3歩前のことを忘れる女のサブカルと介護の記録

神戸に住む40代波野なみ松の、育児と趣味と要介護両親の対応に追われる日々の記録。

3回目のお見舞い

日曜日は3回目の実家帰省。

「こんにちは!」
と玄関を開けると、出てきた父は白いステテコ姿だった。
「何その格好!」
と私が呆れると、まだ衣替えができていないという。

もう7月なのに!?
「夏服を探さなあかんあかんと、ずぅっと思とんやけど」
父が服を探すスピードより、夏が来るスピードのほうが速かったらしい。

そういえば先月来たとき、父はまだ長袖ネルシャツを着ていたので、夫が驚いていたっけ。

毎年、季節の変わり目には私が服の入れ替えを手伝っていたので、こうなるのも仕方ない。
しまっている場所は同じなのに、父は毎回忘れてしまう。
とりあえず夏服の場所を伝え、

「今からお母さんの病院に行くけど、服取って来ようか?」
と言うと、
「お父さんは行かへんわ。足がやばいんや」
と自分の腿を叩いた。

確かに、この猛暑の中、父に無理をさせないほうがいい。
父は脳梗塞を2回とも真夏に起こしている。
水分不足から血がドロドロになるせいだろう。

「トイレが近くなるかもしれんけど、お茶か水はちゃんと飲まなあかんのやで!」
うるさがられるのはわかっててお小言を言うと、

「大丈夫、紙パンツはいとう!」

と、父は自慢げに言った。

 

母の病院で

 

病院に行くと、いつもの病室に母がいない。
どうやら病室が変更になっているようだった。

引っ越し先は前の病室の向かいだったので、ナースステーションに尋ねなくてもすぐにわかった。
今度の病室と前の病室との違いは、部屋の静けさである。
前の病室では向かいのベッドのおばあさんがずっとテレビを見ていて、その音がもれて聞こえていた。
私は逆にそれがありがたかったのだけど、今度の部屋は静かで退屈そうなのが心配だ。

その静かな部屋で、母は起きていた。
私を認識すると、うれしがっているような、泣いているような、そんな顔をして「あ~~」と言った。
夫がサトイモを抱いて連れてきてくれて、母に見せてくれた。

「あ~~」

過去2回ともはちょっとだけしか対面しなかったけれど、今回は看護師さんがイスを出してくれたのもあって、夫に座ってもらって前よりも長く母に孫を見てもらえた。

「月イチでしか来れなくてごめんね。退屈でしょう」
目の周りにたくさん目ヤニがついているのを、清浄綿で拭きながら話しかける。
「そうだ! ひばりちゃんの曲でも聞く? スマホでかけてあげようか? あ~、しまった、イヤホン忘れてきちゃった。音、ちょっとくらいいいよね?」
私がそう言ってスマホを取り出すと、

バンバン、バンバン!!!

隣のベッドのおばあさんが、手でベッドを叩いた。
どうやら怒っているらしい。
うるさくするなという意味のようだ。

「あ、どうもすみません…。やめます…」

曲をかけるのは断念。
次来るときは、イヤホンを忘れないようにしよう。

「こないだサトイモお食い初め式をしたんだよ~」
などと母に話しかけながら、乾燥して粉がふいている母の手足にクリームを塗った。

それより驚いたのは、脚の硬さだった。
膝の間には床ずれ予防のためにクッションが入れられている。
クッションを外してクリームを塗ったあと、クッションを元に戻そうとしてもなかなか脚が開かないので入れられない。
すごい力で頑張って戻した。
身体全体に拘縮がきつくなってきているけれど、相当な硬さである。

クッションを入れるのでさえ一苦労なのに、オムツ替えはどうやっているんだろう、と看護師さんたちの苦労を思った。
いつもオムツ替えのときは二人体制で回ってきているのも納得だ。

母の最期を在宅で看取れないか、とときどき考えていた。
いよいよ、というときになれば、自宅に戻してもらって、家族と好きなように過ごせないか。
私が育児休業中なら、なんとかなるんじゃないか、と。

けれど、足を開くのでさえ難儀をするような状況では、たとえ数日でも在宅で介護はできないな、と認識を新たにした。

鼻からチューブで入れる栄養にしろ、痰の吸引にしろ、私ができないことが増えていく。

病室から去る前に、サトイモの写真を病室の壁にメンディングテープで貼りつけた。
もし病院に写真を貼っていいかどうか尋ねたなら、きっとダメだと言われるに違いない。

だから、はがされるのを承知で勝手に貼った。

昨日病室に行った父に尋ねると、やはり写真を貼るのはダメだと注意されたらしい。
壁に貼るかわりにベッド柵ならかまわないからと看護師さんが写真を貼り直してくれたと聞いた。
「こっちのほうがよう見えるやろって言うとったで」
と父。
今の病院にいることが心配でしかない。

けれど、この病院なりによくしてくれていると信じて、あまり悲観しないようにしよう。