買った仏花をスーパーのレジ台に忘れた。
スーパーで仏花を買うときにいつも困るのは、水に浸かっている茎の部分をどうするかということ。
キュウリなんかは、裸のままカゴに入れなくてすむように、そばにポリ袋がおいてあるので、あたりを探すけれども、ポリ袋も新聞紙も置いていない。
他の人を見てたら、べちゃべちゃのままカゴに入れてた。
やだ、汚くないの?
同じカゴに野菜とか入れるのに?
同じことで、毎年お盆のたびに戸惑ってる気がする。
年に1回だから、仏花の扱いがわからない。
買い物を済ませて、買ったものをレジ袋に詰める。
そこにはポリ袋も新聞紙もあるので、まず仏花を丁寧に新聞紙で包み、茎の部分をセロテープで止めた。
そこで満足してしまったバカな私は、ほかの食料品をレジ袋に詰めたら、仏花のことをすっかり忘れて帰ってしまった。
置き忘れたことに気がついたのは、家に着いてから。
スーパーに電話して、
「新聞紙にくるんだ仏花を、台に置き忘れていませんでしたか?」
と問い合わせたけれど、
「ありません」
とそっけない返事。
父からは、
「ないやろなと思った。誰かが持って行ったんやろ」
と言われてしまった。
そんな、小一時間ほどのあいだに?
お金なら拾う人もいそうだけど、仏花を盗ったりするかしら…。そんなに需要ある?
私は本当に忘れん坊で、いろんなところでいろんな物を忘れてくる。
でも、場所さえちゃんと覚えていれば、たいがいのものは出てくるものだ。
今年の1番の忘れ物は、海フェスタに行って、神戸港の突堤で日傘を忘れたこと。
あきらめていたけど、神戸市のみなと総局に問い合わせたら、ちゃんと保管してくれていた。
みなと総局の皆さんには感謝感謝。
置き忘れた私が悪いんだけど、スーパーの荷詰台に置いたものが、そんなにすぐになくなるのかが解せない。
田舎の小さなスーパーで、レジもひとつ。
ひっきりなしに客が来るような場所でもない。
物は仏花、盗りたくなるような物じゃない。
私はなんとなく、スーパーの店員が適当に返事をしたんだろうと思う。
即答したのも怪しい。
ドジな客に対応するのが面倒だから、調べもせずに「ありません」と答えたんじゃないか。
それが普通なのかもしれない。
よく、「忘れ物が出てくるのは日本だけ」という話もきくけれど、彼氏の同僚は中国で財布を忘れたのに、そのまま出てきたという。
レアケースだとは思う。
けれど、人の親切は全世界共通だと私は信じている。店員の面倒くさがりが全世界共通なのと同じくらいに。
世界は、「親切」と「面倒くさい」の絶妙なバランスで成り立っていると、私は思う。
今回は「面倒くさい」が勝ってしまった。
450円の代金がパーになったのもくやしいけれど、調べもせずに「ありません」と言われたのが、とてもがっかりした。
飲食店にしろコンビニにしろ雑貨店にしろ、大阪や神戸のお店のほうが、店員教育がちゃんとしている気がする。
田舎に行けば行くほど、サービスがぞんざいになる。
パート・アルバイトだとしても、プロ意識が低下して、適当さが増す。
競争原理なんだろう。呑気なだけに、一生懸命サービスして売り上げを伸ばそうという気がないのだ。
田舎のほうがあたたかい、と思われがちだけれど幻想だ。
のんびりしていては、接客サービスは低下する。
このあと、もう一回ダメもとでスーパーに電話してみよう。
「台の上に、本当に、置き忘れの仏花はありませんでしたか?」
違う人が出たら、違う答えが出るかもしれない。
そのときは、「親切」と「面倒くさい」の戦いに、「親切」が勝ってくれますように。
追記:もう一度問い合わせてもやはり花の置き忘れは見つからず。
でも、2回目に電話に出てくれた人は、「見てきますね」とちゃんと探してくれて、ほんとにとんだ迷惑をかけてしまった。
花が消えていたとしたら、やはり誰かが持って帰ったわけだ。
その人は、ネコババした仏花を自分ちの仏壇やお墓に供えるんだろうか。
供えられたご先祖様もさぞ情けなかろう。
「まなびと」の日本語教室「だんらん」で旅を見つけた。
10年ほど前のことだけど、中国語を勉強していた時はよく相互学習会に参加していた。
相互学習というのは、外国語を学びたい日本人と、日本語を学びたい外国人がお互いに教え合うというもの。
日中友好協会の有志が集まる会だとか、神戸国際会館内にある神戸国際コミュニティセンターのフリースペースを使った勉強会などへ、ときどき遊びに行っていた。
最近は土日に動けないのと勉強熱心じゃなくなったのとで、なかなかそういう機会もなくなっていたのだけど、社会福祉に詳しい友達から、「まなびと」というNPO法人がやっている日本語教室を知った。
「だんらん」というその日本語教室は、毎週水曜日の夜に北野でやっているらしく、それだったら私も参加できると思って、連絡してみたのだった。
NPO法人まなびと – 自ら学び、共に学び合い、豊かな社会づくり
Twitterで「ご興味のある方はまず見学からでいいので是非参加してみませんか?」と書いてあるので、本当に気軽に考えていた。
「何時に行きま~す」「待ってま~す」くらいのノリだと思ってメールしてみたら、「必要条件となっておりますので」と大学名や学部を聞かれたのでビビってしまった。
学生さんの団体だったのかぁ…、だったら私なんかは場違いだよなぁ…、と彼らのお母さん世代な私は腰が引けてしまったのだけど、それでも、
「よろしければ見学にいらっしゃいませんか」
と言ってもらったので、せっかくなので見学だけさせてもらうことにした。
これまで参加してきた外国人相手の会やイベントはゆるいものが多くて、仕切る人もいなければ、時間はルーズだわ、内容はグダグダだわ、という印象があった。
ところが、「だんらん」は全く違う。
まずもって、18時~19時までボランティア(教える側の学生)のミーティングがあり、19時から外国人の生徒さんたちの学習が始まる。
私が会場である北野福祉センターに到着したのがミーティングの途中である18時半だったのだけど、15人の学生さんたちが日本語を教えるときに気を付けるべきことについて発表し、話し合っているところだった。
まずもって、ボランティアが15人もいたことに驚いたし、教える側がそれだけ真剣に考えていることにも驚いた。
日本語の語順に気をつけようとか、単語の難易度に注意しようとか、まるで職員室のミーティングみたいだ。
遊びや趣味のレベルに思えなかったので、
「皆さん日本語教師を目指している方なんですか?」
と質問したら、
「そういう人もいますが、ほとんどはそうじゃないです」
という。
それなのに、みんな本気で取り組んでいる。
今どきの若者、本当に真面目だ。
ミーティングが終わってから、担当の女の子から私に、このプロジェクトの概要についてパワーポイントでプレゼンをしてもらった。(そこからしてちゃんとしてる! うちの会社の社員よりも!)
ボランティアの学生は、それぞれ何かしら役割を持ってプロジェクトにかかわり、自分たち自身の成長の機会にしているという。
担当の女の子は、私のようなボランティア希望者の窓口を担当しているらしかった。
教室の学習は初級、中級、上級に分けられ、外国人の参加者には1回につき500円の参加費をもらっているという。
1回ごとなので、スポットでいつ来てもいいようにしてあるようだ。
なるほど、それなら数か月だけ日本にいるような短期滞在者でも参加しやすい。
意外だったのは、外国人の学習者たちの国籍だ。
JICAのつながりで来ているアフリカ系の人や、大学で知った留学生など、まんべんなくいろんな国の人がいるんだけれど、中国人が少ない。
日本に滞在している外国人の割合を考えると圧倒的に多いはずの中国人が少ないのはなぜだろう。
勝手に中国人との相互学習を想像していたので、イメージとギャップがあった。
きっと、働く中国人たちにこの会の情報が届いていないんだろう。そもそも中国人はFacebookとTwitterを使う文化がないからなぁ。
そうこうしているうちに外国人生徒たちがぼちぼち集まってきて、私はあるイラン人の若い女性の学習サポートに混ぜてもらうことになった。
男の子の学生さんが彼女の先生らしかった。
初級だと、『みんなの日本語』を使って勉強したりするのだが、この日彼女は特に教材を持ってきてなかったので、
「では、今日はお話をしましょうか」
と、男の子が言うので、
「よかったらこの絵本を見てみませんか?」
と、私は持ってきていた絵本を出した。
『和の行事えほん』という、日本の季節ごとの行事とその由来などを解説してある絵本だ。本来は子供向けだけれど、外国人に日本の伝統行事を知ってもらうのにちょうどいいと思い、「だんらん」にプレゼントするために持ってきていたのだ。
3人で絵本を順番にめくりながら、日本の行事とイランの行事の違いについて話した。
絵本は春、3月からスタートする。
季節の始まりについて、日本は4月がセメスターの始まりだけれど、イランはどうかという話をすると、彼女は、
「イランにはイランのカレンダーがあります」
と言った。
イランのカレンダーは、西暦のカレンダーとは異なるものらしい。
何月何日、というのが全く異なるので、イランにいるお母さんと話をするときに混乱してしまうのだそうだ。
そんなときは、いつもスマホに入っているイランのカレンダーアプリで日付を確認しているというので、アプリ画面を見せてもらった。
西暦のカレンダーとの対比があって、西暦何月何日がイランの暦の何月何日になるかがすぐわかる画面になっていた。
ただし、イランの暦はペルシア文字なので全く読めなかったけど。
(参考までにペルシア語のWikiのスクショを。アラビア語とはまた違うらしい。)
カレンダーなんて、全世界共通のように思い込んでいるけれど、地域が違えば気候も違うし、気候が違えば季節が異なる。
季節とともに暦も変わるし、行事や習慣が違ってくるのは当然だ。
そんな当たり前のことを、日本にだけいると、気づかなくなる。
イランのカレンダーは、1年が四季ごとに4つに分けられ、4つの季節の中には3つずつ月がある。
春の季節は春分の日が1日として始まり、夏の季節は夏至が1日として始まる。
秋の季節は秋分の日が1日、冬の季節は冬至が1日として始まるわけだ。
特に冬至は「一年が生まれる日」として、盛大にお祝いをするのだそうだ。
「日本では、冬至の日は柚子風呂に入ってカボチャを食べるし、春分の日と秋分の日はお彼岸と言ってお墓参りをするんですよ」
と私が言うと、イラン人の女の子よりも、日本人の男子学生のほうが「へぇ~」と感心していたのが可笑しかった。
そこで話題がイランのお墓の話になったのだが、墓石は平べったくて、そこにはポエムが書かれているという。
詩は、有名な詩人の好きな詩を刻む人もいるし、自分で作る人もいるそうだ。
墓地に行って、それぞれの墓石に書かれている詩を読むのは楽しい、と彼女は言った。
確かに、私たちが神社の絵馬をめくって読むような感覚で、墓石を読むことで故人が忍ばれるのは面白いかもしれない。
「○○家之墓」だけじゃつまらないし、日本でも詩を刻んだら楽しいかも、と私が言うと、
「HAIKU?」
と彼女が言った。
彼女にとっては、日本の詩イコール俳句らしい。
言われてみれば、俳句なら墓石に刻むのにぴったりの長さだ。
墓石に俳句を刻む文化が日本で流行したら面白いのに、と思う。
さあ、私の墓にはどんな俳句を刻もうか。
その後も、彼女はイランで『一休さん』を見ていたから「てるてる坊主」は知っているとか、私はアッバス・キアロスタミ監督のイラン映画をよく見たとか、お互いにいろんな話をして、楽しい学習時間はあっという間に終わった。
先日『深夜特急』を読み終え、今『旅する力 深夜特急ノート』を読んでいる。
その序章に「旅を作る」ということが書いてあった。
北野福祉センターは、私の生活圏である神戸市中央区にあるけれど、この日は私にとって「旅」だった。
私はここにいるけれど、よそからやってきた人の話を聞くことで旅をしたような気分になった。
旅人を迎えることも旅を作ることのひとつかもしれない。
残念ながら私は毎週参加する時間が取れないので継続できないけれど、「まなびと」の活動がますます広がることを応援したい。
実写版銀魂は1,100円の価値があった。
詳細が明らかになるごとに、「これは見ないかも…」という気持ちを強くしていった実写版『銀魂』。
原作やアニメのファンで、どれだけの人が実写版を望んだろうか。
いくら監督が福田雄一でも、期待しろというには無理がある。
テレビCMを見て、
「これは完全に見なくていい映画だな、ルパン三世以上に。」
と思ってたのに、気が付くと劇場で銀さんのコスプレをした小栗旬を見ていた。
ファーストデイで鑑賞料金1,100円だったのもあるけど、料金分はちゃんと楽しめる映画だった。
一番笑ったのは、赤ザクと六角精児のシャア。
…って、それ銀魂か?!
いやいや、かえってそういうところが、きっちり銀魂イズムを継承していたと言えるかもしれない。
帰ってから、ネットでの評判をザッと読んでみたら、賛否両論あるものの、思ったよりも好評。
感想を書いている人は、大雑把に言うと、
①マンガのファン
②アニメのファン
③福田雄一のファン
の3つくらいに分けられるようだった。
それぞれの立場によって何を面白いと感じるかが違っているようだ。
演技の良し悪しよりも、似てるか似てないかとか、自分のイメージと近いか近くないか、でしか評価されないのは、俳優さんには気の毒なこと限りなし。
だけど、そういう映画なんだからしょうがない。
私は先のカテゴリに3つとも当てはまるものの、②が1番強いので、どうしてもアニメと比較してしまいがちだった。
ていうか、相当アニメをなぞってきたな、という印象だ。
松陽先生の声が山寺宏一だったり、佐藤二朗の武市変平太の‘フェミニスト’の発音がアニメのまんまだったりするのも、アニメのファンにはうれしいポイントだった。
そんな中でも、マンガのイメージとアニメのイメージを損なわず、なおかつ福田雄一的世界にうまくなじんでいたのが安田顕と佐藤二朗で、この二人がいたから「見に来て損はなかったな」という気持ちにさせられたのかもしれない。
さて、『銀魂』が好きだと言うと、
「一番好きなキャラは誰ですか」
と聞かれるが、特に誰が好きでもない。
酸いも甘いも噛み分けた中年にもなると、とんとキャラ萌えから遠ざかって久しくなってしまった。
好きなキャラはないけれども、「大人として、もし誰かと付き合うなら」と考えた場合に、銀さんほどダメな男はいないなと思う。
そもそも、アニメキャラと付き合うとか考える時点で「大人として」どうかという話もあるが、そこは無視して銀さんのことを考えよう。
★仕事をしない
★収入が少ない
★賭け事をする
★家事をしない
★その割に態度がでかい
ね?
大人の男性として、人生のパートナーとして良いところがない。
反対に、私がイチオシなのは近藤勲だ。
★公務員で、管理職である
★部下に慕われている
★女性に優しい
★まめである
★背が高い
★頼めばちゃんと家事をやってくれる(にちがいない)
ね?
悪くないでしょ?
このことを友達に言うと、
「でも、すぐ裸になるし、ウ○コもらしたこともある男だよ?」
と反論されたけど、仕事もせずにパチンコしてる銀さんよりマシだと思うのは私だけだろうか。
実写版で近藤さんのキャストが中村勘九郎だと知ったときは複雑だった。
歌舞伎役者の中では中村屋を贔屓にしているし、勘九郎も好きだけど(でも一番は七之助)、近藤さんってかんじじゃないし、だいたいゴリラじゃないしなぁ、と思ってしまったのだ。
いざ映画を見てみると意外と違和感はなく、歌舞伎のミエをきってくれるシーンもあり、勘九郎がキャスティングされた甲斐があったように思う。
でも、私の中では、WORLD ORDERの須藤元気が近藤さんなんだけどな。
それよりも。
福田雄一=勇者ヨシヒコ=ドラクエ。
銀魂=白血球王=ドラクエ。
旅に持っていく武器
ようやく『深夜特急』を最後まで読み終えた。
読む前まで、どうして時代を超えて人気があるのだろう、と思っていたけれど、その理由のひとつはこの作品が「紀行文」というより「冒険物語」だからだと思った。
旅のハイライトは名所旧跡や名物の紹介ではなくて人の営みだったりするし、旅を通して主人公も変化していく。
通貨だとか治安だとかIT環境だとかは当時と今とでは全く変わってしまっただろうけど、書かれていることが全く古びないのは、人々とのかかわりや主人公がぶつかる困難さに焦点が当てられているからだ。
冒険談というのは、いつだってワクワクさせられるものだ。
ユーラシア大陸を西へと向かう冒険談、といえば、西遊記である。
西遊記が大好き、と自称している割に、これまであまり亜流の西遊記作品には触れてこなかった。
諸星大二郎の『西遊妖猿伝』を読んだことをきっかけに、ほかの亜流作品も読むべきなんじゃないだろうかと思い始めた今日この頃、ちょうどテレビアニメ『最遊記 RELOAD BLAST』が始まった。
人気マンガ『最遊記』シリーズの最新作である。
『最遊記』も今年で連載開始20年になるらしい。
実は、これまで『最遊記』に対して、
「どうせ『ちがう!こんなの西遊記じゃない!』って腹が立つような内容でしょ」
と偏見を持っていて、全く見てこなかった。
20年経って、初めて触れる『最遊記』。
しかも『RELOAD BLAST』のアニメからという中途半端さ!
すごい今更。
それでも、いざ見てみたら、意外とよかった。
そりゃあ西遊記ファン的には、なんで玄奘三蔵が破戒僧なの、とか、なんで八戒と悟浄の性格が逆なの、とか、なんで哪吒太子の読み方が「なた」じゃなくて「なたく」なの、とか、気になるところはいろいろあるけれど、ちゃんと西遊記の世界が再構築されているのが感じられるので、嫌な気持ちにはならない。
オタク心を掴むよう仕掛けられているとわかっていても、やっぱりぐっとくる巧妙さ。
ただ唯一ひっかかるのが、三蔵が持つ武器が拳銃だということだった。
現代的だとかそういう意味じゃない。
銃には弾薬がいる。弾薬は消耗品だ。
消耗品が必要な武器なんて、長旅に不向きじゃないかと思うからだ。
ファイナルファンタジーやバイオハザードが「すごい!」と思ったのは、矢や弾が消耗していくところだった。
戦っても矢や弾が減らないで無数に出てくるのは、やっぱりリアルじゃない。
三蔵がどのように回転式拳銃の弾薬を補充しているのかは知らないけど、武器の選択肢として拳銃はありえないと思ってしまう。
じゃあ、長い冒険に出るのに最も適した武器は何か。
何と言っても、悟空の如意金箍棒は小さくして持ち運びができる点で申し分ない。
最強にして最高だ。
けれど、もしサイズ変更ができなかったとしても、長旅には棒が最適じゃないかという気がする。
普通に考えると武器は刀や槍が一般的だろうけれど、包丁だって研がないといけないように、刃があるものは手入れが必要なんじゃないか。
一度人を切ると脂肪でベタベタになる、という話も聞くし、雨や川渡りのときに濡れたら錆びることもあるだろう。
岩波文庫の『西遊記(一)』の巻末の訳注ではイラスト付きで武器を説明してくれている。
敵もいろんな武器で挑んでくるけれど、彼らは地元なので、移動のことを考えなくてよい。
ちなみに、上記の図は下記の書籍から引用されているらしい。
子供の頃、マチャアキの『西遊記』が大好きだったが、そのときは私も考えが浅かったので、
「悟空の武器がただの棒だなんて」
と思ったことがあった。
「悟浄の降妖宝杖のほうがデザイン的にカッコいいじゃないか」と。
西遊記では、八戒は九歯のまぐわ、悟浄は降妖宝杖という武器を使っている。
どちらも棒の先に金属がくっついているから、毎日歩いて運ぶのは重そうだ。
それに、持って歩いていて、うっかりぶつかって人を傷つけたり、荷物を壊したりする可能性だってある。
大人になった今、手入れや移動、その他もろもろの実用を考えたら、棒に勝る武器はない、と思う。
歩くときの杖の代わりにもなるし、高いところのものを引っ掛けたりもできそうだ。
ところで、実用ということを考えると、武器ではないけれど、傘というのもありかもしれない。
私も一応女性なので、暗い夜道に一人のときは、
「いざというときは、この傘を武器に戦おう!」
と用心しながら歩いている。
「護身術 傘」でYou Tubeを検索すると、いくつか動画がひっかかったけれど、私が知りたかった女性向けの実践護身術じゃなかった。
護身術っていうか、ストリートファイト、ケンカ用だよね?
んー、本当に実践的で即戦力になるようなものってないものかしら。
…そこで私は考えた!
…これがきっかけに、波野なみ松による傘を使った武術研究が始まった。
彼女は研究と研鑽を重ね、20年にも及ぶ修行の結果、ついにオリジナル拳法である「麗傘拳」を編み出したのだ。
武田鉄矢のハンガーヌンチャクに勝るとも劣らない、あの「麗傘拳」である!!!
奥義は一子相伝…にせず、多くの女性に護身術を伝えるべく、普及に努めた。
その麗傘拳普及の旅は路線バスを使った。
西へ西へと向かい、ユーラシア大陸の果てにたどり着いたとき、彼女はその一生を終えたのだった。(劇終)
家族は余計なことをする。
忙しくしていると、ついつい後回しにしてしまう家事があるものだ。
先週や先々週の週末は午前中に病院へ行かなければならなかったので、出発を優先し、ほとんどの家事は後回しになった。
朝食の後片付けをせずに食器を置きっぱなしにして身支度をしていると、キッチンからカチャカチャと音がする。
慌てて飛んでいくと、父が汚れた食器を食洗機に入れている最中だった。
「ちょっと待ったぁ〜ッッ!!! お父さん、食洗機に入っていた食器は出した?」
「いいや?」
つまり、昨晩洗い終わった食器を出さずに、父は汚れた食器を食洗機に入れていたのだ。
最初はきれいな食器だけ選び出そうと思ったけれど、混じってしまって分けられなくなっていた。
「普段何もしないくせに、なんで勝手なことするのよ!! 」
結局、全部食洗機にかけた。
「余計なことするから、ムダになったでしょ!」
忙しくしてるときに限って、イライラさせられる。
朝は余裕がなかったので、病院から帰って来たあと午後に洗濯した。
いつもなら夕方に取り込むけれど、2、3時間じゃ乾かないかもしれないので、明日の朝まで干しているつもりでいた。
ところが、夜にたまたまベランダに出ると、洗濯物が消えている。
父が取り込んでいたのだった。
普段、「夕方になったら洗濯物を取り込んでね」とお願いしても、取り入れるのを忘れる人である。
依頼されたときには忘れるくせに、なぜに頼まれもしないときに取り込むんだよう!!
「干してあるから、取り込まなあかん思たんや」
「ちゃんと乾いてた?」
「知らん。お父さんはそんなん気にせぇへんもん」
カゴに入っている洗濯物をひとつづつ触って確かめると、薄手のものはだいたい乾いていたが、ジーンズやバスタオルの端の固いところがまだ湿っていた。
干し直しである。
「なんで確認せえへんのよもう!!」
怒り心頭。
父は報連相ができない。
若いときからそうだったが、歳をとって余計ひどくなっている気がする。
日頃のストレスのほとんどが、父とのコミュニケーション不全が原因だ。
それでも許せるおおらかな人になりたいが、どうしても無理みたいだ。
「勝手なことをされる」のが大嫌いな性分らしい。
父母の不仲も、結局は父の報連相不全か原因だったのだろうと思う。
私が中学校1年生のころの話。
母がすごい剣幕で怒りまくっていた。
というのも、母が大切に育てていた庭のプランターの土がひっくり返されていたというのだ。
種をまき、毎日水やりをして、ようやく小さな芽が出てきたところだったという。
ひっくり返した犯人はもちろん父である。
父は何も植わってない空いているプランターだと思い、そこに新しい苗を植えるつもりだったという。
「庭は私が世話しとうの知っとうくせに、一言確認したらええやろ!」
わめき散らす母に対し、
「種を植えたんやったら、わかるように札でも書いとけ!」
と父は一蹴した。
お互いにああ言えばこう言って譲らず、負けじと怒鳴り合う。
私はいたたまれなくなって、懐中電灯を持って庭に駆け下りた。
夜だった。
私はすでにパジャマを着ていたのを覚えている。
私は父がひっくり返した土から、母の花の種を見つけようとした。
いや、正直に言うと、そんな暗闇で小さな種が見つかるなんて本気で思ってはいなかった。
単なるポーズだ。
健気な子供を演じることで、両親がハッと気づき、
「私たちがケンカしていてはいけないわね…」
「なみ松やめなさい、お父さんが悪かったよ」
な~んていうハウス名作劇場的な展開になるのではないかと、甘い考えでいたのだ。
しかし、うちの母は小公子セディの母でもなければ、うちの父は愛少女ポリアンナの父でもない。
母が鬼のような形相で、
「やめなさい!!アホが!!」
と窓から私を大声で怒鳴りつけた。
その瞬間、父が、
「何を怒鳴っとんじゃ!!子供に当たるな!!」
と母を殴った。
「よくも私を殴ったな!!」
母はキッチンに駆け込み、包丁をつかんだ。
完全に修羅場だった。
母は泣きながら、
「お父さんにも殴られたことないのに!」
と言ったように記憶しているが、そんなガンダムのアムロと同じセリフだったっけ、とここは私も記憶があいまいである。
庭に降りたときは、こんなことになるとは思ってもみなかった。
おかしい…、なんでこうなったんだろう…。
ハウス名作劇場ではこんなことにならないのに…。
13歳の私はうろたえるしかなかった。
そこから波野家の暗黒時代が始まるのだが、今でも私はときどき考えてしまう。
あのとき、私が庭に出てしょーもない猿芝居をしなかったら、両親の人生はこじれずに済んだんじゃないか、と。
私がまぜ返したのはあのときの土ではなく、両親の夫婦仲だった。
夫婦喧嘩は犬も食わないというが、子供でも触ったらいけないのだ。
とにかく家族というものは、いつだって余計なことをする。
しかも、よかれと思って余計なことをするのだ。
父はバスタブを洗いもせずに、お湯を入れ替えるだけでお風呂を入れようとした。
それをすると、浴槽の壁についた垢が新しいお湯を汚してしまうので頭にくる。
「やるならちゃんとやる! ちゃんとできないなら私にまかせる! 中途半端にやらないで。わかった?」
この話はこれで何度目だろうか。
あまりのストレスで、
「お父さんが早くこの世から消えてくれたらいいのに!」
と思ってしまう。
そんな先週の日曜日、夕方にテレビで『きかんしゃトーマス』を見ている父を見た。
その無邪気なシーンに、
「お父さんに悪気はないんだよなぁ」
と、悲しくなってしまった。
振り返って考えると、いつだって父は悪いことだと自覚して行動することはない。
結果的に、余計なことや迷惑なことになっているだけのかわいそうな人なのだ。
たった一言、確認すればいいのに、その一言が言えない愚かな人。
家族は愛し合いながら苦しめ合う。
だから私は、これ以上家族を増やしたくないのだ。
爪水虫と汗疱
母の世話の中で、つい忘れがちになるのが爪切りである。
特に足の爪なんて、自分のでさえも気が付いたら伸びているくらいなんだから、他人ならなおさらだ。
前のデイサービスに通っていた頃だから3年以上前になるけれども、いつの間にか母の右足の親指の爪が盛り上がるようになった。
靴のつま先が当たって変形しちゃったのかなぁ、なんて思いながら、爪が分厚くなっているのをやすりで削っていただけで、長い間そのまま放置していた。
疥癬にかかったとき、皮膚科の先生がたまたまそれを見た。
「これ、白癬ですよ。爪水虫です」
と指摘した。
「水虫? これ水虫なんですか?」
水虫薬のテレビCMでしか水虫を見たことがなかった私は、変形した爪が水虫だとは思いもよらなかったのだ。
とはいえ、症状は爪が分厚くなるだけである。
母も痛くもかゆくもないようだった。
そのせいもあって、あまり熱心に治療せず、疥癬や床ずれで皮膚科を受診するついでに薬をもらう程度だった。
皮膚科が遠かったせいもあるし、水虫薬だったら市販薬も出てるからドラッグストアで買えばいいだろう、と軽く考えていたせいもある。
ところが、二週間前くらいから、母の爪まわりが赤くかぶれて、少しだけれど汁が出るようになった。
あれよあれよという間に、赤くポツポツした水疱が足の指全体に広がってしまったのだ。
てっきり水虫が悪化したと思った私は、市販のスプレー式水虫薬をバシャバシャかけた。
それでも、ブツブツは良くなるどころかひどくなるばかりだった。
水虫は感染する。
疥癬のときもそうだったけど、うつる病気というのは本当に気を使うものだ。
そもそも爪水虫にかかったのも、前のデイサービスでうつされたからに違いなく、集団生活でお風呂を使っていると水虫にかかる可能性が高いというのはよく言われることだ。
今度は母が原因で、今の介護施設のほかの利用者さんに水虫をうつしてしまったら申し訳ない。
それに、私だって水虫になるのは嫌だ。
赤いブツブツがいっぱいできてしまった母の足をしげしげ見ながら、困ったことになったなぁ、と頭をかかえていた。
施設の看護師さんが、とりあえず爪をガーゼ保護するように処置してくれて、皮膚科へ行くまでは市販の水虫薬でだましだまし治療していた。
早く皮膚科を受診するべきだったけれど、まずは骨膜炎の治療で赤十字病院の受診を優先するしかなかった。
歯を抜いた翌日、ひと段落ついた昨日の土曜日に、母を連れてようやく皮膚科へ行った。
皮膚科のある病院は少し離れた町の、古い住宅が入り組んだ場所にある。
田舎なので、そこくらいしか皮膚科がない。
行くのには時間がかかったけれど、赤十字病院と違って、診察券を渡せば5分も待たないうちに診察室へ通された。
「水虫が悪化したようで、足の指に水疱ができてるんです」
と先生に訴えた。
ここはお母さん先生と娘さん先生という母娘でやっている珍しいパターンの病院である。
この日は娘さんだった。
マスクをしているので顔全体はわからないが、瞳の色が髪と同じ茶色をしているのが印象的だ。
母の足を見てもらうと、
「爪は白癬ですけど、かぶれているのは水虫じゃないですよ」
と先生が言った。
「汗疱みたいですね」
「カンポー?」
「汗が原因でかぶれているんです」
「じゃ、うつらないんですか?」
「爪のほうはうつりますよ。でも、かぶれはうつらないです」
かぶれがうつったらどうしようと心配していた私は、なんとなくホッとした。
「もしくは、スプレーの水虫薬を使われてたってことなんで、それにかぶれたのかもしれませんね。しばらくは爪水虫の治療はとめて、まずは汗疱性湿疹を治しましょう。足はできるだけ清潔にして乾燥させてください」
言われてみれば、思い当たることばかりである。
ここのところの暑さで、母はずいぶん汗をかいていた。
病気のせいで自律神経がうまく機能せず、体温や汗をうまくコントロールできないのだ。
私が気付かなかっただけで、靴下の中もかなり汗をかいていたことだろう。
そのうえ、私が間違った判断で水虫薬をスプレーしてしまった。
母は自分で身体を動かすことができないので、足の指を広げることがないまま、汗と薬でずっと蒸れていたに違いない。
素人判断がいかに危険かといういい例だ。
よっぽど痛いとき以外、母は声をあげない。
ベッドから起こすとき、腰が痛いのかときどき声を出すことがある程度だ。
それだって、話せていたときに同じ動作でよく「腰が痛い」と言っていたから、きっとそれだろうと私が勝手に判断しているだけのことだ。
アゴが腫れたときも痛かっただろう。
歯を抜いたときも痛かっただろう。
足のかぶれもかゆかっただろう。
でも、母は何も言わない。
言えないからしょうがない。
私は推測しかできない。
最近は私もマヒしてしまって、何も言わないから何も感じていないんじゃないかと思ってしまうことがある。
ケアマネさんから、
「ずいぶん痛かったでしょうね」
と言われて初めて、母のつらさに気づくという鈍感ぶりだ。
願わくば、私同様に母にも超鈍感になってもらって、痛みやかゆみを感じなくなっていてほしい。
歯を抜いて、猛暑。
金曜日は再び夏休みをもらって、赤十字病院へ母の犬歯を抜いてもらいに行った。
これを抜いておかないと、また炎症を起こしたり、そのせいでアゴの骨が溶けてしまったりするんだから、対処せざるをえない。
診察室では、歯を抜いたあとの万が一の場合について説明を受け、同意書にサインをさせられた。
一応「手術」ということになるらしい。
「術後、唾液に混じってピンク色の血が出ます。それはいいんですが、濃い色の血がダラダラ出て止まらないときは、すぐに病院へ来てください」
「すぐにと言いますと? 夜中でもですか?」
「そうですね、夜中だったら夜間救急外来がありますから」
「家族だけでは連れて来られないんですが、救急車を呼んでもいいくらいですか?」
「んー、まあそうですね、血が大量に出るようだったら救急車を呼んでもかまいません」
うちの母は10年ほど前に心筋梗塞をやったことがあって、それ以来、バイアスピリンという薬を飲んでいる。
血液をサラサラにする薬で、これを飲んでいると出血が止まりにくいと言われているのだ。
だから、出血については私もちょっと不安なところがあった。
歯を抜いたことによって、命にかかわるような大変なことになってしまったら?
心配症の私は、ついつい最悪の事態を考えてしまう。
「では、ご家族の方は外でお待ちください」
と言われて、ずいぶんかかるのかと思いきや、抜歯はあっという間に終わった。
終わった後の母を見ると、口の端から一筋の血が垂れているだけだった。
そのせいで服に2滴の血液染みがついてしまったけれど、ドバドバ出血したような雰囲気はない。
先生が抜けた犬歯を見せてくれたが、歯の根っこが真っ黒で、見事な虫歯だった。
これまで見えていた歯の上部分は何ともないのに、根だけ虫歯になるなんて、そんなことがあるの?
まったく、何が起きるかわかったもんじゃない。
「抜いたあとの部分は縫っています。自然に溶ける糸ですが、なくなるのに1か月はかかるでしょう。それまでに取れてしまうようなら、抜いてもらってもかまいません」
母の口を見てみると、歯を抜いた部分が真っ黒な穴になっていた。
「わあ、ブラックホール!」
と私が言うと、
「黒く見えているのは血の塊ですよ」
と言われてしまった。
言葉が言えない母は、痛いのか痛くないのか、ただ放心状態で口をだらりと開けていた。
先生からは、食事も、口腔ケアも、これまで通りでよいと言われた。
「穴の部分に食べカスがたまったらどうしたらいいんですか?」
と尋ねると、
「ほっておいてください。患部は触らないことが一番です。無理に掃除したりしないように」
と言う。
ただ、やはり心配性の私は、それでまたバイキンが入ったらどうするんだろう、と考えてしまう。
そのために抗生物質のお薬が出ているんだろうけれど、なんとなく不安だ。
こういうことから、徐々に弱ってしまうんじゃないのかな、年寄りってやつは。
その後、今のところ血はさほど出ることがなく過ごしている。
ただ、食事が進まない。
その理由が、患部が痛いせいか、猛暑のせいかがわからない。
毎年、猛暑が続くたびに母は食事が摂れなくなる。
ここのところ、一番食べてくれるのは、カステラやスポンジケーキ類を牛乳にひたしたものだ。
夏に入るまでは、オートミールとグラノーラを混ぜたものに牛乳をかけて、くたくたになるまで置いたものを食べていたけれど、最近はよくむせるようになって、食べさせるのをやめた。
おかずには、豆腐、卵豆腐、茶碗蒸し、そしてレトルトの介護食品が大活躍だ。
ミキサー食は自分では上手に作れないから、手作りするのはやめてしまった。
レトルトの介護食品は最近、いろんなメーカーが参入してきて、種類がどんどん豊富になっている。
その中でも、昔は「容易にかめる」という一番かたいものだったのが、今は「かまなくてよい」という一番やわらかいレベルのものしか飲み込めなくなってきた。
今冷蔵庫に入っているのはこんなところ。
母が失った歯は、今回抜いた歯で3本目。(母の歯の丈夫さは過去の日記を参照していただければ幸い。)
naminonamimatsu.hatenablog.com
8020運動というのをご存知だろうか。
「8020(ハチマルニイマル)運動」とは?|8020運動|啓発活動|日本歯科医師会
「80歳になっても20本の歯を残そう」という運動らしい。
母の歯はまだ25本は残っている。
80歳まであと3年。この調子でいけば20本くらい余裕で残りそうだ。
母は歯も丈夫だし噛む力は十分ある。
なのに、食事は「かまなくてよい」だなんて、皮肉すぎる。
飲み込むのに力がいるなんて、若いときに誰が想像できるだろう。
去年の夏は、一時期アイスクリームしか喉を通らないときがあった。
それに備えて、今バニラアイスが冷凍庫でスタンばっているのだけれど、そろそろ出番かもしれない。
しかしアイスクリーム、歯茎にしみるかもしれないなぁ。