3歩前のことを忘れる女のサブカルと介護の記録

神戸に住む40代波野なみ松の、育児と趣味と要介護両親の対応に追われる日々の記録。

窒息未遂から吸引器を考えてみたものの…

先々週の土曜日の朝のこと。

秋になって母の調子も良くなり、調子よく朝ご飯を食べていた。

 

最近の母の食事は主にミキサー食で、とろりと滑らかなものばかりを食べている。

噛む力はあるけれど、飲み込む力が弱っているので、油断するとすぐむせてしまうからだ。

最近の朝ご飯は、カップケーキやロールケーキ、マドレーヌや蒸しパンなどを牛乳に浸したものを主食にしている。

 

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この日、ロールケーキがスムーズに食べられたので、スイートポテトを追加で出した。

普通のサツマイモと違って、スイートポテトなら一度つぶして裏ごししているから、大丈夫だろうと踏んだのだ。

少し噛まないといけないが、小さいかけらにしてお箸で奥歯の噛みやすい位置に置けば、なんとか食べられる。

 

「ちゃんとモグモグするんやで」

と声をかけながら食べさせていたけれど、お口に入れたらあっという間になくなる。

入れる、なくなる。入れる、なくなる。

「大丈夫? ちゃんと噛みよう?」

と訝しく思っていると、母が突然苦しみ出した。

 

「ぐ~ぅ~~」

と歯を食いしばって目をむくので、

「どうしたん!? どうしたん!?」

と慌ててしまう。

背中をバンバン叩いて吐かせようとするけれど一向に治まらず、ずっと苦しみ続けている。

 

もしかしてスイートポテトがのどに詰まって窒息してしまうんじゃ…。

 

こういう場合、「口の中に指を突っ込んで吐かせる」というのを何かで見た気がするけど、母は歯を閉じてしまって、開けてといっても言うことは聞いてくれない。

開けてくれたとしても、指を噛まれてしまうだろう。

 

「どうしよう、お父さん! お母さんが死んでしまうかもしれん!」

珍しく早起きしていた父を、大きな声で呼んだ。

「どないしたんや」

のそのそと父が顔をのぞかせる。

「のどに詰まってしまったかもしれへん。どうしよう、救急車呼んだほうがええんやろか」

 

そう言っている間もずっと、私は母の背中を叩きながら吐かせようとするけれど、母は「う゛~、う゛~」と唸っているばかりである。

 

「ほんで、どないするんや」

「どうしよう、どうしよう」

「どないするんや」

 

父など呼んでもどうしようもなかった、と思いつつ、

「冷静に、冷静に」

と新しいクドカンのドラマの小泉今日子みたいにつぶやいて、まずは吐かせることに集中することにした。

 

父には、

「お母さんの背中を軽く叩き続けて。口から出るものはティッシュで拭きとって」

とお願いし、私は受け皿と口腔スポンジを取ってきた。

 

幸いなことに、母の右側の歯は上下で同じ個所が抜けている。

そこの隙間から、口腔スポンジを突っ込む。

スポンジでごっそり取れたのは、唾のような痰のような鼻水のような、とにかくスライム状のネバネバだった。

 

それが取れたことで少しマシになったようだけれど、それでもまだ母は苦しそうにしている。

体勢を変えたほうがよいと思い、父にも協力してもらいながら移動させることにした。

まずはソファから車イスに移し、ベッドまで運び、ベッドに横向きに寝かせた。

横向きの姿勢で、なおかつ口腔スポンジで喉にからみついたものを取る。

やはりネバネバである。

 

ある程度ネバネバが取れると、母の苦しみは治まった。

 

医者ではないのでわからないけれど、スイートポテトが詰まったのではなく、原因はこのネバネバがのどにからみついたのかと思われた。

 

一件落着。

ではあるけれど、実は、ネバネバがのどのからみついたのは初めてではない。

ときどき、のどがゴロゴロするときがあって、そういうときはたいていネバネバがのどにからみついているようだ。

 

ただ、「死んでしまうかも!?」とパニックになるほど苦しんだのは今回が初めてだった。

 

ケアマネさんに尋ねると、ふだん施設でも同様に口腔スポンジでネバネバを取り除いてくれているらしい。

あんまりひどいときは看護師さんが吸引をしたことがある、ということだった。

 

 

吸引器を考えてみようかな

 

 

訪問リハビリの療法士さんにその話をしたら、

「だったら、吸引器を使うことを考えてもいいかもしれませんね」

と言う。

 

吸引器がどういうものかさっぱりわからないまま、とりあえず内科の受診のときに先生に尋ねてみた。

 

「吸引? え?え?え?」

内科の先生は全然要領を得ない。

横に立っていた看護師さんがどこかに電話をして、

「まずはケアマネさんに相談して、吸引器の申請書を出してもらってください」

と言われた。

 

それでケアマネさんに尋ねてみたけれど、ケアマネさんもあまり詳しくないらしく、町に尋ねてみるという。

 

それでまた療法士さんに聞いてみたけれど、吸引器の導入に至る過程はよくわからないということだった。

 

おやおや、誰も詳しい人がいない。

 

そのあと結局、それぞれの回答を持ち寄ってきたのが前の月曜日のこと。

それでわかったのが以下のこと。

 

  • 吸引器自体は5万円程度するもので、町に申請することで補助があること。(世帯の収入によって異なるけれど、うちはおそらく1割負担)
  • 申請するのは主治医の診断書が必要だけれど、内科ではなくて大脳皮質基底核変性症を診てもらっている神経内科からの指示がよいのではないかということ。
  • 主治医から、訪問看護で吸引器の指導をしてもらうように指示を出してもらうこと。
  • というのも、吸引器を使うための訓練を受けないといけなくて、上手に使えるようになるまで4日くらいの指導は必要だという。私の事情を考慮して、毎週土曜日に訪問看護で吸引器の使い方指導をしてもらうのがベストだということ。

 

そんなわけで、ケアマネさんは申請書類一式を用意してくれたけれど、とりあえず来月の神経内科の受診日に先生と相談することになった。

 

にしても、吸引器というのがそんな大変なものだとは思わなかった。

 

何でもない日は母はいたってスムーズに飲み込んでいる。

先週も今週も、全然のどがゴロゴロいうことがない。

そうなると急いで急がないところがあるし、吸引器導入はちょっと腰がひけている。

クラッシュ?!電動リフト

送迎の介護スタッフさんから電話があったのは、先月の半ばだったか。

「スロープを置く台の位置に、電動リフトをぶつけてしまったんです」

リフトは誰も乗っていなかったのでケガ人はなし。
側面が凹んでいる状態だが、動作に問題はないと言う。

「誰もケガがなかったのが不幸中の幸いでしたねぇ」

とは言ったものの、私は正直、「とうとうやっちゃたか」と思った。
台とリフトの位置関係について、介護スタッフさんたちの置き方が危なっかしいことは気がついていたからだ。

リフトと台とスロープの位置関係については、下記のブログのとおり。

台はビニールテープで印をつけているところに置いてください、というのが私の指示だけれど、何人かのスタッフさんが入れ替わりでやってくる中、なかなか覚えてもらえない&引き継ぎが上手くいかない。

私がいるときは、
「台は線より向こうに置いてくださいね」
と言えるのだけど、金曜日の夜は私の帰宅が間に合わないので、スタッフさん任せになってしまう。

リフトの見た目が凹んでいるだけなら別にかまわないと思い、放っていたけれど、数日後、ケアマネさんから連絡があった。

「上の者に報告しましたら、安全上のことですし、設置業者さんにお願いして点検してもらえということです。そのうえで修理が必要ならこちらで検討させていただきます」

そうしてくれるなら、そのほうが安心だし、妥当な対応かと思う。

点検は私がいない平日に来るということだったので、父に託した。
父はぶつけた介護スタッフさん本人とケアマネさんとから何度も謝罪を受けたらしくて、その話をするとウンザリ気味だった。

「ちょっと凹んだくらいで、何をそんなにごちゃごちゃ言う必要があるんや。どないもないやろ! かまへんやないか! ほっといてくれ!」

こちらは被害者側なのになぜキレる?!
修理してくれるって言ってるんだから、ありがたく思っておけばいいのに、わけがわからない。

先週の土曜日、再度修理について福祉用具の業者さんに確認したが、まだ業者さんからは見積もりが上がってこないらしかった。
点検に来てからもうずいぶん経つ。
安全性に問題がないなら修理してもしなくてもよいのだが、点検結果がどうなのか、その返事もない。
あんまり仕事が遅いのは気が悪い。
クマリフトめ、なめんなよ。

再発防止のためには

いくら、介護スタッフさんに注意したところで、このままだとまた台を置く位置を間違えてしまうだろう。

再発を防止するにはどうしたらいい?
どこかに貼り紙でもする?

何かいい解決策はないものかと考えていたら、ぶつけた介護スタッフさんと話す機会があった。

「ビニールテープではわかりにくいですかねぇ?」
と尋ねると、
「金曜日の夜は18時ごろのお送りなんですけど、もうだいぶ暗くなってるんです。懐中電灯で照らしながら確認するんですけど、印が見えにくくて…」

なるほど、そういうことだったのか。
黒いビニールテープだから、余計に見えなかったんだな。

さっそく、ダイソーで自転車などに貼る反射テープと蓄光テープを買ってきて、貼ってみた。

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これなら、ビニールテープより改善された気がする。

介護スタッフさん任せにしていると、言ってもらわないとわからないことがけっこうある。
何事も、話をしないとわからないものだ。

私は遠慮せずにどんどん意見を言ってほしいけれど、言われてもどうしようもないことだったら、ムッとなることもあるかもしれない。
そのあたりの兼ね合いは、なかなか難しい。

新しいエアマット

今日の訪問リハビリはにぎやかだった。
いつもの療法士さんに、ケアマネさんと福祉用具業者さんが加わって、わいわい言いながらの朝となった。
母も目をパチクリさせながら、その賑やかさをうれしそうにしていた。

用件は3つ。
まず1番目は、エアマットを新しいものに替えてもらうこと。
2番目は、電動リフトが凹んだこと。
3番目は、痰の吸引器を検討していること。

最新のエアマット

療法士さんとは夏くらいから、
「どうもエアマットが沈みすぎるみたい…」
という話をしていた。

母の体重は40キロそこそこだが、45キロ設定にしていてもずいぶん身体が沈む。
移乗するときや着替えのときに座位をとるのも、お尻が沈みすぎて不安定だ。

リハビリ中は「リハビリモード」を使い、リハビリしやすいよう硬くなるようにしているのだけど、それも効きが悪い気がする。

「同じ体重でも、身体が小さいから余計に沈むのかもしれませんね」
と言われて、50キロ設定にしてみたけれど、それでもまだなお身体が沈む。

あんまりマットが軟らかすぎると腰が痛くなる。
今はもう母は言葉をしゃべれないから、痛みを訴えることはできないけれど、身体を起こしたときはいつも「う〜」と唸り声をあげるので、おそらく腰が痛むのだろう。

「最近のエアマットは性能もよくなってますから、保険の限度額の範囲内で新しいのに替えてもらったらどうです?」

療法士さんにそう言われてケアマネさんに相談したら、あっという間に新しいものに交換してもらうことになった。

そして今日持ってきてもらった新しいエアマットがこれ。

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mixiで書いていた日記を調べると、床擦れができてエアマットのレンタルを開始したのが2015年5月だった。
古いエアマットにお世話になった期間はたった2年半だけれど、比べてみると隔世の感がある。

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福祉用具の業者さんから、療法士さんケアマネさん私の3人で説明を聞いた。
見た目もめっちゃスマートになったが、機能もずいぶん進化している。

電源が切れても、中の空気は2週間は抜けないようになったこと。(つまり停電してもしばらく大丈夫ってこと。)

機械で操作したあとの反応速度が速くなったこと。古い機種はボタンを押してから中の空気が変わるまでに時間がかかったけど、新しいのは短時間。
特にリハビリモードなんか、ボタンを押してもしばらくしないと硬くならなかったけれど、新しいのなら早く対応してくれる。

そして何より、音が静かになった。
これは隣に寝ている私が一番うれしい。
古い冷蔵庫みたいなブーンという機械音がずっと鳴っている横で寝ていたから、ちょっとでも音が静かになってくれるとすごく助かる。


福祉用具も日進月歩で、使う側としては本当にありがたい。

ケアマネさんからも福祉用具業者さんからも、
「前のより点数があがるので、月に100円多くかかりますが…」
と言われたけれど、たった100円で寝心地が良くなるなら安いものだ。

母は今日からショートステイなので、新しいエアマットで寝るのは金曜日から。
金曜日の夜がちょっと楽しみ。

《そして、電動リフトの話に続く。》

『ゴッホ〜最期の手紙〜』はみんなビンボが悪いんや。

来月、彼氏がオランダへ出張に行くという。
前回のヨーロッパ出張は帯状疱疹にかかっていたので、オフ日もホテルで寝ていたらしい。
だから次こそはオフに観光しようと楽しみにしているようだ。

数年前にオランダへ出張したとき、彼は半日の空き時間を有効活用してデン・ハーグにあるマウリッツハイス美術館フェルメールの『真珠の耳飾りの少女』を見に行った。

www.mauritshuis.nl

出張の最終日で、午後には出国予定だったから朝一番に出かけた。
開館を待って入ったので数人の来館者しかおらず、少女の真ん前に向かい合わせ。
至近距離で彼女を独り占めできたそうだ。

その後、神戸市立博物館に彼女が来日したとき私も彼と一緒に見に行ったけれど、当然のことながらものすごい人で、行列したうえに遠巻きに見るような状態だった。
並んでいるとき、
デン・ハーグでは、これくらいの近さで、彼女と二人きりやったからね」
と自慢げに語る彼氏。
「またその話! 何回聞いたか…」
とうんざりする私。
まるで、超有名アイドルがライブ会場では大勢の観客がいて遠い存在だけど、かつて彼女の地元で二人で会ったことがあるもんね、みたいなかんじの自慢話。

そんな良い思いをしたせいか、彼は来月のオランダ出張でも美術館めぐりを計画しているらしい。
前回はフェルメールを見たから次はゴッホで、クレラー・ミュラー美術館へ行って『夜のカフェテラス』を見て、時間があればゴッホ美術館へも行きたい、なんて言っている。

「でも、その割にはゴッホをあまり知らないでしょ?」
「そのとおり」

というわけで、11月3日は祝日を利用して、映画『ゴッホ~最期の手紙』を見に行くことになった。

www.gogh-movie.jp

ずいぶん前にSNSでこの映画のプロジェクトを知ったときに、一部分だけ出来上がったトレイラーを見て、油絵が動くという素晴らしさに感動した。
公開されたらぜひ見ようと思っていたので、ちょうどいいタイミングだった。

たまたま公開初日の一回目だったせいで、映画館は満席だった。
30分前だったのに、もう最前列の数席しか残っていない。
席に着くと、私の隣に座ったおじいさんが、
「こんな混んでる映画館、知らんわ、なぁ?」
と話しかけてきた。
ほんまほんま、隣の人に話しかけられるくらい混んでるなんて、なぁ?

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ゴッホ~最期の手紙~』はゴッホの死後、弟テオへ宛てたゴッホの手紙を親族に渡そうとする郵便局長の息子が主人公だ。
ゴッホの最期の足取りをたどっていくうち、その死の謎を探偵のように紐解いていくことになる。
自殺だと言われているゴッホの死は、実は事故による他殺ではないのか…。

よくよく考えたら、二日前に見たヨーロッパ企画の『出てこようとしてるトロンプルイユ』も不遇な画家が死んだあとの話だった。
ただ、トロンプルイユの画家は不遇なままだけれど、ゴッホは知ってのとおり後世これだけの人気画家になった。

だからこそ、
「もうちょっと生きていたら、ゴッホも報われたんじゃないだろうか…」
と思ってしまう。

もうちょっとお金に余裕があればもうちょっと長生きして、もうちょっと長生きしていれば認められる時代が来たかもしれない。
メディチ家級の大金持ちじゃなくても、一人でいいからゴッホを気に入って支援してくれるパトロンがいたら、ゴッホは死ななくて済んだかもしれない。

ふと、
「みんなビンボが悪いんや!」
という高橋留美子の『ザ・超女』という漫画の名ゼリフを思い出してしまった。

芸術の道は貧乏との闘いである。
自分一人の貧乏だったらいいけれど、弟テオのような愛する家族を犠牲にする貧乏だったりしたら、周囲に苦労をかけるだけの才能を自分は持っているのだろうか、と苦悩は深くなる。

全部が全部貧乏のせいかというと、そうとは言えない。
ゴッホが病んでいた心の病と、精神病患者に対する人々の偏見という社会的な問題もある。
でもそれだとて、もしかしたら金銭的な余裕さえあれば、何かが変わった可能性はないだろうか、と思わなくもない。
差別的な人たちは「弱いものいじめ」が好きだから、金持ちの病人より貧乏な病人をいじめたがるものだから。

今や100億以上で落札されるゴッホの絵の、何万分の1でもいいからタイムマシンで送金してあげられたらいいのに…。

matome.naver.jp

ちなみに、油絵で描かれた映画について、最初は本当にびっくりしたし、ところどころ登場する名画と同じシーンに「おおっ!」とうれしくなったけれど、正直言ってストーリーを追うのには不向きだと感じた。
Youtubeで見る予告編程度なら集中力が続く短さだからいいけれど、長編となると気が散ってしまう。
話がまるで頭に入らなかった。

映画は映画、絵画は絵画。

死の謎を追うミステリー仕立てなんだけれど、一人一人に話を聞いていくかんじが、なぜかファミコンの『ポートピア連続殺人事件』を思い出させた。
油絵の名画を前にドット絵を思い出すなんて失礼千万。
ていうのは、いくら動いても平面に感じるからかな。
ストーリーを味わうには普通の映像のほうがいいかも、と身も蓋もない感想。

ヨーロッパ企画『出てこようとしてるトロンプルイユ』

11月1日はABCホールヨーロッパ企画『出てこようとしてるトロンプルイユ』を見に行った。 

www.europe-kikaku.com

 

トロンプルイユというのはだまし絵のことだそうだ。

立体的に描いてあって、まるで飛び出してくるように見えるというあれだ。

今だとトリックアートと呼ぶほうが一般的なのかもしれない。

 

そういえば何年か前に兵庫県立美術館で『だまし絵』の特別展をやっていて、見に行ったことがあったっけ。(調べたら2009年だった。もうそんなに経ったのか~。)

兵庫県立美術館-「芸術の館」-【だまし絵 アルチンボルドからマグリット、ダリ、エッシャーへ】

 

私が行ったときも『だまし絵』展にはたくさんの人が見に来ていたけれど、企画側が意外に思うほどのヒットになったらしいと聞いた。

人はだまされることが意外と好きだし、「ビックリ」を求めるのがアートの本分のひとつとも考えられる。

 

そういう点で、トロンプルイユと演劇というのはどこか似ているかもしれない。

 

物語は、死んだ画家の部屋を片付けようと集まった人々たちに始まる。

トロンプルイユを描いていた画家で、彼は世に出ることなく、不遇のまま人生を終えた。

 

舞台はパリのアパルトマン。

ということで、登場人物は主にフランス人。

えーっ!? 本田力くんもフランス人!?

 

とは思ったけれど、実際に見てみたら全然違和感がなく、むしろあのマッシュルームカットが赤毛になっているのはすごく似合っていた。

ハウス名作劇場で主人公の友達の友達なんかにああいう子供っていたよな、と思わせるパリジャンぶりだった。

 

そして「出てこようとしてる」というタイトルどおり、絵からいろいろ出てくる。

だんだん現実と幻想の境界があいまいになってくる。

コメディではあるけれど、ホラーでもある。

 

子供の頃にテレビで見た映画に、絵画の中の墓穴から死人が蘇って、だんだん近づいてくるというB級ホラーがあった。(で、検索したらおそらく下記のブログに書かれている映画じゃないかなぁ。)

ameblo.jp

 

映画では段階的に絵をすり替えていたという種明かしがあり、「なーんだ」的な話だったけれど、絵の中の人物が動き、やがて出てくるっつーのはやっぱり怖いよ。

 

劇中には、合わせ鏡の世界が描かれた絵画があって、その一番外側に実在の人物がいるようなシーンが多々用いられた。

それも驚きと笑いのシーンではあるけれど、繰り返されるうち、登場人物たちも観客も笑えなくなってくる。

 

合わせ鏡の世界というのもやっぱりちょっと怖い。

合わせ鏡の奥から悪魔が出てくる、という説もあるし、もしもあっちの世界に引きずり込まれたなら二度と戻れない気がする。

子供の頃は、あの向こうには何があるのだろう、あれはパラレルワールドなんだろうかと思い、合わせ鏡をするたびゾッとなったものだ。

 

話の後半はそういう「二度と戻れない異次元世界」の話に突入するのだけれど、前半は芸術論の会話劇で楽しかった。

 

死んだ画家の絵を平気で捨てる大家と、捨てられない自称芸術家たち。

同じ芸術でもオペラは大好きだけど絵画はそうでもないパン屋。

 

このパン屋のピエールが、すごくいい。

「絵は捨てるけどパンは捨てない。食べられるからね」          

「下手な絵は捨てるけど上手い絵は捨てない」

という至極当然なことを素直に言う。

朗らかでまっすぐで、地に足がついている。

この人物がいるおかげで、物語が狭くならずにすんだ気がする。

 

フォービズムだ、印象派だ、レディメイドだと、カフェでいくらアート議論をしたとしても、地に足がついた普通の人々にはかなわない。

崇高な芸術と美味しいパンとだと、パンのほうに軍配が上がってしまう。

 

それでも魂を削って画家が向き合う芸術とは何なのか。

 

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終演後、友人の本多くんにあいさつに行って、

「今まで見たヨーロッパの公演の中で、私はこれが一番好き!」

と言うと、

「え~、そうれすかぁ」

と、本多くんはなんとなく自信なさげな態度だった。

この日は大阪公演の初日だったけれど、東京、京都、高知と公演してきた中で、反応に賛否両論があったらしい。

 

「あのシーンがしつこかったせいかなぁ?」

中盤、何度も何度も同じシーンが繰り返される部分があった。

合わせ鏡の世界のメタファーにも感じられて私は面白かったけれど、正直言って、涼宮ハルヒエンドレスエイトよりしつこい。

 

でも、本当にそのせい?

もしかしたら、西洋絵画史についていけなかった人が置いてけぼりに感じたのかも。

歪んだ時空の中でダリの歪んだ時計を持ってくるあたりなど、私はとてもうまいと感じたけれど、知らない人にはピンとこなかったのかもしれない。

 

私もそれほど美術のことは知らないけれど、BS日テレ『ぶらぶら美術・博物館』を見るようになってから、ずいぶんわかるようになってきた。

それもこれも山田五郎さんの解説のおかげ。

www.bs4.jp

 

美術の鑑賞には歴史の知識は欠かせない。

評価というのは歴史の上に成り立っているからだ。

 

そうすると、絶対的な美なんてありえない。

 

劇中の登場人物で、アフリカのセネガルからやってきた画家志望の男の子がいるのだけれど、村では一番絵が上手いという。

彼に対して自称画家たちは、パリで最新の芸術の流れを説く。

死んだ画家の絵も技術的にはすごく上手くて、

「時代が時代なら売れただろうけど」

と流行りの絵ではないからダメだったように言われる。

 

売れるか売れないかは運次第。

素晴らしい芸術家なのに、運がなくて埋もれてしまった人は星の数ほどいるのだろう。

 

そして私は、11月3日に映画『ゴッホ~最期の手紙~』を見に行った。≪つづく≫

漢方薬と動物の尊厳

漢方薬局について値段が高いだの糸練功が怪しいだのとディスりつつも、くだんの漢方薬局を再訪した。
漢方茶はそれなりに効いたし、再び胃腸の調子が非常に悪くなってきたからだ。

2回目だからか、問診も気功診断も簡単ですぐに終った。
今回の私の主訴は、
「食欲もあってすごく食べたいのに、膨満感がひどくて食べられない」
ということに尽きた。

何が辛かったって、トアウエストに新しくできた居酒屋さんに行って、カレー肉つけ蕎麦なるものを美味しく食べていたにもかかわらず、半分も食べられなかったことだった。

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食いしん坊な私が、食べられなくて食事を残すなんてありえない!
しかも、「蕎麦なら大丈夫だろう」「カレーなら食べられるはず」と選んだのに!

食べたら食べた分、いつまでもお腹に残っている。
身体の中が大渋滞を起こしているかんじ。
胃腸薬も便秘薬も効かない。

そう訴えた私に対して薬剤師さんは、
「これは、胆汁ですね。胃腸じゃないです」
と言う。

http://www.tanseki-guide.com/tannou/tanjyu.html

タンジュー?!

聞き慣れない言葉が出てきた。

「前とは状況が変化していますね。今は胆汁の循環が悪くなっていることが原因でしょう。胆汁の流れが悪いので、食べ物が流れて来ているのに腸が気がついてないような状態です」

はぁ〜。

なんだかよくわからないけど、なんとなく納得。

それまで自分で「膨満感」で検索し、対処法をいろいろ読んだけど、野菜やヨーグルトを食べろ、水分を摂れ、適度な運動をしろ、腸のマッサージをしろ、など、「そんなこたぁわかっとるわい!」みたいな当たり障りない常識的なことばかりしか書かれておらず、なんの参考にもならなかった。

「今までに経験したことのない消化不良」
を、
「今まで聞いたことのない胆汁の循環が原因」
と言われたことで、妙に説得力を感じてしまった。

そして出た薬が、前回と同じ漢方茶と「熊参丸(ゆうじんがん)」という丸薬だった。
熊参丸は小さい粒2つを夕食前に飲むだけなので、全く負担にならない。

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でもって、飲んで数日、消化不良は改善されて、普通に食事が食べられるようになってきた。

よかった、よかった、と言いたいところだけど、ふと冷静に熊参丸のパッケージを見て、「熊」の字がひっかかった。
これって、も、もしかして…。

動物と人間と、すべてに誠実

これまで出会った人の中で私が最も尊敬するのが、元・王子動物園園長の権藤眞禎先生だ。

仕事上で月に1回お話する頻度だったけれど、世界中のいろんな話を教えてくださって、私にとってはとても貴重な時間だった。
もちろん、話題の多くは動物にまつわる話である。

例えば、こんな話。

山の中に風力発電の風車を作ると鷹や鷲のような猛禽類にとってすごく危険だということ。
ボノボという類人猿がチンパンジーやヒトよりも平和な社会システムを築いていること。
犬に対する動物愛護の精神がイギリスなどのヨーロッパの国々と日本ではまるで違っていて、日本はまだまだということ(ペットショップなんてどれほど動物虐待なことか)。

挙げればきりがないのでこのへんで。

目からウロコが落ちる思いだったのは、動物を守るためには人間の社会が平和で豊かでないといけないということだった。

密猟の背景には、もちろん悪徳業者の存在もあるけれど、貧困や格差の問題もある。
ベンガルトラ1頭を売ったお金で村人が1ヶ月生活できるとなると、どんなに禁止したって、現金収入の乏しい地域では密猟をやめない。
そんなこともあってか、権藤先生は動物保護だけでなく、ミャンマーに学校を建てたりだとか、NGOを通じた新興国の支援活動もされていた。

私利私欲じゃなく活動している人に私は初めて出会った。
「こんな立派な人もいるのか…」
と驚いたのだった。


そんな権藤先生から聴いた話の中で、一番むごい話がこれだ。

漢方薬の材料にするために、中国人が動物を乱獲することは多々ある。
けれど熊については、殺すのではなく捕まえて、檻の中でずっと飼育し、身体に管を挿して生きたまま胆汁を採取し続けるのだそうだ。
捕まった熊は、生かさず殺さず、何年も拷問のような痛みに苦しみ続けるのだという。


想像するだけでもゾッとする。
私が生まれ変わって熊になったらどうしよう。

その話を聞いたのはもう10数年前だけど、その恐怖は忘れられない。

改めて、熊参丸を確認してみる。

成分の一番最初に熊胆(ユウタン)とある。
製薬会社のサイトを見るとやはりユウタンとは、

クマ科ヒグマ, ツキノワグマまたは近縁動物の胆汁を乾燥したもの

と書いてあった。

http://www.kegg.jp/dbget-bin/www_bget?dr_ja:D06797


今度漢方薬局に行ったら、 熊参丸は飲みたくないと言おう。

絶対に拒否する、というわけじゃない。
熊に苦痛がないように取られたものだったり、死んだ熊から採取されたものならいいと思う。
けれど、私が今飲んでいる薬がどういうふうに採取された胆汁かわからないのがつらい。

需要があれば製薬会社はたくさん製造するだろう。
これ以上熊の犠牲を増やしたくない。

いくつかのサイトを見ると、ユウタンの有効成分、ウルソデオキシコール酸は化学的に合成できるという。
だったら合成でいいし。
なんでもかんでも自然由来が良いというわけじゃない、というのを知ったのも勉強になった。

X.Y.Z.→Aのライブでヘドバンについて考えた。

10月24日火曜日は、オーケンファンの友達と二人で梅田Zeelaへ、X.Y.Z.→Aのライブを見に行った。

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X.Y.Z.→Aというのはどういうバンドかというと、メンバーはこんなかんじ。(下記はウィキペディアからのコピペ。)

二井原実(ボーカル) LOUDNESS、SLY
橘高文彦(ギター) ex.AROUGE、筋肉少女帯
和佐田達彦(ベース) TOPS、爆風スランプ
ファンキー末吉(ドラム) 爆風スランプ


つまり私たちは、筋肉少女帯のギターである橘高さんを見に行ったというわけ。

筋肉少女帯もものすごく演奏がうまいバンドだけれど、X.Y.Z.→Aもまたすさまじい超絶技巧のバンドで驚いた。

特に橘高さんのギターが、筋少のときよりソロを魅せる仕様になっている。
筋少では橘高さんは「城主」と呼ばれていて、ギタープレイで「城が建つ」と例えられるんだけれど、X.Y.Z.→Aではそれ以上にでっかいお城がド~ン!ド~ン!と築かれていた。
城の規模が違う!

橘高さんだけではなくベースソロもドラムソロも凄まじくて、なるほど各バンドから猛者が集まって来た化け物バンドだ、と今更ながらに思わされる。
ドラムのファンキーさんなんか、顔を真っ赤にしてドラムを叩く様は鬼気迫っていた。
(それをなぜか「ケンタッキーフライドおじさんみたい」と例える二井原さん。カーネルサンダースではなく。)

橘高さんは客席にピックを撒いてくれるのが恒例なんだけど、豆まきのごとき量でも、筋少のライブだと前方にいない限りゲットできない。
この日はハコも小さかったので、私も友達もピックをもらえて大満足。

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気をつけよう、加齢とヘビーメタル

橘高さん以外のメンバーは2020年には赤いチャンチャンコなんだそうだ。

ファンキーさんといえば、私のような中国語学習者にとっては有名な人だ。
国語学習の本も出されているし、北京在住でアジア全域で活躍されている。
おそらく今も日本と中国を行ったり来たりされているのだろう。
移動距離が長いのって、一番体力が奪われるパターン。
それでいてこのパワフルなドラム。
このケンタッキーフライドおじさんはどんだけアスリートなの!?

人間って加齢とともに声が低くなるはずなのに、二井原さんの声も相変わらずのハイトーン。
声量だってハンパない。

ミュージシャンは体力勝負なところがありそうだから、ある一定の年齢をピークに能力が落ちそうな気がしていたけれど、どうやら逆みたいだ。
年齢を重ねるごとにうまくなるものなの!?と驚いてしまう。

老いて益々盛ん…って、三国志黄忠かよ!


だがしかし。

一方、ステージと違って客席は…。


私自身は胃腸の不調がまだ続いていて、お腹を押さえながら目を瞑ってヘッドバンキングをしているようなテイタラク。
頭を振るから余計に気分が悪くなるのか、オールスタンディングで貧血を起こしているのか、食べてないから血糖値が下がっているのか…。
理由はわからないけれど、気分が悪いのを耐えながらライブを楽しんでいた。


筋肉少女帯もたいがい男性客の多いバンドだけれど、X.Y.Z.→Aはそれ以上。
いやそれも、年齢が筋少よりも10歳は年上。
偶然かもしれなけど、私の周りにいたのが年配の男性ばかりで、手を挙げるごと、頭を振るごとに加齢臭が漂ってくる気がした。


まだ30代半ばの友達が、
ヘビーメタルなのに年齢層高めって珍しいよね」
と言うので、
ヘビーメタルだからだよ!若者はヘビメタなんて聴かないんだよ!」
と私は反論。
10代20代のお客さんがやってくる筋少のほうが特異なんだと私は思う。


それで思い出したのが、数年前に何かの雑誌で読んだ「モーターヘッドのライブで脳出血」という記事のことだ。

kenko100.jp

あり得るあり得る!
絶対日本でもあるって、これ!!


私はもともと側弯症で骨が歪んでいるから、ヘッドバンキングをするとすぐに頚椎がずれてしまう。
自覚しているから、ほどほどに、自制しながらやってる。
(そもそも、本気でヘドバンしてたらステージが見られなくなるから好きじゃないってのもあるし。)

けれど、普段ライブ慣れしていないおじさんが、「久々に」「煽られて」「調子に乗って」やっちゃうと、かなり危険なんじゃないか。


うちの父は2回脳梗塞をやって週3回リハビリに通っているけれど、そこのリハビリで友達になった人のほとんどが脳梗塞脳出血だと言っていた。
太く短くロックに生きる!っていうのは理想だけど、現実は助かっちゃってリハビリ通いながら老後を長らえてしまうんだよ。

ロックと健康を考える、だなんて。
高齢社会ともなると、とんでもない時代になってしまった。