3歩前のことを忘れる女のサブカルと介護の記録

神戸に住む40代波野なみ松の、育児と趣味と要介護両親の対応に追われる日々の記録。

1ヶ月健診と産後うつチェック

先日の水曜日、ようやく1ヶ月健診が終わった。

実際はもう2ヶ月なんだけど、なぜ1ヶ月健診かというと、退院してから2週間後に2週間健診、それから1ヶ月後なので1ヶ月健診、というわけだ。

2週間入院していたから、ほかの赤ちゃんより2週間遅い。

 

私は順調に回復したということで、これでもう産婦人科の診察は終了。

サトイモも小さいながらも順調に発達していて、どこも問題なし。

せっかくの機会なので、赤ちゃんの手足が冷たくて腕や脚に網目模様が出ることとか、ミルクを吐き戻しするときに粘っこいものを吐くことがあることとか、ミルクの量を増やすタイミングはどういうときなのかとか、おっぱいの先のほうばかり吸われるので乳首が痛いこととか、普段気になっていることをここぞとばかりに質問した。

たいていは、「そんなもんです、大丈夫です」であしらわれたのだけど、ミルクの量についてだけは、

「楽に飲みきれるようになって、次に欲しがるまでに間隔が短いようなら量を増やしてみてください。増やしてみて、次に欲しがるまでの間隔が長く空くようなら元に戻す、というように、様子をみながらコントロールしてみてください」

と小児科の先生にアドバイスをもらい、すごく参考になった。

こうやって書いてみると当たり前の話みたいに思えるけど、当事者だと判断がつかない。

こうやって話がきける機会があってよかった。

 

不安と恐怖の中身

健診で毎回書かされる問診票がある。

産後うつのチェックのためのもので、下記のサイトと同じ項目だ。

 

私は全く問題ないし大丈夫だけれど、

「はっきりとした理由もないのに不安になったり、心配したりした。」

と、

「はっきりとした理由もないのに恐怖に襲われた。」

にいつも「ほとんどそうではなかった」をつけている。

 

そうすると、のちほどヒアリングがあって、

「どういうときに不安になるんですか? どういう不安ですか?」

と尋ねられてしまう。

 

「この子が重い病気になったり事故にあったらどうしよう、とか、災害や戦争が起きたらどうしよう、とかです」

と答えると、

「子育ての不安じゃなくて?」

と毎度不思議がられる。

 

「恐怖もそうですか?」

「そうですね、寝る前にふと、拷問を受けたらどうしようとか、こんな死に方は嫌だ、とか考えると怖くなるんですよね」

「子育てではなく?」

「子育てではなく。」

するとたいてい、産後うつとは関係ないな、と判断されるようで、前のめりに尋ねていた姿勢が元に戻る。

 

かといって、子育てと本当に無関係か、というとそうじゃない。

これまで自分一人を守るだけだったのが、子供を守らないといけなくなった。

だから、災害や戦争がより怖くなったのだ。

 

戦争末期の沖縄の話だったか、防空壕にたくさんの人数が隠れていたとき、赤ちゃんが泣き出した話を思い出す。

声がもれると隠れ場所がアメリカ兵にばれてしまうということで、周囲に強要され、お母さんは泣きながら、濡れたハンカチで赤ちゃんの口を押さえて窒息死させたという…。

もし自分がそんな立場になったらどうしよう…、と想像しただけで怖くてたまらない。

 

昔、貧しい農村で行われていたという間引きもそうだ。

それをしなければならなかった母親たちは、どんなにつらかっただろう。

 

ほかにも、「子供を助けるためには拷問されても決して口を割らないで耐えることができるだろうか」とか、「子供を助けることと引き替えに毒を飲むように強要されたら飲めるだろうか」、なんて考えてみたりすると恐怖に襲われる。

考えなかったらいいだけなんだけど。

 

「映画なんかでそういうシチュエーションってあるじゃないですか」

と言うと、

「映画がお好きなんですねぇ」

と感心されてしまった。

 

子供を守れるかどうかが不安だし、守れなかったときのことが恐怖なのだ。

 

「子供を守る」ための現実的なことを考えたら、ダニから守るためにまめに掃除したり、紫外線から守るために外出時にちゃんとUVケアしたり、そういうことなんだろうけどね。

母親になったんだから、いつまでも映画の世界で物事を考えてちゃいけないな。

新生児訪問

全然ブログを書くような時間がとれない。

ちっちゃくて可愛らしい怪物に振り回されて、まだ自分の時間のコントロールがうまくつけられない。

睡眠不足で頭がうまく回ってないのもあるかもしれない。

 

けれど、老人介護と子育てとはどっちが大変か…、といえば、今のところは介護時代のほうがしんどかったかなぁ…。

それは、ひとつには単純に身体の大きさが違うからで、オムツ替えひとつにしても大変さは百倍くらい違うかんじがする。

今はまだ生後1ヶ月でちっちゃいから楽なだけなのかな。

 

とはいえ。

先々週くらいからサトイモがミルクの吐き戻しと夜泣きをするようになって、時間の余裕もよりなくなったし、気持ち的にも余裕がなくなった。

抱っこして揺らしていないと泣き出す。

それも、立ってないとダメ。

部屋の中を抱っこしてぐるぐる歩き回っていないといけない。

ほとほと疲れて、そっとソファに腰かけると、とたんにグズり出す。

座らせてさえくれへんのかよぉ〜っ!!

 

保健師さんが来た!

そんな折り、区役所から保健師さんが新生児訪問に来てくれた。

 

例によって、産後うつなどの傾向がないか、私の状況についてヒアリング。

そのあと、

「困っていることはありませんか?」

と言われたので、待ってましたとばかりに元気よく「あります!」と返事し、吐き戻しと夜泣きについて相談をした。

 

吐き戻しをするということは、ミルクの飲ませすぎかもしれない、と思って最近ミルクの量を控えめにしてみたこと。

すると、だいぶましになったけれど、すぐ泣き出すし、夜に泣いて暴れるようになったこと。

 

もし飲ませすぎなのだとしたら、量が明確なミルクではなく、いくら飲めてるかわからない母乳のほうだ。

泣いたらまずおっぱいを咥えさせているし、以前よりもおっぱいを咥えてる時間が長くなってきた。

思っている以上に飲めているとか?

…それにしては、搾乳しても以前と変わらなず、たいして量が取れないのはなぜ?

 

これまで自問自答して試行錯誤していたことばかり。

 

保健師さんは、持参したベビースケールで、母乳を飲む前と飲んだあとのサトイモの体重を測ってくれた。

残念ながら、サトイモの体重があまり増えていなかった。

結局母乳は搾乳したのと同じくらいしか飲めていない。

ということは、ミルクの量を減らしたうえ母乳も飲めてないから、すぐ泣くし、いつまでもおっぱいを咥えて離さなかったのだ。

「おっぱいは左右各10分くらいで切り上げて、ミルクは量を増やしてもいいと思いますよ」

とアドバイスしてもらった。

病院でもおっぱいは「赤ちゃんが疲れない程度の10〜15分で」と教わっていたのに、いつの間にかリズムが狂っていた。

出もしないおっぱいを、だらだら咥えさせて時間を浪費してしまっていたのだ。

 

「吐き戻しの原因は、十分ゲップができてないからじゃないですか」

ゲップのさせ方を見てもらい、

「もっと角度は前傾させたほうがいいですよ」

とアドバイスしてもらった。

一人でやっていたら、なかなか気付かない。

 

画像は、胸囲を測ってもらって泣き出すサトイモ

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夜泣きは続く…

保健師さんにアドバイスしてもらったように授乳の時間やゲップのさせ方を改善してみると、夜泣きも吐き戻しもずいぶんマシになった。

新生児訪問は本当にありがたかった。

こういう公的制度が無料で行われている日本っていい国だなぁ、としみじみ思う。

ヨーロッパとかにはもっと充実してる国もあるだろうけど。

 

マシにはなったけれど、日によってはまだまだサトイモの夜泣きは続行中。

いつになったら、ゆっくり横になって眠れるんだろう。

初孫初対面

こどもの日の一昨日、出産後初めて実家に帰った。

チャイルドシートを買って、夫に車で連れて行ってもらったのだ。

約1ヶ月と1週間ぶりの実家。

玄関を開けると、びっくりするほどタバコ臭かった。

 

「ただいま!」

とフルボリュームで声をかけるものの、父は出てこない。

「帰ったよ!赤ちゃん連れてきたよ!」

リビングを覗くと、父がのっそりと立ち上がろうとしているところだった。

立ち上がることすら困難なのである。

「えっ?!そんなに脚動かへんの?」

「そうなんや。さっぱりわやなんや」

 

父の脚は驚くほど悪化していて、家の中を移動するのもやっと、という状態になっていた。

幸い、母の介護のために家の中はバリアフリーで至るところに手摺がついているので、なんとか歩けてはいる。

 

私たちは唯一タバコの毒に犯されていない和室に陣取って、買ってきたお惣菜などのお昼ご飯を広げた。

「少し多目に買ってきたから、お父さんもちょっと一緒に食べたら?」

と勧めたが、

「今日は弁当もう食べたんや」

と言って、座に加わらない。

足が悪いので、畳が無理なのはわかるけれど、だったらイスを持ってくれば済むことだ。

なのに、父は和室に入ろうともせず、よたよたと玄関に向かっていった。

「ちょっとちょっと! どこ行きよん?」

「新聞取ってくるんや」

 

せっかく連れてきた孫のサトイモをちらっと見ただけで、父はポストへと歩いて行った。

新聞を取り、そのまま玄関でタバコをふかしはじめた。

 

孫との対面をさぞや楽しみにしているだろうと思っていたのに…。

しかもタバコ!!

「何よ、あれ!」

と憤慨する私に、夫は父をかばってみせた。

「足が悪いのをあんまり見せたないんやろ」

男性だからこそ気持ちがわかるものがあるのかもしれない。

 

父のケアマネさんから数日前に電話を受けており、父の調子が悪いことは聞いていた。

脚が動かないせいで、トイレに間に合わず、廊下もしくはトイレの中で漏らしてしまっていることも知っている。

それで、先日からヘルパーさんの日数を増やしてもらい、掃除もお願いすることになった。

ヘルパーさんが来てくれているおかげで、久しぶりの実家でもびっくりするような汚さではない。

父一人だったら、もっと無惨な様子になっていただろう。

けれど、いろんな場所、いろんな物が劣化していた。

何がどうというわけではないけれど、家の中のすべてが色褪せてしまっていた。

 

母の病院へ

赤ん坊サトイモのオムツ替えと授乳を済ませたあと、父も伴って母の病院へ出掛けた。

2週間健診のとき小児科で、

ゴールデンウィークに、母が入院している病院へ赤ちゃんを連れて行きたいんですけど大丈夫でしょうか」

と尋ねたら、小児科の先生はこんなふうに言った。

「そうですねぇ、たくさんの人がいる場所は避けたいので、赤ちゃんを病室まで連れていかないほうがいいですね。知らないおばちゃんたちが寄ってきて、『抱っこさせて〜』って触られるのは、病院あるあるですからね〜。可能なら、お母様に駐車場まで出て来てもらうとか」

 

そのアドバイスを受けたあと、母のケアマネさんに、

「母を車イスに乗せて、駐車場まで連れ出せないかと考えているのですが」

と相談したら、わざわざ病院に連絡してくれて、許可を取ってくれた。

まだ担当ケアマネではあるけれど、もう介護サービスは受けてないのに、親切にしてもらって本当に感謝しかない。

 

事前にそんなふうに話がついていたので、私が病棟を訪ねると、看護師さんがリクライニングの車イスを貸し出してくれて、二人がかりで母を移乗させてくれた。

 

「お母さん、なみ松が来たよ!」

と声をかけると、母は、

「あああ〜」

と声を出して破顔した。

笑顔でも泣き顔でもないから、「破顔」という言葉がぴったり来る。

ウェットティッシュで目ヤニなどの汚れを拭き取って、車イスを押して病棟を出ると、入り口でサトイモを抱いた夫と父が待っていてくれた。

 

病棟の玄関には大きな桜の木があって、前回3月に訪れたときはちらほらと開花が始まっている頃だった。

今は葉っぱが青々と繁っている。

その代わり、垣根にはたくさんの鮮やかなツツジが咲いていた。

 

桜の木の葉陰で、母にサトイモを見せた。

「待ちに待った孫さんだよ〜」

わかっているのかどうかわからないけれど、母はああ〜、と声を出した。 

 

サトイモはクルマに揺られてすっかり眠りについていて、ちっとも目を開けてくれない。

サトイモは目をつぶった顔のまま、記念写真を撮った。

 

大切にしてくれる人の不在

記念撮影をしたあと、母はすぐ病室に戻した。

母をベッドに戻してもらったあと、母の身体の様子をチェックした。

 

あんなにすべすべだった母の顔はカサカサになり、小じわができていた。

腕も足も、皮膚が乾燥して粉をふいている。

唇も固くなって、皮がめくれてしまっていた。

気になるところにクリームを塗りながらマッサージすると、どこもましになったようだった。

 

皮膚のカサカサなんて、たいした問題じゃないだろう。

でも、肌のうるおい不足は、「大事にされて」いれば解消される。

 

老人はすぐに肌がカサカサになって、乾燥から痒みがでたりする。

そういうこともあって、介護施設の小規模多機能では持参したボディローションを塗ってくれていた。

病院では、そんな無理を言えない。

父に言っても、リップクリームすら塗ってくれない。

母を大切に思って、手入れをしてくれる人がいなくなったことが寂しかった。

 

それ以上に、左の手の甲の全面に青アザがあり、左ひざは包帯が巻かれていた。

サトイモたちを待たせているので、原因などを尋ねる時間がなかったけれども、不注意でぶつけられたのではないか。

 

病院の転院先を選んでいたとき、ケアマネさんから、

「娘さんが無理なく通える神戸の病院か施設、ということは考えられませんか?」

と提案してもらっていた。

そのときは、

「父が通える範囲の地元のほうがいいと思うんで」

と全く考慮しなかった。

 

けれど、父が通えなくなったら、母を地元に置いておく意味がない。

落ち着いたら、母を神戸に呼び寄せよう。

状況は刻々と変わる。

泣き虫ママ

入院中も退院後も、何人かの友人や同僚がお見舞いに来てくれた。

中でも今週の月曜日は一番にぎやかで、大学時代の友達たちとその子供たちがベビーグッズのお古を持ってきてくれた。

2歳と4歳のお嬢さんたちは、これまでちっちゃい赤ちゃんに思えていたのに、うちの赤ん坊と比べるとすっかりお姉さんに見えた。

この子たちが、

「赤ちゃんかわいいね〜」

と言ってくれると、大人たちが言うよりも数倍うれしかった。

でも、最初その子たちは、うちの赤ん坊を見て開口一番、

「サトイモ〜!!」

と叫んだのには笑ってしまった。

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確かにサトイモ!!

これから、ブログではうちの赤ん坊のことをサトイモと呼ぶことにしよう。

 

「これからもお古をどんどんもらえるよ。それが高齢出産の旨味やから」

と言われたけれど、確かにそれは実感する。

至るところに先輩ママ。

ありがたや、ありがたや。

 

新居でも、これまで同様うちは通い婚状態で、ほとんどの日は私とサトイモの二人で暮らしている。

たいして困ることはないけれど、赤ん坊を沐浴させるのは一人では怖くて、常に誰かに手伝ってもらっていた。

二人いれば、お風呂場で洗う人と、脱衣所で乾いたバスタオルを持って待ち構える人に分担できる。

というか、二人いないと難しいなぁ、と思っていた。

 

それが、いただいたバウンサーのおかげで、赤ん坊の沐浴を一人でさせるのも楽勝になった。

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それまでは、お風呂上がりの濡れた赤ん坊を、バウンサーに置いたバスタオルの上で拭けばよい。

道具さえ揃ったら、ワンオペ育児も怖くない。

 

2週間健診

昨日は2週間健診だった。

私は産婦人科、サトイモは小児科を受診する。

私の産後回復もサトイモの発育も、問題なく順調。

強いて言うなら、サトイモの右目に目やにがひどいことくらい。

神戸市の子育てメールマガジンによれば、


これは、鼻涙管閉鎖(びるいかんへいさ)または狭窄(きょうさく)と言われるもので、片方の目だけがなることが多いです。でも、まれに両目のこともあります。軽い場合は目頭(めがしら)のマッサージで治ります。自然に治るケースも多いですが、「うちの子、そうかな?」と思ったら、1か月健診や小児科で相談してみましょう。

ということらしい。

なので、今日は小児科の先生に相談して、目薬を出してもらった。

 

健診では、身体のことだけではなくて、母親のメンタル面についてもかなり突っ込んでヒアリングされた。

ひっかかってしまったのが、

「子育ての協力者はいますか」

という点で、

「ご実家のご両親はいかがですか?」

と尋ねられると、どうもつらいものがあった。

 

うちのサトイモは大人しい子で、今のところさほど手はかからない。

家事を自分でするのも、体調はだいぶ回復しているのでそれほど苦でもない。

買い物は基本的に配偶者がしてくれるし、友達が買ってきてくれたりもする。

だから、別に両親がいなくたって何も困らないのだ。

 

けれど、ときどき、

「普通の若いママたちは、実家でお母さんに甘えられるんだな」

と思うと、どうにも切なくなる。

うちの母が、どんなにか母になった私と赤ん坊の世話をしたかっただろうと思うからだ。

まだ母が元気なときに、こんなふうに常に口にしていた。

「あんたが赤ちゃんを産んだら、お母さんが全部面倒見てあげるからね。そやから、安心して、早う子供産み」

それに対して、私はいつも、

「子供なんか産まへんし、結婚もせぇへんし」

と反発ばかりしていた。

今になってこんなことになって、母に申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

母が元気だったなら、私だって甘えてみたい。

みんな親切に助けてくれるけど、私自身が心の底から遠慮なくすがれるのは、結局母だけだからだ。

 

今、病院で寝たきりでいる母を思うと、小児科の先生を前に涙がこぼれてしまった。

ホロリ、とこぼれだすと、堰を切ったようにボロボロ止まらなくなって、

「すみません、すみません、ティッシュもらいます」

と鼻をかみ、泣き続けた。

「いいんですよ。どうしても産後はホルモンバランスが崩れて、コントロールできなくなりますからね」

と言いながら、優しい女性の小児科医は、困ったなぁ、と言う表情を見せた。

「睡眠不足だと気持ちも弱ってしまいますから、できるだけたくさん寝てくださいね。食事も多目に摂ってください」

 

診察室を出て会計を待っていても、涙腺が弛みっぱなしでコントロールできない。

西田敏行並の、いやそれ以上の泣き虫になってしまった。

これはいつか治るんだろうか。

 

父の栄養失調

あんなに孫を見たがっていた父だったけれど、私たちが病院にいる間に面会には来なかった。

今日で息子が生まれて29日目になるけれど、まだ父は孫の顔を見れていない。

 

思いがけず出産することになったので、父には生まれてしまってからメールを送った。

それに対する返信がこれ。

「おめでとう。元気ですか。部屋掃除する」

…どういう脈略で部屋を掃除するのかよくわからなかった。

孫が来たときのために掃除する、ということかなと思うけれど、帰省できるのはまだまだ先だ。

 

その後、電話で連絡をすると、

「また駅員に迷惑をかけたらあかんから、神戸に行くには誰かについてきてもらおうと思とんや」

と殊勝な心がけを口にした。

父の妹の夫(私にとっては叔父)についてきてもらう約束をしているらしい。

けれど、自営業だった叔父は引退した今でも何かと忙しくて、なかなか時間が取れないという。

「しばらく病院にいるから、急がなくても大丈夫だよ」

と言っているうちに、2週間の入院は終わり、退院が決まっても父は来る気配がなかった。

 

「来るなら日を決めて、連絡してから来てよ。いきなり来んとってよ」

と、これまでの父の悪しき行動パターンから私は非難がましく電話したら、

「ちょっと足の調子が悪いんや」

と、父にしては珍しく素直に不調を訴えた。

 

その間も、父はちゃんと母の病院には通ってくれており、お見舞いに行った日には、

「今病院。お母さん元気。ミライくんの写真見せたらウンウン言った」

「お母さん寝ていた。オイと言っても起きない。洗濯物持って帰る」

などなど、メールで様子を送ってくれていた。

心配していた洗濯物も、小さい失敗(よごれ物と洗濯済みの区別がつかなくなるなど)はあるものの、なんとかこなせているようだ。

推奨したコインランドリーは、

「トイレがない使えない。ションベンしたくなったら困る」

との理由で拒否のメールが届いた。

その場で待たなくても喫茶店でも行けばいいって教えたのに…、とは思うけれど、言うだけムダだと思ったので、黙認した。

家でちゃんと洗濯できているなら、それでいいんだし。

 

ケアマネさんからの間違い電話

なんとか父は父でうまくやってくれている、と思っていたところ、父のケアマネさんから電話がかかってきた。

「ごめんなさい、お父さんの携帯と間違ってかけてしまいました。こちらは娘さんの番号でしたね」

と言う。

父のケアマネさんは今年2月に替わったばかりで、まだあまり慣れていない。

前のケアマネさんの引き継ぎのときに、1度だけ会っただけだ。

「何かありましたか?」

「実は最近、お父さんリハビリを休みがちで。今日も先ほどお休みの電話連絡があったそうなんで、様子をうかがおうと思いまして」

初耳である。

理由は足の調子が悪いから、ということらしい。

足が悪いから通ってるリハビリなのに、本末転倒だ。

 

時間をおいてから、様子を尋ねようと父に電話をしてみた。

「リハビリを休みがちらしいやないの。どないなん?」

と尋ねると、

「お父さんな、大失敗してもうた」

と言う。

また転倒してケガをしたり、車をぶつけたりしたんじゃ?!と心配になり、

「一体何を失敗したん?!」

と肝を潰した。

 

「テレビでな、コレステロールを下げる、いう薬をやっとったから買うたんや。4日飲んでな、どうもあれを飲んでから足の調子が悪なったみたいや。高かったのに損した」

 

なんだそんなことか!

「だいたい、なんでコレステロールを下げる薬なんか買うたん?」

「電話で注文するとき訊いたら、コレステロール下げたら脳梗塞にも効く言うたんやけどな」

コレステロールの値が高い人にはそうかもしれんけど、お父さんコレステロールの値は高くないでしょう? 関係ないやん?」

「そうか…」

 

父は、足の調子が悪くなったのはそのコレステロールを下げる薬(父は薬と言っているけれど、おそらくは健康食品)のせいだと言いはった。

またテレビの宣伝にだまされた、と。

 

おそらくは低栄養

私が思うに、コレステロールの薬は原因じゃない。

おそらく、食事をちゃんと摂っていないせいで、父は低栄養状態になっているんだと思う。

母が入院してから、父はセブンイレブンの宅配弁当をやめてしまった。

宅配に来る時間に、病院に行っていて不在の日が続き、配達担当者から小言を言われたのだ。

時間の管理ができない父が悪いのだけど、すねてしまって、

「味も飽きたし、もういらん」

と言い出してしまった。

病院の帰りにスーパーで買ったり外食したりするから大丈夫、と言うので、それを信じて私も注文をストップしてしまった。

結局、何も大丈夫ではなかったのだ。

 

私が毎週帰っていたときには、一応私が食事を作っていた。

だから、曲がりなりにも週末はちゃんとした食事を食べていたのだけど、それも私が帰れなくなって途絶えてしまった。

 

きっと、1日1食、それもインスタントラーメンばかり食べているに違いない。

そんな低栄養状態で、コレステロールを下げたら、調子も悪くなるに決まっている。

 

本人に言うと、

「栄養失調かなぁ」

と自覚たっぷりに呟いた。

昔の人間は「栄養不足」でも「低栄養」でもなく、「栄養失調」という言葉のチョイス。

 

そこで、宅配弁当の再開をすすめたら、しぶしぶ了承してくれた。

リハビリがある日、週に3回だけならさほど飽きないだろうし、病院に行っていて不在ということもないはずだ。

お弁当の種類は、工夫していろんなものを選ぶようにする。

 

「リハビリも休まずに行くように」

としつこく言い聞かせた。

「わかっとんやけどな。どうもあかん」

栄養が足りてないせいで、父の言葉は覇気がなかった。

 

母の病院に行ってもらってるだけありがたいけれど、父にはもう少し自分の体調管理もできるようになってもらいたい。

こっちは赤ん坊を抱えて手一杯なのに。

お爺さんの面倒までみきれない。 

今日がいつなのかわからない日々

産科の病院には、結局18日間入院した。

通常は5日で退院するので、想定外のロングステイとなった。

 

赤ちゃんのことは何もかもわからないことだらけで、病院にいたからこそ、ちょっとしたことでも看護師さんや助産師さんに相談することができたし、毎日小児科医の診察と説明があったので安心できた。

しょっちゅうクシャミをするけれど寒いのではないか、とか、ずっと右目だけ目やにが出ているけど大丈夫か、とか、睾丸の下の皮膚がめくれているけれど痛くないか、などなど。

「退院後は、どんなことでも気軽に電話で相談してもらったらいいですからね」

と看護師さんたちは言ってくれたけれど、クシャミや目やにみたいなことで、いちいち電話をかけられない。

だから、病院にいて雑談の中であれこれ話が聞けたことはラッキーだったと思う。

逆に、たった5日で赤ちゃんと二人きりの生活にさせられたら、どんなに不安だっただろう。

 

寝なくても大丈夫だなんて

「やっと家に帰れますね」

と看護師さんたちは言ってくれたけれど、入院中に引っ越しをしたので、新居は「帰る」という感覚ではなかった。

今日で6日目になるけれど、まだ仮住まいのような心持ちだ。

その理由は不慣れさや身の回り品がまだ段ボールから出てない不自由さだけではなくて、3時間おきに授乳する朝も昼も関係ない生活リズムのせいが大きい。

1日の区切りがあいまいなうえ、ずっと家の中に閉じこもっていると、今日がいつなのか何曜日なのかわからなくなってくる。

 

授乳の合間に1時間くらいの睡眠を3回くらい取れるかどうかという日々。

母乳を飲ませたり搾乳したりするためにずっと自分の胸を見ているので、首がおかしくなったり肩がこったりで、とうとう喉が赤く腫れてしまった。

でも、その程度である。

たった3時間前後の睡眠で20日間以上過ごしてて、それでも元気でいられるなんて。

少し睡眠不足が続いただけですぐ風邪をひいて寝込んでしまっていた私なのに、こんなこと考えられない!

自分でも驚いたことに、ほんの小1時間でも眠れればずいぶんスッキリ回復する。

授乳時間に起きられるようにスマホで目覚ましをかけていても、それまでにハッとなって赤ちゃんが気になり起きてしまう。

きっと、子供を産んだ母親特有のホルモンか何かで身体がそうなっているんだろう。

 

それでも、眠い…。

あれこれ、山ほど出来事があって、できれば記録を残しておきたいと思うけれど、ブログを書いてる時間があるなら眠りたい…。

今は、育児記録を書いておくだけで精一杯。


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そうそう、この育児記録をつけているノートは、いわゆる「神戸ノート」である。


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同じ兵庫県でも播州で育った私は、子供時代、普通にジャポニカコクヨなどのノートを使っていた。

まあそれが全国的に当たり前だと思う。

ところが、神戸の子供たちだけは、昔から現在にいたるまで、神戸ノートという地域限定のノートを使っている。

それが当然だと思っているから、神戸の人たちは恐ろしい。

それを知ったとき衝撃を受けて、大人のくせに面白がって神戸ノートを購入したものの、使い道がなくて新品のまま置いていたのだった。

ここにきて使い道ができ、陽の目を見た神戸ノート。

まだ赤ん坊のうちの息子も、あと7年もすれば神戸ノートを使うようになる。

そう思うと感慨深い。

出生届を出しに行く。

赤ん坊の黄疸の光線治療が終わった日からは母子同室になったものの、赤ん坊は「ミルク飲み」、母親の私は「母乳出し」のトレーニングの日々が続いている。

頑張れ頑張れと励まされながら無理やり目標の量を飲まされる息子は、本来ならまだ妊娠36週目の胎児だった。

お腹にいたなら、何もしなくても胎盤から栄養が送り込まれ、肺呼吸もせず、羊水の中で快適な環境だったにもかかわらず、うっかり生まれてしまったがために、自分で息をし、自分でミルクを飲まないといけない。

自立心が半端ない。

嫌そうにミルクを飲む息子に、

「そうまでして早く生まれなくてもよかったのに」

と私が言うと、授乳のアドバイスをしてくれる助産師さんは、赤ん坊の小さい手を握りながら、

「どうしてもその日に生まれたかったんだよね〜」

と言ってくれた。

そう言われてみれば、きっと何か意味があって出てきたんだろう、という気がする。

 

息子の名前のこと

私の産後の入院は一区切りついて、あとは息子の付き添い入院ということになった。

外出したければ、ナースステーションに届を出せば外へ出られる。

それで、授乳と授乳の合間をぬって、区役所へ出生届を出しに行くことにした。

 

息子の名前は「みらい」にした。

直感的に、配偶者と二人で決めた名前だ。

 

英会話教室に通っていたとき、先生から、

「日本人の名前にはそれぞれ意味がある、と言うけれど、これまで生徒に名前の意味を尋ねてもみんな『特に意味はない』って答えるんだ。一体どうなってるんだ」

と言われたことがある。

私の名前も字画がよかったから付けられただけで、特に意味はない。

だから、息子が海外に出たときに、

「I am the future!」

と自己紹介でツカミができたらいいなぁ、なんて考えた。

 

名付けについては何一つ迷わなかったけれど、出生届を書いていると、

「これを出せば、この子の名前が正式に決定してしまうのだな」

と緊張してしまった。

覚悟を決めるためにも、母子手帳にある名付けのページを埋めた。


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ふと、どうしても息子にこの言葉を贈りたくなった。

明日世界が滅びるとしても

今日あなたはリンゴの木を植える

これは、配偶者が好きな小説家の開高健が好んで使っていた名言で、もとはマルティン・ルターの言葉らしい。

書きながら、その言葉をかみしめていると、なぜかものすごく感動してしまって、涙があふれて止まらなくなった。

悲しいわけでも、うれしいわけでもないのに。

 

産後のヒダチは…

区役所はさほど遠くなく、病院の看護師さんたちからも、

「ゆっくり外出を楽しんできてください」

なんて言われたけれど、いざ出かけてみると、妊婦以上にノロノロとしか歩けず、ひどく疲れてしまった。

産後まだ10日にもなってないのに、うろうろするには早かったかも。


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行き帰りに、散り行くばかりの桜を見た。

急に破水して出産・入院するまでは、まだ咲き始めたばかりだったのに、病院にいるうちにすっかり盛りを過ぎてしまった。

これからは桜の時期になるたびに、息子が生まれたときのことを思い出すかもしれない。