遊ぶばかりで戦わず
先月からサトイモが歩けるようになって、画期的に行動範囲が広がった。
幼稚園の園庭開放に行ったり、保育園のプール開放に行ったり、近くの公園で砂場遊びデビューしたり。
普段よく歩いている商店街もサトイモにとっては大冒険。
散歩中の犬をなでさせてもらったり、勝手にギャラリーに入っていったり、あまりの興奮に奇声をあげながら走り出したり、こちらがひやひやすることもあるけれど、歩くだけで大興奮しているサトイモを見ると、私まで毎日が大冒険をしている気持ちになる。
土曜日には、近くの通りでみなとこうべ海上花火大会の花火を見た。
会場に行かなくても、ビルの隙間から十分見えた。
去年のサトイモはスヤスヤ寝てるだけの赤ん坊だったので、家の中で花火の音をうらやましく聞いているだけだった。
それを考えると、もうサトイモがほとんど幼児になっていることにしみじみする。
この夏は、毎日毎日新しい発見と新しくできるようになったたことが次々と湧いてくる。
ズーラシアンブラス&弦うさぎ
今日は初めての音楽コンサート。
ズーラシアンブラス&弦うさぎの『音楽の絵本』というコンサートで、動物さんたちが楽器を演奏してくれるのだ。
(下記動画は参考までに。)
サトイモにはできるだけたくさん経験させてやりたいし、私自身も何だって見たり聞いたりしたい性格だから、0歳児から参加OKというのでうれしがってチケットを取ったものの、最近大暴れするサトイモが不安だった。
ひと時としてじっとしていることがなく、図書館のおはなし会に行ってもずっとうろうろ。
私が抱きかかえても、お得意のローリング攻撃で逃げていく。
ホールでの音楽コンサートなんて、耐えられるだろうか…。
私がケチってサトイモの席を取らなかったのも不安を増幅させていた。コンサートの間中サトイモは私のひざの上にいないといけないので、暴れたらまたあごを頭突きされるのは必定。
しかも運の悪いことに座席はど真ん中で、騒いだとき連れ出そうにも、同じ列の何人もの人に「すみません、出させてください…」という迷惑をかなければならないのだった。
コンサートの日が近づくにつれ、気が重いなぁ…、サトイモにはまだ早かったのに失敗したなぁ…、と心配ばかりだった。
ところが。
始まってみると、サトイモは大人しくステージを眺めて、私のひざの上で大人しく鑑賞してくれた。
休憩時間には相変わらずのはしゃぎっぷりで会場内を歩き回っていたけれど、動物さんたちが出てきて音楽が始まると、不思議とじっと聴いていてくれた。
音楽の力!!
実際、それくらいズーラシアンブラスは最高だった。
もちろん小さい子を飽きさせない工夫がされているからなんだけれど、生の迫力と演奏の素晴らしさが大きかったと思う。
私はいっぺんにトランペットのライオンさんのファンになってしまった。
行きはよいよい帰りは怖い…
ステージは文句なしだったし、サトイモは大人しかったしで、私は大満足で会場を出ようとしたけれど、そこから家までが遠かった…。
まずはホールの扉を固定する床の金具に夢中になり足止めを食らった。
次はコインロッカー。サトイモは扉をひとつずつ開けて中を確認しないと気が済まない。
会場を出るまでも時間がかかったが、道を歩いている間どんなに苦労したか…。
抱っこしてもベビーカーに乗せようとしても嫌がって泣いて暴れるので、歩かせるしかない。
自分の足で機嫌よく歩くけれど、寄り道ばかりで一向に進まない。
駐車している車のヘッドランプ、他人の家の門の取っ手、マンホールのふた、ポスト、自販機の取り出し口、自転車の反射板などなど、何だって気になって寄っていき、立ち止まってしまう。止まるだけならいいけれど、逆戻りや横道も繰り返し、そのたびに「そっちじゃないよ!」と抱えて連れ戻す。
ベビーカーを押しながらだから大変だった。
とっとことっとこ歩いていくサトイモのために、先日、ハーネス付きのリュックサックを購入した。
自由に歩きたいサトイモは手をつなぐのも嫌がるので、後ろからハーネスを引いて管理するのが上策だと考えたのだ。
ところが、今日歩いているうち、サトイモがそれに気が付いてしまった。
私が紐を持っているのをやたらと怒って、紐を振り回して外すように訴える。
しゃべれもしないくせに、生意気な奴だ。
「はいはい、わかりました」
と、ハーネスをいったんリュックに仕舞うと満足して歩いている。
こっそり後ろから取り出して、気づかれないように後ろからまた紐を持って歩いていると、何かの加減でまた紐が見え、サトイモが怒りだす。
自動車や自転車などの危険から守るためにやってるんだけど、サトイモには自由を束縛されているようにしか感じないのだろう。
俺を自由に歩かせてくれ!!
1歳児には1歳児なりのプライドがあるのだ。
自由にも制限が必要とか冗談じゃねーよ!
今日は「音楽の絵本」のおかげで素晴らしい一日だったけれど、ひとつだけどうしようもなく嫌な気分になることがあった。
それはあいちトリエンナーレの中止に関する話題が取り上げられているワイドショーでのことだった。
たまたまテレビをつけたらやっていただけの、見る気もなかった番組だ。
日韓関係とか従軍慰安婦とかについても考えないわけではないけれど、それよりも私がショックを受けたのが、問題になっている慰安婦像に対する立川志らくのコメントだった。
「多くの日本人が不快に思うものを私は芸術とは思わない」
立川志らくの落語を聴いたことはないけれど、これまでなんとなく頭のいい洒落のきいた人だと思っていた。だけどとんだお馬鹿さんだ。
胸糞悪くなった。
例えば、印象派絵画の先駆者エドゥアール・マネの「草上の昼食」という作品がある。
パッと見、今の日本人でこれを不快に思う人はいないだろう。
けれど、当時はこれが批評家たちにバッシングされ、大きなスキャンダルになったそうだ。(山田五郎の話の聞きかじりだけど。)
というのも、当時女神など神話以外で女性のヌードを描くのはもってのほかで、しかもこの女性が娼婦であるのは当時の人には一目瞭然だったからだ。
当時のフランスでは多くの人がこの作品を不快に思っていた。
じゃあ「草上の昼食」は芸術ではないのか?
前衛的な作品というのは、常にそういうところから生まれて、社会に問題提起をしてきたものだ。
システィーナ礼拝堂のミケランジェロの壁画だって、あんなマッチョなキリストなんて、と当時はひどく嫌がられたそうだ。
そして最初は全裸だったのに、腰巻を上書きさせられた。
「不快なものは芸術と認めない」なんてナンセンスも甚だしい。
マネやミケランジェロは宗教上の問題で、日本の慰安婦は政治思想の問題だから、論点が違うと言われそうだけれど、自分の価値に合わないものは表現の自由を奪っていいという考えでは同じだ。
従軍慰安婦についても、日韓の国民レベルでお互いの意見をぶつけ合えばいいだけじゃないか。
なんで脅迫とかになるの??
そんな風潮が日本に広まるのが私は怖くて仕方がない。
音楽に置き換えてみたらどうか。
美しいメロディこそが音楽で、パンクやノイズは音楽だと認めない。
パンクやノイズの会場は封鎖する。出演をやめさせる。リリース中止にする。などなど。
ありえない?いや、ありえるかもしれないじゃないか。何が起きるかわからない。
いつだったか右翼芸人の鳥肌実がどっかの美術展で出演が取りやめになったということがあって、そのときも腹が立った。右とか左とかの話じゃないのだ。
どんなに醜くても、どんな思想がバックボーンにあっても、表現は自由じゃないといけない。
私オーケン心から愛しているファンだけれども、ひとつだけオーケンはダメだなぁと思う点がある。
それは政治に対する無関心だ。
ひょっとしたら選挙にも行っていないかもしれない。
政治について語るのはカッコ悪い、というようなことをかつてインタビューで話していたことがある。
80年代はそうだったかもしれないが、令和の時代にそんな呑気なことを言っていてはダメだ。このままでは政治に表現の自由を殺されてしまう。
筋肉少女帯に『これでいいのだ』という曲があって、これは冤罪をテーマにした歌なのだけれど、例えば主人公の犯した罪が「政府の悪口」だったとしたらどうかと考えると恐ろしくなる。
『これでいいのだ』を知っている人は、反政府的なツイートをした青年の話だとして聴き直してみてほしい。
テレビの男が言う
西から登ったお日様が東へ沈む
これでいいのだ
そうだ
これでいいのだ
だがしかし、だがしかし…
実際、中国ではそんな冤罪は日常茶飯事だと聞く。
茶色の朝がそこまで来ている
最近、「茶色の朝」という寓話について知った。
時間がなくてまだちゃんと読んでいないけれど、今の日本がだんだん茶色の朝に近づいているのはわかる。
もうすでに日本はどうかしてしまっている。
参院選以後もネットではおかしなニュースばかりだ。
サトイモの未来のためにも茶色い朝が来ないように戦わないといけないと思うけれど、サトイモと遊ぶのに忙して、何もしないまま日々が過ぎていく。
ちなみに、『茶色の朝』の本の挿絵を描いているのがヴィンセント・ギャロだというのが面白い。
ギャロといえば『バッファロー'66』の主演で有名だけれど、私が思い出すのは大阪のClub Dawnであったはずのライブだ。
元町高架下のバーでフライヤーを見て、
「ギャロが来るんや!行こうかな!」
と私が言うと、Club Dawnが摘発されて会場が急遽変更になったことを見知らぬお客さんが教えてくれた。
摘発理由は「音楽をかけて客を踊らせた罪」だという。
はあ???
そのときも私表現の自由についての怒りが爆発した。
表現の自由の阻害。私の怒りの沸点はいつもそこ。
今日も怒りにむしゃくしゃしたまま、このまま寝る。
けれど、また朝を迎え、何もせずに育児に追われてしまうのだろうな…。