すべてのものが珍しい
今日でサトイモは生後100日目を迎えた。
100日といえばお食い初め式なのだけれど、こんな大雨なのでひとまず延期。
それより、昨日は2回目の予防接種だった。
雨の中の病院通い。
思えば1回目の予防接種も雨だった。
2週間健診のときも1か月健診のときも雨。
はい、雨男確定!
そりゃ100日目で記録的大雨になるはずだよ。
自分の手を認識しました
そのスーパー雨男は、最近しきりに自分の手をしゃぶる。
お腹の中にいた頃も指しゃぶりをしていたのはエコーで知っていたけれど、最近は指どころかげんこつごと口に入れようとする。
子育て情報によると、これをハンドリガードというらしい。
これくらいの月齢になると、自分の手を認識するらしいのだ。
「目の前にあるひらひらしたの、これが僕の手なんだ! 自分で動かせるんだぞ!」
赤ちゃんの発見てすげー!
かまやつひろしの『ゴロワーズを吸ったことがあるかい』という曲にこんな歌詞がある。
できる事なら一生赤ん坊でいたかったと思うだろう
そうさすべてのものが珍しく
何を見ても何をやってもうれしいのさ
そんなふうな赤ん坊を
君はうらやましく思うだろう
この世界に生まれてきて、まだ100日。
自分の手でさえ珍しくて面白いんだな。
足の指にお宝を発見しました
先日、元町商店街の中にある子育て支援センターに行ってきた。
神戸常盤大学が運営していて、登録すれば無料で参加できる。
とてもにぎわっていて、入り口前にはベビーカーの列ができるほどだ。
サトイモはまだお友達と一緒に遊ぶことはできないけれど、常駐の保育士さんによると、
「こういう場でお兄ちゃんお姉ちゃんが遊んでいるのを見ているだけでも良い刺激になりますよ」
とのこと。
このときはおしゃべりをし始めたばかりくらいの子供たちが何人か遊んでいて、知っている人知らない人の区別なく、
「みて~!サンドイッチできた~」
などとブロックを積んで持って来たりする。
こっちは不慣れなので、
「あっ、そう? …サンドイッチなの?」
とどこがサンドイッチかわからないただのブロックに戸惑いながらも、
「中の具は何かな?」
などとまともに相手をすると、幼児は黙りこくってしまった。
手加減を覚えなきゃいけない。
「たまごかな?ハムかな?レタスかな?」
とヒントをあげると、
「レタス!」
と答える。
「そっかぁ、レタスのサンドイッチかぁ」
認知機能が落ちていたうちの母に、そうやってよく選択肢を投げていたことを思い出す。
「飴ちゃんどれがいい? いちご、ぶどう、メロン、みかん」
「みかん」
「もう一回聞くよ? ぶどう、メロン、みかん、いちご、どれがいい?」
「いちご」
…それ、最後のしか覚えてないだけちゃう?
そんなやり取りも懐かしく思い出す。
サンドイッチとは別の男の子がやってきて、足の指を見せた。
「これ~!」
親指と人差し指の間を開き、
「これ~?」
と尋ねる。
指の股にホコリが詰まっている。
「ゴミが入っとうなぁ」
すると、次は人差し指と中指の間を開き、また、
「これぇ~!」
と言う。
足の指の間を開くと何かが入っているというのがうれしいらしく、いろんな人に見せて回っていた。
足の指の股にゴミが入っている!
しかも指によって異なる!
なんという世紀の大発見!!
ゴロワーズの歌詞のごとく、大人もこんなふうに毎日を過ごせたらどんなにか楽しいだろう。
老人もそれに近い
母のお見舞いを父に頼んでいるけれど、タオルの交換しかやってくれない。
特に、「リップクリームを塗ってあげて」という依頼は全く果たしてくれない。
何度言ってもダメなので、もう諦めた。
どうしてリップクリームを塗らないのかずっと疑問だったけれど、先日やっと理由がわかった。
「で、リップクリームて何や?」
今さら?!?!
父は何度説明しても、リップクリームが何なのかすぐ忘れてしまうのである。
何かわからないのだから、塗るのを忘れるのは当然だ。
何度も現物を見せ、塗ってみせ、リップクリームにマジックで「唇」と書いたにもかかわらず、忘れるのだ。
父も認知症なのかもしれないけど、昔からこういう人だった。
慣れなきゃいけないけど、いまだにため息が出る。
毎週実家に帰って食事を作っていた頃、父によく、
「これはなんていう料理や?」
と尋ねられて気を悪くしていた。
料理が不得意なのでどうしても被害妄想に陥り、ディスられている気分になってしまう。
特に決まった料理名がないものだと、こんなやり取りになる。
「豚肉と小松菜のグチャグチャ炒め!」
「そんな料理があるんか?」
「気にいらんかったら食べんでええで!」
「いや、食べる」
料理名がハッキリしたものだと、こう。
「ハンバーグに見えへんかもしれんけどハンバーグですわ!」
「ほう、これがハンバーグか」
「すんませんなぁ、わけのわからんもん出して!」
「いやいや。お父さんハンバーグ初めて食べるからな」
「嘘つけ!!」
母の世話でいっぱいいっぱいなのに父の相手までしていられない。
いつもイライラしていたせいもあるけれど、必要以上に私はケンカ腰だった。
けれど、父が料理名を尋ねるのは、イヤミや皮肉ではなく、どうやら本気で言っているらしいというのにやがて気が付いた。
ハンバーグを食べたことがない、というのも、本気なのだった。
もちろんそんなわけはない。
全部忘れているだけ。
それ以後、注意してきいてみると、父はいろんなものが初めての人になった。
「いっぺんシチューいうもんを食べてみたいなぁ」
「先週シチューやったやんか」
「ええっ?残念、覚えてないわ!」
「ポン酢買ってきてって頼んだのに、お父さんが買ってきたの、コレみりんやで」
「ポン酢とみりんって何が違うんや。ポン酢なんか食べたことないからわからんかった」
「…昨日の鍋はポン酢で食べたやないの」
「あれがポン酢か! 調味料の名前なんか気にしたことなかったしなぁ」
父のこのエピソードは数年前の話。
当時も認知症を疑ったけれど、病院での認知症検査にはパスした。
一体どういう脳の働きなんだろう。脳梗塞の後遺症だろうか。
父はあらゆるものを知らない。
毎日未知のものに遭遇する割に毎日がしょぼくれているのは、発見しても驚きがないからだ。
新しいものに出会うんだから、もっとワクワクしてほしい。
そうしたら老人だって、赤ん坊みたいに毎日がキラキラするのに。
大丸のエレベーターで怒られた。
子育てをやってみて初めて知ることが多い。
最初に感心したのは、赤ちゃん用オムツだ。
病院で看護師さんたちがパッと見てすぐに、
「おしっこ出てますね」
なんていうので、どうしてわかるんだろう、経験なんだろうか、と不思議に思っていた。
あるとき、
「おしっこ出てないか確認してください」
と言われて、オムツを開けてチェックしたら、
「何やってるんですか?ここを見ればいいんですよ」
とお知らせラインについて教えてくれた。
黄色いラインが青く変色するのだ。
知っている人からしたら当然のことなんだろうけど、教わらないとわからない。
あとでパンパースのパッケージを調べてみたら、「便利なおしっこお知らせラインがついています」とだけ書いてあった。
…気付かんかったなぁ。
母の介護をしていたとき、オムツを開けてチェックしていたから、
「こんな便利なものがあるなら、大人用紙オムツにだってつけてくれたらいいのに!」
と思ったけれど、自分で尿が出たかどうかわかる人が大半だろうし、オムツだけじゃなくて尿取りパッドを併用する人も多いから意味がないのかもしれない。
車イスとベビーカー
ベビーカーを初めて使ったときも、車イスとの違いに戸惑った。
ひとつはストッパーとかブレーキの存在。
車イスならグリップにブレーキがついているし、レバーで固定もできるから安心なんだけど、ベビーカーには個々の車輪にしかついてない。(機種によって違うんだろうけど、うちのにはない。)
もうひとつは、車イスにはちょっとした段差を乗り越えるときに踏むバー(今調べたけど、ティッピングレバーというらしい)が後方についているけど、ベビーカーにはない。
これが一番不便。
ベビーカーは軽いから、丸ごと抱えてもたいしたことないから不要かもしれないけれど、ティッピングレバーがついていたら便利なのになぁ、と思ってしまった。
各レバーなどの使い方や車イスの安全な利用方法については、ケアマネさんや療法士さん、レンタル業者さんが教えてくれた。
ベビーカーの場合はそういうのがない。
ちゃんと取扱説明書を読んだのだけれど、あまり詳しくは載っていなくて、いくつか疑問点が残ってしまった。(例えば、前輪と後輪で全方向動くのと固定されてるのがあったりとか。)
もちろん、ベビーカーの性能によってまちまちなんだろうけど、そもそも購入前に選ぶポイントからして自分で調べまくらないといけないのも面倒だった。(実際、ベビーカー選びは夫に丸投げしてしまった。)
その辺りも介護の場合、うちの母に適したものをケアマネさんやレンタル業者さんがアドバイスしてくれた。
そんなふうにアドバイザーがいたらなぁ…。
子育て全般について、介護サービスみたいだったらいいのになぁ、とよく思う。
ケアマネさんがいて、いろんなサービスを統括してアドバイスしてくれたらありがたいのに。
だって、欲しいサービスはよく似ているのだ。
- ヘルパーさんの利用(神戸市には1回1,600円で産後ホームヘルプサービスがあった。私は使わなかったけど。)
- 介護用品→ベビー用品のレンタル(ベビーカーやベビーベッド、チャイルドシートなど)と利用方法のアドバイス
- デイサービス→託児所の利用方法や施設選びのアドバイス
- 介護施設入所→保育所・幼稚園入所について、施設選びのアドバイス
ね?
すごく似てるでしょ?
先日、保健師さんからアフターフォローの電話があって大変ありがたかった。
そのとき「区役所の保健師さんってまるでケアマネさんみたいだなぁ」と思った。
興味本位で担当している赤ちゃんの人数を聞いたとき、百人単位だったのでビックリした。
当たり前だけど、介護保険の事業として確立しているケアマネさんとは全く比べようがない。
子育て支援っていうけど、もっと本腰入れれば制度としてやれることがもっとあるってことだ。
介護のほうがサポートが進んでいる。
少子高齢化だから、政治が力を入れているのは高齢者のほうってことか。
じゃ、ますます少子高齢化の拍車がかかるんじゃね?
ステータスの高いデパートだと思っていたのに。
夫が、「サトイモに買ってあげたいオモチャを見つけた」というので、先日、大丸神戸店に行った。
ウオッチ型の、腕につけるラトル。
これまで縁がなかった子供用品売り場。
子供のための遊び場もあるし、ベビーステーションにはオムツ替え台やミルクを作るための浄水のお湯も用意されているという充実ぶり。
「さすが大丸やなぁ」
と言いながら、お買い物が一通り終わったあと、私たちは大丸友の会カウンターを目指した。
去年入会した友の会の積立が満期になっていたからだ。
毎月1万円ずつ1年間積み立てると、1万円分のお買物券がもらえるお得な仕組みなので、満期が来るのを楽しみに待っていたのだ。
移動には、車イス・ベビーカー優先エレベーターを使う。
そういう配慮があるのも、ちゃんとしてるなぁと思う。
ところが。
友の会カウンターは地下2階にあるのだけれど、エレベーターは地下1階までしか行かない。
優先エレベーターだけなのかな?と思ったけれど、そうでもない。
南のエレベーターだけじゃなく、東側にあるエレベーターも地下1階どまりだ。
じゃあ、車イスやベビーカーはどうやって地下2階に行けばいいの??
これまで何不自由なくエスカレーターを使っていたから、そんなこと気付きもしなかった。
「しゃーない、エスカレーター乗ろ」
と、夫がベビーカーを抱えてエスカレーターに乗り込んだ。
「大丈夫!?」
「俺がしっかり持っとうから」
私もサポートのつもりで後ろからベビーカーを支えた。
もちろんエスカレーターは混んでいなくて、乗っているのは私たちだけ。の、はずだったが。
後ろからすごい勢いで白髪のおばちゃんが近づいてきた。
「ちょっとあんたら!ベビーカーあかんって知ってるでしょ!!」
「あっ?えっ!?」
「ここにも!ここにも!ベビーカー禁止って書いてあるでしょ!!ほら!ここにもここにも!」
確かに、おばちゃんが指さすところにはベビーカー禁止マークが。
普段なにげなく乗っているエスカレーター。足元にそんな禁止事項が書いてあることすら気付かなかった。
「すみません、知りませんでした」
私としては丁重に謝ったつもりなのだけれど、
「知らんかったわけないでしょ!ちょっと考えたらわかるでしょ!ほんまあんたらどういうつもり!ケガしたって知らんよ!」
と攻撃をやめない。
エレベーターなので、降りたくても階下まで降りられない。
「すみません、これから気を付けます」
下に着くまでの間、ずっと怒られ続けた。
「まったくもう!」
ていうか、おばちゃんは降りてからも独り言のように文句を言いながら去って行った。
友の会のカウンターで、
「ベビーカーで地下2階に来るにはどうしたらいいんですか?」
と尋ねると、
「大丸内にエレベーターがございませんので、地下鉄の連絡口にある外のエレベーターをお使いください」
とのことだった。
まじか、大丸神戸店。
何年か前まで友の会カウンターは確か8階にあった。
それが地下2階に移動したってことは、車イス・ベビーカーの人は友の会には入らなくて結構ってことだな(怒)
ベビーカーのマナーブックが欲しい
おばちゃんが言うのは正論である。
ベビーカーをエスカレーターに乗せるな。
じゃあ、もしエレベーターがなくて、でも目的の階に行きたい場合はどうすればいいのか。
よく考えたら、サトイモを抱っこし、ベビーカーはたたんで乗ればよかったのだ。
考えが足りなかったし、知識もなさすぎた。
けれど、正直、どうすればいいのか知る機会がなさすぎる。
せいぜいネットで検索するくらいで、教えてもらえる機会もない。
怒られるばかりで正解がない。
ベビーカーのマナーがどうとか言われるけれど、初めて扱うんだもの、こっちはわからないことだらけだ。
母子手帳にベビーカーのマナーブックがついていたらいいのにな、と思う。
いちいち追いかけてきて説教する暇があるおばちゃんは、マナーブックの編纂をすればよろしい。
攻撃者じゃなく、指導者がいる社会を望む。
筋少は30周年、サトイモは3ヶ月。
生後1ヶ月を過ぎたら、赤ん坊も大人と一緒に入浴していいらしい。
と言われても、まだまだ首がすわっていない赤ん坊を深い浴槽に入れるのは怖くて、私はいまだにサトイモをベビーバスに入れている。
ベビーバスに浸かっている間の、放心したサトイモの顔はとても愛らしい。
画像におさめたいなぁと思うものの、私がお風呂に入れていたらシャッターは押せない。
いつも遊びに来てくれる友達に、沐浴中の写真を撮ってもらえないかと頼んで、先週木曜日に来てもらうことになった。
前日になって、その日が筋肉少女帯のニコニコ生放送の日だということに気が付いた。
それも、「デビュー30周年記念日ライブ独占生中継」!
これは画面にかじりついて見たいところ。
来てくれる友達に、
「ニコ生始まったら、集中して見たいんやけど、それでもいい?」
と伝えると、それでも快く来てくれるという。
一緒にニコ生を見つつ、彼女はサトイモのミルクを飲ませたり泣き出したらあやしたりなど、世話を手伝ってくれた。
妊娠がわかったとき、1番困ったなと思ったのは母の介護のことだったが、2番目にツラいなと思ったのは今年が筋肉少女帯の30周年記念イヤーであることだった。
せっかくのお祝いの年なのに、ライブに行けないなんてなぁ…。
幸い文明の利器によって今回は生中継があって、友達のサポートもあって、画面でライブが楽しめた。
ありがたいこっちゃ。
ただ、秋にはライブツアーも決定した。
それには行けるだろうか。
もちろん誰かにサトイモを預かってもらわないといけないわけだけれど、そこまでして行くのか行かないのか、というところに葛藤が生まれる。
なかなか気軽に「預かってもらおう」という気分になれない。
預かってもらうために行う準備や段取りが面倒なのもあるし、預かってもらう人に対する責任もあるし、親としての体面の問題もある。
欧米では、子供をベビーシッターの学生アルバイトなんかに預かってもらって、両親が夜に遊びに行くことは当たり前だそうだ。
けれど、日本ではまだまだそんな人は少ない。
日本では、「遊びに行くから預かって」のハードルが高い。
そんなことをしようものなら、批判してやろう、説教してやろう、という人たちが手ぐすね引いて待っている。
いろんなところで感じるけれど、社会はどんどん寛容さを失って、すぐに人を断罪する。
それに伴って、日本人はいろんなところで「楽しむ権利」を放棄させられている気がする。
ところで、サトイモは明後日で満3ヶ月になる。
「やっと」3ヶ月だけど、この3ヶ月はめちゃくちゃ早かった。
サトイモの画像をまとめるのに、「みてね」というアルバムアプリを使っているんだけど、このアプリがこれまでの動画を勝手に編集して総集編動画を作ってくれた。
これがすごくよくまとまっていて、何度も何度も繰り返し見ている。
生まれてから3ヶ月までの成長がよくわかり、大きくなったなぁ、としみじみする。
出てきたとき2,064グラムだった体重が、もう5キロを超えた。
20ミリリットルしか飲めなかったミルクが、今や120ミリだ。
たった3ヶ月なのに、すでに小さかったときのサトイモが懐かしい。
動画を見てくれた親戚が、
「これからもっともっと可愛くなるよ」
と言ってくれた。
生まれたてのときよりもずっと、サトイモは私の宝物になっていく。
地震と連絡
一人で育児をしていると困るのが、朝のゴミ出しである。
角を曲がった先のゴミ取集所まで行かないといけないので、サトイモを置いていくかどうか迷うのだ。
ぐっすり眠っていてくれたらいいけれど、眠りが浅くて泣き出してしまったらどうしよう、と思案する。
月曜日の朝はプラスチックゴミの日だった。
先週は量が少なかったから見送った。
そのせいで、今週はもう袋がパンパン。
絶対に捨てないと!と意気込んでいたのに、こんな日に限ってサトイモが朝からグズる。
ふにゃふにゃ言って、ほっておくと泣き出す。
抱くとピタリとやむ。
仕方ないので、抱っこ紐で抱いてゴミ出しに行った。
せっかく装着したので、抱っこしたまま家事を済ませよう、とそのまま洗濯物干しをすることにした。
雨の予報なので浴室乾燥だ。
洗濯物をかがんで籠から取るときにサトイモが落下しないように気をつけながら(抱っこ紐からの転落事故が一番怖い)、サクサクと干していく。
調子よくやっていると、リビングで変な音が鳴っているのが聞こえてきた。
すでに浴室乾燥のスイッチを入れていたので音がうるさく、鳴っているのが何の音なのかよくわからなかったが、スマホだというのはわかった。
で、次の瞬間、ぐらぐらと揺れた。
やばい、地震だっ!!
何かの下に隠れないといけないことはわかってたけど、とっさに隠れられる場所が思いつかない。(あとから思えば、正解はリビングのテーブルの下だ。)
とりあえず浴室を出る。
オロオロして、そのまま玄関を出た。
その時点で揺れは収まっていたけれど、これが余震であとから本震が来る場合もあると思ったので、しばらく共用部分の廊下にいた。
上の階に住んでいるらしいよその赤ちゃんが泣き叫ぶ声が聞こえていた。
一方サトイモは抱っこ紐の中ですやすや。
運よく抱っこ紐でサトイモを抱いていたので、それほどパニクらないで済んだ。
これがちょっとでも離れていたとしたら、どれだけ肝を潰しただろう。
部屋に戻っても、サトイモはしばらく抱っこ紐で抱いたまま、テレビを見ながら夫とLINEで連絡を取り合った。
夫は出勤途中で、西宮で電車が止まってしまったとのこと。
車内に閉じ込められるかと思いきや、ちょうどホームに着いたところだったらしくて、すぐに降りられたらしい。
けれど、中途半端な西宮駅で降りたところで、会社へ行くことはできず、家に戻ることもできず。
「帰宅難民とか、情報で知っとってもたいしたことないやろうとナメとった。いざ自分がなってみたら、どんだけしんどいかようわかったわ」
阪神淡路大震災のときはすぐには家族と連絡が取れなかったから、こうやってすぐにやり取りができることに安堵した。
スマホを酷使?!
その後、何人かの知人と安否確認のような連絡を取り合った。
それほど酷使したつもりはないのだけれど、スマホを使っているうちに、だんだん操作性が悪くなってきた。
夕方くらいから、電源キーが反応しなくなってきて、ちょっとさわると画面に音量コントロール画面が表示されるようになった。
なんとかしようと設定をいじっていたら、システムのアップデートがあったのでやってみたら、そこから完全におかしくなってしまった。
やってはいけないことをやっちまったらしい。
セーフモードになったまま、再起動できなくなってしまったのである。
セーフモードだと、インストールしたアプリが全く表示されない。
SNSが全滅。
前者はPCからでも起動できるけれど、LINEはこういうとき困る。
どうしよう!!夫と連絡が取れない!!
と焦ったけれど、ふと、メールという基本機能が生きていることに気が付いた。
そうか、メールすればいいんだ。
というか、逆に普段、どれだけメールという連絡手段から遠ざかっているかに改めて気付いた。
もちろん、電話という手段だってあるんだし。
ひとつのことにこだわらず、普段から代替手段を何か考えておくというのが重要かもしれない。
くしくもそれが、地震のときだというのが皮肉だった。
交通にしてもインフラにしても、普段使っているものが使えなくなった場合どうするか。
というわけで、このブログは久しぶりにスマホじゃなくてPCを使って書いている。
今日はこれからソフトバンクショップへお出かけだ。
もちろんサトイモは抱っこ紐で抱いて。
雨が降りませんように。
木綿のハンカチーフと2回目の帰省
『木綿のハンカチーフ』を聴くと、思わず泣いてしまう。
上京した彼と故郷に残された彼女の心の距離が次第に離れていく、歌詞のせつなさがたまらない。
私自身に東京に行った彼氏に捨てられた、な〜んて体験があるわけじゃないのに、彼女になった気分で胸が締め付けられる。
松本隆マジック!
ところが最近、彼氏の立場で涙してしまうようになった。
君を忘れて 変わってく 僕を許して
毎日愉快に過ごす街角
ぼくは ぼくは 帰れない
サトイモと大変ながらも楽しく過ごしているうちに、気付くと病気の母のことを忘れている自分がいる。
なんなら、両親の面倒をみないといけないことが、正直邪魔くさいと思ってしまうことさえある。
先日気が付いたのだけど、ここ何年か患っていた慢性胃炎が、出産後うそみたいに消えてなくなっていた。
育児休業だし実家にも帰っていないから、仕事と介護という二重のストレスから解放されたおかげだろう。
一旦下ろしてしまった荷物を再び担ぐのには、なかなか気力がいる。
妊娠中は、出産後はすぐに介護を始めようと思っていた。
それなのに今は、とてもじゃないけど介護は無理だと思う。
「サトイモのことで手一杯で…」
というのは、半分合っているけど半分嘘だ。
自分に嘘をついて、介護から逃げようとしているのをわかっているから、『木綿のハンカチーフ』で泣いてしまう。
泣いたところで、自分で自分を甘やかしているだけなんだけど。
2回目の帰省
この前の日曜日、再び実家に帰った。
前回と同じく、夫に車で送ってもらい、サトイモも連れて行った。
5月に母のお見舞いに行ったとき、母の左手の甲に内出血があり、左膝には包帯が巻かれていた。
後日、電話で看護師長に尋ねたところ、左膝は表皮剥離のため手当てをしたのだということだった。
自分で身体を動かせない母。
身体を移動させるのは入浴のときくらいだ。
しかし、原因を尋ねても看護師長は「わからない」としか言わない。そして、
「高齢になるとちょっとしたことでなりやすいんです」
とか、
「心配されなくてもすぐ治りますよ」
とか、
「故意ではないです」
などと言う。
そんなことは、こっちもわかってる。
なんでなったか、今後ならないようにどう対策するかが知りたいんだ!
そう言いたかったけど、しょっちゅうお見舞いに行ける家族ならまだしも、月に1回顔を出すだけの遠く離れた娘が口やかましく言うのは厚かましいのではないか、と遠慮してしまった。
いや、違う。
それも言い訳で、本当は、言っても通じなさそうな人に食い下がっても、こちらが消耗するだけなのが面倒くさかったのだ。
以前だったら、改善を求めて私は食い下がっていただろう。
それだけ、母のことに対して使う熱量が下がってしまっていた。
今回お見舞いに行ってみると、手の甲も膝も治っていた。
新たな傷はない。
ひと安心である。
父には週に2、3回はお見舞いに行ってもらっているけれど、父は本当に何にも気が付かない。
母の顔を見ることと、入浴で使ったタオルを交換することしかしない。
それだけでも助かる、よしとしないといけない、とここでも妥協だ。
「ところでお父さん、入院費は払ってくれてるよね?」
ふと思い出して、父に尋ねた。
すると、
「払ってへんで」
と言う。
ビックリして、
「払ってへんってどゆこと?!?!」
と声が裏返ってしまった。
「口座引きができなくて現金払いやから、毎月20日以降に受付に行って払ってよってお願いしてたよね?」
「それがまだ請求が来うへんのや」
「請求なんか来うへんよ! だから20日以降に忘れんと行ってねって言うてたでしょ!?!?」
「そうか。知らかったなぁ」
母の入院は3月からである。
その間、一度も支払ってないというのだ。
父に言いっぱなしで忘れていた私も悪いのだけれど、お願いしたことをすっかり忘れてしまう父に腹が立つ。
母に水虫の薬を塗ったり、リップクリームを塗ったりするのも、お願いしていても忘れている。
でもそれはまだ許容範囲だけれど、お金のことはシャレにならない。
週明けに絶対支払いに行くように、しつこいくらいに言い付けた。
(火曜日に無事、3ヶ月分の支払いが完了したという。)
書類仕事も介護のうち
実家で父から、
「これ、来とうから見て」
と手渡されたのは、特定疾患医療受給者証の更新手続き書類だった。
マイナンバーが導入されて制度が新しくなって、去年までよりも時期が早くなっている。
書類の記入はするけれど、書類を保健所に持っていくのは父にやってもらわないといけない。
「行ける?」
と聞くと、
「行ける。大丈夫や」
と答える。
本当に大丈夫なのか。
帰りの車の中で、
「ほんまに大丈夫かなぁ…」
と愚痴ると、夫には、
「大丈夫やないやろう」
と言われてしまった。
だからといって、じゃあサトイモを連れて電車で実家に帰って、私が手続きできるかと言えば、往復の時間も含めてメチャクチャ大変だし、サトイモにも負担がかかってしまう。
父ができると言ってくれた以上、とりあえず信じて任せるしかない。
身体介護は病院に任せられても、手続き関係で家族がやるべきことが残っている。
父にできるだけ協力してもらいながら、なんとかこなさなければ。
お宮参りとファミリア
先週の土曜日は、サトイモのお宮参りに行ってきた。
本来なら生後30日で行くものなのだけれど、早産のサトイモはすべてが1ヶ月遅れだ。
お宮は湊川神社にした。地元では楠公さんの名で親しまれている神社で、神戸三社といって、神戸を代表する大きな神社のひとつだ。
神戸三社は、
の3つである。
三社のうちどれにしようか迷ったけど、サトイモは男の子なので、楠木正成公のような武将にあやかるのもいいかと思い、楠公さんを選んだ。
なーんて言いつつ、実はこれまで、楠木正成がどういう人か全く知らずに楠公さんにお参りしていた。
今回お参りにあたって、初めてネットで調べてみた。
そっかー、智謀にたけた軍略家だったのね。
三国志好きにとっては、孔明と比べられるなんて最上級の誉め言葉。
忠義の人というのはあんまり見習ってほしくないけれど(社畜にはなってほしくないし)、楠公さんみたいな知略でもって、大きな敵にも知恵で立ち向かえる子になってほしい。
晴れ着をどうするか
お宮参りのときには赤ちゃんに晴れ着を着せるらしい。
出産前、ベビーグッズの中にお宮参り用の衣装レンタルが載っていて、夫にどうしようか尋ねると、
「今どきそんな着物なんか着せへんで。そんなんするん田舎モンだけや」
というので、そんなものかなぁ、と思っていた。
子供のいる友達にきいてみると、今はベビードレスを着るものらしい。
でも、お宮参りのためだけにベビードレスを買うのもなぁ…。
しかも、女の子ならまだしも、男の子にあんなヒラヒラのベビードレスって、なんだかなぁ…。
いろいろ迷った挙げ句、夫がファミリアでベビードレス風の2wayオールを買ってきてくれた。
派手すぎない、けれどきちんと見えるもので、お宮参りだけでなく、よそゆき着として使えそうだ。
私たち親はというと、夫は会社に行くのと同じスーツ姿、でもノーネクタイ、私はきちんと感のあるワンピース、でもジャケットではなくカーディガン、という、ややカジュアルな服装だった。
ところが。
湊川神社の社務所に入り、祈祷受付をしようとすると、すでに2組の先客が待機していた。
どちらも、両方のおじいちゃんおばあちゃんも揃って、全員がフォーマル、赤ちゃんも着物の掛け着をしている。
さらに、受付の手続きの様子を見ていると、ご祈祷の初穂料を納めるのに、ちゃんと水引のついた熨斗紙に包んで用意していた。
もちろん、うちはそんなことまで考えも及ばなかったので、お札は裸である。(ちなみに初穂料は1万円から。)
この日は結婚式があったため、本殿が空くまで少し待たされる形になったのだけれど、それまでにもう一組増えて、私たちを含めて計4人の赤ちゃんが祈祷してもらうことになった。
待ち合わせ所で待っていると、お互いによその家族が気になってしまう。
ていうか、付き添いは夫婦二人きりで、礼装ではなく、赤ちゃんも晴れ着じゃないのはうちだけ。
しかも親が年寄り。
明らかに浮きまくっている。
「みんな着物着てるやん。誰よ、そんなんするん田舎モンだけやって言うたん!」
と、冗談のつもりで言ってから、失言に気がついた。
隣のご夫婦に聞こえていたらしく、ジロリとにらまれてしまった。
ご祈祷
時間が来ると、順番に並ばされて本殿へ案内された。
初めて入る本殿は、天井画がすばらしい。
ゆっくり見たかったけれど、儀式はトントン進んでいく。
百人一首から抜け出てきたような顔立ちの巫女さんが舞う。
神主さんが祝詞をあげる。
最後はベビーベッドみたいなところにそれぞれ赤ちゃんを寝かせて、お祓いをしてもらった。
抱っこしているうちはいいけれど、置くと泣き出すサトイモ。
案の定、お祓いの最中にフニャフニャ泣き出してしまった。
身体が小さいぶん、声も小さいのが救い。
4人の赤ちゃんの中で、サトイモは1番早く生まれているのに1番小さかった。(誕生日と名前を読み上げるのでわかるのだ。)
しかも晴れ着を着てない。
そんな風に、私が少しひがみっぽく言うと、夫は、
「ほかの赤ちゃんの顔見た? 3人ともブっサイクばっかりやったな。サトイモが1番可愛かったわ」
と。
なんとまあ、親バカなことか。
やっぱりファミリアか
本殿を出るときに、御神酒を一口と、撤饌の紙袋をもらった。
帰ってから開けてみると、御守りとお食い初め用品が入っていた。
歯がため石やお砂糖、お塩、お米に加えて、スプーンなどのセットと前掛けだ。
やっぱりこれもファミリア。
赤ん坊が出来て何が驚いたって、神戸におけるファミリアの勢いだ。
同じ兵庫県でも播州で生まれ育った私には、ファミリアの印象は薄い。
日本の高級子供服といえばミキハウスだった気がする。
さすが地元というか、病院で退院時にもらった記念品もファミリアだったし、お友達からもらうお祝いもファミリアが主流だ。
これは神戸ならではの現象なのか、それともあのつまらなかった朝ドラ『べっぴんさん』以降の風潮なのか…。
ちなみに、『べっぴんさん』はヒロインにイライラしすぎて途中で見るのをやめてしまった。神戸が舞台だから期待してたのになぁ。
勤め先を自慢したがるオヤジには反吐が出る
ファミリアといえば、こんな思い出がある。
大学時代に、女友達と二人でカリフォルニア旅行に行った。
帰りの飛行機では3列並びの席だった。
私たち二人、プラス、ビジネスマンのおじさん。
旅行を終えても女子大生の話題は尽きず、機内でも私たちはひっきりなしにしゃべりっぱなしだった。
会話から西宮の大学生だと知ったからか、隣のおじさんが話しかけてきた。
「私の会社、どこだと思いますか?」
知らんがな!
と一蹴したかったけれど、
「ちょっとわかりません」
ととどめておいた。
見知らぬオッサンの会社に何の興味があろうか。
迷惑そうに返答しているのに、
「神戸で有名な会社ですよ」
としつこい。
「知らないと思います」
「絶対知ってるって。阪神間のお嬢さんなら、皆さんなじみがあると思いますよ」
「いえ、知らないと思います」
私は播州人だし、友達も近江人だ。
近畿圏ではあっても、阪神間ではないから、微妙に文化が違う。
私たちがいくらそっけなく答えても、おじさんはしつこい。
「聞いたら『あー!』ってなると思いますよ」
「いえ、ならないかもしれませんけど…」
「実はね、…ファミリアなんです!」
へぇぇ…。
きっと、愛社精神に溢れた人なんだろう。
けど、そのおじさんのせいでファミリアの印象は最悪になった。
最近話題の悪質タックル問題で、広報担当者が日大ブランドは「落ちません」と言ってさらに印象を悪くしてたけど、それに匹敵。
自分の発言が相手にどんな印象を与えてるかちゃんと気を付けなきゃ。
そんなこんなで印象が悪かったファミリアだけど、今こうやって赤ん坊に製品を使ってみると、さすがにモノは良い。
と、一応フォローはしておこう。
抱っこ紐と食べたことがないもの
月曜日、区役所へこども医療費助成制度の申請に行ってきた。
本来ならもっと早くしなきゃならなかったのに、すっかり忘れていたのだ。
言い訳をすると、まず、こども医療の申請には子どもの健康保険証が必要だ。
で、親のどちらかの健康保険に入るのだけれど、サトイモは私の健康保険に入れようと思っていた。
というか、夫の住民票は私たちと別の住所になっているので、夫の会社の健康保険には入れないんじゃないかと思っていたのだ。
なので、サトイモを夫に預けられる日を待って私が自分の会社に行き、手続きをしようとしたら、
「扶養も健康保険も、ご夫婦で収入が多い方で手続きしてください」
と言われてしまった。
勝手に気をまわしていた同居・別居については、あんまり関係ないみたい。
わざわざ私が会社に行くまでもなかったよぉ。
で、夫に健康保険に入るための手続きをお願いしていたら、出張などで忙しくて日がかかり、しかも総務担当者が仕事をミスして日がかかり…。
やっとのことで健康保険証が届いたときには、こども医療のことなんてすっかり私の頭から抜け落ちていた。
1ヶ月健診のときに病院の窓口で、
「こども医療はまだ手続き中ですか?」
と指摘され、ようやく思い出したというテイタラク。
抱っこ紐デビュー
1ヶ月健診が終わったら、サトイモを連れて積極的にお出掛けをしようと思っていた。
まさかそのお出掛けデビューが区役所になろうとは。
お出掛けツールは抱っこ紐。
新生児からでも使えるように、エルゴのアダプトという、まあまあ値の張るやつを買ったのだ。
4月下旬、抱っこ紐が届いた日にちょうど遊びに来てくれた友達がいたので、一緒に取扱説明書を読みながら使い方の練習をしたのだけど、
「ほんとにこんなややこしいことできるの?!」
も驚いてしまうほどの困難さだった。
新生児バージョンだからかもしれない。
クロス装着というのをやってみたのだけど、身体がかたいから背中の紐に手が届かないっ!
二人いて赤ん坊なしでもワタワタしてるのに、こんなの一人でやってたら、装着してるうちに赤ん坊を落としてしまいそう!
そのさらに翌日くらいに、実際にサトイモを抱っこして装着の練習をしてみた。
腰につけるセーフティベルトを着けた瞬間から泣き出し、声はだんだんクレッシェンド。
装着してみている間じゅう大泣きされてしまって、完全に装着しないままあきらめてしまった。
新生児訪問の保健師さんに外出を勧められたとき、その話をし、
「それ以来、抱っこ紐を使ってないんです」
と言うと、
「赤ちゃんも初めてだったからというのもあるでしょうし、お母さんも不安に思いながらやっているのを感じとって、余計に泣いちゃったんじゃないですか。日が経ったら反応が違ってくると思いますよ。何回かトライしてみてください。」
とアドバイスしてくれた。
確かに、ビビってたのは私のほうだわ。
1ヶ月健診後、再び抱っこ紐の装着を練習してみたら、今度は全く泣かなかった。
それどころか、スヤスヤ心地良さそうに眠っている。
普通の抱っこ以上にぴったりくっついているホールド感がいいのかもしれない。
コアラ式の抱っこは妊娠してたときの感覚に似て、私自身もしっくりくる。
中にいるか外にいるかだけってかんじ。
区役所への行き帰り
そんなわけで、区役所へお出掛けした小一時間ほどの間、サトイモはほとんど眠ったままだった。
そうなるだろうなぁ、と予想はしていたけれど、家について抱っこ紐から出した瞬間、大声で泣き出した。
もしかすると途中からは起きていたけどお外にいる不安から寝たふりをしていて、家についた瞬間ホッとして、たまらず泣き出したんじゃないか。
でも本当は、家についた瞬間ホッとしたのは私のほう。
久しぶりに外を歩くと、身体が重くてひどく疲れた。
重いのは赤ん坊を抱いているせいもあるけれど、明らかな運動不足と体重オーバー。
これはなんとかしなきゃ。
数分歩くだけで息がきれるなんて。
小一時間の間に、エレベーターや駅で、3人の見知らぬおばあちゃんたちに声をかけられた。
「可愛いわねぇ。生まれたばかり?」
3人とも同じセリフ。
妊娠中もそうだったけれど、おばあちゃんってほんと話しかけてくるよなぁ…。
「首がすわってないのに、縦抱っこで大丈夫なの?」
最新の抱っこ紐で、大丈夫なように出来ているんですよ、と説明すると、
「私らの時代とは違うもんねぇ。私らのときはねぇ…」
と、自分の話に流れていく。
赤ん坊ができて、いろんな人の反応をみているうちに、子育て経験がある人ほど赤ん坊が大好きなことに気付いた。
私の同世代だと、多くの人が子供がもう中学生くらいになっている。
何人かから、
「もう赤ちゃんに接する機会がないからねぇ」
という言葉を聞いた。
きっと、赤ん坊を育てたことがあると、また育てたいと思う中毒性があるようなのだ。
それも、懐かしさを越えた何か、な気がする。
子育てをしたことがないシングル女性だって赤ちゃんに接する機会はないはずなのに、シングルの友達たちはそんなふうには言わない。
単に子ども好きな人とそうでない人の違いかというと、そうではないように思う。
シングルの友達にそのことを言うと、
「食べたことがないものは、また食べたいと思わないのと同じだね」
と言われて、なるほどなぁ、と思ってしまった。
私もあと10年したら、赤ん坊にまた接したいと思ってしまうんだろうか。
だとしても、電車で子連れの母親に話しかけにいくようなばあさんにはならないようにしよう。