、具体的手術を聞くと、身体に穴を開けることが楽なことだけなわけがない。
すでにターミナルケアに入っている母が、そんな痛みに耐えてまで胃ろうを作るメリットがどこにあるだろうか。

「鼻からのチューブについては、交換のときは確かに負担です。でも、ずっとチューブが入った状態に慣れればさほど違和感はないはずです。ピアスの穴と同じですよ。開けたときは違和感があっても、やがて慣れるとピアスをつけていることも意識しなくなるでしょう。」

理屈としてはわかるけれど、身体的に納得できない。
だって、私は去年の健康診断で鼻から胃カメラを入れたけれど、めちゃくちゃ苦しかったからだ。
それを思うと、四六時中鼻からチューブが入っている母が可哀想でならない。

私がそう言うと、横にいた父が、
「俺は鼻から胃カメラ入れたことあるけど、どうもなかったで」
と横槍を入れた。
主治医は、
「個人差もありますけど、年齢もあるんですよ。若い方ほど反応は強く出ます。歳がいくほど感じなくなるもので、高齢の方はそれほどのつらさを訴えられませんよ」
と言う。
星の数ほど高齢の患者を見てきたであろう医者が言うのだ、「若い人が思うほどつらくない」という言葉を信じてみようかという気になった。

 

肺炎は苦しい

突然父が、
「あれは昔から口がいやしかったんです。何でも食べよったんです。あれが食べられへんなんて信じられへん。とにかく、好きなように食べたらええ。それで肺炎になったら、なったときのこっちゃ、…と思うんですけど、あきませんか?」
と言い出した。

そんな父に、主治医はやや驚きながらも冷静に対応してくれた。
「なんで肺炎にならんようにするかというと、肺炎というのはめちゃくちゃ苦しいからです。呼吸困難になるし、熱は出るし、そら苦しいもんです」
「そんな苦しいんですか」
「ずっと息をしている肺が炎症を起こすんです。苦しいに決まってますよ」
そう言われて、ようやく父も、なぜ誤嚥の危険性をやかましく言われているのか理解したようだった。

結局、栄養摂取の着地点は、
「口から食べられるかどうかもう一度トライしてもらい、それでもムセて一口も食べられないようなら諦める。胃ろうはせず、このまま鼻からの摂取でいく」
ということになった。

その後、肺炎になったときの対処、人工呼吸器の対処などについて話し合った。
私からのお願いは、
「とにかく、命を永らえさせることよりも、母に痛みや苦しみがないようにしてあげてください」
ということだけだった。
それについては、父も、主治医も、同意してくれた。


疲れてヘトヘト

その後も、看護師長との確認事項、医事課との事務的な書類手続きなど、やることはまだまだ続いた。
父は横にいるだけで、書類記入どころか返事もせず終始目をつむっていた。

朝寝坊をした父は朝ごはんも食べていないので、お願いをして昼食休憩を取らせてもらった。
私が言い出さなかったら、ノンストップで手続きが続いたことだろう。
すべてが終了したのは午後3時を過ぎていた。

妊婦の私も高齢の父も、心身ともに負担がかかる作業だった。
移動で身体も疲れたけれど、それ以上に治療方針や看護方法の話し合いに疲れた。

その夜、父は11時に寝室に入って、翌日は正午まで起きてこなかった。
よほど疲れたのだろう。

私がいなくて、父だけだったらどうなっていただろうか。
老老介護で、ほかにサポートがないご家庭はどうしてるんだろう?と思うと気の毒で仕方ない。

いや、これからはうちも同じなのだ。
赤ん坊が産まれて1ヶ月を越えるまでは、父1人で頑張ってもらわないといけないのに。
不安が消えることはない。

3月中は出てきちゃダメ!

「産休に入ったらゆっくりして」
と言われるけれど、そうもいかない。

まずは、母の転院が目前に控えている。
それに伴って、父にやってもらうことも段取りしなければならない。

そして、次には新居の手配である。
実は、中古マンションを買うことにした。
今の賃貸のワンルームは赤ん坊を育てることができない狭さなので、引っ越しをするのである。

最初はファミリータイプの賃貸物件を探していたけれど、思いのほか良い物件が見つからない。
手頃な値段だとボロボロすぎるし、そこそこ新しくて広い物件だと借りるのがバカらしい高額な賃料なので、いっそのこと買うことにしたのだ。

誰が?
私が。

まさか、自分が不動産を所有するなんて思いもしなかった。

思わぬ掘り出し物物件が見つかったということもある。
10年も住めば、賃貸で払う金額とトントンになると計算したのだ。

内見をして、売買契約書を交わして、住宅ローンを組んで…、と2月はバタバタだった。

最終決済はこれからで、そのあとクロスの張り替えやハウスクリーニング、そしてお引っ越しという山場を抱えている。

赤ちゃん用品を揃えるのは、新居に引っ越したあとだ。
だから万が一、新居に引っ越す前に産まれるようなことがあったら、赤ん坊には着る服すらない。
お腹の赤ん坊には、宅急便の指定日配達同様、
「早すぎてもダメ、遅すぎてもダメ!」
と毎日言い聞かせている。

こんなバタバタも、思いがけず妊娠してしまったせいで、通常の、「結婚→新居→妊娠」という順番だったら、しなくて済む苦労だろう。


安静にとか言われても、泣くしかない

産休1日目は、産婦人科の受診日だった。
しかも、担当医はみんなに嫌われている爺さん先生である。
無痛分娩を希望するなら、担当医をこいつで我慢するしかない。

内診のときにやたらグリグリ触られて、それもすごく嫌だったけれど、その後所見のときに言われたことがショックだった。

「産道が短くなってます。通常の3分の2しかないです。赤ちゃんの大きさはやっと1,700グラムを超えたところです。これまでずっと赤ちゃんは小さめで来てますから、もしこのまま産まれると未熟児になります。それは絶対避けなければいけません。3月中は特に安静にしててください」

ボソボソとちいさな声で、まるで批判するように爺さんはしゃべった。

前回、近藤公園に似た若い先生から、産道が短くなっていることは指摘されていた。
けれど、
「無理をしないように」
というくらいで、そこまでキツいことは言われなかった。
「張り止めの薬を出しましょうか?」
と言われたけど、
「それほど張ることはないので…」
と断ってしまった。

ああ、どうしてあのとき断ったりしたんだろう…。

それに、これまで胎児の大きさは標準の真ん中だと言われてきた。
胎児の成長曲線というのがあるけれど、だいたいいつも2つの線の中間あたりだった。

妊娠32週で1,700グラムだったら、やっぱり真ん中じゃないか。

なんで小さめと言われるのかわからない。

「お腹は張りますか」
「よく歩いたときは張りますけど…」
「仕事はまだしてるんですか」
「今日から産休に入りました」
「だったら、これからは歩いたりせずに、自宅で安静にしててください」
「安静にというのは、どれくらいでしょう…。寝てないといけないということですか? 実はこれから引っ越しをしないといけないんですけど…」
「引っ越し?! 家族や業者とか、誰かほかの人に任せて、自分で作業しないでください」

そんなこと言われても…。

その場では、
「はぁ…、わかりました」
と返事するしかなかったけれど、その後考えれば考えるほど、崖っぷちに立っている気分がしてきた。

翌日に控える母の転院は誰にも頼めない。
自分の部屋の引っ越し作業だって、誰かに全部お任せとはいかない。
本とCDが野積されているオタクの部屋を本人以外がどうやって片付けられるというのだろう。

自分の身体だけなら、少々無理してでも頑張れる。
けれど、そんな無理によって子供が未熟児だったり低体重児で産まれてしまったら、申し訳なさすぎる。

いずれにしても、早産だけは絶対に避けないといけない。
早すぎてもダメ、遅すぎてもダメ!

正産期というのは、妊娠37週0日から41週6日までだという。
それより早いと早産になる。
今、私は32週なので、あと5週。

いい子だから、来月までは絶対に出てきちゃダメ!!
そうお腹に言い聞かせる。

赤ん坊ばかりに押し付けず、私自身も心を引き締めよう。

絶対やらないといけないことと、誰かに任せられることの仕分けをきっちりやって、できるだけ人に助けてもらう癖をつけよう。
電車の席も、図々しく座ろう。
家ではなるべく横になろう。

本当はもっと前からそうしなきゃいけなかったのに…。
みんなから、あれほど無理するなと言われていたのに…。
私は元気だから大丈夫、とたかをくくっていたせいだ。
悔しくて涙が出そうになる。

おかあさんだから、産休突入。

先月末、久しぶりに会った友達とごはんを食べたとき、炎上していた『あたしおかあさんだから』の話になった。

人気絵本作家のぶみ作詞「あたしおかあさんだから」への批判の声相次ぐ - NAVER まとめ

赤ちゃんの世話を手伝ってあげるね、と言ってくれる彼女に、
「だったら、赤ちゃん預けてライブ行ってもいい? 今年は筋少30周年のお祝いの年なのに、記念ライブすら行けないなんてつらいわ〜」
と私がこぼし、
「そーいえば、炎上中の『あたしおかあさんだから』にそういうフレーズあったよねぇ」
と思い浮かんだのだった。

もしも おかあさんになる前に戻れたなら
夜中に遊ぶわ ライブに行くの

という部分である。

ちなみに、筋少のライブは夜中になんかやらないけどね。(オーケンがネタで「笑点より早く始まるんだから!」と言ったくらい。)

「お母さんになる私としては、我慢に思えるのはライブくらいかなぁ。ほかは自然と“お母さんらしく”なっちゃうだけだと思うけどねぇ」
と私が言うと、友達は、
「あれは読む人の年齢によって受け取り方が全然違うと思うよ」
と言った。

そうか、そうだな。
あの歌詞の「あたし」は20代であろう。
私のような40代とは感覚が違う。

「痩せてたのよ お母さんになる前」
と「あたし」は言うが、私にしてみれば、母になるならないは関係なく、
「痩せてたのよ おばさんになる前」
というだけなのだ。
太るのは加齢による代謝の低下だよね。

この「あたし」は、母になることでいろんなことをあきらめたみたいだけど、私のように40オーバーともなると、たいていのことはもうやってきて、飽き飽きしてきたところもある。

ハイヒールなんて足が痛いだけ、無理してはかなくてもいい。
ということを、母にならずとも学んでいくだけだ。

特に仕事はその最たるもので、「あたし」は「立派に働けるって強がってた」らしいけど、私の場合で言うと、そこそこ長く勤めると、組織での自分の立ち位置やキャリアや仕事内容の限界が見えてくる。
「どんなに頑張っても、ここどまりだな」とか。
先輩の女性社員があまり評価されず、たいして仕事もできない男性社員が昇進するのを見てくると、「立派に働く」意味すらわからなくなってくる。
(そしてそれが性差別ではなく、評価のポイントが男女で違うからだと最近わかってきた。男性が評価するから男性ウケする人が昇進するんだよね。)

母になることで諦めることなんて、私はほとんどない。
ほんと、ライブや観劇だけ。


20年目の長いお休み

そして、とうとう一昨日を最後に、私は産休を迎えた。
続けて育休も目一杯取らせてもらう。

大学を卒業してから20年間勤めた会社だ。
ここ2〜3年は介護休暇でも休み倒し、挙げ句の果てに産休・育休まで取るのか!という贅沢三昧。

もしかしたら復帰することなく、休んでいる間に退職しちゃうかもな〜、と考えたりもした。
なにしろ、仕事に飽き飽きしていたところだから。

けれど、もうすぐ産休というとき、いろんな人が声をかけてきてくれて、
「育休明けたら、また復帰するんでしょ?」
と言うので、
「そのつもりです」
としか答えられなくなった。

かつて上司だった女性の管理職なんかは、
「何年休んでもええけど、絶対戻ってきてね。待ってるからね」
と言ってくれた。
仕事に厳しい人だけに、その人から言われるとグッときた。

(ちなみに、直属の上司である部長と課長だけは、年度途中で休まれて迷惑しているせいか、そんなふうには言ってくれなかったけれど。直接業務に影響があるわけだし、気を悪くされて当然か。)

そんなふうに、かつての上司だとか同僚だとかに温かく送り出してもらったことは、正直とても意外で、しみじみしてしまった。
仕事の成果や内容やキャリア、自分の発展や成長なんかはたいしてなかったかもしれない。
けれど、声をかけてくれるたくさんの知り合いができたことだけは、20年勤めた成果だった。

「20年も働いたし、もうそろそろ会社やめちゃおっかな〜」
と、去年は何度言っていたことか。
休むことにならなければ、職場のこんな温かさや有り難さには気付かなかっただろう。