サブカル的な政治のみかた
週末は介護のために実家に帰らないといけないので、選挙のときはたいてい不在者投票を利用している。
けれど、今回の兵庫県知事選挙では、投票日を一週間勘違いしていたせいで不在者投票に行けず、仕方なく日曜日当日に行ってきた。
正直言うと、本当に行くのがおっくうだった。
神戸に戻るのに片道1時間半、運賃は千円以上かかる。
候補者を見るかぎり、現職の井戸知事の再選が予測できた。
争点は、「もし当選したら井戸さん5期目になるけど、長すぎない?」ということくらいだろうか。
もし私が井戸推しだったら、「ぜひ入れなきゃ!」と思っただろうし、嫌いだったら「反対票入れなきゃ!」となるだろう。
けれど、好きも嫌いも、可もなく不可もない。
投票、行かなきゃダメかなぁ…。
と、何度も思いつつ、それでも行ったのは、友達の弘川欣絵ちゃんの啓蒙である。
欣絵ちゃんは弁護士で、憲法の素晴らしさと民主主義の大切さを説いてまわっている。
選挙に行くことは、民主主義のカナメだ。
盛り上がりに欠ける兵庫県知事選挙であっても、彼女はちゃんと考える。
でもって、最近彼女が始めた『テレビではとりあげないネットニュース』というWeb放送で、兵庫県知事選挙の特集をしているのを聴いた。
そこまでされちゃあ、投票を棄権するなんてできないよ。
ただ、何度も言うように、兵庫県知事選挙は争点の薄い選挙だったから、誰がなっても、まいっか、と思える程度のものだった。
しかしこれが国政選挙だったら、こうはいかない。
誰がなってもいい、なんて呑気にはしていられない。
私は支持政党なんかないし、ちゃんと政治をしてくれるなら自民だろうが公明だろうが民主だろうが、どこだってかまわないと思ってるノンポリだ。
ちゃんとしてくれるなら。
でも、最近の安倍内閣は‘ちゃんと’した政治から程遠すぎて、目に余る。
特にひどいと思うのは稲田朋美で、彼女のことはずいぶん前から、信頼できないなとは思っていた。
彼女がクールジャパン担当とかいって、ゴスロリで登場したときから、こいつだけは許すまじ!と思っていたのだ。
ゴスでもなければロリでもない。
ゴスロリの言葉の解釈以前の問題だ。
さすがにひどすぎるので、娘に言われて修正したらしい。
その後がコレ。
いやだから!!!
なんでもうちょっとちゃんと調べないの?!?
これで特注ドレスらしいんだから、どうかしている。
小林幸子のことを言うんだよッ!!!
図書館で文献調べなきゃわからない時代じゃあるまいし、ちょっとネットで検索すればわかること。
何のチェックもせず、よくまあ厚顔無恥をさらけ出せるなぁ、と呆れたものだが、その後も、
「調べればすぐわかることを確認せずに答弁する」
「本質とは異なる言葉の使い方ではぐらかし、言い逃れする」
といった態度の連続。
結局、最初から何も変わらないし、反省しないから成長もしない。
彼女の本性は、ゴスロリ事件ですべて露見していたと思う。
森友学園の弁護をしたとかしなかったとか、南スーダンでの戦闘行為か武力衝突かとか、先日の「防衛省、自衛隊、防衛大臣、自民党としてもお願いしたい」問題とか、この人、あまりに軽率すぎやしませんか。(行動や発想が根本的におかしい、という問題はさておき。)
こんなに信頼がおけない人に、大事な国防を任せられるわけないやん?!、と普通なら思うのに、なぜまだ罷免されていないのだろう?
彼女が防衛大臣をやることにどんな利点があるの?
防衛大臣は石破さんのほうがよっぽどマシだったなぁ、と今だからこそ思う。
以前はあの顔が怖くて嫌いだったけれど(完全な偏見!)、偶然見たニュース番組で、石破氏が『シン・ゴジラ』の自衛隊出動に関して真面目に考察しているのを聞いて、ちょっとだけ好感度が上がったところだ。
石破氏がテレビに写ると飼い猫が暴れる、というネット上の都市伝説があったけれど、この際、もし石破氏が防衛大臣に戻ってくれるなら、猫ちゃんたちには我慢してもらおう。
ところで、最近、サブカル文化人のツイートに政治的な発言が増えた気がする。
この人、こんなに政治のこと考える人だったっけな?と思うことも多い。
本来はバカやって面白いことばかり発信していた人たちが、みんな真面目に安倍政権の批判をしている。
それくらい、ほっとけないくらい、今の政治はヤバい。
特定秘密保護法、安保関連法、共謀罪。
次々とおかしな法律ができていく。
特定秘密保護法ができたとき、これはまずいと騒ぐ私に彼氏は、
「日本の国はちゃんとしてるって。政治家もプロなんやから、任せとけばちゃんとやるって」
と言った。
そのときから、日本の政治はどんどんダメになっている。
「そんなこと言っても、日本の国は大丈夫だよ」
とまだ思っている人は、そろそろ考えを直したほうがいい。
最後にこれをご紹介。
日本はこれに近付いてるよね。
不思議なマッシュアップの国のレキシ
私はある時期、NHKの幼児番組『ハッチポッチステーション』に夢中だった。
番組ではグッチ裕三が人形たちと一緒に、童謡と洋楽の名曲をミックスした曲を歌っていた。
例えば、『大きな栗の木の下で』×『YMCA』とか、『犬のおまわりさん』×Queen『ボヘミアン・ラプソディ』とか、ロシア民謡『一週間』×Deep Purple『Smoke on the Water』とか。
混ざり具合のセンスが抜群だったし、アーティストのモノマネやMVのコピーをしているのも面白かった。
アメリカのドラマ『glee/グリー』を見ていたら、2つの曲をミックスするマッシュアップという手法が出てきて、
「ハッチポッチで私が好きだった、メロディやコード進行を混ぜる遊びはマッシュアップというのか」
と知った。
木曜日、神戸国際会館こくさいホールでレキシのライブを見に行ったのだけれど、これがまた、マッシュアップ天国だった。
厳密な意味でのマッシュアップではないかもしれないけれど、とにかく、音楽で遊び倒した3時間だった。
ツアータイトルは「不思議の国のレキシと稲穂の妖精たち」。
まず冒頭に映像が流れる。
レキシ扮する若君が、父上(いとうせいこう)と母上(みうらじゅん)から家督を譲られる。
今回は‘家督’がテーマのひとつでもある。クルマのCMで使われている新曲『KATOKU』のツアーだからだ。(ちなみにこのMVはジャーニーのパロディらしい。)
家督を譲られる際に家宝も渡される。
ひとつは見仏記でおなじみの‘つっこみ如来’。
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もうひとつがオルゴール付き(らしい)玉手箱。
玉手箱は元服するまで開けてはならない、と父上に注意されたにもかかわらず、若君はふたを開け、不思議の国、つまり神戸へワープしてしまう。
そして、ステージ上の玉手箱からレキシ登場!というオープニング。
不思議の国では何が起きるかというと、曲をやっている途中で別の曲に変わってしまうのだ。
完全なマッシュアップだったのは、『RUN 飛脚 RUN』と『妹子なぅ』と『真田記念日』の自作3曲。
それ以外は、レキシの曲が途中で他人の曲に変わってしまう。
『刀狩りは突然に』の途中から、なぜか『ラブストーリーは突然に』へ。
「不思議~! でも不思議の国だからね」
そんな調子で、『チョコレイト・ディスコ』を歌い、『タッチ』を歌い、『September 』(Earth, Wind & Fireのほう)を歌い、『大都会』、『survival dAnce』、『涙のリクエスト』、『君がいるだけで』と、数えきれないくらいの曲が登場した。
とにかく何でも歌う。『前前前世』も『恋』もとりあえず歌う。
終始ふざけっぱなし。
しかしそのふざけようは全力。
全力で、エンターテインメントを尽くしている。
「ダサく手を振って!もっとダサく!いいよ!すごくダサいよ~!」
と煽られれば皆が腕を振る。
客席にイルカ(の浮き輪)を投げたり(『KMTR645』…大化の改新、蘇我入鹿でイルカね)、俵を回したり(『年貢 for you』)、稲穂を振ったり(『狩りから稲作へ』)と、オーディエンス参加の演出も多い。
アンコール後はバンドメンバー全員で稲穂の妖精の衣裳で登場するという徹底ぶりだった。
しかも、演奏がとにかく良かった。
2年前もレキシが神戸へ来たときに見に来たけれど、演奏はさほど…、と思っていたら、今回は音楽のレベルが格段に上がっていて素晴らしかった。
こりゃ立ち見が出るはずだわ、と感心してしまった。
入り口に記念撮影用のレキシ顔ハメが置いてあったけど、すごい行列で諦めたほどだ。
(仕方なく撮ったのがポスターとのぼり。)
ふざけてるから笑いにばかり持っていかれるけど、レキシの曲は本当にいい曲が多い。
マッシュアップするにしても、音楽の豊富な知識と技術があればこそ。
面白い歌詞をのせるにしても、言葉選びのセンスがあればこそ。
ライブ後、改めて楽曲の良さを感じて、レキシを聴き直している。
中崎町でリリカル・バンビと見たことのない美尻
自分は女に、飢えている。
何をいきなり、と思われるかもしれないが、これは武者小路実篤の『お目出たき人』の書き出し。
このいきなりな文を、私はときどきつぶやきたくなる。
「自分は女に、飢えている。」
うちの職場の男女比はだいたい半々なのに、なぜか私は男性ばかりの課に配属されている。
毎日男性にばかり囲まれて働いていると、
「今日一日、男としか口きいてない!」
みたいなことがよくあるのだ。
気が付くと整体師も男性、美容師も男性、飲食店も男性、実家に帰れば父、デートするのは彼氏。
中年になって、ただでさえ女性ホルモンが減っているのに、おっさんにばかり囲まれていてはこっちまでおっさんになってしまうのではないかと心配になる。
いやまじで、ヒゲとか生えてくるんじゃね?
女性の同僚がほしい。女性の相談相手がほしい。女子会でフワッフワしたものにキャッキャ言いたい。桃井かおりのモノマネで「男ってさぁ」とか頬づえつきたい。
もしかして、私は実はレズビアンなんじゃないか、と思うくらい、おっさんとの関わりはもうたくさん!と思ってしまう昨今だ。
…仕事に疲れているだけだろうか。
そんな折、ライブのお誘いをもらった。
お友だちの晶子さんがやっている、リリカル・バンビというバンドだ。
晶子さんはとてもガーリーな女性で、「カワイイ」もののカタマリで出来ている。
リリカルバンビがどういう音楽をやっているバンドか、説明をするのはすごく難しい。
ただ、形容詞を並べるなら、カラフル、キュート、コケティッシュ、アヴァンギャルド、そしてちょっとだけエロティック。
ライブ会場は中崎町の創徳庵という場所で、その付近を歩くのは初めてだった。
中崎町は梅田からそう離れていないのに(現に梅田まで歩いて帰った)、風景が一変する。
もともと古民家や長屋が並ぶ地域のようだけれど、取り壊されずにおしゃれなカフェや雑貨店、サロンやドミトリーに改造されている。
かといって、よそ者が楽しむ町というわけでもなく、市場みたいなスーパーや酒屋さんなどもあり、夏祭りのポスターが貼られ、人々は自転車でチャリチャリ移動し、生活感がちゃんとある。
夕方と夜のはざまを歩きながら、大阪に住むならこのあたりで生活するのが面白そうだなと思ってしまった。引っ越しの予定なんてないけど。
創徳庵はそんな中崎町らしく、民家を改造したみたいな小さなライブハウスだった。
私がリリカル・バンビのライブを見るのは2回目。
最初見たときは2人のユニットだったのが、今回は倍の4人になり、音がにぎやかになっていた。
特に、女性メンバーのたまこさんが加入したことで、晶子さんのヴォーカルに女性コーラスのハモりができ、歌のイメージに広がりができたように思う。
この日のライブにはスペシャルゲストがあって、バンドの演奏に若林美保さんという女優さんの舞いがプラスされた。
若林さんはストリッパーかつAV女優としても活躍されている方なのだそうだ。
どおりで、黄色い薄衣の衣裳から窺える身体のラインがキレイなわけだ。
とりわけ、透けて見える黒いTバックがセクシーで、これまで見てきた中で最も美しいお尻がそこにあった。
見せてお金が取れる身体というのはこういうことか、と納得。
バレエやコンテンポラリーダンス、伝統舞踊など、ダンスパフォーマンスにもいろいろあるし、いろいろなものを見てきたけれど、ストリッパーのダンスというものは特殊だ。
前者は動きを見せるための肉体、後者は肉体を見せるための動き、だからだろうか。
ともあれ、リリカル・バンビの歌と若林さんの舞いで、ふだん不足しがちな女性ホルモンが少しチャージされた気がする。
※ライブ画像については、晶子さんのFacebookページからお借りしました。
姫路のまずい飲食店とユトリロ回顧展
今月のはじめ、姫路市立美術館のユトリロ回顧展の招待券をもらった。
ユトリロが大好き、ぜひ見たい!というわけではないけれど、もらえるものなら何でももらう。
6月ならちょうど父の日があるので、久しぶりに姫路の街で父とランチをしていいかな、と思っていた。
ところが先週は母のあごの腫れでバタバタしたので、父の日はスーパーでお刺身とお酒を買って終わりにした。
それでも、何もないよりましなはず。
ただ、どんなに忙しくなろうとも、もらった招待券をムダにはしたくない。
株の優待券を使いきるために自転車で走り回っている桐谷さんという元プロ棋士のおじさんがいるけれど、彼を見ているといつも他人事とは思えない。
招待券があるなら、絶対に見にいく。
父の日からは1週間遅れだけれど、姫路の街まで車ででかけるついでに、父とランチを食べることにした。
せっかくなので父が好きであろう串カツのお店をネットで調べて、カーナビに情報を入れて出かけたのはよいけれど、小さな事故の影響でバイバスが渋滞。
倍くらいの時間がかかってようやくたどり着いたお店はもういっぱいで、17台停められるはずの駐車場も満車。
よほどの人気店なのか、店の前で路駐して待っている車まであって、あきらめざるをえなかった。
仕方がないので、念のためもう1軒候補として調べておいた、サラダとお惣菜のビュッフェがあるお刺身定食が出るお店に行ってみると、先ほどと違って駐車場も店内もガラガラ。
お客さんは私と父の二人だけ。
その割にスタッフは、愛想なくぼんやりしているだけのホールスタッフが二人と、厨房内に店主らしい人が一人。
ビュッフェのお惣菜も運ばれてきた定食もどれひとつとして美味しいものはなかった。
というより、全部まずくて、気持ちがどんどん沈んでいった。
渋滞でイライラし、行きたい店に入れずイライラし、入ったお店の接客にイライラし、出てきた食事がトドメである。
最近はコンビニのお惣菜でもチェーン店のファストフード店でも、まずいものを食べることがほとんどない。
「こんなにまずいものを、こんなに食べるなんて、久しぶり!」
と大声で嫌味を言いたい気持ちをぐっとこらえた。
まずい食事は別として、アルバイト二人の人件費も込みで一人1,200円も取られるかと思うと、とにかく腹が立ってしょうがなかった。
思い返せば、母はこういうとき、
「美味しくないわ」
と平気で言う人だった。
父はそれを嫌がり、
「大声でそんなことを言うな!」
と、店を出てからよくケンカをした。
「まずいものはまずい」という母と、「店の中でそれを言うのは下品だ」という父の主張はどちらも間違っていないので、常に平行線だった。
子供の私は、
「結局、まずい食事を出す店が悪い」
と思わざるをえなかった。
飲食店で働くすべての人に言いたいけれど、食事ひとつで人を幸せにも不幸にもできる。
まずい食事はすべてを台無しにする。
帰りの車で、私はくやしまぎれに、
「みんな良いお店をよう知っとうね。お客さんの入りを見たら店の質がわかるわ」
と一人でしゃべっていた。
「渋滞してなかったら、もっと早く着いて、最初の店にも入れたのに」
と誰に言うでもなく、言い訳ばかりを口にした。
父は何も言わなかった。
私が美術館へ行っている間、父は叔母(父の妹)の家へ行き、私は一人でゆっくりと展覧会を見て回った。
ユトリロが描いたのは、ひたすらにモンマルトルの街角だった。
道があって、建物がある。それだけ。
建物は若干歪んでいて、奥行きがおかしかったりする。
近寄って見ていると何がよいのかさっぱりわからない、普通の風景だ。
それなのに、振り返って離れたところから見ると、すごくオシャレで素敵な場所に思えた。
一番気に入った「アングルームのサン=ピエール大聖堂」という絵の前でイスに座ってぼんやり眺めていたら、パリに行った人がよく言う感想を思い出した。
「パリの街ってすごくオシャレなイメージがあるけど、よく見ると犬の糞がいっぱい落ちていて意外と汚い」
マクロで見るととってもオシャレ。でも、ミクロで見ると普通。
そういうことも含めて、ユトリロはパリを代表する画家な気がする。
飲食店を探して車を走らせたせいで、この日は姫路の街をぐるっと一周した。
最初に行ったお店がお城の南、外堀沿いのエリアにあり、次に行ったまずい店がお城の北側のエリアにあったからだ。
特に、お城の北側は古い住宅街である。
昔、父方の祖母の家(つまり父の実家)はその近くにあり、懐かしく思いながら通った。
父も、
「昔ここに刑務所があったんや。刑務所長の息子と同級生でな、ときどき一緒に遊んだな」
などと言った。
食事はさんざんだったけれど、姫路の街に出てきたのは悪くなかった。
姫路の街中は再整備が進んでいて新しい街に生まれ変わっているけれど、北側の住宅街はあまり変わっていない。
あの辺りの街角も、画家に描いてもらったらそれなりの絵になるかもしれない。
ユトリロがモンマルトルを描いたように。
宇宙最強の男ドニー・イェンの『イップ・マン 継承』
毎年、学生劇団時代の友人と忘年会をする。
参加者は年によってさまざまだが、参加率が高いのは、私と、NPO法人『月と風と』代表の清田さんと、現在三重大学で講師をしている文学博士Mで、映画好きのその3人が決まってその年に見た映画の振り返りをする流れになっている。
2010年くらいだったと思うのだけれど、私が、
「今年はドニー・イェンの当たり年だったね!」
と、とにもかくにもドニー・イェンの映画を推した。
『孫文の義士団』、『イップ・マン 葉問』、『レジェンド・オブ・フィスト 怒りの鉄拳』と立て続けに良質な主演映画が公開されていたからだ。
この頃からドニー・イェンは「宇宙最強の男」と言われるようになり、カンフースターとして不動の地位を築いた。エポックメイキングな年だった、と記憶している。
ところが、私が熱心に語れば語るほど、みんなが笑った。
「なんで笑うの?!」
と聞くと、
「だって、ドニー・イェンなんて知らないし!」
と言う。
映画をほとんど見ない人ならともかく、年に20~30本は映画を見る人たちがこれ!?!
日本人が思い浮かべるカンフーアクションスター、といえば、ブルース・リー、ジャッキー・チェン、ジェット・リー。(あと、チャウ・シンチーが微妙。でも私は彼をコメディスターだと思っている。)
ドニー・イェンは、ジェット・リーの次に名前が出てくるほどの大スターなのに、どうして日本ではまだ知名度が低いのだろう?
私が考えるに、ドニー・イェンは正統派すぎるのだ。
真面目で、ストイック、清廉潔白なかんじがする。
でも、そんなドニー・イェンだからこそ、イップ・マンがはまり役なんだろう。
知らない人のために言っておくと、イップ・マンというのは人の名前で、漢字で書くと姓が「葉(イップ)」で名が「問(マン)」。
ブルース・リーの師匠でもある詠春拳の達人。
そのイップ・マンの半生を描いた映画シリーズが『イップ・マン 序章』、『イップ・マン 葉問』、『イップ・マン 継承』で、3作目の『継承』は今年の春に公開された。
実は私、すごく楽しみにしていたのに見逃してしまって悔しい思いをしていたのだが、今週から我らが塚口サンサン劇場が上映してくれることに!
ありがとう、サンサン劇場!
しかも、サンサン名物のウーハー上映である。
重低音、大音量。
ふだん、耳の遠い父がテレビを爆音でかけているので大音量には慣れているのだけど、そんな私でも驚くような迫力だった。(ただし、発砲や爆発やカークラッシュがあるようなアクション映画ではないので、爆音のおかげで面白さがアップしたかどうかはわからない。)
ウーハーの有無にかかわらず、『イップ・マン 継承』はカンフー映画のトップクラスと言える面白さだった。
同じイップ・マンを描いた映画でもウォン・カーウァイ監督の『グランド・マスター』なんかカンフーシーンがスカスカだったけれど(比べるのも気の毒か)、ドニー・イェンのイップ・マンシリーズは詠春拳の強さをこれでもかと堪能できる。
特に今回は盛りだくさんだった。
地あげ屋のチンピラたちと、そのアジトである造船所の工員たちと、その黒幕である不動産王(なんとマイク・タイソン!)と、同じ詠春拳の達人と、闘って闘って闘いまくる。
そして、どれだけ闘っても無敵の強さ!
特に、一人で何十人もを倒していく造船所のシーンはカンフーが鮮やかで、息もつかせぬ迫力だった。
息子が拉致されて、イップ師匠は単身で乗り込んで行くのだが、そのとき持って行くのが長い竹の棒。
中国の工事現場で足場を組むときによく見るやつで、めちゃめちゃ長い。
え、イップ師匠、これ持ってずっと街中を歩いてきたの?
と、心配になるような長さだが、ただの棒である。歩くと揺れてしなる。
チンピラのボスが、
「竹棒持参で来たか!」
と言うのだけど、竹棒だよ? 刀でも銃でもないんだよ? 長いだけでそこらへんの棒と変わらないよ?
冷静に見ると、なんだか可笑しくなってしまった。
どちらにしろチンピラは息子にナイフを突きつけて、
「竹棒を置け!」
と脅し、イップ師匠は竹棒を放してしまうのだけど、そもそも武器になんて頼らなくても十分強いのがカンフーマスター。
こういうところは、銃の名手とか剣術の達人とかと違って安心感がある。
イップ師匠だって、剣とか槍を使おうと思えば持って来れたはず。
だけど、武器として竹棒を選んだのは、あえて殺傷力が低いものにし、悪者といえども殺さないようにという配慮だろう。
一緒に映画を見た彼氏は、この映画を、
「なみ松に連れてこられた映画の中で一番面白かった」
と評したうえで、
「この映画の素晴らしいところは、誰も死なへんかったところやな」
と言った。
確かに、めちゃくちゃな死闘なんだけど、ケガだけで誰も死なない。
特にイップ師匠の拳は致命傷を避けるような体さばきで、優しさと余裕が感じられる。
そんなイップ師匠に対して、同じ詠春拳でもライバルの張天志は後遺症を遺しそうな荒々しい拳だった。
そのあたり、武術の見せ方や演出がうまい。
張天志役の俳優さんはマックス・チャンというらしいんだけど、ドニー・イェンにひけをとらないカンフーなうえ、演技もめちゃくちゃかっこよかった。
ウィキを見ると下積みが長かったみたいだけど(覚えてないけど『グランド・マスター』にも出てたんだね)、これからどんどん活躍してもらって、彼の武術を見せてもらいたいものだ。
ちなみに、物語のもうひとつが、イップ師匠の妻の病気だ。
イップ師匠は試合を放棄してまで妻に付き添う。
夫婦の話が実は『継承』のテーマだったりする。
だから、彼氏が言った『誰も死なない』というのはある意味正しくなくて、正確には最後に愛妻をガンで亡くすのだ。(シーンはなくて字幕だけど。)
最強の男イップ師匠が唯一恐れるのが妻。
でも、その妻でさえ、病気には勝てない。
赤十字病院のいちにち
赤十字病院での受診は1日仕事だった。
慣れない病院で勝手がわからず時間がかかったせいもあるけれど、とにかく待って待って待ちまくった1日だった。
初診受付で待ち、口腔外科で待ち、採血で待ち、レントゲン撮影で待ち、診断で待ち、点滴で待ち、切開手術で待ち、精算で待った。
ケアマネさんが手配してくれたリクライニングができる大きな車イスは、移動するときに動かしにくく、待ち合いで場所を取る、というデメリットはあったものの、ときどきリクライニングして母を眠らせることができて助かった。
待っている間、長時間飲まず食わず。
私は大丈夫だけれど、母のことが心配になった。
母はトロミのついたものをスプーンでしか飲めないので、ちょっとペットボトルを買ってきて、というわけにもいかない。
トイレにしても、ベッドでのオムツ替えになるので、病院ではどうしようもない。
そのうえ、午後になっているのに、お昼の薬が飲めないままなのが気になってしょうがなかった。
病院にいるだけで弱ってしまいそうだった。
そんな赤十字病院での1日だったが、診察の結果、蜂窩織炎ではないことがわかった。
そして入院もせずに済んだ。
口腔外科の先生に、
「問診票に『蜂窩織炎の疑い』と書かれてますけど、医療関係者の方ですか?」
とに聞かれ、
「訪問歯科の先生から蜂窩織炎の疑いがあるので、赤十字病院で診てもらってください、と言われたのです」
と答えると、
「結論から言うと、蜂窩織炎ではないです。そこまでひどくないというか。その手前の段階ですね」
と言ってくれてホッとした。
「治療としては、腫れているところの膿を出す切開手術をします。抗生物質のお薬と、3日ほど点滴を続けます。」
「はい」
「入院は可能ですか?」
「可能?…かどうかは、世話をお任せできるかどうかによるんですけど…」
「全介助ですか」
「そうです」
「通院は可能ですかね?」
「なんとか」
おそらく、普通の人なら入院なのだろう。
皮肉だけれども、全介助の病人だから入院はやめ、になったのだ。
私が不安に思う点と同じことを、病院側も心配した結果だろう。
通うとしても幸い週末だ。会社を休むのも最小限で済みそうだった。
もし入院だったら先が思いやられるな、と思ったのは、病院内の訪れた先々で病気の説明をしなければならなかったことだ。
採血で、レントゲンで、点滴で。
「えっと、脳梗塞か何かですか?」
「いえ、大脳皮質基底核変性症です」
「腕は伸びますか?」
「伸びません」
「痛かったら言ってくださいね」
「すみません、言えないと思います」
そんなやり取りを、それぞれの部屋でその都度その都度、しなければならなかった。
特に困ったのはレントゲンだ。
台に顎を乗せると頭の回りを360度回転してレントゲンを撮る機械だった。
まず、車イスでは台に顎が乗せられない。
無理矢理背中を押し、頭を支えて顎を乗せようとしたけれど、ちょうど腫れている部分を台に押さえつける形になる。
軽く触るだけなら平然としている母が、ちょうど患部が当たるようでひどく痛がり、すぐに外そうとする。
もともと背中が丸まって首が前に出ているうえに、痛みで肩がすくんでしまった。
これだと、頭の周りを回る機械が肩にぶつかってしまう。
うまくいかないのでレントゲン技師さんがもう一人出てきて、またあれこれ試すものの好転せず、結局この機械でのレントゲン撮影は無理だということになった。
技師さんたちの話では、円背の高齢者にはたまにあることだという。
最新の医療機器め、役立たず。
簡易レントゲンなら、とっくに訪問歯科で撮ってくれてるんだけど。
大脳皮質基底核変性症という病気のことを配慮してくれた唯一の場面は、膿を切開する前の問診だった。
「震えは出ませんか?」
「手を動かそうとすると震えます。あと、ときどき足も突然緊張します」
「頭はどうですか?」
「こっちへ向けていても、ゆっくり回ります」
「頭が震えることはないんですね」
「ないです」
「なぜこんなことを尋ねるかというと、これから口の中を切開するのですが、頭が震えると別のところを傷つける可能性があるからです」
初めて、医者を医者なんだなぁ、と感じた。
医者でも自分の担当の分野しか知らない人が多すぎるから、ちゃんと大脳皮質基底核変性症を知ってくれているだけで、「やるな」と思ってしまう。
そのほか、糖尿病があるとこの疾患にかかりやすいこと、血液がサラサラになる薬を飲んでいるので血が止まりにくいかもしれないが薬はやめないほうがよいこと、切開後も腫れはしばらくひかないが冷やさないこと、などの注意事項を聞いた。
切開の場には立ち会えず、終わったら母は口に血をいっぱいにじませたガーゼをくわえて出てきた。
ひとまず終了。
早期発見と早い対処のおかげで、大事に至らずに済んだ。
母を施設に預け、神戸へ戻る電車に乗ったとたん、どっと疲れが押し寄せた。
実は父も私の行き帰りの運転手として同行し、病院でも出たり入ったりしながら付き添ってくれていたのだが、父の携帯の万歩計を見たら約5,000歩も歩いていた。
ほとんど座って待っていただけなのに、5,000歩。
父でそれなら、私はもっと歩いている。
そりゃ疲れるはずだ。
ちょっとは脂肪が燃焼してたらよいのだが。
蜂窩織炎って漢字が怖くない?
「口底蜂窩織炎かもしれません」
と、ケアマネさんからメールをもらった。
口底蜂窩織炎???
ホウカシキエン、と読むらしいのだが、見たことも聞いたこともない病名。
恐ろしげな漢字が並んでいるだけに、不安が募った。
ネットで調べると、「重症化すると死亡することもある」なんて書いてあるじゃないか!
ケアマネさんからのメールにも、
「炎症が進むと呼吸困難になる可能性があります。その時は救急車で赤十字病院へ搬送します」
とある。
なんてこと!
こんなふうに突然、母の状況が一変するなんて…!
そんなショックを受けたのは月曜日午後のことだった。
始まりは朝の訪問リハビリ。
「あれ?なんか右の顎が腫れてません?」
療法士さんが気がついた。
言われてみれば、顎が左右で全然違う。
「お母さん、右だけアントニオ猪木になってるよ!」
と、呑気なことを言いつつ、患部を触ると少し熱を持っていた。
リハビリが終わって施設のお迎えが来たとき、スタッフさんに訪問歯科の受診を依頼した。
施設では毎週火曜日に訪問歯科が巡回にやって来る。
明日受診させてやってください、と頼んでおいた。
私は巡回のついででかまわないと思っていたのだが、ケアマネさんはわざわざ緊急で往診を頼んでくれたらしい。
その日の午後すぐ、訪問歯科が来て診察してくれた。
そしてその見立てが「口底蜂窩織炎の疑い」だというのだ。
抗生物質のお薬が出て、火曜日にもう一度レントゲンを撮って、それでもまだ疑いがあるようなら、赤十字病院の口腔外科を紹介するので受診してください、ということだった。
実際そのとおり、木曜日に会社を休んで赤十字病院へ連れていくことになった。
免疫力が落ちると、本当に思いがけないことが起こるものだなぁ、とつくづく思う。
想像もつかなかった病気が襲ってくる。
バイ菌が歯の根っこや歯茎から入り、顎が腫れ、喉を圧迫して呼吸困難??
そんなことで死亡するリスクが????
1日前までは思いもかけなかったことが起きる。しかもラブストーリーより突然に。
告白すると、金曜日の夜に寝る前の口腔ケアをサボってしまった。
母もウトウトしていたので、できるだけ早く寝かせようと思ったのだ。
いや、それは言い訳で、私自身がズボラをかましたかっただけ。
そんなことで、「もしかしたら死んでしまうかも」みたいなことになる??
私のせいだったらどうしよう…。
死神ってやつはどこにでも潜んでて、こちらが油断すると遠くから手を振ってくる。
正直、月曜日はそんなことを考えて落ち込んだりしたけれど、「疑い」というのは「確定」じゃない。
赤十字病院でちゃんと診てもらうまでは診断もついていないし、腫れの様子からすると呼吸困難に至るほどでもないはずだ。
木曜日に赤十字病院に行くまでは、余計なことを考えても仕方がない、と気持ちを切り替えた。
じゃないと、私が怯える様子を見せたら、遥か遠くにいる死神を喜ばせてしまう。
あいつが近寄って来ないように、こちらは毅然としておかないと。
赤十字病院の予約は午前11時に取れた。
私と母は前の夜から帰っていて、朝はケアマネさんがお迎えに来てくれた。
今日の受診が長時間になることを見越して、リクライニングができる車イスを手配してきてくれたのだ。
その車イスが運べる車に乗ってきてくれて、送迎もしてくれた。
誰かが応援してくれるだけで心強い。
また、入院になる可能性が高いということもあって、施設に預けているおむつ類や着替え、薬なども一式返してもらい、私も一通りの準備をして車に積み込んだ。
入院のことを考えると不安でいっぱいである。
施設なら何から何まで理解してもらっているけれど、生活のすべてに介助が必要な母を、病院がちゃんと世話してくれるのかどうかも心配だ。
本人との意思疎通が図れないので、理解者が状況を説明しないといけない。
私がずっとそばにいられたらいいけれど、そうもいかない。
何より本人が環境の変化に戸惑うだろう。
入院したとたんに病状全般が悪化するという話もよく聞く。
反対に、入院したほうが安心という考え方もある。
少なくとも呼吸困難で緊急搬送はありえないわけだ。
もし入院したら土日は母を病院に任せきりにできるので、逆に私の手が空く可能性もある。気持ちにけりをつけ、遊びに出かけることだってできる。
何にしても良し悪し、メリット・デメリットがある。
だから、入院のことも決まらないうちは何も考えないようにした。
大学時代、カウンセリングルームに通ったことがある。
当時、自殺した漫画家・山田花子に心酔していて、自分がコミュニケーション不全なんじゃないかと思っていたのだ。
というより、カウンセリングに通っちゃうような、ナイーブで繊細な人を演じたかっただけだった、と今振り返って思う。
仮病の私でも、カウンセリングの時間は私にとってとても意味があった。
私の担当のカウンセラーさんが言ってくれた言葉のいくつかは今でもよく覚えていて、その一つが、
「波野さんは気持ちの切り替えがとっても上手。それはほかの人にはない能力ですよ」
と褒めてくれたことだ。
そのとき初めて、自分が「気持ちの切り替えが上手な人」なのだと知ったのだけれど、指摘されたことでさらにその能力は向上していったように思う。
今回のようなことがあっても、
「今クヨクヨしても仕方ない。結果が出るまで気持ちを切り替えよう」
と思う。
不安はとりあえず脇へ置いておいて、仕事をしたり、彼氏と会ったり、『おじいちゃんはデブゴン』を見に行ったりできた。
もしかしたら、大学生時代の私は、それほど気持ちの切り替えがうまい人ではなかったかもしれない。
あれは、カウンセラーさんが私にかけてくれた魔法の呪文だったのかもしれないなぁ、と最近考える。
というわけで、長くなったので赤十字病院受診については次回に続く。