3歩前のことを忘れる女のサブカルと介護の記録

神戸に住む40代波野なみ松の、育児と趣味と要介護両親の対応に追われる日々の記録。

いろんな夫婦のかたち

夫が会社に出かけていくとき、サトイモを抱いて玄関でお見送りをする。
ある朝、
「じゃあ行ってくるわ」
と言う夫に、私は寝転がっているサトイモを抱き上げ、
「“パパいってらっしゃい”しようね」
という言葉を無意識に口に出した。

その瞬間、脳がフラッシュバックを起こし、自分が赤ちゃんだった頃の記憶がよみがえった。
抱っこされているのは幼い私。
「“パパいってらっしゃい”しようね」
と言うのは若い頃の母。
窓から見える、父が手を振ってから車に乗り込む風景。

「パパいってらっしゃい」に限らず、最近私がサトイモに対して話しかける言葉は、かつて母が私に対して言っていたことが多い。
無意識なのに、私は自分が母にしてもらったことをなぞっていることに気付く。
そしてようやく、自分が愛された娘だったことに胸を打たれた。

両親ともに、私を大事に育ててくれた。
なのに、若い頃の私は両親のことが大嫌いだった。
家を出たくてしかたなかった。

理由ははっきりしている。
夫婦ゲンカが多かったからだ。
母は絶えず愚痴や父の悪口を私に聞かせた。
父を擁護すると怒られるから、黙ってきいているしかなかった。
それが日常だったから、それが嫌だと思うことさえはばかられた。

自分が親になって、やっちゃいけないと思っているのは、子供の前で夫婦ゲンカをすることと夫の悪口を言うことである。
それだけは絶対に避けたい。


通い婚スタイル


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ジジジラフさん、おっと間違った、樹木希林さんが亡くなられて、内田裕也氏との別居婚についてテレビでしょっちゅう取り上げられていた。
けれども、よく聞くと最初の一年半は同居していたらしい。
一応、最初はトライしてみたんだな、と思う。

うちは、籍を入れてこのかた、まだ一緒に住んでいない。
住民票も別である。
夫は週の半分は実家に住んでいて、残り半分はうちに泊まる。

最初、夫から「住所を移すつもりはない」と言われたときは、正直面白くはなかった。
夫は再婚をしたことをごく最近まで周囲に知らせることをしなかった。
会社に対してもサトイモの扶養などの手続き以外は内緒にしているらしい。
理由を聞くと、「いい歳なのに恥ずかしい」と言う。

私は昔から「結婚はしたくない」と言っていた手前、
「だったらそれでいいけど、子供手当とかの役所の手続きが面倒になっても知らないよ」
としか、不満を表現するすべを持たなかった。

プロポーズもなし、指輪もなし、結婚式もなし、披露宴もなし、記念写真もなし。
ないないづくしなので、結婚したという実感もわいたことがない。
だから、他人様に話すときには、「結婚しました」ではなく「入籍しました」と報告するようにしていた。
お祝いをいただいたときには、なんだか申し訳ない気持ちになった。

しかし、やってみると、今の通い婚スタイルは非常に利便性がよい。
突き詰めて考えてみれば、別居婚を不満に思うのは世間体だけの問題だと気が付く。

別居だと、夫の荷物が最低限しかないので、部屋が広く使える。
食事は毎日用意しなくていいし、洗濯物も少なくて済む。
人が一人いるかいないかで、家事の量が違う。
今はお姑さんが半分やってくれているようなもので、赤ん坊の世話で手一杯な今、それは本当に助かる。

母の介護をしていたとき、私一人で母と父の二人を面倒みないといけなかったため、父の存在は大変うっとおしかった。
私と父の二人で母の面倒を見るのならいいけれど、そうはならないのである。
育メンが増えてきた昨今でさえ、ママが赤ちゃんとパパの両方の面倒をみている家庭は多い。だから女性の負担が大きいのだ。
2対1ならいいけれど、1対2になるのが日本の現状。

なら、1対1のほうがいい。


他人と暮らすということ

そんな通い婚ですら、半分でも一緒に暮らすと見えてくるものがある。
10年以上付き合ったのに、それでも知らなかったことがボロボロ出てくる。

一番最初はトイレットペーパーだった。
産後、出かけられない私に代わって、夫はいつも買い物に行ってくれた。
足りなくなって買ってきてくれたトイレットペーパーはシングルロール。
私はダブル派だったので、「自分で買いにいけるようになったらダブルに戻そう」と思っていたのに、残り半分もストックがある状態で夫はまたシングルのトイレットペーパーを買ってきた。
ホームセンターで安かったらしい。
「またシングル!!」
私はややショックを受け、とうとう口にした。
「今度買うときはダブルにしてもらえないかしら」
「なんで?俺シングルを勢いよく引っ張り出すんが好きなんやけど」
「ああそう…?じゃあええけど…」
生まれてこの方、ずっとダブルで暮らしてきた私にとっては、この世の中にシングルが好きな人がいることに驚いた。

その後も、様々なことで二人の生活の違いに気付く。
キッチンの流しの使い方、醤油とポン酢、塩コショー、味噌汁、窓やカーテンの開け方…。

ある晩ご飯のこと。
献立はブロックの豚肉を長時間煮込んだゆで豚に、万願寺とうがらしの炒め物、お味噌汁、お姑さんが持ってきてくれたお漬け物。
ゆで豚のつけダレに、先日買った市販の「油淋鶏のタレ」を使おうと思っていたところ、夫が帰ってきたので、
「つけダレは何がいいと思う? この『油淋鶏のタレ』をかけようと思うんだけど」
と尋ねると、
「豚やろ? 鶏違うやん。やったらポン酢とラー油やな」
と言う。
買ったばかりで『油淋鶏のタレ』のポテンシャルがわからない分、不本意ながら今回はあきらめることにした。

万願寺とうがらしを使ったのは、ししとうのように特別辛い「当たり」が存在しないだろうという意図があったのだけれど、食べてみると、10個にも満たない万願寺とうがらしの中に当たりが存在した。
「ひえ~、辛い!! 万願寺とうがらしの意味ないやん!」
と舌を出して辛がっている私に、
「俺は好きやな。むしろもっと辛いのがあってほしい!」
と夫は言う。

なんだかそれに私はカチンときて、
「さっきもそうやけど、10年以上も付き合ってきて、私がラー油使わへんの知っているよね? 辛いの苦手なんわかってるのに」
と夫につっかかった。
それからは不毛なやり取りが続き、最終的に夫が、
「そんなに辛いのが食べられへんのやったら、食わんでええやろ」
万願寺とうがらしをキッチンのゴミ箱に捨て、
「私が作ったおかずやのになんで捨てるんよ! まだごはん食べてるのに!」
と私が怒り、それから3日間、私たちは口をきかなかった。

トイレに入るたびに、
「どうしてほとんど家にいない夫のために、ほぼ24時間家にいる私がシングルのトイレットペーパーを使わないといけないのよ!?」
と腹が立って仕方なかった。

辛い万願寺とうがらしが増えると、夫はうれしいかもしれないけれど、私は不幸になるじゃないか。
自分が好きでも相手が嫌いなもの。
自分が幸せになればなるほど、相手が不幸になること。
それってすごく自分勝手なんじゃない??

そういえば、宇多田ヒカルの歌に「誰かの願いが叶うころ あの子が泣いているよ」というフレーズがあったっけ。
幸不幸はシーソーのようなものだ。
「みんなの願いは同時には叶わない」。

逆に。
好みが真逆なら、どちらかが不幸でもどちらかが幸福だということが成り立つんじゃないか、と思い始めた。
ひとつの家の中で、一人でも幸せな人がいればそれでOK。
万願寺とうがらしが辛くなければ私が幸せ、辛ければ夫が幸せ。
配偶者が幸せであればそれで幸せ。
どこまで行っても異なる二人なのだから、その違いをプラスに変えないとこの先長い人生、一緒に歩いていけない。

結局は私がLINEで謝った。雨降って地固まる。

まだ半分夫婦の私たちが本当に夫婦になるまでにはしばらくかかりそうだ。