3歩前のことを忘れる女のサブカルと介護の記録

神戸に住む40代波野なみ松の、育児と趣味と要介護両親の対応に追われる日々の記録。

筋少『ザ・シサ』で考える喪服の話

今日は大阪で筋肉少女帯のライブがある日だ。
子供がいなかったら、絶対に行ってたライブ。
これまで20年以上、大阪でやるオーケンのライブはほぼ欠かさず行ってたのに、まさか筋少メジャーデビュー30周年の年に行けないなんて。
人生何がどうなるかわかったもんじゃない。

今回のライブは、いわゆるレコ発ツアーというやつで、10月31日に新しいアルバム『ザ・シサ』が発売された。
10月下旬からの忙しさの一端にはそのせいもある。
それでなんであんたが忙しいねん!?と思われるだろうけれども、アルバムが発売されると、キャンペーンでオーケンのラジオ出演が増えたり、Webにインタビュー記事が出たり、ニコニコ生放送があったりするので、そういうのを見たり聞いたりするのに忙しかったのだ。
私にとっては必要不可欠なことなので、サトイモがねんねしている貴重な時間は筋少のために費やしていた。

『ザ・シサ』のシサは漢字で書くと「視差」で、英語で言うとParallax viewのこと。
見る位置が違えば同じものでも異なって見える、同じ経験でも人によって感じ方・捉え方が違う、ということをテーマにしたアルバムになっている。
芥川龍之介の小説『藪の中』、黒澤明の映画『羅生門』。(と、ラジオに出演するとだいたいこんなことをオーケンがしゃべっている。)

アルバムについては、筋少らしさが詰まっているのにマンネリ化せず、私みたいな長年のファンでさえワクワクして聴ける素晴らしいアルバムなんだけれども、そんなことをここで書いても仕方がないので省略。


葬儀の参列にみる律義さ

 

収録曲の中に『なぜ人を殺しちゃダメなんだろうか』という曲がある。
女友達が彼氏を殺してしまって、喪服を持っていない主人公は紳士服の店に行く。
それがめんどくさい。
だから、「人を殺しちゃダメ」と言う。

当事者にとってはとんでもなく大変な事件だけれど、周縁の人にとっては日常生活を不幸で汚された程度のことになってしまう、というような、視差のズレ。
「あいつら愛し過ぎたんだな」という感想や、「あたたかな晴れた日バスを待ち黒い服を買いに行く」という一見のどかそうな光景なども素敵で、好きな曲だ。

「喪服買うのめんどうくさいから人殺しなんかしないで!」なんて、ちょっとモラルからズレたことを言うくせに、スルーせずちゃんと参列する律義さが可愛らしい。

というのも、私的にちょっと引っかかったのが、死んだのは友達ではなくてその彼氏なのに参列するんだぁ、という点。
よほど親しくなければ葬儀には行かないし、配偶者じゃなくて恋人で、直接の知り合いじゃなかったら、私は行かないかなぁ…。
私がかつて友人の配偶者のお葬式に参列したとき、うちの父と夫(当時は彼氏)から、「直接の知り合いじゃないのに行くの?」と怪訝な顔をされたことがある。

私は比較的まめに葬儀に参列するほうだ。
うちの会社が、同僚の家族に不幸があればみんなで参列したりお香典を出したりする風土で、それに慣れてしまったのもある。

ところが、うちの夫の会社では一切そういうのがないらしい。
だから、夫はほとんど葬儀に参列したことがない。
自分の祖父の葬儀ですら、出張中だからと行かなかったというので呆れてしまった。(疎遠だったということもあるんだろうけど。)

うちの父も葬儀には出たがらない。
マナーがわからないし、遺族とどうコミュニケーションをとればいいかわからないかららしい。

2、3年前、ご近所にご不幸があって父がお通夜に参列したとき、白いシャツが見つからないと言って、薄い水色のシャツを出してきた。
ごくごく薄い色なので、暗いところなら、
「あれ?光の加減で色が反射してるのかな?」
と見えなくもない。
「絶対アカンって!」
とわめくように注意したけれども、
「かまへん!夜やしわからへんって!」
と押し切ってしまった。
『なぜ人を~』の歌詞の主人公のほうが、買いに行くだけよっぽどまともである。

そんなうちの父を知っている友人は、私が「母の万が一に備えて喪服の着物の準備をしている」という話をしたときに、
「なみ松ちゃんの喪服だけじゃなくて、おじちゃんの喪服も準備しとかなきゃね」
と注意喚起してくれた。
父が喪主になるんだから、これは重要!

オーケンは今回、
「バンドマンなんてスカパラ以外黒いスーツ持ってないって!」
と言って笑わせていたけど、フォーマルなことが苦手なのはバンドマンに限ったことじゃない、というお話。


風が吹けば桶屋が儲かる妄想

 

オーケンは喪服が大変だから人を殺しちゃ迷惑というけれど、紳士服店の視差からすると、「人が殺されると服が売れて儲かる」ということにならないか、と思ってしまい、つい頭の中にこんな妄想が広がる。

国道沿いにあるチェーンの紳士服店「△○やま」の店長は頭を抱えていた。
ここ2年、この店舗での赤字が続いている。
今期また赤字だったら、店長降格かつ、さらにド田舎の店舗へ左遷されることだろう。
この日は決算の最終日となっていたが、目標まであと数万円…。

安いシャツや靴下じゃラチがあかない。
どーんと、フォーマルのスーツでも売れないかなぁ…。
店長はボンヤリとあたたかな秋の午後、外を眺めていた。

そこへ入ってきた、白髪に帽子をかぶったやや猫背の男。
ラフなファッションを見るところ、紳士服には縁がなさそうだ。
何も買わなさそうだなぁ…、とがっかりしていたら、なんと急ぎで喪服が欲しいというではないか。
シャツもネクタイも一式ご購入!

目標達成!!
これで降格はまぬがれる!!

店長は人知れず感謝した。
「ありがとう、人殺し!!」

…なんて、「人を殺しちゃダメ」って言ってるオーケンにチャチャを入れるようなことを考えちゃいけません!

父のヘルパーさんから電話があった。

今朝、知らない番号から着信があった。
恐る恐る出てみると、父のヘルパーさんだった。

「今お宅に伺って、チャイムを鳴らしても出られないものですから、鍵で中に入らせてもらったんですが…」

まさか父に何かあったのか、と一瞬ひやりとする。

「外出されたみたいでおられないんです。連絡を取りたいんですけど、お父さんの携帯番号がわからなくて。教えていただけないでしょうか?」

なんだそんなことか。
少々ホッとしつつ、
「勝手ばかりしてすみません」
と平謝り。
にしても、いつもは起こされるまで寝ているのに、どこへ行ったのか。

すると、
「テーブルの上に書き置きがありました。『そば屋へ行ってきます』ということです」

そば屋!?
父の行動範囲にそば屋というのがないので腑に落ちない。
うどん屋かラーメン屋ならわかるんだけど…。

「生活援助ということで掃除に来ているんですけど、服薬確認や体調のおかげんを聞いたりもしてますので、ご不在のままだとまずいんです…」
とヘルパーさんは申し訳なさそうに言う。
そりゃそうだ。
申し訳ないのはこちらのほうで、きっと父は普段からトンチンカンなことを言って、迷惑をかけているにちがいない。

なんでヘルパーさんが来るのをわかってながら外出したりするかなぁ!?

ついでの電話で失礼だったが、普段の父の様子を教えてもらった。
「ヘルパーが来ない日は、起きるのが昼の3時や4時になっているみたいで、食事も1食だけになっているようなんです。そんな日はお薬もきちんと飲めていなくて。なんとかもう1日ヘルパーが入れないかケアマネさんに聞いているんですけど、生活援助では今が上限みたいで」
と言う。
1日1食という状況を聞いても、娘の私は具体的なアクションをすることなんて考えもしなかった。
せいぜい、
「お父さんちゃんと起きてちゃんと食べなさいよ」
と注意するくらいだ。
それなのに、
「生活援助じゃなく、服薬確認ということであと1日、30分だけでも増やせそうな気はするんで、ケアマネさんに相談してみます」
とヘルパーさんが言う。
そこまで考えてくれているのに驚いた。

ほかにも、最近はまたリハビリをさぼりがちになっているらしい。
これまでも、さぼる、注意する、行くようになる、さぼる、注意する、行くようになる…、の繰り返しだった。
正直、またか、とウンザリ。
これまで同様、「なんでサボるの?」「脚の調子が悪かったからな」「調子が悪いからリハビリに行くんでしょ?」「ああそうか」という、毎度おなじみのやり取りを繰り返すことになるだろう。

ヘルパーさんは、まだウンザリしていないから、あれこれ心配してくれているのかもしれない。


父の言い分

 

ウンザリだ、と思いながら、時間を置いてから父に電話をかけた。

「今日ヘルパーさんが来たとき家におらんかったらしいやん」
「昨日9時くらいに寝たから今朝は6時に起きたんや。朝6時なんかすることのうて、もっかい寝て、そやけどしんどうて。そうや、にんにく食べに行こう、思て、中華そばに行ったんや」

父のお気に入りのラーメン店には、にんにくのホイル焼きがある。
そば屋、というのでおかしいと思ったら、ラーメン屋だったのか。
中華そばとか支那そばとか呼ばれても、昨今では通じにくいんだからやめてほしい。

「置き手紙しといたから、勝手に入って読むやろうと思たんやけどなぁ」
という父に、
「お父さんは勘違いしてるよ。ヘルパーさんは家政婦さんじゃないの! 勝手に家に入ってきて掃除してください、ということじゃないんやで。それに、鍵を置いてるのは勝手に入ってもらうためやないんや。万が一、お父さんが倒れてたりした場合に備えて置いてるもんなんやから」
「へぇぇ、勝手に入ってもらうためやと思とったわ」
「ほんまは、ヘルパーさんが来るときはちゃんと起きとって、玄関開けなあかん。鍵を開けて入ってもうて、起こされるようじゃあかんのやで!」
「そうか。ほんなら今度からちゃんと起きるわ」

その後は、「リハビリには行きなさい」「早寝早起きをしなさい」「食事はちゃんと食べなさい」「お酒は飲みすぎないように」とお決まりの説教をして、母の様子を尋ね、父はサトイモの様子を尋ね、「じゃあね」という段になって、父はぼそりと、
「勝手に入って、置き手紙読んだらええのになぁ」
と言った。

全然わかってない!!

きっとまた、ヘルパーさんが来る時間にラーメン屋に行くかもしれない。
けれど、父にそれを理解させる術が思い浮かばない。

何でも舐める期。

薬を朝夕ちゃんと塗ったら、3日ほどでサトイモの湿疹は消えた。
「長くかかるかもしれませんよ」
と医者に脅されて、多めにもらったステロイドの薬はほとんど余したままお蔵入り。

今回のことが良い教訓になって、朝夕2回、サトイモの保湿を頑張っている。
おかげで今までで最もすべすべもちもち肌になった。
ほっぺたをツンツンするだけでもうっとりするほどの手触り。
よく「赤ちゃん肌」というけれど、実際の赤ちゃん肌を毎日触っていると、「想像以上!」だと思う。
大人なら、どんなに高級エステに行ったとしても絶対にこうはならないだろう。
子供ができていろんな発見があるけれど、本物の赤ちゃん肌に触れられたのはそのひとつ。

 

狙われるスリッパ

家の中でいろんなところを這われたら困るので、私が家事をするときなどはたいていベビーサークルに閉じ込めている。
入れてしばらくは一人で遊んでくれるけれど、ちょっとの間しかもたない。


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かといって、自由にさせておいたらとんでもないものを舐めまわすのでヒヤヒヤする。
オモチャやぬいぐるみを舐めるのは当たり前。それよりも、テーブルやイスの脚、私の服やカバン、ゴミ箱、洗濯カゴ、プレイマット、お風呂場のシャワーホース、といったものが好物だ。
一番狙ってくるのは私のスリッパで、油断するとすぐに舐めにかかってくる。

「なんでそんなにスリッパが好きなのかねぇ?」
と私が困っていると、
「そら、『ママの足についているパタパタ音がするあれ、何かなぁ? 僕もいっぺん舐めてみたいなぁ』ってなもんやろう」
と夫。
夫は早々にスリッパをはくのをやめてしまった。
私もはかなければいいのだけれど、これから寒くなるのにそうもいかない。

 

オモチャは口で確認

今日は久しぶりに子育て広場に行った。
ズリバイができるようになって初めてになる。
サトイモが這うと、まるでナメクジのように通ったところがよだれで濡れていく。
ここでも、サトイモは手当たり次第にオモチャを舐めまくった。
自分のオモチャはひと通り全部舐めたから、よその珍しいオモチャは絶好のよだれの餌食だ。

濡れたオモチャや床は持ってきた除菌ティッシュで拭いたけれど、布製のオモチャだと拭ききれない。おままごと用のフエルトのピーマンが、しぼったら水滴が落ちるんじゃないかというほど濡れてしまった。
保育士さんに相談すると、
「こちらのオモチャのことだったら気にされなくて大丈夫ですよ」
と言ってもらえた。
ついでに、
「ナメナメするのはどれくらいやめさせるべきでしょうか?」
と相談すると、
「お母さんが気にされるかどうかですけど、家の中のもの程度だったら皆さんそのまま見守っておくかんじですね。赤ちゃんは口で確認しているところですから」
と言われて、ちょっと安心した。

「汚いものを舐めないで!病気になっちゃう!」
と思う反面、
「いちいち止めてたらこっちの身がもたないよ…」
とウンザリしていたからだ。

これからウイルスが蔓延する冬になって、きっとサトイモも何らかの病気にはかかるだろう。
そのとき、
「あんなものを舐めたから…」
なんて思うかもしれない。
でも、それで普通、なんだよね…。
あんまり神経質になっていたらやってられない。

家に帰ってから、絵本の読み聞かせをしたけれど、これもサトイモは絵本を舐めたがってしょうがない。
よだれで濡れた手につかまらないよう、絵本を離しながら読む。
舐めようと這ってくるサトイモ。逃げる私。
読み聞かせをしているんだか、鬼ごっこをしているのかわからない。

あとから振り返ったら、そんな時期もあったね、と思うんだろうけれど、しばらくはナメナメとよだれとの格闘が続きそうだ。

秋は乾く。

サトイモの背中のブツブツがお腹や胸まで広がってきたので、今日いよいよ皮膚科に行ってきた。

Google検索で出てきた、自宅から最も近い皮膚科へ。

「ベビーカーや車いす等で来院され2階へ上がるのが困難な方は、1階の薬局へお声かけください。」
と書いてあるので、薬局の中にビル共通のエレベーターでもあるのかと思ったら、

「ここにベビーカーを置いてもらってかまいませんよ。たたまなくても大丈夫です」

と、とても親切そうに言われ、かなりがっかり。

念のため抱っこ紐を持ってきてよかった。

でも、車椅子の人はどうするんだろう?

 

診察の結果、乾燥によるものだろうという先生の見立て。

「あせもや離乳食のアレルギーではないんですね?」

と確認する。深刻な病気でなければそれでよし。

…にしても、乾燥だなんて。

お風呂上がりには欠かさずオイルかローションを塗って、ちゃんと保湿してきたのに!

赤ん坊の保湿最優先で、自分はパンツ一丁でヌリヌリしてきたのに!

夜1回では足りなかったのか。朝はちゃんと保湿しなかったからこんなことに?

 

さて、出た薬はロコイドクリームというステロイド系の薬とヘパリン類似物質という保湿剤を混ぜたクリームだった。

ヘパリン類似物質というのは、母の皮膚かぶれでも処方され、乾燥予防にも使っていたので、私にとっては毎度おなじみの薬だ。

老人と赤ん坊は何かしら共通点が多い。

老人も皮膚が弱いから、すぐにカサカサになるし表皮剥離を起こしやすくなるので、保湿は欠かせなかった。母は今の病院で保湿をしてもらえてるんだろうか。たぶん、ないだろうなぁ。

帰りに兵庫県の公館に寄ったら、すっかり秋の庭。

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乳児湿疹とやっつけブログ

要領が悪いのか、睡眠時間をたっぷりとっているせいか、毎日が精一杯。

ブログを書く時間がないのだけれど、それは書こうと思うことが多すぎて、まとまった時間が必要なせいだと気が付いた。

ちゃんとしたものを書きたいけれど、更新しなければやっている意味がない。

どうせ個人的な日記なのだから、書ける分だけまめに書いていこう。

母の介護をしているときも状況の変化がめまぐるしかったけれど、サトイモの成長といったらそれ以上だ。

まめに書いておかないと、記録が変化に追い付かない。

最近の出来事でいえば、サトイモの顔に湿疹ができた。

乾燥のせいか、よだれのせいか、もしかすると離乳食のせいか…。

どんどんひどくなったので、予防接種のついでに小児科に相談すると薬が出た。

ステロイド剤だという。

なんか不安だったので、薬剤師さんに相談すると、

「まず炎症を抑えましょうということで出たお薬だと思いますよ。原因を治すものではないのですが、乳児の湿疹は原因が特定できないことが多いので。早く治して、そのあとは保湿などで再発しないように予防しましょう」

ということだった。

薬を塗ったらすぐに治った。

それと入れ替わるように、今度は背中にもブツブツが。

同じ薬を塗ってみたものの、これには効かないようでちっとも治らない。

顔にできたのとは違うのだろうか。

明日も改善しなかったら皮膚科に行ってみようと思っている。

あとは、ハイハイによる脱走防止のためにベビーサークルを買ったこと、よだれかけがヤバいほど必要なこと、ちんき堂に行ったらサトイモがやたら笑顔だったこと、筋肉少女帯のニューアルバム『ザ・シサ』のこと、radikoをフル活用していること、夫が加入している保険のこと、テレビはEテレと『5時に夢中』を見るようになったこと、ノーアポでお姑さんが襲来してくるとなんか焦ることなど、書きたいことは山ほどあるけれど、また時間があるときに。

気付いたら今日も終わり

書きたいことは山ほどあるのに、ブログを書く時間が取れない。

赤ん坊がズリバイで動き出し、あらゆるものを舐めまわしてくれるし、1日2回の離乳食では何を食べさせようかメニューを考えるだけでも手一杯。

モグフィは期待したほどの効果はなく、一人で持たせていると振り回したりするので、後片付けがスプーンの倍かかる。


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よだれと食べこぼしで服を汚されるので、洗濯物の量も増えた。

それでドラム式の新しい洗濯機を買ってもらったのはいいけれど、これまでのと勝手が違いすぎて説明書を読まないと使えない。

乾燥のせいか離乳食のせいか、サトイモの顔と背中に湿疹ができて、病院で予防接種のついでに相談すると塗り薬をくれた。

薬を塗るのもまた一苦労で、サトイモは暴れまくって塗らせてくれない。

何から何まで時間がないことばかり。

これまで、だいたい1週間に1度くらいのペースでブログを更新しようと思っていたけれど、1週間に1度の時間さえとれない。書きたいことは山ほどあるのに…。

気が付けば、鏡の自分にほうれい線。

こうやって知らず知らずのうちに、時間ばかりが過ぎていく。

 

親の葬式には着物を着るのが常識らしい。

母が肺炎になったとき、これは覚悟をしないといけないなと思った。
実際は抗生剤が効いて肺炎は治ったのだけれど、
「そろそろ準備を始めなさいよ」
と母がサインを出しているような気がした。

そこで一番気がかりなのは喪服である。


あんたの喪服は用意している、と母は言った

 

母は着物が好きだった。
とはいっても、自分で着付けもできなくて、着物を着ているところなんていとこの結婚式くらいしか見たことがない。
そのくせ、15年くらい前、着物を買うのが母のブームだった。
親戚に京都の丹後ちりめんの業者がいて、その知り合いの呉服屋さんがしょっちゅう家に出入りしていた。

値段は知らないけれど、安い買い物じゃなかったはずだ。
「高いお金出して、着もしない着物なんて買ってどうすんの!?」
と私が非難すると、
「持っとうだけで嬉しいんや、ほっといてくれ」
と言うのが母の言い訳だった。

自分で必要なものを買ってしまうと、次は私の分まで買うようになった。
「あんたの訪問着買うといたったで」
「いらんわ! だいたい訪問着って何よ? どこへ訪問するんよ?」
「どこなと訪問するときに着たらええんや。結婚することになったら、お婿さんのご両親に挨拶するとき着たらええわ」
「だから結婚なんかせえへん言うてるやんか」
最後にはどうしてもその話になるので、うっとおしくてまともに語り合うこともなかった。

あるとき、
「あんたの喪服、ちゃんと用意しとうからな。お父さんのお葬式で着れるように」
と母が言い出した。
そのときは自分が病気になるなんてつゆとも知らないので、絶対に父が先に死んで自分が後だと思い込んでいた。
「これでお父さんがいつ死んでも大丈夫」
と言っていた。
人生はわからないものだ。

「お葬式って着物着なあかんのん? 洋服の喪服でええやんか~」
と言う私に、
「親の葬式に洋服なんか着る人がおりますか! きちんと着物着るのが常識です。恥ずかしいで!」
と母は諭した。
そんなものなのかなぁ、お母さんの常識は疑わしいからなぁ、と私は適当に受け流していた。
訪問着もそうだけれど、用意したという喪服を一度も見たことがないし、どこにしまっているかも聞いていない。

そして今。

いくら覚悟をしているとはいえ、もし母がいよいよとなったら平静としていられるかどうかわからない、と思う。
そんなハードな精神状態の中で、普段着慣れない着物を着るのはひどく負担が大きい。
もう洋服でええやん、勘弁して、こっちは悲しくてそれどころやないんや、と言いたいところだけれど、
「せっかくお母さんが用意した喪服を、お母さんの葬式に着ぃひんのか、あんたは!」
と母に怒られそうな気がして、何が何でも着ないといけないと思う。


喪服を探そう

 

喪服について、母方の親戚である大分の伯母に電話をかけて相談してみた。
大分の伯母は着付けの先生をしていたこともあって、冠婚葬祭があればいつも親戚みんなの着付けをしていた。
今は大分だけれど、もともと神戸に住んでいて、親戚の中で最も私のことを気にかけてくれる人だ。

伯母の話でも、親の葬式なら着物を着るのが当然で、お通夜には色無地を着るということだった。
たいていは娘の親が準備をして、実家に置いたままということも多いらしい。
嫁に行ったあとで実家の葬儀について迷惑をかけないようにということじゃないか、と伯母は言った。

「最近は、お通夜は洋服を着る人もいるらしいよ。でも、お葬式本番はやっぱり着物だわ。心配しなくても葬儀社に着付けの人がいるから大丈夫よ」

そうは言っても、親の葬式自体初めてなうえに、着物を着る段取りまでできるんだろうか。
着物を家に取りに帰って、葬儀場まで持ち込むような時間の余裕があるんだろうか。

「それに、着物の着付けには、長襦袢だとかだて締めだとか必要な道具が多いのも不安です。私、何が必要なのかもわからないんです。」
と私がこぼすと、
「あなたのお母さんのことだから、全部揃えて用意してくれてると思うけどねぇ」
と言いながら、後日、伯母は必要なもの一覧を紙に書いて、帯枕や襟芯や半襟などを送ってきてくれた。

ありがたいやら申し訳ないやら。

それより何より、まだ実家のどこに喪服があるのかすらわかっていないのに。
まずは喪服を探すところから始めないと。

昨日、例によって夫とサトイモとともに実家に帰った。
クローゼットの中を調べて、喪服の大捜索である。
久しぶりに開けたクローゼットを見ると、スーツケースのような着物バッグを発見。
小物類は葬式用のもの一式が入っていて、バッグと草履にいたるまですべて新品で揃えられていた。
伯母が言ったとおり、うちの母は抜かりなく準備していたのだ。

着物は購入時の箱に入ったまま積まれていた。
タンスの上に積んであるので、夫に手伝ってもらいながら中身を確認していった。
箱は何箱もあった。

ひとつひとつ夫に箱を下してもらい、ふたを開ける瞬間はわくわくした。美しい着物が新品のまま眠っている。
開けたついでも防虫剤を入れながら、もったいなくてため息が出た。

こんな素敵な着物や帯なのに、宝の持ち腐れもいいとこ…。

喪服は一番大きな箱の中に入っていた。
しかも、4着も入っている。
私の推測だけれど、私の分と母の分、それぞれ夏用と冬用なのではないかと思われる。
グレーの色無地も2着あった。

どれを着るのかまではわからないけれど、この中のどれかが当たりだろう。
今回はここまで。

あとは、伯母さんによれば襟をあらかじめ縫っておかないといけないらしい。
着物って面倒臭い。