3歩前のことを忘れる女のサブカルと介護の記録

神戸に住む40代波野なみ松の、育児と趣味と要介護両親の対応に追われる日々の記録。

親の葬式には着物を着るのが常識らしい。

母が肺炎になったとき、これは覚悟をしないといけないなと思った。
実際は抗生剤が効いて肺炎は治ったのだけれど、
「そろそろ準備を始めなさいよ」
と母がサインを出しているような気がした。

そこで一番気がかりなのは喪服である。


あんたの喪服は用意している、と母は言った

 

母は着物が好きだった。
とはいっても、自分で着付けもできなくて、着物を着ているところなんていとこの結婚式くらいしか見たことがない。
そのくせ、15年くらい前、着物を買うのが母のブームだった。
親戚に京都の丹後ちりめんの業者がいて、その知り合いの呉服屋さんがしょっちゅう家に出入りしていた。

値段は知らないけれど、安い買い物じゃなかったはずだ。
「高いお金出して、着もしない着物なんて買ってどうすんの!?」
と私が非難すると、
「持っとうだけで嬉しいんや、ほっといてくれ」
と言うのが母の言い訳だった。

自分で必要なものを買ってしまうと、次は私の分まで買うようになった。
「あんたの訪問着買うといたったで」
「いらんわ! だいたい訪問着って何よ? どこへ訪問するんよ?」
「どこなと訪問するときに着たらええんや。結婚することになったら、お婿さんのご両親に挨拶するとき着たらええわ」
「だから結婚なんかせえへん言うてるやんか」
最後にはどうしてもその話になるので、うっとおしくてまともに語り合うこともなかった。

あるとき、
「あんたの喪服、ちゃんと用意しとうからな。お父さんのお葬式で着れるように」
と母が言い出した。
そのときは自分が病気になるなんてつゆとも知らないので、絶対に父が先に死んで自分が後だと思い込んでいた。
「これでお父さんがいつ死んでも大丈夫」
と言っていた。
人生はわからないものだ。

「お葬式って着物着なあかんのん? 洋服の喪服でええやんか~」
と言う私に、
「親の葬式に洋服なんか着る人がおりますか! きちんと着物着るのが常識です。恥ずかしいで!」
と母は諭した。
そんなものなのかなぁ、お母さんの常識は疑わしいからなぁ、と私は適当に受け流していた。
訪問着もそうだけれど、用意したという喪服を一度も見たことがないし、どこにしまっているかも聞いていない。

そして今。

いくら覚悟をしているとはいえ、もし母がいよいよとなったら平静としていられるかどうかわからない、と思う。
そんなハードな精神状態の中で、普段着慣れない着物を着るのはひどく負担が大きい。
もう洋服でええやん、勘弁して、こっちは悲しくてそれどころやないんや、と言いたいところだけれど、
「せっかくお母さんが用意した喪服を、お母さんの葬式に着ぃひんのか、あんたは!」
と母に怒られそうな気がして、何が何でも着ないといけないと思う。


喪服を探そう

 

喪服について、母方の親戚である大分の伯母に電話をかけて相談してみた。
大分の伯母は着付けの先生をしていたこともあって、冠婚葬祭があればいつも親戚みんなの着付けをしていた。
今は大分だけれど、もともと神戸に住んでいて、親戚の中で最も私のことを気にかけてくれる人だ。

伯母の話でも、親の葬式なら着物を着るのが当然で、お通夜には色無地を着るということだった。
たいていは娘の親が準備をして、実家に置いたままということも多いらしい。
嫁に行ったあとで実家の葬儀について迷惑をかけないようにということじゃないか、と伯母は言った。

「最近は、お通夜は洋服を着る人もいるらしいよ。でも、お葬式本番はやっぱり着物だわ。心配しなくても葬儀社に着付けの人がいるから大丈夫よ」

そうは言っても、親の葬式自体初めてなうえに、着物を着る段取りまでできるんだろうか。
着物を家に取りに帰って、葬儀場まで持ち込むような時間の余裕があるんだろうか。

「それに、着物の着付けには、長襦袢だとかだて締めだとか必要な道具が多いのも不安です。私、何が必要なのかもわからないんです。」
と私がこぼすと、
「あなたのお母さんのことだから、全部揃えて用意してくれてると思うけどねぇ」
と言いながら、後日、伯母は必要なもの一覧を紙に書いて、帯枕や襟芯や半襟などを送ってきてくれた。

ありがたいやら申し訳ないやら。

それより何より、まだ実家のどこに喪服があるのかすらわかっていないのに。
まずは喪服を探すところから始めないと。

昨日、例によって夫とサトイモとともに実家に帰った。
クローゼットの中を調べて、喪服の大捜索である。
久しぶりに開けたクローゼットを見ると、スーツケースのような着物バッグを発見。
小物類は葬式用のもの一式が入っていて、バッグと草履にいたるまですべて新品で揃えられていた。
伯母が言ったとおり、うちの母は抜かりなく準備していたのだ。

着物は購入時の箱に入ったまま積まれていた。
タンスの上に積んであるので、夫に手伝ってもらいながら中身を確認していった。
箱は何箱もあった。

ひとつひとつ夫に箱を下してもらい、ふたを開ける瞬間はわくわくした。美しい着物が新品のまま眠っている。
開けたついでも防虫剤を入れながら、もったいなくてため息が出た。

こんな素敵な着物や帯なのに、宝の持ち腐れもいいとこ…。

喪服は一番大きな箱の中に入っていた。
しかも、4着も入っている。
私の推測だけれど、私の分と母の分、それぞれ夏用と冬用なのではないかと思われる。
グレーの色無地も2着あった。

どれを着るのかまではわからないけれど、この中のどれかが当たりだろう。
今回はここまで。

あとは、伯母さんによれば襟をあらかじめ縫っておかないといけないらしい。
着物って面倒臭い。

ブログを書く暇がない。

全然時間がない。
ブログを書く時間がない。
なんでこんなに時間がないんだろう?と自問自答してみると、理由が二つ思い浮かんだ。


離乳食は時間がかかる

 

ひとつは、離乳食。
一回作れば残りは小分けして冷凍して利用しているし、困ったときはフリーズドライや粉末のベビーフードを利用しているので、さほど手間ではないはずなのだ。
つまり、離乳食の大変さは準備ではない。
そりゃあ、自分の胸と哺乳瓶一本で足りていたこれまでと違って、準備や後片付けにそれなりに時間を取られることは事実だ。

けれど、なにより時間がかかるのが、「食べてもらうこと」だ。

気に入らなければ大泣きしてスプーンを手で払いのける。
食べたと思えば口から吐き出す。
口の中に食べ物が入っている状態で指を咥える。
食べ物がついたベタベタの手で、そこらじゅうを触ろうとする。
汚れた手を拭いている間に、もう片方の手を口に突っ込む…。

なぜか知らないけど、うちのサトイモは顔を拭かれるのをやたらと嫌がる。
汚れたのが顔だけならよいけれど、口から流れ出た離乳食が首まで流れて、しわに入り込むとなかなか取れない。
プラスチックのスタイをしていても、首回りはどうしても汚れてしまう。
離乳食の定番、にんじんやほうれん草といった緑黄色野菜は、服につくとなかなか汚れが落ちない。
色のつく野菜ほど、嫌がって暴れるので服につくという皮肉。
汚れがシミになるので、手洗いの回数も格段に増えた。

ドロドロの形状のものを根気よく食べさせるのは、母の介護で経験済みだ。
目を離すと、入れたつもりのものが出てきてしまっているのも母と同じ。
けれど、老人は気にいらないからといって泣いて暴れたりしないし、食べてる最中に指を口に突っ込んだりもしないし、この点では介護のほうがましだった。

この面倒な離乳食タイムを、増やさないといけない時期に来ている。
離乳食を初めて1カ月くらい経ったら、1日1回から2回に増やしましょうというのが教科書の教えだ。

ますます時間がなくなる!

なんとかならないかなぁ、と思っていたところ、モグフィーという製品を見つけた。

kidsme.jp
シリコンサックに食べ物を入れて、赤ん坊に自分で噛み噛みしてもらうというものらしい。
日商品が届く。
うまくいけばいいなぁ…。


前進あるのみ

 

ベビーザらスだったかパンパースだったか、先月くらいに送られてきたメールマガジンの冒頭がこんな一文だった。
「とうとう赤ちゃんが動き出します!」

今、そのセンテンスをかみしめている。

サトイモが目覚ましく動き出した。
よく「日々成長」なんて比喩的に言うけれど、赤ん坊は本当に本当に、毎日発展している。
前の日までお尻を上げていただけだったのが、キックで前進するようになり、次の日には手を前に出して進むようになり、とうとう今日からズリバイが始まった。

ズリズリ、ズリズリ…。

夫にホームセンターで床に敷くプレイマットを買ってきてもらったけれど、動く範囲がどんどん広がるので3回買い足した。
どこへ動くかわからないので目が離せない。
あっという間に移動して、何でも口に入れようとしてしまう。

こうなると、私が自分の時間を持てるのはサトイモが寝ている間だけなのだけれど、以前に比べてお昼寝の時間が極端に減っている。
一日中寝ていた新生児の頃が懐かしい。
夜泣きもなく、夜中はちゃんと寝てくれるのが本当にありがたいことだけれど、夜は私も眠くなってしまって、一緒に寝てしまう。
今日は眠いから急ぎじゃないことは明日やろう…、そう思って日々がどんどん過ぎていく。

 

友有り、遠方より来たる。

 


そんな日々の中、金曜日に友達がわざわざうちまで遊びに来てくれた。
彼女は中学時代の親友で、私の中学生活は彼女がいてくれたから乗り切れたというくらい、大事な友達だった。

なのに、大人になるにつれてあまり連絡を取らなくなり、前回いつ会ったのかすら覚えていなかった。
今回が十数年ぶりくらいの再会だった。
それでも、会ってみるとそんなに久しぶりだという感覚が全くなく、もしかしたら昨日も会っていたんじゃないかというくらいにおしゃべりに花が咲いた。
話題が途切れることもなく、話が尽きなかった。

彼女は二人の子供の母親だ。
上の娘さんはもう高校生である。

娘さんが産まれたときのことはよく覚えている。
というのも、その前日に彼女と長電話をしていたためだ。
彼女は電話を切ったあと急に産気づいて、あっという間に赤ちゃんが誕生した。
電話ではなんともなかったのに、翌日、彼女から生まれたという知らせを聞いて、ものすごくびっくりしたのをよく覚えている。

その後、子育てに無知だった私は、「きっと育児は忙しいんだろうなぁ。邪魔をしたら悪いよなぁ」なんて考えていた。
そしてこの空白の十数年である。

今回彼女と会って、二人の子育てをしてきた苦労話を初めて聞いた。
どうしてこれまであまり話を聞かなかったんだろう、そしてその大変さをわかってあげられなかっただろう、と自分を恥じた。
私は子供を持つまで、本当に子育てについて無関心だった。
どれだけ無知で無理解だったことか。

サトイモが生まれてきてくれたことで、私はたくさんの得をした。
こうやって友達が来てくれる。
知ることもいっぱいだ。
いいことづくめなのだから、自分の時間が取れないくらいしょーがないか。

病院からの呼び出しで時が慌ただしく過ぎた週。

月曜日に母の病院から電話があり、主治医から病状説明がしたいと言う。

日曜日に高熱が出て、経管栄養も止めて点滴になっているというのだ。

これはある程度の覚悟を持って行かないといけないのかな、と気持ちに折り合いをつけ、火曜日に母の病院へ行った。

神戸から姫路まで、サトイモを連れて電車とバスを乗り継いでのプチ旅行となった。

サトイモにとって、初めての電車とバス。騒ぎもせず泣きもせず、好奇心に満ちた目でじっと車窓を眺めていた。

 

母の病状を簡単に言うと、誤嚥性肺炎にかかってしまったということだった。

治るかどうか、治るとしてもどれくらいかかるか、個人差が大きいので何とも言えないということだったが、 幸い抗生剤が効いたようで熱が下がっており、このままいけば重症にはならないかと思われる。

呼吸をするたびにガーガーと苦しそうな息をしていて、見ているほうも辛かった。

 

その日の夜は実家に泊まった。

産後初めてのお泊り。

畳の部屋にシングルの布団を敷き、サトイモと二人で寝た。

サトイモの寝相がすごくて、まだハイハイできないはずなのに、いつのまにか布団から飛び出して畳まで転がっていくので、ろくに眠れなかった。

 

そのあたりの状況をブログに書こうと思っていたのだけれど、なかなか時間が取れず、もう週をまたごうとしている。

母の状況も心配だし、万が一のことも考えないといけないし、父の生活状況も気になるし、サトイモは日に日に成長するし 、自分のマンションの浴室はリフォーム工事をするし、筋肉少女帯のニューアルバムのキャンペーンが始まっているしで、落ち着かないことばかり。

落ち着くことなんてないのかもしれないけど、また改めよう。

いろんな夫婦のかたち

夫が会社に出かけていくとき、サトイモを抱いて玄関でお見送りをする。
ある朝、
「じゃあ行ってくるわ」
と言う夫に、私は寝転がっているサトイモを抱き上げ、
「“パパいってらっしゃい”しようね」
という言葉を無意識に口に出した。

その瞬間、脳がフラッシュバックを起こし、自分が赤ちゃんだった頃の記憶がよみがえった。
抱っこされているのは幼い私。
「“パパいってらっしゃい”しようね」
と言うのは若い頃の母。
窓から見える、父が手を振ってから車に乗り込む風景。

「パパいってらっしゃい」に限らず、最近私がサトイモに対して話しかける言葉は、かつて母が私に対して言っていたことが多い。
無意識なのに、私は自分が母にしてもらったことをなぞっていることに気付く。
そしてようやく、自分が愛された娘だったことに胸を打たれた。

両親ともに、私を大事に育ててくれた。
なのに、若い頃の私は両親のことが大嫌いだった。
家を出たくてしかたなかった。

理由ははっきりしている。
夫婦ゲンカが多かったからだ。
母は絶えず愚痴や父の悪口を私に聞かせた。
父を擁護すると怒られるから、黙ってきいているしかなかった。
それが日常だったから、それが嫌だと思うことさえはばかられた。

自分が親になって、やっちゃいけないと思っているのは、子供の前で夫婦ゲンカをすることと夫の悪口を言うことである。
それだけは絶対に避けたい。


通い婚スタイル


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ジジジラフさん、おっと間違った、樹木希林さんが亡くなられて、内田裕也氏との別居婚についてテレビでしょっちゅう取り上げられていた。
けれども、よく聞くと最初の一年半は同居していたらしい。
一応、最初はトライしてみたんだな、と思う。

うちは、籍を入れてこのかた、まだ一緒に住んでいない。
住民票も別である。
夫は週の半分は実家に住んでいて、残り半分はうちに泊まる。

最初、夫から「住所を移すつもりはない」と言われたときは、正直面白くはなかった。
夫は再婚をしたことをごく最近まで周囲に知らせることをしなかった。
会社に対してもサトイモの扶養などの手続き以外は内緒にしているらしい。
理由を聞くと、「いい歳なのに恥ずかしい」と言う。

私は昔から「結婚はしたくない」と言っていた手前、
「だったらそれでいいけど、子供手当とかの役所の手続きが面倒になっても知らないよ」
としか、不満を表現するすべを持たなかった。

プロポーズもなし、指輪もなし、結婚式もなし、披露宴もなし、記念写真もなし。
ないないづくしなので、結婚したという実感もわいたことがない。
だから、他人様に話すときには、「結婚しました」ではなく「入籍しました」と報告するようにしていた。
お祝いをいただいたときには、なんだか申し訳ない気持ちになった。

しかし、やってみると、今の通い婚スタイルは非常に利便性がよい。
突き詰めて考えてみれば、別居婚を不満に思うのは世間体だけの問題だと気が付く。

別居だと、夫の荷物が最低限しかないので、部屋が広く使える。
食事は毎日用意しなくていいし、洗濯物も少なくて済む。
人が一人いるかいないかで、家事の量が違う。
今はお姑さんが半分やってくれているようなもので、赤ん坊の世話で手一杯な今、それは本当に助かる。

母の介護をしていたとき、私一人で母と父の二人を面倒みないといけなかったため、父の存在は大変うっとおしかった。
私と父の二人で母の面倒を見るのならいいけれど、そうはならないのである。
育メンが増えてきた昨今でさえ、ママが赤ちゃんとパパの両方の面倒をみている家庭は多い。だから女性の負担が大きいのだ。
2対1ならいいけれど、1対2になるのが日本の現状。

なら、1対1のほうがいい。


他人と暮らすということ

そんな通い婚ですら、半分でも一緒に暮らすと見えてくるものがある。
10年以上付き合ったのに、それでも知らなかったことがボロボロ出てくる。

一番最初はトイレットペーパーだった。
産後、出かけられない私に代わって、夫はいつも買い物に行ってくれた。
足りなくなって買ってきてくれたトイレットペーパーはシングルロール。
私はダブル派だったので、「自分で買いにいけるようになったらダブルに戻そう」と思っていたのに、残り半分もストックがある状態で夫はまたシングルのトイレットペーパーを買ってきた。
ホームセンターで安かったらしい。
「またシングル!!」
私はややショックを受け、とうとう口にした。
「今度買うときはダブルにしてもらえないかしら」
「なんで?俺シングルを勢いよく引っ張り出すんが好きなんやけど」
「ああそう…?じゃあええけど…」
生まれてこの方、ずっとダブルで暮らしてきた私にとっては、この世の中にシングルが好きな人がいることに驚いた。

その後も、様々なことで二人の生活の違いに気付く。
キッチンの流しの使い方、醤油とポン酢、塩コショー、味噌汁、窓やカーテンの開け方…。

ある晩ご飯のこと。
献立はブロックの豚肉を長時間煮込んだゆで豚に、万願寺とうがらしの炒め物、お味噌汁、お姑さんが持ってきてくれたお漬け物。
ゆで豚のつけダレに、先日買った市販の「油淋鶏のタレ」を使おうと思っていたところ、夫が帰ってきたので、
「つけダレは何がいいと思う? この『油淋鶏のタレ』をかけようと思うんだけど」
と尋ねると、
「豚やろ? 鶏違うやん。やったらポン酢とラー油やな」
と言う。
買ったばかりで『油淋鶏のタレ』のポテンシャルがわからない分、不本意ながら今回はあきらめることにした。

万願寺とうがらしを使ったのは、ししとうのように特別辛い「当たり」が存在しないだろうという意図があったのだけれど、食べてみると、10個にも満たない万願寺とうがらしの中に当たりが存在した。
「ひえ~、辛い!! 万願寺とうがらしの意味ないやん!」
と舌を出して辛がっている私に、
「俺は好きやな。むしろもっと辛いのがあってほしい!」
と夫は言う。

なんだかそれに私はカチンときて、
「さっきもそうやけど、10年以上も付き合ってきて、私がラー油使わへんの知っているよね? 辛いの苦手なんわかってるのに」
と夫につっかかった。
それからは不毛なやり取りが続き、最終的に夫が、
「そんなに辛いのが食べられへんのやったら、食わんでええやろ」
万願寺とうがらしをキッチンのゴミ箱に捨て、
「私が作ったおかずやのになんで捨てるんよ! まだごはん食べてるのに!」
と私が怒り、それから3日間、私たちは口をきかなかった。

トイレに入るたびに、
「どうしてほとんど家にいない夫のために、ほぼ24時間家にいる私がシングルのトイレットペーパーを使わないといけないのよ!?」
と腹が立って仕方なかった。

辛い万願寺とうがらしが増えると、夫はうれしいかもしれないけれど、私は不幸になるじゃないか。
自分が好きでも相手が嫌いなもの。
自分が幸せになればなるほど、相手が不幸になること。
それってすごく自分勝手なんじゃない??

そういえば、宇多田ヒカルの歌に「誰かの願いが叶うころ あの子が泣いているよ」というフレーズがあったっけ。
幸不幸はシーソーのようなものだ。
「みんなの願いは同時には叶わない」。

逆に。
好みが真逆なら、どちらかが不幸でもどちらかが幸福だということが成り立つんじゃないか、と思い始めた。
ひとつの家の中で、一人でも幸せな人がいればそれでOK。
万願寺とうがらしが辛くなければ私が幸せ、辛ければ夫が幸せ。
配偶者が幸せであればそれで幸せ。
どこまで行っても異なる二人なのだから、その違いをプラスに変えないとこの先長い人生、一緒に歩いていけない。

結局は私がLINEで謝った。雨降って地固まる。

まだ半分夫婦の私たちが本当に夫婦になるまでにはしばらくかかりそうだ。

赤ちゃんは宝物

月曜日の休日、定例の実家帰省をしてきた。

帰省時、毎回悩みの種になるのはお昼ごはんだ。
実家近くのお弁当屋さんやスーパーでお弁当を買って行く。
私は何だって食べるけれど、夫は口が肥えている分、出来合いのお弁当ではあまりいい顔をしない。
かといって、家でお弁当を手作りする時間も腕もないし、実家で食事を作る時間なんてさらにない。
足の悪い父と乳児がいるから外食は難しいし、田舎だからデリバリーもない。

スーパーでお弁当を買うのならと、今回、いつも父のお弁当を配達してくれているセブンイレブンで、Web予約限定のお弁当を注文しておいた。
あらかじめ決めておけば、「お昼どうする?何食べる?」とグズグズ悩まなくてすむ。

配達時に在宅していなかったらまずいので、届けてもらわずに店舗に取りに行った。
父も含めて3人分のお弁当である。
レジをしてもらっているときにカウンターを見ると、地元の和菓子が並んでいるのが目についた。
いちじく羊羹、あゆ最中、醤油饅頭…。

久しぶりに醤油饅頭が食べたくなって、つい追加で買ってしまった。
播州をさらに西に行けば赤穂の有名菓子に塩味(しおみ)饅頭がある。塩味饅頭はご当地土産としてメジャーなので姫路駅の売店などでも買えるけれど、醤油饅頭は地元でしか知られていない和菓子。
夫に、
「知ってる?」
と尋ねると、当然、
「聞いたことない」
と言う。



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「あとで食べよう」
「美味しいの?」
「ふつうかなぁ。でも、醤油味のお饅頭なんて食べたことないでしょう?」
「ないけど、別にええわ。だいたい想像つくし」

何でも食べたがりの私と違って、食に対するチャレンジ精神があまりない夫はあまり興味を示してくれなかった。
つまらんなぁ。


父の様子

 

実家に帰ると、今回は父がちゃんと起きていてすぐに出てきてくれた。
歩き方は先月よりマシになっているように見える。
脚が悪いという自覚が出てきたのか、ちゃんと杖もついていた。

部屋もまあまあ片付いている。
すべて週5日来てくれるヘルパーさんのおかげだ。

和室の机にお弁当を並べ、父には折り畳みのイスとサブテーブルを出した。
イスもサブテーブルも、かつて母の介助のために買ったものだ。

「お父さんはここ座ってね」
「いや、お父さんはいらんわ。さっき朝ごはんのパンを食べたばっかりや」
「えーッ。でも、お味噌汁はお湯入れてしまったし、それくらい飲めるやろ?」
「ほんならそれだけ飲むわ」

それなのに、父は私が出してきたイスに座ろうとしない。
「なんで座らへんのよ?」
「いや…」
「何したいの?どこに行きたいの?」
「いや…」

昔からそうだけれど、父は自分がどうしたいのか口で言わない。
どうしたいか言ってくれれば、こちらは介助するのに。
何も言わずに、何かしようとしている様子を見ているとイライラする。

どうやら、畳に座ろうと頑張っているのだとわかった。
父の足では畳に座るなんて到底無理だ。
無理なことをしようとして、体勢を崩した。

私が手をつかもうとする間もなく、父は後ろ向きに転倒してしまった。
ゆっくり倒れたので勢いが弱かったからよかったけれど、運が悪かったら後頭部打撲で救急車だ。

慌てた私たちに対し、
「こけたん、久しぶりや」
と本人はけろりとしている。
「もう、気ぃつけてよ! せっかくイス出したんやから、文句言わんとイスに座って!」
転倒した反省からか、今度は素直にイスに座ってくれた。

お弁当は私と夫で分けて食べた。
あとで夫に聞くと、
「予約限定とか言うても、コンビニ弁当はコンビニ弁当やな。おかずが違っても全部同じ味付け」
と言われた。
見た目は野菜も多く品数もあってヘルシーそうに見えるけれど、確かにどれも同じような味付けで、どれも塩分が濃かった。

これまで父のお弁当をずっとセブンイレブンでWeb注文してきたけれど、そういえば一度も味見をしたことがなかった。
私の出産前、父が飽きたと言い出して注文を止めていた時期がある。
そのせいで父が栄養不良で脚が悪化したりしたんだけど、実際食べてみると「飽きた」という父の気持ちも理解できた。
父は濃い味が好きなので味付けについては文句を言わずに食べているけれど、決して良いことではない。

食事が終わって父が席を立つと、畳に鰹節がパラパラと落ちていた。
お弁当のが風で飛んで落ちたのかな?と思って手で触ろうとした瞬間、思いとどまった。

鰹節じゃないっ!

父の足から剥がれた皮膚だった。

数年前から父の足のくるぶしあたりがカサカサに荒れていた。
一度、皮膚科にかかって塗り薬ももらっていたのだけれど、ものぐさな父は気が向いたときしか塗らない。
見た目が悪いだけで、痛くもかゆくもないようだからなおさらだ。

掃除機をかけたあと、父には毎日薬を塗るようにきつく注意した。
座っただけでこんなふうにポロポロ皮膚が剥がれ落ちるなんて、汚いったらありゃしない。
今はまだいいけれど、サトイモが這うようになったら大変だ。

実家では、サトイモを和室のベッドの上に寝かせている。
かつて母が寝ていた場所だ。

連れて来られてしばらくはおとなしくしていたものの、慣れてきたらお得意の寝返りでゴロゴロ転がって、足をバタバタして暴れまくっていた。
「おお、元気や、元気やなぁ」
その様子を父が嬉しそうにみていた。

食事が終わってからは、サトイモの近くにイスを移動して父に座ってもらった。
すると、
「ちょっと」
と父が言う。
「何?」
「ちょっとちょっと」
と父が手を出す。
「だから何よ?」
「ほれ、ちょっと」
「どうしたいのよ?」
「ちょっと、サトイモくん抱かせて」

これまで、「小さいから怖い」と言ってサトイモを抱きたがらなかったのに、ようやくだ。

「重いから気をつけてよ。7キロもあるんやから」
とそっと私から父に手渡す。
「おおそうか」
「絶対落とさんとってよ!」

サトイモは人見知りもせず、おじいさんのシャツに小さなお手てを伸ばす。
私はさっき父がタバコを吸っていたのが気になって、
「ニコチンが移る~」
と渋い顔をした。


母の病院にて

病室に入ると母は目を開けていた。
開けてはいたが、目の焦点が合ってないというか、まるで何も見えていないようだった。
しかし、顔をのぞきこんで、
「お母さん、なみ松が来たよ!」
と声をかけると、一瞬で目に精気が戻った。

今回はベビーカーでサトイモを連れてきたので、ゆっくり姿を見せることができた。
いつものように、爪を切ったり手足にクリームを塗ったりしていると、
「オムツ交換の時間です~」
と看護師が入ってきた。
「わぁ~、かわいい! 何か月ですかぁ?」
「5カ月です」
「わぁ~、すべすべや!」
ベビーカーからはみ出ているサトイモの小さなあんよをひとしきり触ったあと、
「交換が終わるまで出ててね。談話室ででも待っててください」
と言われた。

「今日はお風呂でよう足を洗わなあかんな」
と夫と話しながら談話室に行くと、中央にある大きなテーブルにおばあさんが一人でポツンと座っていた。
何をするでもなくただボンヤリと座っている様子はちょっと普通ではなくて、認知症を患っているのかな、と推察された。
夫に言わせるとヨーダのような顔の、小さくてしわくちゃのおばあさんだった。

すると、さっきの看護師がやってきて、
「終わりましたよ」
と知らせてくれた。
それに加えて、彼女はおばあさんにも声をかけた。
「△△さん、ええもん見せてあげるわ」
「ええもんって何?」
「見たらわかるわ」

聞いている私も、一体何だろう、と思ったら、看護師はおばあさんの手をとってこちらに向かってきた。
ええもんってまさか。

サトイモのベビーカーの真ん前まで来て、おばあさんは、
「あっ!赤ちゃんや!」
と小さく叫んだ。そのとたん、虚ろだった目が輝いた。

「かわいらしいなぁ!」
「な、'“ええもん”やろ?」
と看護師は笑った。
これまた勝手に、二人でまたサトイモの足を触る。
すると、おばあさんは私に話しかけてきた。

「初めてのお子さんですか?」

あまりにしっかりした口調に戸惑いながら、そうです、と答えた。
「かけがえのない宝物やね。大事にしてあげてね」
「ありがとうございます」

最初に見たときはまるで自我を失っているような様子だったのに、おばあさんはしゃべり方も受け答えもしっかりしていた。

「病室戻ろうか」
「連れてって」
「そこやんか」
「どこやったかな?」
「右の3番目」

そうしておばあさんと看護師は私たちより先に出て行った。
あまり高齢者に接したことがない夫は衝撃を受けたらしく、
「あんなちゃんとしゃべれる人やと思わんかった」
と驚いていた。

産後、会社の先輩がうちに遊びに来てくれたとき、産後うつどころか前よりストレスがない、という私に、
「赤ちゃんの癒しのパワーってすごいのよ」
と言ってくれたのを思い出す。

サトイモを連れて歩いていると、本当にそれを実感する。
多くの人が笑顔になってくれる。

赤ちゃんは宝物、「ええもん」だ。

その宝物がこの世界に生まれて今日でちょうど6ヶ月。

ハーフバースデーおめでとう。そして、

生まれてくれて、ありがとう。

離乳食はじめました。

今週は区役所の「すくすく赤ちゃんセミナー」と「離乳食講座」に参加してきた。


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母乳がうまく飲めない、ミルクの量が増えない、とか言っているうちに、もう離乳食である。
早い、早い。

セミナーではほぼ同じ月齢の赤ちゃんたちが一堂に会するので、隣になった人などとちょっとした会話を交わすのだけれど、
「成長はうれしいけど、あっという間に半年も過ぎて、なんだかさみしい」
と言ったママがいて、本当にそうだなぁ、としみじみしてしまった。

離乳食は5~6カ月になったら始めましょう、と言われている。
私は離乳食講座を受けたら始めようと悠長にかまえていたけれど、ほかのママたちは5カ月に入ったら早々に始めているようだった。
もう歯が生えている子もいて、ビックリ。
私がのんびりしている分、サトイモの成長ものんびりになっているのかもしれない。


まずは道具から

敬老の日の月曜日、夫に郊外のアカチャンホンポに連れて行ってもらった。
初めてのアカチャンホンポ

これまでベビーザらスに行っていたけれど、トイザらスと合体している店なので、赤ん坊に特化した並びにはなっていない。
その点、アカチャンホンポはその名の通り赤ん坊に特化しているので、必要なものがわかりやすい。
子供ができた人たちがアカチャンホンポに行くのがよくわかった。

アカチャンホンポのネットサイトはよく見ていた。
ネットは目的のものがはっきりしている場合すぐに探せるけれど、欲しいものがぼんやりしているときには時間ばかり浪費する。
店に来てみると、「こんなのもあるのか」「こういうのも便利そうだな」と、実際の商品を目で見て検討できるので勝負が早い。

その昔(20年くらい前かなぁ)、Amazonができてみんながネット書店を利用するようになったとき、友達と、
「これから本屋さんがいらなくなる時代が来るね」
という話をしたことがある。そのとき、ある友達が、
「世の中がネット書店ばっかりになったら、リアルな本屋さんが逆に重宝がられるんじゃないかな。実際に手に取って中身が確認できるんだもの。その場で買って帰れるし、『すげー便利な場所がある!』って思うに違いないよ」
と言っていた。

もうそのときの「将来」が今来ている。
アカチャンホンポでの私の感動は、
「私がずっとネットで探してた赤ちゃん用品の、実物が見れる! 類似品をすぐ検討できる!」
という「リアル店舗ってすげー便利!」というものだった。

そして同時に、
「もっと早く来ておけばよかった。もっとちゃんと必需品の検討をしてあげればよかった…」
と思った。

これまで、あらゆることにおいて余裕がなかったから、何でもネットで探して慌てて購入してきた。
ネットは「点」である。
つながりがない。
けれど、こうやって店舗で見れば、段階に応じて何が必要なのかが線でわかる。

店内には赤ちゃんを心待ちにしているらしい妊婦さんとその夫らしきカップルが、新生児用品を検討していた。
「ふつうはああやって、ちゃんと準備するものだもんねぇ」
と私がこぼすと、
「そりゃあ、受け入れ態勢が違うもん」
と夫。
待ちに待った待望の赤ちゃん、という夫婦と、うちみたいに不測の事態だった場合と。

それを考えると、サトイモがかわいそうになってくる。
すべてが後手後手に回っている分、愛情だけは注いであげないとなぁ、と親として思う。


ついで買いのメリージム

目的だった、離乳食を作るための調理器セット(すり鉢とか裏ごし器がセットになったやつ)と炊飯器でお粥が炊ける小さいジャーをカゴに入れ、店内をうろうろしていたら、メリージムのコーナーが目についた。
前々からずっと、メリージムが欲しいと夫と話していたのだ。
どんなのがいいかなぁ、いいのがないなぁ、と言いながら、日々はあっという間に経ってしまった。
メリーなんてものは、本来なら、新生児のうちから頭の上をクルクル回っているものである。
「今さら、ってことない?」
と躊躇したものの、売り場の説明を見ると1歳まで遊べるとなっているので、
「あと半年使えるんだし」
と、夫が買ってくれることになった。

買ったのは、「全身で!すくすくあそびDX」。

anpanman.bandai.co.jp


決め手になったのは、バンダイ日立製作所と大学が共同で開発している知育玩具だということ。
それに、小さい子供に絶大な支持を受けるアンパンマンだもの、好きになるに違いない。

家に帰って、夫に組み立ててもらい、さっそくサトイモを中に寝かせてみた。
大喜び…、かと思いきや、アンパンマンを見て泣き出した。

ショックを受ける私たち。

しかも、寝返りせずにはいられないサトイモは、ゴロンゴロンと寝返りをうちまくって、ジムの足に何度も体当たり。
初日にしてジムを壊してしまった。(たぶんなんとか直せる、はず。)

1歳まで遊べるのは確かだろうけど、スタート時期が遅すぎた。
これまで、メリージムを買ってあげられず5カ月も過ごしてしまったのが残念すぎて、またまたサトイモが不憫な気持ちになった。


初めての離乳食

 

離乳食講座を受けた翌日、初めての離乳食にトライした。
最初は十倍粥。
アカチャンホンポで買った、炊飯器でお粥を炊くジャーを使う。



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炊きあがったお粥を、さらにすり鉢ですりつぶす。
つぶしてもつぶしても、なかなかドロドロにはならない。

講座では、
「裏ごしをするのは葉物野菜だけでけっこうです。ほかも裏ごしをすれば、なめらかで食べやすいかもしれませんが、そこから粒を大きくしていくのにハードルが高くなってしまいます」
と言われた。

きっとそのとおりなんだろうけれど、最初の最初だから、裏ごしをすることにした。

パクパク食べてくれそうな子ならいいけれど、うちのサトイモは食が細そうだから、なるべく食べやすくしておきたかった。

最初はスプーンで1くちか2くち。

スプーンをサトイモの口に運んでみた。

もぐもぐ。



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よだれと一緒にお粥がだらだら出てくる。
飲み込んだかどうかわからない。
舌はベロベロ動いているけれど、そのせいで全部出ているような気がする。

そういえば、母の食事介助をしていたときも、舌が動くせいで食べ物が全部押し出されてくるのを、何度も押し返して口の中に戻してたっけ、と思い出していた。
「はら、ゴックンして」
とひとくちずつ気長に付き合ったものだ。

母の場合は固形からドロドロへと移行したけれど、サトイモの場合は逆になる。
なんだか人生がUターンしたみたいだ。

これから一週間は毎日1回、お粥を食べさせる。
早くうまくゴックンして、早くパクパク食べるようになっておくれ。

初めてのおんぶと童謡名曲大全集

低月齢のうちは寝てばかりだったサトイモも、だんだん起きている時間が長くなった。
起きている時間の長さに比例して、起きていて何をするのか、手を余すようになってきた。

一人にしておくと、自分で寝返りをして腹ばいになり、手を口に突っ込んで、よだれを垂れ流しながらウニャウニャしゃべっている。
ウニャウニャ、フニャフニャ言っているうちはよいのだけれど、やがでそこに時折、

キャーーーーーーーッ!!!

という奇声が混じる。
泣き声というか叫び声というか、とにかく耳を覆いたくなるような、すさまじい高音の周波数だ。
かなりの音量なので、ご近所さんに迷惑になっていないか、気が気ではない。
冷房のために締め切っていた夏と違って、最近は窓を開けているだけに余計気にかかる。

これまでのように泣き声やぐずり声だったら、
「ちょっと待ってね」
と言いながらだましだまし待たせておくんだけれど、

キャーーーーーーーッ!!!

と叫ばれてしまうと、放っておくわけにはいかない。
慌てて飛んで行って、
「シーッ!叫ばないで!」
と口を覆いたくなる。

叫び声をやめてもらうためには、とにかく抱っこである。
いったん抱っこをしてしまうと、今度はおろせなくなる。
おろすそぶりをみせただけで叫び出すのだ。
腕は疲れてくるし、家事は停滞するし、スマホの操作も何もできないしで、ほとほと困り果てる。

そういうときのために、家の中だけで使うための簡易抱っこ紐を買った。
エルゴの大仰な抱っこ紐と違って、布がクロスになっているだけのものなので、簡単にささっと抱っこできる。

腕の疲れを軽減するにはそれで十分で、買ってしばらくは満足していた。
けれど、何もできないという点では、抱っこは抱っこ。
抱っこでも洗濯を干したり取り込んだりくらいはできるけれど、抱っこでキッチンには立てない。

おんぶができればなぁ…。
おんぶなら、たいていの家事ができるのに…。

おんぶができるようになるのは、首がすわってから。
だから首がすわるのを首を長くして待ち続けてきた。

そのくせ、やっと首がすわったというのに、なんとなく怖くておんぶができなかった。
抱っこと違って、おんぶは後ろが見えないから不安だったのだ。

今朝、叫び声を上げ続けるサトイモに、意を決してエルゴの抱っこ紐でおんぶをやってみることにした。
洗わないといけない食器もたまっているし、洗濯機の終了ブザーも鳴ったばかりだ。

おんぶにチャレンジするには今しかない!

説明書の手順を見ながら、まずは横に抱いて、くるりと背中に回す。
見えないから不安だけれど、何度も鏡で確認しながらやってみた。

初おんぶ成功。

やってみたら、なんてラクチンなんだろう!と目からウロコがボロボロ落ちた。
両手が完全に空くので洗濯物は普通に干せるし、ぐずり出したら適当にゆすれば泣かないし。
抱っこに比べて効率200パーセントアップ!(←実感比。)

そういえば、妊娠中に父親から、
「ほんで、ネンネコは買わんでええんか?」
と聞かれたことがあった。
「今どきネンネコなんて使わないよ~」
と私は一笑したのだけれど、先人の知恵をバカにするものじゃなかったな。
抱っこもおんぶも、今も昔も、母親がやっていることは同じなのだ。

おんぶなんて、みんな当たり前のようにやっている。
でも、初心者にはおんぶでさえ未経験。
子供を持たなかった頃には、「初めてのおんぶ」がエピソードになるなんて思いもしなかった。

こうやって、ちょっとずつ親の階段を上がるのだな。


どうやって遊んでいいかわからない

 

活動時間がだんだん長くなってきたサトイモ
かといって、おもちゃを与えても一人ではなかなか遊んでいてくれない。

今のところ、本を読んであげるか、童謡を歌ってあげるかくらいしか、過ごすバリエーションがない。
散歩に出かける、という手もあるけれど、ちゃんと計画を立てておかないと、出かける準備をしている間泣き通しになってしまう。

赤ちゃんと遊ぶには手遊び歌がいい、というのを見て、YouTubeでやっている『ぞうきんの歌』を覚えた。(下リンクの動画がそれ。)

www.youtube.com


最初はあまり反応がなかったけれど、最近では笑ってくれるようになった。
ほかにも手遊び歌はあるけれど、この『ぞうきんの歌』が一番喜んでくれる。

とは言っても、1曲1分程度で終了。
もっと一緒に遊べる方法はないか、と思い、一昨日「親子ヨガ教室」に参加してきた。

生後2か月から2歳のお誕生日までの赤ちゃんとその親が対象だったので、サトイモと同じくらいの赤ちゃんがたくさん来ていた。
ヨガといってもほとんどが軽いストレッチのようなもので、赤ん坊を抱いたままでもできたり、一緒に動いたりするものを紹介してくれた。
(軽いストレッチといっても、身体の硬い私にとっては、脚は開かないし腕は上がらないし、昨日から軽い筋肉痛。)

座って開脚した足の間に赤ん坊を置いて、赤ん坊の身体を左右に揺らしながら『どんぐりころころ』を歌ったり、赤ん坊の身体をなでながら『まつぼっくり』を歌ったりするのは、赤ん坊には遊びになり、親にはストレッチになって一石二鳥だった。
おかげで遊びのレパートリーが増えた。

そんなふうな、サトイモのご機嫌取りで毎日が終わる。


おもちゃのチャチャチャ

『ぞうきんの歌』に次ぐ、サトイモのヒット曲第2位は『おもちゃのチャチャチャ』だ。

抱っこしながら歌って踊るとすごく喜ぶ。

特に、「チャチャチャ」の部分でステップのように足踏みすると、ケタケタ笑ってくれる。

この曲、元祖プレイボーイ、野坂昭如の作詞。

当時「チャチャチャ」は音楽ジャンルとしてオシャレな大人のための最先端のダンスだったんじゃないか。

私は小学校の音楽会でこの曲をピアニカで演奏したけれど、「チャチャチャ」なんて音楽ジャンルがあるなんて知るよしもなかった。

おもちゃとチャチャチャのダジャレだったなんて。

大人になって発見することも多々ある。

 

私の童謡バイブル

私が童謡を歌うときに使っているのが、この歌集だ。


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いざ童謡を歌おうと思っても、歌詞がうろ覚えだったりする。

ネットで調べてもいいけれど、一曲ずつ歌詞検索をしないといけなくなるので、こういう歌詞本はとても便利だ。

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実はこれ、『たのしい童謡名曲大全集』という5枚組レコードについているブックレットで、レコードは私が子供のときに買ってもらったものだ。

私は父がこれを買ってきてくれたときのことをよく覚えている。
幼稚園の年長さんだったと思う。小学校に上がる手前だったかもしれない。

1枚目の1曲目が『ぞうさん』だった。

正直、幼稚園児の私は、
「エーッ! お父さんには悪いけど、私、こんな童謡を聞くほど小さい子じゃない!」
と思った。
思ったけれど、箱入りの立派なレコードが申し訳なくて、言えなかった。
子供ながらに、父が自分をいつまでも子供でいてほしいと思っている気がして、自分は童謡を喜ばないほど大きくなってしまったのがやるせなかった。

そんなことだから、このレコードはあんまり聴かなかった。
高そうなレコードセットなのにもったいないなぁ、という気持ちだけが残った。

妊娠していることがわかったとき、このレコードのことが真っ先に頭に浮かんだ。

今、こうやってこの歌集を使っている。

本自体は劣化しているけれど、内容は全く色褪せていない。
子供に聴かせたい童謡にはどんな曲があったかな、と思い出すにもすごく優秀なリストだ。(もくじ画像を最期に並べますので、ご参考に。)
神戸の家にはレコードプレーヤーがないので、スマホAmazon Musicで同じ曲を再生しながら歌っている。

レコードからスマホになっても、歌の良さは変わらない。


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