3歩前のことを忘れる女のサブカルと介護の記録

神戸に住む40代波野なみ松の、育児と趣味と要介護両親の対応に追われる日々の記録。

ケアマネさんの退職

父のケアマネさんが、1月末で退職されることになった。
皮肉なことに介護退職だそうで、こればっかりは引き留められない。

 

今は父のケアマネさんだけれど、 最初は母のケアマネさんだった。
mixiの日記を見てみたら、母が初めて介護認定を受けたのが2011年。
もう7年間もお世話になっている。

 

初めて居宅介護支援事業所に電話したとき電話に出てくれたのが、今のケアマネさんだった。
まだちょっと早いかもしれないけど要支援でも取れたらいいか、と思っていたら、いきなり要介護2だった。

 

「もっと早く連絡してくれていたらよかったのに。これまでご家族だけで大変だったでしょう」
と言われ、目からウロコが落ちる思いだった。
というのも、当時介護サービスに頼るのは、家族で限界まで頑張って、できなくなってようやく使う、そうじゃないと他人様に申し訳ない、みたいに思い込んでいたからだ。
ケアマネさんと話をしてようやく、
「そうか、ちょっと困ったことがあるレベルで相談してよかったんだ」
と気が楽になったものだ。

 

ケアマネさんには、こちらが思い付かないことをいろいろ提案してもらった。
母の病気の進行とともに、何をすべきか、どんな介護用品があるか、どんな介護サービスを利用できるか、的確にサポートしてくれた。

左手が動かない程度の頃から、歩けなくなって車椅子に乗るまでだ。

私の愚痴も相当聞いてもらった。
父も母も、毎月ケアマネさんが訪問してくれるのを楽しみにしていた。

父に贈答はダメだといくら言い聞かせても、出掛けたついでにいつもケアマネさんにとチョコレートを買ってプレゼントしていた。
純粋な感謝の気持ちだったんだと思う。

 

母が今の施設に移り、母のケアマネさんも施設の小規模多機能のケアマネさんに移った。
その直後、父が2度目の脳梗塞になり、今度は父のケアマネさんとしてまたお世話になっている。
頼りにしっぱなしだったので、ひとつ支えを失った気持ちだ。


新しいケアマネさん

月曜日の朝なら私が実家にいるということで、ケアマネさんと次の新しいケアマネさんが引き継ぎの挨拶に来てくれた。

 

次のケアマネさんは、元看護師という珍しい経歴の持ち主らしい。
今のケアマネさんを信頼しているので、その彼女が推薦してくれているのだから、頼れるケアマネさんだろうと信じるしかない。

 

朝9時から9時半に母の訪問リハビリが始まるまでの30分間の訪問だったので、今の生活状況を話し、家の構造を説明したら時間がきてしまった。

 

新しいケアマネさんは、優しくおとなしい印象の女性だった。
初対面なのだから当然だけれどお互いに距離があって、少し遠慮がちに見えた。

今のケアマネさんは、「どうしよっかな〜」と迷いがちな私たち家族の背中をポンと押してくれる積極性があって、それが助けになってきた。
かといってお節介すぎることや押し付けることもなく、絶妙な距離感がとても良かった。

新しいケアマネさんとは、双方が慣れるまで、そんな距離感を掴むのが難しそうな気がする。

 

臨月から赤ん坊が1ヶ月になるまで、私は実家に帰らないつもりでいる。
母は施設に預けっぱなし、父もその間は完全な一人暮らしだ。

父がちゃんと生活できるかどうかは、ケアマネさんに頼るところが大きい。
まさかこのタイミングでケアマネさん交替だなんて痛恨だけれど、その分父にしっかりしてもらうしかない。

 

引き継ぎのおかげで、今のケアマネさんに最後のご挨拶ができた。

どれだけ感謝の気持ちが伝わっただろう。
父のチョコレートじゃないけど、やっぱり言葉だけで表すのは心もとないものだ。

面接のテスト

「赤ん坊が生まれたら、お父さん病院まで見に来る? それとも私が連れて帰るまで待つ?」

 

まだ気が早いけど、父にそんな質問をした。

普通の元気なおじいちゃんなら、孫が生まれたらすぐにでも見に行きたいだろう。

ただ、足が悪い父が神戸まで一人で出てくるのは大変危険である。

もし父が、「病院まで見に行きたい、帰ってくるまで待てない」というなら、何か手立てを考えなければならない、と思ったからだ。 なにせ私は入院中で助けてあげられない。

 

「見に来たい?それとも待っとく?」

それに対する父の回答は、

「生まれたら、な」

という、若干意図がわかりかねるものだった。

「いやいや、生まれたら見に行くけど生まれなかったら見に行かない、とかそういう話じゃないでしょ。じゃなくて、来るか待つか聞いてるのよ?」

「そやから、生まれたら、の話やな」

話が噛み合わない。

「まだ先の話だからいいんだけど…」

と、そのときの話はそれで終わった。

 

それから数日後、キッチンにいた私に父がいきなり、

「面接に行くわ」

と言ってきた。

「面接? 何の面接?」

「病院へ。赤ちゃんの面接」

「それ、面接じゃなくて面会でしょ」

ふと、父がスーツを着て、履歴書を持って赤ん坊を面接をしている姿を想像してしまった。

「履歴、ほほう、昨日生まれたんですか」、なんてね。

 

「だったら、誰か一緒に神戸まで来てくれる人を探すか何か、考えんとあかんね」

予定は5月、 まだまだ時間はある。

 

無謀な老人

木曜日の正午前。 仕事中に父からメールが入った。

「今、三宮のにしむらこひにいる、これから元町へゆく、」

父はメールで「ー」と「。」とカタカナが打てない。

いやそんなことはどうでもよくて、なんで突然神戸に来てるの!?

「お昼休みになったら電話をかけます」

とりあえずそう返信した。

昼休み、急いで電話をかける。

予告をしたのに、何回かけても電話に出ない。

耳が遠いので、着信に気が付かないのだろう。

5回目の発信でようやくつながった。

まだ元町に向かっている途中だという。

とりあえず中華街のおなじみの中華料理屋さんで待ち合わせをすることにした。

そこなら父も知っている。


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お昼休みは1時間しかないので、私は先に食事にしたが、食べ終わっても父は現れない。

どうしているんだろうとヒヤヒヤしていると、昼休み終了15分前になってようやく、身体を歪めながらヨタヨタと歩く老人がやってきた。

 

普段から足は引きずっているけれど、こんなにひどいことはない。

明らかに異常だった。

お店の人もお客さんもビックリするほどのマヒ状態。

 

父によると、三宮から元町まで歩いてきたという。

だいたい1km程度なので、健常者ならスタスタ歩ける距離だけれど、足がまともに動かない父には大変な遠さだ。

「何回も歩いたことあるから大丈夫やと思ったんやけどな。元町についてから、南京町までの間が特に足が動かんようになって、こんなんなったんや。なんでやろなぁ」

身体が不自由な割には、口は達者に動いていた。

「以前は大丈夫だった」という元気なときの思い込みが、現在の足の不自由な自分に情報がアップデートされていない。

 

脳梗塞のあとにお医者さんから言われたのを忘れたん? 『行きはよいよい帰りは怖い』で最初は歩けても、だんだん疲れて歩けなくなってきます、って! だから一人で来るのは無理だって言ったでしょうが!」

周囲の目も気にせず、つい叱りつけてしまった。

 

お店の店長が、

「また脳梗塞が起きよんちゃうか」

と心配してくれた。

「とりあえず両手を同時にグーパーしてみて」

脳梗塞のチェックをしてみる。

両手を前に出して、グー、パー、グー、パー。

手は両方ともよく動いている。

「大丈夫や。ロレツもちゃんと回っとうし」

と、店長が言ってくれて、少し安心した。

 

「そうそう、これ持ってきたで」

と父がカバンから箱を取り出した。

「何?」

見てみると、先日私がネットで注文した実家の浄水器の交換カートリッジだった。

「ちょうど今朝届いたから、届けたろと思て」

「家の浄水器やのになんでこんなもん持ってきたん? いらんわこんなもん! 持って帰って! なんでそんな勝手なことをするん?」

情けないにもほどがある。

人に心配をかけさせて、迷惑をかけて、そのうえ浄水器のカートリッジって…。

浄水器のカートリッジは家に置いとかなあかんわ」

と、店長も笑ってくれたので、少し救われた。

 

父はにしむら珈琲でチーズケーキを食べてお腹が空いていないらしく、父の分の中華料理はお土産として包んでもらうことにした。

「私、午後からも仕事なんやけど。早くせえへんかったら間に合わへんわ」

「気にせんと仕事行って」

父はそう言うけれど、まともに歩けない父をほっておくわけにはいかない。

店長が親切にも、

「駅まで送っていったげよか」

と言ってくれたけど、ただでさえ忙しい繁盛店の店主にそこまで甘えるわけにもいかない。

 

お店から元町駅まで、父の身体を支えながら送っていった。

重くはないけど、力を入れないと支えられない。

「なんで杖を持って来うへんかったん?」

「持ってきたんやけどな、まあええかと思って車に置いてきた」

「なんで『まあええか』になるのかわからん」

「しもたことしたなぁ、持って来たらよかった」

 

老人を支えて歩く南京町から元町駅までは、普段の倍ほど長く感じた。

「そもそも、連絡もせずに突然来るのが悪いわ。なんで来たん?」

「赤ちゃんを病院に見に行くテストをしようと思たんや」

「テストするにしても無謀やわ。テストは計画を練ってからせなあかんやろ」

「せやな。ちょっと無謀やったな」

 

元町駅は乗降者数が相当多い駅なのに、東口にはエレベーターもエスカレーターもない。

かといって、西口まで歩くも遠すぎる。

「階段上れるかなぁ。そこの喫茶店で休んで行ったほうがええんちゃうか」

「いや、大丈夫や。もう会社行き」

「ほんまに大丈夫?」

これ以上いたら、本当に遅刻してしまう。

 

切符の自販機の前に父を置き去りにして、会社に戻った。

席に着いたときに時計を見ると1分オーバーしていたけれど、幸い上司はみんな昼イチに打ち合わせがあって、席にいなかった。

セーフ、じゃないけど、アウトでもない。

 

駅員さんにまで助けてもらった

その後も、無事に帰れただろうか、途中で倒れてないだろうかと気が気ではなかった。

仕事が終わってすぐ、父の携帯に電話をかけると、電源が切れていてつながらない。

家に電話をかけると、何事もなかったように父が出たのでホッとした。

「今日はすまんかったなぁ」

と、ケロリとしている。

あれから、休むことなくすぐ駅構内に入り、難所である階段を上りかけたけれどやはり足が上がらず、途中で往生していると、元町駅の駅員さんが介助をしてくれたという。

 

「ホームまで、階段上がるのを助けてくれてなぁ。新快速に乗り換えるつもりやったけど、次の快速に乗ったら網干駅まで乗り換えなしで行けますから、って電車にまで乗せてもろて」

「よかったなぁ!」

網干駅の駅員さんに連絡までとってくれて、着いたら網干の駅員さんが出迎えてくれたんや」

「そこまでしてくれたん!? めちゃめちゃ気が利くなぁ!」

 

普段、JRは遅延が多いだの連絡が悪いだのと文句ばかり言っているけど、こんなに親切にされると今後はもう悪口は言えない。

 

「駅員さんにえらい迷惑かけてもた」

「ほんまやわ」

さすがの父も、他人に迷惑をかけたことは反省したらしい。

これに懲りて、突発的な行動を慎んでくれたらいいのだけど。

 

いくらダメだと言っても、自分が納得しなければ勝手に行動する父である。

誰か病院まで一緒に来てくれる人を、今から探さないといけない。

芸能人じゃなくても歯が命

歯に対するの意識の高さは生活の豊かさと比例している、という話を耳にしたことがある。

歯と経済のことを考えるとき、上海で見た物乞いのおばあさんの潰れたトウモロコシみたいな黄色い歯並びを思い出す。
生活に余裕がないと口腔ケアまで手が回らなかったり、大切さを知る機会がなかったりするんだろう。

母は小学生時代に「歯の女王様」に選ばれかけたほど歯が丈夫で、今もほとんどの歯が残っている。
自分で歯磨きができなくなってからは家でも施設でも他人に口腔ケアをしてもらっているおかげで、自分でしていたとき以上に念入りだ。

今の介護施設には、巡回で来てくれる訪問歯科があって、先月も母のアゴが歯肉炎で腫れたときすぐに診てもらった。
去年の夏は、歯の根にバイ菌が入り、アゴの骨が溶けるほどの炎症を起こし、何度も赤十字病院に通うはめになったので、早めの対処が肝心だと私も学んだ。
おかげさまで、先月は何回かのクリーニングで腫れはすぐに治まった。

老人の口腔内の炎症を甘く見ていたら、虫歯からアゴが腫れて呼吸困難になり死んでしまうことだってあるらしい。
ほんとに歯はあなどれない。


妊婦歯科検診を受けた

神戸市で妊婦健診の補助券をもらったとき、妊婦歯科健診の案内も一緒に渡された。
補助券の中には歯科健診の無料券もついている。
タダなら行かなきゃ損である。

妊婦さんは赤ちゃんにカルシウムを取られるせいで歯がボロボロになる、と聞いたことがある。
それだけじゃなく、唾液の分泌が減るらしくて歯周病にもなりやすいらしい。

私は歯並びが悪いせいで、ちゃんと歯磨きをしていてもすぐに着色汚れがたまる。
それで定期的に歯科に歯のクリーニングに行っていたのだけど、普段通っている審美歯科モドキの歯科は妊婦健診に対応していなかった。

仕方ないので、会社の近くにある歯科に行くことにした。
自宅の一部が歯科になっているタイプの、昔からやっている先生だ。
会社の人で、そこへ行ったことがある人に評判を聞いてみると、
「いつ行ってもガラガラ。その代わりすぐ診てもらえる」
という。

確かに、予約の電話をいれたら、
「うちは予約をとってないので、どうぞいつでもお好きなときに来て下さい」
と言われた。
そんなに流行ってない歯医者なんて大丈夫かなぁ、と思ってしまう。

行ってみると、確かに問診票を書いたらすぐに案内してもらえた。
「今何か歯や歯茎のことで気になることはありますか?」
と尋ねられ、ときどき硬い物を噛むと左の奥歯が痛むこと、別の歯科で原因はセラミックの詰め物の磨耗でどうしようもないと言われ、知覚過敏の薬を塗ってもらったけれど、時間が経つとまた痛むことがあることを訴えた。

すると、先生は薄い紙を噛んでガリガリするように指示し、噛み合わせを見た。

「左の奥歯の噛み合わせが良くないから磨耗するんやね。もういっぺん横に動かしてみて。動きにくいでしょ。ひっかかる歯があるからやね。これはちょっと調整するだけでマシになるよ」
と言う。

「今調整してもらうことは可能ですか?」
と尋ねると、
「大丈夫ですよ。ほんの少し削るけど、かまへん? 削るって言うても、紙1枚程度やから心配せんでええからね」
と、すぐにやってくれた。

ちょっとのことだけど、左の奥歯がうまく動くようになった気がする。
「これでスムーズになったでしょ。これまで噛み合わせが悪いせいで、力がかかってたと思う。肩こりもマシになるんちゃうかな」

奥歯の痛みだけじゃなく、肩こりまで?!

これまで、美容室のようなオシャレ歯科では何も解決できなかったことが、普通の歯科でこんなに簡単に解決されてしまうとは!

そのうえ、ついでだからと着色汚れも取ってくれた。
無料なのは健診だけなので、治療分は代金を取られるかと思いきや、全部無料にしてくれるというサービスっぷり。
妊婦歯科健診、万歳!

普段からここに来ておけばよかった、と後悔するものの、診察時間が18時で終わりなので、会社帰りには来れないんだよな。
結局、夜遅くまで開いているサロンみたいな歯科のほうが会社員のニーズに合うわけだ。


我が家で唯一の悪歯さん

ある日、掃除機をかけているとカリカリという小石を吸い込むような音がした。
何かと思って拾うと、歯であった。

父に尋ねると、最後の1本が抜けたらしい。
抜けた歯を床に落としっぱなしにするなよ、と思うけれど、乳歯じゃないので屋根に投げたり床下に置いたりする必要もないし、かといってゴミ箱へ捨てるのもなんとなく気が引けた。
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父はすっかり総入れ歯である。
入れ歯を外すと人相が変わり、まるで別人である。

夜中に見ると、どこのじいさんが紛れ込んで来たのかとギョッとする。

父によると、歯を入れ忘れてモーニングを食べに出掛け、注文が来てパンにかじりついてようやく、入れ歯をしていないことに気付き、何も食べられないままコーヒーだけを飲んで店を出たことがあるらしい。
なんとまあ、もったいない。

入れ歯はやだね。

そんな様子を見ていると、やっぱり歯は大切にしなきゃ、としみじみ思う。

爆発!電子レンジ族

3日の午後に実家をあとにして、5日金曜日の夜に戻った。
空けたのはたった1日半である。
なのに、戻ってきてギャーと叫ぶことが3つあった。

 

ひとつ目は、キッチンテーブルの椅子の上と床下に、カップスープの黄色い粉がこぼれていたこと。
一目瞭然、父がスープを入れようとしてこぼし、粉を周囲にぶちまけ、そのまま片付けなかったのだ。

 

ふたつ目は、お皿を出そうと食器棚を見ると、汚れたままのお皿が入っていたこと。
これまでも、父はよく鍋を洗わずに棚にしまう癖があった。
ただし、ギトギトの油に汚れたフライパンとかではなく、インスタントラーメンを茹でたあとの片手鍋などで、父本人は「洗わなくてもキレイ」と思っているらしく、注意しても態度を改めない。
しかし、汚れたお皿は初めてである。
お醤油がまだ入っているような小皿が食器棚に戻されているなんて、これまでになかったことだ。

 

みっつ目は、キッチンからリビングの床にかけて、緑色の液体がこぼれたまま跡になってこびりついていた。
しずくがこぼれた、というレベルではない。
しかも、拭きもしないで液体がこぼれた上を歩いているから、被害は甚大である。

 


父を問いただす

これらの事件について当然父に尋ねたけれど、
「覚えがないなぁ」
とシラを切る。
父の性格からして、嘘をついたりごまかしたりしていないのはわかっているけれど、父以外に犯人はいないのである。

どうせ、お酒を飲んで酔っぱらって、分別のつかないことをした挙げ句、覚えていないだけだ。


そして私は、もぉ〜、もぉ〜、と牛のごとく唸り声をあげながら後始末をするしかない。

床掃除をしていると、父が、
「思い出した!」
と言ってきた。
みっつ目の犯罪には心当たりがあると言う。


事の顛末

コンビニで買ってきた紙パックの青汁を飲もうと冷蔵庫から出したが、冷たいのは嫌なので電子レンジで温めたのだそうだ。
青汁といっても、伊藤園の野菜ジュースみたいなやつだ。(下記参照)

 

チンして取り出し、キッチンからリビングへ。
1分間も温めたのに、あまり温かくない。
中身も少ない。
見ると、底に穴が開いていて床にこぼれていた。

 

電子レンジからキッチンを横断し、リビングのソファまで、穴の開いた青汁を持って、足を引きずりながら歩いたわけで、そりゃ床一面が青汁だらけになるわけだよ。

トホホ…。


何でも電子レンジで温めちゃダメ!!

そもそも、青汁をホットで飲もうとするか?
いやそれ以前に、紙パックを電子レンジにかけるなんてありえない。

 

これまでも、父の危険な電子レンジの使い方が気にはなっていた。

 

レトルトカレーを電子レンジに入れているのを見たときはビックリして、
「やめて!!爆発する!!」
と止めたのだけど、
「ちゃんと見とうから大丈夫や」
と言う。
温めている様子を見ていて、袋が膨らんできたら取り出したらいい、というのだ。
確かに、そのやり方でちゃんとカレーをつくっていたけれど、危なっかしくてしょうがない。

 

コンビニで買ってくる餃子やたこ焼きなどの冷凍食品についても、端のほうに点線で「ここまで切り目を入れる」と指示してあるにもかかわらず、そのまま温めてしまう。

 

父はパッケージの説明なんて読みはしないのだ。
「500wで何分間」というのも「袋から出して」というのも無視。

老眼だから読めない、というのが言い訳だけど、眼鏡かけりゃいいだけだ。
結局、面倒くさいから、なんでも自己流で温める。
切れ目なんて入れなくても、袋が勝手に破れてくれるらしい。
…いやそれ、爆発してるんやって…。

 

電子レンジは便利だけれど、いつかエライことにならないか。
いくら言っても聞く耳を持たないということ自体が、棺桶に足を突っ込んでいる。

波野家のファミリーヒストリー

4日が仕事始めなので、3日には実家から神戸へ戻る予定をしていた。

お正月だし、彼氏のお母さんにご挨拶をさせてもらいたい、と彼氏に伝えると、だったら車で迎えに来てくれると言う。

一升瓶を手土産にして、彼氏がうちの父に年始の挨拶に来てくれた。

 

父は、自分はどこへも年始の挨拶に行かないくせに、

「正月やのに誰も来やへん」

とこぼしている寂しい老人なので、彼氏が訪ねて来てくれたことをとても喜んだ。

 

慌てて用意した中華惣菜で食卓を囲みながら、父は上機嫌でしゃべっていた。

主には、これまで行った海外旅行のこと、ドイツに旅行に行きたいこと、それから、第二次世界大戦のドキュメンタリー番組が好きで見ていたら夜更かししてしまうことなど。

「脚が治ったらドイツに行こうと思ってずっと調べよんや。ドイツには7つ街道があってな。まず、ロマンチック街道、それからメルヘン街道、あと、古城街道。それと…、…とにかく街道があるんや」

3つしか出ぇへんのかい!

と普段だったらツッコむところだけれど、彼氏の前だから控えた。

 

私にとっては、旅行の話と第二次世界大戦の話は、聞き飽きるほど毎度同じ話なのだけれど、この日初めて私が知らない情報が出てきた。

それが、父の両親、私の祖父母の話だった。 

 

波野家はもともと福岡にあって、祖父は海軍大尉の次男として生まれた。

父親の海軍大尉は厳格な人で、厳しく育てられたらしい。

それがなぜ、姫路にいた祖母と出会ったのかはわからないけれど、二人は出会って恋に落ちる。

その後、祖父は仕事で満州へ。

 

すると、祖母は祖父を追いかけて単身で満州へ渡った。

見つかったら連れ戻されるので、家出同然の満州行きだったという。

 

押しかけ女房の祖母との結婚を、海軍大尉の曽祖父は許してくれなかったらしい。

そうこうしているうち祖母に子供ができたのだけれど、

「その子が男の子だったら結婚を許してやる」

という条件が出たのだそうだ。

 

ところが、残念ながら生まれてきたのは女の子。父の姉である。

かわいそうに、伯母さんはしばらく籍に入れてもらえないままだったらしい。

その後、二番目の子供としてうちの父が生まれた。

海軍の曾祖父からもようやく認めてもらい、二人は晴れて入籍できたのだそうだ。

 

うちの仏壇には、その憎たらしい海軍のおじいさんの写真がずっと飾られている。

 
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なぜ父が突然そんな話をしはじめたのか。

結婚せずに先に子供ができてしまった私たちに対して、こういう例もあるのだ、順番なんて気にすることはない、という父なりの配慮だったのかもしれない。

 

けれど、私はそれに気が付かなかったので、

「昔はそういうもんやったんや」

としたり顔で言う父に、

「違うでしょ。昔だってそれはかなりのレアケースじゃない?」

と言い返して台無しにしてしまった。

 

私の記憶に残る祖母は、胃がんの手術後、寝たきりで療養していた姿だ。

病気で少しわがままになり、介護をするうちの母に少しつらく当たることもあった。

あの痩せ細った老婆と、満州まで恋人を追いかけて行く娘の姿はなかなか重ならない。

けれど、私が知らなかっただけで、あの細くてしわしわの身体の奥にはそういう情熱的な魂が潜んでいたのだろう。

そう思うと、少し感動する。

 

NHKの『ファミリーヒストリー』という番組をときどき見ているけれど、一般の、無名の人が波乱万丈の人生を生きていることに驚かされる。

その先にいる有名人は、自分のルーツどころか自分の祖父母や親のこともよく知らない。

でも、そんなものだ。

 

波野家は私で終わるとずっと思っていた。

それが思いがけず血を継いでくれる子供を授かったことで、ご先祖様たちに面目が立つような気がする。

食欲の元旦

毎年、元旦だけはデイサービスもお休みして、母は1日家で過ごす。

昨日の元旦で喜ばしかったのは、とにかく母がムセることなくパクパク食事を摂ってくれたことだ。

 

ここのところは、喉や頬をマッサージしながら、

「はいゴクンして!がんばれ!」

と声をかけないと食べられないことが多いのだけど、昨日はそんなことをしなくても食べられた。

食事中にムセて咳こむこともなかった。

母も元旦だということがわかっていたのだろうか。

 

最近の母のメニューはペースト状の介護食である。

少しでもつぶつぶがあるとむせてしまうので、なめらかなペースト状じゃないと飲み込めない。

豆腐くらいはミキサーをかけて用意するけれど、それ以外はもっぱらドラッグストアで買ってきたレトルトの介護食を使っている。

あとはパックのポタージュスープか、粉末を溶かすタイプのスープ。

 

先月下旬に介護食をたくさん買い込んだつもりだったけど、週末から母がよく食べてくれるので、ストックがどんどん減っていった。

食べてくれるのはうれしいけれど、元旦早々ドラッグストアに買い出しに行くのもわびしいし、どうしようかなぁ、と思っていたところ、父がおせち料理のテリーヌを、

「これやったら柔らかいから、お母さんも食べられるんちゃうか」

と言った。

 

母が病気になってからは、毎年おせち料理は宅配のお重を頼んでいる。

父に言われてから、改めておせち料理を眺めてみると、母でも食べられそうなものを発見。

栗きんとん、芋きんとん、テリーヌ、伊達巻、黒豆。


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調子が悪いときならとても無理だけれど、今日のこの絶好調な飲み込み状態ならいけるかもしれない。

母は噛む力だけはしっかりしているので、お箸で上手に黒豆を奥歯に乗せてあげると食べられる。

飲み込む力が弱っているときなら黒豆の皮でさえ喉を詰まらせるけれど、この日は本当に調子が良くて、黒豆を5粒も食べられた。

 

テリーヌも小さく切って奥歯に乗せるとちゃんと噛んで飲み込めている。

「お口を開けて」

と言わなくても、母は口の中がなくなると自分から口を開けてくれた。

食欲全開!

つられて私までついつい食べ過ぎてしまう。 

妊婦になってからは「太るからやめておこう」というストッパーがなくなってしまった。

 

身体が動かない、おしゃべりもできない母にとっては、もう食べることくらいしか楽しみがない。

だから、一部でもいいからおせち料理が食べられたのは本当に喜ばしかった。

 

どうも、母は自宅に帰ってくると調子が良くなる。

逆に、施設にいると元気がなくなって、食事が進まなかったり便秘になったりする。

自宅で元気になってくれるのは家族としてはうれしいけれど、施設のスタッフさんだってみんな良くしてくれているのに困ってしまう。

 

特に今年は、私の産前産後にかけて母を長期間預ける予定にしている。

つもりとしては、4月上旬から6月末まで。

こんな調子で、ずっと自宅に帰らないままやっていけるだろうか。

その3か月弱で急激に弱ってしまわないだろうか。

 

施設のスタッフさんが優しくしてくれるといっても限界がある。

物が言えない母は痛みを訴えることもできない。

こうしてほしい、ああしてほしいという希望が言えない。

誰かが気づいてあげない限りは、ほったらかされてしまう。

 施設だったら、調子がよさそうだからって臨機応変にメニューを変えることはできない。

足先が冷えているからって、湯たんぽを入れてあげることもない。

脚がむくんでいるからって、ふくらはぎをさすってあげることもない。

唇が乾燥しているからって、リップクリームを塗ってあげることもない。

 

3か月弱という長期間を考えると悲しくなる。

かわいそうだけど、母は孫を望んでいたのだし、我慢してもらうしかない。

2017年最後の失敗から新年へ

明けましておめでとうございます。

人生が急変してしまった2017年が終わり、2018年は覚悟を決めて新しい人生を歩んでいくつもりです。


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昨日の大晦日は、最後の最後にやらかしてしまった。

ベッドから車イスに移動させるときに、うっかり車イスのロックをし忘れてしまい、母を乗せようとしたら、

ツツツツツー

と車イスが後ろに下がってしまったのだ。

母はそのままゆっくりと尻餅をつくはめに。

 

私が抱えていたのでゆっくり下りたし、下は畳なので母にケガはなかった。

けれど、ここからが大変。

畳に寝転がってしまった母をイスやベッドに戻さないといけない。

 

これまでも2回、母がベッドから落ちたことがあり、1人で戻したことがあるけれど相当な格闘だった。

さすがに今は1人で母をベッドに持ち上げることはできないと思い、父に手伝ってもらうことしにした。

 

最初は私が母の上半身を、父が脚を持って持ち上げようとしていたのだけど、なかなか上がらない。

「お父さんが代わったる」

と言うので交代したけれど、抱え方が危なっかしい。

「あかん!腕だけ持ったら脱臼してしまう!」

 

これまででも、施設のスタッフが拘縮した母の腕を無理に上げたことで、肩に内出血ができたことがあった。

念のため、整形外科で骨に異常がないかレントゲンを撮りにいったほどである。

それ以来、施設も私も母の腕をデリケートに扱っている。

けれど、これまで母に無関心で介助もしたことがない父は、

「しっかり持っとうから大丈夫や!」

と聞く耳を持ってくれない。

 

とりあえずやってみたけれど、父が上半身を持っても持ち上がらない。

私もお腹が邪魔でなかなか力が入らない。

 

「ちょっと待って。骨盤ベルトを外すから」

と、まるでドラゴンボールでピッコロが重しを外すが如く、先日から着けている妊婦用の骨盤ベルト「トコちゃんベルト2」を外す。

 

体勢を変えて、私がベッドの上から母を後ろに羽交い締めにして引っ張り上げた。

そのまま上に乗られるとお腹が潰れてしまうので少し身体をねじらせると、今度は母がずり落ちそうになる。

 

「早く!脚をベッドに上げて!」

と必死で父に呼び掛ける。

「よしっ!」

といって父が持ち上げたのは、私の脚。

「ちがうだろぉっっ!!!」

豊田議員のごとく怒鳴ってしまった。

「お母さんの脚はそっち!!!」

「脚がようさんあるからわからへんがな」

 

てんやわんやで、一段落。

母は無事だったものの、私は太腿の付け根を痛めてしまい、しばらく脚を引きずって歩くはめになった。

 

最近どうもぼんやりしていて、いろんなことをうっかりしてしまう。

まだ大事には至ってないけれど、なんだか怖い。

 

しばらく休憩したあと、年越しそばの準備に取りかかった。

キッチンにいる私に、父はさっきまでの出来事をすっかり忘れたように、

「明日のお雑煮、お父さんはお餅ふたぁつな!」

と元気に言いにきた。

やれやれ。

 

てんやわんやの2017年の締めくくりらしい大失敗の大晦日だった。

2018年は一転、希望の年になりますように。