3月中は出てきちゃダメ!
「産休に入ったらゆっくりして」
と言われるけれど、そうもいかない。
まずは、母の転院が目前に控えている。
それに伴って、父にやってもらうことも段取りしなければならない。
そして、次には新居の手配である。
実は、中古マンションを買うことにした。
今の賃貸のワンルームは赤ん坊を育てることができない狭さなので、引っ越しをするのである。
最初はファミリータイプの賃貸物件を探していたけれど、思いのほか良い物件が見つからない。
手頃な値段だとボロボロすぎるし、そこそこ新しくて広い物件だと借りるのがバカらしい高額な賃料なので、いっそのこと買うことにしたのだ。
誰が?
私が。
まさか、自分が不動産を所有するなんて思いもしなかった。
思わぬ掘り出し物物件が見つかったということもある。
10年も住めば、賃貸で払う金額とトントンになると計算したのだ。
内見をして、売買契約書を交わして、住宅ローンを組んで…、と2月はバタバタだった。
最終決済はこれからで、そのあとクロスの張り替えやハウスクリーニング、そしてお引っ越しという山場を抱えている。
赤ちゃん用品を揃えるのは、新居に引っ越したあとだ。
だから万が一、新居に引っ越す前に産まれるようなことがあったら、赤ん坊には着る服すらない。
お腹の赤ん坊には、宅急便の指定日配達同様、
「早すぎてもダメ、遅すぎてもダメ!」
と毎日言い聞かせている。
こんなバタバタも、思いがけず妊娠してしまったせいで、通常の、「結婚→新居→妊娠」という順番だったら、しなくて済む苦労だろう。
安静にとか言われても、泣くしかない
産休1日目は、産婦人科の受診日だった。
しかも、担当医はみんなに嫌われている爺さん先生である。
無痛分娩を希望するなら、担当医をこいつで我慢するしかない。
内診のときにやたらグリグリ触られて、それもすごく嫌だったけれど、その後所見のときに言われたことがショックだった。
「産道が短くなってます。通常の3分の2しかないです。赤ちゃんの大きさはやっと1,700グラムを超えたところです。これまでずっと赤ちゃんは小さめで来てますから、もしこのまま産まれると未熟児になります。それは絶対避けなければいけません。3月中は特に安静にしててください」
ボソボソとちいさな声で、まるで批判するように爺さんはしゃべった。
前回、近藤公園に似た若い先生から、産道が短くなっていることは指摘されていた。
けれど、
「無理をしないように」
というくらいで、そこまでキツいことは言われなかった。
「張り止めの薬を出しましょうか?」
と言われたけど、
「それほど張ることはないので…」
と断ってしまった。
ああ、どうしてあのとき断ったりしたんだろう…。
それに、これまで胎児の大きさは標準の真ん中だと言われてきた。
胎児の成長曲線というのがあるけれど、だいたいいつも2つの線の中間あたりだった。
妊娠32週で1,700グラムだったら、やっぱり真ん中じゃないか。
なんで小さめと言われるのかわからない。
「お腹は張りますか」
「よく歩いたときは張りますけど…」
「仕事はまだしてるんですか」
「今日から産休に入りました」
「だったら、これからは歩いたりせずに、自宅で安静にしててください」
「安静にというのは、どれくらいでしょう…。寝てないといけないということですか? 実はこれから引っ越しをしないといけないんですけど…」
「引っ越し?! 家族や業者とか、誰かほかの人に任せて、自分で作業しないでください」
そんなこと言われても…。
その場では、
「はぁ…、わかりました」
と返事するしかなかったけれど、その後考えれば考えるほど、崖っぷちに立っている気分がしてきた。
翌日に控える母の転院は誰にも頼めない。
自分の部屋の引っ越し作業だって、誰かに全部お任せとはいかない。
本とCDが野積されているオタクの部屋を本人以外がどうやって片付けられるというのだろう。
自分の身体だけなら、少々無理してでも頑張れる。
けれど、そんな無理によって子供が未熟児だったり低体重児で産まれてしまったら、申し訳なさすぎる。
いずれにしても、早産だけは絶対に避けないといけない。
早すぎてもダメ、遅すぎてもダメ!
正産期というのは、妊娠37週0日から41週6日までだという。
それより早いと早産になる。
今、私は32週なので、あと5週。
いい子だから、来月までは絶対に出てきちゃダメ!!
そうお腹に言い聞かせる。
赤ん坊ばかりに押し付けず、私自身も心を引き締めよう。
絶対やらないといけないことと、誰かに任せられることの仕分けをきっちりやって、できるだけ人に助けてもらう癖をつけよう。
電車の席も、図々しく座ろう。
家ではなるべく横になろう。
本当はもっと前からそうしなきゃいけなかったのに…。
みんなから、あれほど無理するなと言われていたのに…。
私は元気だから大丈夫、とたかをくくっていたせいだ。
悔しくて涙が出そうになる。
おかあさんだから、産休突入。
先月末、久しぶりに会った友達とごはんを食べたとき、炎上していた『あたしおかあさんだから』の話になった。
人気絵本作家のぶみ作詞「あたしおかあさんだから」への批判の声相次ぐ - NAVER まとめ
赤ちゃんの世話を手伝ってあげるね、と言ってくれる彼女に、
「だったら、赤ちゃん預けてライブ行ってもいい? 今年は筋少30周年のお祝いの年なのに、記念ライブすら行けないなんてつらいわ〜」
と私がこぼし、
「そーいえば、炎上中の『あたしおかあさんだから』にそういうフレーズあったよねぇ」
と思い浮かんだのだった。
もしも おかあさんになる前に戻れたなら
夜中に遊ぶわ ライブに行くの
という部分である。
ちなみに、筋少のライブは夜中になんかやらないけどね。(オーケンがネタで「笑点より早く始まるんだから!」と言ったくらい。)
「お母さんになる私としては、我慢に思えるのはライブくらいかなぁ。ほかは自然と“お母さんらしく”なっちゃうだけだと思うけどねぇ」
と私が言うと、友達は、
「あれは読む人の年齢によって受け取り方が全然違うと思うよ」
と言った。
そうか、そうだな。
あの歌詞の「あたし」は20代であろう。
私のような40代とは感覚が違う。
「痩せてたのよ お母さんになる前」
と「あたし」は言うが、私にしてみれば、母になるならないは関係なく、
「痩せてたのよ おばさんになる前」
というだけなのだ。
太るのは加齢による代謝の低下だよね。
この「あたし」は、母になることでいろんなことをあきらめたみたいだけど、私のように40オーバーともなると、たいていのことはもうやってきて、飽き飽きしてきたところもある。
ハイヒールなんて足が痛いだけ、無理してはかなくてもいい。
ということを、母にならずとも学んでいくだけだ。
特に仕事はその最たるもので、「あたし」は「立派に働けるって強がってた」らしいけど、私の場合で言うと、そこそこ長く勤めると、組織での自分の立ち位置やキャリアや仕事内容の限界が見えてくる。
「どんなに頑張っても、ここどまりだな」とか。
先輩の女性社員があまり評価されず、たいして仕事もできない男性社員が昇進するのを見てくると、「立派に働く」意味すらわからなくなってくる。
(そしてそれが性差別ではなく、評価のポイントが男女で違うからだと最近わかってきた。男性が評価するから男性ウケする人が昇進するんだよね。)
母になることで諦めることなんて、私はほとんどない。
ほんと、ライブや観劇だけ。
20年目の長いお休み
そして、とうとう一昨日を最後に、私は産休を迎えた。
続けて育休も目一杯取らせてもらう。
大学を卒業してから20年間勤めた会社だ。
ここ2〜3年は介護休暇でも休み倒し、挙げ句の果てに産休・育休まで取るのか!という贅沢三昧。
もしかしたら復帰することなく、休んでいる間に退職しちゃうかもな〜、と考えたりもした。
なにしろ、仕事に飽き飽きしていたところだから。
けれど、もうすぐ産休というとき、いろんな人が声をかけてきてくれて、
「育休明けたら、また復帰するんでしょ?」
と言うので、
「そのつもりです」
としか答えられなくなった。
かつて上司だった女性の管理職なんかは、
「何年休んでもええけど、絶対戻ってきてね。待ってるからね」
と言ってくれた。
仕事に厳しい人だけに、その人から言われるとグッときた。
(ちなみに、直属の上司である部長と課長だけは、年度途中で休まれて迷惑しているせいか、そんなふうには言ってくれなかったけれど。直接業務に影響があるわけだし、気を悪くされて当然か。)
そんなふうに、かつての上司だとか同僚だとかに温かく送り出してもらったことは、正直とても意外で、しみじみしてしまった。
仕事の成果や内容やキャリア、自分の発展や成長なんかはたいしてなかったかもしれない。
けれど、声をかけてくれるたくさんの知り合いができたことだけは、20年勤めた成果だった。
「20年も働いたし、もうそろそろ会社やめちゃおっかな〜」
と、去年は何度言っていたことか。
休むことにならなければ、職場のこんな温かさや有り難さには気付かなかっただろう。
父にお願いする不安
母の保険証類や診察券などは、ジッパー付きの透明バッグにまとめて入れてある。
とにかくそれを持ち出せばいいようにまとめてあるのだ。
少し前のことだが、父に母の入院費の支払いを頼んだ。
支払いの際には、保険証と特定疾患受給者証と、特定疾患の自己負担限度額管理表の3つが必要だけれど、いつもの透明バッグとお金さえ持っていけばいいので、難しいことではない。
これまで何度もそういう手続きは父にお願いしている。
わからなかったら、袋ごと係の人に渡して、
「この中に入っとうから、どれか見てみて」
と探してもらうようだ。
ところが、支払いに行く前、父から電話がかかってきた。
「お母さんの障害者手帳がないんや」
「障害者手帳? 袋の中になかった?」
「ない」
「おかしいなぁ、何でも大事なものは全部あの中に入れとんやけど」
「ないで」
障害者手帳なんてめったに取り出したりしないし、袋にないなんて考えられないけど、今必要なものではない。
「まあええよ、次に帰ったときに探すわ。入院費の支払いに障害者手帳はいらんからね。要るのは、保険証と特定疾患受給者証と限度額管理表だけやから。それはあるよね?」
「ある」
「ほんならお願いしますよ」
なんかおかしいと思った
どうして障害者手帳がないんだろう、しかも、なんで父はそんなことで電話をかけてきたんだろう、といぶかしく思っていた。
その疑問は、のちほどすぐに判明した。
「支払いに行ったらな、保険証の期限が切れてます、言われたんや」
「はあ? 袋の中にはちゃんと新しいものを入れとうはずやけど? お父さん、どれを持って行ったん?」
つまり、だ。
いつもの透明バッグがいつもの引き出しに見つからず、父は引き出しを探し回った挙げ句、奥にしまっていた去年の保険証と受給者証をわざわざ引っ張り出してきて、それを持って行ったのだった。
特定疾患の限度額管理表は、ページが埋まるまで使う仕組みなのだけど、今の管理表のページがなくなったら使おうと置いておいた新しいものを持って行ったらしい。
「障害者手帳がないんじゃなくて、いつもの袋がなかったんやんか。なんでそう言うてくれへんかったん!?」
前回使ったとき、ちゃんといつもの引き出しにしまわず、紙袋の中に入れっぱなしだった私も悪い。
けれど、父が電話で正しく問い合わせてくれていれば、私だって袋の在りかを伝えられたはずなのだ。
もどかしくて、イーーーっとなる。
病院側はそんな期限切れの保険証でも支払いを受け付けてくれたようで、「支払い」という点では父のミッションは達成した。
けれど結局、正しい保険証を見せにいかないといけなかったり、間違って使った新しい管理表について確認をしないといけない。
これじゃ60点だよ…。
病院の窓口で正しい保険証を見せ、ついでに限度額管理表についても尋ねると、基本的にはページ最後まで使いきるのがルールだという。
使いかけの管理表ページがまだ余っているのに、新しいものに書いてしまった場合はどうすれはいいのか尋ねると、
「健康福祉事務所でないとわかりませんねぇ。訂正印を押して書き直せと言われるかもしれません。過去にそう言われた方もいました」
と言う。
仕方ないので、後日、父に現物を持って健康福祉事務所に行ってもらった。
回答は、新しいものを使っても問題ないとのこと。
結果オーライ。
でも、こんな行き違いがあると、不安が募る。
(ちなみに、期限切れの保険証類はそのあと全部シュレッダーをかけて廃棄した。)
転院先のレンタルセット
私が母のお見舞いに行けるのが土日だけなので、今は身の回り品のレンタル&交換セットを利用している。
パジャマ、タオル、バスタオル、歯磨きセット、スリッパのセットで、1日350円。
それのおかげで、洗濯物を持って帰る、持ってくるということがなくて大変助かっている。
ところが、転院先の病院ではパジャマのレンタルはあるものの、タオルがなくて、持参して定期的に洗濯してくださいと言われた。
父が毎日お見舞いに行くと言ってくれているし、一応洗濯くらいできるから、父にお願いはするものの、すごく不安だ。
保険証の件のように、こちらが思いもかけないことをしでかす可能性がある。
それに、父はしょっちゅう、
「洗濯機が終わった後、干し忘れて、翌日干す」
ということをやっている。
年々嗅覚が鈍感になって、洗濯物がひどく臭くても、
「匂わへんなぁ」
と平然としている。
反省する気持ちがないから、いくら注意しても直す気がない。
母の入院のタオルも、きっと雑菌臭をプンプンさせてしまうに違いない。
それに、ふと、
「もし父も体調を崩して病院に行けなくなったらどうしよう」
と不安になってしまった。
親戚も高齢化しているので、頼むにも気が引ける。
そう考えると、誰も頼れる人がいないことに気がついた。
これまでは介護保険のサービスでなんとかなってたけど、入院中となると介護サービスが受けられない。
タオルの洗濯なんて、こんな簡単なことがこんなにも悩ましい。
胃ろうと転院先の犯罪者
介護や病気がある高齢者が、2〜3ヶ月ごとに病院や老健施設を転々とさせられる、という話を何度か聞いたことがある。
「病院にもう置いてもらえなくて、出ていってくれと言われても受け入れ先がない」とか、そんな話。
ひどいなぁ、どうしてそんなことになるのかなぁ、と思いながら、システムをよく知らないので、いまいちピンと来ないままでいた。
母はいまだ鼻からチューブのまま、最近微熱があるので点滴を受けたりしているけれど、病状は安定している。
今の病院は「急性期病院」なので、これ以上状態が変わらないようになったら退院させられるのだ。
自宅や介護施設に戻れたらよいが、そうでなければ療養病棟のある病院へ送られる。
入院当初は、リハビリが充実している「S病院」を経由して「特別養護老人ホーム」というルートを考えていたけれど、母の食事がままならないことで断念せざるをえなくなった。
すると、ソーシャルワーカーさんから、「できるだけ長く置いてもらえる療養型のK病院」を薦められた。
最初に考えていたS病院は実家からやや遠かったので、お見舞いのことを考えると、比較的近いK病院のほうが安心ではある。
それに、万が一、胃ろうを作ろうということになったときに、S病院は胃ろうを作ることができず、K病院は可能だというのもオススメポイントのひとつだった。
父にそのことを告げると、
「まだ治っとうへんのに、なんで今のままではあかんのや。今の病院はよう看ん言うとんか。よう治さんから放り出すんか!」
と怒っている。(ただし、その場では言わずに家に帰ってから文句を言う内弁慶。)
確かに、医者やソーシャルワーカーさんから、
「うちはキューセーキ病院ですので、リョーヨー病棟のある病院へ移ってください」
と言われても、父が理解できないのもわかる。
私から、そういう仕組みになっているのだと説明するものの、古い頭はなかなか飲み込んでくれない。
胃ろうの対処
ブログを読んでくれた友達から、
「胃ろうを作っても口から食べられるみたいだけど」
とメッセージをもらった。
確かに、そのとおりなのだ。
だから、理想としては鼻からチューブをやめて胃ろうを作り、できるだけ口から食べて、不足分だけ胃ろうで補う、ということができたら一番良いのかもしれない。
ただ、うちの母の場合、口から食べさせるのは介助者にすごく負担がかかる。
食べたあとに喉に飲み込み残しがあれば、吸引器での吸引が必要になる。
入院前でも、自宅で私が食事介助するときは1時間以上かかっていたし、小規模多機能でも40分くらいはかかっていると言われていた。
入所を考えていた特養では、申し込み時に、
「2人のスタッフで10人の利用者さんを看ているので、食事にそんなに時間はかけられません」
と言われていた。
そのうえ、吸引器が使えるのは看護師だけなのだが、夜間になるといなくなってしまう。
だったら療養病棟がある病院で、リハビリとして口からの食事を続けてくれるところがあればよいのだけれど、今の主治医からは、
「たいていのところは、胃ろうがあるなら胃ろうだけになってしまうでしょうね。口からの食事は、手間がかかるだけでなく、誤嚥リスクもありますから。」
と言われた。
「家族が行った時に楽しみとして食べさせることはできますよね?」
と尋ねると、
「頻度がどうかですよね。たまに、となると、飲み込む能力が落ちているので、とたんに誤嚥を起こすでしょう。すると簡単に肺炎を起こしてしまいますよ」
と言う。
言われていることは理解できた。
「胃ろうを作っても、口から食べることに支障はありません」
という、胃ろう入門サイトの解説はそのとおりなんだけど、結局それは、自分の手でお箸やスプーンを使って口に運べて、ちゃんと飲み込める人たちの話なのだ。
おそらく、胃ろうを作る多くの高齢者は、それらができないから胃ろうを作らざるをえないわけで、あべこべなのだ。
理想と現実のギャップ。
自分が母の食事介助に長時間かけていたからこそ、施設や病院が、効率のために胃ろうを作って、リスクを口実に口からの食事をやめてしまう、という、「そうなってしまう、そうならざるをえない現実」はよくわかるのだ。
ただでさえ人手不足の現場で、家族のように世話をしてもらえるなんて思うほど、私も楽観的ではない。
転院先病院での家族面談
月曜日は午前中会社を休み、父と転院先のK病院へ家族面談に行った。
最初に応対してくれたのは、地域連携室の女性スタッフ。
まずは病棟の見学をさせてもらった。
今入院している病院が新しくてキレイなだけに、この病院の古くて暗い印象が目立つ。
足が悪くて杖をつきながら歩く父と、お腹が大きい私。
二人ともゆっくりしか歩けないのに、スタッフの女性はスタスタと進んでいく。
もっとゆっくり歩いてもらえないか声をかけようか迷っているうちにガイドは終わり、あとは母についてのヒアリングと、入院案内の説明。
感じの悪い人ではないし、単にテキパキと説明してくれているだけなのだが、父のような高齢者からすると早口で声のボリュームがやや小さい。
隣で見ていて、こりゃ全然聞き取れてないな、と思ったので、ときどき、
「お父さんちゃんと聞こえてる?大丈夫?」
と声をかけるものの、
「聞いとうで」
と言うだけである。
ときどきスタッフさんから、
「○○はどうされてますか?」
などと尋ねられても、父は、
「え?」
と聞き返し、
「さあ、どうなんかな」
と、私に振るばかりだった。
地域連携室での説明後、院長との面談ということになった。
女性スタッフとは違って、じいさんの院長は高齢者にもわかりやすくゆっくり大きな声でしゃべる。
これだと父も聞き取れているだろう、と安心するものの、大きくハッキリした発声の仕方に、性格の横柄さを感じさせる。
院長は、
「延命治療についてはいろんな考え方がありますが、うちは、胃ろうを作って、最後まで食事をするという方針です。一口でもね、食べられるように食事を続けます。鼻から管を通してますと、本人も苦しいし、どうしても飲み込みが悪くなりますから」
と言う。
「口から食べるために、胃ろうを作るんです。いいですか」
と力説する院長に、
「胃ろうを作ると、口からの食事をやめる病院や施設が多いと聞くのですが…」
と私が口をはさむと、院長は突然声を荒げて、
「だーかーらー、口から食べるために、胃ろうにするって言ったでしょう!」
とムキになった。
あ、こういうジジイ、わかるわ。
自分の言いたいことを一方的に説明して、相手がどう思ってるか受け付けないタイプ。
それ以降、こいつとは“対話”はできないな、と思い、もう黙ってしまった。
本当に、胃ろうを作っても最後まで口からの食事を続けてくれるなら、願ったりなことなのだから。
その院長は鬼畜犯罪者
ソーシャルワーカーさんから「転院先にK病院はどうですか」と言われたとき、私の頭によぎったのは、十数年前にこの病院の院長が女子高生への強制わいせつで逮捕された事件だった。
インパクトが大きかったのはその院長というのが、姫路市立美術館に寄贈のコレクション室を持っているほどの西洋絵画のコレクターでお金持ちの名士だということだ。
それだけに私も記憶に残っていたし、このご時世、検索すれば5chに転載された記事がすぐに出てくる。
だとしても、ずいぶん前の事件だし、さすがにその犯罪者はやめているだろう、と思っていた。
だから、家族面談で院長に会うとき、病室の前に「名誉院長」として見慣れた名前が掲げられているのを見て驚いてしまった。
えっ?!まだ医者やってるの?!
しかも名誉院長って?!
不名誉院長だろーがっ!!
そしてその不名誉犯罪者院長が、
「口から食べさせるために胃ろうにする」
と言い張った医者である。
あ、私、本物の犯罪者としゃべったの初めてかも。
私は本来、過去に犯罪歴があっても、誰だって人生をやり直せるチャンスをもらうべきだと思っている。
更正しようと頑張っている人が、差別や偏見にさらされるなんて、あってはならない。
…けど!
カネで示談にして、のうのうと院長を続けてる場合は別!!!!
そんな人間の話が信じられるだろうか。
「できるだけのことはします。大事なお母さんですからね」
と言われたって、
「人様の大事な娘さんをテゴメにしといて、どの口が言うか!」
と思ってしまう。
考えれば考えるほど、不安ばかり募る。
ソーシャルワーカーさんに、
「本当に、他に転院先候補はないんですか?」
と電話で尋ねてみたけれど、
「いやぁ…なかなか…難しいです…」
と電話口で困っている様子がありありとうかがえた。
ソーシャルワーカーさんが親身に相談にのってくれているのはわかるから、本当に他の受け入れ先はないんだろう。
来週、転院する予定となった。
ケアマネさんにも相談したけど、最近は病院の体制が変わって、以前より良くなっていると聞く、ということだった。
院長は犯罪者だけど、他の医師や看護師に期待するしかない。
行き止まりと延命治療
母の主治医から話があるというので、先週の土曜日の朝、病院へ出掛けていった。
最寄り駅から病院までは、これまで車でしか行ったことがなかったけれど、父に送ってもらおうにも朝9時半に父が起きられるわけがない。
救急車で運ばれた日はタクシーを使ったけれど、タクシー乗り場が駅の反対側にあり、大きな車通りは少し大回りすることもあって、病院がすぐそこに見えている割には千円近くかかってしまった。
その点、バスなら170円だけれど、1時間に1本あったりなかったりの時刻表ならぬ地獄表。
公共交通機関しか使えない人にとっての、田舎のつらい現実。
改めて病院の案内サイトを見ると、実は徒歩10分のアクセスであった。
そりゃそうだよ、駅から建物が見えるくらいなんだもの。
ここは徒歩ならではの最短距離で行こう!と、Googleマップのナビにお世話になると、タクシーやバスの迂回路とは異なる、ジグザグのルートが表示された。
とりあえず、Googleマップ先生に従って歩く。
進むにつれて、不安になる道になってゆく。
舗装はされているものの、ほとんど田んぼの畦道である。
もしこれで正解なのだとしたら、Googleマップ恐るべしだなぁ!と感心しながら進んだけれど、途中で道が完全な畦道になった。
しかも、その先に見える、マップが示している終点は病院の駐車場で、フェンスで囲まれている。
たどり着いても入れへんやん!
結局、少し戻って方向転換。
病院はずっと見えているので迷うことはなかったけれど、結局近道にはならず。Googleマップにだまされた!
Googleマップ、入り口がどこにあるかまでナビできるレベルじゃないわけね。
そんなわけで、やや遅刻ぎみに病院に着き、主治医を呼び出してもらった。
方向性を決めてください
ずっと同じ病院の神経内科に通っているけれど、入院前と入院後で主治医が変わった。
救急車で運ばれたときに見てもらった先生が主治医になる仕組みのようだ。
幸い、これまで何年か診てくれていた主治医より、新しい主治医のほうが親切丁寧な人だった。
だからこそ、ちゃんと家族に説明しようとしてくれているのだと理解した。
話の要点は、状態は安定しているものの口からの食事量が少ない、ということだった。
「今は、昼だけリハビリとして口からの食事訓練をしていますが、日によって変わるものの、だいたい食べられるのは2割くらいです。足りない分の水分と栄養は、鼻から胃へチューブで送り込んでいる状態です。」
それはだいたいわかっていた。
毎日お見舞いに来てくれている父からの、
「お母さんまだ鼻からチウブ」
という報告メールで、経鼻栄養摂取が続いているのだと知っていた。
ちゃんと口から食べられるなら、チューブはいらない。
「これまでリハビリを続けてきましたが、量が増えず、2割で頭打ちになっています。これから劇的に食べられるようになるということは考えにくいでしょう。状態が落ち着いたら、リハビリ病院を経由して施設入所を考えられていたと思いますが、施設の受け入れは口から食べられることが前提となっているかと思いますので、ご家族さんには酷な話ですけど、退院して施設に、というのは難しいと思います。」
そうですか…、と言いながら、私は先ほど歩いていて、進む先が駐車場のフェンスだったような気分になった。
頼りない畦道を歩いて、たどりついたら行き止まり。
「どうされるか、ご家族さんで方向性を決めておいてください。それがないと、転院先の病院でもどうしたらよいかわかりませんから」
と医者は言う。
けれど、「方向性」というのが、具体的にどういうことを意味しているのかがわからない。
先生は丁寧に繰り返し説明してくれるけれど、オブラートに包んだ物言いをするので、いまいち理解が進まなかった。
何度も同じ話を聞いて、ようやく、医者が言いたいことが、
「口からの食事だけでは死んでしまいますよ。胃ろうをつくらなければ、鼻からチューブは一生やめられませんよ。強制的に栄養を流し込むという点では、胃ろうも鼻からチューブも同じですよ。それでもかまいませんか」
ということだと理解した。
そして、それぞれのメリットデメリットはこんなかんじ。
- 口からだけとなると、1週間くらいで死んでしまう。
- 鼻から経管栄養は、1週間に一度新しい管に交換するときに本人は苦しい。
- 胃ろうを増設すると、口から栄養を取るリハビリを行わなくなるので、おそらく口から食べる能力を失ってしまう。
当然、私が、
「口からだけの栄養摂取にこだわります」
なんて言えるわけがない。
母が死んでしまうのだから。
最後の楽しみである食事を奪ってしまう胃ろうは、できるかぎりしたくないけれど、医者から、
「本人が楽なのは鼻からより胃ろうです」
と言われると、迷ってしまう。
「延命治療をどこまでするかを決めておいてもらいたいんです。昔は、本人や家族の希望に関係なく、無条件に命を長らえさせる医療でしたが、今は希望に沿った医療を行うようになりました。医師の間でも考え方はそれぞれありますが、私はできるだけ本人や家族の希望に沿いたいと思っています。できるだけ細かく、延命治療についてこれはいいけどこれは嫌だ、というのを決めておいてください」
先生が言ってくれていることはごもっともで、家族の希望を尊重してくれるのはありがたいと思った。
けれど、残念ながら素人には、選択肢そのものが思い浮かばない。
先生の説明の中で出てきた、栄養摂取以外の延命治療が、
- 人工呼吸器をつけるかどうか。
- 肺炎を起こしたとき、肺炎そのものの治療を行うか、それとも痛みや苦しみを緩和させるだけの治療にとどめるか。
ということくらいだっただろうか。
おそらく、もっといろいろあるだろうし、本人の状態によっても違う。
アンケート形式のリストにして渡してくれたらいいのに、と思ってしまった。
延命治療はやめてほしい、とは思っている。
意識不明の状態なら、延命治療はしませんと言えるけれど、今の母は呼び掛ければまだ反応してくれるのに、やめれば死んでしまう決断を下せるわけがない。
「家族で相談します。それまでは今のままでお願いします」
としか言えなかった。
父に相談したところで、何も解決しないのはわかっていたけれど。
実際、のちほどソーシャルワーカーさんと面談したときには父も同席してもらったのだが、父は、
「お父さんはようわからん」
と言ったきり、黙ってしまった。
私だって、決断から逃げられるものなら逃げたいのに…。
たったこれだけの話を書くのに、1週間かかった。
延命治療をするかしないか、重すぎて考えも進まない。
繁殖と修復と少子化対策
美容室での適当な会話が苦手で、ここ数年はずっと同じスタイリストさんに担当してもらっている。
もう長い付き合いになってしまって、最初は若かった彼もずいぶんいい歳になった。(←お前もなっ!!)
結婚して、子供ができて、家も買って車も買って、二人目も産まれて、と、彼はしごく順調な人生ゲームを進んでいる。
「もう下の子も大きいなら、ベビーカーちょーだいよ」
と言うと、
「ダメです、うち3人目考えてるんで」
とまさかの返事が返ってきた。
共働きのご夫婦で奥様にもそれなりに収入があるので、3人と言わず4人でも5人でも欲しい、と言うのだった。
ただ、ネックは面倒を見てくれる人で、今は子供2人をおじいちゃんおばあちゃんが見てくれているけれど、
「さすがに3人面倒みるのはしんどい。もうやめて」
と根をあげているらしい。
どうやら多くの人は赤ん坊を望んでいる
自分が妊娠するまで、「子供を持つ」ということに対し、周りの人たちがどんな考えを持っているか全然知らなかった。
というか、自分が欲しくないから全く関心が向かなかったのだ。
妊娠8ヶ月目にもなってくるとさすがにお腹が目立ってきたし、来月には産休を取ることもあって、職場では隠さずに妊娠のことを話している。
すると、いろんな人が話しかけてきてくれるようになった。
廊下でのすれ違いざまや、エレベーターの中や、行き帰りの道すがらで。
今まで話したこともない同僚まで、妊娠や出産について、励ましやアドバイスをくれる。
職場だけでなく駅のホームや電車内で、バッグにつけているマタニティマークを見て見知らぬ年配女性が話しかけてくることもある。
マタニティマークは、席を譲ってもらうには効果がないけれど、お婆さんのお節介心を刺激するには抜群らしい。
当然のことだが、声をかけてくる人たちはみんな、赤ん坊というものが大好きなようだ。
ある同僚は、私のお腹を見る度、
「だんだん大きくなってくるのを見ると、うれしいなぁ。希望があるなぁ、夢があるなぁ」
と言う。
当の私は、
「そうですか。だんだんお腹が苦しくなるばかりですけど」
と冷めた物言いしかできないけど、肯定的に言ってもらえるのは悪い気がしない。
日本の少子化について、私はずっと、
「子供を産む世代が、子供を欲しがらなくなったせいだ」
と思っていた。
近代化で本能が壊れているのだ、と。
私のように、子供を望まない女を育てた社会のせいだと。
でも、どうやらほかの人たちの本音は違うらしい。
「欲しいけど、できない。持てる環境にない」
選挙のときに政治家が少子化対策について演説してるけど、本当にそういうことらしい。
ということは、本当に、経済の問題と、面倒を見てくれる人の問題がクリアできれば、もっと産むようになるわけだ。
「少子化対策なんて、政治でなんとかなるものじゃないんじゃない? 個人のモチベーションでしょ」
と思っていたけれど、政治が変われば本当になんとかなるのかもしれない。
今は本気で取り組んでないだけで。
繁殖と修復
Eテレで放送中の『ダイヤモンド博士の“ヒトの秘密”』という番組を毎週見ている。
先週のテーマはヒトの寿命だった。
(下記のブログで内容がわかりやすくまとめられていました。気になる方はどうぞ。じじぃの「科学・芸術_396_ヒトの秘密・寿命と閉経の謎」 - 老兵は黙って去りゆくのみ)
目からウロコだったのが、動物はカロリーを何に使うかで寿命が異なるという話だった。
繁殖にカロリーを使って子孫にバトンタッチし、自分は短命で死ぬか、はたまた、繁殖はそこそこに抑えて、自分の身体の修復にカロリーを使って長生きするか。
現代人でいうと、カロリーというよりお金に置き換えるとよりわかりやすい。
私の場合、これまでは子供を持たない前提だったので、優雅な老後を過ごすために老後資金をせっせと貯めていた。
子供ができてしまった今、その老後資金は教育資金に早変わりである。
アンチエイジングの化粧品やマッサージにかけていたお金だって、
「これからベビー用品に費用がかかるから贅沢できないな」
と抑制する気持ちになる。
日本国で考えても、老人福祉や医療費の予算と、子育て支援の予算が取り合いをしている。
(それ以前の問題として、森友とか加計とかアメリカから購入する武器とか、長生きのためでも子供のためでもない政治家の無駄遣いが多すぎるんだけど。)
予算の視点で考えると、まるで老人を長生きさせるか子供を増やすかの二者択一みたいだけど、『ダイヤモンド博士の“ヒトの秘密”』では、「お婆さんが長生きしている家系のほうが孫の数が多い」というような話もでてくる。
元気な老人が孫の面倒を見てくれれば、安心してたくさん子どもが産めるわけだ。冒頭の美容師さんの家のように。
さて、さらに私について言えば、母の介護という“修復”から、子供を産むという“繁殖”にカロリーをシフトしようとしている。
資金配分と違って、本当のカロリー、体力や時間のほうがシビアだ。
化粧品のランクを下げるのは平気だけど、母の世話をしなくなるのは、まるで母を見捨てるような気持ちになってしまう。
けれど、臨月は否応なくやってくる。
そうなると、病院のお見舞いすらままならない。
繁殖のために修復を諦めるのはつらい。
母の入院生活は不安だらけ
金曜日に帰宅ラッシュの中で実家に帰るのは妊婦にはつらいなぁ、と思っていたところ、思いがけず母が入院してしまったため、金曜夜に帰る必要がなくなった。
正直、母の入院で私にかかる負担が格段に減った。
私にラクをさせてあげようと、母が望んで入院したわけではないだろうけど、その偶然に胸が詰まる。
金曜日の夜はダラダラしながら過ごし、病院で寝ている母のことを考えた。
ひとりぼっちで寂しくないだろうか…。
テレビもラジオもない中で退屈してないだろうか…。
寒かったり痛かったりしても、誰にも気付いてもらえずに、つらい思いをしてないだろうか…。
看護師さんは医療的な処置はしてくれても生活の質までは見てくれないから、不安な気持ちになる。
そんな不安を抱えたまま眠ったら、こんな夢を見た。
土曜日に実家に帰ったら、母が一時帰宅していた。
「家に帰れてうれしいわぁ」
と母が言う。
たぶんこれが、母が自宅で過ごせる最後の時間となるだろう。
「今日はゆっくりしたらええやん。今晩は自宅に泊まって明日戻りますって、私病院に電話しとくわ。明日、リフトの介助だけ誰かに手伝ってもらえるように、それも電話しとく!」
と、私は張り切る。
病院に電話をすると、
「入院患者が外泊するときは、別途5,000円の追加料金がかかりますが、よろしいですか?」
と言われ承諾するが、費用が安くなるならともかく、高くなるのはおかしい制度だよなぁ、と不満に思う。
「おうちだと、お母さんが好きなものを食べられるからいいよね」
と言いつつ、私は母にメイバランスのドリンクを飲ませる。
飲み込んだ母はいきなりむせる。
私は母を後ろから抱きしめながら背中を叩き、
「あかんよお母さん、ここでのどを詰まらせたらまた病院に戻されるよ!」
と必死になる。
目が覚めたら、神戸の私の部屋。
母が一時帰宅できるわけないし、しゃべれるわけがない。しかもお金の話が出てくるという、私の無意識のケチぶりよ。
口からの食事再開
土曜日、病院に行くと母は眠っていた。
毎日面会に来てくれている父は、
「いっつもこんなんやで」
と言う。
良いのか悪いのかわからないが、ずっと寝ているなら孤独や退屈を感じることもなさそうだ。
母を不憫に思っていた私の不安は杞憂らしかった。
「起きてても退屈やから寝てるのん? 会いに来たんやから起きてぇな」
と母を起こすけれど、目は開かない。
ただ、入院直後の状態とは違い、名前を呼べば目をつぶったまま「あー」と返事はする。
全く眠りっぱなしというわけではなさそうだ。
看護師さんに尋ねると、口からの食事が始まっているという。
「まだお楽しみ程度なので、主な栄養は点滴で摂られていますけど。今日は主食2割、副食9割というところです。むせもなかったそうですよ」
食事というのは最後のエンターテイメントだ。
口から食べられて、「美味しさ」を感じられるなら生きている価値がある。
「鼻のチューブはまだ使ってるんですか?」
と尋ねると、薬は鼻から流し込んでいるらしい。
チューブは鼻から胃までつながっていて、強制的に薬やお水を流し込んでいる。
「苦しくないんですかね?」
と聞くと、
「出し入れするときはつらいですけど、一旦入れてしまえばさほど違和感ないと思いますよ」
と看護師は言う。
昨年私は健康診断で鼻から胃カメラを入れたのだけど、入ったあともずっと苦しかった。
だから、入れたあとは違和感ないなんて本当にそうかなぁ?と疑ってしまう。
ただ、「ずっとあんなもの鼻に突っ込まれてかわいそうに」と思い始めると、また私自身の気持ちがふさいでしまうので、とりあえず看護師の言葉を信じることにした。
母が笑った
日曜日、病室に行くと母がいない。
探すと、車イスに乗せられてナースステーションにいた。
姿勢の変化をつけ、起きている時間を長くするために、そうしてもらっているのだろう。
看護師に声をかけ、談話室に移動させてもらった。
「お母さん、来たよ」
と声をかけると、母が笑った。
「あら、うれしそう」
と看護師が言う。
だいぶ入院以前の様子に戻ってきた。
4テーブルしかない談話室は入院患者と家族で込み合っていて満席だったけれど、私たちが行くと、ある家族が席を譲ってくれた。
テーブルに父と私と、車イスの母。
私はひとしきり母に話しかけるけれど、返事が返ってくるわけでもないので、一方的な言葉はすぐに弾切れを起こしてしまった。
テレビではピョンチャンオリンピックが放送されており、父は母に話しかけもせず、テレビばかり見ている。
母はほとんどの時間を寝ているせいで、髪がひどい寝癖である。
「そうだ、寝癖を直してあげるよ」
とブラシとたまたま持っていたスプレーを使って母の髪を整えた。
それだけで、ずいぶんまともな見た目になった。
「ちょっと直しただけで、すごくかわいくなったよ。ね、お父さん、お母さんかわいくなったでしょ?」
「ほんまや」
そう言われると母はうれしそうに、「はは」と笑った。
自然な笑顔。昨日と今日で最も良い反応が見れた。
週末しか様子を見に行けないので、心配はいろいろある。
父は毎日行ってくれているものの、本当に顔を見るだけだ。
持参のオムツが切れていたり、リハビリや食事の状態が変わっていても、父は気がつかない。
入院生活はまだまだ不安だらけだけど、気持ちに折り合いをつけていくしかない。