車イス、エクステンション!
介護保険で母の車イスをレンタルし始めたのは、2014年12月のことだった。
それまで、家の中ではコマつきのイスに座らせて引っ張ったり、病院や公共施設に置いてある車イスを借りたり、だましだましやってきたけれど、完全に歩けなくなってきてからは車イスがなくてはならない道具になった。
母が病気になるまで、車イスというものに触れたこともなかった。
すごく縁遠いものだったと思う。
だから使い方も知らなくて、当初は訪問リハビリの療法士さんから使い方を指導してもらったりしていた。
後ろから押すだけじゃないの?
と思われるかもしれないが、段差があるところの乗り越え方とか、移乗のときの安全な操作方法とか、知っておくべきことはいろいろある。
日常的に最もよく使う機能が、サイドブレーキだ。(ハンドルのところについているグリップ式のブレーキではない。正直、これはほとんど使うことがない。)
車イスの両側にはサイドブレーキがついている。
勝手に動かないようにタイヤを止めるストッパーである。
どんな車イスでも、このサイドブレーキが低い位置についていて、意外と固い。
自分で操作する人だとこの位置でよいのかもしれないが、後ろから押す介護者にとっては少しかがまないと手が届かない。
しかも固いから、少し力を入れないといけない。
頻繁に操作するブレーキなのに、いちいちかがんで、力を入れてレバーを操作するのは面倒なものである。
どうやったらこのレバーを操作しやすくできるかというと、
「ラップの芯を差すといいですよ」
と、ケアマネさんが教えてくれた。
そう言えば、病院で車イスの横にラップの芯を差している人を見たことがある。
「長さが出るから操作しやすくなるんですよ。テコの原理で軽くなりますし」
なるほど!
それ以降、ラップを使い切るとその芯を車イスに差すようになった。
やってみると、すごくラク!
ラップの芯の端をポンと押すだけでブレーキをかけたり解除したりできる。
ちょっとブサイクだけど、すごく操作しやすい。
ラップの芯は、車イス便利グッズとしてなくてはならないものになった。
けれど、ラップの芯には難点が。
使っているうちに端のほうが金具にこすれて、すぐにボロボロになってしまうのだ。
ラップだってそうすぐに使い切るものではないので、ボロボロのラップの芯をガムテープで補強しながら使っていた。
ボロボロのラップの芯を差している車イス。
ブサイク!そしてビンボくさ!
ラップの芯がボロボロになって困る、という話を再びケアマネさんにすると、
「塩ビパイプを使っている方もいますよ」
とのこと。
なるほど!
塩ビなら、紙でできたラップの芯みたいにボロボロにならない!
ちなみに、塩ビパイプってのはこういうやつ。
その後、さっそくホームセンターで、ラップの芯くらい(直径3センチくらい)の塩ビパイプを買ってきた。(ぴったり同じのはなかったと思う)
売り場にあった最も短いものが0.5メートルだったので、買ってきてから父にノコギリで半分(25cm)に切ってもらった。
これで、ラップの芯とだいたい同じ直径と長さ。
差してみたらちょうどよかった。
これで、端が擦り切れる問題も解決。
しばらくはそれで使っていたのだけれど、ネズミ色の塩ビパイプは、ラップの芯同様見た目がビンボ臭い。
そうだ、と思いついて、キレイな柄のマスキングテープを貼ってみた。
マスキングテープって、かわいいからつい買ってしまうものの、机の引き出しに入ってるだけになってたんだよね。
そしてマステでパイプをデコったのが2年前。
この状態でずっと愛用してきた。
2年も経つとさすがにテープがはがれてきて、ボロボロになってきた。
昨日ようやく思い立って、テープの貼り直しを行った。
今回使ったマスキングテープは、神戸港150周年記念の「神戸タータン」チェック。
せっかく誕生した神戸タータングッズが何か欲しくて、最も安価なマスキングテープを買ってみたものの、使い道がなかったところだった。
左が修繕前、右が修繕後。
ちょっと地味になったけれど、まあよし。
チェックのおかげで前よりも歪まずに真っ直ぐ貼れたみたい。
テープを貼る作業はテレビを見ながらすぐにできたので(録画していた『涼宮ハルヒの憂鬱』再放送の1話分もかからなかった)、もし同じようにラップや塩ビパイプを使っている人にはおススメ。
ちょっとした工夫で、なんとなく華やかじゃない?
介護用具にこそ、潤いがあるほうがいい。
星座の名前は言えるかい
9月1日は、南堀江knaveにてオーケンのライブ。
正確なタイトルは、「大槻ケンヂ・内田雄一郎LIVE 弾き語りvs電子音楽 〜大阪編!」。
「中学の同級生が、長くハードロックバンドをやってきた末にまさかテクノに!/まさか弾き語りに!」という、筋肉少女帯の発足メンバー二人による対バン形式のライブだった。(1人ずつなので対バンと呼ぶのは変かもしれないけど。)
オーケンのライブについては、かわいい、かっこいい、ステキ、好きすぎる!などの凡庸な褒め言葉しか出てこないので、あえて何も書かない。(ご本人もネットであれこれ書かれるのは嫌みたいなので。文章にその場のライブ感は表せないしね。)
内田雄一郎、通称うっちーのライブは、筋肉少女帯の曲をテクノアレンジしたソロアルバム『SWITCHED ON KING-SHOW』からの曲がほとんどで、相変わらずの脱力感が楽しかった。
まるで如意棒みたいな赤いライトの“相棒”を振ってオーディエンスの笑いを誘いつつ、和やかなライブ。
何度聴いても、あの気の抜けた『イワンのばか』のイントロに笑ってしまう。
ライブレポはうまく書けないので、ライブ中にふと頭をよぎった極私的な話を少し。
うっちーのアルバムにも入っていて、この日も歌ってくれた曲に、『星座の名前は言えるかい』という曲がある。
再結成前の筋少で、オーケンが少し病んでた頃の曲。
寄り添うように優しく語りかけてくれる歌詞に、私は何度涙したことだろう。
うっちーはこの曲を『はじめてのチュウ』みたいにアレンジして、ポップに歌う。
これはこれで、曲調にとってもマッチしている。
ちなみに、こんな歌詞。
この曲を聞きながら、ふと会社で聞いたこんな話を思い出した。
娘さんが東京の大学に進学して家を出てしまったあるご夫婦。
奥さんは子離れできないタイプらしく、娘さんが出ていってからずっと寂しくてふさぎこんでいるそう。
そもそも、奥さんは東京への進学に反対だったらしくて、それを許した夫さんにも腹を立てているらしい。
それに対して愛妻家の夫さんも、
「子供が独立するのはしゃーないやないか。俺がそばにいるのになんで寂しいんや」
と、くよくよする奥さんにイラついていて、夫婦仲がギクシャクしているというのだ。
夫さんとしては、なんとか奥さんのご機嫌を取りたくて、
「せっかく二人になれたんやし、夫婦水入らずで旅行にでも行こう」
と提案したところ、
「あなたと行ってもしょうがない!」
と奥さんは喜ぶどころか怒ってしまったそうだ。
夫さんは、
「もう俺のことを好きじゃないのか…」
と落ち込んでしまったという。
その話を聞いていて、私は、
夫さん、わかってないなー!
と思ってしまった。
その奥さんはきっと、自分が感じている寂しさをわかってほしいだけじゃないかと思う。
ただ寄り添って、同じ寂しさを共有してほしかったんじゃないか。
だって、それができるのは同じ子供の親である夫婦だけだから。
それなのに、子供がいなくなって夫婦二人だけの生活を喜ぶような夫さんの態度が悲しかったんだろう。
夫さんは何も悪くない。
けど、奥さんが求めているものをわかってないのだ。
男性はすぐに具体策を提案しようとするけれど、旅行に行くのは二人で気持ちを共有したあとでいい。
そんなわけで、『星座の名前は言えるかい』だ。
「寂しいのかい? 大丈夫、僕も寂しいから」
そんなふうになぐさめてほしいんじゃないかな。
夫さんはぜひオーケンの曲を聴いて勉強してほしい。
奥さんはオーケンのライブに来てほしい。
寂しさをまぎらわせてくれること請け合い!
『バベルの塔』展とブリューゲルのこと。
9月1日は夏休みを取った。
例によって、オーケンのライブがあるため。
せっかく休みを取ったなら、一部の隙もなく有効活用したいもの。
木曜日から実家に帰って金曜日の朝まで母の様子を確認してから、午後は大阪の国立国際美術館へ行った。
ぜひ見ねばと思っていたブリューゲル「バベルの塔」展を見に行ったのだ。
もちろん「バベルの塔」がメインの展覧会であるけれど、フランドル美術の流れとヒエロニムス・ボスの作品、ブリューゲルの版画が楽しめる展覧会になっていた。
今年は7月に「ベルギー奇想の系譜」展を見たばかり。
正直、内容がかなりかぶっている。
naminonamimatsu.hatenablog.com
フランドル絵画は大好きだから何回見ても楽しいんだけど、これらの展覧会が人気な様子を見ると、
「ボスとブリューゲルがキテる!」
とうれしい驚きを隠せない。
極私的な話だけれど、私が初めてブリューゲルと出会ったのは、父が買ってきてくれたルーブル美術館の本だった。
NHKとフランステレビ1が共同制作した『ルーブル美術館』という番組の解説本で、全7巻ある。
奥付を見ると昭和60年と書いてあるから、私が10歳のときだ。
テレビ番組と並行して配本される仕組みで、父は地元の本屋さんで定期購入していた。
そんなふうに言うと、まるで父が美術好きみたいだけれど、全く興味がない。
父自身は本を開きもしなかった。
「買うて来たったで」
とまるで私が欲しがったように毎回手渡してくれたのだけれど、10歳の私が美術に興味があるはずがない。
「ルーブル? 何それキャンディか何か?」
みたいな子供だったのに。
今もって、なぜあのとき父がこの「ルーブル美術館」を買っていたのか謎だ。
しかも、何が驚くって、価格が3,200円もする。
1冊3,200円だぞ!?
子供心に、
「こんな高い本、読まないともったいない…」
と思ってしまって、興味はなくても毎回ページをめくっていた。
その中で、ひどく衝撃を受けたのがこのページだった。
なんじゃこりゃあああぁぁ?!?
右ページと比べてみてもらったらわかると思うけれども、それまで美しい宗教画がほとんどだった。
そんなところに、この『乞食たち』というブリューゲルの作品が突然現れたのだから、子供としてはショックだ。
もちろん、ブリューゲルが生きていた当時もそうだっただろう。
人々はこの型破りな画家にびっくりしたに違いない。
(この本には『乞食たち』と出ているけれど、今ネットで検索したら『足なえたち』ってなってる。時代ですな。)
子供の私は、ショックというか、ものすごく恐怖を感じた。
足がなくて見慣れない装具を付けているのも怖かったし、キツネの尻尾をぶら下げているのも気持ち悪かった。
なぜこれが描かれているのか、よくわからないだけに恐ろしかった。
今はもう怖いとは思わないけれど、ブリューゲルの魅力は「なんじゃこりゃあ」だと思う。
それは単に奇妙なだけじゃなく、人々の生活の暗部と地続きで、闇の部分を抱えている。
寓話に満ちた世界は、グリム童話が本当は怖い、みたいなところとも似ている。
『ルーブル美術館』以後、長らくはブリューゲルとは無縁だったけれど、ウィーンを旅行したときにいくつかのブリューゲル作品を見た。
有名なところで言うと、『雪中の狩人』、そして『バベルの塔』。
実はブリューゲルの『バベルの塔』は2つあり、ウィーン美術史美術館にあるものと、今回日本にやってきたボイマンス美術館のものがある。
私のように美術を知らない門外漢からすると、ウィーンのは王様を含め人がいっぱい描いてあって楽しい、ボイマンスのは建物がかなり出来上がってて建築物としての色がキレイ、という大雑把な違いでもって区別している。
正直に言うと、ウォーリーを探せ的に楽しいのはウィーンのほう。
いろんな人間がいろんな場所で動いたり働いたりしているのを発見するのが単純に面白い。
今回の美術展では、ボイマンスの『バベルの塔』を拡大して、小さくてよくわからなかった働く人々も見られるように解説していたり、大友克洋が手掛けたバベルの塔の内部を見せる試みが展示されていたりと、単に美しいだけじゃない『バベルの塔』の魅力を提示する工夫がされていた。
工夫と言えば、ブリューゲルの版画『大きな魚は小さな魚を食う』に出てくる奇妙な魚をモチーフに「タラ夫」というキャラクターを作っていた。
ボスやブリューゲルが描くモンスターは以前から人気があったけれど、とうとうブームの予感。
今回の展覧会にはボスの『放浪者』と『聖クリストフォロス』もあって、これもこの展覧会の大きな目玉作品だったのだけれど、こっちは意外と静かなかんじ。
両方とも奇妙な味わいの作品で、私はこの二つが見られたことがとてもよかった。
人も少なかったしね。
展覧会の帰り、お土産にバベルの塔キャラメルを購入。
中にはランダムにモンスターシールが入っているという。
何が当たるかな、と開けてみると、私がひいたのはタラ夫くんだった。
これって当たり!?
さっそくスマホケースの内側に貼る。
展覧会の内容とは全く関係ないことだけど、会場に紙コップ式のウォーターサーバーが。
おそらく、夏の暑い最中にたくさんの人が行列して熱中症になるのを防ぐためだろう。
幸い、関西でも少しずつ秋風が吹くようになって、残暑も和らいできたので、固めて置いてあるけれど、先週くらいまでは大活躍だっただろうなぁ。
そういう配慮もご苦労さま。
トレーナーさんが銀メダルを取った!
去年の1月から、パーソナルトレーナーのいるジムに通っている。
すぐにへこたれてしまうかも、と思っていたけど、まだ週イチでがんばっている。
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そもそものきっかけは、お風呂上がりに鏡を覗いたら、そこにルノアールの名画そっくりの女がいたことだ。
『浴女たち(ニンフ)』がうちの脱衣所に!!
それにショックを受け、ダイエットしなければと思い立った。
それで会社に一番近いパーソナルトレーニングジムに通い始めたのだけど、脂肪燃焼は忘れて、今はとにかく体幹を鍛えている。
「重要なのは痩せることではなく、正しく動ける身体づくり」
というのがコンセプトなのだ。
日常生活で筋肉を使って正しく動けていたら、おのずと脂肪は燃焼できるから、というわけ。
正直、あまり痩せてはいないけれども、一番効果を実感するのは母を持ち上げるときである。
車イスとベッドやトイレへの移乗は、意外と大変。
足がしっかりしている人だったら何でもないのだけど、うちの母の場合は、足も踏ん張れず腕も力が入らないので、40キロちょっとの重さをそのまま持ち上げないといけないことになる。
「大丈夫ですか? 移乗しやすいベッドに換えますか? ポータブルトイレもレンタルできますよ」
と、ケアマネさんや訪問リハビリの療法士さんが心配してくれるのだけど、私自身、なんてこともない。
それほど苦も無くやっている。
まだ母が歩けていた数年前のほうが、よっぽど腰を痛めていた。
それもこれも、体の中心で支えられているからだと思う。
ひざが前へ出ない正しいスクワットや、腹筋を使って物を持ち上げるトレーニングを繰り返してきたおかげだ。
全く基礎がなっていなかった私に、辛抱強くトレーナーさんが教えてくれた。
ダイエットより、介護のために役立っているほうがよほど有益である。
でも、それもこれも、パーソナルトレーニングだからこそ。
普通のジムに通ってるだけだったら、有酸素運動系のランニングマシンや自転車こぎしかやらないのは目に見えている。
1人だと、キツい筋トレからは逃げるし、地味な体幹運動なんてわざわざやらないもんなー。
1年半も通ってきて、トレーナーさんともよくお話をするようになった。
私のトレーナーさんは、私と同世代の小柄な女性だけれど、なんとトライアスロンの選手なのである。
トライアスロンなんて、そんなしんどいことをよく頑張れるなぁ!といつも感心してしまう。
「普通の人よりアスリートのほうがよくケガをするじゃないですか。しんどいし、苦しいし、痛くなったりするし、怖くないですか?」
と尋ねると、
「そんなことより、負けるのがつらい。くやしい思いをするほうが、苦しいよりもつらいんですよ」
と彼女は言った。
「足がちぎれてでもいいから速く走りたい!」と思うそうだ。
生まれてこのかた運動というものをやってこなかった私にとって、
「へえぇ、アスリートの考え方ってそんなものなのか!」
と大いに感心させられた。
逆に、私自身はそこまで必死に何かをやったことがあるだろうか、と考えると、何一つ、命がけでやったことなんてないなぁ、と情けなくなった。
そんな我がトレーナーさんが、先週、カナダでトライアスロンの世界大会に出た。
「カナダ、どうでしたか?」
とおずおず聞くと、
「キレイな国でしたよ」
なんて言うので、試合結果について尋ねにくかったのだけど、そのあと少しはにかみながら、
「銀メダルを取りました」
と言う。
銀メダル!!!
家に帰ってからこっそり検索すると、日本トライアスロン連合のSNSにちゃんと出てた。
twitter.com日本代表2名が表彰台に!
— 日本トライアスロン連合(JTU) (@Japan_Triathlon) 2017年8月28日
【ITU世界マルチスポーツ選手権(2017/ペンティクトン)】
世界ロングディスタンストライアスロン選手権結果速報。
エイジ男子20-24歳 3位: 成田遼選手(東京)
エイジ女子40-44歳 2位: 近石敬子選手(兵庫)#Penticton2017 pic.twitter.com/71ecC0zvsA
少し遠慮がちに表彰台に乗っている彼女の写真を見たとたん、泣きそうなくらい感動してしまった。
私はオリンピックも見ないし、あんまりスポーツに関心がない。
けれど、スポーツファンの人たちがなぜあれほど熱狂するかはよくわかる。
努力が結果になったときの感動は、何にも代えがたいから。
よかった。本当によかった…!!
本当に、本当におめでとう。
傷は生きている証
昨日は皮膚科に行って、母の傷の抜糸をしてもらった。
一週間ですっかり傷口は茶色く乾いてくっついていた。
抜糸ってどうやるのかな、また私は待合室で待たされるのかな、と思っていたら、その場で先生がハサミを出して、パチンパチンと糸を切り、ピンセットでヒョイヒョイヒョイと抜いた。
あっという間に済んでしまった。
「お風呂に入るとき、まだしばらくはこすらないようにしてください」
とだけ注意を受けた。
もう消毒も包帯も要らないという。
ガーゼを買い足しておいたけど、もう必要なくなってしまった。
これで治療は終了だ。
早く病院に連れて行っていたら、もっと早く治っていただろうと思うと悔やまれる。
もっと言えば、傷跡だらけの左腕も、病院で見てもらっていたらこれほど跡が残ることはなかったかもしれない。
ところで、私の右ひざと右ひじにも傷跡がある。
小学6年生のときに自転車で転んでケガをしたのだ。
ちょうど今頃、夏休みの昼下がりだった。
歯科へ行く途中で、デニムのジャンパースカートを着ていた。
半袖だったし、靴下はショートソックスだった。
家から出発するのに立ちこぎをしたとたん、スカートのストラップがハンドルにひっかかってコントロールを失い、派手に転倒した。
女の子をお持ちのお母さんお父さん、お嬢さんにはジャンパースカートで立ちこぎをさせないように!
私は泣きながら家に戻って、浴室で傷を洗い、自分で手当てをした。
ものすごく痛かった。
歯医者さんに予約のキャンセルをしたかどうかは忘れた。
母が買い物から帰ってくるまで、「痛いよぅ、痛いよぅ」と声に出して泣きながら、畳の上でうずくまっていたのは覚えている。
親からは、
「病院に行くか?」
と尋ねられたけど、子供だったのでそもそも転んだのが恥ずかしく、
「いい」
と断った。
子供というのは往々にして体面を気にして、大人の提案を断るものである。
子供の自主性を重んじる家庭だったといえばそうだけど、こういうときくらいは、病院に行くべきかどうか子供に任せず、大人が判断してほしかったな、思う。
このときちゃんと病院で手当てをしてもらっていたら、こんな傷は残らなかったかもな、と今は思う。
鄭義信の戯曲『千年の孤独』の中に、
「生きていくというのは、汚れていくということだ」
というようなセリフがあった。(うろ覚えなので正確じゃないです、ごめんなさい)
深い意味を孕んだ哲学的なセリフだとは思うけれども、私にとっては、自分の身体に傷ができたりシミができたりするたび、日常生活の中でこのセリフを思い出す。(その割にうろ覚えってあんた!)
人間は生きていれば経年劣化する。
物も、生き物も、みんなそう。
逆に言えば、生きているから傷跡もできる。
これまたうろ覚えで何ていう作品の何だったかも覚えていないけれど、傷を負った主人公が魔法か何かで元の身体に戻してあげようと言われたときに、
「この傷は思い出として、このままにしておいて」
と言うシーンがあった。
傷跡というのは、良くも悪くも過去の記憶とともにある。
自転車で転んだのは悪い思い出だけど、確かに小学6年生の、夏の日の私がそこにいる。
そういえば傷跡は英語でMarkというけれど、個人を特定する「印」、マークである。
もし私の右腕が切断されて飛んでいってしまったとしても、自転車でこけたときの傷跡があれば、「これ私の右腕です」って判断がつく。
傷跡もホクロもシミもない完璧な腕では、これまでの人生を一緒に過ごしてきた右腕かどうか、見分けがつかないかもしれない。
さて、母の話に戻そう。
傷の経過などについてケアマネさんと話をしていると、
「お母さまにはまだ、傷を治す力がありますから」
と言われて、はっとなった。
そうだ! そのとおり!
病気は進行しているけれど、ケガをしたって治すだけの回復力を母はまだ持っている。
傷跡は残るだろうけど、それはケガを克服した証だ。
ケガが治る。
母には回復する力がある。
それだけのことで、すごく力がわいた。
健康な人では当たり前のことだけど、病人にとっては希望だ。
消毒は介護じゃなくて看護なので。
月曜日の朝、訪問リハビリが終わったあと、母を皮膚科へ連れていった。
表皮剥離を縫ってもらったあとの、経過をみてもらうためだ。
包帯を取ってみると、傷口はこんなかんじだった。
雑ッ!!!
こ、こんなもんなんですか?!
私自身は縫ったことがないので、傷の縫い目を初めて見たんだけど、あまりの大雑把さに驚いた。
その後、会社の人などにこの画像を見せて、
「これどう思います? 雑くない?!?」
と聞いてみたら、縫ったことのある経験者は、
「こんなもんやで」
ということだった。
そーなのかぁ、こんなもんかぁ…。
それはそれとして。
さて、この傷口は、抜糸まで毎日消毒をしてガーゼを取り替えてください、と医師の指示が出た。
それを介護スタッフさんに伝えると、
「毎日ですか!? 困ったな、消毒は医療行為なので、僕たちはできないんですよ」
という言葉が。
お世話になっている小規模多機能にも看護師さんが1人いるが、常駐ではない。
休みの日があるので、毎日とはいかないというのだ。
マキロンをかけるだけでいいんだけど、それが医療行為かぁ…。
「一応、上司と相談してみます」
とは言ってもらったけど、規則は規則だろうし、無理は言えない。
どうしてもダメなら父に頼むしかない、と一応聞いてみた。
「看護師さんが休みの日だけ、お父さんが施設に行って、お母さんの傷口を消毒してくれへんかなぁ?」
「消毒って、何するん?」
「マキロンって液をかけるだけ。できるかな?」
「さぁ…。やってみたら、たぶんできるやろ、とは思うけどな…。」
と、なんとも頼りない。
「それくらい任せとけ。お父さんがしてやろう」
とは絶対言わないのがうちの父。
それでも、どうしても施設のスタッフさんができないならお父さんにやってもらうからね、と念をおしつつ、「上司との相談」の報告を待った。
結果、同じ施設内の特別養護老人ホームに勤務している看護師さんにお手伝いに来てもらうという段取りがついて、一件落着。
大きな施設だからこそだ。
介護と看護、以前はもっと区別が厳しくて、今はずいぶん緩和されているらしい。
それでも、「マキロンかけるのは医療行為」みたいな線引きがまだある。
業界では明確に分かれてるけど、一般人で違いがわかってないなと思う人もいる。
「訪問看護」と「訪問介護」の違いを何度説明してもわからないおじさんがいた。
そういえば、英語では介護も看護もnursingだ。(もし違ってたら誰か教えて!)
日本でも、もう少し越境してもいい気がする。
表皮剥離を縫った。
先週日曜日の夜、母をパジャマに着替えさせようと右腕をまくると、4センチほど皮膚が切れてめくれ、パックリと真っ赤な血がにじんでいた。
なぜそんな大きな傷ができたのかがわからない。
少なくとも私には、介助中に母の右腕をぶつけたとか、強く掴んだという記憶がなかった。
あるとすれば、その少し前に母の爪をやすりで削る作業をしていたくらいだけど、それで腕が切れるなんて考えられない。
そもそもなぜ爪を削っていたかというと、週末に家に帰ってきた母を見ると、右腕に内出血ができていて、それがもしかしたら母の左手の伸びた爪が当たったせいじゃないかと思ったからだ。
内出血ができると、皮膚が破けやすくなる。
「表皮剥離」
その言葉を知ったのは、母が以前のデイサービスに通っていた頃だ。
そのときはよく左腕にケガをしていた。
支えがあればまだ歩けていた頃で、入浴介助中やトイレ介助中によく左腕をぶつけるようだった。
ちょっとぶつけても内出血をし、そこを再度ぶつけると皮膚が切れた。
今の施設に移ってからは、もっぱら右腕である。
右腕ばかりケガをする理由として、ケアマネさんが言うには、
「スタッフたちに、左腕は動かないという意識があり、十分注意を払うんですけれども、右腕はまだ動くと思っているせいで配慮を怠りがちなのかもしれません。両腕とも十分気をつけるよう徹底します。」
ということなのだが、意識だけで改善できるかどうかわからない。
今回のことも、私も覚えがないし、施設のスタッフさんも誰もケガをさせた覚えがなく、原因は迷宮入り。
犯人探しをしたいわけではなく、原因解明から再発防止策を取りたいだけだ。
現に、前回右腕に内出血ができたときはポータブルトイレに移乗したときに肘置きにぶつかったのが原因だとわかったので、移乗のときは肘置きを外すように対策してもらった。
ケアマネさんと話をして、唯一原因かもしれないと思われたのはシートベルトだった。
車イスごと車に乗せるとき、背中側からシートベルトをかけるのだけど、ちょうど母の右腕をかすめる。
今後はシートベルトをする前に、母の腕のところにタオルを置いて腕を保護するように対策をとってもらうことにした。
日曜日の夜は応急処置としてマキロンで消毒したあとにガーゼの傷パッドを貼るくらいしかできなかったので、月曜日に施設の看護師さんに手当をし直してもらうようにお願いした。
すると、仕事中、看護師さんから電話がかかってきた。
「今回の表皮剥離は大きいですし、病院に行かれたほうが…。血液がサラサラになる薬を飲まれてるので血も固まりにくいですし、縫ってもらったほうが早く治るんじゃないかと思いますよ」
これまで、表皮剥離で病院に行ったことはなかった。
行くとしたら何科だろうか?
だとしても、また会社休んで連れていくの?
30分に満たない診察のために、会社を半日休まないといけないのはちょっと勘弁してほしかった。
もともと土曜日に足の爪のために皮膚科を受診する予定だったので、ついでに表皮剥離も診てもらおう、ということになった。
母にはかわいそうだけれど、週末までは看護師さんの手当てだけで我慢してもらうことにした。
そして、昨日、皮膚科へ。
診察室に入ると、看護師さん二人が有無を言わさず母の靴と靴下を脱がし、先生が爪を診て、
「もうだいぶいいですね。爪水虫の薬を、この前とは違うクリームに変えましょう」
とサクサク、まるでオートメーションのように進行した。
そのままベルトコンベヤーで帰らされそうな勢いだったので、
「あの、もうひとつ診ていただきたい部分があるんですけど」
と先生の話を遮った。
「腕の表皮が剥離しまして」
と私が言うが早いか、またもや看護師が勝手に母の腕をめくり、施設で巻いてもらった包帯を外していった。
包帯を取りガーゼを外したあと、先生が、
「え、何これ?」
とピンセットでつまみ上げたのは、ラップだった。
施設の看護師さんによると、表皮剥離をした場合はラップで手当てをするそうだ。
食べ物のお皿に使う、あのラップだ。
湿潤療法といって、以前通っていたデイサービスでも、表皮剥離にはラップを使っていた。
そのときなんか、しょっちゅうラップが必要になるので、わざわざラップに名前を書いて持参していたくらいだった。
私が、
「施設の看護師さんにラップ保護をしてもらったんですが」
と言うと、先生はやれやれという表情で、
「今の季節、ラップはあきませんわ」
と嫌な顔をした。
「暑くて汗をかくでしょう。感染症を起こす危険性があるんです」
ということだった。
幸い感染症は起こしていなかったが、傷が大きいのでやはり縫合することになった。
急遽、手術のように慌ただしくなる診察室。
銀色のトレイに手術道具みたいなものを並べていく。
「麻酔を打ちますからね、ちょっと痛いですよ」
と先生は大きな注射器を出してきた。
看護師に押さえつけられている母の手先が少し震えた。
医者が痛いというくらいなんだし、相当痛かったんだろう。
そこからは、
「ご家族さんは待っていてください」
と外に出されてしまった。
結局、どんなふうに縫ったのか、何針縫ったのか、何もわからない。
ただ、バタバタ移動する看護師の足音や、
「皮膚が折れて重なってるわ! ひっぱって戻せる?」
なんて言う医者の会話を聞きながら、私は泣きたい気持ちになっていた。
何回か表皮剥離を経験していたせいで、「またか」とマヒしていたこと。
たいした仕事もしてないのに、休んで実家に帰るのを面倒がって母をすぐ病院に連れて行かなかったこと。
縫うほどのケガをしているのに、母は痛みを訴えることもできずに我慢していただろうこと。
母が黙っていることをいいことに、私はいろんな点で手抜きをするようになっていたこと。
「言ってくれないとわからないし」と私は内心サボる言い訳をしていること。
一人で座って待っていると、そんなことが悲しみとなって降ってきた。
ふと、相模原で起きた障害者施設殺傷事件を思い出した。
犯人は入所者に声をかけて返事がない人から殺していったという。
話せないからといって痛みがないわけじゃない。
気持ちがないわけでもない。心がないわけでもない。
なのに、今回の表皮剥離で、自分がラクしたいから見て見ぬふりをしていた私は、あの犯人と根本は変わらない…。
終わったあと先生から、月曜にまた来てください、と言われた。
縫合後に感染症を起こしていないか、経過観察のためだ。
もともと訪問リハビリのために午前中は介護休暇を取っているけれど、そのあと病院に行くとなると、午後の会社も休まないといけなくなるかもしれない。
でも、今度は「わかりました」と言うしかなかった。