3歩前のことを忘れる女のサブカルと介護の記録

神戸に住む40代波野なみ松の、育児と趣味と要介護両親の対応に追われる日々の記録。

鵞口瘡とオムツサイズ

ゲップをしていても、サトイモはよくミルクを吐く。
飲んだ直後ならミルクそのまんまを、時間が経ってからならヨーグルトの乳清みたいなものを出す。
乳清みたいなものだとミルクかすが口の周りにつく。
放っておくと出来物ができるので、友達がくれたベビーワセリンをしょっちゅう塗っている。
汚れがつくのを防止できるし、肌トラブルを起こしても早く治るので重宝している。

お盆過ぎのある日、サトイモの唇についたミルクかすをぬぐっても取れないことに気が付いた。

何これ?
ミルクかす、じゃ、ない!?

例によってグーグル先生を頼り、「赤ちゃん 唇に白い」と検索してみると、なんとそれはカビだというじゃないか!!!

カ、カビっ!?!?!?!?

それは鵞口瘡(がこうそう)という病名らしい。
漢字が怖いよもお!!

哺乳瓶やおもちゃなど、赤ちゃんが口に入れるものからカンジダ菌に感染すると起きるという。

最近はものをつかむのが上手になって、気が付いたら何でも口に入れようとしている。
ちょっと前までは手でつかんだだけで、
「上手につかめたね!」
とほめていたのがバカみたいだ。

こちらがそのスピードについていけてないから、目を離すとこれまで手がとどかなかったものを口に入れていて、慌てることもしばしば。
抱っこしていたら私の服をなめていたこともあった。
自分の服、バスタオル、枕、ハンカチ、おもちゃ…。
手でつかめるものなら何でも口に入れる。

それより、最も頻度が高いのはサトイモ自身の手だ。
四六時中、どちらかの手が口の中に入っている。
それなのに、手を洗うのはせいぜいお風呂の中くらい。
バイキンが口に入らないわけがない。

考えたら私自身も油断していた。

生後まもなくの頃、私の手はガサガサだった。
頻繁な石鹸での手洗い、アルコール除菌ジェル、哺乳瓶を洗ったときのミルトンの消毒液…。
あんなひどい手荒れは人生で初めてで、手をなでたらサンドペーパーかと思うほどの荒れようだった。

それが今すっかり治ったということは、それだけ手洗いの回数が減ったということ。(哺乳回数が減ったのもあるけど。)
手をきれいに洗わずにサトイモの手を握ったこともあるかもしれない。
…反省。


念のための病院受診

 

鵞口瘡は自然治癒することもあるらしいけれど、やっぱり気になるので病院を受診することにした。

何かあればすぐに病院に行けるのはいい。

思えば、母の介護をしていたときは、しょっちゅう介護施設やケアマネさんから病院で受診するように言われていた。
皮膚に湿疹が出た、表皮剥離した、歯茎が腫れた、足がむくんだ、、床ずれが悪化した、血圧が200を超えた…etc。
そのたびに、会社を休む算段をして日程を調整しなければならないのがウンザリだった。
最終的には、
「土曜日に連れて行きますから、それまで様子をみてやってください」
と言うのが常套句で、介護スタッフさんからは、
「なるべく早いほうが…」
と渋い返事をされていた。

今は育休中なので、そういう悩みから解放されているのが本当にありがたい。
気になることがあれば、いつだってすぐに病院に連れていける。

小児科の先生に診てもらうと、上下の唇の裏以外に両方の頬っぺたの裏にもカビがはえていた。
ひええ、カビだらけ!

「お薬を塗ればすぐ治りますからね。ただし、治ったからといってやめるとすぐ再発する可能性があるので、1週間はお薬を続けてくださいね」
と朗らかに言う先生に、
「この子、ずっと手をしゃぶってるんですけど、それが原因でしょうか…」
と尋ねると、
「菌自体はどこにでもある菌で、口の中のバランスが崩れると誰だって感染してしまうものです。気にしないでください」
と言われた。

これまでも、目ヤニが出たとき、くしゃみや咳が出るが多いときなど、いろんなことを小児科で尋ねたけれど、ほとんど、
「気にしないで大丈夫ですよ、赤ちゃんはそんなものです」
という回答しかもらったことがない。
きっと何百何千という母親たちが同じ心配をし、同じ質問を繰り返してきたのだろう。

薬は塗り薬で、1日5回、1週間分だった。
「綿棒で塗ってもいいですが、ガーゼを指に巻いて塗るほうが、口の中の感覚がわかっていいと思います」
と先生は言った。

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薬局で薬を出してもらうとき、薬剤師さんが、
「塗り方について説明は聞かれましたか?」
と聞いてきたので、
「ガーゼを指に巻いて塗るように言われたんですけど、家に使い捨てのガーゼがないんです。ここに置いてますか?」
と尋ねると、
ガーゼじゃなくても、ラップでいいんですよ~
と年配の女性の薬剤師さんは優しく笑った。

なるほど、ガーゼよりラップを使うほうがよっぽど清潔だわ。
いろんな人に話をきいてみるもんだ。

その日から、指にラップを巻いて、サトイモの口の中に軟膏を塗った。
まだ2回しか塗ってないのに、病院に行った日の翌朝にはすっかり白いものは消えていた。

薬の威力、すげえ。


いつのまにか追いついた!

 

病院の診察室で、鵞口瘡の診察より印象深かったのは最初のやり取りであった。

先生はカルテを見ながら、
「えーっと、今4カ月…」と言ったあと、サトイモを一瞥して、「…にしては大きいねぇ! 身長もあるし」
と言った。

え?そうですか?
やっぱり、大きいですか??

そばにいた看護師さんは産後の入院中にお世話になった人で、
「あれ? サトイモくんって生まれたときすごくちっちゃかった、あのサトイモくんですよね?!?!」
とびっくりしていた。
そうなんです、あんなにちっちゃかった、あのサトイモです。

「首ももうすわっているし、順調にすくすく育ってますね」
と言われると、ちょっとうれしかった。

そうなのだ。

3カ月以降、サトイモは急成長をとげていた。
現在6.5キロ。

どんどん大きくなる。

最初あんなに余裕があったベビーベッドやベビーバスもだんだん狭くなり、おむつ交換台からは足がはみ出てしまう。
ブカブカだった服も今やピチピチ。
そして何より実感するのは、オムツのサイズだ。

 

夫婦の会話

 

長い間お世話になった新生児サイズからようやくSサイズに変えたのは先月のことだった。
けれど、先週くらいからおしっこが足回りから漏れたり、ウンチが背中から漏れることが増えた。

オムツはたいてい夫にホームセンターで箱で買ってきてもらう。
「これがなくなったら、次はMサイズにしてほしいんだけど」
と言うと、
「こないだSにしたばっかりやのに?!」
と不審がられた。

パンパースのサイズ表を見ると、Sサイズは4~8キロの「ねがえり」期、Mサイズは6~11キロの「おすわり」期となっている。
「まだこいつ、おすわりできへんやん」
「でも、6キロは超えてるし」
「Sサイズは8キロまでいけるんやで」
「それはそうなんやけど…」

夫がSを推すのは、Mサイズになるとパックに入っている枚数が少なくなる、つまり単価が上がるからで、
「おい、サトイモ、うちはビンボなんやからちょっとは遠慮してくれよ」
と無理なことを言う。

おしっこやウンチが漏れることを話すと、
「逆に、こいつの足が細くて漏れてるってことはない?」
と訊いてくる。
だったら、ウンチの背中漏れのほうが説明がつかない。
私は、オムツ替えをしない人が意見しないでよ、と内心思ってしまう。

「どっちにしたって、いずれMサイズを使わないといけなくなるんだから」
と私が押し切って、Mサイズを買ってきてもらった。

するとやはり、
ジャストミーート、じゃなかった、ジャストフィッート!

パンパースのサイズ表とは異なるけど、ああいうのは目安でしかなく、母親の直感のほうが正しいってことだな。

それ以降、おしっこやウンチが漏れることがなく、快適に過ごせている。
オムツひとつとっても、試行錯誤の毎日だ。

一昨日から寝返りができるようになった。
サトイモの中では寝返りブームが起きていて、仰向けにしてもすぐにひっくり返ろうとする。
頭をぶつけたり、窒息の危険性もあるので目が離せない。

そして今日から、サトイモは満5カ月。

お盆の庭

月に一回の帰省が定着しつつある。
8月はちょうどお盆に重なった。
本来お盆の帰省となれば、お墓参りをしたり仏壇にお供え物をしたりするところだけれど、母の病院に寄っているとお墓参りに行く時間はないし、仏壇に花や食べ物をお供えしても、次の帰省までほったらかしになるのでやめにした。
結局、お盆らしいことは何もしない、普通の帰省になった。

最近どう?と尋ねるまでもなく、父は開口一番、
「ここんとこ、さっぱりアカンのや」
と言った。
「ここんとこ、足の動きが悪いんや」

歩き方を見ていると、先月、先々月と変わりない。

「リハビリはちゃんと行ってるの?」
「行っとうで。でも、ここんとこ、朝起きるのが遅うてなぁ」

朝起きられないのも、いつもどおり。

「ここんとこ、夜遅うまでテレビ見とって、寝るのが夜中なんや」

それも、今に始まったことじゃない。

「“ここんとこ”じゃないでしょ!」
「“このところ”?」
「言葉の問題じゃなくて!」

父は、10年前でも「こないだ」と言う。
そりゃあ、数カ月間の出来事は全部「ここんとこ」かもしれない。
でも、毎月毎月同じことを聞かされると、どうしてもツッコミたくなる。


実家の庭問題

 

今回の帰省ではひとつ目的があった。
乳腺炎には薬草のユキノシタをシップするといいと教えてもらったので、ユキノシタを探したかったのだ。

そうえいば、子供の頃に祖母から、擦り傷などを作ったらユキノシタをちぎって揉んだものを貼ればいいと教わったものだ。
ユキノシタはジメジメしたところに生える。
祖母の家では庭の手水鉢の周りに生えていたし、うちの実家では裏の日当たりの悪いところに生えていた。

庭は母のテリトリーだった。
花を育てるのが好きだったし、お花を習っていたせいか、千両や万両、万年青といった伝統的な縁起物も大事にしていた。
その一方、枇杷やアボカド、キウイフルーツといったフルーツの種を取っておいて植える趣味もあった。
「タダで育って実をつけたら儲けもんやろ」
という、ドケチ精神のなせる業だった。
意外とどれも芽を出す。
キウイフルーツは今やフェンスいっぱいに蔦を這わせている。
実もなるけれど、食べて美味しいものはできたためしがない。

庭の管理については、いつも父と母のケンカの種だった。
母が手塩にかけて育てている植物を、父は勝手に荒らした。
荒らした部分に父が植えた植物はどれも植えっぱなしで、気が向いたときにしか世話や手入れをしない。
結局母が水やりをすることになる。
母が怒るのも当然だった。

大きな樹々の枝は母の手には負えなくて父に頼むのだけれど、生返事ばかりで自分の都合でしか動かない。
植木屋に頼めばいいんだろうけど、ケチな我が家はお金を出すということはしなかった。
父がようやく伐採を始めても、素人なので樹のことは何もわかっちゃいない。
すると母は、
「あの樹をあんなふうに切って! そことちゃうやろ!」
と難癖をつけるので、
「エラソーに文句言うんやったらおまえがやれ!」
と父も怒り出す。

振り返って二人のことを考えると、計画性、報連相、お互いのコミュニケーションと配慮が足りなさすぎる。
どんな庭にしたいかちゃんと話し合わないとダメだし、新しく植える前には相談しないといけないし、自分が庭をいじったらお互いに報告し合わないといけない。
担当を決めたっていい。どの樹の何はどちらの担当か、どのエリアはどちらの担当か、ちゃんと分けて分担していたら、ケンカは減ったかもしれない。

…そもそも、それを話し合う段階でケンカになったのかもしれないけど。

大人になって両親のことを客観的にみると、いつも「なんとかならなかったもんかなぁ」ともどかしくなる。
もっと頭を使って、お互い賢く付き合えば、幸せな夫婦になれただろうに。

そんなうちの庭は、母が病気になって以降、荒れ放題だった。
去年まではまだ父も手入れをしていたけれど、この春以降は全く手つかずで、植木の枝は伸び放題、葉は落ち放題、雑草も生え放題だった。
父には業者に頼むように言っても、
「お父さんがやる」
と、父はいまだに自分で手入れすると言う。

「やるやるって言って、ずっとしてないやん」
と、これまでやってないことを咎めると、
「やろうと思とんやけど、なかなかやる気が出ぇへんのや」
と中学生のような言い訳をする。

サトイモを夫に任せ、めったに行かない実家の裏口に回った。

アジサイが大きくなりすぎて、枝が通路をふさいでいた。
反対側を回ると、今度はローズマリーの枝が邪魔をする。
なんとか枝をかきわけながら、あると思っていたところを探す。
けれど、ユキノシタはどこを探しても見つからなかった。

たくさん生えていたはずのユキノシタ
湿っているところなら自生しているものだと思っていたけれど、あれは母がちゃんと管理していたんだな…。

結局、ユキノシタを得ることはできず、庭の荒み方を再確認しただけになった。

けれど、転んでもタダでは起きたくない私。
庭木には月桂樹があって、せっかくなので月桂樹の枝を何本か切って持って帰ることにした。
月桂樹の葉は乾燥させて、ローリエとして料理に使う。


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枝は、父にガイドしてもらいながら、夫が切ってくれた。

ちょっと庭に出ただけなのに、半ズボンをはいていた夫は5か所も蚊に刺されてしまった。
蚊にしてみたら、めったにないごちそうがなってきて大喜びだっただろう。
不思議と、一緒にいたはずの父は蚊に刺されなかった。
タバコ臭いと蚊も寄ってこないのだろうか。

「今度、ほかの庭木も切ってもらえない?」
と夫に頼むと、
「剪定はようせんけど、切るくらいやったらやるで」
と言ってくれた。
夫は都会っ子で、これまでマンションにしか住んだことがない。
所ジョージの世田谷ベースに触発されて、庭や畑に興味が出てきたらしい。

今度来るときは、虫よけスプレーをちゃんと持参しよう。
秋に葉が落ちるまでに間に合うかな。

ダイエットと乳腺炎

ゴールデンウイークのこと。
お出かけをするのに、ノースリーブのワンピースを着た私を見た夫が言った。

「ビックリした! どこの小太りのおばちゃんがおるんかと思った!

ひどい!ひどすぎるっ!!

けれど、鏡に映った私は小太りのおばちゃんそのものだった。
妊娠前と比べると、体重は7キロも増えていた。

出産後、出したら凹むものだと思っていたお腹は半分くらいしか凹まず、妊娠のせいにしていた身体のラインは崩れっぱなしだった。

産後1か月目は、いわゆる「産後の肥立ち」というやつだ。
赤ちゃんの世話以外はできるだけ何もせず過ごすように言われているので、ほとんど外出もせず、家の中でもできる限り横になって過ごした。

そのうえ、
「母乳を出すためにしっかり食べること」
と周囲から言われるのをいいことに、食事もおやつも倍食べた。

母乳の出が良くないので、
「母乳を出すためにはもっと食べなきゃ!」
とばかりに、さらに食べる量を増やした。
母乳がザクザク出るようになれば、粉ミルク混合から完全母乳に移行できる。
目指せ、脱・粉ミルク!

先輩ママである友達は、
「授乳期って、食べても食べても太らへん魔法の期間やったわ。人生の中であんな奇跡はもうないな」
と言う。
ふふふ、「魔法の期間」かぁ。
その言葉に安心して食べ続けた。

たくさん食べて胃が大きくなっているので、量もたくさん入るようになった。
授乳のために夜中も起きているので、時間関係なく四六時中、お腹が空いたら食べる。
お腹が空かなくても、口寂しいだけでも食べる。

そりゃ太るよ!!!
太らないわけがない!!!
「魔法の期間」に騙された!!!

でも、冷静に考えれば、彼女が授乳していたのは20代。
しかも、母乳パッドがなければアウターまでびしょびしょになるくらい、母乳があふれ出ていたらしい。
あんまりザクザク出るので、お子さんの飲みが悪いときには乳腺炎になったと言う。

40代で母乳の出が悪い私とは全く前提が違うのだった。

母乳のためにと思って食べていたカロリーは、ほとんど私の脂肪になっていた。


そしてダイエット

 

夫に「小太り」と言われてから、ダイエットを始めた。

授乳中にダイエットなんてとんでもない、と言われそうだけれど、たいして出もしない母乳のために「小太りのおばちゃん」と言われたくない。
母乳の量を増やすのはもうあきらめた。

1か月健診のときに母乳の量が増えないことを病院の先生に相談したら、
「母乳を飲ませること自体に意味がありますから、量は気にしなくてもいいですよ」
と言ってくれていた。
少しずつでも毎回飲ませることで、粉ミルクには入っていない母乳による免疫力はつくはずだ。

とはいっても、全く出なくなったら困るので、あまり極端な食事制限はできない。
食事は無理せず摂ることにしたうえで、炭水化物の量はできるだけ減らした。
偶然これまでのお茶碗が割れたので、一回り小さなお茶碗を買った。

おやつは廃止した。
間食したくなったら、トマトや豆腐、納豆、卵を食べた。

そのほか、口にしたほうが痩せると言われているものを毎日摂るようにした。

そして運動。

赤ん坊を置いて外にでられないので、ジョギングやウォーキングはできない。
家の中でできるのは、ストレッチや筋トレである。
すぐに飽きてやめてしまったり、忘れてしまうのを防ぐために、チェックリスト機能があるアプリでメニューを管理するようにした。(ちなみにアプリはリズムケアというもので、下記画像。)


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まとまった時間が取りにくいので、隙間時間にひとつづつでもできるように、できるだけ動作は細かい単位で設定した。 

決まったメニューだけだと飽きるので、テレビでやっている運動やストレッチもよく利用した。
特に参考になったのは、Eテレの『体の硬い人のための柔軟講座』とBS-TBSの『美木良介のロングブレス講座』。
録画しておいて、時間のあるときに行った。

体重は毎日測る。
これもアプリに記録してグラフにする。
ずっと家にいるから、毎日どころか朝昼晩測る。
食べた後、排せつの後はもちろん、朝と夜で体重が変わるのがわかった。

そんなコツコツしたダイエットの結果、3カ月で体重は4.5キロ減った。

授乳中は妊娠前より2~3キロ重いくらいが望ましいらしい。
だったら、おやつは解禁してもよかろう、と8月に入ってからスイーツを食べてもよいことにした。
とたんに、これまでずっと下降していた体重のグラフが一向に減らなくなった。
スイーツの威力、恐るべし。


おっぱいが痛い!

 

7月くらいから、サトイモがミルクを途中で残す回が出るようになった。
生後3カ月くらいから「満腹感」がわかるようになり、満腹になるとミルクを残すようになるらしいのだ。

うちは母乳と粉ミルクの混合なので、まず母乳を左右順番に与えて、そのあとに粉ミルクをあげている。
粉ミルクの量は1回120~140ミリだ。
ミルクの缶に表示されている、標準的な生後3~5カ月の赤ん坊の「1回あたりの調乳量の目安」は200ミリリットルとなっている。
ということは、母乳で60~80ミリは飲めていないと標準量に達しない。

ちゃんと飲めているんだろうか…。
そもそも母乳がちゃんと出ているんだろうか…。

ベビースケールがあれば、飲む前の体重と飲んだ後の赤ん坊の体重を測って、その差で母乳量を測れるんだけれど、家には大人用の体重計しかない。
家では、大人用の体重計でサトイモを抱いて測り、あとで私の体重を引いてサトイモの体重を出している。
100グラム単位でしかわからないけれど、サトイモの体重は着々と増えている。

ということは、ミルクが足りないということはないのかな…。

母乳の量は気にしないでおこう、と思っているけれど、ダイエットをしているのがこういうところで引っかかってくる。
いっそのこと、全部ミルクにしてしまえばスッキリするのだけれど、やっぱりちょっとでも母乳で育てたいと思うジレンマ。

私の場合、母乳の出が左右で違う。
側弯症で身体が歪んでいるから、元から胸の大きさが左右で違っていた。
胸の大きさと比例するように、母乳の出も左右で差があり、最初はよく出る左のほうを多く飲ませていた。

するとどんどん左右差が広がっていった。
左右差をなくすためには、出が悪いほうを優先して長い時間吸わせるようにすればいいらしい。
それで、最近は努めて出の悪い右を優先し、左は後回しにしていた。

そんな矢先、左の乳首がひどく痛むようになった。

最初は、サトイモが強く吸いすぎたのだろうと思っていた。
生後0~1か月の頃は口が小さかったから乳首を浅くしか咥えられなくて、強く吸われるといつも痛かった。
ドラッグストアでこんなグッズを購入したくらいだ。(つけたらさらに咥えにくくなったので、ちっとも役に立たなかったけれど。)


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最近は口も大きくなって、おっぱいを飲むのも上手になったから、授乳時に痛みが出ることはなくなったのだけれど、きっと今回角度だとかタイミングが悪かったんだろう。
痛みがあるので、半日ほど左での授乳を控えることにした。

しかし、痛みはひくどころかひどくなる一方。
それに、乳房全体が重くてつっかえるような感じがしてきた。

よく見ると乳頭に白い出来物ができているじゃないか!!

もしかして、と検索すると、乳頭の白いのは「白斑」といい、母乳が詰まってできたものらしい。
これがひどくなると乳腺炎になるらしいのだ。
乳腺炎になると、高熱が出たりして大変らしい。

ヤバい!!
乳房が張って硬くなるのも、乳腺炎の兆候だ。

慌てて張りをほぐすために搾乳機で搾乳することにした。
痛みをこらえながら、硬くなっている部分をマッサージしながら搾乳した。

そういえば、産後1~2か月までは使っていた搾乳機を、最近あまり使っていなかった。
搾乳してもたいした量が取れないし、3~4時間おきに授乳しているから、搾乳する時間も取れなかった。
このままでは、「買ったわりにあまり使わなかった育児グッズ」のランキング1位になるな、と思っていたところだった。

それが、こんな時期になって役に立つなんて。
搾乳機がなかったら、張りの解消はもっと大変だっただろう。

おかげで、今もまだ白斑はあるし痛みはあるけれど、張りや硬さがなくなって改善してきている。

にしても、乳腺炎になるのは、母乳がザクザク出る人だけだと侮っていた。

いや、逆だ。

知らず知らずのうちに、自分が思っている以上に母乳が出るようになっていたのだ。
いつもそうだけれど、私は自分の身体のことを知らなさすぎる。

生後6か月になったら離乳食が始まる。
一般的にはそのタイミングで乳腺炎になる人が多いらしい。
何事もタカをくくらずに、気を付けなければ。

祝!!ザ・カセットテープ・ミュージック受賞!!

相変わらずの猛暑のため、サトイモと二人で家に引きこもっている。
友達が遊びに来てくれたり、給湯器が壊れて業者を呼んだり、毎日何かあるから退屈な日々ではないけれど、多くの時間は何事もなく過ぎていく。
何事もないからこそ、サトイモの笑い声のバリエーションが増えたなぁとか、泣き声のボリュームが大きくなったなぁとか、指でものをつまむのが上手くなったなぁ、などと小さな変化に気づける利点もある。

けれど、娯楽といったらもっぱらテレビだ。
昭和生まれなので、ネットよりは断然テレビを見てしまう。
ハードディスクは常にフル稼働。
録画しても録画してもどんどん消費する。

とうとう、これまで全然興味がなかった韓流ドラマを見始めた。
平日の昼間、毎日放送している韓流ドラマのなんと多いことか。
1話から始まるものがあれば手当たり次第に見ているけれど、どれも日本のドラマより面白い。
日中韓の中で俳優さんの顔だちの美しさは韓国が一番だし、今更だけど、中高年女性が韓流にはまる気持ちがよくわかる。
こうやってオバチャン化が加速度的に進んでいくんだなぁ。

3か月を実感したのは1クール

出産が3月末だったので、サトイモが満何か月になるのかの期間を数えやすい。
特に3か月ごとの単位はわかりやすく、4、5、6月で3か月。
企業でいうと第一四半期、テレビでいうと1クール。

だから、サトイモが満3か月になったのを一番実感したのは、4月に始まったアニメが終了したときだった。
特に、『銀河英雄伝説 Die Neue These』が終わったときには、「そうか、もう3カ月が過ぎたのか…」としみじみした。

gineiden-anime.com

出産後入院していたとき、朝も夜も関係なく3時間ごとに授乳していた。
最初のうちサトイモは新生児治療室に入っていたので、3時間おきにそこまで行かないといけなかった。
新生児治療室から自分の病室に戻り、お腹が空いたのでおやつをもぐもぐしながらテレビをつけた。

すると偶然にも、『銀河英雄伝説 Die Neue These』のオープニングが流れた。
第2話がちょうど始まったところだった。
しかも第2話は一番好きなエピソードである「アスターテ会戦」!

新しいクールが始まる前にはどんなアニメを放送するかチェックをしていたけれど、3月末はそれどころではなく、銀英伝の新しいアニメが始まることすら知らなかった。

夜中に起きててよかった!

うれしかったなぁ。
入院中のやることといったら、授乳と食事と睡眠くらいのものだったので、そこで見た銀英伝は心の栄養になった。

その『銀河英雄伝説 Die Neue These』が中途半端なところで終了してしまってすごく残念だったけれど、今クールでは『深夜!天才バカボン』を楽しみに見ているし、8月からは『進撃の巨人』も始まった。

『深夜!天才バカボン』が終わったら、サトイモは生後6か月になるってことだ。

期間の長さ、曜日の感覚、日々のサイクルなど、テレビ番組がカレンダー代わりになっている。
そうでもなかったら、毎日家に閉じこもってるので日付や曜日の感覚が狂ってしまう。


世紀の大発見!『ザ・カセットテープ・ミュージック』

もう一つ、夜中に偶然テレビをつけて発見した番組がある。

『ザ・カセットテープ・ミュージック』だ。

www.twellv.co.jp


BS12なんていう、まっとうな社会人だと存在すら知らないような局の、しかも深夜にやっている番組だ。
出演者はマキタスポーツと、音楽評論家スージー鈴木、それと主に元アイドリング!!!の女の子が不定期で出ている。
これが抜群に面白くて、今、アニメよりも韓流ドラマよりも、私が一番楽しみにしているのがこの番組だったりする。

毎回、テーマ別に80年代の邦楽を取り上げて、その良さについて二人があれこれと評論したり思い出語りをする。
マキタスポーツのおしゃべりが上手なのは芸人さんだから当たり前なんだけど、スージー鈴木という人がそこはかとない可笑しみがあって、飾らないおしゃべりにはまってしまう。
評論の内容も、「日本三大ブルース・スプリングスティーン佐野元春尾崎豊浜田省吾)」とか、「ミファミレドはエモい」とか、「キャロルの評価が永ちゃんに偏りすぎていませんか」とか、「なるほど!」かつ「そんなことが!」という驚きに満ちている。

同世代で音楽好きな友人に、
「コード進行やメロディの分析もしていて面白い番組なんだよ」
と、この番組を紹介したら、
「『関ジャム』みたいなのかな? 『関ジャム』は楽しみに見てるのよ~」
と言われてしまった。

www.tv-asahi.co.jp


なるほど『関ジャム』でも音楽分析をやっている。
でも、『関ジャム』が陽の当たる表玄関、『ザ・カセットテープ・ミュージック』は地下室の倉庫の隅っこというほど差がある。
メジャーvsアンダーグラウンド
圧倒的に地下倉庫のほうを好む超マニアックな自分の性を思い知った。

マキタスポーツは冒頭に、
「深夜のおじさんの解放区、『ザ・カセットテープ・ミュージック』の時間がやってまいりました」
といいつつ、
「奥さん!」
と呼びかけてくる。
こんな番組を楽しみに見てる“奥さん”は私くらいなもんだろう。
てことは、これは私に呼びかけてるんだな~、と勝手に思っていた。

ところが昨日の放送で、『ザ・カセットテープ・ミュージック』が第8回衛星放送協会オリジナル番組アワードバラエティ番組部門最優秀賞を受賞したと発表されていた。
この番組がめちゃくちゃ面白いと思っていたのは私だけじゃなかったんだぁ。こりゃ失礼しましたww

ところで先週から、『dele/ディーリー』というドラマも見ている。

dele.life

国を問わず外国のドラマなら少々変なところがあっても「外国だしな」と許せるんだけれど、日本のドラマはちょっとでも不自然だと気になって冷めてしまいがち。
『dele/ディーリー』はまだ2話目だけれど、菅田将暉山田孝之の演技に引き込まれて、今後もちょっと楽しみ。珍しく日本のドラマにはまりそう。
金曜日の深夜が充実してしまった。

4か月で頭が四角くなった。

土曜日で、サトイモは満4か月になった。

最近では、喃語でよくおしゃべりをする。
素晴らしくネイティブな発音で、Hello、All right、Help、Apeと言っている。
チンパンジーやオランウータンが大好きな私の息子だけあって、「エイプ、エイプ!」とよくしゃべる。 
初めてしゃべった言葉は類人猿。

それから、手で物がつかめるようになった。
布団替わりのタオルだとか、枕元に置いているガーゼのハンカチとかを引っ張りまわす。
ときどきタオルを頭にかぶって、前が見えなくなって泣いている。
泣いて知らせてくれるならいいけれど、変なものをかぶって窒息しやしないか要注意だ。

体重も6キロになった。
低出生体重児であんなに小さかったのに、標準的な月齢体重に追いついた。

そして何より、変わってしまったのは、、、頭の形だ。


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あんなにキレイなまん丸だった頭の形が、平行四辺形になってしまった。

「おい、頭の形がいがんどうぞ!」
抱っこする度に夫が言う。

生まれたときから左ばかり向いていた。
胎児のときから向き癖というのがあるらしくて、その後もずっとそれが治らない。
知らず知らずのうちに、左の側頭部がペッシャンコになってしまった。
それでいて頭が後ろに長くて、このままじゃピッコロ大魔王か、プリンプリン物語のルチ将軍だ。(それでIQが高いならいいけど。)

絶壁になるのは、よく寝る、手のかからない子に多いのだそうだ。
寝っぱなしにさせず、抱っこしたり向きを変えたりしていたらこうはならなかった。
私が「ほったらかし」ていた代償である。

そのうえ、最近は激しく泣くときに頭でブリッジをするようになった。
以前は「ら~~、れ~~」と小さい声で震えて泣いていたのが、今では「ぎゃぁあああ」と叫び、脚をばたつかせ、背中をのけぞらせて暴れる。
最終形は頭でブリッジ。
ブリッジするときの頭の向きも左向きに歪んでいて、レスラーもビックリな体勢である。
これでどうしてまだ首がすわらないのか不思議でしょうがない。

髪の毛は生えてくるどころか、部分的に禿げる一方だ。
襟足とか下のほうばかり長くなって、まるでノックさん。
寝ハゲ」という言葉があるのも初めて知った。

「こんなに寝てばかりで床ずれせぇへんのかなぁ」
なんて夫が言っていたけど、そういえば寝たきり老人には床ずれができても「寝ハゲ」ができたという話は聞かない。
そもそも老人はハゲていてわからないということもあるのかもしれない。
ちなみにうちの母は変わらずにボーボーだけれど。
(ちなみに赤ん坊に床ずれができないのは、身体に脂肪がたっぷりついているからだろう。床ずれできやすいのは痩せた老人だものね。)


赤ちゃん用枕は効果あり?

絶壁をなんとかするために、赤ちゃん用枕を買った。
生後6か月までなら、まだ頭が軟らかいのでなんとかなるらしい。

geltron.jp

 
届いたものを見てみると(上記製品)、単なるU字形の枕で、
「こんなんで効果あるんかなぁ?」
と半信半疑だった。

実際寝かせてみると、U字の凹みに頭がフィットして、正しく上を向く。
首をくにゃくにゃ動かすけれど、以前みたいに気がついたらいつも左、ということがない。
頭の形が丸くなるには時間がかかるだろうけど、向き癖が矯正できるだけでも効果はあるみたい。

激しく泣いて暴れるときはどうかというと、そこまで枕の威力は及ばず。
枕ごと移動していたり、U字も超えてブリッジしたり。
そもそも放置してたのが悪いんだから、泣いたら早めに抱っこしなきゃダメってことですな。

顔や体の造形は生まれ持ったものでどうしようもないけれど、頭の形は親の責任のような気がして、四角い頭のサトイモに申し訳ない。

理屈の通用しない奴が勝つ

先輩ママから「お古」としてもらったものの中に、『赤ちゃんにもママにも優しい安眠ガイド』という本がある。 

赤ちゃんにもママにも優しい安眠ガイド

赤ちゃんにもママにも優しい安眠ガイド

 

 
もらったときは「ふぅん」という程度だったけれど、いざ赤ん坊の世話に携わってみると、「赤ん坊にいかに眠ってもらうか」「自分がどれだけ眠れるか」が子育ての一大事だということが身に染みてわかり、こういう育児書の存在はとても頼もしかった。

一番助かったのは、「寝言泣き」の存在を知ったこと。
サトイモもときどき寝ている最中に声を上げるけれど、すぐにまた寝てしまうことがある。
知らなかったら心配しただろうけど、本を読んでからは、
「ああ、これは寝言泣きなんだな~」
と安心して無視できるようになった。

本を読んでからは、できるだけ早寝早起きの生活のリズムを整えることを目指している。
これまでは、行き当たりばったり、泣いたら起きて眠たくなったら寝て、だったけれど、そろそろ日々の習慣づけが必要だ。
それで、本で紹介されているとおり、サトイモの消灯・就寝時間は午後7時と決めた。

夫からも、「ここにも寝かしつけのことが書かれてたよ」と下記のサイトが送られてきた。

 

ここに書かれていることも大筋においては『安眠ガイド』と同じ。
あとは、ちゃんと実践できるかどうかだ。


どちらが根負けするか

 

理屈はわかっても、やってみるとなかなか上手くいかない。
午後7時になってベッドに連れて行かれると察知したとたんに大泣きが始まる。
本には、寝かしつけ方法を変えると赤ちゃんの抵抗にあうと書かれていたので、それなりの覚悟をしていたものの、実際体験してみるとなかなかキツイ。

午後7時といえば、食事の用意をしていたり、準備が終わって食べようとしている時間帯。
そうでなくても、洗濯物の片づけもしたいし、お風呂の準備もしたい。
眠ってくれたらどんなにか楽なんだけれど。

『安眠ガイド』には、 

長時間泣いた結果、前の習慣に戻ったことを、赤ちゃんがどう思うかというと、「ぼくの希望をママにわかってもらうには、一生懸命泣き続けないといけないんだ」と学んでしまうわけです。

と書かれていたので、強硬な姿勢で、
「どんなに泣いても抱き上げないよ!」
と決め、ベッドに置いたままで手を握ったり胸をトントンしたりしてなだめる。
本を読んだり、歌を歌ったり、抱き上げる以外のいろんなことを試した。
日によって、有効なときがあったりなかったり。

先日は一番大きな抵抗にあって、2時間以上泣き続けた。
そうこうしているうちに授乳時間になった。
こうなると、抱っこしてほしくて泣いているのか、お腹が空いて泣いているのかわからない。
「もうおっぱいの時間だから抱っこしてあげるね…」
と、言い訳がましく抱き上げると、持ち上げた瞬間泣き止んで、電池が止まったように眠ってしまった。

やられた!

サトイモのほうがウワテだった。

毎日その闘いは続いている。

でも、ちょっと考え直そうと思っているのは、「黄昏泣き」の可能性もあるからだ。
夕方になると意味もなく泣き出す「黄昏泣き」はこの時期特有のものらしい。

いずれにしても、理屈もへったくれもない赤ん坊が勝つ。
「ただ泣く」。
その行為は有無を言わさない。
赤ん坊、最強。

 

政治家と赤ん坊は似ている

 

理屈もへったくれもないで連想したのだけれど、最近テレビを見ていて気になったのが、トンチンカンな問答に対して「国会答弁か!」と言うツッコミを2度ほど耳にした。
言い得て妙なツッコミだったけど、それがお笑いに昇華しているということは、
「国会答弁=ちぐはぐでトンチンカン」
ということが一般に定着しているということだろう。

腹が立つからあんまり見ないようにしているくらい、政治のニュースはひどいものばっかりだ。
この国会でも、参議院定数6増なんていう、「なんで?!」ということがまかり通る。
森友加計問題にしても、うやむやにするばかり。

なぜそうなのか、どうしてそうなったのか、全く理解できない。
理屈や理論が通じない。
赤ん坊と同じ。
問答無用でぐいぐいとねじ伏せてくる。
まともに相手できやしない。

野党が内閣不信任案を出したのにも、「そりゃそうしたくもなるわなぁ」と思っていたら、Twitterで友達が内閣不信任案の演説の書き起こしをファボっていた。(それが下記。)

 


2時間半以上もある演説だから、とても全部読むつもりじゃなかったけど、読み始めてみると納得したり勉強になることばかりで、
「政治家にも理路整然とした人がいるんだな(笑)」
と感心してしまった。
えだのんって、コアラに似たオジサンだというだけじゃなかった!

何より納得したのは、「金持ちほど金を使わない」からトリクルダウンが起きずに格差が広がるばかりだという話と、保育士と介護職員の賃金の底上げが景気対策になる、という話だった。(どうしてそうなるのかは、私ではうまく説明できないので演説内容を読んでください。)

介護や子育てをしていると、介護や保育が行政の支援や法律に直結しているのを肌で感じる。
このままいけばうちのサトイモ保育所に入れない。待機児童まっしぐらだ。
若いころは、政治が自分たちの生活につながっているなんて、想像すらできなかったのに。
自分がやってるからわかるけれど、このまま介護や保育の問題をほったらかしていたら、この国は本当にとんでもないことになる気がする。

2時間以上の演説なので、全部読むのにはずいぶん時間がかかった。
読み終わってから、
「あ、これ演説なんだから、動画で見れたら家事しながら聞けたのに!」
と気が付いた。
それで動画を検索したら、ネットに出ている動画は揚げ足とりで枝野氏をこき下ろすものばかりで胸が悪くなってしまった。
演説の長さをバカにしている人たちは、ちゃんと内容を理解したうえで、それでもあえてやっているんだろうか? それとも、盲目的に「自民党支持だから野党が嫌い」というだけでやっているのかしら。

最近ネット上で「肉屋を支持する豚」という言葉を知った。
なんてうまい表現なんだろう、と感心したので調べてみると、この言葉はずいぶん前からあって、自民党支持のオタクを指す言葉らしかった。
オタクに限定するにはもったいない表現だと思う。

アメリカのニュースを見ていると、トランプ支持者の中に「累進課税制度に反対する低所得者」とか「オバマケアに反対する医療保険未加入者」とかがいて、なんておバカさんなんだろうとビックリする。
彼らはまさに「肉屋を支持する豚」そのものだ。

よその国のことだととってもわかりやすい。
でも、残念ながら自分の国のことだとなかなか気づかないものだ。
こんなこと書いていたら、私もネトウヨ豚さんたちに攻撃されるかなぁ?

ベビーカーで歩けばワインがもらえる

毎日家に閉じこもっている。
日々を有効に過ごすためにサトイモを連れていろんなところにお出かけをしよう、と思っていたけれど、こんな殺人的な暑さでは、ベビーカーの中でサトイモが煮っ転がしになってまう。

仕方なく毎日家にいるけれど、不思議と暇を感じることはない。

あっという間に時間が過ぎて、一日はすぐ終わる。
ついだらだら過ごしてしまって、「ああ、今日は一日何をしていたんだろう?」と呆然とするばかりだ。

しかし、やることと言ったら、録画しているテレビ番組を見るかネットを見るかという程度。
買い物に行けないものだから、特にネットショッピングばかり使ってしまう。

やがてお出かけする日に備えて、こんなものを買った。

抱っこ紐やベビーカーに取り付けて、UVをカットし、体感温度を下げるケープ。

 
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そういえば、街でこういうのをかぶって抱っこしている親子をよく見かける。
こういう機能があったのかぁ、と納得。
新米ママはこういう便利グッズを知らないので、ちょっとずつ学んでいくしかない。

あと、まだ届いていないけど、こんなのも。

 

 

 


これら便利グッズを使って、ちょっとでも快適にお出かけできたらいいんだけど、まだ使ってないから感想は後日。

言わずもがなだけれど、ネットショッピングはエアコンの効いた涼しい部屋の中から注文できるから本当に便利だ。
反面、それを暑い中届けてくれる宅配便の配達員さんには頭が下がる。
届いた段ボール箱が雨に濡れたように水滴が落ちていた。
こんなに晴れているのに何だろう?と思ったけど、たぶん配達員さんの汗だ。
そりゃ、汗が滝のように流れて当然だわ。

ネットで注文したものがどんどん届いていたとき、また配達員がチャイムを鳴らした。
予定していたものは全部届いていたので、一体何が届いたんだろう?と不思議に思いながら受け取った。
送り主を見ると、メガネ屋さんである。
メガネ屋さんが、一体何を!?!?


鴨居玲ゆかりのお店

そのメガネ屋さんは大学堂といって、三宮センター街にある老舗である。
3年ほど前、そこでメガネを作った。
そこは洋画家、鴨居玲ゆかりのお店で、鴨居玲の絵が飾ってあるのはもちろん、鴨居玲のメガネケースなどオリジナルグッズも作っている。



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何年か前に美術館で鴨居玲の絵を見て以来、私は彼の絵に魅了されてしまった。
暗くて孤独で冷え冷えとした作風なんだけれど、洗練されていてクールでカッコいいのだ。
鴨居玲自身とってもダンディなイケメンだったらしくて、その人柄が忍ばれる。
もし生前に会っていたら、メロメロになっていたかもしれない。

その鴨居玲のオリジナルグッズがほしくて大学堂でメガネを作ることにしたのはいいが、ここはなかなかの高級店だった。
しがない会社員には、ちょっとした贅沢品。

その前に作ったメガネは、眼鏡市場で買ったバットマンモデルのもので、当時オーケンが掛けていたのと同じものだ。(『中2病の神ドロシー』のPVで掛けてるメガネがそれ。)
それでさえ2万いくらして「高いなぁ」と思った私が、大学堂でその4倍のメガネの値段を見たときには目の前がクラクラした。

ただ、お値段だけのことはあった。

バットマンモデルのメガネはちっとも私に似合っていなかった。

オーケンとおそろ」というだけの理由で買ったせいで、似合うかどうかは二の次だったのだ。
大学堂のは、ちゃんと似合うものを厳選し、重さも軽いものを選んでもらった。

サイズも合っているから、一日掛けていても疲れない。

購入時、私が鴨居玲が好きだというと、これまでにお店が作った鴨居玲のポストカード一式をプレゼントしてくれた。
それ以降、毎年グリーティングカードが届くのだけれど、それも全部鴨居玲の絵で、大学堂のポストカードを集めれば鴨居玲画集ができるのではないかというくらいだ。

贅沢なお買い物だったけれど、価値ある散財だったなぁ、と満足していた。


ベビーカー出動の第1回目で

そのメガネが大活躍したのは、産前産後だった。
それまで、会社に行くときはずっとコンタクトをしていたので、メガネは家にいるときしか使わなかった。
けれど、産前休暇に入ってほとんど家にいるようになると、一日中メガネで過ごすようになった。
出産して入院中も退院後も、3時間ごとの授乳で寝たり起きたりの不規則な生活なので、コンタクトなんて使っていられない。
ウトウトして、メガネをかけたまま眠ってしまったことも何度もあった。

あんまりメガネを酷使し、雑に扱っていたので、メガネがだんだんずれてくるようになった。
特に、授乳で赤ん坊の顔を見るのにうつむくと、たいていメガネが下にずり落ちる。
その度にメガネをクイッと上げる。
でも、赤ん坊を抱いていて両手がふさがっていると、そのクイッができなかったりもする。
メガネがずれているとすごく気持ちが悪い。
大村崑とか三木のり平とか、よくメガネがずれたままで平気だったもんだ。(古い例えしか浮かばない!ていうか、最近の人はメガネがずれてたら耐えられないんだと思う。)

1か月健診が終わって自由にお出かけができるようになったら、一番にメガネを直してもらおう、と決めていた。
一応、ベビーカーがOKかどうか事前に電話で確認をしてから、生後2か月のサトイモを連れて大学堂に行った。

メガネのツル部分の調整だけだろうと思っていたら、鼻当て部分をそっくり新しいものに交換してくれた。
恐る恐る、「お値段は…」と尋ねると、サービスだという。
「エエッ!?よろしいのですかぁ!?!?」
根っからのケチンボさんな私は、それだけで有頂天になってしまった。


そして届いた贈り物

その大学堂から宅配便で届いた箱。

開けてみると、中には社長自ら書かれた暑中見舞いのメッセージカードとともに、オリジナルのワインが入っていた。
ワインはもちろん鴨居玲ラベルである。

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なんと、出産祝いだという。
2か月の赤ん坊を連れて来店したというのを知って、贈ってくれたのだ。

嬉しい驚き!!

素敵すぎる!!

犬も歩けば棒に当たる、ベビーカーで外出すればワインがもらえる!!

…早く外出できるように、気温が下がってくれないかなぁ。