3歩前のことを忘れる女のサブカルと介護の記録

神戸に住む40代波野なみ松の、育児と趣味と要介護両親の対応に追われる日々の記録。

伯父の法事

昨日の土曜日、昨年亡くなった母の二番目の兄の法事が行われた。

伯母さんは、

「お母ちゃんは無理でも、お父ちゃんとナミちゃんだけでも来て」

と言ってくれたけれど、父だけ行ってもらうことにして、私は辞退した。

 

本当なら、一番行きたいのは母なはずなのだ。

母の兄の法事なのだから。

でも、今の母の状態だと、参加しても状況が理解できていないだろうし、行くとなると周囲に多大な迷惑がかかる。

ごく普通のおうちで、車イスを上げるのはなかなか難しい。

 

伯父さんも長い間闘病生活をしていて、伯母さんがずっと介護をしていた。

亡くなる前、母と同じ社会福祉協議会のデイサービスに通っていて、二人ともまだ軽度のうちは、出会うと声をかけあっていたらしい。

母は認知症が進むにつれて子供のようになっていたので、

「おにいちゃん、タカコやで。タカコが来たから元気出して、おにいちゃん」

と車イスの伯父に呼びかけていた。

 

伯母とときどき情報交換をしていたが、あるときこんな話を教えてくれた。

デイサービスのスタッフさんが、うちの母に、

「ご主人とお兄さんとどっちが好き?」

と尋ねると、

「お兄ちゃん」

と答えたのだという。

その話を聞いたとき、

妹萌えヲタクなら喜びそうな話だけど、80代の兄と70代の妹じゃなあ」

と思ったものだ。

 

去年の伯父のお葬式には、母も参列した。

親族控室には車イスが入れなかったので、式場の中、母と私は二人だけで、式が始まるのを待っていた。

親族以外の参列者が来るには早すぎる時刻、ただでさえ寒々としている葬儀場は冷房が効きすぎ、母にはショールを羽織らせ、私はハンカチを腕に巻いたりして寒さをしのいでいた。

 

父に預けていたバッグの中にタオルを入れていたのを思い出し、タオルも防寒のひとつになるだろうと、父がいる親族控室を覗いた。

人数の割には狭い和室で、久しぶりに集った親戚たちが和気あいあいとお茶を飲んで談笑していた。

人いきれで、部屋の中は暑いくらいだった。

父は座布団に寝そべり、お茶うけの柿ピーをつまみながら、従兄弟たちと楽しそうに笑っていた。

 

控室に入れず、式場に車イスで一人ぽつんと置かれた母が寂しかった。

私は父に、

「こんなとこで寝転がって、お行儀悪いことしなさんな!」

と八つ当たりして、バッグをひっつかみ、控室を出た。

父は私の不機嫌にきょとんとしていた。

それ以降、私は控室には戻らなかった。

 

祭壇に伯父の遺影。

お供えの花に親戚の名前。

何度も伝えたけど、母は伯父の死をわかっているのか、わかっていないのか。

じっと伯父の写真を見ている母の表情から、読みとることはできなかった。

 

わからなくてもいい。

悲しいことは、理解できないほうが幸せかもしれない。

 

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母が病気になって困ったことは数あるけれど、そのうちの一つが冠婚葬祭の常識である。

法事のマナーなどはたいてい母に尋ねていたからだ。

今は「Yahoo!知恵袋」や「教えて!goo」が先生だ。

ネット様様、現代人で助かった。

 

マナーについて私がしっかりしないと、父に任せていると大変なことが起きる。

いつだったか、

「法事に持っていくお金、これでええかな?」

と父が私に見せたものが、事務封筒にボールペンで「御仏前 波野」と書いたもので、ひっくり返りそうになった。

 

「何これ」

「あかんか?」

「70年以上生きてきて、何を考えてんの!」

「何も考えてぇへんで」

父に平然とそう返されるので、ヘコ~、とパーマンのようにズッコケるしかない。

 

今回も、金曜日の夜には法事で父に持って行かせるものを準備した。

黄色の水引の封筒に「御仏前」と「お加え」を鈍色の袱紗に入れ、事前にネットで買っておいた「お供え」の菓子折り。

 

筆ペンで封筒に名前を書きながら、もう少し父が常識ある人だったらなぁ、とつくづく思った。

そういう人だから、妻に「夫よりお兄ちゃん」と言われてしまうのだよ、お父さん。

 

亡くなった伯父さんには悪いけど、法事を欠席させてもらって助かった。

いくら母をデイサービスに預けているとしても、出かけるとなるとバタバタするし、週末にまとめてやっている家事ができなくなる。

逆に、父が法事に行って留守なおかげで、リビングを占領でき、買ったのにずっと見られなかった筋肉少女帯のライブBlu-ra(橘高文彦デビュー30周年記念LIVE)をゆっくり見ることができた。

伯父さん、ありがとう。

生前も優しい伯父さんだったけど、亡くなってからも優しいわ。