3歩前のことを忘れる女のサブカルと介護の記録

神戸に住む40代波野なみ松の、育児と趣味と要介護両親の対応に追われる日々の記録。

お見舞いという休日

主治医から母の面会許可が降りたとき、私はサトイモを連れて二人で行くつもりだった。

JRとバスを乗り継いで行く公共交通機関の旅。

三連休だし、夜はいっそ実家に泊まろうか、と考えていた。

 

ところが、サトイモの体調が全然良くならない。

これではお見舞いに行くにしても病院は入れてくれないどころか、出かけないで寝てないといけない状態である。

 

仕方ないので、最終手段であるお姑さんにSOSを出した。

最初は、

「土曜日はあかんわ、うち病院行かなあかんねん。マンションの配管洗浄も来るし」

と断られたが、

「ちょっと待って、病院は別の日に行ったらええことやし、配管洗浄はサトイモくんここへ連れてきて見とったらええだけのことやし、よし、かまへんよ!土曜日の朝に迎えに行ったらええんやな!」

と一人で撤回して一人で段取りして決めてくれた。

本当にいつも頼りになるお姑さんである。

 

ただ、

「なみ松ちゃんのお母さんもあれやなぁ、会いに行ってもわからんのやろ?うちやったらそんなん絶対嫌やわ。元気なうちに早う死にたいわぁ〜。子供に迷惑かけたないわ」

と、余計なことを言う。

誰だって、うちの母だって、そう思っていたし、思っているだろう。

寝たきりで長らえたい人なんていない。

ピンピンコロリが理想なのは誰だってそうだ。

ましてや、子供に迷惑をかけたい親がいるだろうか。

だけど、そうできないのが病気というものであり、今の医療なのだ。

 

お姑さんにそんなふうに言われて、非常に傷ついた。

母の気持ちを考えると悔しくて悲しくて、やりきれなかった。

お姑さんは苦労人で、私は基本的に超リスペクトしている。

だけどこのときだけは、

「そういうとこだぞ!言われたほうの気持ちも考えろ! 」

と電話をガチャ切りしたくなった。しないけど。

 

迷惑かけたりかけられたり

子供に迷惑をかけたくない、と親の立場で人は語るが、私は母に迷惑をかけられたなんて思っていないし、思ったこともなかった。(父に対しては思っているが。)

 

介護をしていたとき、母はよく、

「トイレの世話までしてもうてごめんな」

と謝った。

そういうとき私はたいてい、

「赤ちゃんのとき散々お世話になったからね」

と答えたものだ。

すると決まって母は、

「赤ちゃんの世話をするんは当たり前や、自分が産んだかわいい子供やもの」

と言った。

 

自分が産んだ子供だから世話をするのが当たり前。

最近、むしろ私は子供であるサトイモに対して、「迷惑さ」を感じている。

制御不能のお手上げ状態だ。

どうすれば制御できるのか、解決の糸口がないか本や動画を見たり、幼稚園や発達支援教室の先生、ファミリーサポートさんに相談したりして方法を模索しているけれど、全くうまくいかない。

登園しぶり、ハミガキは格闘、お風呂も格闘。

日常生活をさせようと思うと、最後は泣き叫ばれてこちらはブチ切れ。

発達障害児をワンオペで育てるというのはこういうことなのか、と思う。

 

植物パワー

お姑さんは8時半に迎えに来てくれて、サトイモを連れて行ってくれた。

私と二人で出かけるとなると、

「いやだ!いかない!おうちにいる!」

と言うサトイモが、ばあばのお迎えにさっさと応じてあっけなく家を出て行った。

 

母の面会は14時から16時までの15分間である。

もしかして、それまで私、自由?!?!

 

朝のうちはのんびりと、You Tube番組のヒルカラナンデス特別版「参院選ナンデス」の配信を見たり、AmazonPrimeで中国ドラマ『琅琊榜〜麒麟の才子、風雲起こす』を見たりして過ごす。

 

その後、電車とタクシーでまず実家へ。

父の生活の様子を見て、少し片付けをする。

一番手入れが出来ていないのが庭。

空の植木鉢のいくつかに水がたまり、ボウフラが発生しているのを処理する。

ツルバラやキウイのツルが通路を塞ぐほどになっているのを切ったり、隣家まで伸びている庭木の枝を切る。

雑草も玄関周りだけは片付けた。

にしても、前々回来たとき夫に相当伐採してもらったし、皆で草引きをしたのに、もうジャングル化している。

 

昨年くらいに、土偶は植物をかたどったものではないか、という説を説く本「土偶を読む」が話題になっていたが、本当に植物のパワーは恐るべきものがある。

母にも雑草くらいのパワーがあればなぁ、と土偶でも作ろうかと思ったり思わなかったり。

 

親子水入らず

時間になり、父の車に乗って二人で母の病院へ出かけた。

実は、父は先月、対向車とすれ違う際に左に寄り過ぎで、サイドミラーを破損していた。

車の修理は終わっているが、父の運転はもう限界である。

だから、

「今日は私が運転していくわ」

と申し出たが、

「いや、お父さんがする。一緒に乗ってみて、危ないかどうか見たらええ」

と言うので、父の運転で行くことになった。

 

明らかに、ぎこちない運転。

助手席に乗っていると、かつてとずいぶん違うことがよくわかる。

対向車が来ると、若干だが左へ左へと寄っていく。

そのことを指摘すると、

キープレフトや」

と減らず口を叩く。

無意識のくせによく言うよ。

サトイモがいたら、父の運転の車に乗ろうとは思わなかったかもしれないので、確認のよい機会になった。

早く免許を返上してもらわないと。

 

病院の駐車場につくと、

「ここで待っとくわ」

と父が言った。

「なんで?!」

「どうせお母さんしゃべらへんやろ」

「またそういうことを!」

「病室まで遠いから、歩いていくのしんどいんや」

「ほんなら車椅子を借りたらええだけやんか」

 

入口でコロナ関連の誓約書等を書いて面会の手続きをする際に、受付で車椅子を借りた。

父を乗せて私が押していく。

「車椅子は楽でええな」

父は呑気なもんである。

 

母の病室は前回とは違い、また複数病室に移っていた。

病状が落ちついたから、重症用の個室から戻ったのだ。

 

看護師たちが体交と呼んでいる、身体の向きを替える作業が終わったばかりで、母は眠っていなかった。

「お父さん、お母さんはこの状態で起きとんやで」

「へぇ、寝とんちゃうんか」

観察眼の弱い父にとって、母が起きているのか寝ているのか判断できていないだろうから教えると、やはりこれまで誤解していたようだ。

 

お母さん、お母さん、と呼びかける。

「お父さんも何か言うたげて」

と促すと、

「おい、おい」

と父。

「名前で呼んであげへんの?お母さんが『お母さん』になる前、若い頃は何て呼んでたん?」

「やっぱり、『おい』やな」

「名前で呼んであげようよ〜」

 

母に話しかけたり、イヤホンで音楽を聴かせたりしていたら、看護師がやってきて最近の病状を説明してくれた。

 

体重が30キロを切ってしまい、床ずれがなかなか治らないとのこと。

「床ずれって痛いんですよね?」

「お顔から読み取るしかないですが、苦痛の表情はないです」

「なるべく痛いとか苦しいとかがないように、よろしくお願いします」

 

「せっかく来られたんだから、写真撮られますか?」

と看護師が言った。

そんな発想はなかったので、ちょっと戸惑ったが、せっかくなので記念写真を撮ってもらうことにした。

「お父さん、もっと寄れます?」

看護師さんが父の車椅子を動かすが、母のベッドに近寄れない。

「お父さん、歩けるんやから降りたら?!」

と私が言うと、

「歩けるんですか!?」

と看護師さん。

「ほんなら立つわ」

と父。

なんで渋々やねん。

 

もしかしたら最後になるかもしれない家族写真。

3人で会うのは、サトイモが生まれて初めて見せに来た4年前ぶり。

3人だけで会うのは、さらにサトイモが生まれる前、母がこの病院に入院したばかりの頃まで遡る。

母はよく、何かというと「親子3人水入らず」

という言葉を使っていたし、「家族3人で」というと喜んでいた。

 

サトイモを連れてくることが一番の親孝行のように思い込んでいたけれど、私と父で来たのは良かったかもしれない。

 

そしてまた

病院からの帰り、気になっていた珈琲店に父と寄った。

夫の車で通る際、夫がいつも、

「ここ、何屋さん?」

と尋ねる、和風の店だ。


f:id:naminonamimatsu:20220722124216j:image

父とその珈琲店に入り、700円以上もする殺人的価格の珈琲を飲んだ。

 

そんなのんびりした休日を過ごせたのが、先週の土曜日。

昨日金曜日の午後、また病院から電話があった。

「急激に褥瘡が悪化しています。褥瘡で命を奪われるということはありませんが、これほど急激に悪化するということは残された時間が長くないことを覚悟してください」

 

今日土曜日、また病院へ行く予定だ。

今度はサトイモも連れて行く。

先週ほどのんびりはできないことを覚悟して。