3歩前のことを忘れる女のサブカルと介護の記録

神戸に住む40代波野なみ松の、育児と趣味と要介護両親の対応に追われる日々の記録。

1ヶ月健診と産後うつチェック

先日の水曜日、ようやく1ヶ月健診が終わった。

実際はもう2ヶ月なんだけど、なぜ1ヶ月健診かというと、退院してから2週間後に2週間健診、それから1ヶ月後なので1ヶ月健診、というわけだ。

2週間入院していたから、ほかの赤ちゃんより2週間遅い。

 

私は順調に回復したということで、これでもう産婦人科の診察は終了。

サトイモも小さいながらも順調に発達していて、どこも問題なし。

せっかくの機会なので、赤ちゃんの手足が冷たくて腕や脚に網目模様が出ることとか、ミルクを吐き戻しするときに粘っこいものを吐くことがあることとか、ミルクの量を増やすタイミングはどういうときなのかとか、おっぱいの先のほうばかり吸われるので乳首が痛いこととか、普段気になっていることをここぞとばかりに質問した。

たいていは、「そんなもんです、大丈夫です」であしらわれたのだけど、ミルクの量についてだけは、

「楽に飲みきれるようになって、次に欲しがるまでに間隔が短いようなら量を増やしてみてください。増やしてみて、次に欲しがるまでの間隔が長く空くようなら元に戻す、というように、様子をみながらコントロールしてみてください」

と小児科の先生にアドバイスをもらい、すごく参考になった。

こうやって書いてみると当たり前の話みたいに思えるけど、当事者だと判断がつかない。

こうやって話がきける機会があってよかった。

 

不安と恐怖の中身

健診で毎回書かされる問診票がある。

産後うつのチェックのためのもので、下記のサイトと同じ項目だ。

 

私は全く問題ないし大丈夫だけれど、

「はっきりとした理由もないのに不安になったり、心配したりした。」

と、

「はっきりとした理由もないのに恐怖に襲われた。」

にいつも「ほとんどそうではなかった」をつけている。

 

そうすると、のちほどヒアリングがあって、

「どういうときに不安になるんですか? どういう不安ですか?」

と尋ねられてしまう。

 

「この子が重い病気になったり事故にあったらどうしよう、とか、災害や戦争が起きたらどうしよう、とかです」

と答えると、

「子育ての不安じゃなくて?」

と毎度不思議がられる。

 

「恐怖もそうですか?」

「そうですね、寝る前にふと、拷問を受けたらどうしようとか、こんな死に方は嫌だ、とか考えると怖くなるんですよね」

「子育てではなく?」

「子育てではなく。」

するとたいてい、産後うつとは関係ないな、と判断されるようで、前のめりに尋ねていた姿勢が元に戻る。

 

かといって、子育てと本当に無関係か、というとそうじゃない。

これまで自分一人を守るだけだったのが、子供を守らないといけなくなった。

だから、災害や戦争がより怖くなったのだ。

 

戦争末期の沖縄の話だったか、防空壕にたくさんの人数が隠れていたとき、赤ちゃんが泣き出した話を思い出す。

声がもれると隠れ場所がアメリカ兵にばれてしまうということで、周囲に強要され、お母さんは泣きながら、濡れたハンカチで赤ちゃんの口を押さえて窒息死させたという…。

もし自分がそんな立場になったらどうしよう…、と想像しただけで怖くてたまらない。

 

昔、貧しい農村で行われていたという間引きもそうだ。

それをしなければならなかった母親たちは、どんなにつらかっただろう。

 

ほかにも、「子供を助けるためには拷問されても決して口を割らないで耐えることができるだろうか」とか、「子供を助けることと引き替えに毒を飲むように強要されたら飲めるだろうか」、なんて考えてみたりすると恐怖に襲われる。

考えなかったらいいだけなんだけど。

 

「映画なんかでそういうシチュエーションってあるじゃないですか」

と言うと、

「映画がお好きなんですねぇ」

と感心されてしまった。

 

子供を守れるかどうかが不安だし、守れなかったときのことが恐怖なのだ。

 

「子供を守る」ための現実的なことを考えたら、ダニから守るためにまめに掃除したり、紫外線から守るために外出時にちゃんとUVケアしたり、そういうことなんだろうけどね。

母親になったんだから、いつまでも映画の世界で物事を考えてちゃいけないな。