日本を滅ぼす傲慢
7月下旬にNHKで『AIに聞いてみたどうすんのよ!?ニッポン』という番組をやっていて、興味深く見た。
AIからの「提言」となっていたけど、実は後先が逆で、データ分析から読み解ける一見関係なさそうな事象の関連性の指摘、という「結果論」だったと思う。
(どうやら、2017年9月2日(土)午前0時55分(1日深夜)に再放送があるみたいなので、興味ある方はぜひ。)
www6.nhk.or.jp
その中でも「40代ひとり暮らしが日本を滅ぼす」という提言がネット上で賛否両論を巻き起こしていたみたいだけど、40代ひとり暮らしの当事者としては、
「そりゃあ私みたいな人間が増え続ければ日本も滅ぶだろう」
と納得してしまった。
それは、子供のときに、
「結婚なんかしたくないし子どももほしくない」
と思ったときから感じていたことだ。
家事も子育ても介護も全部女性が押し付けられて、それでも「女のくせに黙ってろ!」と言われる。
もし本当に40代ひとり暮らしが日本を滅ぼすならば、
「結婚して母になることは、幸せなことではない」
と小さな女の子に思わせた上の世代が悪い。
願わくば、これからの若い人たちには、家庭を持ったり子供を持ったりすることに夢が持てる日本になってほしい。
40代ひとり暮らし当事者としては、
「日本は滅ばば滅べ!」
としか思わないけれども、結婚もせず子供も産まずにいたことに少し後ろめたさを感じてしまうのは、母がずっと「孫がほしい」と呪文のように唱えていたせいだ。
結婚だの孫だの言われるとうっとおしくて、
「そんなに孫がほしいなら自分で産め!」
とよく憎まれ口を叩いたものだ。
40代になると、もう誰からもそんなことを言われない。
心底せいせいしているけれど、それでもどこかで、社会的責任から逃れてラクをしてしまったような後ろめたさを感じてしまうのだ。
「家事や子育ての苦労から逃げて生きている」ように感じてしまう罪悪感。
特にそう考えてしまうのは、子供の貧困問題について聞いたり見たりしたときだ。
私みたいに働いた分を全部お小遣いにできる大人がいる一方、日々の食べ物にも困っている子供がいると思うといたたまれない。
かといって、
「貧乏な子供はいねーがー、泣いてる子供はいねーがー」
となまはげのように援助が必要な子供を探すわけにもいかない。
ボランティアに行く時間はないし、寄付を継続してできるほどはお金持ちでもないので、私ができる範囲といったら限られている。
何がしてあげられて、何が本当の助けになるのかもわからない。
だいたい、ラクがしたくて面倒が嫌で「結婚問題」から逃げた私に、他人様に何をしてあげられるというのだろう。
あるとき、「最近そんなことを考えてるんだ」、と、ミッション系の私学で教師をしているクリスチャンの友達に話すと、
「キリスト教では、ホームレスへの炊き出しとかの奉仕活動をするとき、『してあげてる』のではなく『させてもらう』と考えるんだよ」
と教えてくれた。
その話を聞いたとき、私はすぐには理解できなくて、ずっと胸の途中でつかえていた。
誰かに何かをするということ。
「してあげる」という、傲慢さについて。
わかったようでいて、わからないでいた。
ふいにそのことを思い出し、急に納得したのは、今週の終戦記念日のこと。
Twitterを見ていたら、例のごとくネトウヨの皆さんが「先の大戦」を聖戦と呼んで、NHKが戦争関連のドキュメンタリーを放送することを反日行為だと叩いていた。
そんな一連のツイートの中で、おや?と思ったのは、
「アジアの国では、西欧列強の植民地から解放してくれた日本に感謝している国も多い」
というような記述だった。
真否はわからない。
どう感じたかは、その国の人の声を聞かなければわからないし、人によっても違うだろう。
日本軍の侵攻を感謝した人もいただろう。なんとなく迷惑に思った人もいただろう。激しく憎悪した人もいただろう。
受け手がどうであれ、軍隊を送り込んでそこを戦場にした日本が、
「助けてやった。感謝してもらっている」
なんて、絶対に思ってはいけない、と私は思う。
百歩譲ってアジア解放のための戦争だったとしても(それは政治的タテマエで本当は違うと私は思うけど)、「西欧列強から助けてやった」と考えた瞬間から、その傲慢さは恥になる。
「助けてやった」を、「してやる」ではなくて「させてもらう」に言い換えた場合、「助けさせてもらう」という奇妙な日本語になって、言葉として成り立たない。
となると、「助けてやった」は、受け手のことを考えない「押しつけ」でしかない。
小さな単位で置き換えると、「手伝いに来てやった」という姑を、「迷惑な侵入者がやってきた」と感じる嫁みたいなものか。
考えれば考えるほどに、「他人に何かをしてあげる」ということの傲慢さがお腹にストンと落ちてきた。
だから、他人に何かをするときは、「してあげる」のではなく、「させてもらう」という謙虚な気持ちじゃないといけないのだ。
もしいつか、私が子供の貧困とかの社会問題とかに対して何かするときがあったら、それは単に、罪滅ぼしをさせてもらっているだけだ。
だって、私は日本を滅ぼす害獣だもの。
お菓子やカップ麺ばっか食べてないでごはん食べなさい!
うちの父がリハビリに通うようになって1年が過ぎたが、それなりに楽しげに行っているようでうれしい。
「俺は2回脳梗塞をやって、どうも左足があかんのや」
と父が言えば、ある80代後半のお爺さんは、
「まだまだやな。俺なんか5回やで。」
と言い返してきたそうだ。
なんの自慢か。
でも、父からしてみれば、病気を乗り越えながらも元気に通っている先輩方に勇気づけられるのだろう。
「あと3回いける」
って、やめてくれ!!
父からよく話を聞くのは、90代のおばあさんのことだ。
いつも父に話しかけてきて、
「しっかりごはん食べとうか。頬がこけてしもとうやんか」
と心配してくれるのだと言う。
マッサージチェアの順番を待っていたら、そのおばあさんが譲ってくれて、
「男の子は遠慮しとったらあかん」
と言われたそうだ。
78のジジイに男の子って!
90代からすれば息子くらいに思うんだろうか。
ありがたいのは、そのおばあさんのアドバイスを父が真摯に聞くことだ。
カップ麺が好きな父に、
「ラーメン食べるのもええけど、塩分取りすぎになるから、お汁は全部飲まんときよ」
と注意してくれる。
20年以上前から私が常に言っていることだけど、私とおばあさんとでは言葉の重みが違うようで、
「美味しいけど最近は残すようにしとんや」
と父が言うようになった。
そのように、おばあさんが気にかけてくれるほどに、父の食事はめちゃくちゃで、身体はガリガリである。
父の食生活は、朝はコーヒーとお菓子、昼はカップ麺、夜は宅配弁当というパターンで、お腹が空かなければ朝と昼は抜くことも多いようだ。
ケアマネさんが低栄養を心配してくれるけれど、本人が改善する気がないのでどうしようもない。
せめて、食欲がないときの食事がわりにと、冷蔵庫に高エネルギードリンクのコーヒー味をストックしている。
こういうものがない時代だったら、父はとっくに栄養失調になっているかもしれない。
先週、父はかかりつけの脳外科で血液検査をした。
問題はなかったらしいが、
「ちょっと糖尿が出ていますね」
と言われたらしい。
初めてのことだ。
医者からは、
「炭水化物は糖に変わりますから、白いごはんは控えてください」
と言われたという。
その脳外科は、うちの母の心筋梗塞を3度にわたって「気のせいだ」と診断し、去年父が膝の皿を割ったときもレントゲンを撮りもせず湿布を貼るだけだったヤブ医者だ。
まだ通っている父も愚かだけど、低栄養気味の老人に「ごはんを控えろ」とは呆れてしまった。
父が糖尿になりかけているのは、コーヒーとお菓子のせいだろう。
1日に何杯もコーヒーを飲み、角砂糖を2つ入れる。
あっという間に角砂糖のストックはなくなる。
ごはんを食べるのが面倒臭いからと、お菓子ばかり食べる。
初めはカロリーメイトやバランスアップのような栄養食を買っていたのだけど、カップケーキやマドレーヌのほうがよく食べる。
入れ歯がなくても食べやすいからだそうだ。
何も食べないよりましかと、私もついお菓子を買い置きして父に与えていた。
買い置きのお菓子の減りの早さから、実はちょっと、父が糖尿になりはしないか私も気にしていたのだ。
先週、伯父の法事があり、お供えのお菓子のお下がりを紙袋いっぱいもらっていたのだが、1週間で全部消えていた。
これじゃ糖尿も出るわ。
だから、糖分の取りすぎは白ごはんのせいではないのである。
むしろ、父は白ごはんをあまり食べないほうだ。
医者に言われて控えられたら、さらに栄養不良が進んでしまう。
患者の生活を知ろうとも考えようともせず、数値だけ見て一般論しか言わない医者に腹が立つ。
食生活や栄養については、医者よりネットで調べたほうが確かなんじゃないか。
六甲アイランドで手塚治虫展
先日彼氏と空港コードの話になった。
関西空港だとKIX、大阪(伊丹)空港だとITM、羽田はHND、成田はNRT。
まるでAKBやNMBみたいだ。
「神戸空港は何か知っとう?」
と尋ねられ、
「KOB?」
と答えると、
「と思うやろ? 正解はUKBやで」
と言う。
KOBという空港がすでにあるらしく、その名前を取れなかったらしい。
じゃあ、Uは何なのかというと、わからない。
知恵袋に同じような質問があって、UniverseのUじゃないかという説が有力らしい。
らしい、っていうのも変な話。
「UKBはようわからんけど、竜馬空港とか鬼太郎空港とか、変な名前がつかんかっただけよかったわ」
と、彼氏。
「単に、神戸と言えばこの人!って偉人がおらんだけちゃう?」
と私の主張。
と彼氏は言うけれど、空港の名前になるほどではない。
と私も名前を挙げてみたけれど、彼氏は三人とも知らないという。
えーっ、横溝正史も!?!
「ほんなら、古田新太空港でええんちゃうか」
というところで、二人の合意となった。
百歩譲って、神戸出身ではなく兵庫県出身ともなれば、もっとたくさん有名人がいるけれども、そうなるとたくさんすぎる。
その中でもあえて絞るなら、兵庫県出身の最も偉大な有名人は手塚治虫だと思う。
その神様の展覧会を「神戸ゆかりの美術館」へ見に行った。
この美術館の名前も、「ゆかり」っていう逃げがこずるいね。
展覧会のハイライトは、神戸の北野が舞台になっている『アドルフに告ぐ』。
ちょうど8月、戦争について振り返る時期でもあるから、とても感慨深く見ることができた。
アドルフに告ぐ 漫画文庫 全5巻完結セット (ビジュアル版) (文春文庫) [マーケットプレイス コミックセット]
- 作者: 手塚治虫
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- メディア: コミック
- 購入: 3人 クリック: 5回
- この商品を含むブログを見る
蛇足な説明だけれど、『アドルフに告ぐ』は神戸に住むドイツ領事の息子のアドルフと、パン屋の息子のアドルフ、そしてアドルフ・ヒトラーの三人のアドルフにまつわる話。
展示では、漫画で描かれた外国人住宅のモデルとなった異人館の写真を比較できるように展示されていた。
私は中学生のときにこの漫画を読んだきり。
その当時は戦争のことも、ナチスのことも、神戸のこともよく知らなかった。
今なら当時と全然違うふうに読めるだろうから、ぜひ再読しなきゃと思う。
神戸に住むようになって、漫画に登場する在日外国人のことをよりリアルに感じられるようになった。
例えば、八百屋のおじさんが、ドイツ人のクォーターだというので驚いたことがあった。
冗談かと思ったら、本当に祖父が洋服のボタン技術を指導にやって来たドイツ人で、
「おじいさんの名前はウィルヘルムやで」
と、コテコテの神戸弁で言うのだから呆れてしまった。
会場だった「神戸ゆかりの美術館」は、六甲アイランドにある。
この立地もまた、アドルフのことをちょっと想起させられた。
というのも、六甲アイランドは北野や旧居留地のように、外国人が多く住む地域だからだ。
P&Gなどの外資系企業があるので、その外国人社員たちが住んでいる。
日本だけれど、ここもちょっとだけ外国。
コミュニティを形成しなければ、外国人にとって日本の社会は住みづらいという裏返し。
昔の六甲アイランドは、映画館もあったし、ショッピングモールもにぎわっていたけれど、映画館も閉館し、お店もどんどん閉鎖していっている。
行ったのは8月11日。祝日でお盆休みの始まりだというのに、ショッピングモールの中は驚くほど閑散としていた。
寂しいけれど、ごった返す三ノ宮よりこっちのほうが正解。
とはいえ、寂しすぎる。
だだっ広い建物内の広場の中には、誰もいなかった。
ラピュタかここは?!? ロボット兵が花摘んで出てくるんじゃね??
あ、アトムとかロビタかも。
祝日の昼間にこれとはひどすぎる。
まるでSF、ロストワールド。
買った仏花をスーパーのレジ台に忘れた。
スーパーで仏花を買うときにいつも困るのは、水に浸かっている茎の部分をどうするかということ。
キュウリなんかは、裸のままカゴに入れなくてすむように、そばにポリ袋がおいてあるので、あたりを探すけれども、ポリ袋も新聞紙も置いていない。
他の人を見てたら、べちゃべちゃのままカゴに入れてた。
やだ、汚くないの?
同じカゴに野菜とか入れるのに?
同じことで、毎年お盆のたびに戸惑ってる気がする。
年に1回だから、仏花の扱いがわからない。
買い物を済ませて、買ったものをレジ袋に詰める。
そこにはポリ袋も新聞紙もあるので、まず仏花を丁寧に新聞紙で包み、茎の部分をセロテープで止めた。
そこで満足してしまったバカな私は、ほかの食料品をレジ袋に詰めたら、仏花のことをすっかり忘れて帰ってしまった。
置き忘れたことに気がついたのは、家に着いてから。
スーパーに電話して、
「新聞紙にくるんだ仏花を、台に置き忘れていませんでしたか?」
と問い合わせたけれど、
「ありません」
とそっけない返事。
父からは、
「ないやろなと思った。誰かが持って行ったんやろ」
と言われてしまった。
そんな、小一時間ほどのあいだに?
お金なら拾う人もいそうだけど、仏花を盗ったりするかしら…。そんなに需要ある?
私は本当に忘れん坊で、いろんなところでいろんな物を忘れてくる。
でも、場所さえちゃんと覚えていれば、たいがいのものは出てくるものだ。
今年の1番の忘れ物は、海フェスタに行って、神戸港の突堤で日傘を忘れたこと。
あきらめていたけど、神戸市のみなと総局に問い合わせたら、ちゃんと保管してくれていた。
みなと総局の皆さんには感謝感謝。
置き忘れた私が悪いんだけど、スーパーの荷詰台に置いたものが、そんなにすぐになくなるのかが解せない。
田舎の小さなスーパーで、レジもひとつ。
ひっきりなしに客が来るような場所でもない。
物は仏花、盗りたくなるような物じゃない。
私はなんとなく、スーパーの店員が適当に返事をしたんだろうと思う。
即答したのも怪しい。
ドジな客に対応するのが面倒だから、調べもせずに「ありません」と答えたんじゃないか。
それが普通なのかもしれない。
よく、「忘れ物が出てくるのは日本だけ」という話もきくけれど、彼氏の同僚は中国で財布を忘れたのに、そのまま出てきたという。
レアケースだとは思う。
けれど、人の親切は全世界共通だと私は信じている。店員の面倒くさがりが全世界共通なのと同じくらいに。
世界は、「親切」と「面倒くさい」の絶妙なバランスで成り立っていると、私は思う。
今回は「面倒くさい」が勝ってしまった。
450円の代金がパーになったのもくやしいけれど、調べもせずに「ありません」と言われたのが、とてもがっかりした。
飲食店にしろコンビニにしろ雑貨店にしろ、大阪や神戸のお店のほうが、店員教育がちゃんとしている気がする。
田舎に行けば行くほど、サービスがぞんざいになる。
パート・アルバイトだとしても、プロ意識が低下して、適当さが増す。
競争原理なんだろう。呑気なだけに、一生懸命サービスして売り上げを伸ばそうという気がないのだ。
田舎のほうがあたたかい、と思われがちだけれど幻想だ。
のんびりしていては、接客サービスは低下する。
このあと、もう一回ダメもとでスーパーに電話してみよう。
「台の上に、本当に、置き忘れの仏花はありませんでしたか?」
違う人が出たら、違う答えが出るかもしれない。
そのときは、「親切」と「面倒くさい」の戦いに、「親切」が勝ってくれますように。
追記:もう一度問い合わせてもやはり花の置き忘れは見つからず。
でも、2回目に電話に出てくれた人は、「見てきますね」とちゃんと探してくれて、ほんとにとんだ迷惑をかけてしまった。
花が消えていたとしたら、やはり誰かが持って帰ったわけだ。
その人は、ネコババした仏花を自分ちの仏壇やお墓に供えるんだろうか。
供えられたご先祖様もさぞ情けなかろう。
「まなびと」の日本語教室「だんらん」で旅を見つけた。
10年ほど前のことだけど、中国語を勉強していた時はよく相互学習会に参加していた。
相互学習というのは、外国語を学びたい日本人と、日本語を学びたい外国人がお互いに教え合うというもの。
日中友好協会の有志が集まる会だとか、神戸国際会館内にある神戸国際コミュニティセンターのフリースペースを使った勉強会などへ、ときどき遊びに行っていた。
最近は土日に動けないのと勉強熱心じゃなくなったのとで、なかなかそういう機会もなくなっていたのだけど、社会福祉に詳しい友達から、「まなびと」というNPO法人がやっている日本語教室を知った。
「だんらん」というその日本語教室は、毎週水曜日の夜に北野でやっているらしく、それだったら私も参加できると思って、連絡してみたのだった。
NPO法人まなびと – 自ら学び、共に学び合い、豊かな社会づくり
Twitterで「ご興味のある方はまず見学からでいいので是非参加してみませんか?」と書いてあるので、本当に気軽に考えていた。
「何時に行きま~す」「待ってま~す」くらいのノリだと思ってメールしてみたら、「必要条件となっておりますので」と大学名や学部を聞かれたのでビビってしまった。
学生さんの団体だったのかぁ…、だったら私なんかは場違いだよなぁ…、と彼らのお母さん世代な私は腰が引けてしまったのだけど、それでも、
「よろしければ見学にいらっしゃいませんか」
と言ってもらったので、せっかくなので見学だけさせてもらうことにした。
これまで参加してきた外国人相手の会やイベントはゆるいものが多くて、仕切る人もいなければ、時間はルーズだわ、内容はグダグダだわ、という印象があった。
ところが、「だんらん」は全く違う。
まずもって、18時~19時までボランティア(教える側の学生)のミーティングがあり、19時から外国人の生徒さんたちの学習が始まる。
私が会場である北野福祉センターに到着したのがミーティングの途中である18時半だったのだけど、15人の学生さんたちが日本語を教えるときに気を付けるべきことについて発表し、話し合っているところだった。
まずもって、ボランティアが15人もいたことに驚いたし、教える側がそれだけ真剣に考えていることにも驚いた。
日本語の語順に気をつけようとか、単語の難易度に注意しようとか、まるで職員室のミーティングみたいだ。
遊びや趣味のレベルに思えなかったので、
「皆さん日本語教師を目指している方なんですか?」
と質問したら、
「そういう人もいますが、ほとんどはそうじゃないです」
という。
それなのに、みんな本気で取り組んでいる。
今どきの若者、本当に真面目だ。
ミーティングが終わってから、担当の女の子から私に、このプロジェクトの概要についてパワーポイントでプレゼンをしてもらった。(そこからしてちゃんとしてる! うちの会社の社員よりも!)
ボランティアの学生は、それぞれ何かしら役割を持ってプロジェクトにかかわり、自分たち自身の成長の機会にしているという。
担当の女の子は、私のようなボランティア希望者の窓口を担当しているらしかった。
教室の学習は初級、中級、上級に分けられ、外国人の参加者には1回につき500円の参加費をもらっているという。
1回ごとなので、スポットでいつ来てもいいようにしてあるようだ。
なるほど、それなら数か月だけ日本にいるような短期滞在者でも参加しやすい。
意外だったのは、外国人の学習者たちの国籍だ。
JICAのつながりで来ているアフリカ系の人や、大学で知った留学生など、まんべんなくいろんな国の人がいるんだけれど、中国人が少ない。
日本に滞在している外国人の割合を考えると圧倒的に多いはずの中国人が少ないのはなぜだろう。
勝手に中国人との相互学習を想像していたので、イメージとギャップがあった。
きっと、働く中国人たちにこの会の情報が届いていないんだろう。そもそも中国人はFacebookとTwitterを使う文化がないからなぁ。
そうこうしているうちに外国人生徒たちがぼちぼち集まってきて、私はあるイラン人の若い女性の学習サポートに混ぜてもらうことになった。
男の子の学生さんが彼女の先生らしかった。
初級だと、『みんなの日本語』を使って勉強したりするのだが、この日彼女は特に教材を持ってきてなかったので、
「では、今日はお話をしましょうか」
と、男の子が言うので、
「よかったらこの絵本を見てみませんか?」
と、私は持ってきていた絵本を出した。
『和の行事えほん』という、日本の季節ごとの行事とその由来などを解説してある絵本だ。本来は子供向けだけれど、外国人に日本の伝統行事を知ってもらうのにちょうどいいと思い、「だんらん」にプレゼントするために持ってきていたのだ。
3人で絵本を順番にめくりながら、日本の行事とイランの行事の違いについて話した。
絵本は春、3月からスタートする。
季節の始まりについて、日本は4月がセメスターの始まりだけれど、イランはどうかという話をすると、彼女は、
「イランにはイランのカレンダーがあります」
と言った。
イランのカレンダーは、西暦のカレンダーとは異なるものらしい。
何月何日、というのが全く異なるので、イランにいるお母さんと話をするときに混乱してしまうのだそうだ。
そんなときは、いつもスマホに入っているイランのカレンダーアプリで日付を確認しているというので、アプリ画面を見せてもらった。
西暦のカレンダーとの対比があって、西暦何月何日がイランの暦の何月何日になるかがすぐわかる画面になっていた。
ただし、イランの暦はペルシア文字なので全く読めなかったけど。
(参考までにペルシア語のWikiのスクショを。アラビア語とはまた違うらしい。)
カレンダーなんて、全世界共通のように思い込んでいるけれど、地域が違えば気候も違うし、気候が違えば季節が異なる。
季節とともに暦も変わるし、行事や習慣が違ってくるのは当然だ。
そんな当たり前のことを、日本にだけいると、気づかなくなる。
イランのカレンダーは、1年が四季ごとに4つに分けられ、4つの季節の中には3つずつ月がある。
春の季節は春分の日が1日として始まり、夏の季節は夏至が1日として始まる。
秋の季節は秋分の日が1日、冬の季節は冬至が1日として始まるわけだ。
特に冬至は「一年が生まれる日」として、盛大にお祝いをするのだそうだ。
「日本では、冬至の日は柚子風呂に入ってカボチャを食べるし、春分の日と秋分の日はお彼岸と言ってお墓参りをするんですよ」
と私が言うと、イラン人の女の子よりも、日本人の男子学生のほうが「へぇ~」と感心していたのが可笑しかった。
そこで話題がイランのお墓の話になったのだが、墓石は平べったくて、そこにはポエムが書かれているという。
詩は、有名な詩人の好きな詩を刻む人もいるし、自分で作る人もいるそうだ。
墓地に行って、それぞれの墓石に書かれている詩を読むのは楽しい、と彼女は言った。
確かに、私たちが神社の絵馬をめくって読むような感覚で、墓石を読むことで故人が忍ばれるのは面白いかもしれない。
「○○家之墓」だけじゃつまらないし、日本でも詩を刻んだら楽しいかも、と私が言うと、
「HAIKU?」
と彼女が言った。
彼女にとっては、日本の詩イコール俳句らしい。
言われてみれば、俳句なら墓石に刻むのにぴったりの長さだ。
墓石に俳句を刻む文化が日本で流行したら面白いのに、と思う。
さあ、私の墓にはどんな俳句を刻もうか。
その後も、彼女はイランで『一休さん』を見ていたから「てるてる坊主」は知っているとか、私はアッバス・キアロスタミ監督のイラン映画をよく見たとか、お互いにいろんな話をして、楽しい学習時間はあっという間に終わった。
先日『深夜特急』を読み終え、今『旅する力 深夜特急ノート』を読んでいる。
その序章に「旅を作る」ということが書いてあった。
北野福祉センターは、私の生活圏である神戸市中央区にあるけれど、この日は私にとって「旅」だった。
私はここにいるけれど、よそからやってきた人の話を聞くことで旅をしたような気分になった。
旅人を迎えることも旅を作ることのひとつかもしれない。
残念ながら私は毎週参加する時間が取れないので継続できないけれど、「まなびと」の活動がますます広がることを応援したい。
実写版銀魂は1,100円の価値があった。
詳細が明らかになるごとに、「これは見ないかも…」という気持ちを強くしていった実写版『銀魂』。
原作やアニメのファンで、どれだけの人が実写版を望んだろうか。
いくら監督が福田雄一でも、期待しろというには無理がある。
テレビCMを見て、
「これは完全に見なくていい映画だな、ルパン三世以上に。」
と思ってたのに、気が付くと劇場で銀さんのコスプレをした小栗旬を見ていた。
ファーストデイで鑑賞料金1,100円だったのもあるけど、料金分はちゃんと楽しめる映画だった。
一番笑ったのは、赤ザクと六角精児のシャア。
…って、それ銀魂か?!
いやいや、かえってそういうところが、きっちり銀魂イズムを継承していたと言えるかもしれない。
帰ってから、ネットでの評判をザッと読んでみたら、賛否両論あるものの、思ったよりも好評。
感想を書いている人は、大雑把に言うと、
①マンガのファン
②アニメのファン
③福田雄一のファン
の3つくらいに分けられるようだった。
それぞれの立場によって何を面白いと感じるかが違っているようだ。
演技の良し悪しよりも、似てるか似てないかとか、自分のイメージと近いか近くないか、でしか評価されないのは、俳優さんには気の毒なこと限りなし。
だけど、そういう映画なんだからしょうがない。
私は先のカテゴリに3つとも当てはまるものの、②が1番強いので、どうしてもアニメと比較してしまいがちだった。
ていうか、相当アニメをなぞってきたな、という印象だ。
松陽先生の声が山寺宏一だったり、佐藤二朗の武市変平太の‘フェミニスト’の発音がアニメのまんまだったりするのも、アニメのファンにはうれしいポイントだった。
そんな中でも、マンガのイメージとアニメのイメージを損なわず、なおかつ福田雄一的世界にうまくなじんでいたのが安田顕と佐藤二朗で、この二人がいたから「見に来て損はなかったな」という気持ちにさせられたのかもしれない。
さて、『銀魂』が好きだと言うと、
「一番好きなキャラは誰ですか」
と聞かれるが、特に誰が好きでもない。
酸いも甘いも噛み分けた中年にもなると、とんとキャラ萌えから遠ざかって久しくなってしまった。
好きなキャラはないけれども、「大人として、もし誰かと付き合うなら」と考えた場合に、銀さんほどダメな男はいないなと思う。
そもそも、アニメキャラと付き合うとか考える時点で「大人として」どうかという話もあるが、そこは無視して銀さんのことを考えよう。
★仕事をしない
★収入が少ない
★賭け事をする
★家事をしない
★その割に態度がでかい
ね?
大人の男性として、人生のパートナーとして良いところがない。
反対に、私がイチオシなのは近藤勲だ。
★公務員で、管理職である
★部下に慕われている
★女性に優しい
★まめである
★背が高い
★頼めばちゃんと家事をやってくれる(にちがいない)
ね?
悪くないでしょ?
このことを友達に言うと、
「でも、すぐ裸になるし、ウ○コもらしたこともある男だよ?」
と反論されたけど、仕事もせずにパチンコしてる銀さんよりマシだと思うのは私だけだろうか。
実写版で近藤さんのキャストが中村勘九郎だと知ったときは複雑だった。
歌舞伎役者の中では中村屋を贔屓にしているし、勘九郎も好きだけど(でも一番は七之助)、近藤さんってかんじじゃないし、だいたいゴリラじゃないしなぁ、と思ってしまったのだ。
いざ映画を見てみると意外と違和感はなく、歌舞伎のミエをきってくれるシーンもあり、勘九郎がキャスティングされた甲斐があったように思う。
でも、私の中では、WORLD ORDERの須藤元気が近藤さんなんだけどな。
それよりも。
福田雄一=勇者ヨシヒコ=ドラクエ。
銀魂=白血球王=ドラクエ。
旅に持っていく武器
ようやく『深夜特急』を最後まで読み終えた。
読む前まで、どうして時代を超えて人気があるのだろう、と思っていたけれど、その理由のひとつはこの作品が「紀行文」というより「冒険物語」だからだと思った。
旅のハイライトは名所旧跡や名物の紹介ではなくて人の営みだったりするし、旅を通して主人公も変化していく。
通貨だとか治安だとかIT環境だとかは当時と今とでは全く変わってしまっただろうけど、書かれていることが全く古びないのは、人々とのかかわりや主人公がぶつかる困難さに焦点が当てられているからだ。
冒険談というのは、いつだってワクワクさせられるものだ。
ユーラシア大陸を西へと向かう冒険談、といえば、西遊記である。
西遊記が大好き、と自称している割に、これまであまり亜流の西遊記作品には触れてこなかった。
諸星大二郎の『西遊妖猿伝』を読んだことをきっかけに、ほかの亜流作品も読むべきなんじゃないだろうかと思い始めた今日この頃、ちょうどテレビアニメ『最遊記 RELOAD BLAST』が始まった。
人気マンガ『最遊記』シリーズの最新作である。
『最遊記』も今年で連載開始20年になるらしい。
実は、これまで『最遊記』に対して、
「どうせ『ちがう!こんなの西遊記じゃない!』って腹が立つような内容でしょ」
と偏見を持っていて、全く見てこなかった。
20年経って、初めて触れる『最遊記』。
しかも『RELOAD BLAST』のアニメからという中途半端さ!
すごい今更。
それでも、いざ見てみたら、意外とよかった。
そりゃあ西遊記ファン的には、なんで玄奘三蔵が破戒僧なの、とか、なんで八戒と悟浄の性格が逆なの、とか、なんで哪吒太子の読み方が「なた」じゃなくて「なたく」なの、とか、気になるところはいろいろあるけれど、ちゃんと西遊記の世界が再構築されているのが感じられるので、嫌な気持ちにはならない。
オタク心を掴むよう仕掛けられているとわかっていても、やっぱりぐっとくる巧妙さ。
ただ唯一ひっかかるのが、三蔵が持つ武器が拳銃だということだった。
現代的だとかそういう意味じゃない。
銃には弾薬がいる。弾薬は消耗品だ。
消耗品が必要な武器なんて、長旅に不向きじゃないかと思うからだ。
ファイナルファンタジーやバイオハザードが「すごい!」と思ったのは、矢や弾が消耗していくところだった。
戦っても矢や弾が減らないで無数に出てくるのは、やっぱりリアルじゃない。
三蔵がどのように回転式拳銃の弾薬を補充しているのかは知らないけど、武器の選択肢として拳銃はありえないと思ってしまう。
じゃあ、長い冒険に出るのに最も適した武器は何か。
何と言っても、悟空の如意金箍棒は小さくして持ち運びができる点で申し分ない。
最強にして最高だ。
けれど、もしサイズ変更ができなかったとしても、長旅には棒が最適じゃないかという気がする。
普通に考えると武器は刀や槍が一般的だろうけれど、包丁だって研がないといけないように、刃があるものは手入れが必要なんじゃないか。
一度人を切ると脂肪でベタベタになる、という話も聞くし、雨や川渡りのときに濡れたら錆びることもあるだろう。
岩波文庫の『西遊記(一)』の巻末の訳注ではイラスト付きで武器を説明してくれている。
敵もいろんな武器で挑んでくるけれど、彼らは地元なので、移動のことを考えなくてよい。
ちなみに、上記の図は下記の書籍から引用されているらしい。
子供の頃、マチャアキの『西遊記』が大好きだったが、そのときは私も考えが浅かったので、
「悟空の武器がただの棒だなんて」
と思ったことがあった。
「悟浄の降妖宝杖のほうがデザイン的にカッコいいじゃないか」と。
西遊記では、八戒は九歯のまぐわ、悟浄は降妖宝杖という武器を使っている。
どちらも棒の先に金属がくっついているから、毎日歩いて運ぶのは重そうだ。
それに、持って歩いていて、うっかりぶつかって人を傷つけたり、荷物を壊したりする可能性だってある。
大人になった今、手入れや移動、その他もろもろの実用を考えたら、棒に勝る武器はない、と思う。
歩くときの杖の代わりにもなるし、高いところのものを引っ掛けたりもできそうだ。
ところで、実用ということを考えると、武器ではないけれど、傘というのもありかもしれない。
私も一応女性なので、暗い夜道に一人のときは、
「いざというときは、この傘を武器に戦おう!」
と用心しながら歩いている。
「護身術 傘」でYou Tubeを検索すると、いくつか動画がひっかかったけれど、私が知りたかった女性向けの実践護身術じゃなかった。
護身術っていうか、ストリートファイト、ケンカ用だよね?
んー、本当に実践的で即戦力になるようなものってないものかしら。
…そこで私は考えた!
…これがきっかけに、波野なみ松による傘を使った武術研究が始まった。
彼女は研究と研鑽を重ね、20年にも及ぶ修行の結果、ついにオリジナル拳法である「麗傘拳」を編み出したのだ。
武田鉄矢のハンガーヌンチャクに勝るとも劣らない、あの「麗傘拳」である!!!
奥義は一子相伝…にせず、多くの女性に護身術を伝えるべく、普及に努めた。
その麗傘拳普及の旅は路線バスを使った。
西へ西へと向かい、ユーラシア大陸の果てにたどり着いたとき、彼女はその一生を終えたのだった。(劇終)